戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と一二三と九十郎第111話『今日も一二三は平常運転』

ここまでの物語は『犬子と柘榴と九十郎』の物語であった。

ここから先の物語は『犬子と柘榴と一二三と九十郎』の物語である。

 

前田利家だから助けた、前田利家だから愛せない、ただの犬子とは思えない。

それは九十郎にとっての真理であった。

秋月八雲によって刻まれ、新田剣丞によって抉られたトラウマが、九十郎をそうさせた。

 

しかし、九十郎は一歩を踏み出した。

前田利家と……いや、犬子と本気で向き合う覚悟を決めた。

柘榴の愛と、美空の弱さを胸に抱き、犬子と向き合う覚悟を決めた。

 

そんな九十郎が、犬子に力の限り『I love you』を叫ぶ物語。

そんな九十郎が、柘榴に魂を籠めて『I want you』を叫ぶ物語。

犬子と柘榴が、そんな九十郎にありったけの愛を注ぐ物語。

 

そして、それと同時に……

 

「光璃……光璃ぃっ!! しっかりしろ! 目を開けてくれ!

 死ぬんじゃねぇ! 頼む、頼むから……起きてくれ! 光璃いぃっ!!」

 

……それと同時に、九十郎に新たなトラウマが刻まれる物語。

九十郎のファースト幼馴染である武田光璃が、九十郎の目の前で惨殺される物語。

 

「や、やめて……嫌だ、そんな目で私を見ないで……」

 

武藤一二三昌幸が光璃を裏切り、武田晴信を殺害する物語。

 

「わ、私は! 私は九十郎のために! キミのために頑張ったんだよ!

 疑り深くて用心深い武田晴信を騙し通して! 湖衣も典厩様も裏切って!

 死地に誘き出して! 全部キミが武田晴信を殺したいと言ったからだっ!!」

 

一二三が九十郎に恋をして、主君を裏切り、友を裏切り、光璃を殺す物語。

 

「分かる訳が無い! 分かる訳が無いじゃないかっ!

 御屋形様がキミの幼馴染だったなんて! 私に分かる訳が無い!

 私は! わ、私は……キミに褒めてほしくて、喜んでほしくて、それで!」

 

表裏比興と書いてクソヤロウと読む一二三が、生まれて初めて本気で後悔し、本気で涙を流す物語。

 

「そんな目で……そんな目で私を見ないでぇっ!!」

 

この物語は、九十郎が自らの幼馴染である武田光璃をうっかりブチ殺してしまう物語。

武藤一二三昌幸が武田晴信を全力で裏切り、全力で殺し、そして全力で後悔する物語。

一二三と九十郎が、光璃の死を踏み越える物語……『犬子と柘榴と一二三と九十郎』の物語。

 

「我は武田信玄、明日この世界を粛清する」

 

「やっほ~、九十郎、おっひさ~……どしたの? そんな顔しちゃってさ。

 もしかして、あたしの顔見忘れちゃった?」

 

そして大江戸学園の馬鹿共が動き出す。

 

……

 

…………

 

………………

 

「一二三ちゃん、私の切り札、勝手にバラさないでって前にも言ったよね」

 

湖衣が珍しく怒気を孕んだ声と瞳で一二三に詰め寄っていた。

 

「前にも似たような事があって、前にも怒ったよね。

 今回が初めてじゃないよね。

 他人の御家流を勝手に交渉のネタにしたのも今回が初めてじゃないよね。

 次やったら本気で絶交するよって言ったよね」

 

そう言いながら、分かり易く私怒っていますという態度でずいぃっと一二三に詰め寄った。

こういう分かり易さが、一二三が湖衣を友人と呼んでいる理由の一つである。

 

「一二三、またこっちに無断で夕霧を交渉のネタにしやがったな?」

 

夕霧から氷点下とすら思える冷たい視線が向けられる。

 

「いや、典厩様って使い勝手良いんですよ。

 御屋形様と違ってまだ積極的な同盟破りしてませんし、

 高過ぎず低すぎない適度に地位があって、相手も無視しずらいですし、

 咄嗟に名前を出すうえでは……」

 

「誰が夕霧の名前の有用性を語れと言ったでやがるかっ!!」

 

夕霧が激怒する。

主君の妹を使い勝手が良いだなんて表現できるのは、世界広しといえど武藤一二三昌幸ただ一人……でも無い所が戦国時代の怖い所である。

 

「一二三、夕霧もこんな事は言いたくねぇでやがるが、

 こっち(越後)に来てからの一二三の行動はどっかおかしいでやがるよ」

 

「そうですね、私もそう思いますよ」

 

元々、一歩間違えれば破滅一直線の危うい橋を、無自覚で渡っていた粉雪を止めるために越後に来た。

そして九十郎に出会った。

犬子と剣丞の一件で精神的に参っていた九十郎に抱かれた(第83話)。

あの時から、一二三は自分の頭がイカレてしまっていると自覚している。

 

……が、それをそのまま湖衣や夕霧に伝えると粛清されるので何とか取り繕う必要がある。

 

「一二三ちゃん、何か悩み事でもあるの? 御屋形様には言えない悩みなの?

 わ、私で良ければ力になるから……」

 

「嫌だなあ、私が湖衣に嘘や隠し事をした事が今まであったかい?」

 

「大量にあるよね、数え切れないくらいあるよね。

 桶狭間の時は主君(今川義元)殺しの片棒担がせたよね」

 

「友達じゃないか」

 

「あの時も友達じゃないかって言ったと思うんだけど。

 友達だからって信じたのがあの結果なんだけど」

 

湖衣と一二三の間に不穏な空気が流れ始める。

 

「ま、まぁまぁ、あの時は義元を殺すって決めたのも、

 湖衣を巻き込むって決めたのも姉上でやがる。

 一二三は姉上の命に従っただけでやがるよ」

 

直後、夕霧が慌てて2人の間に割って入り、湖衣をなだめる。

 

「(う~む、全くもって裏切り難い妹君だね、本当に)」

 

一二三が心の中でそう思い、僅かに視線を伏せる。

尤も、それでも裏切る時は汗一つかかずに裏切れるのが表裏比興たる所以であるが。

 

「今度やったら本当に絶交だから」

 

……結局、夕霧が宥めたのもあり、基本人の良い湖衣はまたもや警告で済ませてしまう。

彼女がこのセリフを一二三に向けたのは今日で5回目である。

 

最近、湖衣はもう二度と一二三に出し抜かれまいと猛勉強をしている。

猛勉強をしているからこそ、分かってしまう。

一二三も好き好んで不義理をしているのではないと。

だからどうしても許してしまう、次は無いよで済ませてしまう……何度も何度も。

 

「そろそろ聞かせるでやがるよ、一二三が一足早く越後に入った理由を。

 いきなり夕霧達を越後の後継者争いに巻き込んだ理由に、

 勝手に夕霧の名前を交渉のネタにした理由も聞かせるでやがる。

 たぶん、母様……いや、武田信虎の様子を探りに行かせた、

 粉雪の関係だって事までは分かるでやがるけど」

 

「流石は典厩様、ご明察です。

 斎藤九十郎が好きだと公言して、越後にいつまでも滞在してる今の粉雪は、

 結構危険な状態です」

 

「姉と同じく、裏切るのではないか……そういう噂は何度か耳にしてるでやがる。

 信虎を探れと命じたのは夕霧でやがる、できれば何とか誤解をときたいでやがる」

 

「いえ、あえて誤解はときません」

 

「粉雪に死ねとでも言う気でやがるか?」

 

夕霧が慌てた様子で聞き返す。

粉雪の自助努力では100%死ぬという、逆の意味で凄い信頼があった。

 

「死の危険は否定できません、みすみす死なせる気もありませんが。

 その代わり、上手く事を運べれば目の上のタンコブを綺麗に取り払えます」

 

「つまり……どういう事でやがるか?」

 

「私が用意した策は、その誤解を逆に利用する事なんです」

 

「……り、利用?」

 

夕霧が思わず聞き返す。

夕霧はどうやって粉雪を平穏無事に甲斐に戻らせるかしか考えていなかった。

しかし、一二三はそれを逆に利用すると言ったのだ。

 

「長尾景虎の立場から見れば、今の粉雪はとても美味しい。

 越後の人材は長年の戦乱によって枯渇し切っていますから。

 槍を取っては武田四天王でも最強、

 精鋭赤備えを率いる将を寝返らせる事ができるかも……」

 

「粉雪に裏切ったふりをさせるつもりでやがるか!?」

 

夕霧の顔が驚愕に染まる。

頭の中によぎる言葉は、無理、無茶、無謀だ。

確かに粉雪は武田四天王最強であるが、同時に武田四天王の中で最も演技と腹芸を苦手としている。

裏切ったふりをして長尾景虎を騙しぬくなんて芸当ができるとは思わなかった。

 

「実は私も裏切っているんです、斎藤九十郎殿に一目惚れしてしまいまして。

 あの人の顔を見るだけで子宮が疼いて、子種を求めてきゅぅっとするんですよ」

 

「なっ!?」

 

「ええっ!?」

 

続く言葉に、夕霧も湖衣も絶句する。

2人にとって一二三は、恋だの、愛だの、一目惚れだのとかいう単語とは縁遠い存在だったからだ。

 

「その証拠に……ほら」

 

一二三がそう言うと着ていた袴をそっとたくし上げる。

彼女の秘部を覆い隠す布は僅かに湿り気を帯びて変色していた。

そして一二三がそれを右にずらすと、白濁液が……ほんの少し前(第108話)に一二三が男性に抱かれて、膣内射精された事を示す証拠が漏れ出た。

 

「一二三、まさか!?」

 

「さっきおねだりしてきたんですよ。

 身体が疼いて、子宮が疼いて我慢できないから、お情けをくださいって」

 

「く、九十郎さんに……だよね? あの、確か前に温泉で鉢合わせした……」

 

「うん、その人。 結構気持ち良かったかな」

 

湖衣と夕霧が思わずかつて見た(第53話)九十郎のちOこの色艶を思い出し、顔を真っ赤にする。

 

あの時、2人は温泉の地縛霊の影響を受け、もうちょっとで九十郎に抱かれている所であった。

あの時した選択を後悔した訳では無いが……思わず考えてしまった、あの時雰囲気に流されていたらどうなっていたかを。

 

「つ、つまり粉雪1人では騙せないから、一二三ちゃんが手助けするって事なの?」

 

「演技には自信がある」

 

一二三がふふーんと鼻を鳴らしながら胸を張る。

『はい』とも『YES』とも言っていない所がポイントである。

 

「まあそんな訳で、現在長尾景虎を殺すための罠を準備中です。

 御屋形様にはそう伝えておいてください」

 

「成程……確かにそれなら、粉雪の粛清は回避できるかもでやがるな」

 

「でも、粉雪は大丈夫なのかな?

 大好きな九十郎さんを騙して裏切る事になるけど……」

 

「その辺は私の方から言い含めておくからさ」

 

説得するとは一言も言っていない所がポイントである。

 

「さて、長尾景虎殿ににもっともっと信用してもらうための一手を打とうと思うんだけど」

 

「まだ何かやる気でやがるか?」

 

「確か典厩様がこっちに来た本来の理由は……」

 

「ああ、新田剣丞を甲斐に連れてくる事でやがる。

 こいつは姉上からの直々の命でやがるよ。

 まあ、呼んだ後どうするかは聞かされてねーでやがるが」

 

「それを使います」

 

「ど、どう使うでやがるか……」

 

「この一二三さんはアフターケアにおいても万全だって所をお見せするって事ですよ」

 

「あ、あふたぁ……?」

 

「け、けあ……で、やがるか?」

 

聞き慣れない単語を聞いて、湖衣と夕霧が首を傾げる。

一二三は首を傾げる2人をまたもや自分の策に無断で巻き込む気がマンマンだ。

 

表裏比興と書いてクソヤロウと書く真田昌幸は今日も平常運転であった。

この日はまだ、へらへらと笑いながら外道殺法を考え、得意の二枚舌外交を味方に向かって炸裂させる、いつもの一二三であった。

 

……

 

…………

 

………………

 

「交渉の結果、私と松葉の2人が剣丞の嫁になるという事で収まりました、マル」

 

なんやかんやで、言い出しっぺに全責任をとってもらおうという事になっていた。

松葉は剣丞君が越後にいる間にしれっと誑していた。

 

「おい何で松葉が出てくるんだよ」

 

九十郎が思わずツッコミを入れると、柘榴と美空がたんとも言えない珍妙な顔で互いの目を見合って……

 

「明日からあいつの綽名はスケベ野郎よ」

「明日から剣丞の事はスケベさんって呼ぶ事にするっす」

 

新田剣丞に大変不名誉な綽名がついた。

 

美空と柘榴がちょいちょいと手招きして九十郎を近くに呼ぶと、美空が右耳、柘榴が左耳から先程一二三から聞いた事の経緯を耳打ちする。

 

「ひそひそひそひそ……」

 

「ふんふん、まあその位ならやりかねねぇなあ、剣丞なら」

 

「ごにょごにょごにょごにょ……」

 

「おいおい、そんな事までやってんのかよ、手が速いな剣丞は」

 

「ひそひそひそひそ……」

 

「待て、過程が何段か抜けて無いか? 聞いた通りに話してるって?

 あいつあんな澄ました顔してヤルことヤッてたのかよ……」

 

「ごにょごにょごにょごにょ……」

 

「って、美空お前剣丞抹殺作戦に松葉巻き込んだのかよ!?

 洒落になら……いや何で松葉承諾したよ!? アレをコレしたばっかだろ!?」

 

「ひそひそひそひそ……」

 

「ハハッ、ワロス……そーかそーか、モテ男様は違うねぇ」

 

「く、九十郎!? 柘榴と美空様から何を聞いたのさ!?」

 

微妙に蚊帳の外に置かれていた犬子が耐えきれずそう叫ぶ。

 

「つまり剣丞君はラノベ主人公じゃなくてエロゲ主人公だったって事だな。

 異世界転生ハーレムエロゲ的な」

 

「ごめん九十郎、全然分かんない」

 

「柘榴達が昨日の戦の準備をしている間に、スケベさんは松葉とスケベしてたっす」

 

「え? あの人犬子だけじゃなくて松葉さんにも手を出してたの?」

 

「呑気な男って言うか、狂喜の沙汰だぜ」

 

「狂気の沙汰ほど面白いって事っすかねぇ、松葉がそういう趣味だとは知らなかったっす」

 

犬子粉雪が思わず真顔になる。

誑しだという噂は聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。

自分が九十郎に捨てられるかもという恐怖に震え、訳も分からず愛する夫を裏切ってしまった事への罪悪感に苛まれていた間に、当の剣丞は女漁りかと……犬子は目の前が真っ暗になった。

 

何と言うか……失望していた。

 

「しかも本人は満更でも無いって顔してたわ」

 

「なんやかんやで長い付き合いっすけど……あんな顔した松葉は見た事がねぇっす。

 完全に女の顔になってたっす」

 

普段の松葉の姿を知る美空と柘榴が酷く動揺した様子でそう呟く。

一二三がまるでセット販売の如く松葉も剣丞の嫁にすると言い出した時、何故かそのタイミングで通りかかった松葉は少し頬を赤く染め、こくんと大きく頷いた。

表情そのものはいつもの鉄面皮のままであったが、瞳がキラキラと宝石の如く輝いていた。

 

正直な所、鬼との戦いを見据え長尾との繋ぎを求める剣丞にとって、松葉が剣丞の嫁になる事はそう悪い話では無い。

剣丞の心情的にも、嫌々ながら嫁になるより、自ら望んで嫁になってもらった方が何倍も良いに決まっている。

 

だからこそ剣丞も、詩乃も、一葉も乗った。

柘榴や粉雪の代わりに松葉を嫁に出すという一二三の提案に……だが……

 

「美空様は……美空様は、それで良いんですか……?」

 

震える声で、恐る恐るといった様子で、犬子は美空に確認する。

本当は今でも剣丞を殺したいという気持ちがある。

もし美空が望まぬ婚姻に対して本気で嫌がる素振りを見せれば、雫や九十郎に止められようとも、再び剣丞の命を……という考えはあった。

 

「先に言っておくけど、もう剣丞を殺そうとしちゃ駄目よ」

 

しかし、そんな犬子の内心を見透かすように、美空は釘を刺した。

 

「……正直に言うわ、松葉が剣丞とそういう関係になった事、全く気付かなかったわ。

 そんな素振りは無かったし、松葉はそういう性格ではないと思っていた。

 剣丞が犬子や公方様を洗脳してるかもって疑い、増々強まったわ」

 

「だったらどうして!?」

 

「だからこそ、私なのよ」

 

美空がきっぱりとそう断言する。

 

「九十郎……大好きよ九十郎、心の底から愛しているわ」

 

そして美空は潤んだ瞳で九十郎の顔を覗き込み、愛していると言いながら、そっと唇に唇を重ね合わせた。

 

犬子と柘榴、そして粉雪がおぉっと感嘆の声をあげる。

 

「美空……」

 

「今ここで誓うわ、長尾美空景虎は九十郎を愛していると、一生愛し続けると。

 この先何があろうとも九十郎だけを愛する事を、

 だからもし……もしもこの先、私が唐突に剣丞様大好き~なんて言い出したら……」

 

「剣丞に洗脳された……そう思えって事か?」

 

美空が頷いた。

 

「正直に言って、俺は剣丞が女を洗脳してるかもって話、

 あんまり信じちゃいないんだけどな」

 

「それだと犬子は素で剣丞に抱かれたって事になるわよ」

 

「いや、剣丞だぞ、あんなイケメンが相手なんだし、犬子もふらっと惹かれても……」

 

九十郎の言葉が不自然に途切れる。

犬子が突然九十郎の顔をがっしと掴み、唇と唇を重ね合わせたのだ。

 

「好き、好きだよ九十郎」

 

犬子は九十郎の言葉を遮り、九十郎の目をじぃ~っと見つめながら、魂を籠めてそう告げた。

 

「……俺も好きだぞ、犬子」

 

九十郎はやや気恥ずかしそうに頬を掻き、犬子に対する愛の言葉を告げる。

ちょっと前の九十郎なら全力犬子から目を逸らしていただろうが……今はもう、犬子と見つめ合う事にも、犬子に愛を告げる事にも抵抗感は無い。

 

「……犬子が素で剣丞様に抱かれたなんて事、信じないよね?」

 

犬子が真剣な表情でそう尋ねる。

九十郎が好きだという事は、犬子にとっての聖域だ。

そこだけは疑われたくない、信じてほしい……それは犬子の心からの願いだ。

 

「剣丞は敵じゃねえ、他人の嫁を洗脳でも何でも無理矢理手籠めにするような奴でもねえ。

 上手く言えねえが、誰かにハメられたんじゃねぇかって思ってる」

 

「ごめん、犬子は剣丞様が信じられない。 本当は薬か、御家流か何かで……

 犬子に九十郎の事、忘れさせたんじゃないかって思ってるよ、今でも」

 

「私も犬子と同じ気持ち。 犬子が九十郎の事を忘れるなんて、尋常な事じゃないわ」

 

美空が犬子に追従する。

美空と犬子は、剣丞が女性を洗脳する能力を持ち、それで犬子を手籠めにして、一葉達に好意を植え付けていると確信じている。

 

「粉雪、どー思うっすか?」

 

柘榴がひそひそ声で粉雪に意見を求める。

粉雪はうーんと腕組みして、首を傾げる。

 

美空や柘榴と違い、粉雪は犬子との接点がそう多くない。

犬子がどれだけ九十郎を愛しているかを良く分かっていない。

 

「すまん、あたいは何ともいえないぜ。

 そもそも好きでもない相手に抱かれる能力なんて、想像もつかないって言うか……」

 

「粉雪は蘭丸とも遭遇してねーっすしね……」

 

はぁっと柘榴がため息をつく。

金ヶ崎で生誕し、剣丞達を手玉に取り、犬子と柘榴を快楽堕ち一歩手前にまで追い詰めた恐るべき鬼子を粉雪は知らない。

 

「でもまあ、それを加味しても柘榴は半信半疑っす。

 スケベさん(剣丞)とは何度か会って、何度か話してるっすけど、

 犬子を洗脳して手籠めにするような奴には見えねーっす。

 九十郎の言う通り、

 何者かにハメられたって線が一番可能性あるんじゃねーかって思ってるっす」

 

「剣丞に犬子を抱かせて、誰に何の得があるのよ?」

 

「スケベさんにこそ何の得もねーっすよ、思いっきり犬子や御大将に反感持たれてるっす」

 

「無意識の才能、御家流の暴走、あるいは単に犬子を抱きたかっただけ……

 剣丞が自分のちOこ、もとい洗脳能力を卸し切れているという保証はないわね」

 

「まあ、その可能性も捨てきれねーっすね。 でも、そうである証拠は何もねーっす」

 

議論は平行線であった。

剣丞に洗脳能力があるのか。

それを使って犬子に九十郎の事を忘れさせ、犬子を抱いたのか、それを確定するような情報や証拠は何一つ存在しない。

それ故に……

 

「だからこそ、私が新田剣丞の嫁になるのよ。 だからこそ私で無ければならないの……

 どっちみち、剣丞の本質を見極めない事には、手を結ぶのも、殺すのもできなわ」

 

「お前、この期に及んでまだ剣丞を殺そうとしてるのかよ?」

 

「大事な犬子を傷モノにした報いは必ず受けさせる。 必ず後悔させてやる。

 まぁ……調べた結果、剣丞が何かしらの陰謀に巻き込まれてるだけって分かったら、

 今度はその黒幕をとっちめる方向に行くわよ」

 

美空が気楽な顔で、何でも無い事のように言う。

だがしかし、柘榴も、犬子も、粉雪も、基本屑で能天気九十郎すらも何も言えなくなった。

 

九十郎は知っている……美空が剣丞を怖がっていた事を(第83話)。

美空が平気な訳がないと思った。

犬子も、柘榴も、粉雪も、九十郎と同じ事を考えていた。

 

「御大将……すまねぇっす、柘榴が綾那に負けなけりゃ、こんな事にはならなかったっす」

 

柘榴が姿勢を正し、深々と頭を下げる。

 

「頭を上げなさい、柘榴。 勝った負けたは兵家の常って昔から言うでしょう」

 

「それを言うならあたいも同罪だぜ。 油断してたとは言わねぇけど。

 すまねえ、それしか言う言葉が見つからないぜ」

 

粉雪もまた深々と頭を下げた。

 

「武田四天王が頭を下げるんじゃないわよ、人に見られたら変な誤解をされるわよ」

 

「分かってるぜ、そんな事は。 だけど……同じ男に惚れた女だから……だから、すまねぇ」

 

粉雪がもう一度頭を下げる。

目尻に涙すら浮かんでいた。

 

綾那は強すぎた。

手も足も出なかった。

そして無様に負けた。

 

自分が弱かったせいで、柘榴は鬼に犯された。

自分が負けたせいで、美空は好きでもない男の嫁になる事になった。

粉雪にとって、美空も柘榴も、何度も殺し合いをした敵だ。

しかし同時に、同じ釜の飯を食い、同じ男に惚れた女でもあるのだ。

 

「それを言うなら! 犬子が、犬子が……」

 

犬子が耐えきれず、ぷるぷると震えながら美空の目の前で土下座をした。

 

「犬子が剣丞様を殺していればっ!!」

 

九十郎は無言で犬子の後頭部をひっぱたいた。

 

「九十郎が邪魔さえしなければっ!!」

 

九十郎は無言で犬子の後頭部をブン殴った。

 

「あと一歩で殺せてたのにっ!!」

 

「おい柘榴、その辺に武器になりそうな物は無いか?」

 

「ハリセンで良いっすか」

 

「それで良い、貸してくれ」

 

九十郎は柘榴から渡されたハリセンを全力で犬子の後頭部に振り抜いた。

パァンッ!! という良い音が練兵館に響き渡った。

 

「九十郎、痛いよ~」

 

「痛いじゃねえよ。 俺と官兵衛が必死こいて剣丞を守ったのを全否定じゃねえか」

 

「……九十郎、本当に犬子の事愛してるの?」

 

ズキズキ痛む後頭部を抑えなら、犬子が九十郎にじと~っと恨めしい視線を向ける。

 

「大丈夫大丈夫、心配しなくても愛してるから」

 

「何か、扱いがぞんざいって言うか、適当じゃない?

 その……えっと……剣丞様と、シた時、怒るより先に剣丞様の命乞いしてたし(第76話)」

 

「言われてみれば……むしろ真っ先に怒るべきよね。

 私より先に剣丞に詰め寄るべきよね」

 

「考えてみれば、御大将が剣丞の嫁になるって話を持ち出したの、

 九十郎の命乞いがきっかけだったっすよね」

 

本来第76話で出すべきツッコミがようやく美空達から発せられる。

 

「あの時九十郎が男らしく剣丞をブン殴ってたら、

 犬子も剣丞を殺そうとするまで思い詰めなかったんじゃねーっすか」

 

「お、おいおい、それじゃあこの状況、全部九十郎が悪いみたいになるぜ。

 流石にそれは言いすぎだろ……精々2割か、3割くらい……」

 

美空の、犬子の、柘榴の、そして粉雪の視線が一斉に九十郎に向けられる。

なんとなく、全部九十郎が悪いっていう空気が流れ始める。

 

まあ、実際の所全部九十郎が悪いのだが。

 

「皆色々と胸の中に抱えてるみたいだし、

 とりあえず全員で2~3発ずつ九十郎を殴って手打ちにしましょうか?」

 

……ここで美空が余っていたハリセンを拾い上げ、何かの解決になっているようで何の解決になってない提案が出す。

 

「賛成っす!」

 

柘榴が脊髄反射で賛意を示し、九十郎にハリセンで殴り掛かる。

ほぼ同時に美空も九十郎に飛び掛かっていった。

 

「なっ!? おいちょっと待て柘榴! 美空! は、話せばわかる!!」

 

「問答無用!!」

「問答無用っす!!」

 

情けなく逃げ回るマッチョ、追いかける2人の女。

 

「ぷっ……くくくっ……」

 

「本当、九十郎って時々凄く恰好悪いなぁ」

 

まるでコントのような光景を前に、犬子と粉雪がくすくすと笑い合う。

美空達3人は本当に楽しそうで、さっきまであった暗ぁ~い空気が吹き飛んでいた。

 

「それじゃ、あたいらも行くかだぜ」

 

「さっき九十郎の責任は2~3割って言ってなかったですか?」

 

「2~3割の責任だから、2~3発殴らせてもらおうぜ。 1発1割って事で」

 

「それは……」

 

チラリと九十郎の方を見る。

九十郎は2~3発どころか、10発も20発も殴られてボコボコにされつつあった。

女には手を出せないとでも考えているのか、少しは責任を感じているのか、その両方か……九十郎は反撃もせず、逃げ回るだけだ。

 

「やっぱり、犬子も行こうかな」

 

「おう、そうこなきゃだぜ! で、アレってもう残ってないのか?」

 

「犬子作り方知ってるよ! ハリセンって言ってね、叩いた時に良い音を出すには、

 端っこに折り目を付けないように……こんな感じで紙をね……束ねたらこうやって……」

 

「ふむふむ……こんな感じか……」

 

「げっ、お前もかブルータス! いや犬子!

 ちょ、ちょっとタンマ、いくらハリセンでも痛い物は痛いって……」

 

「隙ありっすよ!」

 

「あだっ!? 柘榴テメェ今素手でやっただろっ!!」

 

そして九十郎がボコボコの袋叩きにされる。

九十郎とて優れた神道無念流の使い手であったが、いくら何でも長尾景虎、柿崎景家、前田利家、山県昌景を同時に相手取れる程のものではない。

 

「おのれ剣丞えええぇぇぇ~~~っ!!」

 

八つ当たりのようにも聞こえる断末魔の叫びが、練兵館に木霊した。

 

 


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