戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と九十郎第110話『美空、出荷される』

「非常にやばい」

 

「やる前から薄々分かってたっすけど、かなり劣勢っすね」

 

美空と柘榴が厠で顔を突き合わせていた。

2人の表情は非常に悪い。

 

ついさっきまで『待った!』だの『異議あり!』だの『くらえ!』だのと叫びながら、どうにか開戦前の約束……空陣営が負けたら美空、犬子、柘榴、粉雪、雫、貞子、そして一二三は新田剣丞の嫁になるという約束を無かった事にしようと頑張っていた。

 

しかし、今孔明と畏れられる竹中詩乃半兵衛は優しくなかった。

 

「今になって思えば、剣丞をぶっ殺しに行ったのは不味かったかもしれないわね。

 アレで公方様を完全に敵に回してしまったわ」

 

「まさか公方たる余の前であれだけ堂々と啖呵を切っておいて、

 今更や~めたとは言うまいな……いやあ、完全に人殺しの目をしてたっすねえ」

 

「いや、漆黒の意思ってのはまさにああいうのを言うのでしょうね。

 思い出しただけで寒気がしてきたわ」

 

正直な所、美空は心のどこかで一葉の援護を期待していた。

あの一葉が愛の無い婚姻を手放しで賛同はしないだろうと見ている。

 

しかし、一葉がベタ惚れしている新田剣丞が洗脳能力を使ってる等と言って乏しめ、しかも犬子をけしかけて抹殺しようとした事が、一葉の態度をこれでもかって位に硬化させていた。

援護どころか、1人も逃がさんと言いたげな目つきで、公方としての権威をも振りかざす決意で交渉に臨んでいた。

 

「負けたら剣丞の嫁になるメンツ、

 貞子以外の全員が変装したり何なりで参戦してた上で負けてるのも地味にキツイわ」

 

「あそこまで露骨に肩入れして負けといて何言ってるの……

 全く反論できなかったっすね、柘榴も、御大将も」

 

「ギリギリで助かったとはいえ、

 犬にした竹中半兵衛を強姦しようとしたのも良くなかったわね」

 

「尋常じゃない目つきだったっすね」

 

「……個人的には、ちょっと演技臭かった気もしたけど」

 

「そうだったっすか?」

 

「ごめんなさい、確証がある訳じゃないわ。

 何にせよ向こうの交渉担当である竹中半兵衛は滅茶苦茶怒ってて、

 情に訴えるこっちの作戦は一切通用しないわ」

 

「剣丞さんがそれとな~く助け船出してくれてたっぽかったっすけどね……」

 

「それとなくじゃないわよ、凄い分かりやすく助け船を出してたわ、何度も。

 半兵衛も公方様も全く聞く耳を持ってないってだけで」

 

「……ヤバイっすか?」

 

「ヤバイわね、とてつもなく」

 

美空と柘榴が狭くて臭い厠の中で互いに見つめ合い、ため息をつき合った。

状況は絶望的だ。

これまで何度も何度も確認した通り、状況は絶望的であった。

 

「そうだ、仮病を使いましょう」

 

「ちょっとやそっとの体調不良じゃ逃がしちゃくれねーっすよ、間違い無く」

 

「いっそ死んだふりをしましょう」

 

「厠で倒れてそのままご臨終とか情けないにも程があるっすよ!!」

 

なお、史実において上杉謙信は厠で昏倒してそのまま死亡している。

 

「分かったわ、それなら次善の策として……」

 

「おお、何か妙案があるっすか。 流石は御大将っす」

 

「古くなった生卵を一気飲みしてハラを壊しましょう」

 

「時々物凄く恰好悪くなる所、九十郎にそっくりっすよ、御大将」

 

もう一度ため息をつき合う。

妙案は浮かばない、どうしてもどうしても浮かばない。

それこそ、古くなった生卵を一気飲みなんてふざけた手が妙案のように感じてしまう程に。

 

「いつまで厠に籠っているつもりですか? 長尾景虎さん」

 

その声が聞こえた瞬間、美空と柘榴の背筋が凍り、全身から冷や汗が噴き出てきた。

時間稼ぎなど無駄だ、1人も逃がさんという漆黒の意思が宿った竹中半兵衛の声である。

 

「よもや長尾景虎ともあろう者が、厠で仮病などと情けない真似はすまいなぁ?」

 

ゴゴゴゴゴ……というジョジョっぽい擬音を背景に浮かばせながら、征夷大将軍・足利義輝が2人に声をかける。

竹中半兵衛と同等……いや、それ以上の憤怒の意思が明確に感じ取れた。

 

「本格的にヤバいわ、柘榴何か妙案は無い?」

 

小声で、しかし異様なまでに早口で美空が柘榴に助けを求める。

 

「無いっす、全く」

 

しかし、柘榴は基本脳筋だ(粉雪と違って)。

美空以上に外交交渉に向いていない(粉雪はある程度できる)。

怒れる竹中半兵衛と足利義輝をなだめる作戦も、開戦前の約束をブッチする作戦もまるで頭に浮かばない。

 

そんな事は聞くまでも無く分かりきっている事だが、美空はそれだけ追い詰められていたのだ。

 

「ふぅ……」

 

美空が深々とため息をつく……そして自ら厠の鍵を開けて扉を開いた。

 

「ごめんなさい、三日ぶりのお通じだったから長引いてしまったわ。

 さあ、私は逃げも隠れもしないわ、交渉を続けようじゃない」

 

ついさっきまで劣勢の余り厠に逃げ隠れしていた美空が扉を開けた瞬間、詩乃がその右腕を、一葉がその左腕をがっしりと掴み、まるで囚人連行のように引っ張っていく。

 

もうニ度と同じ方法での時間稼ぎは通用しないだろう。

 

「(ごめん柘榴、手詰まりだわ……覚悟を決めましょう……)」

 

ドナドナド~ナ~ド~ナ~とでも聞こえてきそうな程に目が死んでいる美空が、柘榴の方を見つめていた。

 

美空は一言も言葉を発しなかったが、長年の付き合いであるが故に、柘榴は美空が何を考えているのかがハッキリと分かった。

 

「(これで柘榴もバツイチっすか……はぁ……)」

 

柘榴は覚悟を決めて美空達3人の後ろについて行く。

これから処刑されに行くかのように、その目からは希望と輝きが消え失せていた。

 

戦国時代の人間の癖にバツイチなんて言葉を知っているのは、九十郎の仕業である。

 

せめて犬子と粉雪だけは守り通したかったが、それすらも叶わず、柘榴の心は後悔や無力感で一杯であった。

 

短い間ではあったが、九十郎の妻として過ごした楽しい時間が次から次へと脳裏に浮かぶ。

辛い事もあったが、それ以上に楽しい事、嬉しい事が沢山あった。

 

そして……

 

「(……思い出すな)」

 

柘榴が自らに言い聞かせる……思い出すなと。

 

ほんの一瞬、しかし確実に脳裏に浮かんだ……鬼との交わったあの瞬間を(第104話)。

九十郎のモノよりも硬く、長く、太く、熱い肉棒を子宮に突き立てられたあの瞬間を。

 

『ぁあっ……あっんんっ! ふわっあっふわっ!』

 

あの日、あの時、自らの口から漏れ出た喘ぎ声がフラッシュバックのように再生される。

あの日、あの時……柘榴は確かにヨガっていた。

九十郎以外の男の……いや、人のモノですらない肉棒を銜え込み、ズコズコパコパコと抽送され、柘榴はヨガっていたのだ。

 

「(思い出すな、思い出すな……思い出すなっ!!)」

 

柘榴は自らにそう言い聞かせる。

何度も何度も言い聞かせる。

 

次に脳裏に浮かんだのは……新田剣丞のちOこを下の口で銜え込み、本当に本当に幸せそうに腰を上下に振っている犬子の姿だ。

もしも今、自分が剣丞のちOこを銜え込んだら、どうなってしまうのだろうか……そう考えた瞬間、寒気がした。

 

柘榴が人知れず葛藤している間も、詩乃と一葉は情け容赦無く美空を連行し、評定の間へと半強制的に戻らせた。

 

いつもは美空が愉快な仲間達と一緒に悪巧みをしていたこの場所は、今は美空と柘榴の処刑場のように見えた。

 

「さて、三日分の糞を捻り出して身も心も軽くなっただろうな?

 そろそろ回答を聞かせてもらおうか」

 

一葉が美空に最後の回答を促した。

 

「分かってる、分かってるわよ……」

 

美空が大量の冷や汗を流しながら頷いた。

 

美空、柘榴、犬子、粉雪、雫、貞子それに一二三は新田剣丞に嫁になる約束。

それを反故にするための論理は全て出し尽くしたが、全て退けられた。

情に訴えようにも、詩乃と一葉は聞く耳を持たない。

 

手詰まりだった。

後はもう完全敗北を宣言する以外にない、完全なる手詰まりだった。

 

「わ、私は……いえ、私達は……」

 

声が震える。

その言葉の先を言えば、もう本当に後戻りができなくなる。

自分はどうなっても構わない、だけどせめて犬子と粉雪だけは対象外にできないか……美空は知恵を絞り尽くす勢いで頭を捻ったが、妙案は何も思い浮かばなかった。

 

「私達は、なんだ?」

 

一葉が恐ろしい目つきで美空を睨みつける。

これ以上の時間稼ぎは認めない……そういう態度がありありと見えた。

 

「わ、私達……は……」

 

美空の顔が青ざめる。

本当に本当に何も思い浮かばなかった。

 

もう駄目か、もう駄目なのかという思いが……絶望が美空を覆いつくそうとしていた。

 

「(お願い、お願い……誰か来て、何か起こって! 誰でも良いから! 何でも良いから!

 このままじゃ……このままじゃ本当に……)」

 

美空は瞳をぎゅーっと閉じ、神仏に祈った。

祈った、祈った、無心に祈った。

 

そして次の瞬間……

 

 

 

 

 

「ちょっと待つのですうううぅぅぅーーーっ!!」

 

 

 

 

 

ばたーんっ!! と勢い良く襖が左右に開く。

 

そしてまるで討ち入りでもするかのように殺気立った鹿角の少女が……本多綾那忠勝が乱入してきたのだ。

 

美空と柘榴の、詩乃の、一葉の、そして剣丞の視線が集中する。

皆一様にぎょっとして、大きく目を見開き、予期せぬ来訪者に意識を集中させる。

 

今まで綾那は外交だの交渉だのといったまだるっこしい事に関わろうとしなかった。

綾那自身も、本多忠勝の仕事はただ勝つだけだと思い、勝った後にどうするかは他人に任せきりにしていた。

そんな綾那が、戦地に赴く時と同じ……いや、それ以上の決死の表情でこの場に飛び込んできたのだ。

 

美空達の驚愕と混乱は並大抵のものではなかった。

 

「何事か騒々しい!」

 

なんやかんやで最も荒事慣れしている一葉がいち早く我に返る。

征夷大将軍が一番荒事慣れしている事へのツッコミは不要である。

 

「その話! ちょっと待つのです! 綾那は絶対反対なのですっ!!」

 

そこいらのチンピラ相手なら小便を漏らしながら腰を抜かす程の一喝であったが、当然、綾那は全く怯まずに睨み返す。

 

それどころか、自分が柘榴と粉雪をボコって手にした勝利を、勝利によって得た戦利品を無かった事にするような言葉を発したのだ。

 

「綾那さん、剣丞様のお嫁さんがもっと増えるのです~と言って、

 誰よりもやる気を出していたのは貴女だったと記憶していますが」

 

続いて詩乃が落ち着きを取り戻し、ツッコミを入れる。

彼女の言う通り、誰よりも能天気に、誰よりも愚直に勝利を目指していたのが綾那だ。

しかし……

 

「一二三から事情を教えてもらったのです。

 綾那はずっと、目の前の敵を叩きのめす事しかしなかったのです。

 目の前の敵を叩きのめす事しか知らなかったのです。

 昨日の戦でもそうだったのです。 でも……今日だけはそれだけじゃ駄目なんです!」

 

「へぇ……」

 

「ほぉ……」

 

一葉の口角が上がる。

長い前髪に隠れて見えにくいが、詩乃の眉も少し上がる。

自分の意見に反対する者への嫌悪感は一切無い。

むしろ好ましい物を見た時の反応に近い。

 

「しかしだな、名月陣営が勝てば長尾景虎、

 柿崎景家を始めとした7人は主様の嫁になるという約定は、

 向こうから言い出した事なのだぞ」

 

「勝ってねぇです!」

 

「……え?」

 

「……あ?」

 

「……か、勝ってない?」

 

突如として勝ってないと真顔で断言する綾那に対し、詩乃と一葉、そして剣丞がぽかーんとした顔になった。

 

「……そうきたか」

 

「何を言ってるのか全く分からねーっすけど、空気を読んで黙ってるっす。

 美空様は分かったっすか?」

 

「私に分かる事は一つよ、柘榴。

 勝ってないって言い訳は私には思いつかなかったし、まだ言ってないって事よ」

 

美空と柘榴が固唾を飲んで見守る中で、綾那は懐から2冊の本を取り出して、詩乃に投げ渡した。

 

「これは……?」

 

「あ、あれは……!?」

 

その本に全く見覚えが無い詩乃が首を傾げ、その本に思いっきり見覚えがある柘榴がその身を強張らせる。

嫌でも思い出す、昨日の戦での綾那のシャレにならない強さを。

嫌でも思い出す、昨日の戦で綾那に為す術も無く叩きのめされた事を。

そししてその後……鬼に犯されて……九十郎のモノよりも大きく太い巨根を……

 

「(く……また、思い出して……)」

 

ぶるりと、奮えた。

思い出してはいけないと何度も自分に言い聞かせているが、ちょっとしたきっかけでどうしても思い出してしまう。

 

その2冊の本には『悪の戦争教本ボリューム1』、そして『悪の戦争教本ボリューム2』と書かれていた。

 

昨日の戦で、1冊は柘榴が、1冊は空が持っていた本……雫が書いた作戦指示書である。

 

「……これを、どこで?」

 

詩乃は2冊の本の中身を斜め読みして、綾那にそう尋ねる。

肩がわなわなと震えていた。

その目は驚きで一杯であった。

 

「柘榴と空が持ってたのを拾ったのです。

 こっちの配置も、作戦も、動き方も、全部読まれていたのです」

 

「まさか……内通……?」

 

驚愕の事実に剣丞が咄嗟にそう呟く。

しかし、詩乃はそうは思わない。

 

「いえ……服部半蔵と風魔小太郎を出し抜くのはそう容易い事ではありません。

 あの2人を同時に出し抜ける者がいると考えるより……」

 

その筆跡は知っていた。

間違いなく小寺雫官兵衛の字だとすぐに分かった。

そして同時に思う……信じがたいが、雫ならばあるいはと。

 

「なるほど、認めましょう。 策の読み合いでは一歩遅れをとっていたようです。

 しかし、この戦は先に本陣を陥落させた方が勝ちとなっていました。

 そして空さんの本陣を陥落させたのは、他ならぬ綾那さんの筈です」

 

詩乃が追及の矛先を少し変える。

新田剣丞の軍師として、雫との知恵比べで後れを取った事に対して思う事はあるが……それはそれ、これはこれとして話は続ける。

 

「柘榴と粉雪は強かったです。 恐ろしく強かったのです」

 

美空が柘榴に『そーなの?』とアイコンタクトで尋ねる。

柘榴は美空に『2人纏めて瞬殺されたっす』とアイコンタクトで答える。

 

「たぶん、三河で神道無念流を教わってなかったら負けていたのは綾那だったのです」

 

綾那と歌夜は、かつて九十郎から神道無念流の手ほどきを受け、現代ニホンのスポーツ学に基づいた効率的なトレーニング法も教わり、大幅にパワーアップした過去がある(第11話)。

 

本多忠勝は確かに強い。

戦国時代でも一二を争う程に強い。

しかし、越軍七手組の大将である柿崎景家と、武田四天王最強の山形昌景を同時に相手取り、瞬殺する程強い訳ではない。

 

それを可能にしたのは、九十郎の神道無念流だ。

つまり……

 

「つまり……神道無念流の勝利なのですっ!!」

 

綾那が力強く断言する。

 

美空が柘榴に『アンタも神道無念流やってなかったっけ?』とアイコンタクトで尋ねる。

柘榴は美空に『やってたけど瞬殺されたっす』とアイコンタクトで答える。

 

「くっ……」

 

詩乃は一瞬……しかし確実に言葉を詰まらせた。

 

敵本陣を伏兵で奇襲する策を行った。

しかし、伏兵の位置は見事に見抜かれ、あの柿崎景家と山県昌景が率いる部隊が本陣を守っていた。

 

本陣を陥落させる事に成功したのは、まさしく味方がドン引きする程の、本多綾那忠勝の戦闘能力があったからである。

 

「そもそも君ら、一夜城の目の前でぐるっと回転して転進してたよね。

 言いたく無いけどアレ隙だらけだったよね。

 鬼が近づいてたからその対処を優先させて追撃しなかったけど」

 

直後、一二三が熱いお茶をずずず~っと下品に音を立てて飲みながらそう告げる。

 

「貴女は……?」

 

「武藤昌幸、通称は一二三……

 私も当事者の1人だから、当然、話に加わる権利があろうね?」

 

美空が一二三に『今までどこほっつき歩いてた?』とアイコンタクトで尋ねる。

一二三は美空に『え? 最初から居たよ』とアイコンタクトで答える。

 

「さあどうなんだい? あの時私が剣丞隊を追撃をしたらどうなっていたか?

 今孔明殿と名高い竹中半兵衛殿はどうしていたか? さあ答えてもらいましょうか」

 

美空からの『嘘つけコンニャロウ!!』という抗議のアイコンタクトを意図的に無視しつつ、一二三はさらに詩乃に追及をかける。

 

詩乃は再び言葉を詰まらせ、考え込み……

 

「勝敗の条件は本陣の陥落か、空さん、名月さんが討ち取られる事です。

 剣丞隊の全滅ではありません」

 

……考え込んだ結果、詩乃がそう言い返す。

 

「そうかいそうかい。 では犬子が新田剣丞殿を殺すために襲撃した時、

 雫と九十郎が身体を張って助けに来た事はどうだい?

 聞けば貴女と蜂須賀小六殿は犬にされ、しかも強姦までされかけたそうじゃないか」

 

「うぐ……そ、それは……」

 

詩乃がまたもや言葉を詰まらせる。

あの時……犬にされて犯されそうになったあの時に感じた恐怖は筆舌に尽くしがたい。

幸いにも、挿入されたのは先端部が数cm程ですみ、性交と呼べるような事にまでは至っていない。

 

もしもあの時、姫野と小波、雫、そして九十郎が助けに来なければ、剣丞隊は1人残らず全滅し、剣丞が殺されていた事は確かである。

 

「まだあるよ。 鬼が出たとの狼煙が出たのは確かに空陣営の本陣が陥落した後だ。

 だけど私の友人は目が良くてね、

 狼煙が上がるよりもずっと早く鬼の襲来を察知していた。

 だから剣丞隊の追撃をしなかった」

 

「な、何を根拠に!?」

 

「典厩武田信繁が証人だ! まさか甲斐の武田信繁が嘘つきだとでも言わないね!」

 

「それは……」

 

詩乃が三度言葉を詰まらせる。

武田晴信は同盟破りを繰り返す大嘘つきで有名であるが、その妹、武田信繁は嘘や曲がった事が大嫌いな事で有名である。

 

表裏比興と書いてクソヤロウと読む真田昌幸は、再び湖衣と夕霧を勝手に巻き込む事で窮地を脱しようとしていた。

特に湖衣の御家流『金神千里』は普通に武田の軍事機密であるにも関わらずだ。

当然、交渉のネタにする許可は湖衣にも夕霧にも取っていない。

 

「さらに! 鬼の襲来を知らせる狼煙出るのも遅かった!

 長尾景虎、柿崎景家、そして甘粕景持殿が変装して勝手に参戦したせいで、

 越軍の命令系統がぐちゃぐちゃになっていたからね。

 つまり、鬼の襲来があったのは空陣営の本陣が陥落するよりの前の事! よって……」

 

そこまで言うと、一二三と綾那の視線が交差する。

硬い友情の視線、熱い信頼の視線が交差する。

『分かっているね?』『分かっているのです』と視線で伝え合う。

 

そして……

 

「まだ! 負けてないっ!!」

「まだ! 負けてないのですっ!!」

 

一二三と綾那の声が重なる。

同時に詩乃に向かって2人が人差し指をぴしっと突き出し、返答を迫る。

 

詩乃はしばしの間黙り込み……

 

「なるほど、理屈は通らなくもないですね」

 

……ある種の敗北宣言にも近い事を呟いた。

 

「なあ、やっぱり……」

 

剣丞が何かを言おうとするが……

 

「しかし、鬼の襲来を知らせる狼煙が上がるよりも前に、

 空陣営の本陣が陥落したのも確かな事実です。

 そしてもう一つ……長尾景虎殿の密命を帯びた前田犬子利家によって、

 少なくない数の犠牲者が出ました。

 私を含めた大勢が犬に変えられ、あと一歩の所で我が主新田剣丞が死ぬところでした。

 この落とし前はどのようにつけるつもりですか?」

 

しかし、剣丞の言葉を遮り、やや早口で方向性を変えた追及をした。

これは理屈の話では無い、感情の話、面子の話だ。

強い怒りを籠めて、そう易々とは引き下がれないという態度を示す。

 

が……

 

「(……当然、次はそう来る。 当然、予想はしていたし対策も持ってきた)」

 

一二三の表情は変わらない、極めて平静であった。

 

一方、綾那は顔を伏せ、右腕に血管が浮き出る程に強く力を籠め、肩をわなわなと震えさせていた。

その感情は怒りであり、憤りである。

 

「そもそも……そもそも……」

 

そもそも綾那がこの場に来た理由は怒りである。

強い強い怒りの感情を叩きつけるために来たのだ……即ち……

 

 

 

 

 

「鬼に強姦された直後の女を無理矢理嫁にって……しかも離婚までさせるって……

 てめぇら鬼以上に鬼なのですうううぅぅぅーーーっ!!!」

 

 

 

 

 

綾那の怒声というか、罵声が春日山城全体に響き渡った。

 

……

 

…………

 

………………

 

「え~、決死の交渉の結果……」

 

美空が釈然としないと言いたげな表情で頬をポリポリと掻く。

助けてもらったのは確かだが、それはそれとして色々と割り切れない思いを抱いていた。

 

「交渉の結果……」

 

「こ、交渉の結果……」

 

「(剣丞様の嫁になれって言われたら切腹しよう)」

 

粉雪と九十郎が緊張した面持ちで美空の次の言葉を待ち、犬子は人知れず割腹自殺のための短刀を握りしめながら美空の話を聞いていた。

 

3人の視線が集まる中、美空は意を決して口を開く……

 

「交渉の結果、私と松葉の2人が剣丞の嫁になるという事で収まりました、マル」

 

なんやかんやで、言い出しっぺに全責任をとってもらおうという事になっていた。

松葉は剣丞君が越後にいる間にしれっと誑していた。

 

 


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