戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と九十郎第101話『前田利家だから出会った、前田利家だから愛されない、ただの犬子とは思われない』

「愛する夫の目の前で、他の男のモノを咥え込んで、

 膣無射精(なかだし)される辛さ……教えてあげるよ」

 

ぞっとする程に冷たい視線を剣丞に向ける。

本気で詩乃と転子を強姦させる気だと、否応無く理解させられる。

 

新田剣丞への怒りと憎しみが、犬子を歪めてしまっていた。

既に彼女は正気では無い。

 

「それが……それが前田利家のやる事かぁっ!!」

 

それでも、剣丞は一抹の望みをかけ、ほんの僅かでも良心が残っていると期待し、叫ぶように、祈るように問いかける。

 

「ふざけないでっ!! 好きで前田利家に生まれた訳じゃないっ!!

 犬子は……犬子は前田利家になんかなりたくなかった!

 前田利家として生まれたくなかった!

 前田利家を辞められるのなら、犬子は何だってやってやるっ!!」

 

……だがしかし、剣丞の言葉は犬子の良心ではなく、逆鱗に触れた。

 

愛が、怒りが、悲しみが、絶望が、落胆が、自己嫌悪が、犬子の心を黒く黒く塗りつぶした。

そして残ったのは、剣丞への殺意。

 

「良いんですか剣丞様? そんな所で喋ってる暇なんてあるんですか?

 まだおOんちんが勃起してないから、お2人のアソコには挿入されてないんですよ。

 でも、あんなに密着して腰を振ってれば、すぐに勃っちゃいますよ、

 すぐにナカに入っちゃいますよ」

 

「くっ……」

 

剣丞が一瞬、迷う。

 

正面から戦っても勝ち目は無い、木の上から降りたら間違いなくやられる。

しかし……今の犬子は言葉だけで止まらない事も理解できた。

 

降りて戦うか、このまま様子を見るか……剣丞は一瞬、迷った。

 

「あ……」

 

その時、詩乃と目が合った。

言葉は無かったが、剣丞にはその目が何を訴えていたか、直感的に分かった。

覚悟の目であった。

 

その目が意味する事はたった一つ……『降りて来るな』だ。

 

「……一瞬でもこのままやり過ごそうなんて考えた自分を殴ってやりたい」

 

剣丞はふぅっとため息をつき、姫野から貰った小太刀を握りしめる。

無理無茶無謀は承知の上だ。

だがしかし……

 

「嫁の1人や2人守れない男に……天下をどうこうできる訳が無いだろうっ!!」

 

枝のしなりを利用して、水泳の飛び込みのように大きく跳躍した。

飛び込む先は……当然、犬子の喉元。

 

「2人を離せぇっ!!」

 

「この期に及んで峰打ちでぇっ!!」

 

飛び降りの勢いを利用した剣丞の一撃を、犬子は手にした太刀……かつて壬月が犬子に贈り、かつて犬子が拾阿弥を斬った太刀で受け流す。

 

最初から殺すつもりで斬りかかっていれば、あるいは勝負を決めれたかもしれないが、剣丞は殺すためではなく、あくまでも制圧するために小太刀を振るう。

 

「(とにかく接近して、周囲の犬に命令を出す隙を与えなければ……)」

 

そんな事を考えながら、剣丞は姫野の小太刀を力任せに何度も何度も叩きつける。

犬子はそんな剣丞の攻撃を冷静に躱していく……一進一退の攻防がしばらくの間続いた。

 

一回でも咬まれたらそこで終わり……故に、犬子の周囲を固める無数の犬が動き出せば剣丞は圧倒的に不利だ。

剣丞はか細い勝利への道筋を丁寧に追いかけていた。

 

しかし……

 

「……きゃぅうっ!!」

 

犬の姿に変えられた転子が悲痛な鳴き声を出した。

剣丞の注意が一瞬だけ犬子から外れた。

 

「半勃ちって所かなぁ……そろそろ本当に挿入っちゃいそうですねぇ、剣丞様」

 

犬子が挑発する。

安っぽい挑発だ、普段の剣丞なら何も感じない安い安い挑発だ……だがしかし、愛する妻が目の前で犯されそうになっている中で、冷静に戦える程、剣丞は冷徹では無かった。

 

「や・め・ろおおおぉぉぉーーーっ!!」

 

剣丞が叫ぶ。

詩乃と転子を犯そうとしているオス犬も、犬子の御家流で犬に変えられ、操られているだけだと理解している。

叫んだところで止まってはくれないとも理解している。

 

だがしかし、剣丞は叫ばずにはいられなかった。

 

「……襲えっ!」

 

直後、無慈悲な死刑宣告が剣丞の耳に届く。

犬子の傍に控えていた犬が剣丞に飛び掛かる。

 

「(同時に3匹……拙い、避けられ……な……)」

 

左右と真後ろから同時に襲ってくるのが分かる。

後漢末期の英雄達と何度も何度も手合わせをしたからこそ分かる……避けられないと。

 

「間に合えええぇぇぇーーーっ!!」

 

しかし、犬の牙が剣丞に届く事は無かった。

高速で飛来した苦無が剣丞を襲った3匹の犬の眉間に深々と突き刺さり、瞬時に絶命させたのだ。

 

「全く、小波もアンタも、目を離すとすぐ死にそうになるし。 危なっかしいったらないし。

 やっぱりこの姫野様が守ってやらなきゃどうしようもないみたいだし」

 

「ご主人様! 御無事ですか!」

 

苦無を投げ、剣丞を助けたのは、姫野と小波であった。

 

「小波!? それに姫野まで!?」

 

「何それ? こういう時は助けてくれてありがとうだし。

 主従揃って礼儀ってのがなってねーし」

 

「話は後だ! そこの2匹を連れてここから離れてくれ!」

 

「そこの2匹……って、あそこのサカってる犬の事? 剣丞、頭大丈夫だし?」

 

「詩乃と転子なんだ! 犬に噛まれると犬に変えられてしまうんだ!」

 

「……マジ?」

 

「そ、そんな……」

 

今一状況を理解し切れない姫野と小波の目の前で、先程苦無が突き刺さり、絶命した犬に異変が起きる。

 

ごきりっ、ごきりっ、と奇怪な音をたてながら骨や関節が変形し、全身の毛がどんどん短くなり、手足はどんどん長くなり……数秒もしない内に、全裸の若い男女の遺体へと変わってしまう。

 

何より、姫野と小波、そして剣丞を戦慄させたのは、その遺体の顔に見覚えがあったからだ。

 

「こいつ……確か、剣丞隊の……」

 

「風魔忍軍も……まさか、本当に犬に変えられて……」

 

「まさか姫野と同じ能力……?」

 

1人は剣丞と共に一二三の一夜城攻略戦に参加していた剣丞隊の下っ端だった。

2人は剣丞を姫野の部下、風魔忍軍の下忍であった。

 

嫌が応にも信じざるを得ない……本当に人間が犬に変えられたのだと。

 

「2人を助けてくれ! もう時間が無い! 早く!」

 

「しかし御主人様は!?」

 

「俺は良い! 早くしてくれ!」

 

「ああもうっ! 良く分かんねーけど分かったし!!」

 

姫野が再び苦無を投擲、詩乃と転子に伸し掛かり、犯そうとしていた2匹のオス犬を殺害する。

 

ごきりっ、ごきりっ、と音をたて、オス犬2匹が人間の……つい先ほどまで剣丞の隣で戦っていた、剣丞隊の兵卒2人の姿に戻る。

 

「小波、姫野、2人と一緒に木の上に登れるか?

 木の上に登れれば周りの犬は手出しできない!」

 

「余裕だし、風魔小太郎ナメんなだし」

 

「急ぐぞ、姫野!」

 

小波が御家流の連続使用により消耗した身体を押して、転子を抱え上げる。

姫野も犬になった詩乃を捕まえ、一気に木の上まで跳躍した。

 

「剣丞! 2人は確保したし!」

 

「ご主人様! 早くこちらに」

 

「分かってる! 分かってるが……」

 

剣丞ももう一度木の上に登ろうとするが……

 

「させないよっ!」

 

「……くぅっ!!」

 

犬子が太刀を構えて斬りかかり、剣丞の前に立ちはだかる。

ほぼ同時に犬子が支配する犬達もまた剣丞に襲い掛かっていく。

 

「剣丞!」

「ご主人様!」

 

姫野と小波が木の上から苦無や手裏剣を投げ、剣丞を襲おうとした犬をあの世へ送った。

 

「ああもうっ! 何すっトロイ事やってるし! 早く登ってくるし!」

 

「くぅっ、そんな事を言われても……」

 

剣丞の元に多数の犬が殺到していた。

絶対に木の上には登らせまいと、二重三重の包囲網が敷かれ、一瞬の猶予も与えない波状攻撃が繰り返されていた。

 

姫野と小波の援護もあって、今はどうにか避け切っているが……剣丞の集中力も、姫野と小波の武器も無限ではない。

そう遠くない内に破綻する事は確実である。

 

「しゃあないか……小波、剣丞に鉤縄を投げて!

 こうなったら2人で引っ張り上げるしかねーし!」

 

「わ、分かった! 御主人様!」

 

小波が鉤縄を……崖や城壁を登攀する際に使う、フック付きの頑丈なロープを剣丞に投げる。

 

「剣丞! それに捕まるし!」

 

「すまん!」

 

無数の犬に襲われる剣丞が、どうにか隙を見つけ出して鉤縄を自分の身体に巻き付ける。

 

「小波! せぇので行くし!」

 

「良し……せぇの!!」

 

姫野と小波が剣丞に巻き付いた鉤縄を思い切り引っ張り……

 

「い・ま・だあああぁぁぁーーーっ!!」

 

……瞬間、犬子が咆哮し、大きく大きく跳躍した。

 

空中でくるくると回転しながら御家流を自らに使用し、自身の肉体を人間のものから犬のものへと変貌させる。

 

その鋭い牙の狙いは剣丞……ではなく、鉤縄を両腕で掴み、全力で引っ張っているが故に身動きのとれなない、小波の方であった。

 

「……何っ!?」

 

 

犬子が犬に変わった事、安全と思っていた木の上まで跳躍した事……予想外の出来事が起こり、小波の対応が一瞬遅れる。

 

「小波! 危ない!」

 

その牙が小波に届くより一瞬早く、姫野が割って入る。

直後、がりっと……犬子の牙が姫野の左手に突き刺さった。

 

「姫野ぉっ!?」

「姫野!?」

 

剣丞と小波の目が大きく見開かれる。

そして……

 

「……自切っ!!」

 

その直後、2人の目の前で姫野の左手首から先が宙に飛んだ。

犬子の顎力によって咬み千切られたのではない。

姫野が自ら斬り落としたのだ。

 

「はっ、どんな毒使ってるか知らねーけど、周りの肉ごと斬って捨てちまえば関係ねーし」

 

姫野が勝ち誇った顔で、左手首と共に落下していく犬子を見下した。

元々、姫野の両手両足は野生動物の組織を分解して繋ぎ合わせて作った物だ。

後で身体の部品を付け替える事が出来る姫野にとって、トカゲの尻尾切りのように左手を自切する事はありえない選択肢では無いのだ。

 

しかもどんな方法によるものか剣丞にも小波にも分からなかったが、切断面からの出血は少しにじむ程度の僅かなものであった。

 

「剣丞! こっちは問題ねーし! 早く登ってくるし!」

 

「わ、分かった」

 

姫野に促され、剣丞が慌てて鉤縄を支えに木の上によじ登ろうとする。

姫野と小波が2人で鉤縄を支え、剣丞を全力引っ張り上げようとする。

 

しかし……

 

「……うわっ!?」

 

急に鉤縄の支えが無くなり、登攀中の剣丞が尻もちをつく。

何事かと上を見上げると……姫野がうずくまっていた。

 

「な、なん……で……」

 

ごきりっ、ごきりっ……と、姫野の全身の関節が変形していく。

両手両足が縮み、全身がどんどん毛深くなっていく。

 

「ど、毒じゃない……うあぁ!? と、止まらな……あがぁっ!」

 

剣丞と小波の目の前で、姫野の身体がどんどん犬に変貌していく……

 

「こ……の……ど、呑牛……ぅ……あぁ……」

 

そしてついに姫野は完全に犬に変わり、枝の上から落下していった。

 

「姫野っ!」

 

落下した衝撃で姫野が気絶し、ぴくりとも動かなくなる。

 

「剣丞様! 早く上がってください!」

 

切り替えが早い小波は、姫野がやられた事をすっぱりと割り切り、剣丞を引っ張り上げようと鉤縄を引っ張る。

 

しかし、第七騎兵団との戦いや、御家流の連続使用の影響で消耗している今の小波では、剣丞を持ち上げるだけの力が出ない……

 

「させない……襲えぇっ!!」

 

犬子が着地と同時に人の姿に戻り、再び犬達に剣丞を襲わせる。

 

「くぅ……この……」

 

やむなく剣丞は鉤縄を外し、大きく前転するように跳んで回避する。

襲い掛かって来た犬は躱せたが、近くに木が無い場所で、周囲を取り囲まれてしまった。

 

「ご主人様ぁっ!!」

 

「俺は大丈夫だ! それより姫野を!」

 

剣丞が必死にそう叫ぶ。

叫ぶが……誰がどう見ても大丈夫ではない。

 

剣丞は100匹を超える数の犬に完全に包囲されていた。

小波が木の上から手裏剣を投げて援護してもなお、逃げられない、防ぎ切れない数に囲まれていた。

 

「剣丞様……覚悟ぉっ!!」

 

犬子の号令と同時に、四方八方から犬が飛び掛かる。

剣丞の腕、足、腹、胴体……複数の方向から複数の場所を狙った牙が迫る。

そのうち1本でも剣丞の身体に食い込めば、成す術も無く犬に変えられてしまう……

 

「ご主人様あああぁぁぁーーーっ!!」

 

小波は跳んだ。

剣丞を救うべく、安全地帯である木の上から飛び降りた。

 

「(さっき姫野は、確かに『呑牛』と言った……もし……

 もしもこの御家流が、飛び加藤の呑牛の術と似ているのであれば……あるいは……)」

 

確信がある訳ではない。

姫野の言葉が、小波の想像した通りの意味である保証は無いし、そもそも姫野が勘違いや読み違いをしている可能性もあった。

 

だがしかし、僅かな可能性でも、不確かな理屈でも、愛する主人である新田剣丞を助けられる可能性がある限り、賭けずにはいられず、縋らずにはいられなかった。

 

「御主人様! 下がって!」

 

そして次の瞬間、今度は小波が剣丞を庇い、犬子が操る犬の牙を突き立てられていた。

 

「そ、そんな……小波まで……」

 

「やった! 後は剣丞様だけで……」

 

剣丞の目に絶望が宿る。

同時に、犬子が勝利を確信する。

 

後は小波を人質にしてしまえばどうにでもなると思った。

 

しかし……

 

「私は……私はぁっ! 服部半蔵正成だああぁぁーーっ!!」

 

裂帛の気勢と共に、小波が忍刀を振るい、周囲の犬の首を次々と斬り落とした。

 

10匹殺し……20匹殺し……30匹殺し……二重三重に張り巡らされた剣丞包囲網が徐々に綻びを見せ始める。

そして奇妙な事に、どれだけ待っても小波の身体が犬に変わる気配が無い。

 

「小波、一体どうして……」

 

「催眠術です! 御主人様!」

 

「催眠術!?」

 

「自分は人間ではないと強く強く思い込ませているんです!

 噛みつくのを引き金にして、そういう暗示をかけるのが犬子さんの御家流です!

 だから腕を斬り落としても防げなかった! だから姫野は呑牛に似ていると言った!

 だから私には効かなかった!」

 

「わ、私も知らない……弱点を……!?」

 

この土壇場で使用者すら知らなかった弱点を見つけ出され、犬子が大きく動揺する。

 

「どうして……どうしてそんなに前田利家である事を嫌う?」

 

「え……?」

 

動揺する犬子に対し、小波がそう問いかける。

 

「噛まれた瞬間、お前の想いが……強い感情が私に触れた。

 前田利家である事が憎い、前田利家なんかに生まれなけれな良かった、

 前田利家を辞めてしまいたい……そんな感情が私に触れた」

 

「うるさい……」

 

犬子の顔が醜く歪む。

怒り、憎しみ、悲しみ、後悔、自己嫌悪、殺意……どす黒い感情が次から次へと溢れていく。

 

「本当に……お前が前田利家をやめれば、

 前田利家でなくなれば、斎藤九十郎はお前を愛するのか?」

 

「うるさあああぁぁぁーーーいぃっ!!」

 

犬子が激高する。

犬子が激高し、喉が裂けんばかりに叫ぶ。

 

小波には分かっていた。

怒り、憎しみ、悲しみ、後悔、自己嫌悪、殺意……犬子を覆いつくすありとあらゆるどす黒い感情の根底にあるものは、斉藤九十郎から愛されたいという欲求からくるのだと。

 

前田利家だから出会った。

前田利家だから愛されない。

ただの犬子とは思われない。

 

それが犬子の絶望であった。

 

そしてそれは……

 

「だとすれば、犬子がそうなった原因は、たぶん俺にあるんだろうな」

 

そしてそれは……その絶望を根本的に取り払うためには、新田剣丞でもなく、服部半蔵でもなく、斉藤九十郎が必要である事を意味した。

 

そして今、犬子や剣丞達の前に、何故か雫を肩車で運んでいる斎藤九十郎がいた。

 

そしてそれは……その絶望を根本的に取り払うためには、新田剣丞でもなく、服部半蔵でもなく、斉藤九十郎が必要である事を意味した。

 

そして今、犬子や剣丞達の前に、何故か雫を肩車で運んでいる斎藤九十郎がいた。

 

「九十郎!? 雫まで!?」

 

「な、なん……で……?」

 

剣丞と犬子が大きく目を見開いた。

犬子も、剣丞も、雫と九十郎が空陣営の本陣に控えているという情報を掴んでいたし、空陣営の本陣から兵が出たかどうかは常に注意を払っていた。

雫と九十郎がこの場に突然現れるなんてありえないと思った。

 

「何でって、剣丞を殴るために決まってるだろ」

 

九十郎がキョトンとした表情でそう答える。

 

生徒同士のチャンバラが日常的に発生する魔境大江戸学園で育った九十郎にとって、気に入らない事が起きたらポン刀片手に殴り込みというのは自然な発想であった。

 

要約すると、戦争のドサクサ紛れに単騎で突撃してぶちのめそうぜ作戦である。

 

「私はこの戦の総仕上げに詩乃さんに蹴りを入れて勝利宣言するために……

 なんですけど、詩乃さんがいませんね」

 

そして戦国時代生まれの人間では……特に軍師としての生き方を選んだ者にとっては発想し難いそのトンデモ作戦に、雫と一二三は乗った。

 

この戦いは空と名月がどちらが国主を継ぐ者として相応しいかを決める戦いであるが、同時に剣丞と九十郎が男としてどちらが格上かを決める戦いでもある。

どうせなら九十郎の発想を混ぜ込んだ作戦で戦い、勝ちたいという思いがあった。

それ故に雫と一二三は、九十郎の殴り込みの成功率が少しでも上がるよう、

その知恵を絞りに絞った。

 

一二三は一夜城作戦をパクリ、近くにいた湖衣と夕霧を巻き込んだ。

雫は詩乃の作戦を読み切り、柘榴や粉雪、信虎の隊を配置に気を配り、可能な限り剣丞の守りが薄くなるように仕向けた。

 

そして剣丞の守りが薄くなった瞬間を狙って襲撃してきた犬子とハチ合わせたのだ。

 

「詩乃さんならあっちでミノムシみたいにぶら下がってるよ。

 蹴りたいならどうぞ、蹴ったら回れ右して帰ってくれない?」

 

犬子が指差す先には、再度人質にされるのを防ぐため、縄で縛られたまま木の枝からぷら~んと下がっている2匹の犬がいた。

忍者は素早く敵を無力化するため、瞬時に相手の身動きをとれなくさせる縄の結び方を知っているのだ。

 

「やめておきます。 私は詩乃さんを思い切り蹴っとばして、

 愛菜さんのようなドヤ顔で勝利宣言するために来たのですから。

 犬になって身動きの取れない人を蹴っても、後味悪いだけでしょう」

 

「そこにいられると、巻き込んじゃいそうなんだけど」

 

自分は絶対に剣丞を殺す。

時と場合によっては雫を巻き込む事も辞さない……犬子の視線はそう語っていた。

 

「ああ、その事なんだけどな、犬子……」

「ああ、その事ですけど、犬子さん……」

 

雫と九十郎の声が重なる、視線が交差する。

 

お互い、今から言う事が何なのか理解していた。

お互い、これから何をやろうとしているのかを理解していた。

 

だからこそ九十郎、柘榴でも、粉雪でも、一二三でもなく、雫を共に行動する相手に選んだのだから。

 

「剣丞は殺させねぇ」

「剣丞様を死なせはしません」

 

雫と九十郎がまっすぐ犬子を睨みつけながら、ハッキリとそう宣言する。

 

それは剣丞を殺すためにここに来た犬子と真っ向から対立するという事だ。

 

「なん……で……」

 

犬子が震える。

信じられない、信じたくない……そんな想いが犬子を包む。

 

「剣丞は主人公なんだ……てのは、理由になってねえって、この間美空に怒られた。

 別の言葉で説明するのは、中々難しいんだよな」

 

そう言いながら九十郎は、チラリと背後の剣丞に視線を移した。

 

美形だ、男同士だと言うのにうっとりと見とれてしまいそうになるような美形だ。

THE・ブ男の自分とは大違いだと九十郎は思った。

そして思った、綺麗に棲んだ、真っすぐな瞳だと。

戦国時代の英雄達が揃って惚れるのも無理もないかと……

 

その目の輝きが、かつて九十郎を負かして、九十郎が密かに惚れていた長谷河平良と男女の仲になった秋月八雲を思い出させた。

 

かつて秋月八雲は、大江戸学園を揺るがす巨大な陰謀に立ち向かい、打ち勝った。

多くの人々を惹きつけ、力を合わせ、大きな大きなうねりを生み出した。

 

秋月八雲と同じ目の輝きをしている剣丞ならば……あるいは……

 

「俺はな、剣丞が乱世を終わらせてくれんじゃねえかと思ってる。

 右を見ても左を見ても屑しかいねえ、年がら年中殺して奪ってを繰り返してる、

 糞みてえな世の中を変えてくれるんじゃねえかと思っている」

 

長い長い思考の果て、意を決して九十郎は犬子に告げる。

 

それを聞いて犬子は……泣いた。

 

「なんで……なん、で……なんでさ……」

 

九十郎達の前で、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。

 

「犬子の事はどうでも良いの!? 犬子の事は愛していないの!?

 犬子は……犬子が前田利家だから!? だから……だから……」

 

それは犬子の慟哭だ。

心が張り裂けんばかりの嘆きと悲しみの叫びであった。

 

「犬子は剣丞様を憎んではいけないのっ!!」

 

怒り、憎しみ、悲しみ、絶望……犬子の胸中を様々な感情が渦巻いて、犬子の心をぐしゃぐしゃに粉砕していった。

 

「だがな犬子、お前が一番憎んでいる相手は、剣丞じゃねえような気がするんだよ」

 

「なんでっ!?」

 

「憎んで、殺そうとしてる相手に『様』はつけねえだろ、普通」

 

犬子が押し黙る、黙り込んでしまう。

 

九十郎の言った通り、犬子が本当に憎んでいるのは、嫌っているのは剣丞ではない……本当に憎んで、嫌って、殺してしまいたいと思っているのは、自分自身なのだ。

 

「犬子は……犬子は……あの日、あの時……九十郎を忘れた……忘れただけなんだよ……

 心の底から剣丞様を恰好良いと思って、素敵な男性だと思って、

 この人がきっと乱世を終わらせてくれると思って……

 す、好きになって……あ、愛して……自分から身体を開いて……そのまま最後まで……」

 

出会う順番が違えば、自分はきっと……いや、間違い無く新田剣丞を好きになっていた。

心の底から剣丞に惚れ抜いて、九十郎には見向きもしないと確信できた。

だからこそ犬子は辛くて、悲しいのだ。

 

「犬子は……犬子は九十郎に愛される資格なんて無い……

 九十郎に愛される筈……無いんだよ……」

 

「そんな事は無い。 愛してるぞ、犬子」

 

そんな犬子の絶望を笑い飛ばすかのように、九十郎はそう告げた。

 

「嘘っ!! 嘘だよっ!! 犬子は前田利家だから……」

 

「前田利家でも愛してるってんだよっ!」

 

九十郎が真正面から言い返す。

その言葉は、恐怖に震える美空を見て、上杉謙信のような歴史上の偉人であろうとも恐怖し、悲しみ、そして人を愛するのだと……同じ人間なのだと理解したからこそ言える言葉だ。

 

少し前の九十郎であれば、絶対に言えない言葉でもあった。

 

「嘘……だよね……」

 

信じられない、だけど信じたい……そんな相反する感情が犬子の中で渦巻く。

 

「剣丞、この戦い、俺に代われ」

 

「え?」

 

若干蚊帳の外だった所に急に話が振られ、剣丞が微妙に狼狽える。

 

「横からしゃしゃり出てくるみてえで少し心が痛むが、この戦いの続き、俺にやらせてくれ」

 

「いや、俺にって……」

 

「多分これは、俺がやらなきゃならない事だからな」

 

そう言って九十郎は雫と一緒に背負っていた袋から1本の竹刀を取り出し、構える。

その構えは犬子にとっても馴染みの深い、神道無念流の構えであった。

その目が、その構えが、九十郎の強い戦意を感じさせられる。

 

「分かった、頼んだ」

 

こうなってはもう自分では足手纏いだし、この戦いに介入する資格も無いと悟ると、剣丞は迷わず九十郎に後を頼んだ。

 

雫も、小波も、何も言わずに少し離れ、2人の戦いを見守る姿勢になった。

 

「おしおきだ、犬子」

 

「そこをどいて、九十郎……どかないなら、九十郎でも……」

 

犬子が太刀を構え直す。

その構えもまた、九十郎が教えた神道無念流の構えであった。

 

「悪いがどけねえよ、剣丞は絶対に殺させねえ」

 

「犬子を愛してるなら、そこをどいて。

 犬子は……犬子はもう、収まりがつかないんだよ、剣丞様を殺さない限り」

 

「殺せばもっと引っ込みがつかなくなる。

 あの時……由比の奴が大江戸学園でクーデターみてえな事をしでかした時、

 俺のファースト幼馴染は最初から最後まで関わろうとしなかった。

 自分が動いたら間違い無く死人が出るからってな」

 

「そんな理屈じゃ! 犬子はもう止まれないんだよぉっ!!」

 

「だったらかかって来い! 相手が俺だろうと遠慮はすんな!

 全力で戦って、俺を倒して本懐を遂げろ! まあ、負けんがな」

 

「犬子は、犬子は……」

 

「俺は……」

 

犬子と九十郎が睨み合い、各々の得物を強く強く握りしめる……

 

「九十郎を倒して! 剣丞様を殺すっ!!」

「お前を倒して! 剣丞を殴るっ!!」

 

剣丞は昔見た映画のセリフを思い出した……『勝った方が我々の敵になるだけです』。

 


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