「追撃は……してこない……か……」
剣丞が何度も何度も後ろを振り返り、一二三の一夜城の動きを確認している。
しかし、一夜城は不気味な沈黙を保ち続けていた。
「運が良かった……いえ、見逃してくれたのですね。 何にせよ急ぎましょう剣丞様。
小波さんも心配ですが、追撃が来る可能性はまだ排除できていません」
「ああ、分かった」
小波の御家流の暴走を、剣丞達もまた確認していた。
何かしらの異常事態が起きたと判断し、敵の目の前で180°ターンするのは悪手であると知りながら、小波達の救援に向かう事にした。
命と命を奪い合う本物の戦では自殺行為だが、あくまで後継者を決めるための戦闘である今回だけは、敵の目の前での反転が上手くいくかもしれない……咄嗟の賭けに、剣丞隊は勝った。
一夜城に立て籠もる敵が異常な事態に困惑している間に、少しでも距離を稼ぐ作戦である。
「……きゃっ!?」
小波の元へ急ぐ中で、ひよ子が突然そんな声をあげた。
「ひよ子、どうしたんだ?」
「す、すいません、ちょっと犬に嚙まれちゃって……」
見ると、ひよ子の脛に小さな噛み痕があった。
野犬が数匹、脇道から顔を出し、唸り声をあげて剣丞達を睨みつけていた。
「犬にって……大変じゃないか!? すぐに傷口を洗うんだ、あるならお酒で洗わないと」
「そんな、大袈裟ですよ」
「駄目だよ、傷は小さいけど、どんな細菌を持ってるか分からない。
すぐに洗浄しないと傷口が化膿するかもしれないし、病気になるかもしれない」
医療知識がほぼゼロなひよ子と違い、
剣丞はサバイバル知識が無駄に豊富な周幼平に色々仕込まれたため、知っている。
野生動物に噛まれた時は、すぐに傷を洗って消毒しないと命に関わると。
「お頭、水を持ってきました! お酒も少しですけど持ってます!」
転子が飲み水として持ち歩いている水筒を何本か持って駆け寄って来た。
こっそり隠し持っていた部下から拝借した酒もある。
「お、大袈裟だなぁ、本当に大丈夫なんだけど……」
そうは言いながらも、ひよ子はちょっとだけ嬉しそうに笑っていた。
愛する男性である剣丞と、幼馴染であり親友でもある転子から心配されるのが嬉しかったのだ。
だがしかし……
「あ、あれ……ひよ子、なんだか……手足が、縮んで……」
「……え?」
……異様な事が起きた。
手当てをしようとする転子と剣丞の目の前で、ひよ子の手足が急激に縮んでいった。
同時に両手両足、顔や首がどんどん毛深くなっていき、全身の骨と関節ゴキゴキと音を鳴らしながら変形していく……
「ひっ……な、何なのこれ……お、お頭、助け……うあぁっ!?」
自分の肉体が人ではないナニカに作り替えられるという異常事態に、ひよ子が叫び声をあげる。
「ひよ子!? お、お頭、どうすれば……」
「どうすればって……」
剣丞が咄嗟に腰に佩く剣を見る。
蘭丸と戦った事で生じた亀裂は9割消え、残った亀裂も小さく薄くなっていた。
そんな剣丞の剣が、怪異を討つ剣魂が……微かに光を帯びつつあった。
「鬼……まさか、鬼が来ているのか……?」
「鬼ぃっ!?」
剣丞と転子、詩乃が大きく目を見開く。
慌てて周囲を確認するも、いるのは数十匹の野犬だけで、鬼の姿は1つも無かった。
「お……かし……ら……」
「ひよっ! し、しっかりして……あ、ああ……」
それから10秒もしない内に、ひよ子は完全に犬へと変貌してしまった。
「ごめんね、ひよ子。
たぶん後で凄くすっごく怒られるし、泣かれると思うけどさ……
犬子はもう止まれないし、ひよ子を巻き込みたくもないんだ」
犬となったひよ子が1人の少女に駆け寄った。
山伏風の帽子に犬耳カチューシャ、紅葉をイメージした赤と黒のスカートに高下駄、銀髪のカツラ……見る者が見れば東方プロジェクトの犬走椛の格好だと一目で分かる姿であった。
「き……君は……?」
剣丞は東方をやった事が無いので、少女の格好が椛のコスプレだとは気づかない。
その恰好がコスプレエッチ用に作られた趣味の作品、しかも複数回使用済みだという事はもっと気づかない。
その恰好は少女にとって、九十郎に頭が馬鹿になるくらい濃厚に愛してもらった時に格好である事と、それを着るだけで心に勇気が湧いてくる勝負服だという事にも気づかない。
(犬走椛のバストサイズには諸説あるが、九十郎は巨乳派である。)
だがしかし……
「こんにちは、剣丞様。
一応、名乗る時は通りすがりの犬走椛を名乗れって言われてるんですけど……
今更自己紹介なんていらないですよね、お互いに」
「犬子……」
剣丞には目の前の少女が前田利家・通称犬子である事が分かった。
相手が九十郎の妻である事を忘れて抱き、悲しく辛い想いをさせてしまった者である事が分かった。
彼女を抱き、彼女を泣かせ、美空を怒らせた事が、この戦いの元凶の半分なのだ。
(残りの半分は北条からの無茶ぶり)
「(目つきが普通じゃない……)」
まるブラックホールのような、まるで虚無そのもののような、なんの感情も感じさせられない目であった。
今の犬子が普通じゃないという事がすぐに分かった。
「ひよ子が犬になったのは、君の能力……御家流なのか?」
剣丞がそう尋ねる。
犬子が剣丞を恨んでいようが、憎んでいようが、それはそれとして剣丞には自分を信じて、付き従ってくれている者達を守る義務があった。
「……ひよ子、悪いけどどこか遠くに行ってね。
ひよ子は巻き込みたくないし、ここから先はひよ子に見せたくないから」
犬子はそうだとも言わず、違うとも言わず、まるで剣丞の声が耳に入っていないかのようにひよ子に語りかける。
ひよ子が変化した犬は、わぅんと小さく悲しそうに鳴くと、いずこかへと走り去っていった。
「竹中半兵衛さんに、蜂須賀小六さん……は、別にいいかな。
ああ、やっぱり美空様は凄いなぁ、ひよ子1人だけだったよ。
ひよ子1人だけどこかへ逃がしておけば、もう誰もいない……」
犬子が値踏みをするかのように詩乃や転子に視線を向ける。
視線を向けられただけであるのに、詩乃も、転子も、
まるで天を衝くかのような巨大な猛犬に睨まれているかのような不気味な圧を感じていた。
「(な、なんなのこれ……ほ、本当にこの人、犬子さんなの……?)」
転子がそんな事を考えていると……剣丞の目の前に1人の女性が音も無く降り立った。
空気が読めないのか、空気を読んでいるからこそか、運が良いのか悪いのか……その女性もまた、犬子と同じ目的でこの場に来ていた。
「新田剣丞殿」
「貴女は……?」
覆面をつけてはいたが、剣丞はその人物に見覚えがあった。
姫野や小波と一緒に情報収集をしていた、風魔忍軍の小頭の一人だ。
助けに来てくれたかと、剣丞が僅かに緊張を緩める。
「……しっ!!」
しかし次の瞬間、小頭による居合抜きが剣丞を襲った。
人体の急所である喉を狙った正確な一撃……剣丞が避けられたのは、
盲夏侯さんのトンデモ脳筋ムーブに何度も何度も付き合わされたが故の、
神がかり的な危機察知能力があったが故である。
数mm程、小さな切り傷が喉にできる。
あとほんの少し身を引くのが遅ければ、間違いなく致命傷になっていた。
「……お、おかしらぁっ!? 大丈夫ですかぁっ!?」
「だ、大丈夫だ、だけど……何をするんだ!?」
「……忍びに口は不要、御命頂戴」
風魔忍軍の小頭が忍刀を構え直し、再度剣丞に斬りかかる。
今度は姫野から貰った小太刀を抜き、受け止める。
後漢末期の英雄達から直々に武術の手ほどきを受けただけあり、剣丞の剣の腕前は一線級である。
「一体何故だ!? 期間限定だったとはいえ、味方同士の筈だろう!」
「問答無用! かかれぇーーーいぃっ!!」
小頭の号令と共に、およそ20人もの忍者が剣丞隊を取り囲むように現れ、一斉に剣丞目がけて飛びかかって来た。
「くっ……円陣を組み、迎撃を!」
「お頭! 下がっててください!」
詩乃が剣丞隊に指示を出し、転子が前に出て槍を構える。
剣丞隊の脳筋……もとい、腕っぷし担当がいなくとも、彼ら、彼女らは怯む事無く風魔忍軍に立ち向かう。
剣丞目がけて、四方八方から突進する風魔忍軍との戦いは……意外な程にあっさりと終わりを告げた。
「邪魔を……するなぁっ!!」
犬子が激高し、怒鳴り声を出した。
普段の温厚な性格からは想像もできないような声であった。
その直後、剣丞隊を取り囲んでいた犬が一斉に剣丞隊と風魔忍軍に飛び掛かった。
その数は100を越え、200を越え……森の奥から、茂みの奥から、次から次へと数を増していった。
「な、何ぃ!?」
風魔忍軍の小頭が不意を衝かれ、襲い来る犬の1匹に噛みつかれた。
その直後……ごきりっ、ごきりっ、と全身の骨と関節が変形し、身体の造りが変わっていく、作り替えれらていく……
「え……」
「い、犬に……変わった……!?」
信じられない光景に、剣丞隊も、風魔忍軍も戦慄した。
人間が目の前で犬に変貌する光景を目の当たりにして、全員がSANチェックを強要される。
「かかれぇっ!! かかれぇ、かかれぇっ!!」
犬子の号令によって犬達が猛り狂いながら剣丞隊と風魔忍軍に襲い掛かる。
がぶり、がぶりと、次々と犬に咬まれる者が続出し……咬まれた者は全員、等しく風魔の小頭と同じように犬に変貌していった。
「こ、これは一体……」
「な、何ですかこれは! どうすれば良いんですか!?」
その余りに非現実的な光景に、詩乃と転子が動揺する。
その動揺を犬子は見逃さなかった。
「今だ、行けぇっ!!」
犬子が詩乃と転子を指差し、号令する。
100を越える犬達が一斉に詩乃と転子に襲い掛かり……2人に噛みついた。
竹中半兵衛であれば、時間をかければ必ず対応策を思いつく、それ故に最初に潰す……それが犬子が必死になって考えた作戦だ。
「う……ぁあ!? か、身体が……!?」
「ひっ!? ひゃあぁ!? お、お頭、た、助け……あぁっ!!」
「詩乃っ!! 転子っ!!」
剣丞の目の前で、詩乃と転子が犬へと変貌していく。
犬の軍団に襲われた事、そして自分達の指揮官が犬に変わってしまった事により、剣丞隊に大きな動揺が走る。
一二三の一夜城を攻略するため、気力と体力を消耗した事もあり、剣丞隊の戦闘能力が急速に萎えていき……当然、あっという間に襲い来る犬に咬まれ、次々と犬に変えられていった。
「ま、拙い……どうする? どうすれば……?」
剣丞がこの異常事態の中で。どうやって生き延びるかを思案する。
「火を着ける……いや、違う……高い所に寝台を作って……」
走馬灯のように前の生での出来事が……周幼平から、野営における野生動物からの身の守り方を教わった時の事が脳裏に浮かんだ。
そして……
「皆ぁっ! 急いで木の上に登るんだっ!!」
咄嗟に剣丞はそう叫んだ。
そう叫んで、自らも近くにあった大きな木の上によじ登った。
周幼平の趣味の猫カフェ巡りとボルダリングに散々付き合わされた剣丞とにとって、木の上に登る事はそう難しい事ではなかった。
「風魔の皆さんも早く! 木の上ならたぶん……」
木の上から1人、また1人と引っ張り上げる。
剣丞隊はもちろん、自分の命を狙ってやって来た風魔忍軍も分け隔てなく助けに行った。
そして剣丞の予想通り、木の上に登った事で、無数の犬達による噛みつき攻撃は一切届かなくなった。
忌々しいという感じの視線が一斉に木の上の剣丞隊に向いていた。
向いていたが……どの犬も木の上まで登って追いかけようとはしてこなかった。
「た、助かった……のか……?」
犬に追われて木の上に……微妙に恰好悪い光景ではあるが、剣丞は眼前の危機から見事に逃れていた。
「こんなに短い時間で犬子の御家流の弱点を見抜くなんて……流石ですね、剣丞様」
犬子がふぅっとため息をつき、木の枝にしがみつく剣丞達を見上げる。
寒気がする程に冷たい目つきに、剣丞が思わず息を呑んだ。
「(半数……いや、3分の2くらいがやられたか……もう組織立った行動は無理か……)」
組織的抵抗力の喪失という観点から、軍団においては約40%が戦闘不能になった場合、全滅と評価される。
剣丞隊の過半数が犬子の御家流によって犬に変えられてしまった現状、軍事学上の定義で言えば剣丞隊は全滅している。
一方、犬子に周りに控える犬の群れは、犬に変えられた剣丞隊、風魔忍軍の分だけ数を増している。
「(どうする……正面から戦っても勝ち目は薄い……
木を伝って逃げようにも、まず間違いなく向こうの方が足が速い。
いや、犬の嗅覚を持った相手が追跡してくるんだ、逃げるのは無理か。
なら……いっそこのまま、相手が諦めるまで木の上に居るか……?)」
主人公らしからぬ消極的な手が剣丞の頭に過る。
実際の所、犬子は剣丞を殺す理由があるが、剣丞には犬子と戦う理由が無い。
状況が変わるまで待ち続けるのも、選択肢としてはアリであった。
しかし……
「ねえ剣丞様、このまま時間を稼ごうって考えていませんか?」
ニコニコと笑いながら、犬子が剣丞にそう問いかけた。
口元は笑っていたが、目元は一切笑っていなかった。
その笑みの恐ろしさに、そして自分の思考を言い当てられた事に対し、剣丞は寒気を感じた。
「犬子は剣丞様を殺そうと決めた日からずっと、ずっとずっとずぅ~~~っと、
自分の御家流を使い続けて、試し続けて、観察し続けて、
そして考え続けて来たんですよ……対策、立ててないと思いましたか?」
寒気がするような笑みを浮かべながら、犬子が剣丞に問いかけた。
「剣丞様より先に詩乃さんと転子さんを咬ませて犬に変えた意味、わかりませんか?」
剣丞はさらにさらに強烈な寒気に襲われた。
嫌な予感がした、猛烈なまでの嫌な予感がしたのだ。
「噛まれた相手を犬に変える、そして犬になった者に命令する能力……
でも、犬になった人は意識を失う訳じゃないし、
犬になってた間の記憶が無くなる訳でもないんです。
ほら、こっちに来て……剣丞様から良く見える所にさ……」
「何……!?」
犬子の前に2匹の犬が歩み出る。
その2匹が誰だったのか……剣丞には分かった。
「詩乃……転子も……!?」
それは先程剣丞を庇って咬まれた転子と、逃げ遅れて咬まれた詩乃が変化した犬だった。
嫁である2人をわざわざ良く見える位置に導いた意味を、剣丞は直感的に理解した。
人質にする気か……と。
「さて……と……」
犬と変わった詩乃と転子に視線を下ろしながら、犬子は僅かに躊躇し、考え込む。
詩乃にも、転子にも恨みは無い。
自分が今からやろうとしている事は、何の恨みも無い詩乃と転子に地獄を見せる行為だ。
友達のひよ子や若菜、雛にやろうとしたら、良心が邪魔をして完遂できないような非道で下劣な行為だ。
だがしかし、犬子は覚悟を決めてここに来た。
非道で下劣な手を使ってでも剣丞を殺す、そう決めたのだ。
自分の誇りは、矜持は、そして愛は、あの日剣丞に抱かれた日に粉々に砕けてしまった。
その怒りを、悲しみを、苦しみを……新田剣丞に倍にして返すためにここに来たのだ。
だから……
「ん~っと……誰でも良いんだけど……君と、君、
おOんちんをあの2人のおOんこにブチこんで、2人を犯して、膣内射精(なかだし)して」
犬子の命令は剣丞の想像を遥かに越えるものであった。
犬子はかつて(第58話)柘榴が言った事をしっかりと覚えていた。
犬子の御家流は拷問に使えるではないかと、女を御家流でメス犬に変え、その辺のオス犬を宛がい、膣内射精(なかだし)させれば……それはきっと身悶えする程の恥辱を与える事ができるだろうと。
犬子の命令を聞いて、指定された2匹のオス犬がゆっくりと詩乃と転子の後ろに回り、
のそりと覆いかぶさった。
「……わぁぅ!」
「……うぉんっ!」
詩乃と転子が身をよじり、伸し掛かってきたオス犬から逃れようとするも……
「抵抗するな」
犬子がそう呟くと同時に、まるでマネキン人形のように全身が硬直した。
そしてオス犬達が詩乃と転子の後ろでカクカクと腰を揺さぶり始める。
「な、何をするんだっ!?」
「何って、強姦だけど」
犬子が当然の事のように答える。
「愛する夫の目の前で、他の男のモノを咥え込んで、
膣無射精(なかだし)される辛さ……教えてあげるよ」