戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と九十郎第99話『美空の思惑、綾那の思惑、一二三の思惑』

「オラァッ!!」

 

美空が決して恋愛ゲームのヒロインがしてはいけない表情と共に、一葉の顔面に強烈な蹴りを決めた。

背景に『王龍の極み』とでも浮かんできそうな、見事な蹴りであった。

唯一の救いは、マスクド斎藤の仮面のおかげで、表情が見えなかった事であろうか。

 

「ごふっ……くっ……」

 

ぶっ倒れた一葉が、ぷるぷると両足を震わせながら立ち上がる。

しかし、限界は既に超えていた。

立ち上がるのがやっとと言った所で、今の一葉は詩乃にすら……いや、5歳児にすら負けかねない程にボロボロだ。

 

「ま……まだまだぁ……」

 

ぷるぷると震えながら、辛うじて一葉がファイティングポーズっぽいものを取る。

一葉の闘志は未だに萎えてはいなかった。

 

「はい、そこまでー」

 

……が、しかし、もう100%逆転の目が無いと判断した幽が一葉を止めた。

 

「まだじゃ! まだ負けておらん!」

 

「いやいや、誰がどう見たって公方様の負けですよ、ま・け。

 剣の勝負でボコボコにされて、

 まだ負けてないと言い張って素手同士の殴り合いを初めて、

 それでまたボコボコにされたんじゃあないですか」

 

「うぐぅ……」

 

自覚はあったが認めたくなかった事実を突き付けられ、一葉が絶句する。

 

「完・全・勝・利」

 

一方、ほぼ無傷の美空は、何の意味も無く背後に護法五神を並べながら、これ見よがしに勝利のポーズを決めていた。

 

「幽は悔しくないのかっ!?

 この戦いは主様と九十郎のどっちが男としての格が上かを決める戦いなんじゃぞ!」

 

「ほう、それでは公方様が景虎殿よりも殴り合いが強いと、良人殿の格が上がると?」

 

「当然じゃろう!!」

 

「どうしてです?」

 

「それは……むむむ……」

 

「何がむむむですか。

 存分に斬り合って殴り合って友情を取り戻そうって話でしたでしょうに」

 

「あ……」

 

「い……言われてみれば……」

 

美空と一葉が同時に目を見開き、そう言えばそうだったとでも言いたげな表情で互いに顔を見合わせた。

 

「アンタら絶対マブダチですよ! 殴り合うまでもなく大親友ですよ絶対に!」

 

最近の美空はツッコミキャラを放棄しているともっぱらの噂である。

 

「で、どうする一葉……じゃなかった、通りすがりの徳田新之助さん。 殴り合う?」

 

「そうさな美空……じゃない、通りすがりのマスクザ斎藤。

 これ以上は殴り合いにはならんだろうな、一方的に殴られるだけだ」

 

「私は別にそれでも構わないわよ、公方様……じゃなくて、

 公方様のそっくりさんの顔面に蹴りを入れるなんて滅多にできないし、気分も悪くない」

 

サディスティック仮面がしれっと物騒な事を言い放った。

 

「ええい、余が気にするわ! 青痣だらけで床に入れるか!」

 

王龍の極みが直撃して鼻血をだらだらと垂れ流す一葉が抗議するが、既に手遅れである。

 

「まあ……床入り云々はともかく、負けを認めざるを得んな。

 煮るなり焼くなり好きにするが良い」

 

一葉が抵抗を諦め、どっかりとその場に座り込む。

 

「煮ても焼いても食えそうも無いわ、貴女わね。

 思い切りブン殴ったら頭も少しはすっきりした……

 少し、これからの事を話しましょうか」

 

美空が一葉の隣にどっかりと座り込む。

 

「前は剣技も御家流も互角であったのになあ」

 

「九十郎のおかげよ。 九十郎の神道無念流が、私を強くしてくれたわ」

 

「一目見た時から一廉の人物と思っていたが、お主程の者がそこまで惚れこむとはな……」

 

「私は前田利家のおまけ位にしか思っていなかったわ。

 でも……でも今は、心の底から愛しい人だと想っているわ」

 

美空と一葉が空を見上げる。

カンカンと照り付ける日差しに、じりじりと煮え立つような蒸し暑さ……その日はやたらと不快指数の高い日であったが、2人の心には何か爽やかなものがあった。

 

「……新田剣丞と手を切って、一葉」

 

美空が本題に入る。

ずっと一葉に言いたかった事だ。

ずっと一葉に言いたかった事だが、今までどうしても言えなかった事だ。

 

「それはできん」

 

やや時間を開けてから、一葉はそう答えた。

即答すべき事であったが、即答はできなかった。

美空の目が……親友の目が真剣そのものだったからだ。

 

「そう……」

 

その言葉は美空にとって当然予想すべき言葉であったし、現に予想していた言葉でもあったが、美空の表情は僅かに曇った。

 

「理由を聞かせい、お主の事じゃ、何の意味も無く言った訳ではなかろう」

 

「確たる証拠があって言っている事では無いわ。 私自身、確信がある訳でもないもの」

 

「教えてくれ、頼む」

 

一葉が美空の前に回り、膝をつくようにして頼み込む。

美空は言うべきか、言うまいか迷い、迷い、考え込んだ末に……

 

「公方様は……洗脳されているわ」

 

マスクザ斎藤の仮面を外し、そう告げた。

 

「余が洗脳……誰にじゃ?」

 

「……新田剣丞」

 

「馬鹿なっ! 主様がそんな事をするものかっ!!」

 

「私だって無茶な推論だと思ってるわよ!

 だけど……だけど、そうとでも考えないと不自然よ!」

 

「どういう意味じゃ? 順序立てて説明せい」

 

「歴史が大きく動こうとしているわ。

 長く続いた乱世が集結し、治世の世に移り変わる大きな大きな転機が来ようとしている。

 その中心にいるのが織田信長と、豊臣秀吉」

 

「豊臣秀吉……?」

 

「ひよ子の事よ」

 

「久遠はともかく、ひよ子が歴史の転機の中心じゃと!?」

 

「私だって半信半疑よ。 とにかく話を続けるわよ。

 戦乱の世を終わらせるなんて事、当然だけど無血という訳にはいかないわ。

 大きな戦いが何度も何度も行われる。

 その戦いに深くかかわった者の名前を挙げてくわ。

 竹中半兵衛、黒田官兵衛、明智光秀、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、前田利家、

 たぶん足利のお手紙大好きな誰か、武田晴信、長尾景虎、北条なんとか、

 浅井なんとか、服部半蔵、本多忠勝、 風魔小太郎、毛利元就、島津なんとか、

 石田三成、真田幸村」

 

「何人か知らん名があるが……」

 

「てかうろ覚えの人多すぎやしませんかね」

 

しかし、一葉にとって美空が挙げた者達は、名前を聞いてすぐに顔が浮かぶ者も少なくない。

 

「その上で聞くわ、一葉……

 今挙げた人と、その関係者の中に、新田剣丞に惚れている女は何人いる?

 これから何人増えると思う? 惚れ方が急すぎて不自然な人はいない?」

 

瞬間、幽と一葉の表情が同時に固まった。

思い当たる節がある……それも1つや2つではなく、10も20もだ。

 

「何が言いたい、美空」

 

「何者かがそうなるように仕向けているのではないの?」

 

「馬鹿なっ!? 主様が女を洗脳しているとでも言うつもりかっ!?」

 

「そう考えるのが一番自然なのよっ!

 犬子は心の底から九十郎を愛していたわ!

 本当に心から九十郎に惚れ抜いていたのよ!

 どうして急に剣丞に抱かれるなんて事が起きたのよっ!!」

 

「だからと言って、主様が女を洗脳している等と……」

 

「わかっているわ! 証拠は一切無い事も、一葉はきっと信じないだろうって事も。

 さっきも言ったけれど、私だって確信がある訳じゃない。

 もしかしたら、剣丞以外の誰かが裏で動いているのかもしれないとも思っているわ。

 だからこそ、私は確証を得る為に動いているの」

 

「確証を……?」

 

「まず1つ、今回の戦いで空の陣営が敗北した場合、私は……

 長尾景虎は新田剣丞の妻になると宣言したわ。

 柘榴や粉雪達まで乗って来るのは予想外だったけれどね」

 

「それで何が分かると言うのじゃ?」

 

「暗躍する者の狙いが、歴史を動かす重要人物を残らず新田剣丞の嫁にする事であるなら、

 おそらくこの戦いに介入してくる筈よ。 その動きを掴む事ができれば、

 誰が、何のためにそんな事をしているのかを知る手掛かりになるわ」

 

「成程のう……」

 

「そしてもう1つ、私は新田剣丞を殺すための刺客を放っているわ」

 

瞬間、一葉と幽の表情が変わった。

 

「今なんと言った? 流石に聞き捨てはできんぞ」

 

「公方様と幽を連れ出したのは、巻き込みたくなかったからよ。

 あの娘の御家流に公方様が巻き込まれないようにするために、

 私が公方様を連れ出す事に成功したら、あの娘が剣丞を襲う……

 そういう手筈になっているわ」

 

「なっ……!?」

 

一葉が絶句する。

冗談で言っているようにはまるで見えなかった、美空の眼は真剣そのものだった。

その目の奥に……確かな殺意があると一葉には分かった。

 

「主様っ!!」

 

すぐさま一葉は立ち上がり、剣丞の元へ向かおうとするも……

 

「行かせないわっ!!」

 

「ぬぐっ!?」

 

すぐさま美空が後ろから羽交い絞めにして、一葉の行動を制止した。

 

「幽! 今すぐ主様の元へ走れ!」

 

「し、しかし……」

 

「余も後から追いつく! 早く行けいっ!!」

 

若干死亡フラグっぽい台詞と共に、

 

幽は一瞬、一葉を置いて立ち去る事へ抵抗を覚えたが……美空ならば一葉を傷つけるような真似はしない筈だと思い直し、剣丞の元へと走り出す。

 

しかし……

 

「止めなさい!」

 

美空がそう叫ぶと同時に、番傘を持った女性が幽の前に立ちはだかった。

 

「何ぃ!?」

 

「貴女は……甘粕殿……?」

 

「甘粕景持じゃない……私は通りすがりの風見幽香」

 

そこには昨晩こっそりと九十郎作成のコスプレエッチ用衣装をくすねていた松葉がいた。

幽と一葉が剣丞の元に戻ろうとした時、腕づくでもその場に留まらせるために、美空があらかじめ来るように指示しておいたのだ。

 

なお、粉雪(魔理沙)、柘榴(美鈴)、一二三(お燐)、湖衣(空)、夕霧(パルスィ)に続く東方コスプレ勢6人目……東方由来ではないコスプレをしている美空も数に加えるなら7人目である。

 

笑える事に、コスプレして戦線に乱入していない者が秋子、貞子、紗綾くらいしか残っていなかった。

 

それが後々酷い結果を招くのだが……まあ、それが分かるのはもう少し後の話である。

 

「失礼、急用を思い出しましたので中座させて頂きたいのですが」

 

「主名故、引き止めさせてもらう」

 

「まつ……じゃない、幽香! 絶対に幽も公方様も通しては駄目よ!

 なんとしてでも足止めしなさい!」

 

「御意」

 

一瞬松葉と言いかけていた事を華麗にスルーして、自称風見幽香が番傘を剣のように構えた。

 

「余は通りすがりの徳田新之助、公方ではない」

 

「公方様のそっくりさんも通すんじゃないわよ!」

 

「御意」

 

一葉の背後を取った美空が、ステップオーバートゥホールド・ウィズ・フルネルソンの体勢に入る。

 

「ええぃっ! 離さぬかっ!」

 

「断じて離しゃしないわよっ!

 私が思い描く乱世終結には、足利義輝が不可欠なのよっ!!」

 

「その義輝の命でも離さぬかっ!?」

 

「それでもっ!!」

 

「友の頼みでもかっ!?」

 

「それでもよっ!!」

 

どうにか技を外そうと力を籠めると、両肩がミシミシと軋み、激痛が走る。

完全に関節を極められ、立ち上がる事すら不可能であった。

 

「……中々、やりますな」

 

「そちらこそ」

 

一方、幽と松葉は一進一退の攻防を繰り広げている。

幽が愛刀児手柏による鋭い突きを見舞うも、松葉は涼しい顔で躱し、防ぎ、最小限の動きで幽の時間を浪費させていく。

 

「(このままでは突破する前に日が暮れそうですな……)」

 

幽の心に焦りが生じつつあった。

彼女もまた、新田剣丞に惚れこみ、新田剣丞の為ならば命すら投げ出せる女の1人。

その剣丞に危機が迫っていると聞けば、心中穏やかではない。

 

焦りが技の精度を鈍らせているのが分かった。

分かっていたが、どうする事も出来ずにいた。

 

このままでは……と、一葉と幽が思ったその時である。

 

『消ぃ・えぇ・ろおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!!!』

 

恐ろしい声を聞いた。

身の毛のよだつような声であった。

ドス黒い殺意と憎悪に満ちた声であった。

そして同時に、胸が締め付けられるような悲哀に満ちた声であった。

 

「小波……?」

 

その声を聞いた瞬間、一葉と幽はそれが小波の叫びだという事が分かった。

小波の御家流……句伝無量によって届けられた、小波の思念だと分かった。

 

「だが、あれがこうも取り乱すとは……一体……?」

 

一葉は思った……もしや、剣丞の身に何か良くない事が起こったのではないかと。

 

いつも冷静沈着な忍びである、服部半蔵が取り乱す事があるとすれば、愛する主君・新田剣丞の凶事以外には無いのではと……

 

そんな一葉の不安をさらに煽ったのは、雷鳴のような大音を轟かせ、暴風雨の如く地上に降り注ぐ山吹色の腕……妙見菩薩掌の連打である。

 

天変地異としか表現できない、常識外の御家流の連打によって、否が応でも尋常ではない何かが起きたと理解させられる。

 

「な、何……何が起きているの……?」

 

美空もまた、異様な声を聞き、異様な光景を目にして、大きく動揺していた。

そして考える、考えざるを得ない……この戦いを中断させるべきではないかと。

 

「美空、妥協する気は無いか?」

 

そんな穏やかではない心の中を見透かしたかのように、スルリと一葉の言葉が入り込む。

 

「妥協……どういう意味よ?」

 

「主様の元へ行かせろとは言わぬ。 その代わり、小波の元へ行かせてくれ。

 あの声、あの御家流の乱発……ただ事ではない」

 

「くっ……」

 

美空と一葉の視線の先で、100発も1000発も連発される菩薩掌の光があった。

常人ならば……いや、どんなに優れた超能力者であろうとも、脳の血管と神経がズタボロになって憤死するような、御家流の濫用である。

 

「何かが起きたのじゃ! 小波程の者がああも取り乱す程の何かがっ!!

 ここで下手を打てば越後が滅ぶぞっ!!」

 

迷い悩む美空を、一葉が叱責する。

 

美空は……

 

「仕方……ないわね……」

 

……美空はやむなく、一葉にかけた変形STFを外した。

 

……

 

…………

 

………………

 

『消ぃ・えぇ・ろおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!!!』

 

恐ろしい声を聞いた。

身の毛のよだつような声であった。

ドス黒い殺意と憎悪に満ちた声であった。

そして同時に、胸が締め付けられるような悲哀に満ちた声であった。

 

さらに、山吹色に輝く腕が暴風雨の如く降り注ぐ光景も目にした。

 

「歌夜、合図があったのです、出陣するのです」

 

そんな異様な声を聞いてもなお、異様な光景を見てもなお、綾那は……本多忠勝は平常運転である。

 

本多忠勝は、良くも悪くも『ただ、勝つ』事しかできない。

それは彼女の欠点でもあったが、何物にも代え難い美点でもある。

 

「綾那、その……アレ、放置しても良いの?」

 

当然、綾那の外付け良心回路こと歌夜が疑問を呈す。

彼女達がじぃ~っと目を凝らすと、巨象に踏まれる蟻のように潰されていく第七騎兵団や八咫烏隊の姿が辛うじて見えた。

 

「歌夜? 菩薩掌が合図でしたよね?」

 

「いやいやいやいや! アレは普通の菩薩掌じゃないわよ!」

 

「普通じゃなくても菩薩掌なのです。

 綾那達は合図を見たら空さんの本陣を強襲するのです」

 

「そういう指示は受けてるけど……綾那は小波が心配じゃないの?」

 

「姫野がついてるのです」

 

綾那は当然の事のように言う。

 

句伝無量によるSOSを聞きつけ、夢の中にまで小波を助けに来た姫野であれば、何があろうとも小波を守り抜くだろうと信じていた。

 

「でも……」

 

歌夜が何かを言おうとしたその時……

 

「歌夜、どうやら向こうは見逃しちゃくれないみたいですよ」

 

「え……?」

 

綾那が臨戦態勢に入っていた。

鋭い視線が深い森の奥へと向けられ……そこから2人の女性が現れる。

 

「……げ、マジでいたぜ」

 

「流石は黒田官兵衛様っすね、ドンピシャだったっす」

 

雪のような白髪の少女が1人、炎のような真っ赤な髪の女性が1人、いずれも武装していた。

 

その手には『悪の戦争教本ボリューム1』と題された、雫が用意した作戦の指示書が握られていた。

 

「何者か……とは、聞かない方が良いですか?」

 

綾那がどこからともなく蜻蛉斬り取り出し、構えながらそう尋ねる。

 

「あたいは通りすがりの霧雨魔理沙だぜ」

 

「こっちは通りすがりの紅美鈴っす。

 まあ、本名は故あって名乗れないって事で勘弁してほしいっすね」

 

甲斐最強の勇将・山県昌景と、越後で2番目くらいに強い猛将・柿崎景家が、歌夜と綾那に立ちはだかる。

 

気がつけば自称魔理沙と自称美鈴の背後から次々と兵が現れ、綾那達が率いる総勢100名の兵を5倍近い人数が、綾那達を取り囲んでいた。

 

「遠路遥々と来てくれたとこ。すまねーっすけど。 ここでご退場願うっす」

 

「三河最強がどれ程のものか、試させてもらうぜ」

 

「確か、三河で九十郎から神道無念流を学んだ2人だったすよね。

 兄弟子、弟弟子として、一つ技比べといかせてもらうっす」

 

自称魔理沙も、自称美鈴も、綾那達をこのまま見逃してはくれそうも無い。

 

「仕方ない……か……」

 

事ここに至って、歌夜は腹を括り、覚悟を決め、愛刀を構え、骨身に染み込んだ神道無念流の構えを取った。

 

「榊原康政、お相手いたします!」

 

「本多忠勝が相手なのです!」

 

空と名月の後継者争いの……後に御館の乱と呼ばれる戦いの帰趨を決める戦いの火蓋が切って落とされた。

 

……

 

…………

 

………………

 

「お……収まった……の……」

 

「そのよう……で、やがるな……」

 

一二三の一夜城に立て籠もる湖衣と夕霧が恐る恐る顔を上げる。

 

憎悪と怨念で満ち溢れた小波の声が響き、暴風雨の如く降り注ぐ菩薩掌が見えると、一夜城の攻防戦はしばしの間、事実上の停戦状態になっておいた。

 

「湖衣、金神千里で何か分からない?」

 

ただ一人、あの異常としか言いようの無い御家流の連打に少しもビビらなかった一二三が、城壁の上で仁王立ちをしながら湖衣に尋ねる。

 

「む、無理だよぅ! あんな強烈な思念が渦巻いてる場所は視れないよぅっ!!」

 

湖衣がぶんぶんと力強く首を横に振る。

湖衣の御家流・金神千里は、簡単に言えば遠くの場所を視認する能力である。

 

この時代の技術力で作れるどんな望遠鏡よりも遠くを見れる上、障害物も無視できるという利点があるが、瘴気や怨念の渦巻く場所を見ようとすると、脳の神経が焼き切れて死ぬ。

 

「じゃあ今は視れる? 山吹色の腕はもう浮かんでいないけど」

 

「し、しばらくは無理だと思う。 何日か経って怨念が散ってくれないと……」

 

「そうか……」

 

一二三が一夜城への攻撃を中断し、いずこかへ立ち去ろうとする剣丞隊の姿を眺めながら、頭をフル回転させながら追撃すべきかどうかを思案する。

 

「なりふり構わない総退却、今孔明にしては余りにも拙速な……

 いや、戦争中ならともかく、越後後継者を決める野試合のような戦では、

 あの光景を見て即座には動けないと判断したのかな?」

 

「行先は服部半蔵の所でやがるか?」

 

「たぶんそうだろうね。 殺そうと思えば殺せなくも……

 いや、無理かな、こっちの兵は大部分が第七騎兵団からの借りものだからね。

 第一、それが武田の利になるかどうかも断言できない」

 

口ではそう言いながらも一二三は思う……新田剣丞を殺すのは決して難しくないと。

自称マスク・ザ・斎藤が思うように、剣丞を積極的に殺しに行く事で得られる情報もあるかもしれないと。

 

しかし、たぶん剣丞を殺す事では九十郎のトラウマは癒せない。

むしろ明確に殴れる対象を喪う事で、宙ぶらりんになってしまうだろうと。

 

九十郎が剣丞を思う存分殴るまで、剣丞には生きていてもらわなければ困る。

 

「(ああ、駄目だなぁ……自分がどんどん駄目になっていくのが分かる……

 あんな負け犬の目をした駄目人間の事を、甲斐よりも、武田よりも、

 真田と武藤の家の事よりも、日ノ本の未来よりも先に考えるなんて……)」

 

一二三はそんな事を考えて、恍惚とした笑みを浮かべた。

 

もう一度九十郎に組み伏せられたい、犯されたい、叶うものなら九十郎の児を孕みたいとすら思い始めた自分を、この上なく情けなく感じていた。

 

情けないと感じつつも、一二三は自分を止める事ができなかった。

 

「あ……鬼だ……」

 

そんな一二三の駄目駄目思考を後押しする大義名分が現れた。

金神千里の能力で遠隔地を偵察していた湖衣が、戦場に近づく鬼の姿を感知したのだ。

 

「どうします典厩様? この戦力で越後を滅ぼすのは無理でも、

 鬼を上手く導き入れれば、相当な混乱を起こせますよ」

 

一二三が夕霧にそう尋ねる。

答えは半ば予想している。

 

夕霧が越後を滅ぼすのに鬼の力を頼る訳が無いと……

 

「何言ってるでやがるか。 景虎を殺すのに鬼の力は使わねーでやがるよ。

 決着は人間の手でつけるでやがる。 そこに鬼や化外が入り込む余地はねぇでやがる」

 

一二三の予想通りの返答があった。

一二三は思わず、にやぁ~っと笑った。

 

「それじゃあ、鬼を防いで思いっきり恩を着せる方針でよろしいですか?」

 

「ああ、そうするでやがる」

 

「じゃあ話は決まりだね。 湖衣、鬼の進行はどこから、どっちに向かってる?」

 

「う、うん! この城から見て……ここ! ここに集まって、方向は……」

 

「空ちゃんの本陣近くか……」

 

「それと、小勢だけどこの城に向かってるのもいて……方向と数は……」

 

越後に血生臭い空気が漂い始めていた。

そして……

 

「……あ」

 

「ど、どうしたの一二三ちゃん!?」

 

一二三がある事に気がついた。

 

「考えてみれば、長尾景虎がこっちに来てるって事、誰にも話してないな~って」

 

「つまり、どういう事でやがるか?」

 

「越後国主、先手組と親衛隊の隊長が絶賛行方不明中」

 

「鬼への対応は……」

 

「無理じゃないかな、責任者(美空、柘榴、松葉)不在だし。

 皆変装してこっそり参戦してるから連絡なんてつけようもないし。

 よもや鬼に攫われたかって憶測と混乱も出るだろうし、

 そもそも今国を挙げての内輪揉めしてる最中だし……うん、絶対無理だね。

 少なくとも、越軍の最大の長所である判断の速さは確実に殺されてる」

 

「ひ、一二三ちゃん……」

 

「一二三ぃ……」

 

その言葉を聞いた湖衣と夕霧がわなわなと震える。

立場的に、越後にどんだけ被害が出ようが知ったこっちゃないと言えなくもない2人だが、鬼の魔手によって罪なき民草が殺され、犯されるのは本意ではない。

 

「一二三ちゃんのバカアアアァァァーーーッ!!」

「一二三のアホオオオォォォーーーッ!!」

 

湖衣と夕霧の悲しい叫びが木霊する。

越軍の被害を少しでも抑えるべく、積極的に打って出て、命懸けで鬼の進行を食い止めなければならなくなった瞬間であった。

 


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