戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と九十郎第97話『空の夢、空の理想』

「くぅ……すや……すゃ……」

 

空と名月が長尾景虎の後継者の座を巡って戦いを始めていた頃、井伊直政・通称新戸(ニート)はすやすやと寝息をたてていた。

 

周りがどったばったん大騒ぎしている中、新戸は珍しく惰眠を貪っている。

 

「ぐぅ……あやなぁ……おれのぷりん……かえせぇ……

 くずろぉがつくったぷりんだぞぉ……」

 

何とも能天気な夢を見ながら、何とも間抜けな寝顔を晒していた。

 

九十郎から糞ニートと呼ばれている割に、いつもいつでも過労死寸前になるまで働き続けている新戸であったが、今日は珍しく心置きなく休息をとっていた。

 

空と名月の争いは、珍しく怪異が絡まない争いであり、珍しく新戸が主体的に関与しなくても問題の無い戦であった。

 

「くじゅろぅ……すきぃ……」

 

何とも能天気で都合の良い夢を見ながら、新戸は笑って……いや、にやけていた。

 

吉野に借りを作ってしまったが、先の蘭丸との戦いでの消耗は完全に癒えた。

吉野に2つ目の借りを作ってしまったが、サキュバスに付けられた淫紋も消えた。

透視能力を使い、小波、綾那、歌夜、そして小夜叉の子宮を確認したが、誰も孕んではいなかった。

新戸は今、心から安心しきって熟睡していた。

 

しかし……

 

「……尊治!?」

 

次の瞬間、新戸ががばっと起き上がった。

 

彼女にとって2回分も借りがある男が……吉野の御方と呼ばれる人物のテレパシーを感じ取ったのだ。

吉野の御方と呼ばれる男が、鬼を創り、鬼に指令を飛ばしている気配を感じたのだ。

 

「全く、どいつもこいつも……本当にオレの思い通りに動かないな、少しは休ませろ!」

 

そんな事を叫びながら、新戸の身体がゴキゴキと音を立てて変形し、変質し、鬼の身体へと変貌していく。

それは新戸の短い短い休息が終わりを告げた瞬間であった。

 

……

 

…………

 

………………

 

「なんのつもりじゃ? 美空」

 

一葉が名刀大般若長光を抜き。仮面の女に突き付ける。

 

「ただの斉藤よ」

 

仮面の女は先程と同じく、自分はただの斉藤と答えた。

 

「……私はただの斉藤よ。 決して長尾景虎ではないわ」

 

「そんな言い訳が通用するか! 

 あの御家流が使える者は、天下に1人しかおらんわっ!!」

 

「違いま~す、アレ撃ったの私じゃないで~す。

 何か気がついたらどこから飛んできました~」

 

自称マスク・ザ・斉藤が超白々しい大嘘をつく。

 

「ほほぅ、ではその姫鶴一文字は」

 

「……え?」

 

仮面の女がドキリと肩を震わせ、自分の手元にある剣を何度も何度も確認し……『あ、やっべぇ、忘れてたわ』とでも言いたげな雰囲気を醸し出す。

 

「ち、違いま~す、姫鶴一文字なんて素敵な名刀じゃありませ~ん。

 えっと……ひ、拾った……じゃなくて……そう! 私、美空様の追っかけで!

 ちょっとでも美空様の気分を味わたくて、似たような刀探して使ってるんで~す!」

 

仮面の女が微妙に上ずった声で、必死に誤魔化そうとする。

 

しかし、刀剣マニアである一葉が、姫鶴一文字程の名刀とその辺に転がっている贋作を見間違える筈も無い。

 

「ね、ねえ、お頭……あの人って……」

 

「ああ、うん……たぶん、あの人だよな……いや絶対にあの人だよな……」

 

ひよ子と剣丞がひそひそ声で相談する。

一葉以外の全員にも、突如として現れた仮面の女が美空なのだと見抜いていた。

ぶっちゃけ珍妙な仮面一枚被っただけで、他の部分はいつもの美空だったため、バレバレと言えばバレバレである。

 

「ええい! 覆面超人(マスクマン)の正体を暴くのはやめなさい!

 お約束ってのを知らないの!? 私はマスク・ザ・斉藤!

 それ以上でもそれ以下でもないわ!」

 

「マスク・ザ・斉藤……一体、何尾景虎なのやら……」

 

幽が皮肉たっぷりにそう呟く。

実際の所、剣丞達にも一二三達にも、自称マスク・ザ・斉藤の正体はバレバレである。

 

「何考えてるてるでやがるかぁっ!! 一二三いいいぃぃぃーーーっ!!」

 

一夜城の奥で、基本常識人な夕霧が喉も枯れ果てんばかりにツッコミを入れた。

その叫びは、一夜城の攻防戦に参加している全ての者の共通認識であった。

 

「そもそも何で公方様が、

 長尾の後継者を決める戦に思い切り首と突っ込んでいるのかしら?

 公平性を期すためには公方様も身を引くべきじゃないかしら」

 

「……うぐっ」

 

仮面の女の反論が一葉を貫く。

 

長尾景虎が手を出すのも大きな問題だが、全ての武家を(名目上は)束ねる征夷大将軍が一国の御家騒動に自ら介入するのも、それはそれで問題であろう。

 

「私は通りすがりの貧乏旗本、徳田新之助……」

 

「そんな見え見えの嘘で誤魔化されるかっ!!」

 

仮面一枚で変装ができていると思い込む美空の言えた台詞ではない。

 

「……通りすがりのマスク・ザ・斉藤とやら。 何のためにこの戦に割って入った?」

 

最早バレバレであるが、あえてそれを無視して、一葉はマスク・ザ・斉藤に問うた。

 

「はりゃほれうまうーっ!!」

 

「日ノ本の言葉で喋れっ!!」

 

「ああ、ごめんなさい。 ついノリで……そうね、通りすがりの徳田新之助さん、

 私は貴女と斬り合う為にここに来たわ」

 

一葉は最初から正体を隠していなかったし変装もしていないが、あえて自称マスク・ザ・斉藤は一葉を徳田新之助と呼ぶ。

 

「余と斬り合う?」

 

かなり予想外、想定外の回答が来たため、一葉がキョトンとした表情になった。

 

「今を逃したら、貴女と斬り合う機会は無いでしょう?」

 

「ふむ……」

 

一葉は美空……もとい自称マスク・ザ・斉藤に剣を向けたまましばし考え込む。

 

そして……

 

「すまぬ主様、この戦、余は抜けさせてもらう」

 

「うええぇ!?」

 

いきなりの一抜けた宣言にひよ子が思わず驚愕の声を漏らした。

 

「余はな、あやつを友と思うている」

 

「私は、かつて貴女を友と思った。 だけど、今は友とは思えなくなったわ」

 

「余は主様を……新田剣丞を信じておる。

 新田剣丞こそ天下一の夫であると信じておるし、日ノ本を救う男と思っている。

 当然、犬子を無理矢理犯すような無体をする筈が無いと信じておる」

 

「私は、そいつを……新田剣丞を信じられない。 新田剣丞が天下一の夫とは思っていない。

 それどころか、全く悪びれる様子の無い、盗人猛々しい強姦魔とすら思っているわ。

 そして何をしたかは分からないけど、

 何かしらの策か能力を使って犬子を無理矢理犯したと思っている」

 

「お主は、新田剣丞を知らぬだけだ」

 

「貴女は、新田剣丞に騙されているのよ」

 

仮面の奥の瞳が鋭く、細くなる。

強い強い不信の心をもって、新田剣丞と一葉の2人を睨みつけていた。

 

「なるほど、そういう事か?」

 

「そうね、多分貴女が考えている通りよ」

 

「余が、お主を再び友と呼ぶには……」

 

「私が、貴女を再び友と呼ぶには……」

 

「「最早斬り合う以外に方法が無いっ!!」」

 

2人の声が見事に揃った。

 

なんとも脳筋な解決方法である。

脳筋な解決方法であるが……将であると同時に、優れた剣客でもある2人にとっては、これが最上の解決方法であった。

 

「公方様、こちらの分隊には公方様しか腕っぷし担当がおりませんが」

 

「あれ、しれっと私無視されてる」

 

「転子と主様がおるであろう」

 

「わぁい、無視されてな……いや、それはそれで責任重大のような……」

 

小波と姫野が信虎おびき寄せ隊、鞠と小夜叉が伏兵部隊、綾那と歌夜は空陣営本陣の奇襲部隊にそれぞれ振り分けられているため、一葉が言う通り、最前線でまともに敵と切り結べるのは剣丞と転子、そして幽くらいである。

 

しかし、それでも……

 

「主様、無理を承知で頼む……

 今を逃せば、余は二度とあやつを友と呼べなくなるような気がするのだ」

 

基本身勝手で、基本他人の話を聞かない一葉が深々と頭を下げて懇願した。

 

「く、公方様……」

 

明日には槍の雨が降りそうな光景に、幽が思わず後ずさる。

 

「ああ、分かった……後の事は俺達に任せて、行ってくれ」

 

剣丞は少しも迷わず、一葉の戦線離脱を承諾した。

九十郎なら大人げなく美空を袋叩きにする場面である。

 

「良いのですかな?」

 

「ああ、今行かないと、きっと後悔するだろうし」

 

「戦況不利という事が分かっておられるので?」

 

「いえ、私も剣丞様と同じ考えです」

 

さらに追及しようとする幽の言葉を遮ったのは、詩乃であった。

 

「城に立て籠もる武藤昌幸と、長……ではなく、

 通りすがりのマスク・ザ・斉藤殿と同時に戦うよりも、

 公方様に一方を抑えて頂いた方が、比較的勝算は高いと考えます。

 それに……勝つせよ、負けるにせよ、わだかまりを残したままでは、鬼とは戦えません」

 

詩乃にとってこの戦いは、空と名月のどちらが後継者にふさわしいかを決める戦いでは無く、あくまでも鬼に対して一致団結して戦う下地を作るための戦いである。

 

景虎が剣丞に対して抱いている不信感をどうにかしなくてはならない。

勝負に勝ち、長尾景虎を嫁にするのが最上であるが、それ以外の方法で不信感を払拭できるのであれば、それはそれで構わないのだ。

 

「決まりのようね」

 

「うむ、そうじゃな」

 

「幽、貴女も来なさい」

「幽、お主も来い」

 

2人の台詞が再度ハモッた。

 

「……はい?」

 

「決闘には立ち合いが必要でしょう」

「決闘には立ち合いが必要であろうが」

 

2人は見事なまでに同じ事を考えていた。

この時幽は『誰がどう見たって親友ですよ、ズッ友ですよ、刎頸ですよコレ!』と思った。

 

「公方様は実に馬鹿であらせられますな」

 

まるで青タヌキのような厭味ったらしい台詞を呟き、ため息をつき、全てを諦め切った表情で細川藤孝が2人に手を引かれて戦線を離脱した。

 

……

 

…………

 

………………

 

「社会保障が必要だと思うんですよ」

 

「え、ええ……」

 

雫が引き攣った顔でそう答える。

しかし発言者……空の目は真剣そのものであった。

 

「富める者は益々富み、貧しい者は、益々貧しくなる。

 強き者が栄え、弱い者は虐げられる。

 良く言えば自由主義、悪く言えば弱肉強食が行きついた果てがこの乱世だと思うんです」

 

「そ、そういう見方も可能かもしれませんね……」

 

雫の顔が益々引き攣る。

 

「今こそ貧者、弱者が団結し、立ち上がるべき時なんです。

 富める資本家達や、血筋や権威、武力でもって貧者や弱者を虐げる者達を打倒し、

 真に平等な社会を勝ち取るべきなんです」

 

「そ、そういう極端な事はあまり公言しない方が良いんじゃないかと思いますけど……」

 

雫の顔がもっともっと引き攣る。

内心では、そんな事をしたら真っ先に打倒されるのは空なのではとか考えていたが、分別のある大人の雫はそれを口には出さなかった。

 

「そう、今こそ必要なんです! 共産主義革命が!

 まずはより稼ぎの多い方からはより多く課税し、

 貧しき方からは少なく、軽く課税をする累進課税制度を確立し、

 労働時間に上限を設け、最低賃金を設け、さらに傷病手当、失業手当を充実させ、

 それでも生活が成り立たない方には生活保護を、

 そして当然年少者への教育は義務教育として、教育機関への編入を義務づけて……」

 

「国が無くなるっ!!」

 

雫はとうとう堪え切れずにツッコミを入れた。

いくら賢くとも、いくら先見の明があっても、天文15年(1546年)年生まれの薬屋の娘には、共産主義や社会保障の概念を完全に理解する事は不可能だ。

 

いや、賢く、先見の明があり、社会保障の概念やそれがもたらす利益と混乱の一端を理解してしまったが故に、雫は大きな声で叫んだのだ……国が無くなると。

 

恐るべき事に雫は……黒田官兵衛は一端は確実に理解している。

この思想はまだ早すぎると。

 

「やはり……国が無くなってしまいますか?」

 

先程まで熱く熱く理想を語っていた少女……長尾景勝・通称空は悲しそうな目でそう尋ねた。

 

空もまた理解している……この思想はまだ早すぎると。

 

「はい、国が無くなります」

 

雫は一瞬だけ考え込み、一瞬だけ迷い……最終的にはきっぱりと断言した。

 

「累進課税を制定すれば、富める者は他国に逃げ、貧しい者だけが残ります。

 社会保障を行えば、貧しい者が際限なくこの国に集まります。

 そして溢れんばかりに集まった貧者に押し潰され、

 累進課税も社会保障も、あっという間に画餅となって消えゆくでしょう」

 

「はい、その通りです」

 

「現状、日ノ本の大多数の者にとって、

 幼子であっても立派な労働力であり、家を支える命綱です。

 義務教育を断行すれば、家業が成り立たなくなる家がどれだけ増えるか……

 勉学というものは、本人が学びたいと心から願った時が、最も血肉になるものです。

 義務として無理矢理学び舎に集められた若者が、どれだけ真剣に学ぶのでしょうか。

 ただただ無為な時間を過ごさせるだけになるのではありませんか」

 

「はい、その通りです」

 

「そもそも、そんな大勢の若者に誰が教えるのですか、

 どうやって教師たる者を集めるのですか。

 万卒は得易く一将は得難しと昔から言います。

 学び舎を建てる事は容易い事でも、若者を教え導く事ができる教師を集める事は、

 空さんが思っているよりもずっと大変なのですよ」

 

「はい、その通りです」

 

雫はさっき空が口走った夢みたいな思想の問題点を一つ一つ指摘していく。

雫の指摘は理路整然としたものであり、道理にかなったものである。

 

だがしかし、だがそれでも……空の眼はそう語っていた。

 

「九十郎さん! 九十郎さん! どうすれば良いんですかコレ!?

 叱りつけて止めれば良いんですか!? 頑張れって背中を押せば良いんですかぁっ!?」

 

雫がとうとうギブアップし、泣きそうな目で、ひそひそ声で九十郎に助けを求める。

 

「すまん、官兵衛。 たぶんだが原因の何割かは俺にある。

 レーニンとかスターリンの話をした時、若干美化して伝えちまったような気がする」

 

「いったい何の話をしたんですかぁ!?」

 

「許せ、労働法と環境法の成り立ちを説明するには、

 ブリカスの植民地支配の手法とか、共産主義の興廃について言及せざるを得なかった」

 

イギリスの綿製品を売りつける為に、インドの織物職人の3万人の腕を切断した話とか、

商品作物の作付けを強要し、インド大飢饉を引き起こし、飢えと疫病で500万人が死亡した話をした時の空と愛菜のドン引きっぷりは、後々の語り草になっている。

 

もっとも、ブリカスの真の恐ろしさは、現地住民の憎悪を、イギリス人にではなく身内に向けさせる状況コントロール術である。

九十郎はこの能力をブリテンマジックと呼んでいる。

 

「まあ、真面目な話……」

 

「はい、真面目な話ですね」

 

「鬼よりも先に紅毛人(西洋人の事)を滅ぼすべきだと私は思います」

 

空は真顔でそう言い放った。

 

「そう! 今こそ無二念打払令を出し!

 この国に近づく全ての異国船を焼き討ちし! 鎖国を行い! 攘夷するんです!

 この国に入り込む商人と宣教師を直ちに皆殺しにして!

 欧米列強の植民地支配に抵抗しなくてはっ!!

 ブリカスがこの国にまで来る前に! インドのような苛烈な植民地支配を受ける前に!」

 

「国が無くなるぅっ!!」

 

雫が思わずそんな叫び声をあげた。

なお、現在日ノ本で最も広く流通している銭は宋銭……外国の通貨である。

 

「九十郎さん! 九十郎さん! どうすれば良いんですか!

 ていうか私は大丈夫なんですか! 私はキリシタンなんですよ!

 後で棄教か死か好きな方を選べとか言われませんか!?

 マリア様の絵を踏めとか言われませんかっ!?」

 

「俺もクリスマスにターキーを食ってるからアウトかもしれん。

 七面鳥っぽい鳥をそれっぽくローストしたなんちゃってターキーだが」

 

雫と九十郎がヒソヒソ声でそんな相談をする。

基本無責任な九十郎であっても、流石に拙いかな~と思い始めていた。

 

「……やはり、国が無くなりますか」

 

「いえ、それは……分かりません。

 少なくともこの日ノ本の全ての国と大名が一致して行動に出なければ、

 なんの意味もないでしょう。

 例えば……そうですね、日ノ本の乱世を終わらせる程の実力者が現れ、

 その者が今後我が国は鎖国すると宣言をすれば、あるいは……

 しかし、そのような事をして何になるのか、どんな事が起こるのかは、予想もできません」

 

「宋銭は使えなくなるよな」

 

「そうですね、あらゆる取引が物々交換に逆戻りとなれば、

 どれ程の混乱が生じるか想像もできません。

 ならば先に日ノ本の統一通貨を自力で鋳造し、流通させる事が不可欠でしょう」

 

「成程、統一通貨が必要ですか……」

 

「しかしですよ、

 そもそもの話として異国船を打ち払うのは越後国主の仕事ではありません」

 

「なら、誰の仕事なんですか? ブリカスの魔の手は刻一刻と迫っているんですよ」

 

「それ……は……」

 

雫が言い淀む。

聡明な雫には、その問いに対する明解な答えを一瞬で頭に思い浮かべる事ができた。

しかし、それを口にするのは憚られた。

 

「征夷大将軍じゃねえの。 夷狄を成敗する大将軍なんだろ、元々」

 

一方、九十郎は空気を読まずに雫が思い浮かべた答えを口にした。

 

「なるほど!」

 

空の瞳がキラーン! と輝いた。

 

「(一葉様逃げてえええぇぇぇーーーっ!! 超逃げてえええぇぇぇーーーっ!!)」

 

雫は胃をキリキリと痛めながら心の中でそう叫んだ。

ぶっちゃけた話、有名無実化した今の征夷大将軍にとって、異国を打ち払い攘夷を行えなんて無茶ぶりもいい所である。

 

かといって『攘夷できません』と認めるのは自己否定そのものであり、口が裂けても言う事ができない。

明治維新の頃に徳川幕府が大政奉還した理由の一つがコレである。

 

実際の所、空は本気である。

本気でこの国に社会保障や国民皆保険、義務教育といった概念を根付かせようとしているし、イギリスを筆頭とした西洋諸国からこの国を守り抜こうと決意している。

 

その為であれば、悪魔とだって……具体的には武田晴信とだって手を結んでも良いとすら思っていた。

 

だがしかし……

 

「(も、もしやこの国の未来についての話が始まった途端、

 愛菜さんがそそくさと逃げ出した理由って……

 それにこれだけ露骨に美空さんが肩入れしてるのに、

 兵力差が2倍程度に収まっているのも……)」

 

だがしかし、戦国時代の人間に社会保障がどうとか言っても怪訝な顔をされるだけであるし、場合によってはドン引きされる。

ブリカスの脅威について熱心に語った場合、さらにドン引きされる。

 

現状、空の人望は微妙な……いや、お寒いものであった。

 

全部九十郎が悪い。

 

「やはり、まずは乱世を終わらせる事が先決でしょうか」

 

「そうですね、右も左も敵だらけでは改革もままなりません」

 

雫がそう答えた時……気がついた。

さっきから散々否定的な意見をぶつけているというのに、空は全く諦めの表情をしていない事に。

 

空は諦めが悪いのだ、自分と同じで……雫はそう思った。

そう思うと、雫は空に対し奇妙な親近感のようなものを覚えた。

 

「この戦いが終わったら、一緒に考えましょう。

 どうすれば乱世を終わらせる事ができるかも、

 どうすれば国を亡くさずに、空さんの理想に近づけるかも」

 

雫がそう言うと、空は屈託無くにこっと笑った。

 

「話し相手になって頂き、ありがとうございました。

 最近、愛菜もこの話をしようとするとすぐに話を打ち切って逃げてしまうんです」

 

すぐに話を打ち切って逃げるだけでも、愛菜の知能指数の高さが伺える。

 

愛菜が……後の直江兼続が完全に洗脳され、犬子の従妹である前田慶次や石田三成と共に色々やらかし、日ノ本全体をどったんばったん大騒ぎさせ、美空と名月の胃壁をキリキリと痛めつけた上、アカく燃え上がった比叡山は久遠やエーリカの手によって物理的に炎上し、最終的には関が原で行われたアカい人達による政治集会に対し、武力による鎮圧が行われ、動員兵力は合計18万人、戦死者8000人の一大決戦が行われるのだが……それはもう少し後の話である。

 

なお、後世で作られた織田信長主役の大河ドラマにおいて、話の半分が共産主義者との戦いに割かれている事も付言しておこう。

 

……その辺も含めて全部九十郎が悪い。

 

さて空と雫そんな感じで政治談議を交わしていると……東の空で狼煙が上がった。

 

「九十郎さん!」

 

「分かっている!」

 

雫と九十郎の2人がすぐさま双眼鏡を構え、狼煙の根本に……小波の口伝無量を妨害すべく動いている、

本物の武田信虎が指揮をしている部隊の方角を凝視する。

 

事前に打ち合わせでは、本物の信虎がいる部隊が狼煙による合図を送る時、それは即ち小波をマグナム・シュートの射程内に捉えた時だ。

 

「(信虎だ……たった今、口伝無量を掌握した)」

 

直後、九十郎の脳裏に直接響くかのように、信虎の声が届く。

 

「(ファミチキください)」

 

「(ふぁみ……何だって?)」

 

九十郎は何故そのネタが戦国時代の人間に通じると思ったのだろうか。

なお、ファミチキが発売されたのは2006年、未来の食べ物である。

 

「(どうやら聞こえているみたいだな、そっちはどんな感じだ?)」

 

「(この能力、氣の消耗が激しい。 あまり長くは続けられん)」

 

「(なら一言だけ……こっちは予定通りに動く、良いな?)」

 

「(こちらも予定通り。 今の我は服部半蔵の居所を手に取るように探知できる。

 このまま追い詰めて捻り潰す)」

 

「(欲をかきすぎんなよ、時間稼ぎも別に良いんだ)」

 

「(案ずるな、我を誰だと思っている……ぐっ、限界か)」

 

ぶちっという、通話中に電話線が断裂したかのような軽い衝撃と不快感が九十郎の脳裏に走り、信虎の声は一切聞こえなくなった。

 

「九十郎さん」

 

「今、信虎の声が聞こえた。 句伝無量を掌握してるってよ」

 

「ここまではこちらの想定通りに動いていますね。

 想定通り過ぎて、むしろ薄気味の悪さを感じますが」

 

「奇遇だな、俺もだ……」

 

「……あの新田剣丞が、最後まで良いトコ無しで終わる筈が無い」

「……あの竹中半兵衛が、最後までこちらの想定通りに動く筈が無い」

 

九十郎と雫の見解が一致する。

 

九十郎は基本馬鹿だが、馬鹿でも馬鹿なりに新田剣丞の底知れぬ勝負強さを感じていた。

 

「どうする? 作戦を変えるか?」

 

「いえ、このまま畳み掛けます。 句伝無量が使えない時間を無駄にはできませんので」

 

「信虎が上手く服部半蔵を追い詰めてくれりゃ楽なんだがな」

 

「それが最上ですが、そこまでの戦果は期待できないと思います。

 むしろ小波さんを囮に信虎さんを討ち取る算段をしているかもしれません。

 あまり深追いはしないようにとは言っていますが……」

 

「なら、こっちも急いだ方が良いみたいだな」

 

「そうですね……愛菜さん!」

 

「ひゃいっ!!」

 

雫が隅っこで隠れていた愛菜に声をかけ、1冊のウス・異本……もとい、薄い本を投げ渡した。

 

「こ、これは……悪の戦争教本? ボリューム2?」

 

「ここから先は、愛菜さんが全体の指揮を執ってください。

 留意すべき点は可能な限りその本に書き留めておきましたので」

 

「うぇっ!? あ、いや……この越後きっての義侠人!

 樋口愛菜兼続にお任せあれ! なのですぞ!」

 

いきなりの大役に一瞬だけ怯んで戸惑うも……愛菜は天下人の顔面に泥を塗るどころかウンコすら投げつけれる程のクソ度胸でもって、すぐにいつものドヤ顔に戻る。

 

後日、そのクソ度胸が回りまわって比叡山をアカく燃え上がらせ、物理的にも炎上させるのであるが……それはまた別の話である。

 

「あの……何故『悪の』戦争教本と……」

 

やる気満々な愛菜を尻目に、空が至極まっとうなツッコミを入れる。

 

「表題を考えたのは九十郎さんです、私ではありません」

 

「ああ、それか? ただのゲン担ぎだよ、深い意味はねえ」

 

空と愛菜と雫は思った……どんなゲン担ぎだと。

 

なお、『悪の戦争教本』は、藤崎竜という漫画家が自身の作品の中で登場させた本であり、当然のように戦国時代の人間は誰も知らない。

 

胡散臭そうな目で悪の戦争教本を眺める空と愛菜を意図的に無視して、九十郎は雫をひょいっと持ち上げ、肩車のようにして担ぎ上げた。

 

「さて、それじゃあ俺達も動くとするか」

 

「はい、今から私達は2000万パワーズです!」

 

「この俺の1000万パワーと」

 

「私の1000万の知略……って、自分で言うとちょっと恥ずかしいですね」

 

「良いんだよ、これもゲン担ぎだ、ゲン担ぎ。

 とにかく、合わせて2000万パワーズ結成だ」

 

なお、2000万パワーズはキン肉マンという漫画に登場するタッグチームであり、宇宙超人タッグトーナメントの準決勝でヘル・ミッショネルズにブチのめされ、究極のタッグ編ではマッスルブラザーズ・ヌーボーに負けた2人を指す。

 

……むしろ縁起の悪い名前ではなかろうか。

 

「俺は、新田剣丞に勝つために」

 

「私は、竹中半兵衛殿に勝つために」

 

「一蓮托生、協力し合って行こうじゃねえか。

 正直俺は戦術とか苦手だからな、頼りにしてるぜ、黒田官兵衛」

 

「はい! 絶対に勝ちます! 必ず九十郎さんを勝たせて見せます!

 勝って九十郎さんこそが天下一と認めさせます」

 

「いや、天下一は剣丞だろ」

 

「それを言われると立つ瀬が無いのですが」

 

「剣丞は天下一としても、柘榴は渡せねえし、犬子も、美空も、粉雪だって渡せねえ。

 だから剣丞に勝つ、そして剣丞をブン殴って犬子を泣かした事を後悔させてやる」

 

「あれ、私は? 貞子さんは?」

 

九十郎も雫も、気合は十分であった。

しれっと自分と貞子の名前を抜かされてる事に気づいてしまったが、それはそれとして基本諦めの悪い雫は気合を入れ直した。

 

そして……

 

「最初の行先は?」

 

「まずは……こっちの道を真っすぐ!」

 

「了解! 捕まってろ!」

 

雫を肩車したまま、雫が指差した先へと、バッファローマンのような体格のマッチョが全力ダッシュで駆けだした。

 

新田剣丞と竹中半兵衛をブチのめし、全てに決着をつけるために。

 


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