戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と九十郎第7話『突然の死』

 

永禄元年、西暦換算で1558年、浮野の戦い勃発。

犬子はこれまでの鬱憤を、九十郎に対する微妙な心境を晴らすかの如く大暴れをし、『槍の又左衞門』と畏敬を籠めて呼ばれるに至る。

 

九十郎は戦が終わった直後に吐いたし震えたし漏らしたが、とりあえず戦闘中は殺人への忌避感を堪える事が出来た。

活躍? 居ないよりマシレベルでしたが何か?

 

そして……

 

「赤母衣衆キタ━━━ヽ(゚∀゚)ノ━(  ゚)ノ━ヽ(  )ノ━ヽ(∀゚ )ノ━ヽ(゚∀゚)ノ ━━━!!!!」

「赤母衣衆来たぁーーーっ!!」

 

少し大きく立派になった前田犬子利家の屋敷の前で、2人の少年少女が歓喜の雄叫びをあげた。

 

グルグルと回転しながらはしゃぎまわっている少年の名は九十郎……前の生では斎藤九十郎、今生ではただの九十郎。

少女の名は前田又左衛門利家・通称犬子。

この館の主人にして、つい先日新設された織田久遠信長直属の親衛隊、赤母衣衆に抜擢された者だ。

 

「しかも100貫も加増されたよ、凄いでしょ九十郎!!」

 

「ははは、御主人様の出世に俺も鼻高々だな」

 

加増により、犬子の知行は150貫になった。

単純計算で3倍もの収入増に、犬子も九十郎もホクホク顔だ。

 

しかしこの男、稲生の戦いが終わって以降ほぼ何もやっていない。

精々武具の手入れに屋敷の管理、炊事洗濯に家計簿と、ただの専業主夫と化していた。

それでも犬子が出世した事による恩恵はしっかり受け取る気である辺り、相当なクズ男と言えよう。

 

「はっはっはっはっ、もっと犬子を褒め称えるが良いー!」

 

「凄いぞ強いぞカッコイイ! 天下無双の槍又左!」

 

そんな九十郎の思惑に気づきもせず、犬子はたわわに実ったおっぱ……もとい、胸を張る。

身長の伸びは止まったものの、女性らしい部分の成長著しい少女の姿に、九十郎が悶々とした気分になったのは一度や二度では無い。

 

指摘しても本人は頑なに否定するだろうが、この男は巨乳好きで、物静かな文学系少女より、エネルギッシュな体育会系の女性を好む。

前田犬子利家は九十郎の好みのタイプであった。

しかしこの男、上司を強姦して処刑とか洒落にならんだろ……という理由で必死こいて我慢して、時折久遠や壬月のあられもない姿を妄想して発散いるのだ。

 

なお後日、九十郎は愛する嫁達をオナネタにされていると知った剣丞に殴られ、美空に股間を蹴り上げられ、光璃に風林火山を叩き込まれ、犬子に頭を齧られる。

自業自得である。

 

実際の所、今この瞬間に犬子を押し倒したとしても強姦にはならないのであるが、九十郎がそれに気づくのはもう少し後の話である。

 

あの前田利家が……加賀百万石、槍の又左衛門、歴史に名を残すような優れた英雄が、自分如き屑を好きになる筈が無い……この男は心のどこかでそう思っている。

基本的に楽観的で能天気な男であったが、対女性関係については割と悲観的でマイナス志向なのだ。

 

「……でも正直、あんなクソ目立つ格好で戦場に行きたくねぇよなあ」

 

九十郎の視線の先には、犬子が久遠から贈られた全身真っ赤な当世具足、そして巨大な赤提灯モドキ……赤母衣と呼ばれる旗指物があった。

自分が着る訳では無いが、着ろと言われたら辞退したいデザインであった。

 

「何を言ってるのさ九十郎、目立つために着るんだよ。

 目立たなきゃ武功をたてても誰も覚えていてもらえないじゃない」

 

「それは知ってるけどなぁ……」

 

母衣が大将側近の近習や使番だけが着用を許される名誉の装飾具である事は理解している。

しかし、九十郎は名を売るために戦っているのではなく、犬子が死ぬ可能性を減らし、場合によっては恩を売るために戦っているのだ。

目立たずしぶとく泥臭く生き残る上で、全身真っ赤な戦装束は邪魔にしかならない。

 

九十郎はシャア・アズナブルでもジョニー・ライデンでもないし、そうなりたいとも思っていないのだ。

 

「やはりこれからの時代はギリースーツだぞ、犬子。

 見ろ、このこれでもかってくらいの隠密性を。

 街中で着るとむしろ目立つし、夏場に着るとクソ熱いのが難点だがな……」

 

そう言うと九十郎は物置の奥からお手製のギリースーツを取り出した。

この男、日々の作業の合間に何か作る事が半ば趣味となっている。

 

「皆が鎧着てる中で1人だけこんなの着こんでいたら、逆に目立ちそうだね」

 

戦国時代に紛れ込んだモリゾー的物体を想像し……見る者を恐怖させるか笑い転げさせるかはともかく、相手の戦意を喪失させるのには役に立つかもしれないと、九十郎は思った。

ちなみに九十郎は笑い転げる方だ。

 

「ははは、誰がこんなモジャモジャ着て正面突撃するんだ。

 これはあくまで単独行動用の装備だよ」

 

後日、光璃はギリースーツ狙撃銃部隊『夢がライフリング隊』なるものを組織するのだが、全く目立てない恰好、目立てない戦法であるが故に家臣からの評判は芳しくなかった。

けらけらと笑い転げながら喜んだのは武藤一二三昌幸位である。

 

「まあ何にせよ、今夜はお祝いだね」

 

「応とも、今夜はパーティだ、サタデーナイトフィーバーだ」

 

「言葉の意味は分からないけど、とにかくお祝いだぁーっ!」

 

犬子の尻尾飾りがパタパタと喜び、飛び跳ねる。

ちなみにお祝い用の料理を用意するのも九十郎の役割だ。

 

料理の評判はかなり良い。

フェルディナント・マゼランの世界一周話に比べ、何倍も何十倍も喜ばれる。

その事に気づいた瞬間、九十郎は『解せぬ』と悔しそうに呟くのだが。

 

「ああ、そうだ九十郎、今日はひよ子も呼んで良いかな」

 

「え、あいつ呼ぶのか」

 

犬子の提案に、九十郎は露骨に嫌な顔をする。

 

この男の中で、木下藤吉郎秀吉……通称ひよ子の評価は高くない。

孫仲謀と同レベルの晩年って事は、外征に出る度に負けて国力擦り減らすとか、疑心暗鬼になって功臣や世継ぎ候補を次々と処刑するとか、そういう事だろう。

桑原桑原、関わり合いになりたくないね……とか考えている。

おまけに貧乳、巨乳好きの九十郎としてはかなりのマイナスポイントだ。

 

必要に応じて土下座もするし、靴も舐めようとは思っているが、自分から積極的に交友しようとは思えないのだ……下手に仲良くなると後が怖いので。

 

「良いじゃない、ほらこの間、ひよ子も久遠様の轡取りに昇格したし、

 そのお祝いも兼てって事にしてさ」

 

「分かった分かった、今日のメシは3人分な。 となると一回買い出しにでないとな……」

 

ただしこの男、主君に逆らうだけの度胸は無い。

地味にヘタレであった。

 

「ひよ子~! 聞こえる~! 今日はお祝いするから一緒においで~!」

 

「ひよ子―っ! メシ奢ってやるから買い物付き合えーっ!」

 

2人で呼びかける。

ひよ子は前田利家の屋敷のお隣に住んでいるので、在宅中ならば直接声をかけれるのだ。

 

それにしても、後の関白にこんな口を叩けるのはこの男ぐらいである。

 

「はいは~い、今行きま~す」

 

そんな声が隣から聞こえてくると、ひらりと軽い身のこなしで、1人の少女が屋敷と屋敷を隔てる塀を飛び越えてくる。

 

笹食ってる場合じゃねえ……と、九十郎は心の中で呟いた。

本人に言うとぷりぷりと怒り出すが、ひよ子の挙動は猿のようであった。

 

「ひよ子、犬子は今日から赤母衣衆だよ」

 

「おめでとうございます、犬子さん。

 私も先日、念願かなって久遠様の轡取りに任じられまして」

 

「知ってるよ、おめでとうひよ子」

 

犬子とひよ子が抱き合いながら互いの出世を寿合う。

 

この2人、理由は不明だが割と気の合う友人同士だ……たぶん久遠の無茶振りを聞き続けた苦労人同士の共感故なんだろうなと、九十郎は非常に失礼な事を考えた。

 

「犬に猿……と……」

 

犬猿の中という諺を九十郎は知っているが、少なくとも犬子とひよ子には当てはまってはいない様子だ。

 

九十郎は前の生で出会った『桃太郎』の異名を持つ女性を思い浮かべる……金棒を振り回してバスをバラバラに粉砕できる危険人物だが、不思議と周りから慕われていた。

おまけに九十郎好みの豊満おっぱいでもあった。

 

それがある日突然、転校生に掻っ攫われ……心臓がズキリと痛んだので九十郎は考えるのをやめた。

 

「鬼退治桃太郎先輩ときて、犬と猿……この先、雉と鬼でも出てくるんじゃないかねえ……」

 

後の関白を見ながらこんな失礼な事を考えられるのもこの男ぐらいである。

天罰とでも言うべきか、この男は後日鬼に襲われて死にかける。

 

「九十郎さん、今凄く酷い事を考えませんでした?」

 

「カンガエテナイヨー」

 

咄嗟に誤魔化そうとしたが、九十郎は嘘が苦手なタイプであったし、ひよ子は僅かな仕草から他人の感情を読み解くのが得意な方だ。

 

「九十郎さん、ひっどいですよ~!」

 

案の定と言うべきか、ひよ子はぷりぷりと怒りだした。

何に対して怒っているのかひよ子自身も分かっていないが、世の中には知らない方が幸せな事もある……特に九十郎の真っ黒い腹の中身は。

 

「ははは、今日は奮発するから今すぐ許せよ」

 

「食べ物で釣られると思ったら大間違いですからね!」

 

「ははは、タダ飯と聞くと千里の道をも踏破しかねん、ちゃっかり娘が何を言うか」

 

「失礼な、生活の知恵と言ってください」

 

後の関白にこんな口を叩けるのはこの男ぐらいである。

 

「一発屋には流石に負けるだろうが、それなりの物は食べさせるよ。

 荷物持ちと値引き交渉は頼んだぞ」

 

自分は筋肉隆々のくせして、少女に荷物持ちをさせようとする男がいた。

 

「九十郎、お酒もよろしくね。 今日は犬子、ガンガン呑むからさ」

 

「ははは、酔い潰れた後の介抱も含めて承知したよ御主人。

 ビール……は、この間全部飲んじまってたよな。 ひよ子、最初に酒屋に行くか」

 

「はい、分かりました」

 

舌先三寸で丸め込むのはひよ子の得意分野だが、後の関白にこんな事をさせようとするのはこの男くらいである。

 

そしてこの男、仕事の合間にビールやシャンパンを醸造している。

麦はともかく、ホップは手に入らないので味はイマイチだと九十郎は考えていたが、少なくとも犬子とひよ子からは好評だ。

 

「確か土蔵で作っていたチーズがそろそろ食べ頃だったよな。

 前に作ったパン粉の残量もあるから……

 よし2人とも、今日はハンバーグにするぞ、チーズ入りのやつだ」

 

「ちぃず入りはんばぁぐ!!」

「チーズ入りハンバーグですかぁっ!?」

 

途端に、犬子とひよ子の瞳が爛々と輝きだす。

安い端肉を使っているのに味は極上と、2人からチーズ入りハンバーグは大好評なのだ。

 

なお、九十郎は気づいていないが、ハンバーグは18世紀頃のハンブルグで生まれた料理であり、未来の料理である。

 

「と言う訳でひよ子、ネギと端肉、後は適当な葉菜を調達するぞ」

 

「はい! もう今日は張り切っちゃいますからね!」

 

「九十郎! 御飯を炊くのは犬子がやっとくから、早く帰ってきてね!」

 

「ははは、うちの御主人様は俺達に山盛りのオコゲを馳走したいらしいな」

 

「昔の話を持ち出さないでよ! 同じ失敗を何度も繰り返す犬子じゃないってば!」

 

「おいひよ子、うちの御主人様がまともに飯を炊けているか賭けようぜ」

 

自分の主の失敗をネタに小銭を儲けようとする男、その名は九十郎である。

 

「水が多すぎてお粥になる方に30文」

 

「そう来たか、ならば俺はオコゲと白米の割合が5:5に30文といこう」

 

「九十郎っ! ひよ子ぉっ!」

 

顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らす犬子を尻目に、九十郎とひよ子は財布と買い物籠を手に走り出す。

 

基本楽天的な九十郎は今後の自分と犬子は安泰であると信じ切っていた。

もう少し犬子が出世したら、こっちでも道場建てようかな~、等と能天気な事も考えていた。

その内手痛いしっぺ返しが飛んで来るなんて思いもせずに……

 

なお、その日の夜30文がひよ子の懐に収まった。

 

……

 

…………

 

………………

 

永禄2年、西暦換算で1559年……織田久遠信長の居城・清洲城内を、げんなりとした表情進む1人の少女が居た。

 

「はぁ……働けど働けど減らぬ仕事……むしろどんどん増えていく……」

 

少女の名は佐々成政、通称は和奏。

尾張国春日井郡比良城の城主・佐々成宗の娘、そして稲生の戦いで討ち死にした佐々孫介の妹。

九十郎の琴線にぴくりとも触れない貧乳娘である。

 

そして後の桶狭間の戦で姉、佐々政次を喪い、急遽佐々家の家督を継ぎ、比良城の主となってしまう不幸な人である。

しかも織田久遠信長直属の親衛隊、黒母衣衆に抜擢されるというオマケ付きだ。

 

「そりゃあ、一日でも早く一人前の武士になりたいって毎日言ってたけど、

 よりにもよってこんな形で実現する事はねえじゃんかよ……」

 

稲生の戦いの翌日、生首になって戻ってきた姉・佐々孫介の姿を思い浮かべ、和奏は一人涙を浮かべる。

孫介は桶狭間で戦死する佐々政次と共に、三河の支配権を巡る織田家と今川・松平連合との戦い『小豆坂の戦い』で武功をたて、小豆坂七本槍と畏れられた勇将であった。

 

そんな優れた姉の代わりが自分に務まるのだろうかと、うつけ者、激情家で知られる織田久遠信長に仕えて大丈夫なのかと……和奏は不安だったのだ。

 

「大丈夫大丈夫、何か粗相をしても雛がちゃ~んと尻拭いをするからさぁ」

 

「わひゃうぅっ!?」

 

音も無く背後数cmに立っていた少女に驚き、和奏は天井に頭をぶつけんばかりの勢いで飛び上がる。

少女の名は滝川雛一益、悪戯好きで有名な織田の若武者であり、九十郎が鼻で笑うレベルのつるぺたである。

 

「いきなり音も無く背後に立つなよ! びっくりするだろっ!」

 

「びっくりさせたいから立つんだよ。 それより和奏ちん久しぶりだね、元気だった?」

 

「喪に服す余裕も泣いてる暇も無い位に忙しいよ、そっちは?」

 

「極秘任務かな~。 御家流の連続使用記録に挑んだり、今川の忍者に追いかけ回されたり、

 いやぁ本当に大変だったよ。 久遠様に時間外労働手当請求したい位」

 

そんな事を言ってはいるが、久遠は十分すぎる程に高額な特別報酬を雛に支払っている。

 

明らかに格上の存在である今川義元を返り討ちにし、上洛を頓挫させるべく、織田久遠信長と武田光璃晴信が考え出した決死の策『邪風発迷』。

それは成功すれば義元が死に、しくじれば久遠と光璃が死ぬ、命を賭けた半丁博打……その一端を雛は担っていたのだ。

 

「そっちも大変みたいなんだな。 ボクはボクで姉ちゃんが討ち死に、

 急に権限と責任が増えてあっちに行ったりこっちに行ったり……

 本当に悲しむ暇もありゃしなかったよ」

 

なお、桶狭間で政次が死亡した後は、その権限と責任は一気に10倍以上になる。

和奏は相次ぐ姉との死別を悲しむ間も無く仕事漬けになるのだが……それは別の話である。

 

「まぁ~ウチは何かと戦力不足の人材不足だからねぇ。

 そろそろ今川が上洛する気配があるし、若いとか経験不足とか言ってられない訳だよ。

 ちょっとでも芽がありそうな人が居たらドシドシ出世させる方針だから、

 和奏ちんも頑張ろう」

 

「あれだけ身内と殺し合い続けてたら嫌でも人材不足になるだろうって話だろ。

 姉ちゃんだって……それであんな事に……」

 

「う~ん、身内での戦いはこの間の戦いでもうおしまいだと思うけど。

 もう尾張は久遠様一色で大体固まってるし……

 ああでも、今川の調略がどの位進んでるかは気になる所かな」

 

久遠の母・織田信秀の急死から延々と続いた身内同士の殺し合いの背景に、今川による調略があった事はある程度まで調べがついている。

雛は今日まで忙しなく飛び回っていたため、その辺りに関与していないが……海道一の弓取りとまで畏れられている今川義元が、

上洛という大一番で調略の手を緩めるなんて事は、まずありえない話であった。

 

「何にせよお互い大変ですな、和奏さんや」

 

「そうですなぁ、雛さんや」

 

そこに一人の少女が何やら楽しそうにスキップしながらやって来た。

 

「おや雛殿に和奏殿」

 

この少女の名は拾阿弥、織田家で召し抱えている同朋衆……武将の側近として仕える僧であり織田久遠信長のお気に入りの茶坊主、数分後に犬子に斬られて死ぬ運命にある人である。

 

「うげ、拾阿弥か……」

 

正直な所、和奏は拾阿弥が好きではなかった。

拾阿弥は口が悪い上に悪知恵が働き、プライドが高くて他人を妬む性格で、本人が居ない所で陰口を叩くのが趣味の少女だ。

 

いずれその性格が災いして問題を起こすんじゃなかろうかと思っていた。

 

「おや拾阿弥ちゃん、楽しそうだね~。 何か良い事あった?」

 

対して、雛は拾阿弥を嫌ってはいない。

雛も拾阿弥も生来の悪戯好きで、時折自分がしでかした事を自慢し合う仲なのだ。

 

「ええ、ええ、それはもうっ! ここ数日は珍しく久遠様の機嫌が宜しく、

 それに個人的にとても面白い見世物が見れましたので」

 

「見世物……?」

「見世物……?」

 

和奏はまた悪趣味な悪戯をやらかしたんだろうなと考えながら、雛は悪戯好きとしての好奇心で聞き返す。

 

「じゃぁ~ん! どうですかこの笄!」

 

「笄……あれ? それって犬子がいっつも持ち歩いてる笄じゃないか?

 なんで拾阿弥が持って……と言うか、それのどこが面白いんだ?」

 

「いえねぇ、用事でもあったか厠にでも行ってたか、

 溜まり間に犬子殿の刀がぽつ~んと置いてありまして。

 それでこの拾阿弥めの悪戯心が騒いだのですよ……

 この笄を隠したらあのイヌっころがどれだけ滑稽に踊り狂うかと」

 

その言葉を聞いた瞬間、雛の胸中で半鐘が大音量で鳴り響く。

雛の直感が危機的状況を察知したのだ。

 

拾阿弥は知らなかった、悪戯というものは、見た目程簡単ではない事を。

怒らせてはいけない人物を怒らせれば、嗤ってはいけないものを嗤えば、壊してはいけないものを壊せば、逃げなければならない場所で進み、謝らなければならない場所で挑発すれば……命が軽い戦国時代だ、あっさりと死ぬ。

 

笑って済ませられる悪戯をするためには、その辺りの見極め、換言すればエアリーディング能力が不可欠なのだ。

 

雛はその辺りをキッチリと見極めながら悪戯をしている。

雛は引き際を見誤らない、止め時を見誤らない。

その努力と慧眼はあまりにも鮮やかで……鮮やか過ぎて拾阿弥の目に拾えぬものだったのだ。

 

「拾阿弥ちゃ~ん、ちょっと雛、お話が……」

 

雛は飄々とした態度を崩さず、何でもない立ち話のような軽さでそれを指摘しようとした。

 

それが悪かった。

雛の危機感は全く拾阿弥に伝わらなかった。

 

「そこから先がもう可笑しくて可笑しくて! 城中の箪笥やつづらをひっくり返すわ、

 御堀や茂みに飛び込んで泥まみれ葉っぱまみれになるわ、

 近くを歩いていた下人を締め上げるわ、

 挙句の果てに厠や馬小屋に落としたのかもとか叫んで……なぁんと全身糞塗れぇっ!

 いやぁ、たかが笄一つでこんな大騒ぎになるなんて、楽しいですなぁ!」

 

「いや全然楽しくないし笑えないよ」

 

和奏が冷ややかな視線を拾阿弥に浴びせる。

一歩間違えたら刃傷沙汰になるんじゃないか、巻き込まれたくないなぁ……なんて事を考えていた。

 

「しかも天井裏にあったなんて教えたら真に受けて!

 あの娘清洲城の天井裏を駆け回って、埃まみれの蜘蛛の巣まみれ、

 おまけに屋敷の警護をしていた者達が曲者と叫んで大騒ぎに!

 いやぁこの拾阿弥、久しぶりに腹を抱えて大笑いしましたとも!

 天井裏で見たなんて嘘、少し考えればすぐにおかしいと分かるでしょうに!

 あの知恵足らずのイヌっころはこれだから滑稽です!」

 

拾阿弥はどんどんヒートアップして犬子を嘲笑う。

 

普段は本格的に道を踏み外す前に拾阿弥のフォローに回っていた雛であるが、ここ最近は『邪風発迷』の策の下準備のため長く尾張から離れていたため、拾阿弥の悪戯が際限無くエスカレートしてしまっていたのだ。

 

「うん、その後返り血で真っ赤に染まるんじゃないかなぁ。 拾阿弥ちゃんの血で……」

 

こりゃあバレたらアバラの5~6本じゃ済まないかなぁ……そう心の中でため息をつきつつ、雛は頭をフル回転させ、どう穏便に話を終わらせるかを考え始める。

 

しかし……

 

「……あ」

「……やばぁ」

 

雛と和奏が同時に息を呑み、瞳を見開く。

2人の視界に入ってきた人物に、拾阿弥は気づかない。

 

刺すような視線、怖気を感じるような殺意に、雛と和奏が同時に身を縮める。

2人が感じ取ったものに、拾阿弥は気づかない。

 

雛と和奏は、たった今拾阿弥が自慢げに語っていた内容を、一言一句たりとも聞き逃さなかったのだろうなと思ったが、そんな2人の心境すらも拾阿弥は気づかない。

 

「な、なぁっ! やっぱそういうの良くないって! 今すぐ返して謝った方が良いぞ!」

 

「ひ、雛も和奏ちんに賛成かな~、やっぱり世の中笑えない悪戯もあるものだし~」

 

「何を言っているんですか、あの臆病者のイヌっころにはお似合いではないですか!

 知っていますか、あいつ貧農の子に御守りをしてもらわないと、

 戦場にも行けない腰抜けなんですよ。 この笄だってそいつから頂いた物だとか……

 こぉんな安物の笄を後生大事にするなんて、底が知れますねぇ!」

 

……殺意が強まった。

 

『臆病者』という言葉は、戦場で生きる武人にとってかなり強烈な侮辱である。

少なくとも過去に一度も従軍した事の無い拾阿弥が口にして良い言葉ではなかろう。

 

「……なぁ、雛」

 

「何かな和奏ちん」

 

「ボクもう逃げて良いかな? いや逃げても良いよな?」

 

「和奏ちんは薄情だね、古馴染みの拾阿弥ちゃんを見殺しにするなんて」

 

「久遠様のために命を張るならともかく、拾阿弥のために命を賭けたくない」

 

「奇遇だねぇ、雛もそうだよ」

 

「……お二方、さっきから何をごそごそと相談しているのですか?

 ここからがこの話の面白い所だというのに」

 

「拾阿弥、後ろ見ろ」

「拾阿弥ちゃん、後ろ後ろ」

 

「へ……?」

 

2人に促され、拾阿弥がゆっくりと振り返る。

そこには……

 

 

 

 

 

そこには全身煤まみれ、埃まみれ、泥水まみれ、葉っぱまみれ、蜘蛛の巣まみれの前田犬子利家がにこにこと笑いながら佇んでいた。

一晩中一睡もせずに駆け回っていたためか、唇は紫色になっており、目の下にはドス黒い隈ができていた。

茂みや馬小屋にまで飛び込んでいったためか、所々に切り傷や擦り傷があり、背中には馬に蹴られた痕さえあった。

口元は笑っていたが……目は座っていた、血走っていた。

 

 

 

 

 

次の瞬間、雛と和奏は気づいた。

拾阿弥はたった今、虎の尾を踏んだのだと。

 

拾阿弥はこう思った。

織田久遠信長の同朋衆である自分を、保護者同伴でないと戦場に立つ事すらできないイヌっころなんぞに斬れる筈がないと。

 

「拾阿弥、笄返せ」

 

犬子はにこやかに笑いながら……雛と和奏が本気で死を覚悟する程の笑みを浮かべながら、短くそう告げた。

 

今すぐ素直に返したら、何も聞かなかった事にしてやる……それは犬子にとって最大限の譲歩であり、同時に最後通告でもあった。

 

「他人にものを頼むのなら、それなりの態度があるでしょうに。

 臆病者のイヌっころは……お願いしますが抜けていますよ、犬子殿」

 

お願いだから素直に返してくれと全力で祈っていた雛と和奏の希望に反して、心のどこかで素直に返してくれるなと願っていた犬子の希望の通りに、拾阿弥は最後通告を蹴った。

 

……次の瞬間、犬子は太刀を抜いた。

 

「ひぃっ!!」

 

瞬時に拾阿弥は腰を抜かす。

戦場に立った経験の無い少女が、本気の殺意を向けられた際に見せる反応としては良くある光景だ。

 

「その笄は、証なんだ」

 

「証ぃ? 何の証だと言うのですか? こんな安っぽくて小汚い笄が」

 

なけなしの勇気……あるいはちっぽけな自尊心を振り絞って拾阿弥は反論しようとする。

 

「九十郎が命を賭けた証、命懸けで戦って、勝ち取って来た証、

 そんな大事な物を犬子に預けてくれたんだ……だからっ!!」

 

犬子の太刀が、拾阿弥の喉元に突きつけられる。

過去に10を越える人間の首を掻き取ってきた、血塗られた刃だ。

 

「それを横から掻っ攫うつもりなら……拾阿弥にも命を賭けてもらう」

 

犬子の鋭い視線から、溢れんばかりの殺意が迸る。

 

萱津の戦い、稲生の戦い、浮野の戦いにおいて、常に一番の激戦区に飛び込んでいった前田犬子利家……槍の又左衛門と、客人に茶を点てるのがお仕事で、武術を知らず、戦場に立った事も無い拾阿弥とでは役者が違う。

 

本気で殺す気だ……和奏も、雛も、そして拾阿弥も、本能的に確信した。

 

「お、おい犬子……流石に笄一つ盗られた位で斬るのは……」

 

「じゅ、拾阿弥ちゃん……雛は、今すぐ土下座して謝った方が良いと思うなぁ……」

 

和奏は犬子に、雛は拾阿弥を説得し、どうにかこうにか穏便に事を納めようとする。

後日、引き際を見誤らない事で有名になる少女、滝川一益の読みは正しい。

もしここで拾阿弥が笄を返還し、すみませんでしたと言いながら頭を下げていれば、2~3発殴られ、顔面に青痣を作る程度で事は納まっていたであろう。

 

「わ、私は悪くないですよ……」

 

青褪めた顔で、今にも腰を抜かしそうな程に震える膝で、拾阿弥はそう言い返す。

次の瞬間、犬子の殺意が何倍にも膨れ上がり、雛の脳裏に最悪の事態が浮かび上がる。

 

「拾阿弥ちゃん意地張ってる場合じゃないって! 早く謝って!!」

 

「ふ、ふんっ!! 暇さえあれば貧農の子に尻尾を振って!

 毎回毎回守ってもらってるワンちゃんに怒っても怖くないですよ!

 こんな貧乏臭い笄を後生大事に持ち歩いて! ああ気色悪い気色悪い!!」

 

ああ、もう土下座して命乞いをしても許してくれないな……と、雛は直感した。

後に引き際を見誤らない事で有名になる少女の読みは、今度も当たっている。

故に……

 

「殺す」

 

「ひいいいぃぃぃっ!!」

 

故に犬子は深く静かにブチ切れ、拾阿弥は脱兎の如く逃げ出した。

 

……

 

…………

 

………………

 

織田久遠信長は茶室で一人、茶を点てていた。

最近、茶の湯に嵌りだしたのだ。

 

「平和だな……」

 

久遠の心は安らいでいた。

母信秀の急死、傅役の平手政秀の切腹、妹殺し、そして今川の躍進……これまで片時たりとも安らぐ事の無かった久遠の心が、珍しく安らいでいた。

 

今川義元を返り討ちにするための策『邪風発迷』は徐々に……だが確実に形になりつつある。

100%死ぬバンザイアタックが、1割くらいなら成功の目がある大博打になっただけだが、久遠にとっては大きな大きな希望である。

 

かつては下手くそだった茶の点て方も、少しは見れるようになってきた。

今まで一人でコソコソと練習を続けてきたが、嫁の結菜になら披露できそうだ。

 

そんな中で……どかぁんっ!! と襖を蹴り破り、蒼褪め、冷や汗をかき、血相を変えた茶坊主の拾阿弥がそこに飛び込んで来た訳だ。

久遠は泣いても良いだろう。

 

「く、久遠様助けてください! あのワンちゃん何もしてないのに急に怒って!!」

 

大嘘である。

しかし事情が全く分からない久遠には、そして基本的に身内には甘い久遠には、自分のお気に入りの同朋衆である拾阿弥の嘘を見抜けない。

 

「な、何事か騒々しい!」

 

こんな突然の出来事に対し、久遠は全く驚く事無く、動揺する事も無くすっくと立ちあがる。

この少女、突然の不幸にはもう慣れてしまっているのだ。

 

「前田犬子利家ですよ!

 大事な笄を盗ったとか盗らないとか因縁をつけて、刀もって襲ってきたんですよ!!」

 

「な、犬子がか!?」

 

拾阿弥がさらに言い訳をしようとするも、さらなる乱入者……完全に頭に血が上っている犬子が文字通り飛び込んで来て、寂れた茶室内は途端に剣呑とした空気に包まれる。

 

「貴様何をやっているのだ前田犬子利家ぇっ!

 城内での抜刀はともかく理由を言えいっ!!」

 

即座にこの反応ができた久遠は褒められても良いだろう。

だがしかし、犬子は既に他人の話を聞ける状態ではなくなっていた。

 

「処罰は覚悟の上、斬首でも切腹でも甘んじて受け入れます……だけどそいつだけは!!」

 

犬子は太刀を振り上げる。

拾阿弥はひぃっと小さな悲鳴をあげて全力で後ずさるも、狭い室内では後退もままならない。

 

「ま、待て犬子! この諍いは久遠信長が預かる! 剣を納めよ!」

 

咄嗟に久遠はそう叫び、直後……

 

「死ねっ!!」

 

……直後、犬子の剣が煌めき、血飛沫と共に拾阿弥の首が宙に舞った。

 

幼少の頃より武芸を磨き、幾度かの修羅場を潜り抜けた武人の剣は、意図も容易く久遠お気に入りの茶坊主の首を斬り落としたのだ。

 

「あ……拾……阿弥……?」

 

呆然と口を開け、縁側に転がる生首と胴体を眺める……

 

久遠の身内が何の前触れも無く突然死ぬのはいつもの事だ。

基本的に情が深い久遠にとって、別離の痛みと悲しみは何度経験しても慣れる事はできなかった。

 

この日、心の中で久遠は叫んだ『どうしてこうなったぁっ!!』と。

久遠は泣いても良いだろう。

 

同じ頃、九十郎はセコセコと脇差をスペツナズ・ナイフに改造していた。

 


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