「やめろ美空っ! やめてくれっ!!」
そんな叫び声が聞こえてきて、美空の左手は途中で止まった。
美空にはその声の主が誰か一瞬で分かった。
一瞬で分かったからこそ、戸惑うのだ。
「九十……郎……? な、なんで貴方が……?」
美空の目の前に、土下座するマッチョがいた。
美空と剣丞の間に割って入り、手を広げて立ちはだかる雫のすぐ隣で何度も何度も土下座を繰り返す斎藤九十郎がいた。
「頼む美空、俺はどうなっても構わない。
だから頼む、剣丞を殺さないで、剣丞だけは殺さないでくれ。 頼む美空、頼むから……」
「何言ってるのよ……何を言ってるのよぉっ!!
そいつに何をされたのか分かっているのっ!?」
美空は九十郎に掴みかかる。
無理矢理頭を上げさせられてもなお、九十郎は言葉を止めない。
「もう二度と勝手な事は言わない! 美空の言う事を何でも聞く!
どんな事でも必ず従う! 俺に差し出せる物なら何でも差し出す!
流石に命は勘弁だが、他のものなら何でもだ!
だから頼む……頼むよ美空、剣丞だけは助けてくれ」
九十郎は美空に懇願する。
情けなく情けなく懇願する。
「九十郎……なんで……?」
そんな九十郎の姿を、剣丞は茫然と眺めている。
殴られると思った、殴られても仕方がない事をしたと思った。
だけど九十郎は剣丞を殴らなかった。
殺されるかもと思った、実際に美空が殺しに来た。
どうすれば良いか分からなくなった剣丞を助けたのは、一葉と九十郎だった。
今回の騒動に全然関係が無い一葉と、今回の騒動で一番怒っている筈の九十郎だった。
一葉は命懸けで美空との間に割って入り、ワザと犬子を口汚く罵り、ワザと美空を怒らせて、買わなくても良い恨みを買った。
そして九十郎は剣丞の命を守るために、美空の目の前で土下座をしていた。
「なんで……何でよっ! 答えなさい九十郎!
何でも言う事を聞くなら答えなさい!
何で貴方はそうまでして剣丞を助けようとするのっ!?」
「剣丞は主人公なんだっ!!」
九十郎は少しも迷わずに叫んだ。
一瞬の迷いも無く、それが彼にとって疑いようの無い真理だとでも言うかのように。
「剣丞は主人公だ! 俺みたいな屑とは違う!
俺と違って価値のある男で、生きていなけりゃいけない奴なんだよっ!!」
「……また……また、それ?」
だがそれは、美空をさらにさらに苛立たせる言葉であった。
「二言目には主人公! 主人公っ!! 主人公ぉっ!!
貴方がそう言うのは侮辱だって事分かっているのっ!?」
「侮辱……? 正当な評価だろ……」
九十郎はキョトンとした様子でそう聞き返す。
美空には分かった、九十郎は本気で、心の底から自分を屑だと思っているのだと。
「それが侮辱だって言ってるのよ!」
「剣丞は主人公なんだ。 俺みたいな屑とは違う、主人公なんだ。
だから駄目だ、こんなくだらない事で死んじゃいけない奴なんだ」
「くだらないっ!? 犬子が犯されるのがくだらないって言うの!?」
「俺みたいな屑が前田利家と結ばれるのがそもそも間違いだったんだよっ!!」
そんな九十郎の叫びを聞いた瞬間、美空は全身から力が抜けていくのを感じた。
まるで魂が抜けて、全身の体温が凍り、心臓すらも止まったかのように感じた。
「ふざけないでっ!!」
美空はついに手にした刀を九十郎の喉元に突き付けた。
「ふざけないで! ふざけないでよっ!!
貴方が剣丞を主人公って言う度に私達がどんな思いをするか分かってるの!?」
「知らねえよそんな事! 事実を言って何が悪い!」
「私は貴方が好きなのよっ!!」
美空は叫んだ。
その場にいる全員の耳にしっかりはっきり聞こえるような声量で叫んだ。
そのあまりにも唐突な愛の告白により、辺りがシーンと静まり返った。
「……何の冗談だ?」
しかし九十郎には届かない。
新田剣丞のようなイケメンの主人公ならばともかく、自分のような屑に上杉謙信のような歴史上の偉人が惚れる筈が無いと思い込んでいた。
「これは……もしかして……」
そんな九十郎の言葉と態度を見て、雫は思った、
もしかしてさっき思いついた突拍子の無い仮説は正しいのではないかと。
もしかしたら九十郎は、自分達を本気で歴史上の人物だと思っているのではと思った。
「冗談じゃないわ! 私は貴方が好きよ! 上杉謙信は斎藤九十郎の事が好きなの!
惚れてしまって! 好きで好きで仕方が無くてぇっ!!
今すぐ貴方に抱きしめられたいと思ってる! 好きだと言われたい!
抱かれたい! 貴方との子を成したい!
そして何より、貴方とキスがしたいのよっ!!」
「やめろ……やめろ美空……惨めになるだろ……」
「何が惨めよ!?」
「やめろと言っているだろう! 変な同情しやがって!」
「同情じゃない! 私の九十郎に対する好きは、断じて断じて同情なんかじゃないわ!」
「お前だってどうせ! 剣丞惹かれるんだろ!
どうせお前だって剣丞が好きになって! 俺みたいな屑は捨てられるんだ!」
「そんな事しないわ! 絶対にしない!」
「長谷河も! 遠山もそうだったんだ!」
「誰よそれ!? 知ったこっちゃないわそんな話!」
「犬子だってそうだっただろうっ!!」
再び周囲がシーンと静まり返る。惚れた女が他の男に抱かれる光景を二度も目撃した九十郎にとって、今叫んだ事は絶対の真理であった。
だがしかし、そんな九十郎の真理は、ただの思い込みに過ぎないと美空は思った。
だから……
「私は断じて新田剣丞に惚れたりなんかしないわ!」
美空は高らかに宣言する。
だがしかし、その発言は別世界の美空に深々と突き刺さるブーメランである。
「あんな顔が良いだけの優男なんかに惚れるなんて絶対にありえない!」
美空は高らかに宣言する。
だがしかし、その発言は剣丞の嫁になり、所構わずイチャつき続けている別世界の美空に深々と突き刺さるブーメランである。
「信じなさい九十郎! 私は決して貴方以外の男には靡かない!
犬子もそう、柘榴だってそうよ! 皆貴方が好きで、貴方が良いって思っているの!」
美空は高らかに宣言する。
だがしかし、新田剣丞が戦国時代にやってくる世界では、ほぼ確実に犬子も柘榴も美空も剣丞に惚れて、剣丞の嫁になっている。
今度のブーメランは、犬子と柘榴と美空に同時に突き刺さる特大ブーメランであった。
ブーメラン投げ大会であろうか。
「あたいだってそうだぁっ!!」
直後、騒ぎを聞きつけて集まって来ていた野次馬共をかき分けながら、
霧雨魔理沙っぽい三角帽を被った少女が駆け寄ってきた。
「あたいだってそうだ! あたいだって九十郎に惚れたんだ!
あの時……もう駄目だって思ったあの瞬間に、
助けに来てくれた九十郎が好きになったんだ!」
そして自称霧雨魔理沙、本名山県昌景、通称粉雪は大きな声でそう叫びだした。
この日集まった将兵や野次馬達の中には、武田の勇将山県昌景の顔を知っている者もおり、群衆にどよめきが起きる。
「あたいが惚れたのは九十郎だ! 新田剣丞じゃねえ! 新田剣丞じゃねえんだぜっ!!」
衆人環視の中で、粉雪は高らかにそう宣言した。
彼女は九十郎のトラウマについて理解している訳ではない。
今何が起きているのか、何故美空が怒っているのかも分かっていない。
だがしかし、美空が愛を叫んだ瞬間、自分も言わなければ……叫ばなければならないような気がしたのだ。
「九十郎」
次に口を開いたのは、第七期兵団を率いる武田の元頭領、武田信虎であった。
美空や粉雪程大きな声ではなかったが、ハッキリと通る声であった。
「お前は……我の母になってくれるかもしれない男だ。
だから守るさ、命に代えても、この身に代えても」
信虎が不機嫌そうにそっぽを向きながらそう告げる。
信虎は今、耳まで真っ赤になっていた。
「わ……私は大っ嫌いですよぉっ!!」
次に叫び声を上げたのは、貞子であった。
「そんな泣きそうな顔をして! 情けない顔をして!
全然楽しくなさそうな九十郎殿なんて大っ嫌いですっ!!
視界に入れるのも嫌って位、大っ嫌いですよぉっ!!」
そう貞子は叫んだ。
それは先の3人の叫びと異なり、九十郎が嫌いだと言う叫びだ。
そしてそれは、貞子の間違いなく本心からの言葉だった。
だが……
「だから……だから戻って来てくださいよっ! 優しいけど意地悪で!
女好きなのにヘタレで! 筋肉ばっかりなのに手先は器用で!
いつもゲラゲラ笑いながら剣を振ってて!
一緒におビール様を飲むととっても楽しい! 一緒に剣を振ってると凄く面白い!
気がついたら目で追ってて、気がついたら私の胸をぽかぽかとさせる、
私の大好きな……大好きな九十郎殿に戻ってくださいよぉっ!!」
その叫びもまた、貞子の本心からの言葉である。
そして貞子の叫びが終わり、場に静寂が戻った時……松平元康・通称葵が何かを言おうとした。
葵もまた、九十郎に対する想いを叫ぼうとした。
だが……
「(声が……出ない……!?)」
息が詰まった。
唇が動かず、喉が震えなかった。
まるで金縛りにあったかのように全身が硬直していた。
「(私では……熱気が足りない……?)」
葵はそう分析した。
葵はかつて、確かに九十郎を欲した。
九十郎が持つ未来の知識を求めて、祖国の独立を取り戻すため、故郷に残した家臣達を守る為という不純な動機ではあったが、それでも葵は九十郎を求めた。
だがしかし、美空の、粉雪の、信虎の、そして貞子の叫びが、そんな不純な動機を持つ葵をはねのけるような感じがした。
『お前に舞台に上がる資格は無い』
言外にそう告げられたような感じがしたのだ。
「私……私は……」
それでも……と、葵は思った。
不純な動機からではあったが、かつて葵は確かに九十郎を求めていた。
かつて葵は確かに九十郎を欲していた。
その想いは決して嘘では無かった。
だが……
「私は……諦めませんからねっ!!」
葵が意を決して想いを告げようとした瞬間、別の場所から別の声がした。
「一度や二度失敗した位じゃ諦めませんからっ!!」
その叫びの主は葵ではなく、雫であった。
犬子を除けば一番九十郎との付き合いが長い葵ではなく、一番九十郎との付き合いが短い雫であった。
「え、やだよなんて酷い事を言われましたけど!
頭にきてひっぱたいちゃいましたけど!
それでもっ!! それでもまだ諦めちゃいませんからぁっ!!」
叫びながら雫は、自分の頭に血が上っていると思った。
叫びながら雫は、いつもの失言癖が出ているような気がしていた。
だけど雫は、口を閉じる気にはなれなかった。
「私の事が好きだって言っておきながら酷い言葉でフラれて!
酷い人だって思いました! どうしてこんな目にって思いました!
でも……」
雫は思った、今すぐ言葉にしなければ伝わらないと。
今すぐ想いを叫ばなければ、ここで終わってしまうと思った。
美空、粉雪、信虎、そして貞子と同じ舞台には決して立てなくなってしまうと思った。
もう二度と九十郎の隣に立てなくなってしまうと思った。
だから……
「でも、それでも好きです! それでも諦められません!
私……私は……一回好きになった人を、そう簡単には諦められませんからねぇっ!!」
だから雫は叫んだ。
ありったけの想いと熱量を籠めて、お腹に力を籠めながら叫んだ。
自分は諦めが悪いのだと高らかに宣言した。
「(ああ、言っちゃった……ああ、こんなに大きな声で叫んじゃった……でも……)」
叫んだ瞬間、雫は自分の失言癖が出たのだと理解した。
普通に考えたら、冷静になって考えれば、よくも騙したとか、よくも自分の純情を弄んだと怒って、恨んでも良いと思った。
普通はそうだと……だが……
「まあ、なるようになりますか……」
何故か雫は後悔の気持ちよりも、スカっとした気分の方を強く感じていた。
何も言わずに、何も言えずに終わるより、ずっと良い事をしたように思えた。
「あ……」
葵は言葉を失った。
雫の叫びを聞き、想いを聞き、それに比べて自分は……と、思ってしまった。
もう自分には何も言えないと思ってしまった。
今の自分が何を言っても、虚しいだけだと思ってしまった。
「ほら見なさい、皆貴方が好きなのよ」
「私は大嫌いですからねっ!
今の暗ぁ~くて、情けなぁ~い顔をしてる九十郎殿なんて!」
「お、俺は……だが、俺は……」
九十郎には目の前の状況が理解できなかった。
前の生を含めて生まれてこの方非モテだったこの男にとって、普通に美人である美空達に好きだと言われるのは想定外の事であった。
それに美空は上杉謙信で、粉雪は山県昌景で、信虎は信玄ママンだ。
そして雫に至っては黒田官兵衛だ。
誰そいつレベルの無名人物(九十郎視点)の柘榴や貞子とは違う、本物の歴史上の偉人、価値ある女なのだ。
自分のような屑に惚れるなんてあってはならない人物達なのだ。
故に九十郎には、目の前の光景が信じられなかった。
まるで脳が理解するのを拒絶しているかのようであった。
「……おい、私にいつまでこんなバカ騒ぎの見物をさせるつもりだ?」
そして混乱する九十郎の前に次に現れたのは、明らかに苛立っている様子の美女であった。
その美女は美空と九十郎をギロッと睨みつけており、とりあえず九十郎に好意を抱いていない事だけは誰の目にも明らかであった。
「……美空、誰だこいつ?」
「北条綱成殿よ。 さっき北条からの使者として来てたけど……」
「北条綱成……知らんなぁ……」
九十郎の日本史知識がガバガバなだけである。
「えっと、まだ帰ってなかったの貴女?」
「貴公が話の途中でどこかに走り去っただけであろうがっ!!」
「あれ? そうだったかしら?」
「まさかとは思うが、何の話をしていたかまで忘れた訳ではなかろうな」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと覚えているわ。
ドーナツに穴を開けるのと開けないのとどっちが好きかって話よね。
私は穴が無い方が……」
「誰がわざわざ越後にまで来て西洋菓子の話をするか!?」
なお、ドーナツの話は朧が来る直前まで松葉(穴あり派)としていた馬鹿話である。
「……何の話をしていたっけ?」
美空がぼそっと呟いたのを、朧はしっかりと聞いていた。
「跡継ぎの話だっ!」
そう指摘され、美空はようやく朧との話を思い出す。
突然飛び込んできた柘榴から、剣丞に犬子が強姦されたと聞いた瞬間、頭が沸騰して記憶が飛んでいたのだ。
「ああ、とっとと名月を跡継ぎだと宣言しろって話?
そうじゃないと北条は長尾を切るって?」
「……否定はせん」
「全く、この面倒臭い時に、また面倒臭い話を持ち込んで……
四斤山砲を小田原に並べてやろうかしら……」
美空は一瞬、自分の苛立ちをぶつけるために小田原城に攻め込んでやろうかと考えた。
実際の所、この時代から考えればオーバースペック極まりない四斤山砲の力を使えば、この時代では最高峰の堅城である小田原城すらも陥落可能と思った。
だがそれをすれば、武田に間違い無く情報が洩れる。
長尾はオーパーツのような超兵器を多数用意している事を。
そして武田の情報網が全力を出した場合、四斤山砲やドライゼ銃、ハーバー。ボッシュ法の秘密を守り切る事はできない。
「……そうだ」
どうしたものかと美空が考えていると、突如として妙案が浮かんだ。
北条からの無茶ぶりと、九十郎の自信の無さ、そして新田剣丞を殴りたいという自分の欲求も同時に満たせる妙案であった。
「九十郎、貴方歴史を変えなさい」
美空はさも名案だとでも言いたげな顔でそう告げる。
「……うん?」
しかし、何をどうしろというのか全く理解できない九十郎は、ただ首を傾げるばかりである。
「何呆けてるのよ、今の話の流れで分からない?」
「いや、全然」
「剣丞を殺さないなら、何でも言う事を聞くって言ったわよね?」
「ああ、言ったが」
「北条の使者殿、要はとっとと跡継ぎを決めろと、じゃないと同盟を白紙にするぞ。
そっちの用件はそうよね?」
「……まあな」
「なら決めるわ、今すぐに。 丁度良い機会ですもの」
「ほぅ……」
「空と名月に、長尾景虎の跡継ぎの座を賭けて競わせます。
方法はまだ考えちゃいないけど、2~3日中には決めるわ。
そして……」
美空は剣丞の方をギロリと睨みつける。
「名月が勝った時は、長尾美空景虎は新田剣丞の妻になるわ。
そして織田とも盟を結ぶ。 五分と五分なんてしみったれた事は言わない。
こっちが下でも構わない」
「……え?」
「……は?」
「……何だって?」
剣丞と朧、そして九十郎の顔が同時に変わる。
何を言っているんだこいつはと言いたげ表情になる。
「いや、俺は人妻には手を出さないように……」
「人妻じゃないわ、私はまだ未婚よ」
「いや、でも……」
「鬼と戦う気がある者なら誰でも良いのでしょう? なら四の五の言わずに受けなさい」
「できる訳が無いだろう!」
「剣丞、貴方に拒否権は無い。 誑し免状はそういうものよ」
「うっ……」
美空の言う通り、誑し免状はそういう内容だ。
鬼と戦う者であれば誰であろうと新田剣丞は受け入れる。
誑し免状の本質はそこで、久遠が一番気にしていた部分もそこなのだ。
そこに新田剣丞の意思は全く無い。
「さぁ、九十郎……さっき貴方は言ったわよね? 何でも言う事を聞くって」
美空はうっすらと笑みを浮かべながら九十郎に尋ねた。
「お……俺に何をさせる気だ……?」
九十郎は冷や汗が止まらなかった。
空と名月が跡継ぎの座を巡って戦う、名月が勝てば美空が剣丞の嫁になる……
九十郎は名月が美空を継ぐのが歴史の正しい流れだと思っている。
そして美空のような価値のある女は、新田剣丞のような価値のある男と結ばれるべきだと思っている。
つまりこの戦い、名月が勝つ方が間違い無く良いのだ、少なくとも九十郎の価値観では。
だが……
「名月と戦って、剣丞と戦って、勝ちなさい。 そして歴史を変えるのよ」
美空はそんな九十郎の考えを知りながら、名月が越後を継げば、戦国時代が終わるまで上杉が残ると聞いていながら、あえて美空はそれを阻止しろと告げた。
歴史なんて変えてしまえと告げたのだ。
なお、美空も九十郎も勘違いをしているが、本来美空の跡を継いたのは上杉景勝……空の方である。
「お前……俺に名月と……いや、俺に剣丞と戦えって言うのか……?」
美空は賭けた。
九十郎の可能性に賭けた。
惚れた男に賭けた。
頭を空っぽにして突っ走った。
斎藤九十郎は新田剣丞よりも素晴らしい男だと信じた。
斎藤九十郎こそ、自分の夫になるにふさわしい男だと信じた。
だからこそ……
「剣丞に勝って、歴史を変えなさい、九十郎」
だからこそ美空は、九十郎にそんな無茶ぶりをしたのだ。
「あれ? 名月に勝って歴史を変えろって……この間助けに行った空って娘が景勝で、
会った事無いけど名月って娘が景虎だったような……」
一方、剣丞は名月に勝ったらむしろ本来の歴史……空(景勝)が名月(景虎)を倒して後継者になる本来の歴史に近くなるのでは……と、思った。
しかし、そんな疑問を言い出せそうな雰囲気ではないので黙った。
真相は九十郎が日本史うろ覚えだったため、名月(景虎)が空(景勝)が後継者争いを行い、名月(景虎)が勝って上杉を継いだと思い込んでいるだけである。
当然、九十郎以外に未来の知識を得る手段が無い美空も……と、いう事だ。
いずれにせよ、九十郎は間違って覚えられた上、この騒動に全然関係無いのにとばっちりを受けた空と名月に土下座するべきである。
……
…………
………………
「そんな大荷物を抱えて、どこに行く気っすか、犬子?
柘榴達の我が家は逆の方向っすよ」
「ざ、柘榴……」
九十郎が歴史を変えろと無茶ぶりをされていた頃、犬子と柘榴は人気の無い小道で対峙していた。