次回タイトルは『歴史を変えろ』になります。
「俺が官兵衛を好きになった理由?」
「教えなさいよ。 上杉謙信より、前田利家よりも好きなのでしょう」
「そんな事聞いてどうする気だ?」
「私が知りたいだけ」
「ふ~ん」
「……何かの参考になるかもしれないじゃない」
美空はそう小さく呟く。
「今ぼそっと何か言わなかったか?」
「なんでもない! 何も言ってないわよ!」
「まあ、そうだな、理由はいくつかあるんだが……
あの豊臣秀吉の軍師、参謀、助言役。 そう聞くと何やら凄そうだって思うだろ?
現に俺は凄そうだと思った」
「私は豊臣秀吉の凄さを全然知らないから、良く分からないわ」
「劉邦みたいなもんだ。 晩年のボケっぷりは秀吉のが上だろうが」
「人豚でもやったの?」
「たぶん人豚はやってねえんじゃないか。
確か後継問題拗らせて、養子にしたのを三族皆殺ししたとか、
海外に出兵したら補給線切られて散々な目に遭ったとか、色々あるらしいぞ」
俺はそこまで詳しくねえがと付け加える。
なお、人豚とは両手両足を切り、目耳声を潰し、厠に投げ落とし、心優しい皇帝をストレスで早死にさせる残虐技である。
美空は子供の頃に林泉寺住職の天室光育から借りた本から、九十郎は横山光輝の漫画からこの恐るべきフェイバリットを知っている。
「海外出兵を強行できる程度の権勢ね、多少は分かったわ。
でも凄そうだから好きになった訳でもないでしょう」
「黒田官兵衛はな、やる事なすことが一々笑えるんだよ」
「……うん?」
何やら話の雲行きが怪しくなり、美空が無意識のうちに身構える。
「信長を裏切った奴を説得に行ったら捕まって監禁されたり、
捕まってる間に信長に子供を殺されかけたり、捕まったせいで足を悪くしたり、
信長が死んだ時にうっかり天下を取るなら今だ~なんて失言して秀吉に警戒されるし、
秀吉に警戒されてるからどれだけ活躍しても領地は増えないし、
それで関ケ原やってる間に九州で地盤固めてしまおうとしたら、
関ヶ原が半日で終わって失敗するし、おまけに梅毒だし」
「ひ、酷い人生ね……」
梅毒という言葉が性病の一種と九十郎から聞いていた。
それ故に美空は九十郎の語る雫の生涯を『酷い』としか言いようが無いと感じた。
そして思った、せめて私くらいは雫に思い切り優しくしてあげようと。
「酷くて笑えるだろ」
九十郎がニヤニヤしながら言う。
しかし、他人の失敗エピソードばかり覚えるこいつも十分すぎる程に酷い男である。
「初めて聞いた時は笑い転げたね。
しばらくは思い出し笑いが出てきて大変だったよ。
先生~、斎藤くんが授業中にニヤついてま~す、なんて言われた事もあったな」
「思い出し笑いって、笑っちゃいけない時である程、堪えるのが大変よね。
お葬式とか、軍議とか」
「ははは、理解してもらえたようで何よりだよ。
だが……俺は黒田官兵衛が笑えるから好きになった訳じゃないと思う。
いや、もちろん笑える所が好きなのは確かなんだけどな」
「へえ、どんな所?」
「諦めが悪い所……ああそうだ、諦めの悪い所だな」
九十郎は気恥ずかしそうにそう言った。
「関ヶ原が終わり、官兵衛の娘が徳川家康に手を握られたんだよ。
味方になってくれてありがとう、貴女の働きで戦に勝てた……てな。
それを聞いた官兵衛はこう言った、その時左手は何をしていたんだ……と。
関ヶ原に勝って、天下を握るのがほぼ確実視されてた相手にだぜ」
「そう……黒田官兵衛は、天下への野心を捨てられなかったのね」
「だがこんな逸話が残ってる辺り、絶対失言癖あるよな、官兵衛って」
「まあ、そう考えるのが自然でしょうね」
「ああ笑える。 凄い奴なんだけど、ここぞという時にポンコツで、笑える。
だけど最後の最後まで諦めない。
俺が黒田官兵衛を好きになった理由は、その辺だと思う」
「ふぅ~ん……」
美空は少し、面白く無かった。
黒田……ではなく、小寺官兵衛が越後に来たら虐めてやろうかとも考えた。
考えるだけで実行には移せない所が美空の美空たる所なのだが。
そんな美空だからこそ、柘榴も松葉も秋子も、美空に頭を垂れ、美空に従い、美空の為に死のうとしているのだ。
「九十郎、出立の準備ができたよ」
そんな2人の所に、旅支度を整えた犬子がやってきた。
持っている荷物は、御家流で犬になっても背負えるよう、ギリギリまで軽量化された背負い袋が2人分。
これから2人は、犬子の御家流を使い、犬になって京都まで突っ走るつもりなのだ。
「ああ、ありがとな犬子。 柘榴の方はどうだ?」
「柘榴なら先に出てるよ。 官兵衛さんを越後に連れてくる準備がいるって」
「了解だ。 それじゃあ美空、ちょっと黒田官兵衛を拉致してくるよ」
九十郎はちょっと買い物に行ってくる的なノリで言う。
「ええ、どうにかして越後まで連れてきて頂戴。
最初は説得、説得に応じない場合は拉致よ、順番を間違えないでね。
拉致の場合は犬子の御家流を使う事も許可するわ。
そこから先、官兵衛を説得するのは私がどうにかするから」
「おう、任せとけ」
九十郎はニカッっと笑い、犬子と共に越後を去った。
九十郎達が小寺官兵衛・通称雫を拉致して越後に戻ってくるのは、そんな会話があった日から僅か7日後の事である。
……
…………
………………
「また、やっちゃった……」
九十郎による衝撃の『え、やだよ』発言の後、雫は近くの飲み屋で暗く沈んでしまっていた。
周囲から聞こえてくる、楽しそうな酔っ払い達の声が、余計に雫を惨めにさせていた。
どうやら美空が春日山城を取り戻した事を祝い、戦いに参加した兵達が集まっているらしかった。
「またしても失言……気をつけてるつもりですけど……」
予想外の事態が生じると、思考が硬直してしまう。
思考が硬直すると、とりあえず何でも良いから喋らなければと考えて、とんでも無い事を口走ってしまう。
それは昔からの雫の悪癖だった。
雫はその癖を直したくて、子供の頃から色々な事を学び続けているのだ。
世のあらゆる学問を修め、あらゆる未来を想定し、予想外の事態にぶつかる事を減らそうとしているのだ。
だが……
「九十郎さん、怒っているでしょうね……」
だがそれでも時々は雫の悪癖は出てきてしまう。
先程雫は、思考が纏まらぬまま、『酷すぎますっ! 女の子を……私を何だと思ってるんですかっ!!』と叫び、九十郎の頬を力一杯叩いてしまったのだ。
今でも九十郎を叩いた右手がヒリヒリ痛む程、強く強く叩いてしまったのだ。
「明日から九十郎さんに、どんな顔で会えば良いんでしょう……」
雫は頭を抱えながらそう呟いた。
ああもはっきりと拒絶されながら、激高して九十郎を叩いたというのに、それでも九十郎の妻になる方法は無いものかと考えてしまう自分が嫌いだった。
「そういえば……どうして九十郎さんって、私だけ官兵衛と……」
そして気づいた。
九十郎が雫の事を官兵衛と呼び続けている事に。
「雫、官兵衛、雫、官兵衛、雫、官兵衛……」
何度も何度も自分の名前を呼び続ける。
雫と官兵衛、そこにどんな違いがあるか、何故九十郎は自分を官兵衛と呼び続けるのかと考え続ける。
「愛してると叫んで、兜を渡して、指輪を渡して、どうして求婚ではないと思った?
私が未婚の女と知っているなら、当然……間違いなく求婚だと思う筈で……」
考える、考え続ける。
考え続ける事こそが軍師の生態で、考え続ける事だけが軍師にできる全てなのだからと……
「未来の……知識……!?」
その瞬間、雫の中で一つの仮説が完成した。
「九十郎さんは……私を人だと思っていない?」
それは突拍子も無い仮説であった。
突拍子も無い仮説であったが、雫はそれが真実に近いような気がした。
「九十郎さんは、私を小寺官兵衛だとしか……
未来の知識にある、歴史書の人物としか思っていない……」
そんな事を呟いた瞬間、雫は震えが止まらなかった。
笑い飛ばして、忘れてしまいたかった。
だが軍師の生態故、一度出した仮説は反証がされない限り捨てられなかった。
例えるならそれは、名画に美しい額縁を付けるのと同じ事、例えるならそれは、名画が人に求愛するも同じ事、増してや九十郎は、小寺官兵衛を梅毒だと思っているのだ。
そう考えると、今までの九十郎の言動がいっぺんに説明できてしまう。
雫がそんな事を考えていると……
「……陣太鼓の音?」
店内が騒めいていた。
ついさっきまで気持ち良く祝賀酒を飲んでいた長尾の兵卒達の会話が止まっていた。
そして聞こえて来た、陣太鼓の音が。
「緊急招集……一体何故……!?」
雫にはそれが緊急招集の合図であるとすぐに分かった。
「親父さん! お勘定はここに置いていきます! おつりは結構ですので!」
雫は懐にある財布を逆さに振って中身を机の上にブチ撒けると、一目散に外へと……陣太鼓の音がする方向へと駆けだした。
……
…………
………………
「こ、これは……!?」
大騒ぎになっている春日山城下を走り回り、ようやく美空の姿を見つけ出した雫を待っていたのは、信じがたい光景であった。
剣丞隊と桐琴以外の森一家、松平勢が一か所に集められ、1000を超す銃口が突き付けられていた。
剣丞隊に銃を向ける連中には第七騎兵団も……あの恐るべき連発銃、ドライゼ銃を持つ兵達も多数混ざっていた。
銃口と剣丞隊らを妨げる物は一切無く、周囲は隙間なく囲まれている。
もし取り囲む兵達が一斉に引き金をひけば、間違い無く剣丞隊も、森一家も、松平勢も皆殺しにされると分かった。
360°隙間無く取り囲んでいる状態で銃をぶっ放せば同士討ちになる危険があるが……兵達は残らず殺気立っており、同士討ちの危険も顧みずに剣丞隊らを射殺しかねない雰囲気であった。
そんな中で、美空と一葉が抜き身の刀で斬り合っていた。
いや、斬り合ってはいない……怒りと悲しみと殺意を滾らせた美空が、感情に任せて白刃を振るっている。
一葉は何度も何度も振るわれる凶刃に晒されながら、必死にそれを防いでいるのだ。
「なっ……美空様! 何をされているのですか! おやめください!」
事情はまるで理解できなかったが、それでも詩乃から代役を頼まれた責任がある。
剣丞隊を守るべく、雫は無我夢中で叫び声をあげた。
「外野は引っ込んでなさい!」
美空は聞く耳を持たず、血走った目で抜き身の刀を振り下ろす。
何度も何度も、何度も何度も、叩きつけるように剣を振るう。
その視線の先には一葉が……いや、一葉に守られている新田剣丞がいた。
「いい加減に頭を冷やさぬか! 美空っ!」
美空と剣丞の間に、一葉が立っていた。
一葉が美空と剣を交え、一進一退の攻防を続け、必死に剣丞を守り続ける。
だがしかし、美空は神道無念流を学び、身体を鍛えなおし、かつてとは比べ物にならぬ程に強くなっている。
まるで岩石が叩きつけられているかのような強い衝撃を何度も受けて、一葉は少しずつ、少しずつ追い込まれている。
「(ま、拙い……拙いぞ……ここで余が崩れるような事になれば……主様が……)」
腕が痺れ、思うように動かない。
美空は落ち着く気配がまるでない。
このままでは、自分も新田剣丞も美空に殺されてしまう……一葉は今、窮地に立たされている。
何が起きたのか、一葉にはまるで分からないが、美空が怒って悲しんでいるのは分かった。
そして今、一葉達が生きていられるのは、美空が自分の手で剣丞を斬ろうとしているからだ。
長尾の鉄砲隊は……先端に小刀が、側面に小さな突起が付いた奇妙な銃を構える部隊は、既に剣丞達の脳天に狙いを定めている。
美空が撃てと命じれば、引き金を引けと命じれば、あっという間に皆殺しにされるだろう。
「公方様!」
「来るな! 来てはならんっ!!」
幽が加勢に来そうになったのを見て、即座に一葉は叫び、制止する。
美空は一葉よりも強いが、所詮は1人の人間だ。
幽や綾那、鞠といった荒事担当が一葉に加勢すれば、美空を圧倒する事は可能だ。
しかし……美空を複数人で取り囲んで嬲り殺しにするような真似をしたら、剣丞隊らを取り囲み、銃を向ける兵達が何をするだろうか。
主の『まだ撃つな』という命に背いてでも、主を守ろうとするだろう。
それはつまり、剣丞達の死を意味する。
「いい加減に冷静にならぬか! 話を聞け!」
「私は冷静よ! そいつの首をよこしなさい!
そうすれば皆殺しは勘弁してあげるわ! そいつだけは……そいつだけは許せない!
銃殺なんかじゃ収まらない、この手で切り刻まないと気が済まない!」
「そうはさせん!」
一葉にとって、剣丞は惚れた男であり、日ノ本を守る希望だ。
この国を侵食しようとする鬼を打ち払い、世に平穏をもたらす救世主だ。
それをむざむざ殺される訳にはいかない。
「貴女も貴女よ一葉っ! 何であんなのに誑し免状を与えたぁっ!?
何で犬子を寝取るような屑男を庇い立てするのっ!?」
屑はどちらかと言えば九十郎の方である。
「信じられんな、主様がそのような事をするものか」
あるいは、美空を本気で怒らせるような何かがあったのかもしれない。
だがしかし、そんなのはきっと何かの間違いか、誰かの陰謀だと一葉は思う。
一葉は信じている、心の底から信じている、新田剣丞の身の潔白を。
そして免状を楯に無体を働くような男ではないと信じていた。
「柘榴が嘘を言っていたとでも!?」
美空の心に怒りの炎が燃え上がる、さらに熱く、激しく燃え上がる。
それを見て、それを感じた一葉は……
「(このままではジリ貧か……ならば……)」
一葉は賭けに出る事にした。
どんな汚い手を使ってでも剣丞は守ると決断した。
そして……
「そうでなければ犬子とやらの股が緩かっただけであろう」
……そして一葉は、あえて親友をもっともっと怒らせた。
一葉の後ろで幽が言い方ってもんがあるでしょうよと言いたげな顔になったが、一葉は全く気づかない……いや、薄々感づきながら敢えて無視した。
「……犬子は今、泣いてるのよ」
美空は自分の心がドス黒いものに包まれていくのが分かった。
今の自分なら、かつて友と思った一葉すらも切り殺せそうだと思った。
「ノリノリで不貞を行っておきながら、バレると涙を流して本意じゃなかった、
愛してるのは貴方だけと叫ぶ女……良くある話であろう。
むしろ被害者は主さ……」
……瞬間、美空はブチンッ! と切れた。
美空は九十郎が好きになった。
だけど身を引くつもりだった。
犬子だから身を引こうと思った。
自分の魂を歪める程、強く強く好きだと叫べる犬子だから、敵わないと思った。
相手が犬子でなければ、誰が身を引くものかと激高した。
お前に犬子のなにが分かると激高した。
「殺す」
そして美空は感情の赴くままに刀をフルスイングした。
剣丞を殺す事を諦めた訳でも、忘れた訳でも無いが、それ以上に目の前の一葉を殺して、切り刻みたかった。
ぶぉんっ! ぶぉんっ! と剣圧が周囲の空気を巻き込んで、まるで竜巻のようであった。
だが……
「(狙い通り……太刀筋が読み易くなった……
これなら凌げる、反撃の隙も見えた……見えたが……)」
一葉は心の中でほくそ笑んだ。
美空と一葉の実力は数年前の時点で同等だった。
ここしばらく、九十郎から神道無念流の手ほどきを受けていたため、今現在の美空は一葉より数段上の実力があった。
怒りに怒って我を忘れてでもくれない限り、時間稼ぎすらも難しい実力差だったのだ。
「死ねっ! 死ねぇっ! 死んでしまえっ! 貴女に何が分かるの!
貴女に犬子の悲しみが! 犬子の好きが分かるって言うのっ!!」
「誰にでも股を開くユルユル女の都合など知るものかっ!!」
「一葉あああぁぁぁーーーっ!!」
美空がさらにさらに激高する。
太刀筋がさらに大振りになり、柄を握る手に力が入る。
当然、全身に無駄な力が入った分だけ疲れも早くなる。
このまま疲れるまで待てば勝てる……一葉はそう思った。
だけど……
「(……勝てば助かる訳ではないのが悩み所じゃな)」
依然として、周囲は無数の兵が取り囲み、1000を超える銃口が一葉達に向けられている。
こんな状況で下手に美空に危害を加えれば、即座にハチの巣にされるだろう。
「待ってください美空様! おやめください! 相手は上様ですよ!」
雫が叫ぶ。
やはり事情は今一理解できなかったが、それでも美空を止めなければと思い、叫んだ。
「そうじゃぞ美空、よもや余の顔を見忘れた訳ではあるまい」
「上様がこのような所にいるはずがないわ! こいつは上様の名を騙る不届き者よ!」
美空が刀で一葉を指しながら言う。
しかし、その台詞は大江戸学園では死亡フラグである。
であえい! であえい! まで口にしたら100%ブチのめされてお白州行きである。
「剣丞様にいかなる咎があると言うのですか!?」
「そいつはぁっ! 犬子を泣かせたのよぉっ!」
「たったそれだけの事でっ!?」
「たった? それだけの事?」
瞬間、美空の身体から発せられる強烈なプレッシャーが増した。
雫は腰を抜かして失禁しそうになるのを寸でで堪え……思った。
「(あ……拙い……また失言しちゃった……)」
美空が漆黒の殺意全開で雫につかつかと近づき、白刃をきらめかせ……
「待ってくれ美空っ!」
剣丞の叫びが聞こえ、美空がピタッと止まる。
美空は思い出した。
雫を殺すよりも、一葉を殺すより先にやらねばならない事が……殺さなければならない人間が一人いる事を思い出した。
「俺は……俺は確かに犬子を抱いたんだ、ついさっきまで。
信じちゃもらえないと思うけど、俺は……俺は忘れていたんだ。
彼女が人妻で、絶対に手を出しちゃいけないって事を」
その言葉は確かに、剣丞の中での真実だ。
だがしかし、怒りの余り冷静さを失った今の美空には通じない、届かない言い訳だ。
「ふざけないで……ふざけるなぁっ!! そんな言い訳をする位なら……
そんなふざけた言い訳をする位なら! 黙って私に殺されなさいっ!」
そして美空は、左手を天高く掲げた。
その目には殺意の光が宿っていた。
「もういいっ! もういいわっ!
剣丞の首一つで納めてあげようと思ったけれどもういいっ!
信長とも盟を結んであげようと思ってたけれど願い下げよ!
あんなふざけた男を夫にして喜んでる奴! 頼まれたって手なんて結べないわっ!!」
「総員っ! 狙えぃっ!!」
美空の泣き叫ぶかのような声と、信虎の号令が夜の闇の中に響き渡る。
兵達が一斉に銃を構え、引き金に指をあてた。
「なっ!? や、やめてくだい美空様っ!
お願いですから短慮をなさらないでくださいっ!!」
雫が咄嗟に剣丞の前に立ちはだかり、大きく手を広げる。
今兵達が銃を撃てば、雫も一緒に射殺される場所に入り込んだのだ。
「今すぐどきなさい雫、貴女も死ぬ事になるわよ」
美空は数秒、止まった。
数秒止まり、雫に逃げ出す時間を与えた。
だが……
「そう……所詮貴女もその男に誑された女か……なら望み通り一緒に死なせてあげるわ」
雫が退く様子が無い事を確かめると、美空は冷たい声でそう告げる。
「(公方様っ!)」
「(イチかバチか、御家流で防げるだけ防ぐ……幽、主も頼む)」
「(しかし、この数では……)」
「(無茶でも何でもやるしかあるまいっ!!)」
アイコンタクトで意思疎通を図り、一葉と幽が御家流を発現させるべく、同時に精神を集中させる……
一葉も幽も優れた超能力者ではあるが、いくらなんでも1000を超す銃兵隊からの一斉射を防ぎ切る事は不可能だ。
半分は守り切れない、10分の1も守り切れない、たぶん助けられるのはそれよりももっともっと少ない数だ。
だがしかし、だがそれでもと、一葉と幽が懸命に精神を集中させる。
そして美空は、高く掲げていた左手を……
「やめろ美空っ! やめてくれっ!!」
そんな叫び声が聞こえてきて、美空の左手は途中で止まった。
美空にはその声の主が誰か一瞬で分かった。
一瞬で分かったからこそ、戸惑うのだ。
「九十……郎……? な、なんで貴方が……?」
美空の目の前に、土下座するマッチョがいた。
美空と剣丞の間に割って入り、手を広げて立ちはだかる雫のすぐ隣で何度も何度も土下座を繰り返す斎藤九十郎がいた。