戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

55 / 128
第73話にはR-18描写があるため、犬子と九十郎(エロ回)に投稿しました。
第73URL『https://syosetu.org/novel/107215/24.html


犬子と柘榴と九十郎第72話『春日山城奪還作戦』

「よっ、ほっ、よっと……」

 

「よっこいしょ、どっこいしょっと……」

 

マッチョ1名と美男美女3名が崖登りをしていた。

 

犬子と小波と剣丞と九十郎が趣味のボルダリングを楽しんでいる……という訳ではない。

春日山城の奥深くに囚われている空と愛菜を助けに行くため、セコセコと城の裏手にそびえる険しい崖に挑んでいるのだ。

 

「大江戸タワーよりも登り難いな……くそ、点検用のハシゴとかねえのかよ……」

 

九十郎はぶつくさと文句を言いながら手足を動かす。

そんな物があったら侵入され放題である。

 

「剣丞、辛くなったら言えよ。

 お前の体格なら、1人や2人くらい背負って登れるならな俺は」

 

「俺なら大丈夫だよ、それより急ごう」

 

「ああそれと、犬子の事はさんなんて付けずに、呼び捨てでお願いします。

 剣丞様は久遠様の旦那様なんですから」

 

「俺も屑郎以外の呼び方だったらなんでも良いぞ」

 

「え? 九十郎って何か他の呼び方あったの?」

 

「色々あったぞ、マッチョとか、マッスルとか、筋肉だけ立派とか、声だけイケメンとか、

 屑とか、神道無念流野郎とか、剣術馬鹿とか、斎藤仮面とか」

 

半分以上はただの悪口である。

 

「ぷっ……て、わわぁっ!?」

 

崖登り中に斎藤仮面の姿……仮面ゴキブリーダーブラックRXみたいな感じの姿を想像してしまった剣丞が、足を踏み外して落ちそうになった。

 

「け、剣丞様大丈夫ですか!? しっかり掴まっていてください!」

 

「わ、悪い……だ、大丈夫だ、なんとか」

 

「おいおい気をつけてくれよ剣丞、こっから落ちたら普通に死ねるぞ」

 

剣丞が落下しかけた原因を作った男が他人事のように注意を促す。

そんな事だから貴様はモテないのだ。

 

「ところで……何で九十郎達はこっちに来たんだ?」

 

「へ? お城の中を歩いた事がある人がいないと、道に迷うかもって思ったからですよ」

 

犬子がそう答える。

 

「いや、犬子が来てくれた事は有難いんだけど……

 九十郎は金ヶ崎の後で美空から怒られてただろ。

 アンタは替えがきかないから危ない事するなーって」

 

「黙って出て来た」

 

つまりいつもの九十郎である。

とりあえず美空はこの男を殴り倒しても良いだろう。

 

「良いのかなぁ……」

 

やや釈然としない思いを抱えながら、剣丞達は崖登りを再開する。

美空が無茶だと言うだけあって、春日山城裏手の地形は険しく、手足のとっかかりになる場所も、途中で休憩できそうな場所も無い。

 

「しかし……まだ、先は長いな……」

 

下を見ると、眩暈がするような光景が広がっている。

こんな状況で無ければ絶景かなと言いたくなるような景色だが……今は人質の命が懸かっている。

 

そんな時……

 

「剣丞様、聞こえましたか?」

 

「ああ、聞こえた」

 

遠くの方から、鬨の声が聞こえて来た。

城の方から殺気、あるいは殺意、そしてどよめきの気配が一気に強まる。

 

……戦闘が始まったのだと分かった。

 

「おいおい、美空の奴もう始めたのかよ。

 剣丞が空を確保するまで仕掛けないって段取りだろ」

 

「春景さんの方が打って出たのかもしれないよ、九十郎」

 

「どっちにしろ時間が無い。 小波、先行してくれないか」

 

「分かりました、状況は口伝無量で随時お伝えします」

 

そう言うと小波は先程までとは比べ物にならない程の超スピードで崖を駆け上がる。

まるで平地を走っているかのようなその動きは、剣丞にすら到底真似できないものである。

 

「うわ、速いな。 もう頂上に行ったぞあいつ……やっぱ服部半蔵なだなぁ」

 

「ドン引きしてる時間は無いよ、九十郎。 犬子達も急がないと」

 

「分かってる。 剣丞、こっちも少しペースを上げるから、しっかりついて来いよ」

 

「ああ、行こう」

 

……

 

…………

 

………………

 

「向こうは打って出たか。 思ったより早く釣られたわね。

 できれば空と愛菜を取り戻すまで戦いは避けたかったけど……

 こうなっては仕方が無いわね」

 

美空がふぅっとため息をつく。

空が死ぬかもしれない、九十郎が死ぬかもしれない……そんな嫌な想像を振り払い、美空は気合を入れ直す。

 

敵が当初の想定から外れた行動をとった程度で揺らぐ程、長尾景虎もそれに付き従う越軍も弱くは無い。

 

「松葉! 遠巻きに牽制するのはここまで! 全軍に攻撃命令を出しなさい!」

 

「御意」

 

春日山城を遠巻きに取り囲んでいた長尾勢が動き始める。

 

少し先の話になるが、春日山城の戦いはぶっちゃけた話特に問題無く美空が春景を下し、自らの居城を取り戻して終わる。

 

そもそも、美空と春景では踏んできた場数が違うし、美空は春日山城に数々の隠し通路や隠し部屋、隠し武器に罠を仕込んでいたが、春景はその1割も把握していない状態で戦っていた。

唯一の懸念点であった、人質……空と愛菜の2人も、新田剣丞が春日山城裏の切り立った崖をよじ登るという荒業によって見事に奪還。

後はもう消化試合に等しかった。

 

この辺の流れはいくつもある並行世界における、割と良くある剣丞の活躍の一つである。

ただし、変わっていた事はいくつかある。

 

「左翼が薄いか……飯富の妹ぉっ! 勝負所だ! ブチ破れっ!」

 

「今のあたいは通りすがりの霧雨魔理沙なんだぜ!」

 

「どっちでも良いから早く行け、あの男に良い所を見せたいのだあろうが。

 一番槍は譲ってやろう」

 

「へっ……それを言われちゃしょうがねえな……

 しゃあっ!! 春景とかいう不義不忠の輩に武田の怖さを教えてやるぜぇっ!!」

 

「第七騎兵団の精鋭達に告げる!

 馬鹿1名が道を切り開く、こじ開けるのは貴様らの役目だぞ!」

 

そんなこんなで山県昌景……自称霧雨魔理沙がダッシュで春日山城の城門へと駆けていく。

 

「ま、拙い、城門を閉め……」

 

「ま、待てっ! 味方がまだ外で戦ってるんだぞ!」

 

城門近くを守っていた敵兵が迫りくる三角帽子に気づき、門を閉めようとするが……

 

「判断が……おそぉいっ!!」

 

自称魔理沙の脚力が、春景勢の予想を遥かに上回っていた。

閉じるか、閉じないかでモメていたほんの僅かな時間で、中途半端に開いていた門の隙間に潜り込み……即座に死体の山を築いていく。

 

「武田四天王ナメんなあああぁぁぁーーーっ!!」

 

最早正体を隠す気ゼロな雄叫びと共に、白刃が煌めき、腕が飛び、首が飛び、周囲に血や脳漿がばら撒かれる。

 

戦いが始まった頃は黒かった魔理沙っぽい帽子や、魔理沙っぽいエプロンドレスは血で染まり、すぐに真っ赤になっていた。

 

「随分と張り切るな、飯富の妹……」

 

「感心してる場合じゃねーっすよ。 1人で突出しすぎっす。

 アレじゃそう遠くない内に囲まれて討ち取られるっす。

 まあ、後の戦いを有利に進めるって意味では、討ち取られてもらうってのもアリっすけど」

 

「当然、援護は出すさ……第七騎兵団っ! 何をぼさっとしている!

 向こうは動揺しているのが分からないか! さっさと押し込めぇっ!!」

 

美空が厳選に厳選を重ねただけあり、第七騎兵団の面々は信虎の指示に即応し、敵の陣形に生じた綻び目に向かって突き進む。

 

「全く……いちいち言ってやらなければ動けんのかあいつらは……

 この戦いが終わったら鍛えなおしだな」

 

「できたばかりの部隊っすよ、ある程度はしゃーないっす」

 

「柿崎、アレをやるぞ」

 

「前に練習したアレっっすか、アレは武田と戦うまで隠しとけって言われてるっすけど」

 

「晴信相手では、城攻めにはならんよ。

 話くらいは聞いているだろう、人は城、人は石垣、人は堀……」

 

「率直に言って頭イカレてるっすよ」

 

「甲斐は貧しい、貴様らが考えているよりもずっと貧しい。

 だから城を造る金が無い。

 それに城の籠るような戦い方をすればあっという間に日干しになってしまう」

 

「まあ、そういう事なら協力しなくも無いっすけど……」

 

「それにな柿崎、我もあの筋肉男に良い所を見せたいのだ」

 

「……それを聞いちゃ、力を貸さない訳にはいかねーっすね!

 柘榴は九十郎の妻っすから!」

 

柘榴が美空からの指示をまるっきり無視して、精神を集中させる……

 

御家流は基本的に、強力である程、有効射程が短くなる。

そして距離が離れれば離れる程、狙った場所に当てるのは難しくなる。

 

いくつかの例外はあるが、柘榴の御家流はそんな例外的存在ではない。

柘榴の御家流は地面から巨大な槍が飛び出し、敵を斬りつける「昇竜槍天撃」。

鬼も城壁も石垣も豆腐のように切り裂く柘榴の切り札だが、美空や一葉の御家流とは異なり、遠距離には届かないという難点がある。

 

「柘榴の御家流……信虎に託すっすよ」

 

「任せろ、我が有効に活用してやろう」

 

柘榴の御家流が、信虎の両腕に宿っていた。

御家流をあえて信虎に向ける事で、信虎の能力の発動条件を満たしたのだ。

 

「即席合体奥義……」

 

「マグナム・シュートオオオォォォーーーッ!!」

 

信虎の叫びと共に、本来遠距離に飛ばせない筈の柘榴の御家流が飛んだ。

銃剣を手に敵兵と対峙している第七騎兵団の頭上を飛び越え……春日山城の城壁がズタズタに切り裂かれ、

その余波で狭間から矢を放っていた敵兵が何人もバラバラの肉片になって吹き飛んだ。

 

「おおっ、あんな距離にまで届いたっすか!?」

 

「この威力、悪くないな……自称魔理沙ぁっ!

 貴様が惚れている筋肉男はその奥だ! 早く行ってやれいっ!!」

 

「おう、助かるんだぜ!」

 

自称魔理沙が周囲の敵をさらに斬殺し、奥へ奥へと進んでいく。

 

それにしても、完全にマグナムシュート等と言うふざけた名前が定着しつつある事に、信虎は疑問を覚えないのであろうか。

 

「本当、呆れる位に強いわねあいつ……何で武田にばっかり人が集まるのやら…・・」

 

そんな獅子奮迅の活躍を眺めながら、美空は頭を抱えていた。

ドライゼに、四斤山砲、ハーバー・ボッシュ法といった秘密兵器は用意しているが、それでもなお、勝てるのだろうかと考えてしまう程の活躍であった。

 

「ああ、春日山城の城壁にあんなに大きな穴が……

 あれを直すのにいくらかかるのやら……」

 

そして柘榴と信虎のやらかしによって秋子が頭を抱えていた。

 

……

 

…………

 

………………

 

そしてこれが変わった点その2……

 

「アトミック・ドロップ!!」

 

「ぎゃわあああぁぁぁーーーっ!!」

 

筋肉男が幼女を抱え上げ、アトミックドロップを見舞った。

率直に言って通報モノの光景である。

 

「九十郎やりすぎだよっ!」

 

「いや、小波を不審者だと勘違いした悪い子にはこのくらいやらないと。

 躾だよ、し・つ・け」

 

九十郎はしれっと言うが、目と口元が明らかに笑っていた。

 

「うぅ……尻が……尻が割れたのですぞ……」

 

自称越後きっての器量人こと直江愛菜兼続が、膝を叩きつけられた尻を抑えながらゴロゴロと転がって悶絶する。

多少の手加減はされていたとはいえ、自分の3倍以上の体格の大男からのアトミック・ドロップは普通に痛い。

 

「あの、九十郎さん、その方達は?」

 

さっきまで春景の兵達に軟禁されていた空が、柱の影に隠れながら、おずおずと尋ねてくる。

 

「ああ、こいつは小波、聞いて驚け服部半蔵だ」

 

「服部……ご、ごめんなさい、存じません」

 

「そしてこっちは新田剣丞、織田信長の夫で、超イケメンだ」

 

「織田の天人様だよ、空ちゃん」

 

「い、いけめんさん……ですか?」

 

「いや、紹介してくれるのは有難いけど、イケメンって紹介の仕方はどうなんだ?」

 

「いけめんに服部……言葉の意味は良く分からんですけど、とにかく怪しいですぞ!」

 

「そうかそうか、それじゃあこのクソ面倒臭い時にクソ面倒臭い事を言うクソガキには、

 タワー・ブリッジでもいってみようか」

 

「お、脅しには屈しないですぞーっ!?」

 

愛菜が慌てて物陰に隠れる。

タワー・ブリッジがどんなものかは知らなかったが、語感から言ってロクなもんじゃないと直感的に理解したのだ。

 

「九十郎、あんまり脅かしちゃ駄目だって」

 

「はいはい分かったよ。

 とにかくだ空、それと愛菜、美空が心配してるから今すぐ脱出するぞ」

 

「はい!」

 

「……その2人、本当に信用できるでのすか?」

 

空は九十郎の言葉を信用して、すぐに立ち上がる。

一方愛菜はまだ微妙に警戒心を抱いている様子だ。

 

「信用できるよ、少なくとも俺よりはな。 何せ主人公様と、服部半蔵様だからな」

 

「うぅ~……空様はこの越後きっての義侠人、

 樋口愛菜兼続が必ずお守りしますぞぉっ!!」

 

「分かったから早く来い」

 

そうしてなんやかんやで6人が屋敷を出る。

 

「ご主人様、どうやら本隊が攻撃を開始したようです。

 巻き込まれない内に離脱しましょう」

 

「犬子が愛菜ちゃんを担ぎますから、剣丞様は空ちゃんをお願いします」

 

「頼むぜ主人公、俺と小波で先導する」

 

「ああ、わかった。 空ちゃん、しっかり掴まっててくれ」

 

「お、お願いします」

 

剣丞が空を背負い、あらかじめ決めておいた脱出経路へと向かおうとしたその時……

 

「あ……れ……」

 

ゆらりと剣丞の視界が歪んで、傾いた。

剣丞が自分の足がぷるぷると震えているのに気付いた直後……おんぶしようとしていた空共々、どさりと倒れてしまう。

 

「剣丞……?」

 

「ご主人様!?」

 

「剣丞様!? どうしたんですか!?」

 

急に倒れた剣丞を心配する九十郎達の声は、剣丞には届かなかった。

その時、まるで電機コードを抜かれたオモチャのように、剣丞の意識は闇に沈んでいた。

 

蘭丸によって死の一歩手前まで精力を収奪された影響は、剣丞が思っていたよりも深刻で……さっきまでしていた崖登りで、体力の限界を迎えてしまっていたのだ。

 

「ちょ、おい剣丞しっかりしろ!?

 てかマジかよ!? いくら俺でも剣丞と空と愛菜抱えてあの崖降りれねえぞ!」

 

「九十郎、いっそぷらんBを使うってのは?」

 

「駄目だ犬子、アレを使っても剣丞が気絶してるって所は全く変わらねえ。

 気絶した剣丞を担いで動かせなくなるから、かえって逃げ難くなるぞ」

 

なお、プランBとは、空と愛菜と潜入メンバー4人を犬子の御家流で犬に変え、こっそりと逃げ出す作戦である。

ただし小波と剣丞に犬子の御家流の存在がバレるため、最後の手段にするようにと美空から厳命されている。

 

「あ、あの、もしかして私が重かったせいで」

 

「空様は全然重くないですぞっ!

 むしろ軽すぎるくらいで、もっとたくさん食べて欲しいくらいですぞっ! どやっ!」

 

「ドヤ顔になってる場合かよ!? どうするんだ!?」

 

「大声を出さないでください! 人の気配が近づいて……皆さんどこかに隠れて!」

 

想定外の事態に、九十郎達が慌てふためいていると……

 

「九十郎殿、こんな所で何をなさってるんですか?」

 

地獄に仏とでも言うべきか、タイミング良く貞子がやって来た。

遠巻きに春日山城を取り囲んでいた美空達が攻撃を開始し、本格的にきな臭い空気になってきたため、空の身を案じて様子を見に来たのだ。

 

「貞子、愛してるぜ」

 

「貞子さん大好きだよ!」

 

「ふぁっ!? ええっ!? あ、いえ……わ、私も愛してますが……」

 

とりあえず犬子と九十郎は貞子に愛を告げた。

安い愛である。

 

「愛してるから空か愛菜のどっちか背負って崖から降りてくれ」

 

「貞子さん! 大好きだからお願いします!」

 

「……はい、分かってました。

 九十郎殿がそういう方だってのは知っていました、ええ分かってましたとも」

 

貞子は空を背負って崖から降りた後、九十郎のアゴに見事なアッパーカットを決めた。

 

……

 

…………

 

………………

 

そして変わった点その3。

九十郎達が空と愛菜を救出した日の翌日……

 

「う……ん……」

 

金ヶ崎の戦いからずっと昏睡状態であった桐琴が目を覚ました。

 

「母……? 母ぁっ!? お、おい大丈夫か? 生きてるのか!?」

 

他に用事がある時以外、ずっとつきっきりで見守っていた小夜叉の顔がぱっと明るくなる。

このまま目覚めないんじゃないのか、このまま死んでしまうんじゃないかと、ずっと不安と恐怖で一杯だったのだ。

 

「母、オレが分かるか? 目は見えるか?」

 

「ぅ……儂は……まだ、生きて……」

 

「ああ生きてる、生きてるぜ! ちゃんと生きて……生きて……」

 

小夜叉がぽろぽろと大粒の涙を零しながら、痩せ細った桐琴に抱き着く。

体温は低くて、脈は弱くて、肌もガサガサだったが……それでも、確かに生きていた。

それが小夜叉には嬉しくて仕方が無かった。

 

「……馬鹿が、儂を助けるためにわざわざ戻ったのか」

 

「すまねえ、母。 でも……でも、それでも……

 助けたかったんだよ、見捨てたくなかったんだよ……オレは……」

 

「馬鹿が、この馬鹿が……大事と小事を見誤りおって」

 

桐琴が悪態をつきながらも、小夜叉の手を握り返す。

子供のように泣きじゃくる娘を殴りつけ、私情で戦線から離れた事を叱責するべきとは思ったが……腕に力が入らず、視界が滲み、桐琴には小夜叉を殴る事すらできなかったし、怒鳴り声を出す事すらできなかった。

 

「腹が爆ぜた所までは覚えている。 あれからどうなった?」

 

「ああ、オレももう駄目かと思ったよ。

 だけどあの時、新戸っていう鬼みたいな奴が母を助けてくれたんだ」

 

「……どうやってだ?」

 

「えっと……それは……何か、御家流みたいなのを使って、母の手当てをしたって……」

 

小夜叉があの非常識な光景をどう説明したものかと悩みだす。

あーでもない、こーでもないと言葉を選んでいるうちに……桐琴の腹がぐうぅっと鳴った。

 

「ハラ減ってるよな、寝てる間ずっと何も食ってなかったからな。

 すぐに何か持ってくるから、待っててくれよ」

 

「ああ……いや、その前に一つ聞かせい。 剣丞は無事だな?」

 

「え……えっと……」

 

小夜叉の視線が泳ぐ。

直感的に、桐琴には小夜叉が何かを隠そうとしているとすぐに分かった。

 

「鬼に襲われたか?」

 

「いや、そうじゃなくて……オレも良く分からねえんだけど、

 変な鬼が出て来たんだ、本当の愛がどうとかって……

 それで、剣丞は今寝込んじまって……でも、命を落とすような状態じゃねえって、

 ちょっと寝込んでるだけだって」

 

「そう……か……」

 

『本当の愛』という言葉を聞いた時、桐琴は僅かに顔色を変える。

鬼に犯されていた時、そして胎が膨らみ、鬼子が産まれそうになった時に聞こえていた声が……『本当の愛はどこにある』だったからだ。

 

桐琴にはどうしても、あの時聞こえた声が、ただの幻聴だとは思えなかった。

 

「こうしてはおられんか……うぐっ」

 

立ち上がろうとした時、桐琴の顔が苦痛に歪む。

足を動かすと同時に、まるで骨が軋み、筋肉が千切れたかのような激痛に襲われたのだ。

 

「母っ! まだ動いちゃ駄目だろ!」

 

「この場所はどこだ? 一体何日寝ていた?」

 

「後でゆっくり説明するから横になっててくれ!

 すぐに何か食えそうな物を持ってくるからな!」

 

小夜叉はそれだけ言ってドタドタと騒々しい足音と共にどこかへと走り去ってしまう。

桐琴はもう一度立ち上がれないかと試してみたが、やはり両足はいう事を聞いてくれなかった。

 

「ぐっ……あ、歩けん……か……いや、当然か……」

 

胎が破裂し、骨と内臓が飛び散り、足は両方とも千切れて吹き飛んでいた。

あの時、自分は間違いなく死ぬと思った。

それがどんな奇跡が起きたのか、生きて娘とまた会えた、また話せた。

 

それだけでも感謝するべきだとは思う。

だが……

 

「もう、戦えんかもな……」

 

桐琴は戦場で生きた女だ。

生まれた時から死ぬ瞬間まで、戦場を駆け、槍を振るい、首を討ち、そして誰かに討ち取られて死ぬだろうと思っていた。

 

戦場以外の場所で生きる方法を知らなかった。

それ故に愛娘にだって、戦場での生き方以外何も教えられなかった。

 

「儂は……どうすれば良いのだ……」

 

もしかしたら、もう二度と戦場に立てないかもしれない。

今まで想像すらしてこなかった事実を突如として突きつけられ……桐琴は人知れず慟哭した。

 

……

 

…………

 

………………

 

「……うげ、何だこりゃ!?」

 

戸を開けた瞬間、小夜叉の視界が真っ白になった。

舌や鼻がぴりぴりする強烈な刺激臭を浴びせられ、思わずたじろいでしまう。

そしてその煙の奥で、モクモクと煙を立ち昇らせるパイプを加えた白髪の少女の姿があった。

 

その煙の臭いが何なのか、小夜叉には分からなかったが……それが健康に悪そうだという事だけはすぐに分かった。

 

「おい新戸! ここに居るんだろ! 母が目を覚ましたんだよ!」

 

小夜叉は煙の奥に向かってそう呼びかける。

金ヶ崎の戦いが終わってから、ずっと姿を消していた新戸を探していたのだ。

 

「あぁ……誰かと思ったら……小夜叉か……」

 

戸を全開にして、内部の煙は少し薄くなった。

小さな掘っ建て小屋の奥で尋ね人が……虚ろな視線を宙に浮かせていた

 

明らかにヤバそうな状態だった。

下手をしたら数時間前に目覚めたばかりの桐琴や、蘭丸とかいう鬼にヤられた影響で寝込んでいる剣丞と詩乃より拙い状態なんじゃないかと、小夜叉は思った。

 

「おい、大丈夫なのかよ?」

 

「阿片だ……痛み止めに使っている……

 超能力を使い過ぎると……頭が痛む……から、な……」

 

「超能力……? もしかして、母を助けるために無茶をしたのか?」

 

新戸はそうだとも違うとも言わずに、阿片の煙をすぱぁっと吸い込んだ。

 

「そ、そうだ、剣丞が昨日、急に倒れちまったんだよ」

 

「……あの状態で崖登りをしたのか?」

 

「ああ、そう聞いてるぜ」

 

それを聞くと、新戸は阿片が満載したパイプを口に咥えながら大きく息を吸い、

ふうぅっと陰鬱そうに息を吐いた。

 

「オレは止めたんだけどなぁ……」

 

この世界の新田剣丞も、幾多の並行世界の新田剣丞達と同じように、自分の言う事を全然聞かないと再確認した。

 

「なあ、剣丞はどうなんだ? 何かヤバい事になってねえのか?」

 

そして新戸が何かを考え、何かを言おうとした瞬間……

 

「イタイ……」

 

ぼそりと呟き、新戸がぶるぶると震え始める。

 

「イタイイタイッ! イタイイタイイタイイタイィッ!!

 イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイイィィィーーーっっ!!」

 

新戸が突如、狂ったように頭を掻きむしり狂気の叫びをあげる。

ボリリボリと頭を掻き……いや、引っ掻き回す。

指と髪が血で染まる程に強く強く引っ掻き続ける。

 

あっという間に、新戸の顔と指は血で真っ赤に染まってしまう。

 

「お、おい大丈夫かよ!?」

 

小夜叉が心配そうにそう尋ねると、新戸はピタリと動きを止め……

 

「超能力は……御家流は強い意志で物理法則を捻じ曲げる事だ……

 リスク無しでは……何の代償も無く使える力じゃない……

 使い過ぎれば皆こうなる……小夜叉もこうなる……

 オーディンすらも、あの恐るべきルーンマスターですらも避けられない……」

 

そして何かをぶつぶつと喋り始める。

小夜叉は一瞬、自分に話しかけているかのように思ったが、すぐにそれは間違いだと気付く。

 

新戸の視線はどこにも向けられていなかった。

まるで虚無そのものが浮かんでいるかのような、虚ろな瞳であった。

 

「阿片で痛みだけは和らぐ、痛みだけは……

 痛みだけだ、痛みだけ……脳と神経にかかる負担は誤魔化せない……」

 

「おい、阿片って大陸で手に入るヤバイ薬だろ!?

 使いすぎたら身体をボロボロにしちまうって……」

 

そして小夜叉の目の前で、新戸は阿片の煙を大きく吸い込む。

超能力の反動を少しでも和らげるために。

身を引き裂くような激痛を少しでも和らげために。

 

小夜叉にはそんな新戸の姿を見ると、どう見たって健康的な使い方をしているとは思えなかった。

 

「小夜叉……九十郎には、言うな……」

 

そして朦朧とする意識の中で、新戸は小夜叉にそう告げる。

 

「九十郎に……情けない所……見せたくない……」

 

「あ、ああ……」

 

小夜叉がコクコクと頷くと、新戸は意識を手放して、深い深い眠りについた。

失神するかのように……いや、新戸は阿片の吸い過ぎで失神し、眠りに落ちた。

 

「ああ、くそ……結局、聞きたい事は何も聞けなかったな……」

 

新戸が完全に意識を失ったのを確認すると、小夜叉ははぁっとため息をついた。

少しだけ、頬を叩いて起こしてやろうかとも思ったが……

 

「こいつ……こんなになるまで御家流を使って、母を助けてくれたんだよな……」

 

少なくとも、新戸がいなければ、新戸が自らの身体を蝕む程に超能力を使わなければ、自分の母親は間違いなく身体を破裂させて死んでいた事だけは分かった。

 

「ごめんな、それと……ありがとな」

 

だから小夜叉は、自分の服を1枚脱いで気絶した新戸にかけて、せめてもの感謝の気持ちを告げた。

 

外はまだまだ肌寒く、サラシ一枚では風邪をひきそうだと思ったが……それでもなお、こんなになるまで頑張って自分の母を助けてくれた恩人を放置する気にはなれなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。