長尾の陣幕の中、傷病者の収容のために作られた簡易療養テントにて、森桐琴長可が……小夜叉の母が静かに、規則正しく寝息を立ていた。
「母……」
小夜叉が小さな声で呼びかける。
親に似て粗暴に見えて、親に似ずに思いやりがある娘だ、他の怪我人、病人が休めなくなるような大声を出すような真似はしない。
「母、まだ起きれねえのか……?」
桐琴は何も答えない。
何の反応も示さない。
あの金ヶ崎の敗走から3日が経つが、桐琴はまるで目覚める気配が無かった。
新戸ができる限りの手当てをしたとはいえ、桐琴の身体はズタボロだった。
生きているのが不思議な位、ズタボロだった。
「起きてくれよ……頼むから起きてくれよ……なぁ、母……」
小夜叉が桐琴の手を握る。
異様な程に冷たかった、異様な程に脈が弱々しかった。
まるで死人の手を握ってるみたいだと、小夜叉は思った。
もしかしたらもう、母は死んでしまっているのではないかと、母は二度と目覚めないのではないかと、小夜叉は思った。
「オレを1人にしないでくれよ、母……助けに行った事は、謝るからさ。
母の決意と覚悟を踏みにじった事は、謝るから……だから……」
小夜叉が桐琴の手を握りしめながら、強く強く握りしめながら、
懺悔の言葉を吐き出していく。
この場に雫か梅がいれば、詰みは許されましたと言うだろうが、桐琴は何も言わない……許すとも、許さぬとも言わない、何も言わない。
まるで死人のように、何も言わなかった。
「行かなきゃな……」
そして東の空が徐々に白み始めた頃、小夜叉はそっと桐琴の手を放す。
一瞬、これが今生の別れになるんじゃないかと思い、背筋が凍るが、それでもなお小夜叉は手を放す。
「いつまでもめそめそしていたら、母に叱られるからな……」
小夜叉が立ち上がる。
彼女にはやらなければならない事があって、行かなければいけない場所があるのだ。
「オレは今、ぱぁとたいむ森一家なんだ。
ぱぁとたいむってのは、実は良く分かってねえんだけど……
犬子と九十郎に、でっかい借りを作っちまった事だけは分かってる。
母を助けに向かうのを手伝わせておいて、
オレが何も手助けしねえのは不義理だって事は分かってる。 だから……」
小夜叉が近くに立てかけておいた愛槍・人間無骨を背負う。
そして同じく立てかけておいた、九十郎から贈られた銃・ウィンチェスターを背負う。
九十郎から替えの弾薬をたっぷりと渡された、この時代ではオーバースペック気味の殺人兵器である。
「行ってくる、春日山城に。 待っててくれよな、母」
……
…………
………………
「ハイ、と言う訳で、おきらくらくしょー、敵情視察いってみよー」
九十郎が服部半蔵の前でそんな訳の分からない台詞を言う。
半蔵……小波は意味が分からず、首を傾げるばかりである。
「相変わらずノリが悪いな小波は……」
「の、のり……ですか……?」
なお、お気楽忍伝ハンゾーのネタが戦国時代で通じると思っているのは九十郎だけである。
マイナーすぎて、大江戸学園でも数える程の者にしか通じない。
「つまり早い話がだ、長尾春景とかいう赤影の親戚みたいな奴のとっ捕まった空と、
正直あんまり助けたくねえけど愛菜もついでに助けるため、
今の春日山城の状況を調べましょうって事だ」
「ついでってお前……」
「ついでと言ったらついでだ。
俺は別に、愛菜の事なんて全く、全然、これっぽっちも心配なんかしてないんだからな」
九十郎がツンデレっぽく言う。
しかし、口ではこう言ってはいるが、実は多少は愛菜の事も気にかけている。
多分死んだら美空や空が悲しむだろうなとは思っているから、空を救出した後、余力があれば助けに行ってやろうか程度には考えている。
その口調から、九十郎の本心を察した剣丞は……
「(やっぱり九十郎の事、敵って感じに見れないんだよなぁ……)」
……なんて事を考えている。
犬子も犬子で、九十郎の本心を察してにやにやと笑っていた。
「まあ愛菜の事はともかくだ。 剣丞、ここから先は二手に分かれるぞ」
「分かってる、俺と小波、それと転子の3人と……」
「俺と見た目幼女共の5人で、各々情報収集だ」
「どっちが先に空の居場所を探せるか、競争なのです!」
「頑張るの!」
「わんっ!」
「こういうちまちました話は苦手なんだけどなぁ……四の五の言ってはられないか」
九十郎と見た目幼女共……綾那と、鞠と、犬子と、小夜叉の4人は気合十分といった様子だ。
ちなみに見た目幼女共とは、犬子、小夜叉、綾那、鞠の4人の事であり、戦闘力はクッソ高い癖に童顔だったり貧乳だったり身体のラインが細かったりで、ぶっちゃけ幼女にしか見えない連中を指す。
無論、小夜叉と綾那は実年齢も幼女と言っても良いのであるが、基本大雑把な九十郎は全員一括りにして見た目幼女と呼んでいる。
だから貴様は九十郎なのだ。
「剣丞様、あっちの班ですけど、正直情報収集に向いてなさそうに人しかいないような……
その……み、見た目からして奇怪と言いますか……」
転子がひそひそと剣丞に耳打ちをする。
それもその筈、見た目幼女共は腕っぷしだけで選考したのかとお言いたくなる位、
隠密行動には向いてなさそうな者ばかりなのだ。
「なあ、九十郎……何で犬子は、あんな恰好なんだ?」
剣丞が九十郎にそっと尋ねた。
剣丞の言う通り、犬子は今かなり奇怪な恰好をしていた。
顔全体に白粉をこれでもかって位につけて、真っ白になった顔に赤い隈取りを……まるで歌舞伎役者か何かのようなメイクをしていた。
しかも実戦で使うには明らかにデカ過ぎるだろとツッコミを入れたくなるような、三間半(約6m30㎝)の槍を担いでいた。
「犬子はお城を占拠した人達に面が割れてますからね。 こうやって変装してるんですよ」
九十郎に代わって、犬子が剣丞の疑問に答えた。
「いや、でもそれ、かえって目立つと言うか……かなり浮いてると言うか……」
剣丞が心配する通り、道行く人々が全員露骨に一行を避けて歩いており、時々周囲からひそひそと何か話している様子も伺えた。
剣丞達は今、春日山城から空を奪還するための作戦を練るべく、現地調査に来ているのだが……この目立ちようでは調査どころではない事は明白であった。
「それにもう一個、利点がある」
「そうそう、もう一個利点があるんですよ、剣丞様」
そう言うと犬子と九十郎が目の前でくるりと回転し……
「恰好良いっ!!」
「恰好良いっ!!」
声を揃えて頭が痛くなるような事を口走った。
「うん、そうか……恰好良いのか……」
剣丞は理解しがたい状況に硬直しつつ、どうにかこうにかそれだけ返事をした。
「つまりわざと目立って注意を引くって目的もある訳だ、
俺は別に弦巻マキスタイルでも良かったんだけどな」
「この間こすぷれえっちした時に使った衣装?
あれ、結構気に入ってるから、あんまりお仕事に使いたくないかな~」
この男は前田利家を何だと思っているのだろうか。
「それで歌舞伎役者スタイルになった訳だ」
「うんうん、犬子的にはこっちが良いかな、気分が引き締まる感じ」
「俺は見た目幼女共を連れて派手に行くから。
剣丞は小波や転子とかと一緒に目立たず静かに色々調べておいてくれ」
「……責任重大だな」
「……ですね」
九十郎達の班にはとても頼れないぞと、剣丞と転子がげんなりとした表情で肩を落とす。
軒猿と呼ばれる、長尾が抱える諜報機関も裏で動いてくれているとは聞いているが、この調子ではあんまり頼れそうにないなとも考えてしまう。
「目指せ100人斬りなのです!」
「斬ってどうすんだよ!」
「友達100人できるかな! なの!」
「友達作りから始める気か!?」
小夜叉がツッコミに回る程の珍妙な集団を背に、剣丞達は足早に立ち去る。
一刻も早く空の居場所を突き止めなければという思いもあるが……正直、関係者と思われたくないという思いも確かにあった。
そんなこんなで……
……
…………
………………
「おめでとぉ~ございまぁ~っす!!」
「いつもより余計に回っておりま~すっ!!」
「犬子は肉体労働専門っ! あっちは喋るだけぇっ!!」
「「それでギャラは同じっ!!」」
天下の往来でこんな事をして盛大に目立って……
物陰からそんな5人を覗き込む謎の影に気づかず、能天気に染之助・染太郎の芸だとか、
ディアボロのジャグリングだとか、神道無念流の居合芸だとかを披露し……
……
…………
………………
「んぐっ!? お、おい何を……うわわっ!?」
見た目幼女共の1人が謎の巨漢に背後から襲われ、物陰に連れ込まれ……
「ひゃっ! や、やめろ……脱がすな! この……」
男と女の体格さ、力の差で押さえつけられ、槍も鉄砲も衣服も無理矢理剥ぎ取られ、下着すらも残らず失い、一糸纏わぬ姿にされ……
「はぁっあ、あぁ! 馬鹿、この……離せよ……」
抵抗も空しく、顔に白いモノを塗りたくられ……
「……おい、何でオレはこんな格好をさせられてるんだ?」
気がつけば見た目幼女共の1人……森小夜叉長可は、顔じゅうに白粉を塗りたくられ、さっきまで犬子が着ていた着物を被せられ、カツラも被せられ、胸には詰め物までされて遠目から見れば変装した犬子にそっくりの見た目になっていた。
小夜叉も抵抗はしたのだが、いくらなんでも本多忠勝、今川氏真、前田利家が3人がかりで来られては、どうする事もできかった。
ぶっちゃけ呂布でもどうにもできない面子である。
「ごめんね小夜叉、犬子はちょっと寄らなきゃいけない所があるからさ」
しれっと小夜叉の衣服を奪い取って交換している犬子が、
顔の白粉とふき取りながら謝ってくる。
小夜叉の服は前面が大きく開いたデザインのため、巨乳の犬子でも問題なく入りそうなのは、不幸中の幸いであろうか。
「だからって何でオレがこんな目に……胸にこ~んなに古紙押し込んでよ……」
「特徴的なメイクと髪型、長槍、そしてもっと特徴的な巨乳を似せれば、
細部がちょっと違ってても同じ人物に見える。
映画のスタントシーンで使ってる手だよ」
「小夜叉ちゃん、とっても可愛いの!」
「可愛いのです!」
「へーへー、そーかいそーかい。
おい九十郎、俺の骨無とウィンチェスター、粗末に扱ったら後でブチのめすからな」
鞠と綾那が口々に小夜叉を褒めるが、小夜叉は今一機嫌が良くない。
いきなり理由も言わずに襲い掛かってきて、素っ裸にされた事への怒りもある。
素っ裸にされた上、訳の分からない珍妙な格好を押し付けられた事への怒りもある。
自分と犬子の胸囲の格差社会を見せつけられた事への憤りもある。
だが何より重要なのは……
「(やべぇな……足が震えてやがる……)」
これでもかってくらいに白粉を塗りたくられていたため、周囲は気づいていなかったが、小夜叉の顔は少し青かった。
隈取りメイクのために周囲は気づいていなかったが、小夜叉の表情は僅かに引きつっていた。
小夜叉の母、森桐琴可成と同じように、無理矢理押し倒され、無理矢理身体を開かされ、そして犯され、孕まされ、そして……
……ぱんっ!!
そんな背筋が凍るような音が、小夜叉の耳に届いたような気がした。
それは単なる思い込み、幻聴の類であったし、小夜叉自身もそうだと気づけたが……小夜叉は怖くて怖くてたまらなかった。
おしめをしていた頃から戦場を渡り歩き、おねしょが止まる前に100を超える人殺しを繰り返してきた小夜叉にとって、男が怖い、他人に肌を晒すのが怖いなんて事、初めての事であった。
「(畜生、何だってんだ……)」
小夜叉は自分が震えている理由から目を逸らす。
自分が感じている苛立ちからも目を背ける。
金ヶ崎で、桐琴を助けるために戦っていた時は、こんな恐怖は感じなかった。
必死だった、死に物狂いだった、
今戦わない母が死ぬと思った、今戦えないと母が死ぬと思った。
だから戦ったし、戦えた、恐怖は感じなかった。
だけど戦いが終わり、現実を認識すると……
「(オレも……母みてぇに……)」
桐琴は小夜叉の目の前で破裂した。
新戸が必死になって応急処置をしたために辛うじて一命は取り留めていたが、未だに目を覚ましていない。
もしかしたら、もう二度と目を覚まさないかもしれない……だから……
「(くそっ! くそぉっ!! オレがしっかししねぇといけねえのに……
母にもしもの事があったら、オレが森一家の頭領にならねぇといけねぇのに……)」
小夜叉は震えていた。
怖くて怖くて……怖くて怖くて怖くて怖くてたまらなくなって、人知れず震えていた。
「おい糞弟子、気づいてるか?」
そんな小夜叉をよそに、九十郎が隣を歩く綾那に小さく声をかける。
「当然、気づいてるですよ」
「思ったより分かり易いの」
鞠と綾那が、周囲に漏れぬよう小さな声で返答する。
表面上は普通に歩いているように見えて、その視線は背後にいる小夜叉……
ではなく、さっきから4人を尾行している人物に向けられていた。
天賦の才能と神道無念流が悪魔合体した綾那も、
抜けているようで意外と抜け目ない鞠も、見た目より小心者の九十郎は、
追跡者にしっかりと気づいていた。
「……なんか、色々隙だらけなの」
「慣れてない感じがするのです」
「長尾春景だったか、意外と人手不足なのかもなあ。
まあ良い、人気の無い所まで誘導してブチのめして情報を抜くぞ」
「らじゃ~なのです!」
「任せるの」
「……おう」
九十郎達4人があらかじめ決めておいた襲撃場所へと歩みを進める。
九十郎は最悪強制わんわんセックスの刑にでも処してやろうかと下種い事を考えながら。
歩いて、歩いて、歩いて……
「九十郎、何か変なの」
「変って、何がだ?」
「何かこう……挙動不審なの。
あちこちキョロキョロして、あからさまに物陰に隠れて、しかも全然隠れられてないの」
「まるで見つけてくださいって言ってるみてーです」
「……無関係な奴だったら拙いかな。 一応、ブチのめす時は適度に手加減しておくか」
途中、何やら変だな~っという感じもしたが、とにかく歩き……
「斎藤ニーブロックッ!!」←ノリノリ
「忠勝ボンバー!!」←ノリノリ
「氏真チョップなのっ!!」←ノリノリ
「長可バスター!!」←ヤケクソ
「ぐわっ!? な、何だいきなり……」
本多忠勝、今川氏真、森長可、ついでに斎藤九十郎の、
同時に相手をするのは呂奉先でも無理なカルテットに襲われ、
謎の尾行者は成す術も無くブチのめされた……
一応、大怪我はさせないように手加減はされたが。
「ぜぇ……はぁ……い、意外と粘ったなこいつ……」
「タイマンだったらやばかったか……」
「忠勝スペシャルから抜け出したのはお前が初めてです。
使ったのも初めてだったですけど」
忠勝スペシャルとは、綾那の天賦の才をゴミ箱にダンクシュートして放つ釣り天井固めである。
マッチョな大男の眼前で、長可バスターと忠勝スペシャルをくらい、大股開きにさせられた謎の尾行者の羞恥と混乱はいかほどのものであろうか。
「お前もまさしく強敵(とも)だったの」
「んん~~っ!! んんぅ~~~っ!!」
さておき、まるで勇なまシリーズの魔王の如く簀巻きにされ、猿轡も噛まされた追跡者から、目深にかぶった帽子を剥ぎ取り……
「あれ? この帽子どっかで見たような……」
九十郎がようやく気付く、追跡者の帽子が霧雨魔理沙が被っている特徴的な三角帽に良く似ている事に。
そして霧雨魔理沙が持っている八卦炉に良く似た小物入れも持っている事に。
どちらもかつて、九十郎がこの世界で作り、ある人物に贈った物で……
「あれ……粉雪……? な、なんでここに粉雪が!?」
そこには、本来ここにはいない筈の、いちゃいけない筈の人物が立っていた。
鞠が唖然とした様子で猿轡を外す。
「その……来ちゃったんだぜ……」
粉雪が物凄くバツが悪そうに言った。
それはまるで悪戯がばれて、どう誤魔化そうかと必死に思考を巡らせる子供のようであった。
「いや来ちゃったんだぜじゃねえよ。 何しに来た!?
ここは上す……じゃない、長尾の勢力圏内だぞ。
武田四天王のお前が見つかったらやばいだろっ!」
「典厩様から、信虎様の様子をそれとな~く探って来いって言われて。
そういうのは苦手だって言ったんだけどな、
信虎様が長尾の食客になってる話をまだ広めたくないからって、
どうしてもあたいにやれって……で、仕方なく……」
「典厩様って誰だ?」
「温泉の時に一緒だっただろ!?」
「ああ……言われてみればいたな。
温泉の時に会ったちびっ子か、確か武田晴信の妹って言ってた」
「ねえ、粉雪ちゃん。
もしかして、美空のお城が奪られちゃったのって、武田が何かしたの?」
「それは違うんだぜっ! いや……あたいや典厩様が知らないってだけで、
お屋形様がなにかしたって事はあるかもだけど……少なくともあたいは知らないぜ」
「本当かよ?」
「信じてくれよっ! 春日山に来たら何か変な騒ぎになってるし、
九十郎はどこにもいないしで、もう訳が分からねぇんだぜっ!
だから……だからその……」
粉雪が恥ずかしそうに目線を伏せ、ちらちらと九十郎を覗き見る。
頬が赤くなり、少し汗が出ていた。
そして……
「あ……会いたかった……ぜ……」
そう告げた。
簀巻きじゃなかったら恋愛ドラマのワンシーンのような光景である。
「お……おぅ……」
九十郎は不覚にも、可愛いと感じてしまった。
相手が山県昌景で、歴史上の偉人と分かっていたが……それでもなお可愛いと思ってしまった。
「粉雪、少し時間はあるか?」
だからこそ九十郎は、普段の九十郎ならやりそうもない提案を持ちかける。
「あるぜ! まだ信虎様の居場所も分かってないからな」
微妙に食い気味に、粉雪が答える。
「そんじゃまあ……特等席で信虎の様子を確認させてやるよ」
九十郎がげっへっへっと悪役笑いをした。
……
…………
………………
……その日の夜。
「美空様、春日山城の隠し部屋、まだ誰も入ってないみたいです。
出入り口や戸棚に仕込んでおいた柘榴の髪の毛は、一本も切れてません」
一足早く長尾の本陣に戻って来た犬子が美空にそう報告する。
「そう、それは朗報ね。 設計図はちゃんと始末してくれた?」
「ちゃんと全部燃やしておきました。 それに……」
犬子の懐から、鋼鉄製のネジや釘が何本か出てくる。
「こんな感じで、部品を何個か抜き取っておきましたから、
無理して撃とうとしたら爆発します」
「素晴らしい、これで万一四斤山砲が見つかっても撃たれる心配はなくなったわね」
美空は正直、城に隠していた四斤山砲が敵に利用されたり、武田に情報が流れたりすることを心配していた。
そのため、犬子の報告は美空にとってかなりの朗報だ。
「美空、空って娘が捕まってる場所がわかったよ」
二番目に本陣に戻って来た、新田剣丞が美空にそう報告する。
「本当に!?」
「直接見に行けた訳じゃないが……
春日山城の最奥、直江さんの御屋敷に監禁されているらしい」
「人質は最奥部……いえ、当然と言えば当然の話ね。
流石の春景姉様もそこまでボケちゃいないか……」
予想はしていた事とはいえ、空と愛菜を助け出す事が相当困難な事であると分かり、美空は陰鬱な気分でため息をついた。
「拙いわね……下手に攻撃を加えたら、逆上して危害を加えられるかもしれない。
でも時間をかけて交渉をしようにも、武田が何をするか分からないし……」
四斤山砲が武田や北条に渡ったら……と、美空は最悪の事態を考える。
長尾春景はたぶん、部品が抜かれた四斤山砲を欠陥品か未完成品と考えるだろう。
だがしかし、武田の北条の連中が見れば、あの武器が今までの攻城や海戦の常識を一気に覆すような、画期的な新兵器だと気付くかもしれない。
美空はそれが怖いのだ。
そして同時に、もしかしたら自分は空と愛菜を見殺しにして、
四斤山砲の秘密を守る事を優先させかねない……そう思っていた。
「その事なんだが……俺に一つ、考えがあるんだ」
「考え……?」
「後ろの崖を登り、屋敷に直行する」
「はぁっ!?」
美空は一瞬、剣丞の正気を疑った。
「貴方自分が何を言ってるか理解してる?
それともあの崖を実際に見ないで言ってるのかしら?」
「いや、実物は見てきた、その上で可能だと思ったから言っているんだ」
「……本気なの?」
「本気だよ。 美空達は正面から攻める、
俺達は相手の注意が正面に向いている間に背面から侵入する」
「貴方がそれをるって言うの?」
「ああ、やる」
「失敗したら死ぬわよ」
「必ず助けて見せる」
美空が剣丞をギロリと睨みつける。
しかし、剣丞は少しも怯まずに見つめ返す。
命懸けは覚悟の上だと、美空には分かった。
「主人公、か……」
美空は何となく、嫌な感じがした。
剣丞を見て、まるで物語の主人公のようだと感じた、頼もしいと思った。
織田久遠信長や、足利一葉義輝が惚れこむのも無理は無いかと思った。
それに美形だと思った。
目と目が合うだけで、思わず頬が熱くなるような超のつく美形だと思った。
ブ男の九十郎とは比べる事すらおこがましいと。
だがしかし、だがそれでも……
「九十郎の方が頼もしいし、恰好良いわよ……絶対……」
美空は少し悔しそうな顔をして、小さく小さく呟いた。
「まあ、どんぐりの背比べみたいな争いだけど。
九十郎が恰好良いって言ってもそこまでじゃないし、
私が気にかけるようなものでもないけど。
剣丞に比べればいくらか……ほんのちょっぴりだけマシってだけだけど」
そして誰かに言い訳をするかのように付け加えた。
「美空、何かぶつぶつ言ってるけど、どうしたんだ?」
「いえ、なんでもないわ。 それより貴方の作戦、やってみましょう」
そして……
「美空、通りすがりの霧雨魔理沙さんが助太刀してくれるってよ」
「通りすがりに霧雨魔理沙だぜ、腕っぷしには自信があるぜ、任せろなんだぜ」
三番目に戻って来た九十郎がそんな事を報告してきて、魔理沙っぽい帽子と、魔理沙っぽいエプロンドレスを着こんだ自称霧雨魔理沙がびしっとサムズアップした。
「……え?」
だがしかし、自称霧雨魔理沙はどう見ても山県昌景であった。
この男は粉雪をどこに連れて行く気なのだろうか。
「九十郎、ちょっと……」
美空が九十郎の手を引っ張り、物陰へと移動させる。
1人目の報告は胸が安らぐ朗報であった。
2人目の報告は胃がキリキリするような話ではあったが、希望もまた残されていた。
3人目の報告は美空の胃壁をゴリゴリと削りながらも、何の希望も見いだせない、救いようの無いものであった。
とりあえず美空は九十郎を殴っても良いだろう。
「何考えてるの! 何考えてるの! 本当に何考えてるのアンタはぁっ!!」
「えっと……空とついでに愛菜を助けに行く事」
「ええそうね、それは大事な事よね、
でもだからって武田四天王連れて来る馬鹿がどこにいるのよぉっ!!」
「俺だ」
「馬鹿やってる自覚あんなら自重しなさいよこの馬鹿ぁっ!!」
美空のツッコミは今日も絶好調である。
「ねえ貴方人の話聞いてた? 武田晴信抹殺用に用意してるアレとかソレとかコレとか、
武田と北条にバレたら困るって何度も何度も言ってるわよね」
アレとはドライゼ銃、ソレとは四斤山砲、コレとはハー・バーボッシュ法を意味する。
決して忍者の最終奥義では無いし、宇宙忍群ジャカンジャが狙うような代物でもなく、邪悪な意志でもない。
「剣丞達抱え込んでる時点で今更だろ」
「織田と松平は良いのよ! 武田を殺した後で教えるつもりなんだから!
でも武田を殺す前に武田に知られたら作戦の前提が崩れるし、
北条にバレたら絶対色々要求してくるじゃないのぉっ!!
それを……それをよりにもよって武田四天王!?
絶対に情報が流れるじゃないの馬鹿ぁっ!!」
美空が九十郎の首をブンブンと揺さぶりながら訴える。
そのまま首を叩き落とした方が美空は平穏な毎日が送れるのではなかろうか。
「だが、今回の戦じゃドライゼ使う気無いんだろ?」
「……まあね」
「なら問題あるまい、撃たなきゃドライゼは変なレバーくっついた普通の鉄砲だよ。
それに今は猫の手も借りたい時だし……粉雪はそこらの猫より強いぞ」
美空は遠くで待ってる山形正景を……自称霧雨魔理沙に視線を向ける。
ちょっとソワソワして、何度も何度も帽子の角度を直している少女を見つめる。
なんとなく美空は、彼女も自分と同じく、九十郎に恋をしてるのではと思った。
山県昌景だから出会った、山県昌景だから愛されない、ただの粉雪には決してなれない。
上杉謙信だから出会った、上杉謙信だから愛されない、ただの美空には決してなれない。
なんとなく美空は、自分と粉雪の境遇が似ているような気がした。
だから……
「……認めるわ」
だから美空は、粉雪を追い出す事ができなかった。
馬鹿な事をしているという自覚はあったが……失礼な言い方になるが、粉雪が哀れに思えたのだ。