「お前ら、何かあったのか?」
「……色々あったよ」
九頭龍川沿岸の陣で合流した九十郎は、最初にそう尋ねた。
詩乃や雫の着衣が乱れていたり、綾那が上半身裸で、しかも髪が白濁液でギトギトになっていたり、剣丞がやつれて、肌が土気色になったりしていたのだ。
「俺が目を離した隙に官兵衛の服が破れてるんだが。
おい剣丞、まさかとは思うがてめぇ……」
「だ、大丈夫です! 私と剣丞様とは何もありませんでしたから!
その……えっと……道中に、妙な鬼が現れまして……」
「剣丞に押し倒された訳じゃないのか。 なら良いか」
最悪の想像が外れたと知り、九十郎がほっと胸を撫でおろす。
「(こ、これって……嫉妬されてるんですよね……
私が剣丞様に取られるんじゃないかって……)」
そんな九十郎の仕草を見て、雫は自分が愛されているのだと思う。
自分が愛されているのだと思い、胸が熱くなるのを感じる。
九十郎から貰った素敵な指輪にそっと手を添える。
真実は新田剣丞が梅毒(誤解)に感染しやしないかとヒヤヒヤしているだけだが、恋愛経験に乏しい雫はそれに気づくことができない。
なお、100%誤解である。
「そっちこそ、井伊直政さんが……その……」
「老いてるだろ、あいつは超能力を使い過ぎるとああなるんだよ。
心配すんな、一週間くらい栄養のある物食って安静にしてりゃ元に戻るから」
一方、新戸は超能力の使い過ぎで虫の息であった。
頬はこけ、肌はシワだらけになり、髪からは艶が消えていた。
その見た目は完全に死にかけた老女のようであった。
「く、クズロー……腹減った……」
「分かった分かった、後で好きなだけ食わしてやるからな、ニート」
「すまん、クズロー」
「今日は良いよ、基本ニートのお前にしちゃ良くやってくれた。
どんなボンクラでも、露出狂でも、半裸の変態でも、殺人趣向でも、
パツキンのチャンネーでも、戦国DQN四天王でも、子には親が必要だ。
小夜叉をあの年で親無しにするってのは、あんまり気分が良くないからな。
死ぬ一歩手前まで能力を振り絞って桐琴の手当てをしたお前には、感謝してる」
とりあえず桐琴は九十郎を殴っても許されるだろう。
「桐琴さんは無事なのか?」
そんな剣丞の質問に対し、新戸と九十郎は目を見合わせて……
「まだ、分からない」
「まだ分らん」
全く同じタイミングで、同じような返答をした。
「分からないって……?」
「できるだけの手当はした、後は本人の生命力しだいだ」
「まあ、ディグダグみてえに破裂してたからな、思いっきり。
新戸が手当てしたっても、ありゃ助かりゃ奇跡だ」
「そうか……」
「まあ、昔から言うだろ。 奇跡ってのは、起きないから奇跡って言うんですよってな」
無神経な九十郎の発言に対し、剣丞はイラっとした。
しかし九十郎が言ったセリフは、死病に冒されながら奇跡的に回復したヒロインをもじったものであり、九十郎的には激励の言葉である。
九十郎にしては珍しく他人を気遣っている所は評価すべきかもしれないが、配慮が分かり難い所が九十郎である。
「助からなくてもオレを恨むなよ。 オレはできるだけの事をしたぞ」
「恨まないよ、絶対に。 希望が残ったんだ、感謝しないと」
「それより剣丞、そっちはそっちで何があったんだ。
明らかに分かれた時と見た目変わってるだろ、特に……」
「きぇんしゅけしゃみゃ~、しのはぁ~、しのはぁ~、
とおおおぉぉぉ~~~っても、きぇんしゅけしゃみゃに甘えたいのりぇすぅ~」
「特に詩乃の性格が変わってるだろ」
詩乃が壊れていた。
下半身だけマッパで、まるで泥酔でもしているかのように呂律が回らぬ様子で、幼児退行してるのかと思うような口調で剣丞に抱きついていた。
「きぇんしゅけしゃま~、けんしゅきぇしゃみゃ~」
恍惚とした表情で、詩乃は剣丞にべたべたと触っていた。
明らかに異常な状態だった。
「逃げてる途中に、変な鬼……鬼だよなアレ?
もしかしたら鬼じゃないかもしれない、変なのに会ったんだ。
そいつが、その……詩乃を犯そうとして、それからこうなってるんだ」
「どう思う、糞ニート」
「蘭丸に人格と魂を溶かされている。
あと1秒助けるのが遅かったら、手遅れになっていた。
人格と魂を完全に溶かされて二度と戻らなくなっていた」
「なら、詩乃は元に戻るのか?」
「安心しろ、一ヶ月くらい放置すれば戻る。 人間の魂は案外しぶとい。
完全に壊されたり、原型を留めない位に歪められてなければ戻る」
「そうか、そりゃ良かった」
「ああ、安心したよ」
剣丞と九十郎がほっと胸をなでおろす。
正直、一生戻らなかったらどうしようかと考えていたのだ。
「ただしその間、ストレスがかかるような事はするなよ。
戦の話を聞かせるとかは厳禁だぞ」
「それをやるとどうなるんだ?」
「運が良ければ歪んだ状態で戻る。
足の骨が折れた時に、歪んだ添え木で足を固定した時のように」
「二度とまともに歩けなくなるな。 運が悪いとどうなる?」
「死ぬ」
その言葉に、全員が同時に血の気が引く感覚を覚えた。
「……マジか?」
「頭がおかしくなって死ぬ。 そうでなくとも廃人になる。
蝶やカブト虫はな、サナギの時が一番死にやすいんだ。
自分の身体を一度ドロドロに溶かして、それを原料に成虫の身体を作っている。
だからちょっとしたショックですぐに死ぬ。
ミュータントロボだの、デスパー怪人と殴り合うなんでもっての他だ」
「そうか……」
「じゃあ、詩乃が剣丞にずっとベタベタしてるのはどういう理由だ?」
「人格の書き換えはな、まず一旦相手の魂をドロドロに溶かしきらないといけない。
そいつがどうでも良いと思っている部分程、速く溶ける。
そいつが大事だと思っている部分、そいつがどうしても捨てたくない、
手放したくないと思っている部分は中々溶けない……溶けるのは、一番最後になる」
「大事な……部分……」
剣丞が自分に寄り添い、気持ち良さそうに微笑む詩乃に目を向ける。
「きぇんしゅけしゃみゃ~、らぁいしゅきりぇすよぉ~」
心の底から、魂の底から剣丞を求めていた。
なんとなくだが、剣丞にも、九十郎にもそれが分かった。
「やっぱお前、主人公だよ」
「主人公……?」
「皆がお前を中心に回ってる。
織田信長も、豊臣秀吉も、竹中半兵衛も……やっぱり凄い奴だよ、新田剣丞は」
「そんな事は無いよ、皆が助けてくれなくちゃ……
今回に関して言えば、九十郎が助けに来てくれなかったらどうしようも無かった」
「そうか? 俺が居ても居なくても、なんやかんやでどうにかしたと思うぞ、俺は」
「詩乃やひよ子から愛されているって時点で、色々お察しだろ。
世界は新田剣丞を中心に回ってるって」
「そんな事は無いと思うぞ」
「いずれにしてもだ、魂に干渉しない、催眠術の類でもな。
そいつがどうでも良いと思ってる事を忘れさせたり、操ったりするのは楽だが、
逆に大事に思っている事を忘れさせたり、捨てさせたり、操ったりするのは難しい。
心が抵抗するんだ、そういう事をしようとすると」
「心が抵抗……か……」
剣丞はずっと自分に擦り寄ってくる詩乃の姿をもう一度眺める。
もし詩乃が心の底から、魂の底から自分を大事に思ってくれるなら、最高に嬉しいなと……そんな事を考えた。
「あの鬼は、本当の愛がどうとか言っていたけど……
あれはどういう意味だったんだろうか……?」
「あいつの言う本当の愛は……
自分の洗脳や、催眠術を跳ねのけるような『愛』を探したいという事だよ」
「洗脳、催眠術を跳ねのける愛……か……」
「だけどそれは、ただの無茶ぶりだ。
蘭丸の洗脳能力に対抗できる人間なんて、いる訳が無い」
「あれは……森蘭丸なのか?」
「ああそうだ、俺と同じ、特別な鬼子の森蘭丸だ」
「特別な鬼子? 君と同じって……君も鬼子なのか?
さっきは鬼みたいな見た目になってたけど」
「普通の鬼子は、超能力は使えないし、生まれる時に母親の子宮を破裂させたりしない。
俺も蘭丸も特別な鬼子だ」
「そういうもの……なのか……?」
一気に新情報が詰め込まれて、剣丞が少し混乱する。
こういう時に頼りになる剣丞の片腕とも言える存在は、現在魂を溶かされて幼児退行中であった。
「何かさっきから色々と分からない話ばっかりしてるけど、
すとれすってどういう事を言うのかしら?」
ずっと黙って話を聞いていた美空が、柘榴にそっと耳打ちをする。
「ストレスってのは、御大将がヤケ酒飲んで、ゲロ吐いたりしたくなるような状況っすよ」
柘榴もひそひそ声で美空からの質問に答える。
「要は精神的に辛い状態と……
柘榴、貴女覚えておきなさいよ、わざわざそんな例え方した事」
「御大将はいつも色々溜め過ぎっす、もう少し柘榴達を頼るっすよ」
「……考えておくわ」
考えはするが、考えた結果1人で抱え込む……それがいつもの美空である。
「御大将おおおぉぉぉ~~~っ!!
た、た、た……大変ですっ! 一大事ですっ!!」
そんな時、美空の陣幕に1人の女性が血相を変えて飛び込んできた。
「……例えば、こういう状況がすとれすなのよね」
「……そっすね」
美空と柘榴が同時にため息をつく。
秋子がこういう表情、こういう口調で、おっぱいぷるんぷるんと胸を震わせながら美空の元に駆け込んでくる時は、たいてい美空が頭を抱えたくなるような面倒毎が舞い込んできた時なのだ。
そしてしばらくの間、美空の酒量とゲロの量が増えるのだ。
「秋子、何が起きたか知らないけど、
すとれるかとかいうのががあると危ない娘がいるから……」
「か、春日山城が落とされました!
御大将の留守を狙って! 長尾春景様が謀反を起こしましたぁっ!!」
「聞けよオイ」
「し、しかも……落城の折に、空様と愛菜が拉致されてしまいましたぁっ!!」
そんな秋子の悲鳴のような叫びが陣幕に響き渡った。
当然、詩乃や剣丞の耳のも届く。
「まあ素敵、これがすとれすなのね。 これ以上無いくらいに理解できたわ」
美空は胃が痛くなる状況……つまりはいつもの事に深く深くため息をつく。
なんという事は無い、どうという事は無い、いつもの事だ。
いつものように……美空にとって悲しむべき事にいつものように、何度も何度も血反吐と共に味わったいつものように、いつ裏切るかヒヤヒヤしながら使っている者の1人が裏切っただけなのだから。
しかしその直後、異変が起きた。
魂を9割方溶かされ、まともな思考ができない筈の詩乃が突如……
「うううーーーっ!! ふぅ~、ふっ~……ぐううぅぅーーっ!!」
……突如として奇声を発し、近くにあった机の角に自らの額をガンガンとたたきつけ始めたのだ。
「わっ!? おい誰か止めろ! 本気で死ぬか廃人になるぞっ!!」
「し、詩乃! 大丈夫だから! 大丈夫だから落ち着け! 落ち着いてくれぇっ!!」
剣丞が慌てて取り押さえにかかるも、詩乃は凄い力で抵抗し、何度も何度も自らの頭を机に叩きつける。
彼女の額がパックリと割れ、顔が血で真っ赤に染まる頃、戦々恐々とした様子で詩乃に釘付けになっていた雫の両肩をがっしと掴んだ。
「ひっ!!」
雫は思わず肩を強張らせ、リモネシアの外務大臣のような声を漏らした。
ちょっとSっ気がある九十郎は思った、官兵衛可愛いなコンチキショウと。
この男はこの非常時に何を考えているのだろうか。
「ひ……一月……」
そんな雫や九十郎の反応を気にも留めず……気に留める余裕も無く、詩乃は鬼気迫る表情で声を出す。
「ひ、一月……だけ……代役を……雫……」
詩乃には余裕が無かった、必死だった。
雫が今、形の上では剣丞隊から離れている事をスパッと忘れていた。
魂が9割方溶かされて不安定になっている今の詩乃には、そこまで考えを及ばせる力すらなかった。
今の自分では剣丞の力にはなれない、だから力になれそうな人に託そう……雫ならばきっとそれができる。
いやむしろ、雫以外の誰にもできない。
今、詩乃が考えている事は、考えられた事はそれだけだった。
辛うじて溶け残った人格や思考では、それが精一杯であった。
「はい……分かりました、任せてください。 どうにかします、きっとどうにかしますから」
雫は詩乃にそう答えた。
詩乃の異様な迫力に圧倒されたからではない。
そもそも雫は、たとえ額に銃口を突き付けられようとも動じはしない。
心臓に毛が生えていなければ、戦国時代では生きていられない。
今自分が置かれている立場を考えに入れてもなお、詩乃の代役を引き受けたのは、その聡明さ故に分かったからだ。
詩乃がどれだけ剣丞を愛しているのかを。
魂が溶かされてもなお、詩乃は剣丞への想いだけは守り切ったのだと。
「大丈夫です、私がきっとどうにかします。
貴女の分まで、きっと剣丞様をお守りします。
だから安心して、今は休んでいてください」
雫がそう言うと、詩乃の顔からあらゆる表情が消え、まるで電池が切れたロボット玩具のようにその場に倒れ込んだ。
限界だった……いや、気迫だけで限界を超えた反動が来たのだ。
「詩乃!? 大丈夫か!?」
「大丈夫な筈があるかっ! 今すぐ運び出せっ!
余計な声が届かない所に安静にさせるんだっ!
次に余計なストレスを与えたら本当に死ぬからなっ!!」
剣丞と虎松がギャーギャー騒ぎながら詩乃を陣幕の外へと運び出す。
そんな光景を眺めながら、雫は思った。
自分は剣丞が好きだ、確かに剣丞に惹かれている。
だけど自分は、自分が胸に抱いている新田剣丞が好きだという気持ちは、詩乃の半分も……いや、10分の1にも届かないのではないだろうかと。
むしろ自分は、と……
「できる事なら剣丞様の隣で死にたい……あの言葉に嘘は無かったというのに。
剣丞様を支えたい、お仕えしたいという気持ちも失せてはいないのに。
詩乃さんに任せてくださいって言ったばかりなのに……
どうして私は、九十郎さんの事を思い浮かべるのでしょうか」
そんな事を呟きながら、雫は九十郎から貰った指輪に視線を落とす。
指輪が視界に入るだけで、胸がぽかぽかと温かくなるような気分になった。
心地良くて幸せな気分であった。
「どうして私はあの時、九十郎さんの名前を呼んだのでしょうか……」
あと少しで鬼に犯されそうになった時の事を思い出す。
あの時、詩乃は剣丞の名前を呼んだ。
あの時、自分は九十郎の名前を呼んだ。
嬉しかったのだ、播州ではぶっちゃけ成り上がり者の日陰者だった自分に、何度も何度も熱烈な求愛をしてくれた事が。
未だ大した実績も無い自分を求めて、遠く京までやってきて、強引に拉致してくれた事も。
そして自分と剣丞との仲に嫉妬してくれた事も。
雫は嬉しかったのだ、自分が女として求められている事が嬉しかったのだ。
だから……
「好きになるのも……貴方の妻になりたいって思うのも、仕方が無い……
そう思ってしまう自分がいます、九十郎さん……」
そんな独り言を言うと、雫は九十郎から貰った兜に一回、左手の薬指にはまったアクアマリンの指輪に一回、そっとキスをした。
たぶん自分は九十郎に恋をしているだと。
新田剣丞に臣として支えたい、自分の英知の全てを捧げたい……そう思う気持ちがあると同時に、九十郎の傍に居たい、共に生きたいという想いがあるのだと思った。
だからこそ……
「もしもこの先……剣丞様と九十郎さんを天秤にかける時が来たら……」
自らに問いかけたその質問に対し、雫は何の答えも用意できていない。
……
…………
………………
その日の夜……
「やっぱり、皆疲れ切っているな。 怪我人も多いし、矢も玉薬も無い……
これからどうなるかな……」
剣丞隊や森一家、八咫烏隊の生き残り達の様子を見て回っていた剣丞が、一人思いを巡らせる。
「桐琴さんと詩乃は倒れて、変な鬼子は出て、長尾で謀反……
俺達はこれからどうすれば良い……どうすればもう一度、久遠に会える」
今日会った感触からすれば、美空や九十郎は自分達に敵意を抱いていないように見えた。
しかし、九十郎はともかく、美空は一国の主だ。
いきなり攻撃されるとは思わないが、損得勘定抜きで自分達を助けてくれるとまでは考えにくい。
そして久遠達が無事に鬼の襲来から逃げ切れたのかも分からない。
もう一度生きて会う事ができるかも……
「頼む……頼むから無事でいてくれ、頼むから……久遠……」
剣丞は不安だった。
不安で仕方がなかった。
彼の愛する嫁達が……久遠や結菜を始めとした、彼と想いを重ね、身体も重ねた女達が鬼に襲われ、殺されているのではないかと。
鬼に犯されているのではないか、あるいは……あの異様な美しさを持つ鬼子と出会ってはいないかと……
「あの鬼は何だったんだ? それに九十郎と一緒に行動していた鬼の娘、
井伊直政って名乗っていたけれど、あの娘は敵なのか? 味方なのか?」
剣丞がそう呟くと……
「オレはお前が嫌いだ」
剣丞の真後ろからそんな声が聞こえてきた。
「わわっ!? き、君は……」
「井伊直政、通称は新戸、前にも名前を教えたと思うが……
この姿で会うのは初めてだな」
新戸は超能力の使い過ぎで、ヨボヨボの老婆のようになっていた。
だがそれでも、剣丞には目の前の人物が井伊直政だと理解できた。
その声が、謎の美鬼に襲われて、どうしようもなくなった時に自分達を助けてくれた声と同じだったからだ。
「その……まずはお礼を言わせてくれ。 助けてくれてありがとう」
「詩乃には悪い事をした。
もう少し早く気づいていれば、もう少し早く助けてやれた……
桐琴の治療に全神経を集中させていたから、気づけなかった」
「桐琴さんの具合はどうなんだ?
鬼の子を産んで、お腹が破裂したって聞いているけれど」
「できる限りの手当てはした。 バラバラになった皮膚や内臓はできるだけ集めて、
千切れた血管や神経はできるだけ繋いだ。
だが失血が多い、さっきも言ったが助かるかどうかは本人次第だ、断言できない」
「そうか、ありがとう、本当に……」
「このまま桐琴が目を醒まさなかったとしても、オレやクズローを恨むなよ」
「恨まないよ、俺達だけじゃ何もできなかった。
桐琴さんを見捨てて、逃げ出すだけしか……
いや、第七騎兵団が助けに来なかったら、逃げ出す事すらできなかったと思う」
「それはどうだろうな……」
新戸は知っている。
剣丞が金ヶ崎で死ぬケースは物凄いレアケースである事を。
エーリカがうっかりやり過ぎてしまう世界でしか、剣丞は死なないと。
だが今の所、新戸はそれを剣丞に教える気は無かった。
「今なら、どうにでもできるぞ」
その代わりに、新戸は剣丞にそう声をかけた。
「どうにでもって、何が?」
「詩乃だ。 魂を溶かされて不安定になっているが、それはデメリットばかりじゃない。
今なら魂に働きかけて、好きなように人格を弄れる」
「人格を……?」
「溶けた金属を型に入れるようなものだ。 オレにはそれができる。
剣丞が好きだという部分だけはどうにもできないが……そこ以外はどうにでもできる。
どんな性格にもできる、何を好み、何を嫌うかも好きに弄れる」
剣丞はそんな鬼か悪魔のような提案を聞き……
「やらない」
即答した。
迷いは一切無かった。
「それはやらない、しちゃいけない」
剣丞の目は真っすぐだった、どこまでもどこまでも真っすぐだった。
腹が立つくらい、反吐が出るくらい、吐き気がするくらいに真っすぐだった。
「……つまらない男だ」
新戸はそう言ってため息をついた。
「詩乃は詩乃だから良いんだ、詩乃だから好きになったんだ」
「ふん、詩乃がどうしようもない性格だったとしても、お前はやらないと言うだろうに」
「まあ、そうだろうね」
「だからつまらないと言ったんだ」
「つまらなくても結構だ」
「さっきクズローにも同じ質問をしてきた。 どう言ったと思う?」
「お前……まさか詩乃に何かしたんじゃないだろうな!?」
「いや、オレもクズローも何もしていない。 クズローは言っていたよ。
竹中半兵衛にそんな真似ができるかって」
「そ、そうか……」
一瞬だけよぎった悍ましい想像が外れたと知り、剣丞がほっと胸を撫でおろす。
「剣丞、気づかないのか? クズローは決してやらないとは言っていないぞ。
相手が竹中半兵衛だったからやらない、相手が服部半蔵だからやらない。
他の人間が相手ならやるんだ、クズローは」
「人の人格を自分の思うように歪めるなんて、やっちゃいけない事だ」
「ああそうだ、やってはいけない事だ。
お前はやっちゃいけない事は、死んでもやらないだろう。
お前は正しい、クズローは間違っている、それはクズローも理解している。
だがな……クズローはこうも言う、舐めプで死んでたまるかと」
「舐めプ?」
剣丞がむっとした表情で聞き返す。
詩乃の人格を歪めるという悪行が、まるで遊びか何かと同列に語られているかのようで、腹が立った。
「もう一度聞く、新田剣丞。
お前がやっちゃいけない事と言った事は、本当にやっちゃいけない事か?
お前が一瞥たりともしなかった選択肢は、本当に唾棄すべき禁忌だったのか?」
「やっちゃいけない事だ」
それでもなお、剣丞は即答した。
即答しなきゃいけないと思った。
一瞥たりともしちゃいけない選択肢だと思った。
「ああ正しい、お前が正しいよ新田剣丞。 だがそれ故に与しやすい、扱いやすい。
だからオーディンはお前を主人公に選んだんだ」
だが……それを聞いた新戸は、少し悲しそうな顔をした。
「曹操はな、どの世界でも多かれ少なかれ偏屈な奴を好む。
だからあいつの周りにはいつだって変人奇人でひしめいている」
「偏屈って……」
またも唐突な話題転換がされ、剣丞が眉間に皴を寄せる。
「知らないか? 変人偏屈の条件を? だったらオレが教えてやる。
変人偏屈な人は、その行為が人々に「希望」と「安心」を与える魅力が無くてはならない。
もっとも曹操は犯罪者でも普通に受け入れる、この条件はさほど重視しない。
変人偏屈な人は、その行為を一生やり続けていなくてはならない。
一時の目立とう精神や、人生の途中でやめた人は本物ではないニセ奇人なので、
尊敬に値しない。 そして何より重要な事、変人偏屈な人は、敵に勝利している」
「あ~……」
その言葉を聞いて、剣丞は自分の大勢いる姉の1人を思い出す。
確かあの人の愛読書に書いてあった定義そのままだったなと。
「それって、変人偏屈列伝? 華琳姉さんが何度も何度も読み返してた」
「そうかそうか、お前のいた世界でもそうだったか」
「俺の世界……?」
「気にするな、気が向いた時にでも教えてやる。
だけど今、お前に言うべき事は……
お前の叔父、北郷一刀はこれでもかって位の変人偏屈男だったという事だ」
「叔父さんを知っているのか!?」
「オレは知らん、だが知っているオレと話をした事がある。
北郷一刀と曹操が出会った世界では、必ず曹操は本郷一刀に惹かれるのだと」
「……叔父さんと曹操が出会うシチュエーションが今一想像できないんだけど」
「今お前が置かれている状況と大体一緒だ」
「俺と……?」
「お前が華琳と呼ぶ女は、曹操孟徳なんだ」
「はい!?」
今明かされる衝撃の新事実……
というか、あまりにも突飛な発言に対し、剣丞は声が上ずった。
「桃香は劉備玄徳、蓮華は孫権仲謀なんだ」
「いきなり何を言っているんだ君は!?
俺の姉さんたちが、三国時代の英雄だとでも……」
「安心すると良い、新田剣丞。
お前がその正しさを持ち続けているのであれば、お前はじきに元の世界に戻れるさ。
この世界、この時代で想いが通じ合った、沢山の嫁達と一緒に、
かつての北郷一刀と同じようにな……」
「質問に答えてくれ! どういう意味なんだ!?」
「ただしそれは、善意によって舗装された、地獄への道に他ならないがな」
剣丞はゾクリと寒気を感じた。
新戸の顔が、新戸の声が、ハッキリと剣丞を否定していた。
オレはお前が嫌いだと、態度で示していた。
「その剣、しばらく使うな」
困惑する剣丞に対し、新戸はまたもや話題を変える。
「やっぱり君は、この剣がどんな物なのかを知っているのか」
「前にも教えた、トールギスだと」
「トールギスじゃ分からないんだ!」
「……ガンダムWを見た事は?」
「名前だけは知ってる、でも俺は一回も見た事が無い。
そもそも何で井伊直政がガンダムを知っているんだ!?」
「オレは見てないが、吉音の影響でガンダムにハマったオレがいてだな……
いやそれよりも、もっと分かり易く説明する。
その剣は剣魂だ、かつて北条早雲が神々と戦い、神々を討つために作り上げた武器。
早雲が作った最初の剣魂で、千を超える剣魂の原型になった一振りだ。
だからオレはそれをトールギスと言った」
「トールギスってのは何の事は分からないけど……
北条早雲が、神様と戦ってたってのか?」
「そうだ、それがどういう訳かお前の手に渡っている。
そしてその剣は精神操作の類から持ち主を守る機能がある」
「あの時、俺と小波だけが動けたのは……」
「その剣が剣丞を守っていた。
小波の場合は素で耐性があった、あいつはテレパスだからな。
ただしそれは蘭丸が至近距離から、全力を出せば抜ける防御だ、過信はするな。
それに……蘭丸の精力収奪からお前を守るために、無理をしていた。
オーバーロードを起こして、剣魂を構成しているナノマシンがボロボロだ」
「な、ナノマシン……?」
「剣魂はナノマシンの集合体、今その剣は全機能を自己修復に回している。
今の状態では精神操作から防御してくれないし、
無理に使おうとしたら修繕できない程、完膚無きまでに壊れてしまう。
だから使うな、表面のヒビが完全に消えるまで……少なくとも一月は使うな、絶対に」
剣丞が腰に佩く剣に視線を落とす。
以前は新戸が近づく度に光輝き、過敏な反応を見せていたそれは、今は全く反応を示さない。
それこそ、死んでしまったのかと思う程に静かであった。
あの恐ろしく美しい鬼とセックスをしていた時、射精と同時にまるで自分の命そのものが吸われているかのような感覚があった。
剣に走ったヒビが増えれば増える程、鬼と交わる快楽も、射精の回数も、命が座れる感覚も増していった。
あの時、この剣が守ってくれたのかと……剣丞はそう思った。
「なあ、他にも色々と聞きたい事が……」
剣丞が剣魂の事とか、曹操の事とか。色々と聞き出そうとした時……新戸は無言で俯き、滝のような汗を流しながら顔を歪めていた。
「ぅぐ……ぁ……もう来たか……」
「だ、大丈夫なのか?」
「筋肉痛……み、みたいなもの……だ……しばらく……休めば……」
新戸の声が震えている。
剣丞には新戸に何が起きているのか分からなかったが、目の前にいる女の子が辛そうにしている事だけは分かった。
「肩を貸すよ、どこか休めそうな所は……」
「いらんっ! お前も死にかけだぞっ!」
「俺は大丈夫だから」
そう言うと剣丞はやや強引に新戸の身体を抱き寄せて歩き始めた。
新戸は一瞬だけ、剣丞を振り払って逃げようかとも考えたが……超能力を限界以上に行使したために起きた強烈な不快感があって、考えた事を実行できなかった。
「……ふん」
剣丞は心底不快そうな顔をする新戸と共に歩き続ける。
そうする事が正しいのだと思ったから、迷わずそうした。
九十郎なら迷わず放置しただろうが、新田剣丞にそんな選択肢は存在しない。
存在しないからこそ、新田剣丞なのだ。
存在しないからこそ御し易く、操り易く、オーディンの計画の鍵に選ばれたのだ。
日ノ本の英雄達の恋人になり、根こそぎその魂を収奪する計画の……吐き気を催す程に邪悪な計画の鍵にされてしまったのだ。
「お前が……いづっ、ぐぅ……お前が被害者だって事は……わ、分かってるつもりだが……」
新戸はそう呟いた。
「喋らなくて良いよ、今は……今は少し、休もう。 お互いにね」
新戸の意図は全く分からなかったが、剣丞はそう言った。
老女のようにシワシワになった身体は、そして今彼女が苦痛に喘いでいる理由は、桐琴を助けるためにギリギリまで超能力を使った結果だと、剣丞には分かったから……