「……一度、状況を整理しましょう」
練兵館の一室で、雫が大きく深呼吸をする。
ここしばらく、色々とあり過ぎた。
小寺官兵衛の聡明な頭脳をもってしても、処理しきれない位の情報が次から次へと押し寄せてきて、雫は今若干混乱気味である。
「最初に考えなければならない事は……やはり、九十郎さんの事ですよね」
そして雫は思い出す、初対面の九十郎から熱烈な求愛を受けた事を、素敵なデザインの兜を貰った事を……
『一万年と二千年前から愛してましたあああぁぁぁ~~~っ!!』
そんな九十郎の叫びを思い出す度に、雫は胸の奥がきゅ~んと締め付けられるような感覚がした。
雫は男性から求愛を受けた事は初めての事であった。
「や、やっぱり……あれは私と結婚したい……と、いう事ですよね……どう考えても……」
もしこの場に九十郎が居たらこう言うだろう……『そんなつもりは一切無いっ!!』と。
雫は顔を真っ赤に染め、九十郎から受け取った御椀の蓋のような形状のヘンテコ兜を弄る。
小寺官兵衛の美的感覚にドストライクなその兜を……
「銀白檀塗合子形兜……夫婦和合の象徴……
私と夫婦(めおと)になりたい、そういう意味ですよね……そうですよね……」
もしこの場に九十郎が居たらこう言うだろう……『そんなつもりは一切無いっ!!』と。
九十郎は黒田官兵衛がどんな形の兜を被っていたかは知っていたが、その由来までは知らなかったのだ。
実に中途半端な知識である、生兵法とはまさに九十郎のためにある言葉であろう。
いずれにせよ確かな事は、雫は今、本気で九十郎から求婚されていると思っている事だ。
それが単なる誤解、単なる早とちりだと思いもせずに……
「っんんっ! あっんんっ! あふわっああ……く、九十郎……激しいっすよ……
ああっんんっ! ふわっあっああっ!」
「もぅ、柘榴早く代わってよ。 犬子も頑張ったんだから、ご褒美欲しいよ」
さっきからずっと、隣の部屋からは柘榴の喘ぎ声か聞こえてきていた。
練兵館は突貫工事で建てられたため、壁が微妙に薄く、防音性が良くないのだ。
「その気になったら混ざれって事でしょうか……
いやでも、会って数日で身体を開くなんて……はしたない気も……」
雫が顔を真っ赤に染めながら、指をもじもじさせる。
もしこの場に九十郎が居たらこう言うだろう……『そんなつもりは一切無いっ!!』と。
「えと、その……抱かれる覚悟をしていたのですから……
その、やっぱり私も行った方が良いですよね……
一目見た時から好きになりましたとか、情熱的な求愛に惹かれましたとか言って……」
理屈の上では、自分は九十郎に身体を差し出して、寵愛を得て、異形の知識の秘密を探るべきだと思った。
九十郎の知識を探って、新田剣丞の役に立つべきだと思った。
しかし、雫は身体が動かなかった。
今九十郎に抱かれたら、心の底から九十郎が好きになってしまいそうだったからだ。
命懸けで仕え、支えると誓った新田剣丞の事を忘れてしまいそうだと思ったからだ。
もしこの場に九十郎が居たらこう言うだろう……
『黒田官兵衛と生セOクスとかどんな罰ゲームだよっ!!』と。
九十郎は梅毒患者(誤解)との生セOクスを全力で避けたがるヘタレである。
だから貴様は九十郎なのだ。
「剣丞様は、やっぱり心配しているでしょうか……
私が死んだら、私のために涙を流してくれるでしょうか……」
剣丞の周りには織田信長、竹中半兵衛を始めとした、日ノ本の英雄達が数えきれない程にいる。
小寺官兵衛よりも何倍も魅力的で、何倍も有能な美女達が何人もいた。
自分のような取るに足らない小娘の為に、新田剣丞が涙する所を想像できなかった。
『一万年と二千年前から愛してましたあああぁぁぁ~~~っ!!』
雫はもう一度、斎藤九十郎の熱烈な求愛の叫びを思い出した。
あの叫びを聞いた瞬間、顔が火のように熱くなり、心臓が締め付けられるような感じがした。
あるいは自分は、あの瞬間恋に落ちたのではなかろうかとすら思った。
九十郎は正直に言ってブ男であったが、その言葉には熱気があった。
小寺官兵衛が一度も聞いた事も無い、熱気の籠った叫びであった。
逆に新田剣丞は、顔は端正で、間違い無く雫の好みであった。
何と言うか、誰もを平等に愛するような、小寺官兵衛だけを熱烈に愛し、求めるような性格ではないような……そんな感じがしていた。
「まあでも、美女は三日で飽きる、醜女は三日で慣れると昔から言いますし、
良く見れば愛嬌のある顔のようで……」
そして気づく。思考が盛大に横道に逸れていると。
さっきから全然生産的でも建設的でもない方向の事ばかりを考えていると。
「こ、こほん……一度状況を整理しましょう、そうしましょう」
顔を真っ赤にしながら、雫は咳払いをして呼吸を整える。
心臓はまだバクバクしているが、多少は頭の中がスッキリした。
「裏切り、内通の調略は戦国の習い。 私1人が長尾に走ったとしても、
国元に残した母上の風当たりが今以上に強くなる事は無いでしょう。
元々風当たり良くなかったですし。
剣丞様に九十郎さんがやっている事、やろうとしている事を伝える目的のためには、
今の状況は決して悪くありません。」
雫が自分の置かれた状況を改めて確認する。
入念な下調べと事前準備を行ってから九十郎の誘いに乗り、越後に向かう計画は頓挫したが、それでも状況は悪くない。
下準備がまるでできなかったため、剣丞に情報を流す手立てが現状無いのは問題だが、
誘われてから越後に来るまでの時間が極端に短いため、怪しまれる機会が減ったともいえる。
「とにかく、今は九十郎さんに信用される事を最優先させましょう。
未来の知識の一端でも掴めれば、剣丞様や詩乃さんを助ける事に繋がる筈です。
日ノ本の危機をどうにかするためにも……責任は重大ですね」
尤も……雫が美空からの1万石を与えるとの話を請けるには、あるとてつもなく大きなハードルを乗り越えなければならないのだが……
「ところで……」
……と、そこまで考えた所で雫は、意図的に意識から外していた事象に目を向ける。
「ふわっ……んふわっぁふわっんんっ! んううぅ! イクぅ……イグウゥッ!!」
そう、隣の部屋から全く途切れる事無く聞こえてくる女の喘ぎ声に。
「いったいいつまで続くんですかあれ……さっきから全然眠れない……」
雫は泣きそうな顔になりながら、布団を自分の頭を覆ってみる。
しかし、その声はその程度の小細工で防げるような音量ではない。
「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
故に五事を以て之を計り……」
まるで不眠症の者が真夜中にひつじを数えるかのように、隣から聞こえてくる淫らな声を聞くまいと、雫は孫氏の一節を呟く。
しかしその声はその程度の小細工で防げるような音量ではない。
そして……
「ふわっぁあっぁあっあっっふわっあんんっ! んんうーーーっ!」
一際大きな声が響いたかと思うと、ようやく雫が待ち望んでいた静寂が訪れた。
「あ……声がやみましたね、これでやっと眠れ……」
……が、しかし。
「九十郎、今度は犬子の番だよね」
隣の部屋からそんな声が……男女交際の経験が無い雫にも一瞬で理解できるほど、蕩けきり、発情したメスが男を誘う声がした。
「あ、嫌な予感……」
雫が再度布団を頭から被った直後……
「うっ! くっうっ! えへへ、九十郎のおOんぽだ……」
再び、隣の部屋から淫らな声が聞こえ始めた。
「ま、またですか!? また延長戦なんですか!?
い、いったいいつになったら眠れるんですか……」
雫は布団を被り、どうか少しでも早く終わってくださいと神に祈った。
そして同時に……
「あのお2人の後は私の番……と、いう事でしょうか……?
寝ている所にやって来て、服を力任せに破かれて……それで、それで……」
同時に雫は、目をグルグルと回しながら淫らな妄想の世界に入り込んでしまっていた。
「こんな……いけない事なのに……んっ、うっ……」
気が付けば雫は、自らの秘所に指を這わせていた。
自慰の経験すらない彼女であったが、この日は彼女の中に眠るメスの本能が呼び起されていた。
下着がぐしゅぐしゅになり、ワレメが緩み、蕩け切っていた。
今この瞬間にも、男根を受け入れられる程に。
「駄目……指、止まらない……ぁうっ、んふっ……」
頭の中で、自分が九十郎に押し倒され、肉棒を突き立てられる姿を想像していた。
自分の子宮がかき混ぜられ、クリを指で弄るよりも何倍も、何十倍も気持ち良くなる自分の姿を想像していた。
九十郎の妻に……いや、九十郎の女にされる自分の姿を想像していた。
「ぅん、あっ……」
いつまでもいつまでも、隣から聞こえてくる男女の交わりの音は途切れず、いつまでもいつまでも、雫は股の突起を摘まんで捩じる自分の指を止められなかった。
雫は思った、今夜は一睡もできないかもしれないと。
……
…………
………………
「事ここに至っては、認めざるを得ないわね……私と九十郎は似ていると」
「ま……そうだな、認めたくねえが俺も認めるか。
俺と美空には似てる所があるってな」
「私と九十郎は、ノリと勢いで突っ走る癖がある」
「俺のファースト幼馴染は、絶対にノリじゃ動かねえんだよな。
気まぐれに生きているように見えるけど、
よく観察すると俺と違って後先考えてからじゃねえと動かねえタイプ」
なお、本人は未だに気づいていないが、この男の幼馴染は武田信玄だ。
いくら光璃が隠そうとしていたとはいえ、生まれた時から腐れ縁だというのに気づけないとは、察しの悪い男である
「雫や秋子もそういう感じよね、良く分からないものが眼前に出てくると硬直するの。
実は最近、晴信もそうなんじゃないかって思うのよ。
こっちが頭をパーにして突っ走ってると、稀に一瞬……
本当に稀で、本当に一瞬だけだけど、指揮が硬直する時があるのよ。」
なお、武田晴信相手に戦場で頭をパーにして突っ走れる馬鹿は美空だけであるし、頭をパーにして突っ走ってる総大将に追随できるのは柘榴や松葉だけである。
そして頭をパーにして突っ走りながら敵陣に生じたほんの僅かな硬直を敏感に察知し、生じた隙に的確に痛撃を与えられる馬鹿も美空だけである。
「まあともかく、俺と美空は似た者同士という事のようだな」
「うん、見解が一致したようで何よりね、九十郎」
「ははは、最高の御主人様に恵まれて最高の気分だぜ、美空」
「まあ素敵、部下に恵まれて私も嬉しいわ。
貴方がもう少し顔が整ってて女心に理解があったらキスしたいくらいよ」
顔が整って女心に理解がある九十郎は九十郎ではない。
ただの弥九郎である。
「はっはっはっはっはっ」
「あっはっはっはっはっ」
しばしの間、美空と九十郎は大げさに笑い……
「まさか黒田官兵衛が領地経営できないとは……」
「まさか雫が領地経営できないとは……」
2人同時に頭を抱えて崩れ落ちた。
「どういう事よ九十郎っ! 知略99に政治91なんでしょ!?
最大値が100で、91ってかなり優秀な部類なんでしょ!?
1万石くらい軽ぅ~く掌握できるって思うわよね普通!」
「俺だってそう思ってたよコンチキショウ!!」
「どうするのよ九十郎!? もうあちこち駆けずり回って頭下げて、
買いたくもない恨みとか妬みとか買って、雫に渡すための領地確保しちゃったのよ!
今更やっぱりやめました何て言えないわよっ!」
「馬鹿かお前! 馬鹿なのかお前! それでも上杉謙信かよ!
断られたり俺が拉致るの失敗したらどうする気だった!?」
「考えてなかったわ」
「ははは、最高の御主人様に恵まれて最高の気分だぜコンチキショウ」
「だって拉致までして引き抜き工作するのよ!
目の玉が飛び出る位の待遇用意しないとただの悪者になるじゃない!
てか1万石でも少ないかな~って思ったくらいよ!」
「向こうが承諾してから用意しろよって言ってるんだよ俺は!」
「まだ用意してませぇ~ん、口約束でぇ~す、ぶっちゃけ用意できるかどうか微妙でぇ~す、
でも部下になってくださぁ~い、人手不足なんでぇ~す……
なんて恥ずかしくて言えるか馬鹿ぁっ!!」
「馬鹿はお前だろ馬鹿! マッハ級馬鹿! メガトン級馬鹿!
ええっと……とにかく馬鹿っ!!」
どっちもどっちである。
「馬鹿って言う方が馬鹿なのよ! この馬鹿! 馬鹿ぁっ!!」
「その理屈でもお前が馬鹿だろうが! この馬鹿女ぁっ!!」
「馬鹿馬鹿馬鹿ぁっ!!」
「しつこいぞ馬鹿っ! いい加減に認めろ馬鹿っ!!」
そんな馬鹿馬鹿合戦が永遠に続くかと思ったその時……
「んんんんん~~~っ!!」
「んぅんん~~~っ!?」
突如として美空と九十郎の顔と顔がまるで頭突きをしあうかのように急接近、そのまま唇と唇が重なり合い、舌と舌が絡み合った。
突然2人の間に愛が芽生えた……という訳ではない。
さっきから黙って聞いていた柘榴が、不毛すぎる言い合いを止めるために2人の後頭部をがしっと掴み、力任せに接近させたのだ。
「落ち着いたっすか?」
そして柘榴は悪びれもせずにそう聞いてきた。
「柘榴……柘榴貴女……何を考えて……」
怒りからか、照れからか、あるいは唇を奪われた事へのショックからか、美空は顔を真っ赤にしながら問い詰めようとする。
「御大将がさっき、顔が整ってて女心に理解があったらキスしたいって言ったっすから」
柘榴は真顔でそう返す。
「うわぁ、この娘マジで九十郎の顔が整ってて女心に理解があると思ってるわ」
「自慢の旦那様っすから」
柘榴はそう言いながら豊満な胸を張る。
信じがたい事かもしれないが、柘榴は本気で九十郎を自慢の旦那だと思っている。
「う、上杉謙信とキスしちまった……俺、明日死ぬんじゃねえのか……」
一方、九十郎は顔を暗ぁ~くさせながらそんな事をぶつぶつ呟いていた。
九十郎的には、脇役またはやられ役の自分が、上杉謙信のような主役級とキスするなんてありえない事なのだ。
前田利家を何度も抱き、その上嫁にまでしている時点でもう手遅れであるが。
「ちょっと九十郎、他人の唇奪っておいて死ぬんじゃないかは無いんじゃないの?
もっとこう……か、感想とか言いなさいよ! 良かったとか、悪かったとか……」
「す、凄ぇ柔らかかった……」
「そ、そう……それなら良いのよ、それなら……」
美空と九十郎が茹蛸のように顔を赤くし、心臓がバクバクいうのを感じながらお互いの唇を凝視する……さっきの馬鹿馬鹿合戦とは全く違う雰囲気であるが、さっきの馬鹿馬鹿合戦と同じくらい、議論が進まない時間である。
「まっ、似てるかもしれねえっすね。 御大将と九十郎は。
どっちも根っこはオカンっぽい感じっすし」
「誰がオカンだ誰が!?」
「誰がオカンよ誰が!?」
美空と九十郎が同時に同じ台詞を叫ぶ。
そして心底気に入らなさそうな視線を互いに向け合った。
「ほら、やっぱり似てるっすよ」
そう言うと柘榴はふふ~んと自慢げに鼻を鳴らした。
「そう……似てるのね……」
「そうだな、そうかもな……くそ、上杉謙信ならもっと上杉謙信らしくしろよな……」
「貴方の言う上杉謙信らしいってどういうのよ?」
「そりゃあ……それはだな……何だろ?」
上杉謙信らしさを問われると、九十郎は言葉を詰まらせる。
いい加減な男である。
「まあ、良いわ。 おかげで少しは落ち着いたから、雫を……
と言うより雫に渡す予定だった領地をどうするか考えましょう」
「指摘しなかった柘榴も悪かったっすけど、
やっぱOO歳に1万石は無理難題だったっすよ」
(この物語の登場人物は全員20歳以上です)
「そうなのよね……ええ本当にそう。
統率91、武勇60、智略99、政治91に踊らされて、舞い上がっていたわね」
「数えでOO歳か……満年齢換算でOOかOOって事は、八坂や銭形と同年代かよ……
冷静になって考えてみれば、
いきなり1万石ほいっと渡されて領地経営しろとか無理ゲー極まりないよな……」
(この物語の登場人物は全員20歳以上です)
要するに雫は、うっかり手を出したらロOコンのレッテル貼り不可避の幼女だったという事である。
そんな雫に1万石をぽんっと与えようとした美空は相当なうっかりさんであろう。
(くどいようですが、この物語の登場人物は全員20歳以上です)
「とりあえずの解決策としては、経験のある代官を貸すってとこっすかね」
「まあ、それが一番無難よね。
あの娘も親の伝手を辿ってみるとは言っていたけど、
親は元薬屋であんまり期待できないみたいだし、
下手に外部の人間を迎え入れたら防諜の面で不安だわ」
「人選はどうするっすか」
「秋子にやらせるしかないわね」
「ははは、何だ意外と簡単に落としどころが見つかったじゃねえか」
「九十郎、簡単でも何でもないわよ。 人選びっていうのは結構神経使う仕事なの。
また秋子に嫌な役目を押し付けてしまうわ。」
「そういうものか」
「そういうもの、全く誰かさんが雫の年齢を見落としてなければねえ……」
「ははは、誰かさんが統率91、武勇60、智略99、政治91に踊らされてなければな……」
美空と九十郎はしばらくの間、互いを見つめ合い……
「馬鹿」
「馬ぁ~鹿」
……と、全く同じタイミングで言い合った。
「意外と似ているわね私達、あまり認めたくはないけど」
「そのようだな美空、俺も認めたくはないが」
「2人共、喧嘩するならもう1回ちゅーさせるっすよ」
「はいはい、心配しなくても仲良しよ私達は。
それよりも雫を見てどう思った? 私は一目見て気に入ったわ。
1万石ぽんっと渡しても惜しくないかもって本気で思った」
「奇遇だな、俺も似たようなものだ」
「いっそ結婚でもしてみる?」
「官兵衛とか? それとも上杉謙信とか?
どっちでもお断りだよ、前田利家だけでもひーひー言ってるんだからな」
「いっそ両方娶るってのはどうっすか? 柘榴はイケると思うっすけど」
「柘榴馬鹿てめぇ俺をストレスで殺す気か!? てかそれやったら梅毒で全滅するぞ!」
「ばいどく……? ばいどくって何っすか?」
聞きなれない単語を耳にし、柘榴が思わず首を傾げ、聞き返す。
「いや、それは……お前は知らなくても良い事だよ」
九十郎が慌ててごまかそうとする。
しかし一瞬、しまったという顔になったのを美空も柘榴も見逃さなかった。
「九十郎、今すぐ洗いざらい吐くっす」
「ばいどくって何の事? 私か雫のどっちかが全滅させるような何かを持ってるって事?
結婚すると全滅するって事は性病か何かかしら?
それとも嫉妬で刃物を持ち出すような性格とか?」
「いや、その……それは……だな……」
九十郎が冷や汗を流しながら後ずさる。
この時、この男は決意した。
黒田官兵衛の名誉を守るため、必ず梅毒の話は隠し通そうと。
「さあ観念して言うっすよ!!」
「九十郎! まさかとは思うけれど、私が性病だって言うんじゃないわよね!
嫉妬は……嫉妬はちょっとするかもだけど、犬子や雫を刺す程イカレちゃいないわよ!」
「御大将、その言い方だと柘榴は刺されるみたいっすけど」
「柘榴は刺された程度じゃぴんぴんしてるから大丈夫よ!」
「御大将酷いっすよ!?」
「それはさておいて九十郎言いなさい!」
「さておかないでほしいっすよ御大将!」
そして美空と柘榴が九十郎に詰め寄る。
その執拗な追及に押し負け……5分後、九十郎は全てを白状した。
不名誉かつ事実無根な話を流された雫は、とりあえず九十郎を殴っても良いだろう。
……
…………
………………
「キスをして、抱きしめてほしい……
そう言ったらあいつ、どんな顔をするんでしょうね……」
その日の夜、日課の1人晩酌をしながら、美空はそっと呟いた。
もしこの場に九十郎が居たらこう言うだろう……
『お断りだよ、前田利家だけでもひーひー言ってるんだからな』と。
美空にはそれが容易に想像できた。
そして美空には、犬子のように前田利家を辞める覚悟はできていない。
犬子のように、自らの魂を歪める程強く強く九十郎を求める事はできない。
越後なんてどうなっても良い、上杉謙信の名と立場をぽいっと捨てられる……そんな事を叫ぶには、美空は色々なものを背負い過ぎた。
「上杉謙信だって誰かを好きになって、恋しくてたまらなくなる時もある……
そう言ったらあいつ、どんな顔をするんでしょうね……」
美空はそう呟くと、九十郎が作ってくれたおビール様を口に運ぶ。
もしこの場に九十郎が居たらこう言うだろう……
『ははは、そんな台詞聞きたくなかったよ俺は』と。
美空にはそれが容易に想像できた。
「柘榴に嫉妬してる……本当にそのうち刺しちゃうかもって思うくらいに。
そう言ったらあいつ、どんな顔をするんでしょうね……」
もしこの場に九十郎が居たらこう言うだろう……
『んな事俺に言うなよ、本人に言えよ』と。
美空にはそれが容易に想像できた。
柘榴は九十郎にとって、最初からただの柘榴だった。
上杉謙信ではなく、前田利家でもなく、ただの柘榴だった。
ただの柘榴として九十郎に受け入れられ、愛されていた。
前田利家がただの犬子になるためには、自らの魂を歪める程の覚悟が必要だった。
上杉謙信をやめる覚悟が無い美空は、ただの美空にはなれやしない……それ故に美空は九十郎に受け入れられない、愛されもしない。
「……妬ましいわ、本当」
美空はドスの効いた声でそう呟くと、酒瓶に残っていたおビール様を一気に飲み干した。
良くない呑み方をしている事も、明日の朝には酷い二日酔いになる事も、ヤケ酒は寿命を縮める事も分かっていたが、美空は飲まずにはいられなかった。
「部下の夫に横恋慕なんて、典型的な駄目君主じゃないの。
早く諦めて、早く忘れて、別の恋を探しなさいよ美空。
でなきゃ殷の紂王みたいになるわよ。
あんな……あんな基本屑の不細工男のどこが良いのよ」
そうやって自分に言い聞かせながらも、美空の頭は九十郎の顔や声を浮かべるのをやめられなかった。
そして自分の部屋にある酒瓶全部空になっている事を確かめると……
「……んっ」
くちゅり、くちゅりと……美空の部屋に卑猥な音がし始めた。
昼の感触を思い出しながら。
今なお舌と唇に残る九十郎とのキスの感触を何度も何度も思い出しながら……