黒田官兵衛うっかり誘拐事件から数日……何故『うっかり』なんて不名誉な単語が付くのかはそのうち語るとして、剣丞隊の面々は少なからず衝撃を受け、各々が思い思いの方法で雫を探し始めた。
「ご主人様、申し訳ございません。
今日も雫様の手がかりを見つける事は叶いませんでした」
最近剣丞隊の一員になった服部半蔵正成、通称小波が深々と頭を下げながら剣丞に報告をする。
越後では危うくマジカルちOぽで洗脳されかけ、尾張では信虎に御家流を投げ返されて失神、そして今、彼女は連日寝る間も惜しんで駆けまわり、突如として姿を晦ましてしまった雫を探し続けているが、まるで成果が得られない……九十郎と関わるようになってから、彼女は敗北続きの不運続きである。
全部九十郎が悪い。
「そう……か……」
剣丞が暗い顔でうなだれる。
剣丞隊の皆が、思い思いの方法で雫の行方を捜していた。
だがしかし、そんな彼ら、彼女らの必死の努力を嘲笑うかのように、誰も何も掴めていない。
分かった事は2つ……雫が失踪する前後に、越後の長尾景虎が操る密偵、軒猿が何やら不穏な動きを見せていた事。
そして雫が失踪すると同時に、京に来ていた筈の犬子と九十郎もまた姿を消した事だけだ。
「長尾景虎の手の者によって連れ去られた……そう考えるのが自然ですが……」
詩乃がそう呟く。
だがしかし、彼女自身もその推測が正しいとは断言できない。
何故ならば……
「お、お言葉を返すようですが……
雫様にも、九十郎殿達にも、複数の伊賀者が張り付いていました。
いくら軒猿が手引きをしたとしても、全員の目を欺きながら京を出るなど不可能です」
小波が頭を下げたままそう告げる。
「そうですね……ええ、そうです……いくらんでも……」
詩乃は俯きながら思索に耽り、何かをぶつぶつと呟き続ける。
いくつもの可能性が浮かんでは消え、浮かんでは消える。
そして何度も何度も同じ答えに辿り着く……情報が足りないと。
斎藤九十郎なる男が何を考えているのかが分からない。
何ができて、何ができないのかまるで分からないと……
「い、伊賀者の目を欺く御家流とか……」
「剣丞様、御家流はそうポンポン生えてくるようなものではありませんよ」
「すまん……」
後で分かる事だが、実はこの時の剣丞の発言は正解している。
いくら伊賀者が優秀でも、人間を犬に変える程度の能力までは想定していない。
事前に久遠や雛といった尾張に居た頃の犬子を知る人物達から、犬子は御家流を使えないという情報が伝えられていた事が、かえって小波を含めた伊賀者達の目を曇らせていたのだ。
「私や雫は、九十郎殿は剣丞様に敵意を持っていないと見ました。
むしろ剣丞様に好意を抱いているのでは……そう見えました。 剣丞様はどうですか?」
「いや……俺も同じだ。 あいつは俺達を敵対しようとしていない……そう感じた。
小波はどう思った?」
「私は遠目で見ていただけですが……そうですね、裏表が無い方のように見えました。
嘘が苦手と言いましょうか、考えている事がすぐに表情になると言うか……
ですが最近、何故かあの方の顔を見ると寒気がして、
それでいて下腹部の辺りがキュンとして……」
後半部分はマジカルおOんぽ(未遂)の後遺症である。
新戸の超能力で記憶を消されているが、身体が人外の快楽に屈服しかけた事を覚えているのだ。
「……はっ!? ち、違いますよ! 年中発情している訳じゃありませんからっ!!
誤解しないでください剣丞様ぁっ!!」
「分かってる、小波はしっかり者の良い娘だって分かってるから」
「九十郎殿が下手人でないとすれば……
あまり考えたくない事ですが、何者かに……鬼に襲撃されて、犬子さん共々……」
「……殺された、か」
剣丞が拳にぎりっと力を籠める。
「僅かではありますが、雫様が剣丞殿と面会した部屋に、血痕と争った跡がありました。
血痕は数滴しかありませんでしたから、人が殺された現場とは考えにくいのですが……
その、私も噂で聞いただけですが、鬼の中には人を丸呑みにするものもいるとか」
「丸呑みに……」
剣丞が鬼に呑み込まれる雫達の姿を想像する。
マッチョな九十郎を丸呑みするのはちょっと苦しそうだが……それでも、あの九十郎が雫を拉致する光景に比べれば、いくらか現実味があった。
ちなみに正解は、噛みつくと人を犬に変える程度の能力に目覚めた犬子が、不意を突いて雫に噛みついた……である。
「斎藤九十郎という方が剣丞様と敵対する意思が無いのなら雫を攫うとは考えにくい、
ああも分かりやすく雫に好意を持っている以上、九十郎殿が雫を殺したとも考えにくい。
剣丞様、以前九十郎殿は、千年巨人(ミレニアム)に気をつけろと言っていましたね」
「ああ、確かに言っていた」
「あるいは……我々の知らない脅威が迫っているのかもしれません。
九十郎殿はそれに気づいていたから、始末された……
そう考える事はできないでしょうか」
「千年巨人(ミレニアム)……一体どんな敵なんだ……?」
なお、千年巨人(ミレニアム)とはかつてロンドンを無駄に震撼させたバネ足ジャックが、
ノリと勢いに身を任せてでっち上げた組織の名……といっても某所の聖杯戦争スレの話だ。
当然ながら何の実態も無く、何の意味も無い。
でっち上げた話がこうも大事になろうとは、基本後先を考えない九十郎はまるで予想していなかった。
短慮な男である。
「いずれにせよ、もう出立の日も近いです。
雫の捜索はこの地に残る者に任せて、私達は鬼との戦いに赴かなければなりません」
「そうだな……心配だけど……」
「腕利きを残し、雫様の捜索に当たらせます。
必ず……必ずや、手がかりを掴んで見せます」
その後、織田久遠信長は近江近辺の鬼を一掃すべく軍を起こす。
大体の世界線で地中から奇襲されるという想定外の事態により、大敗を喫する金ヶ崎の戦いが幕を開けようとしていた。
たまぁ~に地中に潜った鬼が勢い余って温泉を掘り当て、火傷や窒息で半死半生の状態で久遠達と戦う羽目になり、当然のように久遠達にボコられて負けるというギャグのような事態が発生するし、逆に敗走中の剣丞隊が逃げる方向を間違えて全滅し、
剣丞の嫁達が全員纏めて鬼に凌辱され、シナリオが崩壊したとエーリカが頭を抱える場面も発生する……そんな金ヶ崎の戦いが始まろうとしていた。
この世界での金ヶ崎の戦いはどうなるのか……それは後に語るとしよう。
……
…………
………………
一方その頃、九十郎達は越後の春日山城まで来ていた。
およそ常識では考え難い超スピードの旅路である。
犬子、柘榴、九十郎、そして雫の4人が犬に変わって最短距離で突っ走る……それによって常識外の速さと隠密性を両立したのだ。
犬にも持てる程度の重量になるまで荷物を減らさなければならなくなる事や、犬子が寝ると雫が人に戻ってしまうため、休憩する際はいちいち雫に足枷を着けなければならない事、そして普段から鍛えている犬子と柘榴と九十郎はともかく、基本モヤシっ娘の雫は数日間筋肉痛で悶絶するのが難点であるが、とにかく常識外の速さと隠密性を両立したのだ。
伊賀者達は雫を拘束し、駕籠に乗せるか海路を進んでいると思っていたため、そんな常識外の誘拐を見抜けなかったのだ。
「あの……何故九十郎さんは、私を攫ったのですか?」
寝不足と全身筋肉痛でダウン中の雫はそう尋ねた。
「俺が官兵衛を攫った理由か?」
「はい、それと……こうやって甲斐甲斐しくお世話をしている理由も……教えてください」
割烹着を着て、まるでオカンのようにダウンした雫の世話をしている九十郎にそう尋ねた。
征夷大将軍足利義輝、尾張国主にして、東海一の弓取りである今川義元を破った織田信長、今孔明を評される当代随一の知恵者竹中半兵衛……新田剣丞を取り巻く綺羅星のような英雄、英傑達の中から、何故自分が選ばれたのかと。
その問いに対して、九十郎は少し考えこみ……
「黒田……じゃない、小寺官兵衛が好きだった。
凄い奴だから傍に置きたかったのが半分……」
その言葉は小寺官兵衛にとって何より嬉しい言葉であった。
小寺官兵衛は誰かに認められたかった。
誰かに凄い奴だと言われたかった。
能力を、あるいは頑張りを褒めてほしかった。
その言葉を聞いた瞬間、小寺官兵衛は胸の奥がキューンと締め付けられるような思いをした。
「残りの半分はアンタを剣丞の女にしたくなかったからだよ」
その言葉は雫にとって何より嬉しい言葉だった。
薬屋の娘とさげすまれ、誰からも見向きもされなかった雫には、魅力的な女性だと言われた経験が無かった。
密かに憧れていた、情熱的な求愛を受ける事を。
そして同時に諦めていた、自分は男性受けをしないのだと。
誰からも求愛なんてされっこないと……
その言葉を聞いた瞬間、もう一度雫は胸の奥がキューンと締め付けられるような思いをした。
「本気……ですか……?」
小寺官兵衛は、雫は、思わずそう聞き返していた。
信じられない、でも信じたい、でも信じられない、でも信じたい……心がメトロノームのように左右に揺れ動いていた。
「本気だよ」
九十郎は少しも迷わずにそう答えた。
小寺官兵衛の、雫の心がビクンと震えた。
嬉しくて嬉しくて堪らなかった、胸の中が歓喜で一杯になった。
「ああそうだ、お前にこれをやる。
剣丞の元から無理矢理引きはがした迷惑料だと思ってくれ」
そして九十郎は雫に対して、お椀の形をした珍妙な兜を渡した。
「素敵……」
それを見た瞬間、雫はうっとりと見とれ、そう呟いた。
100人が見たら100人共ヘンテコ兜だと思うそれだが、雫には何よりも素敵なデザインの兜に思えた。
銀白檀塗合子形兜……九十郎が黒田官兵衛にはお椀みてえなヘンテコ兜がお似合いだろと、そんな軽い気持ちで夜なべして作った兜である。
少なくとも九十郎には、この兜に詫びの印以外の意味を持たせていない。
だがしかし……
「私……私をそんなに欲しがって……」
合子とは身と蓋が一対で成立する容器であり、夫婦の間柄を表したもの……雫にとっては、合子の形の兜を渡す事は、何よりも素敵な求愛の印、求婚の印だと思えたのだ。
今、雫の心が盛大に揺れ動いていた。
なお、九十郎は黒田官兵衛の兜の由来なんて知らないので、この兜が雫の目に求愛と求婚の印に写っているなんて想像すらしていない。
だから貴様は九十郎なのだ。
「おーい、屑郎~、ちょっと~」
そんな時、襖に少しだけ隙間を作り、部屋の外から手招きをしていた。
「うん? 何だ糞ニート」
突然の求婚(誤解)に顔を真っ赤にしてる雫を置いて、九十郎は部屋から出て新戸の元へ向かった。
「例のマジカルチOポ、ヤルのなら手伝うぞ。 ただ……」
「ただ、何だよ」
「小波と違って、雫には特に恨みも辛みも無いからな……
問答無用でマジカルチOポは流石に心が痛む、小波と違って」
なお、恨みも辛みも並行世界の別の虎松の話である。
「お前、服部半蔵に何の恨みがあるんだよ」
「オレの死因ランキング1位は川上シロンペロン家臣、柏木源トツ何だが……
2位は小波なんだ」
「そういうの江戸の仇を長崎で討つっていうんだよ。
てか柏木源トツって名前は何だ? そんな名前の奴がいるのかよ」
「あいつの名前は言い難い」
「言ってみろ」
「ゲントッウ……ゲンドゥ……ゲンディ……ゲントゥウ!!」
「何だそのイントネーションは、そいつはガブティラか何かか?」
ガブティラ獣電池をガブリボルバーにセットした時のようなイントネーションであった。
とりあえず人間の名前を呼ぶ時のイントネーションではない。
「で。どうする屑郎、サクッとヤッておくか?」
「ヤらねーよ。 前田利家……犬子1人だけでもヒーヒー言ってるんだ。
この上黒田官兵衛の面倒まで見きれる訳がねえだろうが」
「だがな屑郎、剣丞は誑すぞ。 誰彼構わず、女であれば誰でもすぐに誑す。
大体の世界線で、雫は剣丞に惹かれて、剣丞の嫁になっている」
それを言い出すなら犬子と柘榴も大体の世界線で剣丞の嫁になっているだが……九十郎のトラウマが大爆発して再起不能になりかねないため、新戸はあえて口を噤んだ。
「……それは困る」
九十郎は深刻な表情で呟いた。
九十郎は本気で、心の底から雫が剣丞ハーレム入りさせたくないのだ。
何故ならば……
何故ならば九十郎は、黒田官兵衛が……雫が梅毒持ちだと思っているのだ。
信長と秀吉と将軍とその他大勢の戦国時代の英雄達が、全員揃って梅毒になったらニホン終わるぞとか考えていた。
だから九十郎は小寺官兵衛が剣丞の元に身を寄せたと聞き、慌てて行動を開始したのだ。
だから九十郎は雫を誘拐し、無理矢理剣丞の元から引きはがしたのだ。
「ぷっ……くっ……く、くくく……」
そんな九十郎の思考を読んだため、新戸は笑いを堪えるのが大変だった。
他の世界の虎松から聞いているため、新戸は知っている。
この時期の雫はまだ梅毒に罹患していない事を。
雫が梅毒を患うのは、荒木村重に足の健を切られ、1年以上もの間、乞食や浮浪者達の肉便器として使われていた時期であると。
早い話、九十郎は杞憂と早とちりで雫を誘拐したのだ。
馬鹿そのものである。
「いや待てよ、良く考えたら俺が官兵衛とヤッたら俺に感染するんじゃねえのか。
いくらニホンの未来が懸かってるって言っても、そこまで犠牲になる気はねえぞ」
「大丈夫だ屑郎、1回ヤッた位なら100%感染する訳じゃない」
「大丈夫でも何でもねえよそれ! 俺はそこまでチャレンジャーじゃねえよっ!!」
「抱く前と抱いた後に石鹼で全身を洗えば多少は緩和できる。
キスとフOラとクOニは厳禁だな」
「だからチャレンジしねえって言ってるだろっ!
一歩間違えたら犬子と柘榴も道連れ地獄だからなっ!」
新戸はニヤニヤしながら九十郎の反応を楽しんでいた。
雫が梅毒だなんて一言も言わないが、梅毒じゃないと教えない所がポイントだ。
新戸はこうやってあえて誤解を招く表現をして他人の反応を楽しむ悪い癖がある。
だから九十郎から糞女と思われるのだが……性分というものだろう。
「じゃあ、100%感染しないって分かってたらヤルのか?」
「ヤラねえよっ! 黒田官兵衛を抱くとか胃もたれするわっ!!」
九十郎は即答した。
この男の頭の中に、自分が黒田官兵衛を嫁にするという選択肢はハナっから存在しない。
それでもこの男は基本後先を考えない性格なので、ノリと勢いと雰囲気と性欲に背中を押されてうっかり抱きかねない。
「ぷっ……くく……そうかそうか……」
雫も大変だなあ……と、雫が求婚されたと誤解した事をしっかりと察知した新戸は、対岸の火薬庫をニヤニヤしながら観察する気満々である。
「九十郎、小寺官兵衛殿歓迎会の準備できたっすよ」
「秋子さんの手料理、凄く美味しそうだったよ」
そうこうしている内に、雫と同じくほぼ不眠不休で京から走り続けたというのに、まだまだ元気一杯な犬子と柘榴がやってくる。
「そうか、じゃあ行くか」
……
…………
………………
九十郎は突然の求婚で悶々としていた雫を連れ、城の広間へと向かった。
そこで雫を待っていたものは……
「熱烈歓迎! 小寺官兵衛様っ!!」
『Welcome to ようこそ春日山城』の垂れ幕、大量のデコレーション、越後の名産をふんだんに使用した料理の数々、そしてクラッカーを鳴らしながら雫を出迎える長尾家当主長尾景虎の姿であった。
「え……これは……」
「初めまして小寺官兵衛殿、私が越後の国主、長尾美空景虎。
そしてこれは貴女の歓迎会よ。
無理矢理攫ってきて気を悪くしているかもしれないけど、
それはそれとして貴女が私に仕えてくれると非常に嬉しいから全力で歓迎するわ。」
無茶な理屈である。
「そ、そうですか……」
なんとも予想外の展開に、雫は目を白黒させている。
今まで自分の誘拐は九十郎の独断だと思っていたのだ。
「歌と踊りでも見せましょうか? 最近名月がヴァイオリンに凝ってて、
最初は下手だったけど、今ではお客さんに聞かせられるくらいの腕前になってるのよ」
「名月……あの、もしかして養子にされた景虎殿ですか?」
「そうよ、私の自慢の娘。 とぉ~っても可愛いのだから」
美空が子供のように笑う。
その屈託の無い笑みが、雫の警戒心を幾許は薄れさせていた。
「お酒は飲めるかしら?」
「ええ、はい……嗜む程度ですが」
「ならとりあえず呑みなさい。 これは今越後の名産にしようとしているおビール様よ」
そう言いながら、美空は雫の席にある杯に黄金色の液体を注ぐ。
「え、これ……お酒……なんですよね?」
「美味しいわよ。 私は一口飲むだけで気に入ったわ」
初めて見る泡のある得体のしれない酒に、雫はしばし警戒するが……意を決して口に含む。
「ぶふっ!? けほっ、ごほっ……」
……が、しかし、炭酸のシュワシュワする感触に驚き、吹き出してしまった。
「あれ?」
「御大将、おビール様は、初めては驚く」
「そうですよ、やっぱり清酒の方が良いですって」
「ええ~、私は最初から楽しめたわよ。 しゅわしゅわして美味しいじゃない」
「御大将が怖い物知らずなだけです」
「あるいは……鈍感?」
「松葉貴女私の事鈍感だって思ってたのね」
松葉と秋子がふぅっとため息をついて、代わりの杯を雫に差し出す。
今度は普通のお酒が入っているのを見て、安心して飲み始めた。
「貴女を攫うって話、最初に言い出したのはそこの筋肉達磨だけど。
その話を聞いてやれって指示したのは私。 まあ、恨むなら私を恨んで頂戴な」
「恨むだなんて……あの、何故私を?」
「ぶっちゃけね……ウチ、人材不足なのよ」
瞬間、秋子と柘榴と松葉の視線が盛大に泳いだ。
「え?」
余りにも予想外な台詞に、雫が硬まる。
九十郎が京都に現れた時以来、予想外、想定外の出来事ばかりだ。
「え? じゃないわよ。
ちょっと甲斐の武田晴信に仕える者で主だった者を挙げてみなさい」
「ええっと……御一族の典厩信繁殿に、武田信廉殿、武田四天王筆頭の馬場信房殿、
武田の精鋭赤備えを率いる勇将山県昌景殿、天下の副将内藤昌秀殿、
逃げ弾正こと高坂昌信殿、
まるで千里眼の如く先を読む事から武田の眼と畏れられる武藤昌幸殿……」
雫は立て板に水を流すが如く、次から次へと人物の名を挙げていく。
「うんうん、良く知っているわね。
それで越後にいる人材の中で今挙げた人物に匹敵する人は?」
「えっと……ええっと……」
雫はしばらくの間考え込み……
「まず長尾景虎殿」
「いきなり私ぃっ!? もうちょっと頑張って! お願いだから、悲しくなるから……」
「では……勇猛さでは山県昌景にも引けを取らないと言われる柿崎景家殿、
常に冷静沈着、自らに課せられた役割は絶対に果たす名将甘粕景持殿、
あとは……えっと……内政、外交、軍事のあらゆる場面で活躍する直江景綱殿……
あと……それと……剣の腕前が優れている小島貞興殿……あとは……」
そして雫は言葉を詰まらせる。
これ以上越後の名将、智将、勇将と呼ばれる人物が思い浮かばなかったのだ。
「ねえ雫、私がここぞという戦では、8000の兵を率いるのは知っているかしら?」
「ええ、はい……そのように聞いていますが……」
「何故だと思う?」
「え……それは……」
できないから……そんな言葉が一瞬出かけて、雫は慌てて口を噤んだ。
「今、貴女が言おうとした言葉を当ててあげるわ。
信頼できる部下が少なすぎて、大軍を率いれない。 違うかしら?」
雫は思わず息を呑んだ。
他人の考えを言い当て、気色の悪いガキと怖がられた雫であったが、逆に他人に自分の考えを当てられたのは初めてであった。
「ぶっちゃけね~、ウチって小さな豪族達の寄り合い所帯だから、
皆越後のため、長尾の為に命かけてくれないのよ。
ちょっとでも旗色悪くなったらさっさと引き上げかねない連中しかいないから、
一個読み違えがあると負けるようなギリギリの戦には連れていけないのよ」
「そ、それは……大丈夫なのですか……?」
「ははは、大丈夫な訳ないじゃないの」
美空は笑いながらそう告げた。
いや……口元は笑っていたが、目は全く笑っていなかった。
絶望的な状況の中で、やけっぱちになった人のような目だ……と、雫は感じた。
「かれこれ3回、川中島で武田晴信と戦って、なんやかんやで生き延びてるけど……
あれ奇跡だから、自分でもどうやって生き延びたのか覚えてないから、
もう一回やれって言われたら絶対に死ぬって断言できるから、
第四次川中島があったら絶対に全滅するって確信してるから」
第四次があってもなんやかんやで生き延びそうな所が長尾景虎の恐ろしい所である。
100%死ぬだろって状況、ラスト5秒で奇跡の逆転を起こす力……人それを『火事場のクソ力』と呼ぶ。
「統率91、武勇60、智略99、政治91……
どこまでアテになるか分からないけど、本気でアテにしなきゃいけない位、
ウチは人手不足なのよ」
「何ですかその数字?」
「信長の野望……と、言っていたわ、九十郎が」
「信長の……久遠様の、野望……?」
なお、九十郎が覚えている信長の野望のステータスは、武田信玄と黒田官兵衛のものだけである。
「貴女のためになら1万石を出しても良い……
それは嘘でも誇張表現でも無いから、少し考えてみて頂戴な」
九十郎からの熱烈で情熱的な求婚(誤解)、そして美空からの熱烈歓迎(誤解じゃない)……雫は今、揺れ動いていた。