戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と九十郎第62話『黒田官兵衛うっかり誘拐事件』

「剣丞様、私を越後に行かせてください」

 

ある意味漢らしいダイナミック愛してる発言とダイナミック引き抜きから半日……もうすっかり暗くなった頃に、雫は剣丞にそう告げていた。

 

「……それは、どうしても必要な事なのか?」

 

ごく短い期間ではあるが、剣丞隊の仲間であった雫と別れなければならない。

剣丞にとってそれは、あまり歓迎できる事ではない。

 

「必要な事です。 私も……詩乃さんもそう考えました」

 

「詩乃もか?」

 

雫と共に剣丞の元にやってきた詩乃が、深く静かに頷いた。

 

「俺が天の国の知識を話すのを拒んでいるからか?」

 

「天の国の……知識……?」

 

「そういえば雫にはまだ説明していませんでしたね。

 剣丞様はこの国に降り立つ以前は、写真やうぃんちぇすた銃がある場所にいたのです。

 いたの……ですよね?」

 

詩乃が微妙な表情で剣丞に確認する。

剣丞としても今更とぼけようがないのは理解しているため、素直に頷いた。

 

「写真はともかく、ウィンチェスターと同じ銃は滅多にないかな。 古すぎるから」

 

「うぃんちぇすたが古い!? あ、あれが古すぎる……」

 

「え……うぃんちぇすたって、あの次の弾を込める機構がある、あの画期的な銃ですよね?

 あれが古い……あれが古いって……」

 

そして詩乃と雫が地味に戦慄する。

戦国時代で生まれ育った2人に、1873年に完成したウィンチェスター・ライフルよりも新しい銃を想像する事はできない。

できたらこの2人は秀吉の参謀としてではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチやニコラ・ステラ、アルフレッド・ノーベルのような偉大な発明家として名を残していただろう。

 

「そ、それはどれ程猛烈な勢いで弾を込めるのでしょうか……?」

 

「えっと……89式は毎分650から850発で……

 今の火縄銃はだいたい1分弱で1発だから……今の銃の650倍くらい?」

 

「それはもう1人で万の軍勢にも勝てるのではないですか?

 たった1人で桶狭間を再現できるのではないですか?」

 

「いや、装弾とか、持ち歩ける弾の数とかもあるから、そこまでは……」

 

「隊列を組んで戦おうとすれば一瞬で皆殺しになれるのでは……?」

 

「散兵だけで戦えと? どうやって兵の逃亡を防げと!?」

 

「単独行動させても逃亡しない程に訓練を……

 いやでも、農閑期の領民を集める今のやり方では絶対に……ああっ!?

 もしや久遠様が進めている兵農分離とはこれを見越して!?」

 

……考えすぎである。

 

いくら久遠に先見の明があっても、毎分650から850発の銃弾を撃つ銃なんて想像すらできないし、現にしていない。

 

「剣丞様! はちきゅう式はどのように作れば!?」

 

「どこで手に入りますか!?」

 

詩乃と雫が剣丞にずいぃっと詰め寄る。

 

ここで89式の製造法について語れれば恰好良かったのだが……流石の剣丞でも、1989年に完成した銃の作り方なんて知らないし、話せない。

九十郎でも無理だ。

 

「いや……うん……その……」

 

「やはり、越後に誰か派遣しなければいけませんね、雫」

 

「そうですね……あのうぃんちぇすたを作ったという九十郎さんが、

 より強力な武装や技術を使える可能性は否定できませんから……」

 

「あ、ちょっと……詩乃さーん、雫さーん、あからさまにがっくりしないで……

 無視しないでー、泣いちゃうぞー」

 

「何ですか、肝心な事は何一つは話そうとしない癖に、

 ちょっと話したとおもったら全然役に立たない事しか言わない剣丞様?」

 

「がふっ」

 

剣丞は血を吐いて倒れ伏した。

 

「あの、詩乃さん……剣丞様倒れちゃいましたよ。

 倒れながら剣丞様さめざめと泣いてますよ……」

 

「良いんです雫。 この期に及んで歴史がどうだの危険が何だのと言って、

 な~んにも喋ってくれないご主人様の扱いなんてこの程度で十分です。」

 

「うぅ……すまん……だが……詩乃が心配している事は分かっている。

 それでもやっぱり、強い武器で延々と殺し合う事が正しい事だなんて思えないんだ……

 俺は……俺は……それでも俺は……」

 

「はぁ……」

 

詩乃が盛大にため息をつく。

呆れた……という表情ではあったが、失望したという表情ではない。

 

「分かっているのですか、剣丞様。

 貴方のその意地っ張りのせいで、私達の誰かが死ぬかもしれないのですよ」

 

「……分かっている」

 

「分かっているのですか、剣丞様。

 貴方のその意地っ張りのせいで、雫はよけいな苦労を背負い込むのですよ」

 

「分かっている」

 

「はあぁっ……」

 

詩乃は盛大に盛大にため息をつく。

 

この期に及んでもなお、剣丞を見限れない自分が情けなかった。

この期に及んでもなお、剣丞が好きで好きで仕方が無い自分が情けなかった。

それでもなお彼女は、新田剣丞が好きで、新田剣丞を支えたかった。

 

「雫に一言、謝ってください」

 

「すまん、雫。 迷惑をかける、苦労をかける」

 

詩乃に言われるまま、剣丞は雫に対し深々と頭を下げた。

 

「いいえ苦労だなんて思っていません、むしろ胸を張りたい気分です。

 剣丞様の為に、日ノ本のために、私にしかできない事があるのですから」

 

雫がそう言って剣丞を元気づけようとする。

 

「……すまん」

 

そんな雫の言葉が、むしろ剣丞の罪悪感を増大させる。

 

「目的は2つ。 1つは斎藤九十郎の持つ知識と技術が無秩序に拡散するのを防止する事。

 剣丞様が懸念している通り、

 日ノ本を危険な武器で延々と殺し合う地獄に変えてしまう危険がありますから」

 

「はい!」

 

雫が力強く頷く。

 

「2つめの目的は、斎藤九十郎の知識と技術を可能な限り私達に伝える事。

 剣丞様の懸念は尤もですが、

 それに固執して私達が全滅してしまっては意味がありませんから」

 

「はい! 分かっています!」

 

雫が力強く傾く。

 

「……うぐぅ」

 

剣丞の良心に100のダメージが入った。

 

本当は剣丞も伝えたいのだ、知っている限りの事を洗いざらい。

竹中半兵衛が病死する事とか、織田信長が本能寺で謀反に遭って死ぬ事とか、羽柴秀吉と柴田勝家の殺し合いの事とか、朝鮮出兵とか……その辺も含めて全て話してしまいたいのだ。

 

しかし……それをすればその後の歴史がどうなるのか分かったものではないから、二の足を踏んでしまっているのだ。

 

その辺の配慮というか、後先を考える能力が致命的に欠如している所が、九十郎の九十郎たる所以である。

 

「雫、織田の天人様はこんな感じです。

 世間の噂では色々と言われているようですが、一皮剥けばただの人間です。

 私達と同じ人間です。 悩んで、迷って、苦しみながら生きている人間です。

 幻滅したのなら、今からでも姫路に帰っても良いのですよ」

 

「幻滅なんてしませんっ!

 むしろ一層決意が固まりました、剣丞様を命懸けで支える決意が」

 

そんな雫の言葉に嘘は無い。

断じて嘘は無い。

 

しかし……

 

『一万年と二千年前から愛してましたあああぁぁぁ~~~っ!!』

 

しかしその時、雫の脳裏に浮かんだのはそんな九十郎の叫びであった。

 

あの時九十郎は、確かに雫に愛を叫んでいた。

暑っ苦しく叫んでいた、首筋に血管を浮き上がらせながら叫んでいた。

それは雫にとって生まれて初めての、熱烈な求婚の叫びであった。

 

「正直に言って、私が何故九十郎さんに好かれているのかまるで分りませんが……

 好かれているという事実は、それはそれで利用するべきだと思います」

 

雫はそう告げた。

その言葉にも嘘は無かったが、そう告げた瞬間、何故か胸の奥が少し痛んだ。

 

「はっきりと申し上げて、雫は優秀です。

 何故小寺家では評価されないのかが不思議なくらい、聡明で、先を見ています。

 故にこの任務には最適……いえ、雫以外の誰にも遂行はできません」

 

「やってくれるか……雫」

 

「はい! やらせてください!」

 

雫が力強く頷いた。

 

しかし、剣丞は気分が良くない。

詩乃が指摘した通り、剣丞がいらん意地を張っているせいで、雫にいらん苦労を背負い込ませている所が多々あるからだ。

 

もう一度謝りたい気分だが……それはむしろ、雫の決意を乏すような気がした。

 

「しかし剣丞様。

 私はこれから、越後の龍と謳われる、長尾景虎に信用されなくてはなりません。

 織田と長尾……いえ剣丞様と長尾を天秤にかけて、

 私が長尾を取ると思わせなければなりません」

 

「それはつまり、本当に必要な時以外は、

 剣丞様や久遠様に不利益な事もしなければならないという事です」

 

「できる限り従順に振る舞わなけれなばりません。

 長尾景虎や九十郎さんに好意を抱いているように振る舞うわなければなりません。

 あまり考えたくない事ですが……抱かれる事も想定しなければなりません」

 

雫と詩乃が重苦しくそう告げる。

 

同時に雫は、昼間の九十郎の熱烈な求婚を再度思い出す。

あの勢いのまま迫られたら……任務云々を抜きにしたとしても、自分は拒めるだろうかと。

 

「そんなのは駄目だっ!!」

 

剣丞が反射的にそう叫ぶ。

九十郎に押し倒され、ヒン剥かれ、犯される雫を想像し、気分が悪くなった。

 

剣丞の見立てでは、九十郎は雫を……いや、小寺官兵衛をアイドルか何かのように好いているだけだ。

天和、地和、人和トリオの追っかけと似たような匂いを感じていた。

それ故に一歩間違えれば、暴力的な手段で無理矢理手を出そうとする質の悪い連中に早変わりしかねない・

 

九十郎が雫に迫り、無理矢理男女の関係になろうとする光景を、剣丞は自然に想像できた。

 

『黒田官兵衛おOんこにナマ中出しできるとか最高だぜ! げっへっへっへっへっ!』とか何とか言いながら雫を手籠めにする九十郎を想像できた。

 

その光景は十分ありうるものだと思った。

いくら作戦上必要だからといって、剣丞はそんな悲惨な事を容認できる男ではなかった。

 

「これはあくまで、最悪の想定です。 巨乳好きのようですし、あの人は」

 

「ですが無いとは断言しかねます……私も、雫も」

 

「女の子が軽々しく抱かれるだなんて言うんじゃない!」

 

「軽々しくはありません! 皆の命が懸かっています!

 日ノ本の未来も懸かっています! 私が雫の立場でも、抱かれます。

 私が好かぬ男に抱かれるだけで愛する貴方を助けられるのなら、何度だって……」

 

「詩乃っ!!」

 

剣丞が詩乃の両腕を掴み上げた。

詩乃の言葉に嘘は無いと思ったし、正しいとも思った。

感情のままに詩乃を掴んでもどうにかなるとも思っていなかった。

 

感情の赴くままに、行動していた。

 

「……何度だって抱かれます。 それが貴方を助ける事になるのなら」

 

「そんな事を言うな、言わないでくれ、詩乃……」

 

大多数の世界線と異なり、剣丞は既に1度、詩乃を抱いている。

既に詩乃は生娘ではなく、詩乃と剣丞は男と女の関係になっている。

 

久遠と剣丞が結ばれるタイミングが早まった事で、詩乃と結ばれるタイミングも少々前倒しになったのだ。

 

「剣丞様……」

 

「詩乃……」

 

詩乃と剣丞が潤んだ瞳で見つめ合う。

息と息が交わる程の至近距離で、見つめ合っていた。

 

「で……ええと……犬も食わない話はその辺にして、任務に行っても良いでしょうか?」

 

今現在、剣丞の妻になっていないし結ばれてもいない雫は完全に蚊帳の外である。

 

「いや、良くない。 好きでもない男に身体を差し出せなんて言っちゃいけない」

 

「分かりました、では抱かれる、抱かれないは自己判断で行きます」

 

「じゃあそれで……いや、良いのか良くないのか分からないけど、

 本当に無理をしちゃ駄目だからな」

 

そして……

 

……

 

…………

 

………………

 

「本日はお招きいただき、ありがとうございます。 九十郎さん」

 

犬子と九十郎の宿の部屋で、雫が深々と頭を下げる。

 

「マジで来たよ、マジで来たよ、マジもんの黒田官兵衛だよ。

 たぶん来ねえだろうって思ってたのに……」

 

九十郎があからさまに動揺している、視線が泳いでキョドっている。

 

部屋には雫と九十郎しかいない。

…今日九十郎は紅茶でも飲まねえかと誘ったのだ。

 

正直断られると思っていた……九十郎は過去(前の生含む)100回以上ナンパを敢行しているが、2人でお茶にまで進展させられたのは、うっかり詠美をナンパしてしまった1回だけだ。

 

ナンパ成功率1%未満の自分が、黒田官兵衛をお茶に誘えるだなんて全く思えなかったのだ。

 

「紅茶、ご馳走してください。

 公方様も楽しまれたという芳醇な香り、楽しみにしていたのですよ」

 

「マジかよ!? よ~し、官兵衛に期待されてちゃ手を抜く訳にはいかねえな。

 すぐに淹れてくるから待っててくれ!

 お茶請けにスコーンとジャムを用意しているからそっちも食べていってくれ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

雫は畳の上に正座しそうになり……慌てて用意されていた椅子に座る。

木苺をつかった鮮やかな赤色のジャムが、見るだけで雫を楽しくさせる。

 

こういう小器用な事ができる割に、後先を考える能力が欠如している所が九十郎である。

 

しばし待つと……九十郎は紅茶を3人分淹れて戻って来た。

 

「……美味いか?」

 

「ええ、とても良い香りです」

 

雫は思わず笑みを零していた。

演技とか、任務とか、その辺の事情を思わず忘れ、純粋に紅茶の味と香りを楽しんでいた。

 

「官兵衛が俺の淹れた紅茶を美味いと……やべえ、俺は今、猛烈に感動している」

 

安い男である。

 

「それで……この間の話なのですけれど」

 

「この間……ええっと……?」

 

「私を越後にお招き頂いたお話です。 あの時は返事ができませんでしたが……」

 

「ああ、あの話か。 それはちょっと待っててくれねえかな。

 もうそろそろ来るって聞いてるんだけど……」

 

「来る……?」

 

雫が首を傾げた直後、部屋の襖が急にガラッと開き、外から1人の女性が飛び込んでくる。

 

「九十郎ぉ~! 会いたがったっすぅ~!」

 

そしてその女性が九十郎に飛びつき、力一杯ぎゅ~っと抱きしめてきた。

 

「貴女は……!?」

 

雫はその人物と会った事が無い、その声を聞いた事も無い。

しかしその顔は知っていた、故に誰だかすぐに分かった。

 

つい先日、久遠に送られてきた写真に写っていたからだ。

 

「アンタが小寺官兵衛さんっすか? 自分は柿崎景家、通称は柘榴。

 越後の長尾景虎の家臣で、九十郎のお嫁さんもやってるっす、以後よろしくっす」

 

「は、はい、存じ上げています。

 長尾の七手組一番隊隊長で、勇猛果敢な将と聞いています」

 

「おおっ! 柘榴の事知ってるっすか!? そりゃあ嬉しいっすね~」

 

「柘榴、お前の分の紅茶、淹れておいたぞ。 本題に入る前にちょっと休んでいけよ」

 

「おお、良いっすか?

 いや、例のアレの準備のために一日中走り回ってたっすから、喉乾いたっすよ」

 

柘榴が九十郎の淹れた紅茶を一息に飲み干す。

淹れてからちょっと時間がかかってぬるくなっていたが、今の柘榴にとっては甘露と言って良い。

 

「……さて、これでこっちの準備はできたと。 官兵衛、さっきの話の続きを聞こうか」

 

「正直に言います……迷っています。 何の実績も無い若輩者である私に、

 1万石なんて高値をつけてくださった方を袖にしても良いものかと……」

 

雫があらかじめ考えていた言葉を述べる。

金で釣られる軽薄な者と思われるのは良くないが、あまり話を長引かせて向こうを諦めさせる訳にもいかない。

 

できる限り自然な流れで、自分が九十郎と共に越後に行けるように話を誘導しようと、雫は慎重に言葉を選ぶ……

 

「悪いっすけど、まだるっこしい条件闘争に付き合う気は無いっす。

 裏工作の時間を与える気も無いっすよ」

 

柘榴から、さっきまでのほんわかとした空気が消えていた。

その言葉は今日の晩飯の話でもしているかのような軽さであったが、言葉の重みは戦場を駆ける武将そのものであった。

 

雫の表情が崩れ……いや、崩れない。

自分の考えを当てられたかと、動揺はした。

しかし、1度や2度考えている事を当てられた程度でいちいち狼狽えていては、軍師だなんて難儀な生き方はできやしない。

 

「どういう……意味ですか……?」

 

演技を続けながら、雫は机の下で小波から受け取った御守りをぎゅっと握り、異常事態を伝えようとする。

 

しかし……小波からの応答が一切無い。

 

「先に言っとくっすけど、服部半蔵の御家流は既に封じさせてもらってるっす。

 てれぱすって言ったっすか? 音も立てずに声を伝える能力は地味に厄介っすからね」

 

雫は知らない事であるが、柘榴と共に武田信虎が京都に来ていた。

そして御家流を受け止め、投げ返す能力で雫が発する念波を明後日の方向に捻じ曲げていたのだ。

 

「な、何の話ですか……?」

 

雫の表情がほんのわずかに引きつった。

知られている筈の無い、剣丞隊の切り札……小波の御家流、口伝無量が知られている事は、そしてそれを封じられている事は、雫にとって想定外の事である。

 

「悪いな官兵衛……アンタが好きだって気持ちにゃ嘘は無いし、

 できればもっと穏当な手段を使いたかった。

 だがそれ以上に、アンタが剣丞ハーレムの中に入られちゃ困るんだよ。

 最後の思い出とか何とか言って、官兵衛が剣丞に抱かれる可能性がある以上、

 長期戦はできねえんだよ」

 

「は、はぁれむって……?」

 

「早い話、あんたが剣丞の女になるのは嫌なんだよ」

 

「わ、私はまだ剣丞様に手を出されては……」

 

「犬子、準備OKだ! やっちまえっ!」

「犬子、準備はバッチシっすよ! やっちまうっす!」

 

慌てて弁明しようとする雫の前で、柘榴と九十郎が犬子に合図を送った。

 

「わうぅっ!!」

 

直後……部屋の隅に置いてあった葛籠がガバッと開き、中から1匹の犬が飛ぶ出した。

 

「……なっ!?」

 

「がぶっ!!

 

雫が何かを言うよりも早く、雫が身構えるよりも早く、飛び出した犬が雫の腕に噛みついていた。

 

「痛ったぁ……九十郎さん、何をっ!?」

 

「良ぉ~し犬子、良い奇襲だったぞ。 後で好きな物なんでも作ってやるからな~」

 

「わぅん!」

 

腕から血を滴らせながら、雫が抗議の声を上げる。

しかし九十郎は雫を襲った犬を犬子と呼び、喉を撫でていた。

 

「聞いているのですか九十郎さん! 柘榴さんも! それに……その子、犬子って……」

 

そして気づく、今自分を襲った犬が、前田犬子利家がつけていた三文銭の髪飾りと同じ物をつけている事に。

色合いも、大きさも、小さな傷跡すらも良く似て……いや、全く同じだという事に。

 

「その子……まさか、本当に犬子さん……?」

 

雫がそんな事を考えた直後……異変が起こる。

 

「な、何で……足が、ふらついて……」

 

何故か足がぐらぐらと揺れ、立っていられなくなっていた。

気が付けば両手両足がどんどん短くなり、指もどんどん短くなり、全身の体毛が深くなっていき、全身の骨格がゴキゴキと音を立てながら変形していく。

 

「ひぎっ……ぐぅ……!? や……だ……身体が……ああっ! がぐっ、あぐぅ……!!」

 

苦痛は一切無い。

苦痛が一切無い所が、むしろ雫の恐怖を増大させていた。

自分が別種の生物に作り替えられていく恐怖を……

 

「だ、誰か……剣丞様ぁっ!!」

 

「逃げちゃ駄目っすよ~、もうちょっとで終わるっすからね~」

 

四つん這いになりながら逃げ出そうとする雫の胴体を踏みつけ、柘榴が逃亡を妨げる。

やっている事は悪役そのものであるが、柘榴に罪悪感は一切無い。

 

「ひ……ひぐっ……い、嫌ぁ……嫌だぁ……あぁ……」

 

非力な雫には柘榴を跳ねのける事はできず、全身が作り替えられる恐怖の中で手足を弱々しくばたつかせる事しかできず……

 

「ほい、一丁上がりっす。 ハマるとめっちゃ強力な御家流っすよね、犬子って」

 

3分も経つ頃には、柘榴の足の下には小寺官兵衛はおらず、1匹の子犬がいるだけであった。

 

犬子の御家流によって身体も、知能も犬に変えられた子犬に変えられた、小寺官兵衛だったものがいるだけであった。

 

「しかも脳波コントロールできる、絶妙に便利な能力だよな」

 

「犬並みになった知能でも理解できる簡単な命令だけっすけどね。

 でもまあ、伊賀者の目を欺くには十分っすよ」

 

「わんっ!!」

 

犬になってる犬子が、任せろとでも言いたげに鼻息を鳴らし、九十郎に尻尾を振った。

 

「それはそうと柘榴、逃げ支度はできてるよな?」

 

「モチのロンっすよ。 いくら伊賀者が見張っていても、いくら服部半蔵が優秀でも、

 人間1人連れ出すのは難しくても……犬一匹連れ出すのはそう難しくないっすから」

 

そう言うと柘榴はすっかり大人しくなっている子犬に手早く首輪を着ける。

そして雫が着ていた衣服をぱんつに至るまで剥ぎ取って、くしゃくしゃと丸めてさっきまで犬子が隠れていた葛籠の中に放り込んだ。

 

「そうか、これで……これで剣丞は助かる訳だ、良かった良かった」

 

そして九十郎は安堵のため息を漏らした。

 

九十郎は放置しても問題なさそうな奴には基本辛辣だが、放置したら死にそうな者、あるいは洒落にならん事になりそうな者には案外優しい。

それは相手が主人公であろうが、新田剣丞であろうが変わりは無い。

 

そう、この日九十郎は、この日の九十郎の行動は……新田剣丞は助けるためのものだったのだ。

 

しかしそれはそれとして、動機がどうであれ……今日の九十郎の行動は、断じて主人公がやって良い行動では無いだろう。

 

だから貴様は九十郎なのだ。

 


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