戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と九十郎第56話『前田利家終了のお知らせ』

「九十郎殿、ようやく懐かしの春日山城が見えてきましたよ」

 

「ちょっと駿河まで行って戻って来るだけのつもりだったのに、

 随分長いこと歩き回っちまったよな」

 

ある日の昼下がりの事、今までずぅ~っと国元を放置して駿河、甲斐、そして尾張を巡る大旅行をしていた貞子と信虎と新戸と九十郎の4人が、とうとう越後に戻ってきていた。

 

SAN値直葬されそうな怪物に襲われたり、温泉の醸し出すエロティカルな雰囲気に呑まれ、うっかり粉雪達と一線を越えそうになたり、三河侍達とチャンバラをしたり……色々あったが、なんやかんやで誰一人欠ける事無く旅は終わった。

 

「尾張の楽市で買ってきたお土産、気に入ってもらえるでしょうかねえ」

 

「たぶん大丈夫だろ、とりあえず練兵館に……」

 

一行がそんな風にこれからどうするかを話し合っていると……

 

「……ワゥン」

 

九十郎はふと、誰かに見られ、誰かに呼び止められたような気がした。

 

「貞子、今何か言ったか?」

 

「へ? いえ、特に何も……」

 

「じゃあ信虎か?」

 

「くだらん事を言ってないで、早く我にドライゼをよこせ」

 

「何も言ってないか……誰かに呼ばれたような気がしたんだがな……」

 

九十郎が周囲を見回しても、その目に写る風景はいつもの城下町であって、特に不自然な所は無く、九十郎達に注目している者も無く……一匹の子犬が尻尾をブンブンと振りながら、九十郎を足元から見上げているのみであった。

 

「まさかお前が俺を呼び止めた……なんて事は無いよな?」

 

「ワンッ!!」

 

九十郎が話しかけると、子犬は嬉しそうに吠え、さっき以上に勢い良く尻尾を振りまくった。

 

「良し良し、お前可愛い奴だな」

 

九十郎が足元の子犬を撫でる。

 

「クゥ~ン、ウゥ……」

 

子犬は気持ち良さそうに喉を鳴らし、九十郎の太くゴツゴツした指に身を任せていた。

 

「屑郎、たぶんそれは……」

 

新戸が何かを言おうとした直後……建物と建物の間を駆け、人込みを掻き分けながら、柘榴が九十郎達の前にやってきた。

 

「お~い、急に走り出してどこまで行く気っすか~!?」

 

そんな台詞を叫びながら九十郎達の前に立ち……

 

「ああ、やっと追いついたっす……急にどうしたっすか?

 いつもはもっと大人しいのに……て……」

 

柘榴と九十郎の目が合った。

 

「よう柘榴、元気にしてたか?」

 

「あ……あぁ……く、九十郎……すか……?」

 

柘榴は一瞬泣きそうな顔になり……次第次第に怒りと憤りに満ちた顔になり……

 

「今まで一体どこをほっつき歩いてたっすかあああぁぁぁーーーっ!!」

 

九十郎をグーでブン殴った。

 

「へぶぅっ!?」

 

九十郎がなんとも情けない呻き声をあげ、車田正美の漫画の如く空高く舞った。

残当である。

 

……

 

…………

 

………………

 

「2人とも、そこで正座しなさい」

 

春日山城に連行された屑一行を待っていたのは、めっさ怒っている美空であった。

 

「お、おい柘榴……」

 

九十郎は咄嗟に柘榴に救援を求めようとするが……

 

「今回ばかりは柘榴も怒ってるっすよ」

 

柘榴もめっさ怒っていた。

 

「……弁護士を呼んでくれ」

 

「言葉の意味は分からないけれどとにかく却下するわ」

 

「だよなぁ、戦国時代の人間に弁護士とか通じる訳ねえよなぁ……」

 

結局、春日山城の評定の間で九十郎、貞子、信虎、そして新戸の4人が正座する羽目になった。

 

「なんで我まで……」

 

信虎はぶつくさと文句を言っている。

ドライゼ銃という餌が目の前に釣り下がっていなければ即座に暴れ出していただろう。

 

「御大将、勢いで一緒に正座させたっすけど、この人誰っすか?」

 

「私も知らないけど……柘榴の知り合いじゃないの?」

 

「いや、初対面っすけど」

 

「こう……何か新しい力に目覚めたり何なりして急成長した鞠とか……」

 

神啓介も裸足で逃げ出す程のの大変身である。

 

「どこをどう成長したらあんなに目つきが悪くなるっすか。

 顔色変えずに万単位の人間殺せる生粋の殺人者の目っすよアレ。

 髪も真っ白になってるっすし」

 

「殺意の波動に目覚めて……」

 

「絶対ありえねーっす。 誰がどう考えても、絶対」

 

「穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた伝説の戦士に……」

 

「御大将は何が何でもアレを鞠だと言い張るつもりっすか?」

 

「いや、そういう訳じゃないけど……」

 

正座する3人の前でひそひそと美空と柘榴が密談をする……勢いで一緒に正座させたが、もしかして正座させちゃ拙い人だったんじゃなかろうかと、急に不安になってきた。

 

「ごほんっ……失礼ですがどちら様でしょうか?」

 

美空が珍しく敬語を使い、正体不明の女性に誰何する。

今更取り繕っても火葬後の心臓マッサージ並みに手遅れであるが。

 

「我は武田信虎だ」

 

「信虎殿のようです」

 

「なんと信玄ママンだ」

 

信虎、貞子、九十郎の3人が口々に同趣旨の言葉を述べる。

美空と柘榴がそんな3人の言葉を理解するまでたっぷり10秒はかかった。

 

「ちょっと待って、お願い待って、なんでそうなったの。

 言葉の意味は理解できたけどなにがどうしてそうなったのか全く理解できないわ」

 

「晴信を殺すのにドライゼ銃が使えると思ったので来た、それだけの話だ」

 

「ドライゼ銃やるって言ったらなんかついて来た」

 

「ウチの機密中の機密をきび団子みたいにホイホイ渡すなぁっ!?」

 

美空、ツッコむ。

頭は混乱の極みにあったが、彼女のツッコミキャラとしての本能がツッコミを放棄させなかった。

 

嫌な本能である。

 

「銃だけ持って行ってどうするつもりっすか? 晴信を狙撃する気っすか?」

 

「まさか、現実問題として、今の我では晴信は討てん。

 アレは腹が立つくらい優秀だからな、護衛が途切れる瞬間は無い。

 故に、晴信を討とうとしているどこかしらに潜り込むしかあるまい」

 

「屋敷に忍び込んでヘル・ストリンガーとかできないのか?」

 

「へるすとりんがとは何だ? どんな効果だ? いつ発動する?

 それで晴信を殺せるのか?」

 

「いや、丈夫な紐で首をこう……キュッと絞めて、ぐいっと吊り下げて、

 脊椎をゴキャッてヘシ折るヒサツ・ワザ的な……」

 

この男は信虎を何だと思っているのであろうか。

 

「一瞬でも真面目に聞こうとした我が間抜けだった……

 晴信相手にそんな真似ができる奴がいてたまるか」

 

そんなリアルアサシンクリードみたいな真似ができる者が、複数人一般生徒として普通に通学している所が大江戸学園の魔境たる所以である。

多い時には週一ペースで悪人がヘル・ストリンガーされたり、エナジーピックされたり、ラスト・テスタメントされたりしているのに、一向に悪人が減る気配が無い所も大江戸学園が魔境たる所以である。

 

他にも私の顔を見忘れたのとか、この印籠が目に入らぬかとか、この桜吹雪を忘れたとは言わせねぇとか、てめぇら人間じゃねえとかされたりしているのに、一向に悪人が減る気配が無い所も大江戸学園が魔境たる所以である。

 

どうなってるんだあの学園。

 

「つまりドライゼ銃を持って他国に走るつもり?

 そんな事を私がさせるとでも思っているのかしら?」

 

「それも考えたが、やめにした。

 現状、我の見立てでは越後の長尾景虎が最も晴信を殺すのに適している。

 長尾美空景虎、ドライゼ銃を扱う部隊を我に預けろ、そうすれば我は晴信を殺す。

 我の全知全能をって必ず殺す、刺し違えてでも殺す。

 どうだ? 貴様にとって悪い取引ではあるまい

 可能であれば甲斐を正当な主の元に……そう言いたいところではあるがな。

 まあ、そこまでは求めんよ」

 

「それは晴信を殺すまで協力してくれると解釈して構わないかしら?」

 

「アレを殺した後は甲斐を取り戻すために動く。

 長尾景虎に力を貸す事でそれが実現できるのであれば、殺した後も変わらず力を貸そう」

 

「分かった……ええ分かったわ、考えておく」

 

信虎をどう扱うか……一歩間違えれば内側から食い破られかねない劇毒を呑むか吐き出すか。

美空はいきなり相当重い判断を迫られ、胃壁がガリガリ削られている気分になったが、表面上は平然とした態度で別の話題に移る。

 

「ところで……さっきから姿が見えないけれど、鞠は今どこにいるの?」

 

「剣丞のトコだろ」

 

「それは織田久遠信長の夫の新田剣丞の所にいるという意味かしら?」

 

「ああ」

 

九十郎は何当然の事を聞いてるんだ、大丈夫か? とでも言いたげな視線を美空に向けた。

美空も当然、その憐れみを帯びた視線に気づき、目の前の筋肉を絞め殺したくなった。

 

いっそ絞め殺した方が美空は平穏に生きれるのではなかろうか。

 

「何故、剣丞の所に?」

 

「届けた」

 

「というか、半ば無理矢理今川殿の世話を天人殿に押し付けましたよね」

 

「何やってるのよ貴方!?」

 

「大丈夫だろ、主人公だし」

 

「貴方の新田剣丞に対する信頼は一体どこから来るのかしら……?

 いえ、それより……結局貴方達、何処に行って何をしてきたのよ?」

 

美空は聞いた、とうとうその言葉を口にした。

内心では胃壁がガリガリ削れるような話が飛び出るんじゃないかと思っていたし、できれば聞きたくない、聞くにしてもできるだけ後回しにしたいとも思っていた。

しかし、事ここに至っては聞かざるを得なかった。

 

「信虎がさ、駿河に鬼が出るとか何とか言って……」

 

「今川殿が今すぐに駿府館に戻るって言い出したんですよね。

 放っておいたら1人で飛び出しかねない勢いで」

 

「放置して野垂れ死にされたら目覚めが悪いし、美空に許可取る時間も無さそうだしで、

 仕方ねえから俺と貞子で駿河まで護衛しようって事にしたんだよな」

 

「有料で、ですけど」

 

「当たり前だ、俺が無償で人助けなんてするかよ」

 

本気で死にそうな者が目の前にいた時は、結構頻繁に無償の人助けをしているのだが、九十郎は無意識の内にそんな過去から目を背けた。

 

「まあ、鞠の護衛のために越後から離れるってのは分からなくもないわ……

 それで貴方達、誰かに相談とか、伝言とか、書置きとか考えなかったの?」

 

報連相は社会人の基本である。

そう問われた貞子と九十郎は顔を見合わせ……

 

「……言われてみれば」

 

「……忘れていましたねぇ」

 

美空は自分の胃壁がガリガリと削れていく感覚に襲われた。

お前は自分の重要性が分かっているのかと叫びながら九十郎をブン殴りたい気分だった。

 

「で、いざ駿河に行ったら鬼だのSAN値削れそうな肉塊とかに襲われて、

 命からがら逃げだしてきて」

 

「甲斐の典厩殿と一緒に温泉でゆっくり旅の疲れを癒して……」

 

「用心棒代が払えねえって言うもんだから、

 腹いせに鞠を強姦して処女奪ってやろうとしたけど粉雪に止められて、

 交渉の結果山本勘助のサインで手を打ったな」

 

「まあ素敵、ツッコミどころ満載の旅路ね、私を過労死させるつもりかしら?」

 

「別にツッコミ入れても良いんだぞ」

 

「ツッコミだけで日が暮れるわよ! 何やってんのよあんたら!?

 他人が滅茶苦茶大変な目に遭ってるのに敵と温泉入ってるんじゃないわよ!!

 鞠から用心棒代せびろうとするんじゃないわよっ!

 しかも払えないから強姦するって何考えてるのよあんたぁっ!!」

 

美空は叫んだ、ガオーッと吠えた。

喉が枯れ、血管が千切れ、心臓が破れんばかりに叫び、ツッコミを入れた。

 

そして美空は思った、自分の代わりにツッコミを入れてくれる人が居るのなら、三顧の礼どころか草履を舐めてでも迎え入れようと。

 

「そして今川殿を天人殿に押し付けに尾張に行きました」

 

「意味が分からないわ」

 

「あいつ主人公だし、あいつに任せりゃ穏当な所に行きつくだろ」

 

「だからその信頼はどこから……

 いえそれよりも、鞠を剣丞に明け渡す話、私に相談はしたの?」

 

そう聞かれると、九十郎は貞子を、貞子は九十郎の顔をじぃ~っと見つめ……

 

「貞子がノータイムで賛同してきたから、てっきり美空の了解があると思った」

 

「九十郎殿があまりにも自然に今川殿の身柄を渡すと言い出したので、

 てっきり美空様の承認があるのかと思いました」

 

「何考えてるのよ馬鹿! 馬鹿ぁっ! この……ええと……馬鹿っ!!」

 

美空は再び血管が浮き出る程に叫んだ。

叫んでもどうにもならないとは理解しているが、美空のツッコミ魂が彼女に沈黙を許さなかった。

 

「そして三河の松平元康殿とチャンバラしてきました」

 

「俺にしては珍しく大勝利だったよな。

 開幕直後に本多忠勝を戦線離脱させれたのが勝因かな」

 

「その後、榊原康政殿を抑えて頂けたおかげで、私は雑魚掃除に専念出来ました。

 大変だったでしょう? あの人かなりの手練れでしたし」

 

「ははは、師匠ってのは弟子の前に立ち塞がる巨大な壁になってやらなくちゃだからな。

 綾那の奴はあっという間に飛び越えていきやがったが」

 

そんな事を言いながら貞子と九十郎がわっはっはっはっと豪快に笑い合う。

2人の笑みとは対照的に、美空の顔はどんどん暗くなっていく。

 

「貴方……貴方達……私に何の相談も無しに戦端開いたの……?

 松平って織田と同盟している所なのよ……」

 

「ご心配なく、先に襲ってきたのは向こうです」

 

「安心しろ、正当防衛だったからな」

 

「何をどう安心しろってのよあんたらぁっ!!」

 

美空は思った、このままではツッコミのしすぎで死ぬと。

血圧とかが高くなって死ぬと。

 

「……良ぉし! いや全然良かないけど過ぎ去った事は仕方が無いわ。

 未来の事を考えましょう、そうしましょう」

 

そして美空は唐突かつ強引に話を打ち切った。

これ以上ツッコミを入れたら血管が千切れて死にそうな気もしたし、現在、美空達には非常に重大な問題に直面しており、九十郎の力を必要としていたからだ。

 

「おい美空……何かあったのか?」

 

そんな美空の様子に違和感を覚えた九十郎がそう尋ねた。

 

「ねえ九十郎、過去の事をとやかく言うより、未来に向かって歩みを進める方が大事よね」

 

「……おい美空、何をやらかした」

 

九十郎は盛大に目が泳いでいる美空を問い詰めた。

いっそ清々しいまでに自分のやらかした独断専行を棚に上げていたが、この男の平常運転である。

 

「仲間というのは許し合う事から始まるものだと思わない?」

 

「何をやらかした」

 

「世の中不可抗力ってあるっすよね、九十郎」

 

柘榴がにこやかに……不自然な程ににこやかに笑ながら九十郎の肩に手を置いた。

 

「おいちょっと待て、柘榴お前も共犯か、何をやらかした」

 

美空と柘榴が物凄く物凄ぉ~く気まずそうに視線を交わし、そのまま無言で見つめ合う。

 

「……犬子はどこだ?」

 

九十郎がそう言うと、美空と柘榴の肩がビクンと強張った。

そして2人は少し震えながら指さした……さっきからず~っと九十郎に身体を擦り付けている子犬を。

 

「えっと……冗談はその辺にして、犬子はどこだ?」

 

九十郎は途方も無く嫌ぁ~な予感をしながら、それから目を背けるかのように尋ねる。

美空と柘榴は視線を盛大に泳がせながら、再度子犬を指さし……

 

「……それよ」

 

「それが犬子っす」

 

九十郎が突き付けられた事実を信じられず、信じ切れず……無意識の内に子犬のお腹の辺りを撫でて、気持ちよさそうに鳴く子犬の瞳が、犬子のものに良く似ている事に気がついだ。

 

「……マジかよ」

 

「マジよ」

 

「マジっす」

 

「うっかり瑠璃丸を踏み殺しちゃったんで、

 コスプレした近藤さんを瑠璃丸だと言い張る的なアレか?

 

そのネタが分かるのは銀魂の読者だけである。

 

「何の話だかわからねーっすけど、マジで犬子っす」

 

九十郎は信じられるかと怒鳴りつけたい気分になったが……基本ノリと勢いで生きる美空と柘榴といえど、こんな悪趣味な冗談は言わないだろうと思いなおす。

 

「詳しく話を聞かせろ」

 

美空と柘榴が視線を交わし、しばしどう説明したものかを考え込む……

 

「貞子と九十郎が急に姿を消してから、柘榴達で捜索隊を組んだっす。 かなりガチな奴を」

 

……長い躊躇の後、先に口を開いたのは柘榴であった。

 

「武田か北条にらちされたじゃないかって本気で心配したのよ。

 軒猿達にもこの件を最優先で調べなさいって命令出して」

 

「おいおい、何でそこまでするんだよ」

 

「武田の歩き巫女や北条の風魔忍軍が関わってたら、

 それくらいやらないと手も足も出ないのよ。

 それと貴方は自分の重要性を理解しなさい、替えがきかないって意味では私以上よ」

 

「小田原城とドライゼ銃が合わさったら手がつけられねえっすしね」

 

「武田の騎馬部隊にドライゼが合わさったら……あら、馬の上で銃って狙えるのかしら?」

 

「ああ、竜騎兵か……ぶっちゃけネタ装備だな、絵的に映える所くらいしか利点が無いぞ。

 騎兵の利点である突破力と、銃の利点である習熟の容易さが同時に消え失せる上に、

 発砲音で馬が驚いて暴走する危険もあって、しかもコストが凄まじい事になるからな」

 

「何にせよ、武田や北条にドライゼやハーバー・ボッシュが漏れる前に、

 早急に九十郎を探し出さなければならないと思って、探し回ったのよ。

 そりゃもう必死こいて探し回ったわ」

 

「柘榴や御大将も頑張ったっすけど、一番必死になって探してたのは犬子だったっす。

 不眠不休で、倒れちまうんじゃないかって心配になるくらいに必死に探してたっす」

 

「だけどそんな犬子の覚悟と決意をあざ笑うかのように、

 九十郎の情報はまるで集まらなかったわ……」

 

「まあぶっちゃけ、鞠と一緒になって駿河に行ってるなんて思いもしなかったからっすが」

 

「事情を話す余裕が無いくらい切迫した状況だったって思い込んでいたからね」

 

「お互い過ぎ去った過去の事は忘れようぜ」

 

「そうね、忘れましょう。

 いつまでたっても有力な情報が集まらず、日に日に犬子はやつれていったわ。

 このまま衰弱死してしまうんじゃないかって本気で心配するくらいに……

 そうしたらあの娘、ある日の夜、私と柘榴の前でこう呟いたのよ……」

 

「犬子が悪いんだって……私が前田利家だったから、九十郎が離れたんだって……

 見てて気の毒になるような、暗ぁ~い顔でそう言ってたっす」

 

「それで……それで、私と柘榴が、あの娘に何て声をかけようかって、

 どうやって励まそうか考えて、考えていたら……」

 

「信じてもらえるかわかんねーっすけど、急に犬子の身体が縮んでいったっす。

 身体が縮んで、全身の体毛がわしゃわしゃ~って伸びていったっす」

 

「そして気がついたら……

 犬になっていたの、確かに犬子は私達の目の前で犬に変わっていたの」

 

「そう……か……」

 

九十郎はそんな馬鹿なとか、そんなのは嘘だとか、そういった事を言いたかった。

言いたかったが……美空と柘榴の目は、真剣そのものだった。

嘘とか、冗談とか、そういった類が一切無いと確信できた。

美空と柘榴は、本当に見たまま、感じたままを自分に伝えているのだと……

 

「たぶん御家流の暴走だと思ったわ。

 能力が発現したばかりの頃って、時々本人の意図から外れた現象が生じる事があるから。

 だけど戻す方法は誰にもわからなかったわ」

 

「九十郎がいなくなったのがきっかけで発現したっす。

 だから九十郎が戻ってくれれば、犬子も戻るかもしれないって……

 いや、きっと戻るはずだって思ったっす」

 

「私達は九十郎を探したわ、必死になって……本当に本当に必死になって探したわ。

 まさか尾張で新田剣丞に鞠の身柄を渡したり、

 三河勢と斬り合ってたりしてるなんて思いもしなかったけどね」

 

「正直すまんかった」

 

「その……本当にすみません、反省します」

 

「九十郎が戻って来たって聞いて、本当に嬉しかったっすよ。

 武田とか北条に捕らわれてなかった事も嬉しかったっすけど、

 これで犬子も戻るんじゃないかって思ったっすから。 ただ……」

 

「ええ……」

 

その場にいる全員の視線が子犬に集まる……子犬は嬉しそうに九十郎に擦り寄るばかりで、人間になりそうな気配は全く無い。

 

「戻ってないっすね……」

 

「ええ、戻らないわね」

 

「どうするっすか御大将、他に犬子を戻す手段なんて思いつかねーっすよ」

 

「私だって手詰まりよ。 人間が犬になるなんて状況、私だって初めてなのよ」

 

「このまま死ぬまで犬のままなんて、犬子が哀れでならねーっす」

 

「そんな事は分かってるわよ! 犬子を元に戻したいのは私だって一緒なのよ!」

 

「それは……それは柘榴だって分かるっすけど……」

 

意気消沈といった様子で、美空と柘榴が言葉を詰まらせる。

犬子が無防備に、能天気に、そして無邪気に九十郎の体臭を嗅いでいる事が、かえって美空達の心を重苦しくしていた。

 

「……冷静になって考えたら、今回の一件、柘榴達何も悪くないっすよね。

 率直に言って不可抗力っすよね」

 

「良く考えたらそうよね。

 間違い無く伝言も書置きも残さずに行方を眩ませた九十郎が悪いわよね」

 

「九十郎、早急にどうにかしなさい」

「九十郎、マジでどうにかしてほしいっす」

 

美空は高圧的に、柘榴はやや低姿勢になって同じ事を九十郎に頼んだ。

 

九十郎としても、できれば犬子を元の姿に戻したいとは思ったが、今何がどうなっているのかも分からない状況では、どうすれば良いのかも分からない。

 

「新戸、何か分からないか」

 

九十郎にしては珍しく、素直に新戸に助けを求めた。

 

「スタンド能力は無意識の才能だ……と、言ったのはジョルノ・ジョバーナだったか」

 

「初流乃……汐華……? 何よそれ? 外人? 歌?」

 

「生命を生み出す御家流を使う奴だ」

 

「生み出した生物に攻撃を加えると跳ね返ってくるんだよな」

 

「なにそれこわい」

 

ただし漫画の話である。

 

「そして後でもっとヤバい能力に目覚める」

 

「真実に到達させない能力……もし戦う事があれば、

 俺の神道無念流でも成す術も無く敗れるだろうな、戦う事があれば」

 

「なにそれこわい」

 

重ねて言うが、漫画の話である。

 

「そのおっかない能力の人が、犬子の事を何か言ってたっすか?」

 

「御家流も本人の無意識の才能という意味では、スタンド能力と同じだ。

 本人の魂の在り様が、発現した能力を左右する事がある。

 残虐な奴には残虐な能力が、冷たい奴には冷たい能力が、

 臆病な奴には臆病な能力が発現する事が多い……例外はあるが」

 

「それってつまり……犬子は魂の在り方からして犬だったって事っすか?」

 

状況が状況とはいえ、酷い言われようである。

 

「いや、たぶん違うと思う。 たぶんだが……強い願望が魂を歪めてしまったのだと思う。

 犬子が犬に変わってしまうなんて、オレの……

 いや、オレ達が知る限り、無かった筈だから」

 

「強い願望……」

 

「稀に魂を歪める程に強い強い願望が、御家流を発現させる事がある。

 自分よりも優れた誰かに全てを丸投げしてしまいたいという願望を抱き、

 自分の上位互換ともいえる存在を呼び寄せる御家流を発現させた信長。

 母親が欲しい、母親に甘えたいという願望を抱き、

 先祖達の霊魂を呼び出す能力を発現させた晴信。

 小波の場合は、生き別れになった妹ともう一度話がしたいと……」

 

「ちょっと待て、今お前なんと言った?」

 

そこで、今まで興味無しという態度を崩さず、ずっと黙っていた信虎が口を挟む。

 

「小波には姫野という妹が……」

 

「違う、その前だ」

 

「武田晴信が、母親が欲しいという願望を持っていた事か?」

 

「ぶふぅっ!」

 

新戸がそう告げた瞬間、信虎が噴き出し、そのまま腹を抱えて笑い出した。

 

「ふ……ふあっはっはは! あははははははっ!!

 は、母親だと!? 母親が欲しいだと!? アレがか!?

 実の母親である我をその手で追い出したアレが!? ははははははははっ!!」

 

畳をバンバンと叩きながら大笑いする信虎に対し、美空達はそろってドン引きしていいた。

 

「御大将、あの人お母さんには向いてないっす、誰がどう見ても、絶対」

 

「私の母にも色々問題はあったけど、ここまで酷くは無かったわね」

 

「反面教師にでもするのが無難ではないでしょうか」

 

美空、貞子、柘榴は信虎の態度にドン引きである。

 

「つまり……犬子は何かしらの願望があって、

 自分自身を犬に変えちまったって事っすか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「願望っすか……」

 

「自分の魂を歪めるような強い願望……それって、アレの事よね?」

 

「まあ、他に考えられねーっすよね。

 九十郎が急にいなくなったのが切欠っすから……」

 

美空と柘榴が視線を交わす。

次に相手が言う言葉も、次に自分が言うべき言葉も分かっていた。

 

「前田利家をやめたい」

「前田利家をやめたい」

 

美空と柘榴の声が重なった。

 

九十郎は犬子が前田利家だからと結婚を拒否した。

その日以来、犬子は鬼気迫る表情で、自分を痛めつけるように仕事に打ち込んでいた……少し考えれば、すぐに分かる事だ。

 

そして2人が……いや、九十郎を除く全ての者が九十郎をじと~っとした非難の色を含んだ視線を向ける。

お前が原因なんだから、お前がどうにかしろよという視線だ。

 

「そ……そもそも、犬になったって言っても実害はほぼ無いんだから。

 自然に戻るのを待つんで良いんじゃねえのか?」

 

九十郎は苦し紛れに最低な提案をした。

 

「駄目よ、実害は出ているわ」

 

「どんな害だよ?」

 

「現状、柿崎家の家計収支を正しく把握してるのが犬子1人っす。

 このまま犬から戻らずに秋を迎えたら、年貢の把握と計算が途方も無く面倒臭いっす」

 

「我慢しろよその位、去年まで犬子抜きでやってたんだろ」

 

「犬子が来てから、去年までのどんぶり勘定っぷりが浮き彫りになったっす。

 今までのやり方をもう一度ってのは……

 いやそれよりも重大で急を要する実害も出てるっすよ」

 

「犬になった犬子に噛まれると……噛まれた方も犬になるのよ」

 

「御大将は6回、柘榴は2回噛まれて犬にされたっす」

 

「いや犬になるって、今のお前らは普通に人じゃねえか」

 

「犬子が寝ると元に戻れるのよ」

 

「じゃあ大した実害無いじゃないか」

 

「大ありっすよ! 御大将じゃなきゃできない仕事がある時に、

 肝心の御大将が犬にされてたら普通に困るっす!

 それに……それに、その……」

 

そこまで言うと、竹を割ったような性格の柘榴が、珍しく言葉を濁す。

顔が赤くなり、視線が泳ぎ、同じく顔を赤らめている美空の方をチラチラとのぞき見ていた。

 

「……犬になっている間は、頭の中まで犬並みになるのよ」

 

しばしの沈黙の後、美空が眉間に皺を寄せながらそう告げた。

 

「しかも人に戻った時、自分が何をしでかしたかしっかりと覚えてるっすよ」

 

柘榴もまた、過去に見た事が無い程に真剣な表情でそう訴えかける。

 

「城下町を素っ裸でお散歩したっす。

 しかも行きつけの定食屋のおやっさんの目の前で、

 片足上げておOんこを丸出しにして、放尿したっす。

 もう二度とあの店に行けねえっす……それどころか、お嫁にも行けねえっす……」

 

柘榴が滝のような冷や汗をかきながらそう告白する。

 

「気にするなよ、その時は犬だったんだろ」

 

九十郎が珍しく優しい声をかけた。

 

「練兵館にも小便かけたっす」

 

「てめえ! この野郎! 俺の道場に何しやがる!!」

 

そして瞬時に掌を返した。

 

「何か……こう……柘榴が生きていた証的なもんを残したかっすよ!」

 

「他ので残せよ! 他ので! 何でよりにもよって小便で残そうとするんだ!?」

 

「あの時はそういう気分だったっす!!」

 

「柘榴はまだマシよ……私なんて、近所のオス犬に種付けされかけたのよ」

 

……瞬間、空気が凍り付いた。

 

「ちOこをおっ勃ててたオス犬が、

 犬になってた御大将の尻を抱え込むみたいに上にのしかかったのを見た時は、

 本気で心臓が止まるかと思ったっす」

 

「幸い柘榴がすぐに来てくれたから、アソコに挿れられる前にどうにかできたけど……」

 

「一瞬でも気づくのが遅かったらマジでやばかったっす……」

 

「あと四半時(約15分)も遅かったら……

 ああ、駄目、考えたくないし思い出したくもないわ」

 

「犬になってる間は、後先考えられなくなるっすよね……」

 

「ええ、そうね……あの時の私はどうかしていたわ……

 あの時の私、本気でこいつの児なら産んでも良いかな……とか考えていたのよ。

 この私が近所の薄汚い野良犬……

 比喩表現でも何でもなく野良犬の児を産もうとか考えてたのよ」

 

「しかもそれすらもしっかり覚えてるってのが強烈っすよね……」

 

「人間に戻った瞬間、自害しようとしたわ……止められたけど」

 

「半狂乱になって暴れる御大将を取り押さえるのはマジで大変だったっす」

 

「空と名月が泣きながら止めてくれなかったら、今頃は……

 やめましょうこの話、精神衛生上良くないわ」

 

「犬に変わった人に噛まれても犬になる所も凶悪っすよね」

 

「ねずみ算的に犬化した人が増えてった日は大変だったわよね。

 あの時は本気で越後最後の日になるかと思ったわ」

 

「ああ、御大将と柘榴が2人とも犬にされた日っすか。

 事情を知ってるのが全滅して、被害が際限無く増えていったっすね……」

 

「あはははははは……」

 

「あっはっはっはっは……」

 

そして美空と柘榴が笑い出した。

口元は確かに笑っていたが、目が死んでいた。

 

「九十郎、一刻も早くなんとかしなさい」

「九十郎、一刻も早くどうにかするっすよ」

 

美空と柘榴が口をそろえてそう告げてきた。

拒否したら殺されるんじゃないかと思うくらい、真剣な……いや、追い詰められた目であった。

 

「お、おう……」

 

犬になった犬子を戻す手段なんてまるで思い浮かばなかったが、九十郎はそう答えるしかなかった。

 


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