戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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第48話はR-18描写があるので犬子と九十郎(エロ回)に投稿しました。
第48話URL『https://novel.syosetu.org/107215/16.html




犬子と柘榴と九十郎第49話『信虎襲来』

九十郎と結ばれたい、愛されたいという気持ちを確かめ、犬子が決意を新たにしてから、しばし時間が過ぎた……

 

表面上は穏やかな毎日が過ぎた。

鬼との戦いで手痛い損害を出してしまった武田が比較的大人しかったせいか、小さな小競り合いはあったものの、長尾と同格の大大名との正面衝突は一度も無かった。

 

だがしかし、決意だけで状況が好転するのであれば誰も苦労はしない。

今までずっと戦ってばかりだった美空も、柘榴も、もちろん犬子も男女の機微には疎く、誰も良いアイディアを出せず、ただただ時間だけが過ぎていた。

 

そんなある日の事、柘榴が城主を務める城・柿崎城の一室にて、犬子が無言で、黙々と帳簿の整理をしていた。

九十郎とどう接するのか、どうやって自分に振り向いてもらうのか……考えても考えても良い考えが浮かばずに、視線と意識を逸らすかのように仕事をしていた。

 

「犬子、追加の資料持ってきたすよ」

 

柘榴が山のように膨大な量の紙束を抱えて来た。

領内のあちこちからかき集めてきた、柿崎家の収支に関する書類の束だ。

 

もっとも、収入も支出もいままでフィーリングでやってたり、村長や代官に丸投げしたりしていた部分が多々あるので、書類毎に書かれている内容や体裁がまるで違う。

それどころか、そもそも報告書や帳簿の類を一切作っていない部署すらあった。

 

だからこそ、柿崎家の収支や資産状況を正しく把握し、複式簿記の形式に書き直す作業は途方も無く面倒で、途方も無く手間がかかり、途方も無く大変な作業であった。

 

だからこそ犬子は、その途方も無く大変な作業に没頭する事で、一時だけとはいえ九十郎の事を忘れる事ができた。

 

「少し休まないと、そのうち倒れちまうっすよ」

 

「大丈夫です」

 

心配そうに見つめてくる柘榴に見向きもせず、犬子は作業を続けている。

 

「全然大丈夫っぽく見えないっす。 上司として、無茶してる部下を放置はできねえっすよ」

 

犬子は少しだけ手を止め、少しだけ目を閉じ……

 

「お願いします、もう少しだけ……もう少しだけ続けさせてください。

 横になって目を閉じると、色々考えちゃうんです。

 犬子が……犬子はずっと、九十郎に守られていただけだって、

 九十郎に何も返せていないって」

 

犬子は九十郎に捨てられ、別れを告げられる光景を思い浮かべてしまった。

ここ最近、仕事の手を止めると犬子はそうなってしまう。

 

「柘榴も、御大将も、犬子がどれだけ頑張ってて、どれだけ優しくて、

 どれだけ頼れるのか、ちゃんと知ってるっすよ」

 

「でも……」

 

「でもじゃねえっす、犬子は凄い奴っす、それは柘榴が保証するっす」

 

「九十郎は、強くて、格好良くて、いつも犬子を助けに来てくれて……」

 

「顔は良くないっすけどね」

 

「それは……まあ、そうかもですけど」

 

九十郎が聞いたら拗ねて不貞寝しそうな台詞である、事実だが。

 

会話が途切れ、犬子は帳簿整理の仕事に戻る。

黙々と、黙々と、ただひたすらに九十郎から習った複式簿記の知識を総動員し、帳簿や報告書の数字を整理して書き取っていく。

 

仕事をしている時だけは、九十郎に捨てられる恐怖を忘れられるから……

 

なお、もしこの場に斎藤九十郎を知り尽くしている少女、武田光璃がいたとすれば、このようなコメントをするだろう。

 

『最適解はダメ人間になる事。

 斎藤九十郎は放置したら拙そうなダメ人間を見ると世話をしたくなるタイプ。

 それはそう、ニートになった息子のために食事やジャンプを持ってくる母親のような』

 

あんな筋肉質な剣術バカが根っこのところでオカンタイプだと気付けたのは、世界広しと言えど武田光璃ただ一人である。

 

……

 

…………

 

………………

 

犬子が陰鬱な気分で仕事をしている頃……九十郎も九十郎でとても健全とは言えない思考に支配されながら竹刀を振っていた。

 

いつものように美空や松葉に剣を教え、空に歴史上の偉人(アカい思想込み)の逸話を教え、愛菜や新戸を適当に追い払い、貞子を相手におビール様と弟子入りをめぐる賭け試合を行い……

 

「……面」

 

パンッ! と乾いた音が響き、九十郎が振るう竹刀が吸い込まれるかのように貞子の防具を叩いた。

力任せに叩き斬るようないつもの剣戟ではなく、最小限の力で、撫でるかのように叩いていた。

 

九十郎らしくない剣の振り方で、それ故に貞子は対応が僅かに遅れてしまったのだ。

 

「これで4勝6敗……私の負けですね」

 

犬子と九十郎が越後に来てから、数十回はした賭け試合……貞子が負けたのは今日が初めての事だ。

 

「ああ、そうだな……」

 

普段の九十郎なら、ヒャッハー勝ったぜぇ! これで神道無念流は安泰だぁー! とかなんとか叫びながら小躍りして喜ぶところだが……今日の九十郎は、神道無念流を考える余裕すらない精神状態だった。

 

「つまらない人になりましたね」

 

貞子がどこか寂し気にそう呟いた。

 

「そうか、つまらないか……いや、当然かな。 俺は元々、取るに足らない男だからな……」

 

そう言って九十郎が自哂する。

自分のような屑は秋月八雲のような、あるいは新田剣丞のような輝かしい男にはなれないと、九十郎は思っていた。

 

「ちょっと前に、またシましょうねって言った事覚えてますか?」

 

「……ん? ああ、そういえばあったな」

 

「あれ、冗談でも社交辞令でもなかったんですよ。 それなのに全然誘ってくれませんし。

 ずっとずぅ~っと待っていたんですよ、私は」

 

「色々忙しかったんだよ、鉄砲作ったり反射炉作ったり京に行ってたり」

 

「それに最近は剣を交えても全然面白くありません。 全然胸が躍りません」

 

「そう……か……」

 

それは九十郎にとっても同じ事だった。

いつもの九十郎なら、神道無念流をやっている間はどんな悩みも忘れられた。

ただの剣術馬鹿になって、ゲラゲラ笑いながら竹刀を振れた。

相手の長所を潰し短所を責める、武田信玄直伝のゲス戦法が次から次へと思いついた。

 

だが今は……犬子の悲しそうな眼がチラついて、思考がまるで定まらなかった。

ゲス殺法が思い浮かばず、気の遠くなるような反復練習によって培ってきた基礎的、基本的な技に頼らざるを得なかった。

 

それ故に今日、貞子に勝った……九十郎は光璃程頭の回転が早くないので、『悪行超人として残虐ファイト全開で行くぜーっ!』とかやっていると、かえって勝利が遠のく場合が時々あるのだ。

 

「どうすれば良いと思う?」

 

「ヒャッハーとか、げっへっへっへっとか、

 馬鹿みたいに笑いながら剣を振ってみたらいかがです?

 今みたいに暗ぁ~い顔で惰性みたいに剣を振っている貴方に比べれば、

 万倍魅力的になりますよ」

 

少なくとも、新田剣丞とエンカウントする前の九十郎は輝いていた。

顔はブ男そのものであったが、その瞳をキラキラと輝かせながら神道無念流をしていた。

剣を振るうのが楽しくて仕方が無いという顔をしていた。

 

だから貞子は弟子入りを賭けて試合をして、一緒におビール様を飲んだ。

弟子入りするのも、抱かれるのも吝かではない、まんざらでもないと思った。

それどころか、九十郎の事を考える度に心臓がドキドキと跳ねていた。

 

だけど今は……九十郎の輝きが見る影も無い程にくすんで見えた。

胸が跳ねず、踊りもしなかった。

 

「弟子入りはします……約束でしたから。 でも、またシましょうと言ったのは撤回します。

 今の九十郎殿は面白味がありませんから」

 

「そーなの、最近の九十郎はなんか暗いの」

 

道場の隅に座っていたピンク髪の少女が貞子の発言に追従する。

貞子の視線が少女の方に向き……九十郎に向き直る。

 

「九十郎殿、さっきから気になっていたのですが、どなたですかこの方は?」

 

「戦国蹴鞠ーガー」

 

「誰ですかそれ?」

 

その表現で目の前のピンクヘアーが今川氏真だと分かるのは現代人だけである。

 

「初めましてなの、今川鞠氏真なの。 小島貞興殿の勇名はかねがね伺っているの」

 

そう言いながら、鞠がぺこりと頭を下げ、貞子も釣られて頭を下げる。

 

「ああ、これはご丁寧に。

 今川氏真殿ですか、まるで今川の現当主のようなお名ま……え……で……」

 

頭を90度下げた状態で貞子が硬直する。

まるで石化したかのように数秒……いや、十数秒も固まって、九十郎に視線を向ける。

 

「九十郎殿、よもやとは思いますが、この方今川の現当主殿で?」

 

「さっきも言ったろ、戦国蹴鞠ーガーだって。」

 

その表現で目の前のピンクヘアーが今川氏真だと分かるのは現代人だけである。

もっとも今回は、貞子は話の流れで今川の現当主だと当たりをつけた。

 

「何故今川の当主殿がこんな所に!?」

 

「こんな所とは何だ、練兵館ナメんなよコンニャロウ」

 

「駿河にいるべきでしょうに」

 

「いや、今なんか駿河で凄え面倒臭くてややこしい事が起きてる見てえでさ。

 解決のメドが立つまで預かっててくれって泰能さんって人から頼まれたらしいぞ」

 

「駿河に居るとかえって足手まといになるって言われたの……」

 

鞠は悲しみを背負い、目からハイライトが消え失せていた。

今なら無想転生すら使えそうである。

 

「あの……九十郎殿、大丈夫なんですか今川は?

 一家の頭首を2度も3度も他国に身柄を預けるなんて尋常な事ではありませんよ。

 いくら美空様が騙して悪いがを使えない人だからって……」

 

貞子がひそひそ声で九十郎に尋ねる。

 

「詳しい事は知らんが、何人か粛清しなきゃならん段階まで来てるんだとさ。

 血生臭い所を見せたくないのと、万一失敗して逆襲されたとしても、

 鞠だけは生き残っていれば再起が図れるって」

 

「承継問題って大変ですね、特に先代が急死した時は」

 

「全くだな……後で美空に早く跡継ぎを指名しろって言っておこうぜ」

 

「そうしましょう、明日は我が身なんて冗談じゃありません」

 

貞子と九十郎がそんな密談をしていると……

 

「たのもうっ!!」

 

……と、威勢の良い声が3人の元に届いた。

 

「来客のようですよ、九十郎殿」

 

「そのようだな。 しかし誰だ? 聞いた事が無い声だが……」

 

「あれ……今の声……?」

 

「まあ誰でも良いか、俺が出てくる」

 

九十郎がのそのそと面倒臭そうに玄関に向かい、訪ねて来た人物を中に入れて戻り……

 

「信虎おばさん!?」

 

「む? お前は確か……義元の娘か」

 

武田信虎と今川氏真が、思わぬ再開に目を丸くした。

 

「今川殿、知っているのですか?」

 

「この人、武田信虎さんなの。

 大分前に甲斐で、その……色々あって、今川で預かる事になってたの。

 お母さんが討ち取られた少し後に行方が分からなくなって……心配してたの」

 

「武田信虎……こいつが信玄ママン……?」

 

なお、九十郎にとって信虎とは、若い頃の武田信玄に欺かれて追い出された間抜けである。

九十郎は信虎に土下座して謝るべきである、今すぐ、この場で。

 

「何が預かるだ、何が心配だ。 その実態は軟禁以外の何物でもなかろう。

 急激に勢力を伸ばす武田晴信に対する人質としてな」

 

なお、光璃は信虎が煮殺されると聞いたら、満面の笑みを浮かべながら『よく茹で上がったならば、その煮汁を私にも一杯分けてくれ』とか何とか言い出しそうな雰囲気だったので、義元は死ぬまで信虎を人質として使えなかった。

 

「鞠はそんな事……人質だなんて考えていないの」

 

「はんっ、貴様はそうでも周りはどう思っていたか……だから逃げさせて貰った。

 あの糞生意気な小娘の素っ首叩き落とすまで死ぬに死ねん」

 

「ははは、信玄……じゃねえや、晴信の奴思いっきり恨まれてるじゃねえか。

 ちょうどこっちも晴信をブチ殺す算段を建てようとしていた所だ。

 案外協力関係が結べるかもな、俺達は」

 

なお、九十郎はこの期に及んで全く気付く気配が無いが、この男のファースト幼馴染は武田晴信である。

 

「それにしても今川の小娘、何故貴様までここに居る?

 とうとう泰能に愛想を尽かされて追い出されたか?」

 

「……聞かないでほしいの」

 

鞠は再び悲しみを背負った。

 

「まあ、聞いてはみたがそれ程興味も沸かんな……

 それよりもだ、九十郎とかいう男は貴様だな?」

 

「ああそうだ、俺が九十郎……最近斎藤九十郎になった九十郎だよ」

 

「ドライゼ銃とやらを我に見せろ」

 

「あん?」

 

美空や柘榴が必至こいて秘匿している筈のドライゼ銃の名前を出され、九十郎の表情が変わる。

 

「どらいぜ……?」

 

「の、信虎おばさん?」

 

ドライゼ銃の情報が無い貞子と鞠は、何の話か分かりかねている様子だ。

 

「どこで知った?」

 

「吉野の御方より聞いた、アレは手こずると」

 

「誰だそいつは」

 

「屑尾城に鬼を呼び込んだ元凶だ。

 我が今川の監視から逃れる手助けをし、こいつを渡してきた者でもある」

 

そう告げながら、信虎は懐中より黒い奇妙な丸薬を取り出して見せた。

 

「それは……」

 

「人を鬼に変える丸薬……と聞いている。

 これは特別製でな、鬼と化してもその者の人格は残るらしい」

 

「もう少し詳しい話を聞こうか」

 

「ドライゼ銃を我に見せろ、話はそれからだ」

 

「断ったらどうする?」

 

「今ここで鬼となり、貴様らを皆殺しにする」

 

九十郎と信虎が睨み合う。

 

一触即発の雰囲気の中で、貞子と鞠が静かに刀に手を伸ばす。

九十郎は信虎に秘匿技術であるドライゼ銃を見せるべきか、それとも秘密がバレる危険を覚悟の上で、鬼についての情報を得るべきかと考え……

 

「……良いだろう、見せてやる」

 

九十郎はそう答えた。

 

……

…………

 

………………

 

美空との約束を華麗にブッチした九十郎によるドライゼ銃実演会が終わり、鞠と信虎が震えていた。

 

「駄目……駄目なのこんなの……こんな物を使ったら、人が沢山死んじゃうの……

 大勢死んで、何も残らないの……」

 

鞠は恐怖に青ざめ、震えていた。

 

鞠はかつて、義元から鉄砲の有用性を教えられていた。

数はそう多くは無いが、鉄砲を撃ち、人を殺した時もあった。

 

鞠はかつて、塚原卜伝に新当流の剣術を学んだ。

戦場に出た事もあり、人を斬った事もある。

 

だから分かった、だから気づいた、今目の前にある武器が……ドライゼ銃がどれ程危険な代物なのかを。

 

「こ、これがドライゼだと……これは、なんという……」

 

一方、信虎は……

 

「……なんと素晴らしいっ!!」

 

一方信虎は歓喜に震えていた。

 

あるいはそれは信虎の初恋なのかもしれない。

一瞬にしてその咆哮の虜になり、視線が釘付けになってしまった。

吉野だか何だか言う優男に鬼の暴威を見せられた時も感動したし、その力を我が物にしたいと望んでいたが、今信虎を包み込む歓喜と感動はその2倍……いや、10倍を軽く超えていた。

絶頂し、股座を濡らさんばかりに感動していた。

 

「これさえ手に入れられれば、あの生意気な小娘を殺すのも容易い。

 今度という今度こそ、我は何者にも屈さぬ力が、

 何者にも奪われぬ力が手に入る……今度こそ……

 ああ、コレさえあれば鬼の力になど未練は無い、あの狂人に力を貸す理由も無くなる」

 

「駄目……そんなの駄目なの!

 戦争にあんな物を使うようになったら、どれだけ酷い事になるか分からないの!」

 

引き金を引けば、遠くで人が死ぬ……簡単に、いとも容易く、良心の呵責を感じるまでもなく人が死ぬ。

人が人を殺すのを躊躇しなくなってしまう。だからこそ鞠は、ドライゼ銃を肯定する気になれなかった。

 

「……ふざけんな」

 

その言葉に、信虎ではなく九十郎が反応した。

 

「え?」

 

「ふざけるなと言ったんだ、今川氏真。

 こっちは命賭けてるんだ、俺だけの命じゃねえぞ、犬子と柘榴と美空、

 貞子と紗綾と空、その他大勢の命が懸かってんだ。

 まあ正直その他大勢の命は正直どうでも良いし興味もねえが、

 俺が死んでほしくねえって心の底から願ってる連中の命が懸かってるんだ」

 

その他大勢をどうでも良いと切り捨てる、地味に最低な男である。

だから貴様は九十郎なのだ。

 

「でも……」

 

「死因・縛りプレイなんてまっぴら御免だ。 俺は使う、使えそうな物はなんだって使う」

 

「人が大勢死ぬの」

 

「その代わり、俺が守りたい人は生き残る」

 

「いつまでも隠してなんていられないの、きっと誰かが真似をして、

 この鉄砲で撃ち合う日がくるの!」

 

「その時はもっと強力な武器を作る」

 

「キリが無いの!!」

 

「ああそうだ、キリが無い。

 血を吐きながら続ける悲しいマラソンだってどこかの恒星観測員が言っていた。

 それでもやるんだ、キリが無かろうが悲しかろうが、生きている限り、

 死んでほしくない人が居る限り、いつまでもどこまでも続けるんだ」

 

「そんなの……そんなの、死ぬ人が増えるだけなの……

 そんなの悲しすぎるの……」

 

「ならお前1人だけ石と棍棒で戦ってろ、その立派なダンピラを捨てて、

 新当流の技も捨てて、御家流とかいうのも捨てて」

 

そう言い捨て、九十郎は鞠から背を向ける。

 

普段の九十郎なら、言いたい事を散々言い尽くしておしまいである。

しかし今日は……

 

「あるいは……あるいは鞠の方が正しいのかもしれん。

 あるいは新田剣丞や秋月の言うような甘っちょろい事の方が正しいのかもしれん……」

 

九十郎は思い出す。

秋月八雲と徳川吉音がまっすぐに自分を見つめながら、情報操作なんて間違ってるとか、学生が学生を公開処刑するなんて何を考えてるんだとか、そういった甘っちょろい事を言ってきた時の事を思い出す。

 

あの時、負けたのは九十郎の方だった。

あの時、間違っていたのは九十郎の方だった。

あの時使った非常で卑劣な手段は、結局何一つ上手くいかずに終わってしまった。

 

だから思うのだ、もしかしたら今回も自分の方が間違っているのではないかと。

 

「だが俺は止まらん、今更止まるわけにもいかん。

 美空と共に最後の最後まで突っ走る覚悟だ。

 それが気に入らんと言うのなら……止めてみろ、力づくで。

 秋月と吉音のように、殴り込みでもかけて来い」

 

「な、殴り込み……」

 

「九十郎殿、それなりに友好的な関係を築けている今川の当主殿に、

 よりにもよって殴り込みをかけて来いと言うのは如何なものかと思いますよ」

 

今まで沈黙を保っていた貞子が口を挟む。

パチン、パチン、と腰に佩く打刀の鯉口を何度も何度も鳴らしながら。

 

鯉口を鳴らす仕草は、彼女の機嫌が良い時に見せる癖のようなものである。

 

事実、貞子の口元は笑っていた。

貞子の目には暗ぁ~い顔で竹刀を振っていた時より、何倍も、何十倍も九十郎が輝いて見えた。

 

「まあ、今日から弟子入りって事もありますし。

 本当に殴り込みに来たら守ってあげますよ、九十郎殿」

 

「さっき俺に負けた癖に偉そうな事を言うな。

 その時は、神道無念流には天敵などおらぬことを教えてやるさ」

 

貞子と九十郎がにたぁ~っと笑う。

訳が分からない状況であるが、訳がわからないまま、なんだか楽しくなってきたのだ。

 

「鞠は……」

 

鞠がどうしたものかと考えあぐねていると、今度は信虎が沈黙を破る。

 

「ドライゼ銃をよこせ」

 

「コレ作るの苦労したんだぜ、タダじゃやれないね。

 どうしても欲しいのなら何かしらの対価を示せ」

 

「吉野の御方について知っている事を全て、それと武田の軍法ではどうだ?」

 

「乗った」

 

九十郎はノータイムで信虎の交換条件を呑んだ。

実際の所、遅かれ早かれ美空は武田晴信と戦う羽目になるのだ、九十郎には軍法だの兵法だのといったまだるっこしい事は分からないが、それでも、武田の軍法を……武田の手の内をしる者が居れば、助けになると思っていた。

 

なお、後日美空に勝手に決めるなと小一時間説教される事になるが、自業自得である。

 

「の、信虎おばさん! 駄目なの、あれは危険すぎるの!」

 

「危険だからこそ良いのではないか。 危険だからこそ、アレを殺せるのではないか。

 それにお前……こんな所で呑気に危険だの何だの言っていて良いのか?」

 

「ど、どういう意味なの?」

 

まるで日常会話のような、何気ない呟きだった。

普通だったら聞き逃してしまうような気安い言葉に……何故か鞠は嫌な予感をした。

 

「こちらに来る前に少し小耳に挟んだのだが。

 吉野の御方は、やはり鬼の生産地は必要だと考えているようでな。

 その第一候補が、義元の死の影響で隙が多い……駿河だったぞ」

 

信虎の言葉は、鞠に衝撃を与えるのに十分なものであった。

 


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