戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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第34話にはR-18描写があるので、『犬子と九十郎(エロ回)』の方に投稿しました。
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犬子と柘榴と九十郎第33話『頭痛・幻聴』

「はぁ……」

 

夜の練兵館で、マッチョが深ぁ~くため息をついた。

夜の鍛錬(エロ的な意味ではない)が終わり、柘榴を屋敷に帰し、犬子と九十郎は手分けして胴着や竹刀を片づけている所だ。

 

「ど、どうしたの九十郎? 今日はため息が多いんじゃない」

 

「分かってくれるか犬子。

 俺は今、西暦1560年という名の現実に打ちひしがれてる所だよ……」

 

「えっと……今って西暦1560年だったんだね、犬子も知らなかったよ」

 

「しかしまさか……まさか1560年だったとはな……

 フローレンス・ナイチンゲールもアルフレッド・ノーベルも生まれてねえし、

 クリミア戦争もアメリカ独立も当分先か……ああしまった、

 ちょっと前にクリミア戦争以前の衛生概念じゃねえかって葵を罵っちまった。

 悪い事したな、怒ってるかな、たぶん怒ってるよな……

 よし、当分三河には近づかないようにしよう」

 

屑が珍しく反省していた。

この反省も明日には忘れるし、後先を考えない九十郎の性格も治らないのだが、とにかく珍しく反省していた。

 

なお、葵は衛生概念の件で罵られた事を全く怒っていないし、むしろ感謝をしている。

九十郎がノコノコと三河に近づいて来たら、万歳三唱して出迎える。

そして拉致監禁して二度と三河から出しはしまい。

 

「ああそうそう、柘榴だが、近い内に隣に引っ越して来るって言ってたぞ」

 

「柘榴様が!? 何で!?」

 

「俺の防諜とか護衛とか諸々見直すんだと。

 でも俺が重要人物だって事はなるたけ隠したいから、

 壁やら見張りやらを増やす言い訳として、

 お隣に柿崎城主の屋敷を持って来るって美空が言っていた」

 

「何か、急に話が大きくなってきたね」

 

犬子が苦笑する。

 

「今にして思えば、歌代や腐れワレメさんが俺達を引き留めようとした理由、

 ウィンチェスターを見せたからだったのかもな。

 ウィンチェスター・ライフルの完成は確か1873年だったから……

 単純計算で313年後の銃って事になるんだ」

 

悠希は腐れワレメさんなんて不名誉な覚えられ方をしていた。

とりあえず九十郎は悠希に土下座して謝るべきである。

 

「ハーバー・ボッシュは1906年だろ……346年後か。

 改めて考えてみたらやべえな俺、世界を346年分も縮めてるぞ。

 マルサスの限界を346年も早く越えたら歴史が変わるぞ」

 

「ねえ九十郎、はぁばぁぼしゅ……て、何の事?」

 

「水素と窒素からアンモニアを生産する方法だ」

 

「それ……何の役に立つの?」

 

「空気と水から火薬と肥料を生み出せる」

 

「空……気……?」

 

「人間が毎日吸ったり吐いたりしているのが空気だよ」

 

「へえ、空気と水が火薬に……なにそれこわい」

 

犬子はドン引きした。

ここ最近、朝から晩まで柿崎家の帳簿と格闘している犬子には、火薬……玉薬がどれ程高価で、どれ程調達困難なのかを理解していた。

 

「じゃあ肥料って何?」

 

「要は田畑に撒く肥しみたいな物だよ。

 ハーバー・ボッシュでアンモニアを作った後、白金触媒で加熱して一酸化窒素を作るだろ。

 一酸化窒素は酸素と結合して二酸化窒素になるから、水に溶かして硝酸にする。

 その後、飽和食塩水を作りそこにアンモニアを溶かして、

 炭酸水素ナトリウムが析出したらろ過して取り出す。

 この時にできる塩化アンモニウムが肥料になる訳だな。

 んで、炭酸水素ナトリウムを加熱して炭酸ナトリウムにして、

 硝酸と炭酸ナトリウムを反応させて硝酸ナトリウムにするだろ。

 塩化カリウムと硝酸ナトリウムを反応させて塩化ナトリウム……

 つまり塩が析出して、硝酸カリウムになる。

 硝酸カリウムの別名が硝石、黒色火薬の原料になる訳だ」

 

犬子は再びドン引きした。

化学知識を持たない者には理解困難……いや、全く理解不能である。

 

ましてや戦国時代の人間にとっては、魔法の呪文に等しい謎ワードである。

 

「そんなややこしい方法、何で知ってたの?」

 

「大江戸学園の学生が乙級から甲級に進級する時、

 進級試験も兼ねて、卒業論文みたいなのを書いて学園に提出するんだよ。

 それで、俺とファースト幼馴染が共同で書いた論文が、

 『戦国時代に手に入る材料でハーバー・ボッシュ法を実行する方法』だったんだ」

 

「九十郎の幼馴染だった人って……何て言うか、凄い人だよね」

 

「まあな」

 

犬子も九十郎も気づいてはいないが、前世は武田晴信である。

戦国時代生まれの人間はやる事が突拍子もないし、それに文句無しの合格点を与える大江戸学園の魔境っぷりも大概であろう。

 

そして2人の会話が途切れる。

夕食も終わり、片付けも終わり、布団も敷いた、戸締りも確認した。

 

今日はもう寝るだけだ。

 

「ねえ、九十郎……その、さ……キ、キス……してほしいんだけど……」

 

「ああ良いぞ」

 

ちょっと照れてる犬子を抱き寄せる。

若い男女が一つ屋根の下で暮らしているのだ、こういう雰囲気にもなる。

2人にとっては頻繁に起こる情景だ。

 

2人の距離が近づく、九十郎の視界が犬子で一杯になる、そして……

 

「……つぅ!?」

 

唇が重なった瞬間、九十郎は強烈な痛みを感じた。

脳髄に錐でも差し込まれたような痛み、頭蓋骨がギリギリと締め上げられたかのような鋭い痛みだ。

いつも通りの行為が、九十郎に耐えがたい苦痛を生じさせた。

 

そして聞こえた、幻聴が。

 

『お前は屑だ、お前のような屑が前田利家と釣り合う筈が無い』

 

そんな幻聴が、九十郎に聞こえた。

それが幻聴だという事はすぐに分かったが、九十郎にはその言葉を否定する事が出来なかった。

 

「う……ぐぅ……!?」

 

九十郎は反射的に犬子を突き飛ばした。

 

「ど、どうしたの九十郎? 顔……怖いよ……」

 

激痛に顔を歪ませる九十郎を、犬子が心配そうに覗き込む。

 

『心配しているぞ、心配させているぞ、お前のような屑を前田利家が心配しているぞ』

 

瞬間、九十郎はそんな声が聞こえたような気がした。

瞬間、九十郎は頭痛が何倍にも、何十倍にも増したような気がした。

 

「だ、大丈夫だ……心配すんな……」

 

声が震えていた。

唇を動かすのも、肺から空気を押し出すのも苦痛であった。

 

「全然大丈夫そうに聞こえないよ!? 怪我でもしたの? それとも……病気!?」

 

「うるさいっ!! 黙ってろ前田利家ぇっ!!」

 

九十郎は叫んだ。

幻聴を振り払うために……

 

「利家……? 犬子だよ……」

 

そんな九十郎の叫びを聞いた時、犬子は底知れぬ不安に襲われた。

九十郎が目の前から消えてしまうのではないのかと……そう思った。

 

直後、九十郎は酷い自己嫌悪に襲われた。

お前は屑だ、お前は屑だ、お前は屑だ、お前は屑だ……そう罵られているような感覚に陥った、他ならぬ自分自身にだ。

 

「す、すまん犬子……少し頭が痛い。 先に休ませてくれ」

 

「う、うん……分かった……分かったよ……」

 

少しふらつきながら寝室に向かう九十郎の背中を、犬子は見送った。

九十郎は震えていた、激しい頭痛と幻聴のせいで。

犬子も震えていた、言葉では説明できない、底知れぬ不安と恐怖で。

 

犬子は前田利家だ。

九十郎は、犬子をただの犬子だと思った事は一度も無い。

九十郎は、犬子を前田利家として見ている、見続けている。

今までも、これからも……故に九十郎は苦しんでいた。

 

自分のような屑に、前田利家をどうこうする権利がある筈が無いと。

 

……

 

…………

 

………………

 

「九十郎……お、おはよ……」

 

次の日の朝、珍しく犬子が九十郎よりも先に起床した。

悪夢を見て目が覚めてしまったのだ。

 

九十郎が犬子を捨てていずこかへと去っていく悪夢を……

 

「ああ、おはよう……犬子」

 

気絶するように意識を手放し、一晩中泥のように眠った……そのお陰か、九十郎の頭痛は消えていた、幻聴も無くなっていた。

 

だがしかし、今日の九十郎は、犬子にセクハラをする気になれなかった。

犬子の胸を揉む気にも、唇を重ねる気にもなれなかった。

 

気まずい空気が流れる、気まずい沈黙が2人を包む。

犬子も九十郎も、目の前の相手に何を言えば良いのかまるで分からなかった。

 

「九十郎~! 柘榴が来たっすよ~!!」

 

そこに、空気を読まない元気な声が聞こえてくる。

昨晩の件を全く知らない、全く関係が無い柘榴の声だ。

 

そんないつも通りの柘榴の声が、犬子と九十郎をいつも通りの日常へと引き戻した。

 

「……やべぇっ!? 柘榴がもう来やがった!

 まだ鍛錬の準備何もしてねえし、今日の内容も考えてねぇぞ!」

 

「ちょっと九十郎! そんな恰好で出ちゃだめだよ! ああ、待ってせめてもう一枚……」

 

2人してどたばたと玄関に走る。

 

「九十郎、犬子、おはよ……お……おぉ……あ、朝から元気っすね」

 

九十郎の股間のゾウさんが柘榴の前でぷらぷらと自己主張をしていた。

過去にソレが自分を女にした事を思い出し……柘榴は赤面していた。

相手が柘榴でなければ打首モノであるし、現代ニホンでも通報案件である。

 

いや……

 

「う、うわぁ……」

 

「……朝から酷いモノを見た」

 

柘榴のすぐ後ろに、長尾美空景虎と甘粕松葉景持が立っていた。

しかも揺れ動く九十郎のアレに視線が集中していた。

 

方や越後の国主、上司の上司、もう片方はほぼ初対面、そして2人とも女性……戦国時代でも通報案件である。

 

「ざ、柘榴様ごめんなさい! 犬子達ちょっと寝坊しまして!

 九十郎! 早く何か着てよ!」

 

犬子が慌てて出てきて、九十郎を奥へと引っ張っていく。

 

「す、すまん犬子……す、すぐに朝の鍛錬の用意をしてくるから待っていてくれ」

 

「あはは、柘榴は気にしないっすよ。 人間たまには寝坊もするっす」

 

「朝の鍛錬も良いけど、何個か連絡事項があるから少し話をさせなさい。」

 

「連絡ねえ……先に聞いておくか、どうした?」

 

「まず一つめ、ここに居る松葉も練兵館に通わせる事にしたわ」

 

「……よろしく」

 

九十郎は無言でサムズアップする。

そして九十郎は心の中で叫んだ、ナイスでっぱいと。

 

「九十郎、視線が胸に釘付けになってるわよ」

 

「いつもの九十郎です、美空様」

 

「犬子、貴女も苦労してるのね……」

 

美空の犬子に対する好感度は鰻登りだ。

逆に松葉の九十郎に対する好感度は冷え切っていた。

 

「松葉か、確か名前は……」

 

「甘粕景持」

 

「ああそうだ、甘粕さんだ。

 前に一度簡単に挨拶した覚えはあるが、話をするのは初めてになるかな」

 

九十郎は酔った勢いで松葉の口に酒瓶を突っ込んだ事をすっかり忘れていた。

 

かつて意識が混濁するまで呑まされた松葉がこくりと頷く。

そして値踏みをするかのように九十郎の顔をじぃ~っと見つめる。

 

沈黙、沈黙、沈黙、気まずい沈黙……だれも何も喋らない謎の時間が過ぎる。

 

九十郎は思った、やべえ何を喋りゃ良いのか分からねえと。

同時に思った、土下座したら胸揉ませてくれねえかなと。

 

「……御大将」

 

そんな九十郎のエロ目線、エロ思考に気づき、微妙に恨みがましい視線を向けつつ、松葉が美空に声をかける。

 

「気持ちは分からなくもないけど、我慢なさい」

 

当然、美空も気づいている。

九十郎は思考が表情に出やすいタイプなのだ。

 

しかし、美空はそういう欲望にストレートな所が嫌いじゃない。

 

「やれやれ、弟子入り希望者かと思ったら強制か。 

 そういうの俺、好きじゃないんだけどな。

 それにこの松葉っての……大丈夫なのか?

 ロッズ・フロム・ゴッドとか使ってこないのか?」

 

九十郎が美空の耳に接近し、ひそひそと耳打ちをする。

そんな心配をしているのは九十郎だけである。

 

「ろっず・ふろむ・ごっどってどういう意味よ? どこの言葉?」

 

「英語だよ、アメリカ……は、まだ無いから、イギリスで使ってる言語。

 意味は……天からふりそそぐものが全てをほろぼす、とかかな」

 

微妙に合っているようで全然違う。

九十郎の英語の成績は常に赤点スレスレである。

世界史は常に満点だが。

 

「えげれす……だいぶ前に聞いた事があるわね。

 確か……確か、紅毛人が住んでいて、えすぱにあと覇権を巡って争っているとか」

 

「えすぱに……ああ、スペインの事か。

 1560年だとインカとアステカが滅んで、マゼランの艦隊が世界一周した辺りかな。

 フランシス・ドレイクが海賊やったり無敵艦隊を潰したりするのはもう少し先か。

 戦国時代って案外昔の話だったんだな……」

 

この男は戦国時代を何世紀の事だと思ったのだろうか。

 

「コロンブスがくたばったのは1506年だから、とっくの昔に死んでるか。

 会ったら2~3発ブン殴っておきたい所だったんだがな」

 

この男はどうやってコロンブスに会いに行くつもりだったのだろうか。

 

「ああでも、ドレイクの没年は1596年だからまだ生きてるよな。

 世界一周が1577年から1580年だから、今から頑張れば会えなくも無いか。

 運良く会えたらサインでもねだっておこうか」

 

この男はフランシス・ドレイクが、素直にサインを書いてくれるとでも思っているのだろうか。

 

「ジェームズ・クックは……駄目か、まだ生まれてねえな。

 確か生年が1728年だったから、168年後か、流石にそこまで長生きするのは難しいよな」

 

この男は生まれた直後の赤子にサインをねだる気なのだろうか。

 

「まあ何にせよ、松葉も今日からこっちに通わせるから、適当に鍛えてやって頂戴」

 

「分かったよ。 神道無念流の奥深さを魅せてやろうじゃないか」

 

「期待する、少しだけ」

 

松葉は観念した様子で九十郎に頭を下げる。

あまり気が進まない様子だ。

 

「それと、私もできるだけこっちに来るようにするわ。

 自転車作ってもらった時に弟子入りはしたけれど、

 仕事もあって片手で数えられる程しか来れなかったわよね」

 

「仕事に支障が出るような鍛錬はしないしさせない主義だよ、俺は。

 ワーク・ライフ・バランスって大事だからな」

 

九十郎的には『神道無念流=人生』である。

犬子と共に戦場に行った事も、柘榴に自転車やドライゼ銃を渡した事も、心置きなく神道無念流ができる時間を確保するためのお仕事だ。

 

「で、仕事は大丈夫なのかよ? 国主って案外暇なのか?」

 

「暇な訳がないでしょうが。

 柘榴の屋敷を移転させるまでの暫定措置よ、私と松葉、

 それに柘榴が出入りするのであれば、護衛や見張りが増える違和感を誤魔化せるでしょ」

 

「そうかそうか、まあしゃあねえな」

 

「……反発するかと思ったけれど、意外と素直ね」

 

「そりゃ300年以上先の銃を見せりゃそうもするさ。

 それに上す……じゃない、あの長尾景虎がそう判断したんだ、正しいだろうさ」

 

「悪いわね、この埋め合わせは……」

 

「神道無念流やろうぜ!」

 

九十郎はビシっと親指を立ててニカッ笑う。

爽やかでも何でもないブ男フェイスに、松葉は軽く嫌悪感を覚えたが、美空はこういうノリが嫌いじゃない。

 

九十郎の顔は美空の好みから見事に外れているが、裏表が無くて分かりやすい性格は、美空の好みと合っている。

 

「じゃあ埋め合わせは神道無念流で返しましょうか。

 竹刀はある? 朝の運動でもしましょう」

 

「あるに決まってんだろ、ここは道場だぜ。

 長尾景虎と一緒に神道無念流がやれるとは嬉しいぜ、柘榴と松葉も参加するよな?」

 

「もちのロンっす!」

 

「……お手柔らかに」

 

柘榴は元気良く、松葉はちょっと顔を引きつらせながら挙手をした。

これからずっと九十郎のスケベ目線に晒され続けるのかと、松葉は憂鬱だった。

 

九十郎は鍛錬のどさくさ紛れに美空と松葉の胸を揉めねえかなと最低な事を考えていた。

『神道無念流=人生』であるが、それはそれとして巨乳好きの男である。

 

……

 

…………

 

………………

 

その日の晩。

 

鍛錬を終え、夕食も取り、美空と松葉、柘榴が帰り、ようやく練兵館に静寂が戻った。

犬子と九十郎が、2人きりで1つの布団に入っていた。

 

「九十郎……」

 

犬子の手が、そっと九十郎に触れる。

指先と指先が絡み合う。

九十郎が犬子の手を握り返す。

 

普段の九十郎ならば、そのまま犬子の胸にしゃぶりつき、若さと情欲のままに犬子を抱いていた。

 

頭痛は無い、幻聴も無い……だが、何故か性欲は湧かなかった。

 

「犬子……その、何だ……今日は、な……」

 

誤魔化すように、犬子に告げる。

 

「そ、そう……そうだね、今日は色々あったから、九十郎も疲れてるよね」

 

少し寂しそうに、少し無理をして笑顔を作る。

九十郎の心が重くなる。

 

「思えば、長い付き合いだよな」

 

「うん、そうだね……犬子が物心ついてすぐだから、もうかれこれ20年くらいになるかな」

 

「ああ、そうだな」

 

前田利家……それが九十郎の心を重くしていた。

 

前田利家だから出会った。

前田利家だから助けた。

そして今、前田利家が九十郎を好きだと言っている。

 

九十郎はそれが信じられなかった。

どうしても素直に受け取れなかった。

自分は屑なのだから、前田利家のような価値のある女が惚れる筈が無いと思っていた。

ただの犬子とは思えなかった、どうしても。

 

「利家……じゃない、犬子はどうして俺が好きになったんだ?」

 

「え? それは……うぅん、改めて考えると難しいな……たぶんだけど、

 傍にいてほしい時に傍にいて、支えてほしい時に支えてくれたからじゃないかな」

 

「そか……」

 

九十郎はそんな犬子の言葉も信じられなかった。

 

かつて……前の生での長谷河平良のように、遠山朱金のように、気がついたら別の男に跨って、腰を振って、喘ぎ声を立てるのではないかと思ってしまう。

前田利家は価値のある女だから、価値のある男に惚れるのではと思ってしまう。

 

自分を捨てて、他の男の下へ行くのではないか、他の男に奪われるのではないかと思ってしまう。

 

「犬子は……」

 

「うん? どうしたの九十郎?」

 

お前は俺を捨てて、他の男の下へ行くんじゃないのかと尋ねそうになった。

しかし、尋ねられなかった。

 

嘘を言われるのが怖かった。

心にもない愛してるを言われるのが怖かった。

 

犬子が離れるのが……怖かった。

 

「愛しているぞ、犬子」

 

そして思った。

自分と一緒にいる限り、犬子は……前田利家は幸せにはなれないのだろうと。

 

前田利家のような価値のある女は、秋月八雲のような価値のある男と一緒になり、幸せになるべきだと。

 

「大好きだよ、九十郎」

 

犬子が笑った。

幸せそうに笑った。

 

九十郎は思った、この笑顔は自分に向けられるべきものじゃないと。

自分のような屑が向けられて良い笑顔じゃないと。

 

犬子は気づかない、九十郎の内心に、九十郎のトラウマに。

犬子が九十郎のトラウマに気づくのは、九十郎の爆弾が必殺スーパーダイナマイトよりも派手に爆発した後……戦国一のモテ男、誑し免状を持ち、信長も秀吉も黒田官兵衛も嫁にした男、九十郎が思う価値のある男、前田利家にふさわしい男、自分のような屑と違い前田利家を幸せにできる男……新田剣丞が2人の前に現れてからである。

 

2人が無言で肩を寄せ合い、全く別々の事……ある意味では正反対の事を考えていたその時……

 

「ただいまっす~!」

 

空気を読まない馬鹿……ではなく、柘榴が勢い良く襖を開け、ズカズカと寝室に入ってきた。

 

「柘榴!?」

「柘榴様!?」

 

突然の乱入者の姿に2人が狼狽える。

 

「お前……こんな真夜中に何しに来た!?」

 

「何って、帰って来たっすよ、今日の分のお仕事を終わらせて。

 今言ったっすよね、ただいまって」

 

「ただいまって……言ったけどよ……」

 

「今日から柘榴もここに住むっす!」

 

「はいぃっ!?」

「ええっ!?」

 

突然の引っ越し宣言に2人が再度狼狽える。

 

「御大将みたいな重要人物が練兵館に出入りして、

 不自然さを出さないように警護を増やす作戦っすよ。

 一番警戒しなきゃいけない夜中だけガラガラなんてありあえないっす。

 そこで柘榴の屋敷を建て替えるまでの間は、

 柿崎城主にして長尾家の特攻隊長たる柿崎景家がこっちで寝泊まりするっす」

 

「いや、ちょっと待て……変な噂とか立てられたらどうするんだよ!?

 年頃の女が、男の家に毎晩毎晩外泊って」

 

「当然、その辺もしっかり考えてあるっすよ」

 

柘榴が微笑み、九十郎を抱き寄せ……呆気にとられる犬子の眼前で、唇と唇を重ねた。

 

「……いっそ事実にしちゃえば良いっす」

 

まるで小悪魔の様に、そう宣言した。

 

犬子は気づいていない、九十郎の内心に、九十郎のトラウマに。

九十郎が心に闇を抱えているとか思ってもいない。

 

しかし……柘榴は少しずつ、しかし確実に勘づきつつあった。

九十郎の自己評価が低い事に、心に傷がある事に、犬子に対して壁を作っている事に。

 

だから来た。

だから柘榴は練兵館で寝泊まりする事にした。

九十郎をもっと深く知るために、九十郎の心の闇を知り……できる事ならば、それを癒すために。

 

「諸々、宜しく頼むっすよ、九十郎」

 

柘榴は未だに事態を飲み込めていない2人の前で、持って来た布団を広げた。

 


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