九十郎は前の生でも今生でも、基本的に好き嫌いの激しい男である。
例えば徳河詠美が練兵館に訪ねて来たら……
『よく来たな詠美、執行部の手伝いか? それとも神道無念流やってくか?』
と、にこやかに笑いながら応対するが、これが吉音だったら……
『とっとと帰れクソガキ』
と、即座に追い返そうとする。
例えば酉居葉蔵が練兵館に訪ねて来たら……
『よう酉居、元気そうじゃねえか。 また俺の神道無念流が必要になったか?
まあ立ち話も何だ、今紅茶を用意するから上がって待っててくれ』
と、にこやかに笑いながら応対するが、これが鬼島桃子だったら……
『何の用だ鬼退治桃太郎先輩。 用事が無いならとっとと帰ってくれませんかねえ、
あんたが居るといつ道場がぶっ壊れるか冷や冷やするんだよ』
と、即座に追い返そうとする。
例えば五十嵐光臣が練兵館に訪ねて来たら……
『おお五十嵐か、久しぶりだな。 珍しいじゃないかお前がこっちに来るなんて。
今度はどんな無理無茶無謀をやらかす気だ? 手伝ってやるから話していけよ』
と、にこやかに笑いながら応対するが、これが五十嵐文だったら……
『五十嵐なら来てねえよ、早く帰れ貧乳』
と、即座に追い返そうとする。
例えば比良賀輝が練兵館に訪ねて来たら……
『平良賀じゃねえか、今度はどんな悪巧みだ?
それとも面白そうなネタでも見つけたか?
おっと玄関じゃ話せないよな、とりあえず応接室に上がっていけよ』
と、にこやかに笑いながら応対するが、これが仲村往水だったら……
『ぶぶ漬けやるから帰れ』
と、即座に追い返そうとする。
例えば長谷河平良が練兵館に訪ねて来たら……
『良く来たな長谷河、出入りか? 捕物か? 俺の神道無念流が必要なのか?
ふっふっふっ、そうまで言われちゃ仕方ねえな、
ゴーカイジャーよりも派手に暴れてやろうじゃねえか』
と、にこやかに笑いながら応対するが、これが佐東はじめだったら……
『用事はなんだ? 聞いてやるから早く言って早く帰れマセガキ』
と、即座に追い返そうとする。
例えば遠山朱金が練兵館に訪ねて来たら……
『遠山か、ちょうど今は暇だった所だ、
博打でも覗きでもバッティングセンターでも付き合うよ……
何、エロ本密輸するから手伝えだと? お前も好き者だな……で、俺は何をすれば良い?』
と、にこやかに笑いながら応対するが、これが逢岡想だったら……
『よくぞここまで辿り着いた、南町奉行……だがしかぁしっ!!
ここには漢達と遠山の夢が! 希望が! そしてエロスが詰まっているのだぁっ!!
この俺、斎藤九十郎が! 練兵館が! 神道無念流が!
夢と希望とエロスを護る最後の砦となってくれるぜぇっ!!
さあかかってこい大岡ぁっ! 貴様のはらわたを喰らい尽くしてくれるわぁっ!!』
と、即座に追い返そうとしてついてきていた吉音にボコられる。
馬鹿は死ななきゃ治らないという言葉はあるが、そんな九十郎の性格は一度死んで戦国時代に生まれ変わっても変わらなかった。
九十郎の朝は早い、東の空が白み始めるよりも早く起き、顔を洗い歯を磨き、朝の鍛錬の準備を始める。
「来たっすよ、九十郎」
準備が終わった頃に、柿崎景家・通称柘榴が練兵館を訪ねてくる。
「良く来たな柘榴、今日も柔軟と筋トレから始めようか」
と、にこやかに笑いながら応対する。
「何やってんだ柘榴、早く上がれって……何? おはようのキスをしろだ?
お前な……まあ良いか、もうちょっとこっち寄れ」
ちょっとした無茶振りがあっても、ちょっと苦笑しながら対応する。
当の本人も満更でもなく……まあ、基本的に九十郎はエロエロ野郎だ。
その後、明け方まで鍛錬。
基本的に神道無念流だけやっていれば幸せな九十郎にとって、至福の時間が流れる。
朝の鍛錬が一通り終わると、九十郎は3人分の朝食を用意し、犬子を起こす。
「犬子、起きろ~。 今日の朝メシはスクランブルエッグだぞ~」
今日はややぞんざいな起こし方だったが、とにかく起こす。
犬子は毎日毎日、穴だらけだった柿崎家の収支管理を整理整頓する作業に駆り出され、最近は寝不足気味、過労気味なのだが、情け容赦無く起こす。
しかも時々セクハラを交えつつ、犬子を起こす。
「九十郎……もうちょっと寝かせてよ……」
「ファースト幼馴染みたいな事を言うなよ。早く起きないとおっぱい揉むぞ」
なお、この男はファースト幼馴染の胸も情け容赦なく揉んでいた。
実は既婚者とも、実は武田信玄だとも気づいていなかったものの、それはそれとして普通にセクハラ、普通に通報案件である。
その後、犬子と柘榴に朝食をとらせ、着替えを手伝い、2人が春日山城に向かうのを見送る。
柘榴は柿崎城、猿毛城の城主であるので、本来なら春日山城ではなく柿崎城に出勤して仕事をするべき立場であるのだが……柘榴は正直内政向きの性格ではないのと、上杉の軍事の要と言いうる存在であるので、特別な用事が無い限り春日山城に詰めているのだ。
1人練兵館に残った九十郎は、掃除に洗濯、食器洗いといった家事をこなし、余った時間を趣味の小物作りに費やしていく。
「おはようございます、九十郎さん」
「おお空か、よく来たな。 紅茶飲むか? 昨日スコーン焼いたから一緒に食おうぜ」
練兵館に来た空に対し、九十郎はにこやかに対応する。
紅茶もスコーンも九十郎の手作りだ。
茶葉を良い感じに発行させるのは地味に大変で、最近になってようやく普通に飲める物が完成したのだ。
「こらーっ! 空様にまたあんな泥水を飲ませようとしてますなーっ!!」
「何だ愛菜か、お前も来てたのかよ。
泥水じゃねーよ紅茶だよ、紅茶を泥水だなんて呼んだらヤン・ウェンリーに叱られるぞ。
俺は緑茶より紅茶派なんだ」
なお、紅茶が流行り出したのは18世紀頃なので、今ヨーロッパに行っても誰も紅茶を飲んでいないのだが、九十郎は全く気付いていない。
「また海の向こうの話をして煙に巻こうとして……
空様、九十郎の出す物に迂闊に口をつけてはいけませんぞ!
この間みたいに二日酔い三日酔いになるやも……
越後きっての義侠人、樋口愛菜兼続は見過ごせませんぞ!」
なお、先日の騒動で一番ダメージがでかかったのは、前後不覚になる程に酔った愛菜に酒瓶で殴られ、そのまま気絶した秋子であり、二番目は二日酔いで最悪の体調の中、秋子にクドクドクドクドと説教された愛菜であった。
全部九十郎が悪い。
「分かった分かった、お前には何も飲み食いさせねえから早く帰れクソガキ」
そう言って九十郎は小虫を追い払うかのようなジェスチャーで愛菜を帰らせようとする。
基本的にこの男、好感度が低い相手には辛辣である。
「九十郎の出す食べ物を空様にだけ食べさせられませんぞ! この越後たっての義侠人、
樋口愛菜兼続が文字通り盾となって空様をお守りするのです! どーん!」
なお、愛菜は先日の大宴会の際も似たような事を言い出したのだが、一番多く酒を呑み、一番質の悪い酔い方をして、一番鬼太郎袋のお世話になり、一番長くお説教をくらったのは愛菜である。
「九十郎さん、先日のお話の続きを聞かせてほしいのですが」
「ああ、カール・マルクスの生涯の話だったっけか。
あれはこの間のやつで大体出尽くしたんだよな……
ウラジミール・レーニンの話でも良いか?」
「はい、お願いします!」
後の上杉景勝……九十郎にとってはただの空が笑顔を見せる。
なお、この時の話が原因で、後日越後が(共産主義的な意味で)赤く染まりかけ、経済政策の方針を巡り、空と菜月が血みどろの抗争を繰り広げるのであるが、それは後の話である。
「クズロー、腹減ッタ!」
紅茶の匂いを嗅ぎつけ、どこからともなく虎松がやってくる。
つい数分前まで野山を駆け巡り、泥だらけになった白髪の幼女が九十郎に飛びつく。
「そのまま回れ右して帰れ糞ニート」
九十郎は即座に追い払おうとする。
現状、この男の虎松に対する好感度はマイナス方向にカンストしている。
「あっこら! 勝手に入ってくるなよ、道場が泥だらけになるだろ……
ええいくそ! 身体拭いてやるからこっち来い!」
叫ぶように虎松を呼ぶと、白髪の幼女がくるりと向き直り、体当たりをするかのような勢いで九十郎に飛びつく。
「て、てめっ! こっちの服にも泥がつくじゃねーかこの野郎!」
九十郎は気づいていない、泥の中に僅かに血が混じっていた事を、虎松が怪我をしている事にも、虎松が夜な夜な悪魔や妖怪といった超常の存在と対峙し、時には血みどろの死闘を繰り広げている事にも。
「クズロー、オレ、野郎違ウ、オレ、女ダ」
「その台詞はもうちょっと胸が膨らんでから言いやがれ」
「九十郎殿、胸のあるなしで人を判断するものではないですぞ!
ほら空様も言ってやってくだされ!」
「え、私? ええと……」
「ほらっ! 空様もこう言っていますぞ!!」
「いやまだ何も言ってねぇよ! てめぇの耳はどうなってんだ!?」
愛菜と九十郎が唾を飛ばしながらギャーギャー言い合う。
愛菜は九十郎が嫌いだったし、九十郎も愛菜が嫌いだったが、空の目には仲が良さそうに見えていた。
空は微笑みながら、愛菜と九十郎を眺めていた。
「オレ、半分ハ人、デモ、半分ハ人、違ウ……」
虎松が苦笑しつつぼそっと呟いたが、ヒートアップしつつある周囲の騒音に紛れ、誰の耳にも届かなかった。
基本好き嫌いが激しい九十郎は、なんやかんやで楽しくやっていた。
その頃……
……
…………
………………
その頃、春日山城の一室で、美空は眉間に皺を寄せながら、深くため息をついた。
「非常に拙いわ」
日本各地の情報を得る為に組織した諜報機関『軒猿』からの報告書に目を通す、それは武田晴信が駿河の安倍金山を制圧した報告だ。
「どうにか阻止しようと思って、村上をけしかけたけど……無駄だったか。
こっちの想像以上に行動が早い、やるわね晴信」
なお、後日村上をけしかけた事で要らぬ苦労が舞い込んでくるのだが、美空はまだそれを知らない。
「褒めている場合ですか、美空様。 これで武田は息を吹き返しますね」
「秋子、その認識は正しいけれど、不十分だわ。
私が今までずっと進めてきた武田晴信抹殺作戦が根底から覆ったわ」
「そ、そうなのですか……」
「秋子、武田の泣き所はどこ?」
「金欠ですか?」
「その通り、もう少し正確に言うなら立地よ。
甲斐は攻めるに難く守るに易い天然の大要塞。
ただし農業も交易もロクにできない上に頻繁に水害が起きるクソ立地。
主な産業は他領からの略奪と黒川金山」
「酷い場所ですよね」
そんな酷すぎる立地であるのに、武田晴信は戦国の巨獣、甲斐の虎とまで畏れられている。
もしも晴信に金山以外のまともな財源があったなら……例えば肥沃な土地、例えば良港、例えば交通の要所があったのなら、自分はとっくの昔に叩き潰されていた。
それどころか、武田は今川よりも先に上洛を実行し、織田を踏み潰して朝廷も征夷大将軍も手中に納め、今頃天下を握っていたのではないかと美空は思う。
それ程までに、美空にとって武田晴信は……光璃は恐るべき難敵なのだ。
「主な産業が略奪だから、兵は精強、百戦錬磨。
天然の大要塞に立て籠もれるから、無理矢理潰そうとしたら大損害は免れない。
向こうは好きな時、好きな場所に略奪に行けるのに、
こっちはいつ、どこに来るのか分からない武田に常に備え続けなければならない。
その上、国主は有能で抜け目のない武田晴信、傍迷惑極まりない連中よ本当に」
ゲッターチームとウザーラに襲撃されている時のブライ大帝のような心境であった。
少なくとも、全力を出した時の光璃のエグさはゲッターチームにも劣らない。
「では、武田晴信抹殺作戦とは?」
「要は兵糧攻め、要害に立てこもる相手に対しては定番の手でしょ。
北を長尾、東は北条、南は今川で抑えて、他領からの略奪を徹底的に封じる作戦。
3方から固めている間、武田の資金源は黒川金山だけになるわよね。
国を維持するために人をどんどん増やして、凄い勢いで掘削して……
金山が枯渇して自滅するのをひたすら待つ作戦」
「い、意外と気の長い作戦ですね……」
「そうでもないわよ。 ここ何年か甲州金の質が落ちてきていたし、
金山奉行の今井兵部が謎の病死……私はあれ、自害じゃないかと疑っているのよ。
だから限界はもう少し……後ほんのチョッピリだったと私は思うわ。
流石の武田晴信でも、何も無い土地から金子を生み出す事はできない……
向こうもそれが分かっていたから、比較的潰しやすい長尾に猛攻をかけたり、
水害を防いでまともな農業ができるよう、堤を築いたりしていたようだけど……
まあ、そっちは焼石に水だったわね。
ええ……本当にあと少しだったのよ……それなのに……」
「桶狭間と、安倍金山の制圧ですね」
それは織田、武田、そして松平にとっては起死回生の大勝利。
今川、長尾にとっては悪夢のような悲報である。
美空個人の心情としては足利寄りであったので、義元による上洛……将軍簒奪作戦が失敗に終わったのは朗報ではある。
しかし、越後を護る国主としての立場としては、間違いなく悲報……頭の痛い立場である。
「上洛について、思うところは無くもないけど……
何にせよ、義元はともかく、氏真は協力関係を結ぶにしては頼りなさすぎるわ。
今川の大敗と、これから始まるであろう没落によって、対武田の戦略は根底から覆える。
そしてこれからは今川からの裏援助無しで戦わなければならない。
正直に言って頭が痛いわ、田舎に引き籠って写経でもして過ごしたいくらい」
「やめてくださいしんでしまいます」
かつて美空が隠居して出家するとかいう書置きを残し、春日山城から姿を消したことがある。
その時は越後のみならず、周辺諸国をも巻き込んだ大騒動があり、秋子は胃と心臓がキリキリと痛むのに耐えながら事態の収束に奔走したのだ。
正直な話、あの騒動の時に越後長尾家が無事だったのは奇跡に近く、同じ事をもう一回やれと言われたら秋子は泣く、そして胃に穴が開いて喀血する。
「あ~あ、何が悲しくて国主なんて貧乏籤極まりない立場にならなきゃいけないのよ。
豪族は言う事を聞かないし、武田は隙あらば襲ってくるし、
幕府は弱体著しくて全然頼れないし……一日中酒を飲んで写経をして過ごしていたいわ」
「お気持ちはお察しします……ようやく武田との抗争が一段落ついたと思ったら、
今川公は討ち死に、武田は金山を得て、その上九十郎さんが来て……
私に気が休まる日は来るのでしょうか?」
「秋子は九十郎の事、嫌いだったっけ?」
「嫌いですよ、あの人は目つきが厭らしいです。
基本的に女性の胸ばかりに視線が行きますし。
この間は春日山城を酒と吐瀉物で汚して、掃除するのが大変だったんですよ。
愛菜の教育上も良くないですし、長尾の品位を乏しめかねません。」
「あらそう? 私は結構気に入ってるのだけれど。
あいつって嫌いな奴への対応と好きな人の対応が全然違うし、違いも分かりやすい。
裏表が無くて気安く付き合えるわ」
「アレが起こす騒動の尻ぬぐいをする立場にもなってください」
「気持ちは分からなくもないわね、でも神道無念流もやってみると案外楽しいわ。
柘榴も最近、急に腕を上げてきてね。 私もうかうかしてられないわね」
「はぁ……本当に気が休まる日が来るのでしょうか……」
秋子が深く深く深ぁ~くため息をついた。
陰鬱な気分であったし、できれば今からでも九十郎を追い出したいとすら思っていた。
「御大将~、お裾分けに来たっすよ~」
そこへ、柘榴が米一俵分ぐらいの大きさの麻袋を背負って部屋に入ってくる。
「あら柘榴、ちょうど良い所に来たわね。
この間貴女の家来になった筋肉男についての話が……て、貴女何を持って来たのよ?」
「ええっと、作りすぎたから御大将の所に持ってけって九十郎が言ってたっす」
「あいつ、しれっと自分の主君を遣いっ走りにして……」
「松葉ちゃんの口に酒瓶を突っ込む男に何と言っても無駄だと思いますよ」
「まあ良いわ、物は何かしら?
柿ピーかおビール様だったら私としてはとても嬉しいのだけれど」
「硝酸カリウムっす!」
そう言うと柘榴は大きな胸をどーんと張って、袋の口を開けて見せる。
袋には白く輝く粉のような、あるいは小石のような物体がみっちりと詰まっている。
「ええと……硝酸……?」
「か、かりうむ……?」
美空と秋子は顔を見合わせる。
お互い硝酸カリウムなる物体を見た事も無ければ、名前を聞いた事も無かった。
「作り過ぎたから持ってけって、今朝九十郎に渡されたっす」
「いやこんな物いきなり渡されたって、使い道無いわよ!」
「木炭と硫黄と混ぜたら黒色火薬になるって言ってたっすよ」
「え……?」
「こ、黒色火薬……それって玉薬の別名じゃ……」
玉薬とは、鉄砲の弾を撃ち出す為に使われる火薬である。
木炭10〜20%、硫黄15〜25%、硝酸カリウム60〜70%。
木炭と硫黄は日本国内で採る事ができるが、硝酸カリウム……通称硝石は国内に鉱脈が無く、基本的に外国からの輸入に頼っている。
そして硝石は高い、とてつもなく高い。
日ノ本最大の貿易都市である堺から遠く離れた、甲斐や越後では特に高価だ。
美空や光璃が鉄砲の価値を認めながらも、今なお少数しか導入できていないのは、硝石が笑える程に高く、派手に使うと国の財政が傾きかねないからである。
それが……
「待って……その袋の中身、全部硝石って事?
柘榴貴女、それだけの量の硝石を買ってきたの?
柿崎家が傾く……いえ、破産するわよ!!」
「美空様? どこからも買ってきてないっすよ?」
「じゃあ強奪してきたの!? 一体どこから!?」
「九十郎が作ったっす、うっかり作り過ぎたから御裾分けしてこいって」
「はぁっ!? 作っただぁっ!? しかもうっかり作り過ぎたぁっ!?」
美空と秋子の常識を崩壊させる台詞だった。
美空と秋子にとって、硝石は作れる物ではないし、御裾分けなんて軽い扱いをして良い存在でもない、普通に戦略物資だ。
「秋子、今すぐ硫黄と木炭を用意して、コレ使って玉薬を作っておきなさい。
私は柘榴と一緒に練兵館に行くわ」
「は、はい!」
「柘榴行くわよ、チャリで!」
「御伴するっす、チャリで!」
戦国時代らしくない光景である。
……
…………
………………
「おお、柘榴に美空じゃないか。
今ちょうどドライゼ銃の試作第1号が完成して、試射する所だったんだ」
九十郎がにこやかに対応する。
愛菜と虎松を追い返すのに成功した九十郎はご機嫌であった。
空も一緒に帰ってしまっているが……プラスマイナスで言えばプラスに傾いていた。
「おお、ついに完成したっすか! 楽しみにしてたっすよ!」
「ちょっと待ちなさい、何の事ドライゼ銃って」
「1841年にプロイセン軍に採用された軍用小銃だよ。
個人的にはボルトアクションライフルより、
レバーアクションライフルの方が好みなんだが、故障が少ない、手入れが楽、
おまけに匍匐姿勢のまま装弾できる利点もあるから、今回はこっちを作った」
「……1841年?」
美空が呆然としながらそう呟く。
「九十郎、その……でらいぜ、だったかしら?
その見た目からして、鉄砲の一種なのかしら。 それを試射する所、私にも見せなさい」
「でらいぜじゃない、ドライゼだよ。 まあ、別に構わんが……柘榴も良いか?」
「柘榴は構わないっすよ」
「分かった分かった、道場の中じゃできないから裏庭に出るぞ」
九十郎の後に続き、柘榴と美空が外に出る。
「硝石を作ったって本当なの?」
途中、美空が九十郎にそう質問する。
正直に言って、美空は九十郎が硝石を作ったなんて話を信じていない。
信じていないが……まさか、もしやとも思ってしまう。
「ああ、作ったよ。 ドライゼ撃つのに使うんだが、こっちじゃ硝石が笑える程高いからな。
最初は硝石丘法でいこうかと思ってたんだが、うんこや小便集めるの臭いし面倒だし、
5年くらい待たねえと使えねえから、手っ取り早くハーバー・ボッシュ法でいく事にした」
「はーばー……?」
「ハーバー・ボッシュ法、お前まさか知らないのかよ?
フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが1906年にドイツで開発、
ノーベル賞が獲れるレベルの大発見だぞ、普通知っているだろう」
松平元康が徳川家康だと知らない男の言える台詞ではない。
「知らないわよ、全然……それに、1906年? 1906年って……?」
「マジで知らないのかよ。 意外と知らねえ事が多いんだな、上杉謙信って」
九十郎は意外そうな顔をしていたが、知っていたらそいつは上杉謙信ではない、未来人か予知能力者である。
「あんたまた名前間違えて!! 私は長尾だって何度言えば……
名前を……間違え……ま、間違え……間違えて……ないとしたら……
九十郎は本気で私を上杉謙信と思っているのとしたら……
1841年、1906年……もしかして九十郎は……」
美空がぶつぶつと独り言を呟く。
美空の頭の中で、恐るべき推論が、信じられない仮説が組み立てられていた……
そして……ズドン! ズドン! ズドドンッ!! と、練兵館に銃声が響いた。
ドライゼ銃の試射……戦国時代の常識ではありえない鉄砲の連続発射という光景を目の当たりにした美空は、自分の推論が正しいのではないかと思い始めていた。
「九十郎、さっき言ってた1841年とか、1906年とかいうのは、
海の向こうで使われてるっていう暦の事?」
マジックを見た子供のようにはしゃぎ回る柘榴をよそに、美空がそう尋ねる。
「ああ、西暦だが……それがどうかしたか?」
「西暦ね……西暦っていうのは、西洋の聖人……
えるされむで、めしあだか何だかかが生まれてから何年目かを数えてる……
この認識は正しいかしら?」
「何言ってるんだお前、正しいに決まってるだろうが」
そして……
「今は西暦1560年よ」
……次の瞬間、九十郎の顔が硬直した。
そして美空は確信した、九十郎は未来を知っていると。