戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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第31話にはR-18表現があるので、『犬子と九十郎(エロ回)』の方に投稿をしました。
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犬子と柘榴と九十郎第30話『おビール様!』

九十郎にとって美空は長尾景虎……後に上杉謙信に改名する歴史上の偉人である。

 

柘榴はただの柘榴……バリアーの暴走から逃げそこなって死にそうな名前だなあ位にしか思っていない。

九十郎は日本全国の柿崎さんに土下座して謝るべきである。

 

松葉はただの松葉……ロッズ・フロム・ゴッドとか撃ってきたり、喉が枯れ果てるほどに人間賛歌を歌い始めたりしたらやだなあ位にしか思っていない。

九十郎は日本全国の甘粕さんに土下座して謝るべきである。

 

秋子はただの秋子……ナルコレプシー発症しそうだなあとか、何の脈絡も無くやっほー、筋肉筋肉~とか言い出しそうだなあとか、謎ジャム食わせてこねえかな位にしか思ってない。

九十郎は日本全国の直江さんと秋子さんに土下座して謝るべきである。

 

空はただの空……その内後継者争いの中で死ぬ可哀想な人、素直で良い子だし可能なら助けてやりたいけど、歴史を大きく変えたらこっちの身も危ういし、どうするかなあ位には思っている。

なお、後継者争いで死ぬのは上杉景勝ではなく上杉景虎の方である。

 

愛菜はただの愛菜……クソうざいガキ位にしか思っていない。

現状、九十郎からの好感度は綾那や虎松に匹敵する程に低い。

九十郎は日本全国の直江兼続ファンに土下座して謝るべきである。

 

名月は北条景虎……後継者争いに勝利して五大老にまで上り詰める凄い人と思っている。

なお、後継者争いに勝利するのも五大老になるのも景勝……つまり空の方である。

 

沙綾はただの沙綾……ゲラゲラ笑いながら酒を飲めるノリの良い奴。

 

貞子はただの貞子……ゲラゲラ笑いながら竹刀をぶつけ合えるノリの良い奴。

 

そして犬子は前田利家だ。

最初に会った時からずっと、相も変わらず前田利家のままだ。

九十郎は未だに犬子をただの犬子だとは思っていない、思えない。

 

そんな九十郎は越後に辿り着き、犬子共々柿崎家の客将待遇で迎え入れられた。

 

かかれ柴田に引き佐久間、米五郎左に木綿藤吉、槍の又左と退くも進むも滝川……右を見ても左を見ても偉人だらけの尾張に居た頃に比べると、のびのびと働ける職場であった。

実は誰がどんな事をやって有名になったのかとかあんまり知らないのだが、とりあえず戦国時代に名を馳せた、歴史上の偉人だという事だけは知っていた。

 

それ故に順応するのにも早かった。

のびのびと、いきいきと練兵館を建て(今生で2回目、前の生を含めると5回目)、柘榴パワーアップ計画を遂行しつつ弟子を募って竹刀を振っていた。

 

今日も今日とて、春日山城下に佇む剣道場・練兵館で竹刀がぶつかる音が響く。

面をつけたマッチョと少女が向かい合い、剣の腕を競い合っていた。

 

「くそ、これで3勝7敗……今日も負け越しか。

 たまにはこっちに花持たせろよな」

 

「ふふ~ん、まだまだ長尾最強の座は明け渡せませんからね。

 空様のためにも、アレのためにも」

 

「けっ、いつか絶対吠え面かかせてやるからな、覚えてろよ……貞子」

 

マッチョと少女が一礼し、面を脱ぐ。

一方はこの道場の主・九十郎。

もう一方は美空の信頼厚い古参の剣士・小島弥太郎貞興、通称は貞子。

呪いのビデオとも迷惑メールとも関係が無い、ただの貞子である。

 

「いやあ、良いですねえ、そそりますねえ……

 ちょっと前までは竹の棒で鍛錬なんてと思いましたが。

 殺さない事を考えずに腕を競えるというのは実に面白い、心地良い」

 

貞子は九十郎から手渡された手ぬぐいで額を拭い、満足そうに、嬉しそうに笑った。

越後でも……いや、日ノ本でも有数の武芸者である彼女にとって、九十郎との立ち合いは中々刺激的で興味深いものであった。

 

「ああ、先人達の発想力には脱帽する他ないよな。

 神道無念流は稽古中に略打、寸止めはしない。

 防具と竹刀が無いと訓練する度怪我人増えるね、ぽぽぽぽ~んっとなっちまう」

 

「ぽぽぽぽ~ん」

 

「そう、ぽぽぽぽ~んだ」

 

貞子がケラケラと笑い、九十郎がゲラゲラと笑う。

何がどう面白いのかは余人には理解し難いが、ノリや波長のような何かが合致したのかもしれない。

 

「それにしても九十郎殿はお強いですねえ。

 今日は運良く勝ち越せましたが、力比べに持ち込まれたら押し切られますし、

 力比べになるように立ち回るのもお上手で……」

 

貞子が九十郎を賞賛する。

正確に言うならば、賞賛しているのは九十郎と言うよりも九十郎が身につけた神道無念流であるのだが、九十郎的には自分が褒められるよりも神道無念流を褒められた方が嬉しい。

 

長い年月をかけて洗練された立ち回りや、剣や重心の動き、筋肉のつけ方……参考にすべきポイントが何個も何個も発見できた。

 

「練兵館は筋力と体力の向上も視野に入れた鍛錬をしているからな。

 筋力で上回っているなら筋力で勝とうとするのが定石さ」

 

そう言って九十郎はふふ~んと胸を張る。

自分で編み出した訳でもないのに偉そうな男である。

 

「敵の弱みと強みを冷静に見極める眼力も、強みを殺し弱みを攻める精神性も、

 不利と思えば迷わず退く度量も……いやはや、怖い怖い」

 

なお、実戦での九十郎は自分より強い相手が見えたら躊躇無く逃げ出すチキン野郎である。

もっとも、その臆病さがあったが故に稲生や桶狭間での合戦や、三河での逃走劇を掻い潜れたのであるから、良し悪しと言えるかもしれない。

 

「そ・れ・よ・り・も……九十郎さぁん……」

 

直後、貞子の瞳が妖艶に輝く。

蠱惑的な仕草で、艶めかしく九十郎に詰め寄る。

 

健全な成年男子であり、しかも巨乳好きである九十郎が思わず前かがみになるエロさであった。

 

「今日も私の勝ち越しですねえ……約束通り『アレ』をお分けして頂けるのですよねえ……」

 

「あ、ああ、アレか、アレだな……いつも通り裏庭の井戸で冷やしてあるから持っていけよ」

 

肉棒ブチ込みてえなあとか不埒な事を考えつつ、それを悟られまいと視線を逸らしながら九十郎が答える。

 

このエロ男は死んだ方が越後……いや、日ノ本は平和で健全になるかもしれない。

 

「おビール様! 今参ります!!」

 

バビュン! という擬音と共に、貞子が裏庭にカッ飛んで行った。

剣士モードは完全に消え去っていたが、貞子はいつもこんな感じである。

 

「おビール様と聞いて!」

 

バァン! という擬音と共に、長尾の宿老・宇佐美沙綾定満が練兵館に飛び込んできた。

 

「沙綾様! おビール様をお連れいたしました!」

 

「おビール様か!」

 

「おビール様です!」

 

「「おビール様!! おビール様!!」」

 

2人のテンションは最初からクライマックスであった。

最早言葉は要らなかった。

 

「……お前ら、つまみは何が良い」

 

「柿ピーお願いします!」

「無論柿ピーじゃ!」

 

……前言撤回、おつまみの要求だけは必要だった。

 

追撃の柿ピーでテンションが天元突破する。

 

「全く、現金な連中だよな全く……ほれ柿ピー持って来たぞ。

 ピーナッツはアメリカ原産で手に入らなかったから、炒った大豆で代用してるがな」

 

「やめられない!」

 

「止まらない!」

 

「何のために生まれ、何をして生きるのか……そう、それはきっとおビール様に出会うため」

 

「こんな素晴らしいおビール様を貰える私は、きっと特別な存在なのだと感じました」

 

2人の女たちがケラケラとハイテンションに笑いながらビール……もとい、おビール様を飲み干す。

ぐびっ、ぐびっ、ぐびっと豪快に飲み干し……

 

「「美味いっ!!」」

 

口に泡ひげをつけながら、満面の笑みを浮かべた。

 

「あ~あ、早く犬子と柘榴が帰ってこないかなと……」

 

口では文句を言いながらも、九十郎は2人を追い出そうとはしなかった。

1人道場に残されて暇だったというのもある。

しかしそれよりも重要な事は案外単純……ゲラゲラ笑いながら酒を飲む連中が結構好きなのだ。

 

メソメソと泣き言を言いながら酒を飲む連中や、ウダウダと文句や恨み言を言いながら酒を飲む連中に比べれば、百倍も千倍も好ましいと思っている。

ビールの一本や二本、くれてやっても惜しくないと思える程度には好ましく感じている。

 

そして思い出す……前の生でのダチ公、遠山朱金の事を。

そして思い出す……遠山朱金と長谷河平良が、秋月八雲の前で顔を赤らめ、服を……

 

「……早く戻って来いよ、犬子」

 

九十郎がこめかみを抑えて視線を伏せていた。

頭が痛かった、心臓が痛かった。

何故痛いのか、何が辛いのか、必死に視線を逸らしながら。

 

それに気づく者は誰もいない。

犬子も気づいていない、美空も気づいていない、葵も歌夜も粉雪も、誰も、誰も……

 

「ただいまっすーっ!!」

 

「九十郎、ただいま~!」

 

……否、たった一人だけ、薄々ではあるが感づいていた者がいた。

 

「こら、また辛気臭い顔してるっすね。

 九十郎はニヤニヤしながら竹刀振ってる時の方が男前っすよ」

 

「そんな事はないですよ柘榴様。

 九十郎は何時でも何処でも男前です、犬子は断言しちゃいます」

 

「あはは、あばたもえくぼってこういうのを言うんすかね」

 

「いやまあ、惚れた弱みってのはあるかもですけど……」

 

たった一人……柘榴だけは薄々感づきつつあった。

前田利家ではなく、上杉謙信でも、山県昌景でもなく……ただの柘榴だけが察していた。

九十郎の心を傷つけ、今なお蝕み続ける何かがあると。

 

「いきなり背後から抱き着くな柘榴、胸が当たってるぞ胸が」

 

「顔をにやけさせながら言っても説得力が無いよ、九十郎」

 

「九十郎を笑わすにはこの手が一番っすからね」

 

「ああそうさ嬉しいさ! ああそうさ巨乳好きだよ! おっぱい大好きでございますよ!

 俺に胸を押しあてた程度で勝ったと思うなよコンチキショウが!!」

 

色々な意味で酷い男である。

 

「へぇ、巨乳好きですか?」

 

ビール臭い貞子が九十郎の背中に胸を押しあてる。

九十郎はガタイがでかいので、柘榴1人が背中全体を占有できていない。

空いたスペースにもう1人潜り込むのは余裕であった。

 

「聞きましたよ~九十郎殿~、巨乳好きの方でしたか~?」

 

「……何の事かな?」

 

「今更誤魔化すなんて無理ですよ~。

 ほらほら~、気持ち良いですか~? 柔らかいですか~?」

 

酔っ払いがニヤニヤと笑いながら、男にしなだれかかり、胸を上下左右に揺さぶりながら押し当てる。

 

九十郎好みのナイスでっぱいが背中に柔らかな感触をプレゼントし……

 

「ははは、この俺の鋼の意志がその程度で陥落するとでもビールもう一本どうですか」

 

ノータイムで巨乳の感触に屈する男が居た。

 

「沙綾様~、追加のおビール様をお連れしました~!」

 

「かっかっかっ、でかしたぞ貞子」

 

貞子はノータイムで九十郎から背を胸、酒飲みーズ再起動、おビール様を堪能していた。

 

「……解せぬ」

 

九十郎の呟きが虚しく掻き消える。

 

「わ、私は九十郎の事大好きだよ!」

 

「柘榴も結構気に入ってるっすよ」

 

「ありがとな、犬子、それに柘榴……」

 

「それにしても柘榴殿は羨ましいですね。

 こんなに美味しいおビール様を毎日味わえるなんて。

 私は毎回毎回おビール様と弟子入りを賭けて勝負を挑まなければならないのに」

 

「嬉しい誤算っすね。 それで九十郎、今日の戦績はどうだったっすか?」

 

「3勝7敗、今日も負け越しだよ」

 

「貞子の練兵館入りの日はまだまだ遠そうっすねえ」

 

「ふんっ! 俺を倒した程度で勝ったと思うなよ貞子!

 犬子は俺よりも強いんだからな!!」

 

「ねえ九十郎、その台詞情けなくならないの?」

 

「犬子は練兵館で神道無念流を学んだ者、

 犬子が勝つって事は俺の教え方が上手かったという証拠……

 つまり神道無念流の勝利と言う事だ」

 

「九十郎的にはそれで良いんだ……」

 

九十郎は自らの勝利より、むしろ神道無念流の勝利の方が嬉しい男である。

 

「いや~、楽しいわね自転車っての。 思わず春日山城下を一周してきちゃったわ」

 

そんな中に、新しい玩具……もとい自転車で遊び、気分良く汗をかいている美空が入って来た。

 

「……て、酒臭ぁっ!? 何よこれ、道場よねここ!?

 練兵館よね!? 私入る所間違えてないわよねっ!?」

 

即座に道場らしからぬ光景にツッコミが入る。

 

「間違いなく練兵館っすよ、御大将」

 

「今は呑兵衛共の溜まり場になっているがな、不本意ながら」

 

「また貞子とお酒賭けて試合をしたの?

 あんたもうちょっと頑張りなさいよ、このままだと道場が飲み屋になるわよ」

 

「毎回毎回惜しい所まで行くんだがな……明日はきっと勝つ!」

 

とかなんとか言いながらも、九十郎はバーカウンターと赤提灯を増設して、おでんとか焼き鳥でも売り出したら入門希望者が増えるんじゃないかな~とか考えてる。

 

こういう行き当たりばったりな思いつきで入門勧誘キャンペーンを開始し、作り過ぎた景品を泣く泣く光璃と担庵に差し出すのが九十郎という男である。

基本的に能天気で後先を考えない男なのだ。

 

「明日のおビール様も楽しみにしていますよ、九十郎殿」

 

「場合によっては犬子をけしかける」

 

他力本願な男である。

 

「試合かぁ……犬子達今、向こう数年分の収支を整理したり、

 柿崎家の貸借対照表を作ってて忙しいんだけどなあ……」

 

「犬子に抜けられたら作業が止まっちまうっす! 断固反対っす!」

 

だがしかし、本人は乗り気ではなかった。

 

「くそう、簿記なんて教えるんじゃなかったかな」

 

「超役に立ってるっす! 柘榴が帳簿の中身を理解できたのは生まれて初めてっすから!」

 

「こら柘榴! 自慢げに胸を張るんじゃないわよ!

 ……で、簿記とか貸借対照表って何の事かしら?

 もしかして柘榴に理解させられる帳簿の書き方の事かしら?」

 

「ええっと……簿記は1年の収入と支出を纏めて、

 自分が今どのくらいの財産を持っているかを明らかにするための帳簿の書き方で、

 貸借対照表は財産目録のような物です」

 

「分かりやすいの?」

 

「超分かりやすいっす!!」

 

「ねえ犬子、ちょっと……」

 

美空がにこやかに笑いながら犬子を手招きした。

 

「駄目っす! まだ柿崎家の帳簿整理が終わってないっすから!」

 

しかし、付き合いの長い柘榴は気づいた。

美空の目は獲物に飛び掛かるタイミングを計る肉食獣の目に似ていたと。

 

「良いじゃないのちょっと位! 国主命令で無理矢理引っ張るわよ!」

 

「犬子はもう柿崎家の家族っす! いくら御大将でも譲れないっす!

 今月だけで2件も不正蓄財を検挙できたっすし!」

 

「不正蓄財!? 何よそれ、簿記を使うと不正蓄財が見つけられるの!?

 ちょっと柘榴いくらなんでもそれは聞き捨てならないわよ、詳しく教えなさい!!」

 

「ええっと、損益計算書と貸借対照表は、

 ちゃんと作れていれば貸方と借方の合計が一致するんですけど、

 どこかに嘘の報告とかがあると……」

 

「犬子それ以上言っちゃ駄目っす!

 御大将は首に縄付けてでも連れて行こうとするっすよ!」

 

「柘榴! 良い所で話を遮らないで!」

 

「だから駄目っすよ! せめて柿崎家の帳簿整理が終わるまで待ってほしいっす!」

 

「犬子、柿崎家の事よりも越後全体の事を考えるべきよね! ねぇ!」

 

「ええ!? いや、あのぅ……」

 

「犬子の主君は柘榴っす! 御大将と言えども頭ごなしに命令はさせないっす!」

 

「ちょっとだけ話を聞くだけよ! ちょっとだけ! 先っちょだけぇっ!!」

 

「話を聞いたら絶対に実践させようとするっす!

 御大将の性格は良く分かってるっす!!」

 

美空と柘榴が犬子の頭の上で睨み合う。

今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気の中で、犬子がオロオロと視線を動かす。

 

「……いっそ両側から腕を引っ張り合って決めたらどうだ」

 

そこに九十郎が不穏な言葉を投げ込んだ。

それはかつて大岡想がある紛争を解決するために提案した方法だが、九十郎はその話のキモの部分までは覚えていない。

普通にどちらかが諦めるまで引っ張らせるつもりであった。

 

「それよ!」

「それっす!」

 

美空と柘榴が即座に反応する。

そして美空が犬子の左腕を、柘榴が犬子の右腕をがっしと掴んだ。

 

冷静になって考えれば不合理極まりない決め方だが、今の美空は冷静ではないし、柘榴は基本ノリと勢いで生きている。

 

「え? ちょっと柘榴様、本気ですか!? 美空様ももう少し冷静に……

 九十郎も変な事言ってないで止めてよ!!」

 

「レディ、ファイッ!!」

 

「ファイッ!!」

「ファイっす!!」

 

「いだだだだだだーっ!! ちょ、待って……痛い痛い痛いですーーーっ!!

 美空様ぁ! 柘榴様もやぁ~めぇ~てぇ~……」

 

……

 

…………

 

………………

 

……15分後。

 

「自転車、私の分も作りなさいよ」

 

本気で痛がる犬子が可哀想になって手を放し、犬子争奪戦に敗北した美空が、ぶす~っと不機嫌そうな顔をしながら九十郎に言う。

 

「嫌だ」

 

「何で?」

 

「めんどい、そんな時間があったら柘榴を鍛えてたい」

 

九十郎は神道無念流だけやっていれば幸せな男である。

当然、神道無念流をやる時間が減るような提案にはおいそれとは乗ってこない。

 

「良いじゃないの、私は越後の国主よ。

 主君の主君なら主君も同然じゃない」

 

「なんだそのアニメ版聖闘士聖矢理論は。

 父親の父親は父親じゃねえ、ただのおじいちゃんだ」

 

「おじいちゃんの言う事も聞きなさいよ!」

 

「お小遣いもくれないおじいちゃんを敬う理由なんてないね」

 

無茶苦茶な理論である。

 

「……気持ちは分からなくもないわね」

 

幼少の頃に林泉寺に預けられ、越後が血生臭くなるまで延々と放置され続けた美空がぼそっと呟く。

おじいちゃんからお小遣いを貰った事も無ければ、親兄弟と遊んだ事も無い。

 

彼女とて人の子だ、親に甘えたい時もあったし、兄弟を頼りたくなった時もあった。

親とは死ぬまで対面が叶わなかったし、姉は自らの手で失脚させたのだが。

 

「分かったわ、国主うんぬんは持ち出さない。 ならせめて作り方くらいは教えなさいよ」

 

「見りゃ分かると思うが結構単純な構造だぞ。

 バラして観察すればあっという間に作れるさ」

 

「柘榴の持ち物を取り上げて分解するのちょっと躊躇われるわ」

 

「じゃあ諦めろ」

 

「嫌、諦めたくないわ」

 

「御大将、九十郎に頼み事をする時は背中におっぱいを当てるっすよ」

 

「え、本当に? どれどれ……ってそんなはしたない真似ができるかっ!!」

 

美空はギリギリの所で理性と慎みを思い出した。

 

「よし、じゃあ揉ませろ。 そしたら自転車作ってやるよ」

 

「さっきより悪化してるわよ! できるかそんなはしたない真似も!」

 

「パイズリ」

 

「言葉の意味は分からないけど断固拒否するわ!」

 

「融通の利かない上杉謙信だな」

 

「私は長尾よ! な・が・おっ!! あんた何回他人の名前間違えたら気が済むのよ!」

 

「しょうがねえだろ、上杉謙信のイメージが強すぎるんだから」

 

「そもそも上杉謙信って誰よ!? 知らないし聞いた事も無いわよ!」

 

「お前だ」

 

「……ちょっとこっち来なさい」

 

美空は九十郎の手を引き、道場の隅っこへ連れて行った。

そして周りに聞こえないよう小さな声で話しかける。

 

「ここ何年か関東管領を引き継ぐために上杉憲政の養子になる計画進めてるけど……

 もしかして柘榴から聞いてるのかしら?」

 

「いや、初耳だが」

 

「何にせよ、その辺の事情を何時頃公表するかは検討している所だから、

 私の事を上杉って呼ぶのは本当に止めなさい。

 どこに武田や北条の間者が潜んでいるか分からないのよ」

 

「分かった分かった、長尾だな。 長尾……何だっけ?」

 

「長尾景虎よっ!! か・げ・と・らぁっ!!」

 

美空が怒りに任せて九十郎の後頭部をペチペチと叩く。

グウで殴らない辺り、まだ冷静さを残していると言えなくもないが、九十郎の言動は手打ちにされても文句を言えないレベルの無礼である。

 

「深く傷ついたわ、謝罪と賠償の意味も込めて自転車を作って献上しなさい」

 

「めんどい」

 

「ちょっとは言う事を聞きなさいよ! 本気で首に縄を付けて引っ張るわよ!!」

 

そのまま縛り首にしたら世の中は平和になるのではなかろうか。

 

どうしたものかと考え込む美空の下に、柘榴が寄って来て……

 

「御大将、ヒソヒソヒソ……」

 

……何かを耳打ちした。

 

「私も練兵館に弟子入りするわ」

 

「弟子の頼みとあっちゃ仕方ねえなあ。

 明日の夜明けまでに完成させて届けるから待ってろよ」

 

マジックワード炸裂。

九十郎はノータイムで手のひらを返し、2台目の自転車を作る為に練兵館を飛び出していった。

 


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