戦国†恋姫X登場のある人物がはっちゃけてキャラが崩壊しています。
嫌な予感がする方は閲覧を控えてください。
……誰かに甘えたい。
光璃が、自身にそんな欲求があったと気が付いたのは、2度目の生を受けてからだった。
「なんだ、また寝れないのか? ほら、こっちに来いよ。
おれが子守唄を歌ってやるからさ、泣きやめよ」
九十郎はそう言って光璃を布団に引っ張り込んで、覚えたばかりの子守唄を歌った。
その頃、九十郎はまだ6歳の幼子だった。
その頃、光璃は肉体こそ6歳の幼子であったが、精神は戦国武将のままであった。
光璃には母親に甘えた記憶が無かった。
光璃には母親に抱かれた記憶が無かった。
光璃には母親に悩みを打ち明けた記憶が無かった。
光璃には母親に泣き言を漏らした記憶が無かった。
光璃には母親に頭を撫でられた記憶が無かった。
あるのは、母親に殴られた記憶。
あるのは、母親に斬られ、刺された記憶。
あるのは、母親に殺されかけた記憶。
あるのは、母親を出し抜き、他国に追放した記憶。
あるのは、甲斐に残された妹と家臣達を纏め上げ、戦国武将になった記憶。
あるのは、妹達にも家臣達にも弱みを見せず、悩みや不安を打ち明けず、大丈夫だと言い続けた記憶。
人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺し、人を殺した……そんな記憶。
武田光璃晴信が、妹達の母代わりであった。
武田光璃晴信は、揺ぎ無き武家の棟梁であり続けなければならなかった。
武田光璃晴信は、誰にも甘えられず、誰にも弱みを見せられなかった。
頼れる者は誰もいなかった。
それが武田光璃晴信の記憶だった。
「ねむれ~、ねむれ~、とっととねむれ~、おれもねむて~んだよ~、こんにゃろう~」
下手くそな歌が光璃を包む。
歌詞は最低最悪の内容だったが、声には温かみがあった。
九十郎の小さな手が、同じくらい小さな武田光璃の頭を撫でていた。
泣きはらす光璃を見て、九十郎は少しも嫌な顔をしなかった。
光璃はその日……童女のように涙を流し、九十郎の腕にしがみついた。
怖い、苦しい、不安だ、誰か助けて、妹に会いたいと叫んだ。
子供のように泣きわめき、子供のように喚き散らしていた。
その間ずっと、九十郎は光璃の頭を撫で、抱きしめ続けてくれた。
そして安らぎを感じていた、母親に抱かれる赤子のように。
戦国時代の武田光璃晴信が心の奥底で切望し、死ぬまで得られなかった多幸感に身を委ねていた。
その日から光璃は、九十郎に沢山沢山我儘を言った。
戦国時代の武田光璃晴信には決して許されない甘えを言った、泣き言も言った。
我儘を言えば言う程、戦国時代の武田光璃晴信が消え、心が幼子に戻っていく気分であった。
「九十郎、反射炉を作りたい」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、仕方ねぇなと言った。
「九十郎、マジレンジャーの映画を見に行きたい」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、仕方ねぇなと言った。
「九十郎、ハーバー・ボッシュ法をやってみたい」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、仕方ねぇなと言った。
「九十郎、眠れない、眠くなるまで頭を撫でて」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、仕方ねぇなと言った。
「九十郎、スクーナーを作ってみたい」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、仕方ねぇなと言った。
「九十郎、紅茶が飲みたい」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、仕方ねぇなと言った。
「九十郎、あれやって」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、仕方ねぇなと言った。
「九十郎、大好き」
九十郎は苦笑しながら頭を掻き、俺も好きだぜと言った。
何度我儘を言っても、怒鳴られなかった。
何度我儘を言っても、殴られなかった。
何度我儘を言っても、疎まれなかった。
何度我儘を言っても、見限られなかった。
何度我儘を言っても、殺意を向けられなかった。
何度我儘を言っても、九十郎は受け入れてくれた。
光璃は母にも、妹達にも、家臣達にも見せられない弱さを表に出せた。
我儘を言う度に、自分が九十郎に依存していくのを感じていた。
我儘を言う度に、自分が戦国武将でなくなっていくのを感じていた。
我儘を言う度に、自分が武田晴信ではなくなっていくのを感じていた。
それでもなお、光璃は九十郎を求め続けていた。
……
…………
………………
「……困った」
九十郎が買い出しに行っている頃、練兵館にて、武田光璃が唐突にそう漏らした。
「お困りかね、我が妹分よ。 頼れる姉貴分に相談するというのはどうだろうか」
「17年前に好きだった男の子を、今はそれ程好きじゃないと言い出す女の子は薄情者?」
「普通に薄情者だろうさ」
担庵はばっさり切り捨てた。
この少女も割と屑である。
「17年間一度も会ってない……」
「電話はしたのかね?」
「電話も通じない、手紙も出せない場所に居る……」
「少し興味があるな、写真があるなら出したまえ」
「持ってない」
「ううむ、妹分をからかうネタが増えるかと思ったのだが……」
……と、そこまで言って担庵ははたと気づく。
「……冷静になって考えてみれば。 17年前の妹分は幼稚園にすら入っていないな。
てっきり妹分の初恋の話かと思ったが、違う人の話か。
いや待て、妹分ならベビーベッドの上で初恋を……うむ、流石にありえんか」
酷い想像、非常識過ぎる光景だが、あいつならやりかねないとついつい考えてしまう所が、光璃の恐ろしい所である。
「初恋……うん、初恋だった……」
「初恋は基本的に実らぬものだよ、妹分。
連絡もとれん男の事など気にせず他の男に走るが良いと伝えたらどうかね」
「会いに行く方法があるかもしれない」
「ならばとっとと会いに行くが良い。
そしてヨリを戻すかきっぱり切り捨てるか選ぶが良いさ。
久々に会ってみれば、案外つまらぬ男だったと落胆するかも知れぬがな」
「やる気が出ない」
「そうかそうか、構う事は無いケツを引っ叩け」
担庵はだんだんイライラしてきていた。
「17年前はその事ばかり考えていた。
剣丞に会いたい、妹達に会いたい、春日に、粉雪、心、兎々、湖依、それに一二三……
数えきれない位に居た大切な人達の下に帰りたいと考えていた。
この場所が……この場所が、あまりにも居心地が良いから」
「ええい面倒だ、何が何だか分からんし興味も無いが、
今すぐそいつの名前と元カレ殿の住所を教えたまえ妹分。
今から私と弟分で簀巻きにして連行しようではないか」
「九十郎は巻き込みたくない」
「ほう?」
坦庵の口角が吊り上がる。
弟分と呼ぶ少年をからかうネタが飛び込んできそうだという期待からだ。
「九十郎と剣丞を会わせたくない、九十郎には何も知らせずに全てに片を付けたい」
「何故かね?」
「……嫌われたくない。 実は既婚者だったなんて言いたくない、教えたくない」
「まさかの熟年離婚の危機!? おいちょっと待ちたまえ!
弟分が好きとか嫌いとか、男と女のホニャラララとか、そういう話なのか!?
その御婦人と弟分の年齢差はいくつなのだ!?」
「同い年」
「わけがわからないよ」
思わずQBの台詞が出た。
「そうさな、とりあえず……うむ、とりあえず押し倒せとでも伝えておくが良い。
我が弟分は現在長谷河殿にフラれて参っている状態だ、
押しまくればコロっと転ぶだろう。
弟分は巨乳好きだが、それに関しては今からではどうにもなるまい」
「分かった、今夜押し倒す。
九十郎が持っているエロ本には全て目を通している、好みのシチュエーションは予習済」
幼馴染のエロ本を盗み見る武田信玄が居た。
戦国時代の武田光璃晴信を知る者が聞けば、卒倒するような発言である。
「そうかそうか、では明日の朝はお赤飯だな。
弟分のチェリー喪失をゲラゲラ笑いながら盛大に祝うとしよう」
話が終わり、担庵は持ち帰ってきた執行部の仕事の書類に目を落とす。
「そういえば最近、詠美殿が弟分にご執心じゃないか。
アレの顛末はどうなるのだろうね?
その御婦人は詠美殿と恋のライバルという奴になるかもしれない」
「九十郎は家柄を気にするタイプ。 九十郎にとって、徳河の名が持つ意味は重い。
2人がくっつくには、詠美の方から歩み寄りが不可欠……
歩み寄ってくる前に勝負をかける」
「秋月殿のように、恋人が複数という結末にはならんかね?」
「ありえなくもない、その辺りは九十郎の判断に任せるつもり」
「まあ、詠美殿が一夫多妻を認めるかどうかは別口であろうが……
案外、すんなりと落ち着くかもしれんね」
両者共に話す事が無くなり、自然と無言になる。
担庵は無言で書類に目を通し、光璃は無言でエンジンオーG12(九十郎の私物)を組んだりバラシたり、炎神ソウルから音を鳴らしたりをして……
「徳河創雲は、北条早雲なのかもしれない」
そこに光璃が唐突に爆弾をブチ込んできた。
「我が妹分よ、エイプリルフールはとっくの昔に過ぎているぞ」
五十嵐妹を大江戸学園に編入させようぜプロジェクトの資料を手に、担庵がそう答えた。
光璃の戯言に付き合うのに疲れてきたのだ。
「エヴァの一件、光璃は殆ど関われなかった。
その間ずっと、光璃は本土で調べ物をしていた」
「ああアレかね……全部が全部終わってからひょっこり戻って来たな、妹分は。
君が居ればもう少し色々とできたというのに」
「由比雪那の件、執行部の件は知っていた、戻る事はできた。
でも……戻るべきじゃないと思った」
「何故かね?」
「光璃のやり方では血が流れ過ぎる。 光璃が居たら、また志賀城のようにやる……
光璃は今でも、あれは正しい事と思っているから」
「大江戸城に生首3000個並べるとでも言うつもりかね?」
「光璃ならやる。 酉居も、詠美も、雪那も手ぬるい、生ぬるい。
でも……そんなやり方は学生らしくない」
余談だが、光璃はゴム弾ではない本物の銃火器をある場所に隠し持っている。
普通に銃刀法違反だが、武田晴信がそんな事を気にする訳が無い。
催涙ガスではない、致死性の毒ガスも隠し持っている。
殺傷能力を備えた本物のベトコントラップの作り方も知っている。
そして必要ならば、人間に向けて引き金を引く、民間人が何人いようが毒ガスを散布する、無関係な者を巻き込もうがトラップを使う。
戦国時代に……弱ければ殺され、弱ければ奪われるのが当然の時代に生まれ育った人間は、殺人に対する忌避感が薄いのだ。
「……流石の君でもそこまではやらんだろう」
「やる。 光璃は……光璃は武田信玄だから」
それは紛れもなく、武田光璃晴信の本心であった。
しかし同時に、平和な時代に……人が人を殺す必要の無い時代に生まれ育った、ただの光璃になりたい、ただの光璃でありたいと願う気持ちもまた、彼女にとっては紛れもない本心であった。
「妹分、エイプリルフールは半年以上先の話だぞ」
「本気」
再度担庵は計画書から視線を外し、光璃の方に向きなおる。
なお後日、光璃は校長を人質に取った相手をどうするかの話し合いの席で、校長ごと殺そうとノータイムかつ真顔で言い放ち、やはり周囲をドン引きさせる。
戦国時代の人間は、人質に対する扱いがシビアだ。
切り捨てる時は躊躇無く、そして容赦も無く切り捨て、襲い掛かる。
そうでなければ生き残れないのだ、戦国時代では。
三真は光璃案に反対してくれた大岡想に感謝するべきである。
危うく屋敷にマスタードガスを散布されて死ぬ所であったのだから。
「エヴァが大江戸学園の生徒を人質にして、ニホン政府と交渉していた事件……
あのニュースが流れた頃、光璃は本土に居た。
急いで戻ろうとしたけれど間に合わなかった。 1時間後には全部が終わっていた。
迂闊だった、油断していた……九十郎を喪っていたら、光璃は一生悔やんでいた」
「では何故徳河創雲は北条早雲だと思ったのかね?」
「本土で手記を見つけた。 早雲の手記」
「どちらの?」
「北条早雲の物、古いお寺に安置されていた……だけどその内容が異様。
それを説明するための仮説……北条早雲は、徳河創雲だったのかもしれない」
光璃の手には古びた書物があった。
担庵がそれを受け取り、ペラペラと頁をめくる……紙や墨の感触は、確かに古い物だと感じられた、しかし……
『駄目だ、ヤツは聞き耳をもたない。 何度直談判をしても同じ結果だ。
正直な話、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康や武田信玄がどうなろうと知った事ではない。
この国がどうなろうとも、何人死のうが知った事ではない。
しかし、ヤツは朔夜と十六夜までもターゲットにしている。
私はそれを容認する事ができない。
ヤツの計画は既に進んでいる、放置はできない、どうにかして止めなければ』
「……現代語ではないか!!」
担庵がツッコミを入れた。
「おい妹分、北条早雲が現代語を使っている上に、
生まれてすらいない織田信長や豊臣秀吉を話題に出しているぞっ!
これを書いた奴は時代考証を丸っきり放棄している!
それと誰だね朔夜と十六夜というのは!?
私は咲夜よりパチュリーの方が好きなのだが!」
「光璃は咲夜よりフランドール派」
九十郎は咲夜より紅美鈴派である。
『駄目だ、強すぎる、勝ち目が無い。
ヤツを倒すどころか、ヤツの下に辿り着く事すらできなかった。
武器が必要だ、ヤツとヤツの護衛と戦うための武器が。
ヤドリギではいくらなんでも勝ち目が無い。
だから作った、ヤツの魔法に対抗する武器、ヤツの護衛を傷つける武器。
私はこの武器を剣魂と名付けた』
「……やっぱり現代語ではないか!!」
担庵が再度ツッコミを入れた。
「おい妹分! エイプリルフールのつもりか!?
戦国大名がこのような文章を書く筈があるか!
しかも魔法がどうだの、剣魂を作ったとかも書いてあるぞ!」
「真面目」
「北条早雲がどうやって徳河創雲になれるというのだ!?
年代がまるで違うではないか!? 不老不死か何かかね!?」
「光璃は武田信玄。 戦国時代で死んで……気がついたら、この時代に生を受けていた。
同じような現象が起こったのかもしれない」
「妹分? もしかして……もしかして、本気で言っているのかね?」
「マージ・マジ・マジーロ」
「マージ・マジ・マジカ、信憑性が一気に減ったぞ、妹分」
担庵が頭痛を感じながらも、ペラペラと頁をめくっていく。
出てくる話はどれもこれも荒唐無稽なものばかり……成程、この内容を馬鹿正直に説明しようとすれば、北条早雲=徳河創雲なんて珍説をでっち上げる以外に無いだろうなと、担庵は思った。
『成功だ、全て私のシナリオ通りだ。
大江戸学園が乗っ取られるリスク、学園島が破壊されるリスクを承知の上で、
あえてエヴァ・ヨーステンを泳がせた甲斐があった。
徳河吉音は私の想定通り、いや想定以上に理想的な性格になった。
今の彼女ならば喜んで身を投げ出し、喜んで死ぬだろう。 朔夜と十六夜を救うために。
吉音がヤツに勝てばそれで良し、吉音が死ねば、イエヤスの最終プログラムが起動する。
いずれにしても朔夜と十六夜は守られる』
「しかもエヴァ・ヨーステンや吉音殿の名前まで出ているではないか。
いくらなんでも……」
「……え?」
光璃が顔色を変える。
この本を最初に発見し、何度も何度も、穴が開く程に見ていた筈の光璃が。
『馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、こんな事はあってはならない、こんな事はありえない。
何故詠美は斎藤九十郎に惹かれるのだ、詠美は秋月八雲と結ばれる筈なのに、
そうなるように仕向けたのに、そうならなければならないのに、
それが計算の結果なのに、それが確定した未来の筈なのに。
駄目だ、何度計算をしても揺るがない、何度計算をしても止められない、
このままでは詠美は八雲ではなく九十郎と結ばれてしまう。
学園祭の3日目、バンドライブの時に結ばれる。
前提が覆る、計画が止まってしまう、私のシナリオが崩壊してしまう。
何としても食い止めなければならない、何としても。
この世界の鬼子を喪ったのが痛い、鬼子を使えばいくらでも処置ができるのに』
「おいおい、今度は我が弟分が出てきたぞ……」
「貸して!」
光璃が本をひったくる。
そして頁を見つめ……青褪める。
『斎藤九十郎をシナリオに盛り込む事はできない。 九十郎は自己中心的な性格だ、
朔夜と十六夜のために死ねと言われて、素直に頷く筈がない。
吉音を今の性格にするためにどれ程苦労したと思っている。
何度失敗を重ね、何度失敗作を処分し、やり直し、
何人の人間を殺害し、どれだけの人生を歪めたと思っている。
吉音を調整するために、どれだけ血が流れ、どれだけの死人が出たと思っている。
そもそも、再び大規模な調整を行う事は不可能だ。
鬼子は既に喪われ、ヤツの計画が発動するまでの時間も少ない』
「なんともきな臭い話だ。 調整だの人生を歪めただの……
まさかとは思うが、吉音殿の両親を殺したのは自分だとか書いてあったりはするまいね。
だとしたら悪趣味が過ぎるぞ」
坦庵が笑い飛ばす。
笑い飛ばすが……何故か冷や汗が出てきた。
果たして我が妹分は、このような悪趣味な悪戯をするような人間だっただろうかと。
この手記の内容は笑い飛ばして良いものではないのではと。
『妙案が浮かんだ、一石二鳥とはこの事か。 押し付けるのだ、ヤツのシナリオに。
九十郎には計算を狂わせ、未来を歪ませる能力があるのかもしれない。
仮にそうだとすれば、九十郎をあの世界に送り込めば、
ヤツのシナリオが歪み、破綻するかもしれない。
そうすれば詠美は九十郎と結ばれない、詠美は問題無く八雲に惹かれ、八雲と結ばれる。
そうすればまだ大丈夫だ、まだ私のシナリオは十分修正ができる、
大江戸キャノンは問題無く機能し、ヤツを討ち果たせる。
詠美はきっと泣くだろうが、決定的な破綻にはなりえない。
そして万が一、億に一つでもヤツのシナリオを歪ませる事ができれば、
吉音と詠美を危険に晒す事無く、殺す事無く、朔夜と十六夜を救えるかもしれない。
なあに失敗しても屑が消えるだけだ、私のシナリオを歪ませる屑が、私に損は無い』
「こ、今度は大江戸キャノンときたか……
なんと言うか、ウチ学園ならキャノンの一つや二つ用意されていそうで怖いな」
「知らない……こんな頁は知らない……気が付かない筈が無い……」
光璃は震えていた。
何か異様な状況が起きていると、認めざるを得なかった。
「……妹分? どうしたというのだ、震えているぞ」
担庵もまた、光璃の様子がおかしいと気づいた、気づかざるを得なかった。
そして思った、確信した……この文章は、悪戯やドッキリカメラの類ではないのだと。
『時空間の歪を上手く利用できれば、織田信長の幼少期に送れるかもしれない。
ヤツのシナリオは織田信長が中心になっている。
織田信長の人格形成に影響を与える事ができれば、その後の歴史も大きく歪む筈だ。
成功するかは分からない、歴史が歪めば朔夜と十六夜にも影響が出るかもしれないが、
どうせこのままではヤツに根こそぎ収奪されてしまう、やってみる価値はありそうだ。
こちらの世界の鬼子は既に喪われたが、あちらの世界ではまだ健在だ。
九十郎が邪魔になれば、すぐに処理ができる。
こちらの世界の鬼子のように、私を裏切らなければだが』
「織田信長の幼少期に送る……」
光璃の脳裏にある光景が浮かぶ。
前の生での出来事、死の間際に見た光景……
『考えてみれば、こちらの世界の鬼子は何故か九十郎に執着をしていた。
何かに気づいていたのかもしれない、私が気づけなかった何かに。
遠山朱金と江川太郎左衛門が余計な真似をしさえしなければ、
鬼子を密かに回収する事もできたというのに、捨てる必要まではなかったというのに。
仇討ちだのケジメだの、不合理な理由で突っ走る馬鹿共が、よけいな真似をしなければ』
「なんだこれは、今度は私と遠山殿の名前まで?
私の本名は我が弟分妹分と、遠山殿、酉居殿にしか教えていないというのに。
いや……戸籍や学籍を調べれば知る事はできるだろうが……
それに鬼子? 鬼子とは一体……?」
「鬼子……鬼……まさか……?」
2人がさらに頁をめくる。
『あれは鬼子の自害だったのか。 本来自害ができない鬼子が自らの命を絶つために、
あえて遠山朱金を挑発し、あえて江川太郎左衛門の盟友を踏みにじったのではないか。
いくら剣魂の援護があったとはいえ、ただの人間に鬼子を殺せる筈が無いのだ。
九十郎を守る為に、私の目を九十郎から逸らすために。
調査が必要かもしれない、向こうの世界の鬼子を、予定よりも早く目覚めさせるのだ。
そして調べさせるのだ、斎藤九十郎を』
「おい、今度は頁が……馬鹿な、何も無い空間から新しい頁が浮き上がってくるだと……?」
「これは……」
光璃と担庵が震える手で頁をめくる……新しく表れた頁を……
『私は決めたのだ、何としても朔夜と十六夜を守ると。
どんな手を使ってでも、誰を切り捨ててでも、あらゆるものを利用して守ると』
『邪魔はさせんぞ、武田晴信』
……その文字が2人の視界に入った直後、本が消えた。
まるで煙のように、まるで夢でも見ていたかのように、まるで最初から本など存在していなかったかのように消えた。
「消え……た……!?」
「今の消え方、剣魂に良く似て……妹分! 今の本はナノマシンだったのか!?」
「わ、分からない……光璃にも……」
2人の少女が数秒、あっけにとられ……直後、携帯電話に手を伸ばす。
アドレス帳を呼び出し、『斎藤九十郎』の番号をプッシュする……
コール音が2人の耳に届く……2回……3回……4回……5回……
心臓が凍っていくかのような思いであった。
「何の用だセカンド幼馴染」
6回目のコール音の後、九十郎の不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「弟分! 無事かね!?」
「いや無事に決まってるだろうが!
買い出し一つで何で心配されなきゃいけねえんだよ!? 小学生か俺は!?」
「今どこに居るのだ!?」
「八雲堂とねずみ屋の傍だよ、何でそんなに声を荒げてるんだ?」
「良し分かった、そこを動くんじゃないぞ。
今すぐ私と妹分がそっちに行くからな、絶対に動くんじゃないぞ!」
「いやふざけんなよ! 学園祭まで時間が無いんだぞ! 今すぐ準備を始めないと……」
「頼むから動くな! 動いてくれるな!
私も妹分もまだ全部を理解した訳ではないが、抜き差しならぬ状況なのだ!!」
「話にならねえな……光璃は居るのか? 近くに居るなら代わってくれ」
「くっ……妹分、頼む」
担庵が光璃に携帯電話を渡す。
光璃は覚束ない手つきでそれを受け取り、少し震えながら耳元に近づける。
「……九十郎」
声が震えていた。
だがしかし、基本能天気な九十郎は異常事態に気づけない。
「光璃、担庵はどうしたんだ? 買い出ししてるってのに急に動くなとか言い出して……
ああそうだ、今日の夕飯何が良い? ついでだから食料も買ってから……」
「お……お願い……無事でいて……」
光璃の瞳には涙が滲んでいた。
「……訳が分からん。 分かった分かった、動かないから早く来いよ」
「うんっ!」
「弟分、通話はそのままだ。 何か異常を感じたらすぐに教えてくれたまえ」
「電話代とか大丈夫なのか?」
「そんな事を心配できる状況ではない!!」
そして2人の少女達が走り出す、九十郎が居るであろう八雲堂に向かい……いや、向かおうとして練兵館から飛び出した直後……
「桂ああああぁぁぁぁーーーーっ!!」
……2人の少女達の耳に、九十郎の叫び声が聞こえてきた。
「九十郎っ!?」
「弟分っ!?」
2人が同時に携帯電話に声をかける。
返事は無い……しかし、何か異様な喧騒が聞こえてきた。
事故だとか、人が轢かれたとか、医者を呼べとか、助け出せとか、同心を呼べとか……
「九十郎! 九十郎ぉっ!!」
「返事をしろ弟分! 頼むから返事をしてくれぇっ!!
君まで……君まで喪ってしまえば、私はどうにかなってしまう……
どうにかなってしまうではないか……」
……返事は無い。
返事をする者は……斎藤九十郎は、この時既に絶命していた。
即死だった。
治療の施しようがない、一瞬で死亡していた。
この日、2人の少女が泣いた。
1人は武田光璃、もう1人は徳河詠美。
光璃は言った、『無事でいて』と。
その日初めて、九十郎は光璃の我儘を聞かなかった、叶えなかった。
だがしかし、九十郎が裏切ったとは思わなかったし、思えなかった。
人は想像以上に簡単に死ぬものだと、死ぬ時はあっさりと死ぬものだと思い出した。
そして泣いた、だから泣いた、自分はもう2度と九十郎と触れ合う事はできないのだと。
同じ頃、1人の少女が決意した。
「徳河創雲、北条早雲……どちらでも構わん。
我が弟分に手をかけ、我が妹分を泣かせた事、必ず後悔させてやるからな。
必ず……必ずだ、覚えておくが良い……」
血が滲む程に拳を握り締め、唇を噛み締め、怒りと悲しみと絶望と憎悪の入り混じった鬼気迫る表情でそう決意した。
……
…………
………………
……そして、戦国時代。
誰もが死んだと思っていた九十郎は生きていた。
いや、大江戸学園の斎藤九十郎は確かに死んだ。
自称転生を司る神の手により、斎藤九十郎の魂が戦国時代に……正確に言うならば、別の並行世界へと送り込まれた。
今この場にいるのは大江戸学園の斎藤九十郎の記憶と人格を受け継いだ、ただの九十郎だ。
「どうしたの九十郎、さっきから何度も後ろを確認してるけど」
越後へ向かう旅路の中で、前田犬子利家がそう尋ねた。
「いや……さっきすれ違った連中の中に、ファースト幼馴染が居たような気がしてな……」
「九十郎の幼馴染さんが……?
でも確か九十郎って、未来の世界……で、生きてたんだよね?」
「ああ、あいつが戦国時代に居る訳がないんよな……
たぶん他人の空似って奴だろうと思うんだが」
九十郎の予想は当たっている。
九十郎が目撃した人物は武田光璃ではない、武田薫信廉だ。
見た目が光璃に似ているだけの人物、他人の空似である。
「九十郎の、ええと……ふぁあすと幼馴染って人、どんな人だったの?」
「唐突に道場に押しかけてきて、やれ反射炉造りたいだの、
大砲造りたいだの、スクーナー造りたいだの言いだして、
無理矢理俺を肉体労働担当として引っ張り出す糞女」
酷い言われようである。
しかし、ノリノリでサンバルカンやゴーオンジャーのポージングをやる程度には仲が良い。
名前は……武田光璃。
そんなファースト幼馴染の事を思い出し……
「そういやあいつら、あの時何の用で電話かけてきたんだろうな……
今にして思えば、何か様子がおかしかったような……」
そんな事を呟いた。