戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と九十郎第27話『九十郎死す』

「九十郎! 九十郎! 九十郎! しっかりしなさい! 帰ってきなさい!」

 

大江戸スカイタワーのヘリポートで、徳河詠美が九十郎の胸を押す。

必死の表情で、吉音との戦い、キュウビとの戦いで傷つき、疲弊した体を押して。

 

何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も……

 

そして倒れ伏す九十郎の胸に耳を当てる。

 

「……駄目!? まだ心音が聞こえない!」

 

そして再び詠美が九十郎の胸を押す、力一杯に押す……停止した九十郎の心臓を動かすために。

 

エヴァ・ヨーステンが用意した最強最悪の剣魂・キュウビとの戦いの中、ねずみ屋三姉妹を庇い、九十郎は強烈な電流を浴びた。

その時、九十郎の心臓が停止してしまったのだ。

 

キュウビを倒し、エヴァを拘束し、スカイタワーから落下した吉音と八雲が無事に救出され、ほっと一息つき……直後、ヘリポートの隅で転がっていた九十郎が地味に死に掛けている事が判明し、慌てて救命措置がとられていた。

 

「しっかりしなさい! 神道無念流を学園一にするのでしょう!?

 吉音さんとの戦いが終わっても、私の応援団長をやってくれるのでしょう!?

 学園祭では凄い事を計画しているのでしょう!?

 来年の御前試合では神道無念流の強さを学園中に知らしめるのでしょう!?

 来年も私に花火を見せてくれるのでしょう!?

 一緒に肝試しをしてくれるのでしょう!?

 また遊園地にも連れて行ってくれるのでしょう!?」

 

心臓マッサージをしながら、詠美が九十郎に呼びかける。

喉も枯らさんばかりに叫ぶ、大粒の涙が零しながら叫び続ける。

 

しかし、詠美の叫びも虚しく九十郎の心臓は止まったままだ。

少しずつ、少しずつ……しかし確実に、九十郎の体温が失われていく。

命の感触が消えていく、九十郎に死の足音が近づいてくる。

 

「お願い、お願い……戻って来て! 帰って来てぇっ!!」

 

心臓が停止して10分が過ぎたらもう助からない。

仮に助かったとしても、心停止から3分を過ぎたら脳に重大な後遺症が残ってしまう。

九十郎がキュウビの電撃を浴びてからの時間は分からないが……もしかしたら既に3分を過ぎているかもしれない、既に10分も過ぎているかもしれない。

もしかしたらこのまま死んでしまうかもしれない……

 

詠美の心は恐怖と後悔で一杯になっていた。

九十郎を喪いたくないという恐怖。

そしてキュウビと戦っている間、キュウビを倒した後、九十郎を放置してしまった事への後悔だ。

 

「死なない……で……お願い! 死なないで!

 私は……私はまだ貴方に何も言っていない! 何も伝えていない!

 私は貴方が! 貴方の……貴方の事が……」

 

詠美は懇願した。

心の底から、過去に無い程に強く強く懇願した。

そして祈った、九十郎の回復を。

 

しかし……祈りや懇願で人は治らない、人は帰らない。

 

「AEDを持ってきました!」

 

そこにねずみ屋の長女……子住結花が飛び込んでくる。

手にした機械はAED、自動体外式除細動器である。

 

「貸して!」

 

ひったくるようにして機械を受け取り、すぐさま九十郎の身体に取り付ける。

使い方は保健体育の授業で習っていた。

だがしかし、実際に使うのは初めての事であった。

 

九十郎の身体に電流が流される。

そして再び心臓マッサージ……それでも九十郎の心臓は動かない。

 

「動け……動け……動け……お願いだから動いて……」

 

祈りながら、渾身の力で九十郎の胸を押す。

しかし九十郎の心臓は動かない。

体温が急激に下がっていく……九十郎の死が近づいてくる。

 

「そん……な……」

 

詠美の心が絶望に染まりかけていた。

もう本当に駄目かもしれないと、もう二度と九十郎は目覚めないかもしれないと思い始めていた。

 

「……ごはっ」

 

……ある時、唐突に九十郎の心臓が動き始めた。

虫の息と呼べるようなか細いものではあったが、止まっていた呼吸も戻った

 

「死にかけの怪我人はここかあああぁぁぁーーーっ!!」

 

直後、薬箱を背負った刀舟斎かなうが飛び込んできた。

九十郎が死に掛けているという連絡を聞き、全速力で階段と梯子を駆け登って来たのだ。

 

かなうはすぐさま九十郎の救命措置を引き継ぐ。

 

その間、詠美はずっと九十郎の手を握り続けた。

握り続けて、祈り続けた。

 

祈りが通じたのかどうかは不明だが、幸いにして九十郎は辛うじて一命をとりとめる。

何カ所かに残った火傷痕を除けば後遺症も無く、無事に完治する。

 

心の中に消えない傷を、巨大な不発弾を、トラウマを残して……ではあるが。

 

……

 

…………

 

………………

 

エヴァ・ヨーステン事件は無事に終結し、大江戸学園に平和が戻った。

 

エヴァが立てこもった大江戸スカイタワーのエレベーターが4人乗りだったので、エレベーターで八雲、吉音、詠美、そして柳生十兵衛を送り込み、九十郎は階段と梯子でスカイタワーのヘリポートまで登るに羽目になった。

 

九十郎が剣術馬鹿のマッチョであるとはいえ、朱金真留コンビにボコられ、八雲と戦い、さらに全速力でタワーを登ったのだ。

ヘリポートでキュウビと対峙した時点で、既に九十郎の体力は尽きかけていた。

そのためキュウビとの戦いでは身体を張った肉盾要員、ねずみ屋三姉妹がキュウビの力を弱めるまでの時間稼ぎ程度の事しかできなかった。

そしてキュウビの電撃を浴び、無様に気絶した……

 

全てが終わり、病院で目覚め、事の顛末を聞いた九十郎は呟いた。

『俺、居なくても勝てたんじゃねえのかな』と。

 

詠美はそんな事は無いと言ったのだが、何度も何度も伝えたのだが、九十郎はその言葉を信じられなかった。

朱金真留コンビに負け、秋月八雲に負け、キュウビとの戦いでは無様に気絶……拭い難い敗北の記憶が九十郎の自信を粉々に打ち砕いていたからだ。

 

詠美と吉音は2人で同格の生徒大将軍に就任した。

相変わらず悪漢達が跳梁跋扈する魔境であったが、それがいつもの大江戸学園であった。

 

斎藤九十郎が長谷河平良に告白し、見事に玉砕した事、九十郎が以前程頻繁にパートタイム火付盗賊改方をやらなくなった事、そして柳生十兵衛が消息を絶った事を除けば、大江戸学園は平穏そのものであった。

 

「九十郎、学園祭の3日目、時間空いてるかしら?」

 

ある日、詠美はそう尋ねた。

普通の人にとっては何気ない会話の様に聞こえる内容であったが、詠美にとっては一大決心が必要な重要な内容であった。

詠美の心臓はバクバクと音を立てていた。

 

キュウビとの戦いの直後、九十郎が心停止で地味に死に掛けていた時、詠美はハッキリと自覚をした、自分が九十郎をどう想っているのかを。

 

しかし、詠美はまだそれを伝えていない。

次は言おう、次こそ言おうと、次こそは絶対に言おう、次が最後だと、何度も何度も先送りを繰り返して今に至っていた。

 

「ははは、暇な訳ねぇだろ馬鹿野郎」

 

詠美からの問いかけを、九十郎は爽やかな笑みで切って捨てた。

だから貴様は九十郎なのだ。

 

「忙しいの?」

 

「忙しいに決まってるだろ。

 良いか詠美、柳生十兵衛が例の一件以来消息を絶ってるのは知ってるだろ」

 

「ええ、知っているわ」

 

「つまり大江戸学園剣術指南役の座を柳生新陰流から奪取するには絶好の機会って事だ。

 しかし、我が神道無念流には強力なライバルが2つ存在する。

 北辰一刀流の玄武館、そして鏡新明智流の士学館だ」

 

「それも知っているわ」

 

「そうそして学園祭だ! もうじき学園祭が開催される!

 北辰一刀流と鏡新明智流を引き離し、神道無念流一強の時代を作る大チャンスだ!

 そこで俺は考えた、神道無念流の人気と知名度を一気に高める素晴らしい策をなぁっ!」

 

「それで忙しいって事なの?」

 

「そうだよ、既に学園祭中のスケジュールはビッシリだ、お前と遊んでいる時間は無い。

 五十嵐の妹を大江戸学園に編入させようぜプロジェクトが進行中でな、

 その辺の準備とか諸々手伝わされてて忙しい」

 

「五十嵐さんを?」

 

「そうそう、文って言ったかな。 俺は射命丸より椛派だが……まあとにかく、

 あいつ届出だの手続きだの学費だの諸々全部すっ飛ばしてこっちに来たから、

 色々と混乱があるんだよ。 本土じゃ行方不明者として捜索願が出てるんだぜ。

 正直面倒臭いが、副将軍と坦庵に頼まれたんじゃ仕方ねえ……仕方ねえんだが……

 どうも学園祭にギリギリ間に合うか間に合わないかのタイミングになりそうなんだよ」

 

「そう……」

 

それを聞いて、詠美がしゅん……と沈んでしまう。

生来生真面目な性格の彼女だ、他に用事があるのに予定を開けろとは言いにくい。

 

「後はアレだ、最近はパートタイム保健委員もやってるんだよ。

 キュウビに取り込まれてた元将軍のリハビリでな、

 長い事昏睡状態で監禁されてたせいで筋力落ちてるんだよ。

 それで学園一筋トレのやり方に詳しい俺が適任って事で駆り出されてな。

 流石の俺も病み上がりに筋トレさせるのは初めてでな、色々と苦労している」

 

クズーズ・ブート・キャンプ開催中。

 

それにしてもこの男、権力に阿る事にかけては右に出る者が居ない。

かつては酉居がギリギリ対抗できていたが、今は失脚中のため九十郎の独走状態である。

 

「思ったよりも九十郎って忙しいのね。

 最近執行部の手伝いに来てくれないから、てっきり時間があるのかと思っていたわ」

 

「学園祭を楽しみたいなら俺なんかより秋月を誘えよ、秋月八雲をさ。

 詠美もあいつの恋人なんだろう」

 

「違うわよ! 違うって何度も言っているでしょう!」

 

……瞬間、九十郎は声が聞こえた。

 

遠山朱金の声で『お前に価値は無い』と。

銭方真留の声で『貴方は屑です』と。

長谷河平良の声で『どう頑張った所で、秋月八雲には敵わない』と。

 

そして徳河詠美の声で『私が貴方ごときを好きになる訳が無い』と。

 

それが幻聴である事はすぐに分かった。

しかし九十郎は、目の前の少女は内心そう思っているに違いないと感じた。

 

「隠すな隠すな、エヴァ事件の時に何度も真夜中の逢引きしてるし、

 最近は生徒会の仕事で一緒になる事も多いじゃないか。

 美男美女カップルだって色々有名だぜ」

 

皮肉るように言うが、九十郎の心に余裕は一切無い。

今すぐ逃げ出したい気分になっていた。

 

朱金真留コンビにボコられ、秋月八雲に負け、キュウビとの戦いでは参戦直後に電撃を浴びて無様に気絶……積み重ねてきた敗北の記憶が九十郎を苛むのだ。

八雲に抱かれ、幸せそうに微笑む長谷河平良と遠山朱金の姿が、否応無く脳裏に焼き付いたその光景が、九十郎を蝕み、苦しめるのだ。

 

「逢引きって……何度か周りに隠れて会ったけれど、

 彼氏彼女の関係にはなっていないわ!」

 

「ははは、秋月みたいな超イケメンと夜中に2人きり……

 何もなかったなんて事、ある訳が無いだろ、常識で考えろ」

 

そう言った時、八雲の突きを喰らった喉元が痛んだような気がした。

どうしても脳裏に浮かんでしまう、八雲に抱かれる長谷河平良と遠山朱金の姿が。

欲しい欲しいと願いながら、自分では手が届かなかった光景が……

 

だから九十郎は思うのだ。

きっと詠美も八雲が良いと思うに違いないと。

きっと詠美も八雲が好きに決まっていると。

 

自分のような屑よりも……

 

「そんな言い方……」

 

「斎藤先輩、道場の出し物なら私と江川先輩でどうにかしますよ。

 1日くらい出し物の事は忘れて、学園祭を楽しんでも良いんじゃないですか?」

 

見かねて、一緒に買い出しに出ていた九十郎の後輩・桂が助け舟を出す。

 

「いや、だが道場主の俺が居るのと居ないのとじゃ……」

 

「斎藤先輩は詠美先輩の応援団長なんでしょう?

 それなら1日くらい詠美先輩のために時間を作りましょうよ」

 

「う……いや……」

 

九十郎は頭の中で神道無念流と詠美を天秤にかける。

普段ならば躊躇無く神道無念流を優先させる歪な天秤であるが……詠美の不安げな視線を感じ、放置したら拙いかなとか、エヴァ事件の時にずっと詠美応援団団長をやると言った手前とか、そういう様々な事が頭をよぎる。

 

「分かった、分かったよ……3日目だな、どうにか調整するよ。

 なんで俺みたいな屑を呼びつけるのか知らんがね」

 

嫌々ながら……そんな態度を隠そうともせずに、九十郎は了承した。

だから貴様はいつまで経ってもモテないのだ、だから貴様は九十郎なのだ。

 

「本当に!?」

 

「詠美の方こそ予定は空くのか? 学園祭だぞ、生徒大将軍が暇だとは思えんが」

 

「どうにかするわ! 絶対に!」

 

「そんなに心配なら、

 いつもみたいにパートタイム生徒会執行部やってあげれば良いじゃないですか」

 

再び助け船……乙級2年の桂さんは空気が読める良い子なのだ。

 

「はいはい、分かったよ……詠美、仕事が忙しいなら連絡しろ、

 助っ人ぐらいならやってやるから」

 

「分かったわ。 頼りに……頼りにするわよ、本当に。

 ああそれと、この間借りたDVD、全部見たから今度返すわ」

 

「見たか、どうだったシンケンジャーは?」

 

侍戦隊シンケンジャー……5人の侍と寿司屋が外道衆なる悪霊的存在と戦う、かつて光璃や九十郎が毎週欠かさず見ていた子供番組の名前である。

将軍に何を見せているのだろうか、この男は。

 

「オープニングは良かったわ」

 

サイキックラバーの楽曲は詠美の琴線に触れたらしい。

 

「中身は?」

 

「……ゴーオンジャーよりは楽しめたわね」

 

「解せぬ」

 

炎神戦隊ゴーオンジャー……7人の人間と12の炎神達が比喩表現でなく力を合わせ、地球を汚す悪い奴らを退治する番組、斎藤九十郎イチオシのスーパー戦隊である。

将軍に何を見せているのだろうか、この男は。

 

「まあ良い、今度はゴセイジャーを持って詠美の家に行こう。

 シンケンジャーはその時に返してくれ」

 

天装戦隊ゴセイジャー……5人の天使とグランディオンヘッダーが飛田展男を4回やっつける番組である。

将軍になんつうもんを見せようとしているのだろうか、この男は。

 

そして九十郎と桂が詠美に別れを告げ、買い出しに戻る。

 

詠美はそれを見送り、ウキウキとした気分で……ではなく、少し憂鬱そうに城に戻ろうとする。

 

「やっぱり、壁を作られている感じがするわね……」

 

そう、呟いた。

エヴァ事件が起きる前と起きた後で、九十郎の態度が僅かに変わっているような気がした。

 

会って話をしている時は、前と同じ態度のように見えた……まるで無理をして演技をしているかのような、節々のぎこちなさを除けばであるが。

 

顔を合わせる回数が明らかに減った。

まるで避けられているかのように。

 

そして詠美は秋月八雲と付き合っていると言う。

何度否定しても、何度否定しても、話を聞こうとしてくれない。

まるでそう思い込もうとしているかのように。

 

「今度の学園祭で、その辺をどうにかできれば良いのだけれ……ど……」

 

そこで、物陰に隠れながら詠美を覗き込む徳河吉音の姿に気がつく、そして目が合う。

 

「ご、ごほん!」

 

多少赤面しながらも、大きく一回咳払いをする。

人目を気にせず浮かれすぎたと、自己嫌悪をしながら吉音の下へと歩みを進める。

 

「……吉音さん、仕事はどうしたのかしら?」

 

「だってほら、詠美ちゃんと九十郎の仲、

 エヴァとキュウビの事件があってから全然進展してないじゃん。

 あたしとしてはちょ~っとだけ心配かなって」

 

「嘘おっしゃい! 野次馬根性の癖して!」

 

「ありゃ、やっぱバレてた?」

 

「バレるに決まってるでしょうが!」

 

そして気がつく、八雲堂の店主、秋月八雲も苦笑しながらこちらを見ている事にも。

 

「八雲、何か用かしら?」

 

言葉に棘があった。

自分の苦労の何割かが八雲のせいなのではと……そんな八つ当たりじみた感情があった。

 

「いや、たまたま目に入ったというか……普通に接客してただけと言うか……」

 

「うぐ……」

 

ぐうの音も出ない反論だった。

 

八雲堂は秋月八雲が経営している茶店だ。

いくらなんでも八雲堂で接客していたのを咎める訳にもいかない。

どちらかと言えば咎められるべきは、路上であんな事をしていた自分の方だと、詠美は少し反省する。

 

「他人の恋愛をどうこう言って、吉音さんは随分と暇のようね」

 

「あたしは良いんだよ、八雲と毎日毎日いちゃいちゃラブラブって感じで……感じで……

 いけたら良かったんだけどね。 ゴメン、正直将軍のお仕事ナメてたかも。

 ここしばらく八雲と一緒の時間全然少ないよ……八雲分欠乏症になっちゃうよぉ……」

 

「はぁ……それでこんな所でサボってたのね……」

 

「そういう事」

 

「えばって言うんじゃありませんっ!!」

 

「それでさ、詠美ちゃんもう告白はしたの?」

 

「まだよ、まだ……」

 

九十郎は、詠美と八雲が彼氏彼女の……いや、男と女の関係になっていると思い込んでいた。

詠美が何度否定しても、まるで聞く耳をもたない。

 

だから詠美は伝えられないのだ、己の本心を。

 

「詠美ちゃん可愛いからさ、九十郎もきっと喜んでOKすると思うけど」

 

「誰のせいでこんな苦労をしていると思っているのよ、誰のせいで……」

 

詠美が吉音に食って掛かろうとしたその時……

 

「そういえば昨日さ、執行室でおもちゃのロボット拾ったんだけど、

 詠美ちゃん誰のか分からないかな? 一昨日遅くまでお仕事してたでしょ」

 

「……え?」

 

瞬間、詠美が硬直する。

 

「なんていう名前だったかな、あたしが子供の頃に見てた番組の……

 シュリケンジャー? じゃなくて、ハリケンジャーだったっけ?」

 

忍風戦隊ハリケンジャー……地球忍者と宇宙忍者の血で血を洗う抗争を描いた子供番組の名前である。

カクレンジャーやニンニンジャーと混同する人が後を絶たない。

 

「俺に聞かれてもなあ……」

 

八雲はその辺の知識が乏しい様子だ。

 

そして……詠美の脳裏に電流が迸る。

思い出したのだ、ゲキアツダイオー……6人の忍者が凄い勢いでカッ飛んでいく姿がツボに嵌り、ついつい手が伸びてしまった事を。

 

一昨日はうっかり鞄の中に入れたまま、執行部室に来てしまった事を。

咄嗟に執行部室の奥の棚に押し込み……回収するのを忘れていた事を。

 

「……詠美ちゃん? どうしたの、顔が青いよ」

 

「べ、別になんでもないわ。 それよりも吉音さん!

 貴女こそ執行室に持ち込んだガンダムは片づけたの」

 

詠美は全力で話題を逸らそうとした。

 

「詠美ちゃん、あれはガンダムじゃないよ、ダブルオーライザーだよ。

 GNソードⅢ装備の最終決戦仕様の」

 

「違いが分からないわ」

 

「ダブルオーライザー飾ってると元気出てこない?

 元気貰えると言うか、勇気が湧いてくると言うか、ガンバルゾーって気分になると言うか」

 

「ならないわ、全く」

 

詠美はばっさり切り捨てた。

 

「詠美ちゃん詠美ちゃん、エクシアが好き?

 ライザーが好き? それとも……ク・ア・ン・タ?」

 

「どれがどれでも同じじゃないの」

 

「あたしはやっぱエクシアかなぁ。 ライザーもクアンタも大好きだけど」

 

「正直どうでも良いわ」

 

「俺がガンダムだっ!!」

 

吉音が唐突に刹那・F・セイエイの声真似を始める。

吉音の声は榊原ゆい似なので、声優・宮野真守の声を出すのは相当無理がある。

 

「意味が分からないわ」

 

「俺達がガンダムだっ!!」

 

「勝手に巻き込まないで貰えないかしら」

 

「共に歩む気は無いと……分かり合う気は無いのか!?」

 

「無いわ」

 

「これがラスト・ミッション! 人類の存亡を賭けた対話を開始するっ!!」

 

「その前に私と対話してほしいのだけれども」

 

「詠美ちゃんってどのシリーズが好き?

 あたしはやっぱりOOだけど、Xも捨てがたい……」

 

「……ちょっと前にムービー大戦に出てたのかしら?」

 

詠美が思い浮かべているのはガンダムではなく深海開発用カイゾーグである。目が2つあってアンテナが付いていれば何でもガンダムと言い張れるため、詠美が思い浮かべるXをガンダムだと言い張る事も不可能ではないが……サテライト・キャノンもビームソードもハモニカ砲も付いていない事は確かだ。

 

「おお、詠美ちゃんX分かるんだ!? 恰好良いよね」

 

「まあ、それは同意しなくもないわ。 本編は見た事ないのだけど」

 

「それは勿体無いよ、Xはストーリーも凄いんだからさ」

 

そして吉音は認識のズレに気づきもせずに話を続けようとする。

 

しかし、この時詠美は気がついた、ゲキアツダイオーを持ち込んだのが自分だとバレたら、今自分が吉音に向けているのと同じ視線が浴びせられるのではなかろうかと。

 

「ごめんなさい、急に用事を思い出したから、失礼させてもらうわ。

 吉音さん、サボりも程々にしておくのよ」

 

「はぁい……もうちょっとしたらあたしも執行部に行くから、待っててね詠美ちゃん。

 Xの話もその時にって事で……そうそう、Xって映画にも出てたんだね。

 知らなかったよ、今度どんな映画だったか教えてね」

 

へらへらと笑いながら、ひらひらと手を振って見送る吉音を尻目に、詠美は大江戸城、執行部室……置き忘れたゲキアツダイオーがあるであろう場所へと急ぐ。

なお、映画に出ていたのはカイゾーグの方であって、ガンダムではない。

 

いずれにせよ、最近できた新しい趣味を誰かに知られる前に、何としても回収しなければ……そんな事を考え、詠美は走り出そうとした。

 

……その時である。

 

 

 

 

 

「桂ああああぁぁぁぁーーーーっ!!」

 

 

 

 

 

……その時、詠美は異様な叫び声を聞いた。

慣れ親しんだ九十郎の声であったが、今まで聞いてきたどの声とも違っていた。

 

詠美は嫌な予感がした、猛烈に嫌な予感がした、背筋が凍るような思いをした。

 

「……九十郎?」

 

詠美が振り向く。

視界に入ってくるのは、携帯電話を放り投げて走る九十郎の姿、その少し先に九十郎の後輩・桂、そして……猛スピードで走るトラック。

 

「あ……」

 

そんな光景を前に詠美は何もできなかった。

指一本動かせず、声一つ発せられなかった。

 

「危ない! 逃げて!」

 

吉音が叫ぶ、そして走り出す。

四六時中学園島内を忙しなく走り回り、常人離れした体力を有する吉音であったが、桂と九十郎が居る場所までは遠く、暴走するトラックは余りにも速い。

追いつけない、間に合わない、どうしようもない。

 

そして……九十郎が潰れた。

 

バッファローマンのような体格のマッチョが、トラックとぶつかり2つに千切れ飛んだ。

内臓が飛び散り、首も腕もあらぬ方向に折れ曲がり、腰から下がタイヤの下敷きになった。

誰がどうみても即死だった。

 

「う……そ……? こんな……あ……あぁ……」

 

詠美はそれを、呆然と眺める事しかできなかった。

 

「な……何も無い空間から……トラックが出てきた……」

 

トラックと衝突する寸前、九十郎が全力で突き飛ばしたため、ねずみ屋の扉に頭から勢い良く突っ込んだ桂が、そう言って気絶した。

 

この日、2人の少女が泣いた。

1人は武田光璃、もう1人は徳河詠美。

 

 


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