戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と九十郎第23話『約束』

山を飛び谷を越え、途中4回程落ち武者狩りの連中とチャンバラをして、犬子と粉雪と虎松と九十郎の一行は、誰一人欠ける事無く目的地へと辿り着いた。

甲斐の国、武田晴信の本拠地である躑躅ヶ崎館が見えた瞬間、門番が顔色を変えた。

そして血相を変えながら館の中へと駆けていき……

 

「粉雪様ご帰還!! 山県粉雪昌景様、ご帰還です!!」

 

そんな叫び声をあげた。

途端に館中が蜂の巣をつついたかのような騒ぎになった。

 

そして……

 

「ここちゃん!! 良かった! 本当に……本当に良かった……」

 

大粒の涙をぽろぽろと零しながら、力一杯に粉雪を抱きしめる戦友、内藤心昌秀を見つめながら、粉雪は思った。

 

……ああ、この旅もこれで終わりなのかと。

 

「ああ……今、戻ったぜ……」

 

1人、また1人と傷つき、倒れていく部下達。

倒しても倒しても、逃げても逃げても追いかけてくる追手の姿。

決死の防戦、地獄の敗走劇が始まった時は、一日も早く、一刻も早く甲斐に戻りたい、主君や戦友達と会いまみえたいと願っていた筈なのに、粉雪は今、旅の終わりを落胆していた。

 

「さぁて、俺達の出番はここまでかな。 じゃあな粉雪、お前との旅路、悪くなかったぜ」

 

「粉雪さん、元気でね」

 

「粉雪、マタ会オウナ」

 

親友同士の涙の再開を背に、犬子と九十郎が立ち去る……しれっとついて来ようとしている虎松を撒く為、全速力で立ち去ろうとする。

虎松はダッシュで逃げた程度でどうにかできるような存在ではないが。

 

粉雪は咄嗟に九十郎の袖を握り絞め、去るのを引き留めた。

 

「……どうした粉雪、まだ何かあるのか?」

 

「その……何だ……ええと……」

 

粉雪は自分が何故九十郎を引き留めたのか、理解できなかった。

いや……理解はできていたが、その願望を行動に移してしまった自分に驚いていた。

 

「あのっ! こなちゃんをここまで送ってくれた方ですか? すぐに宿を手配します。

 是非とも御礼を致したいので、今日はこちらで休んでいってください!」

 

そんな粉雪の心情を察したのか、心もまた九十郎達を引き留めにかかる。

 

「悪いが断る、路銀も食料も正直心もとないんだ。

 急いで目的地に向かわないと途中で野垂れ死にしかねん」

 

……が、九十郎はバッサリと切り捨てる。

 

武田四天王にして、天下の副将と謳われる内藤昌秀の歓待に興味が無いと言えば嘘になる。

しかし、九十郎はこれから上杉謙信に……武田と敵対関係にある大名に士官を乞うつもりなのだ。

下手に武田家中の者と親密になれば士官を断られる危険が生じるし、情が湧けば、戦う事になった時にやり難くなってしまう。

 

それなら最初から粉雪を助けるなよと言いたくなるかもしれないが、助けた時点ではそこまで考えが至っていなかった。

 

「御礼……そうだ。御礼がしたいからさ。 今夜は泊まってくれないか?」

 

粉雪は自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。

胸がドキドキと高鳴っていくのも分かった。

断られたらどうしようとか、嫌われたらどうしようとか、呆れられたらどうしようとか、そういった事が次から次へと浮かんできた。

 

「いや、だから泊まれって言われてもな……用心棒の謝礼なら十分受け取ったし……」

 

正直これ以上関わって情が湧くのも困るし……と、九十郎は心の中で付け加えた。

 

「命救って貰って紙切れ一枚じゃこっちの気がすまないんだよ!

 良いからこっちを助けると思って! なぁ、頼むぜ!」

 

「うぅ……おい犬子、何とか言ってくれないか」

 

「良いんじゃないの? もうすぐ日が暮れるし、出発は明日にしても」

 

「宿代がな……」

 

「一晩や二晩の宿代位なら、こちらで持ちますよ」

 

九十郎がどうしたものかと犬子に視線を向ける。

 

「そうだね……今日はお世話になったら?

もう昼過ぎだし、今から出発したら山の中で夜を過ごすことになりそうだよ」

 

「む……」

 

九十郎が空を見上げる……太陽は西の空に輝き、あと3~4時間もすれば沈みそうな角度だ。

 

「それもそうなんだが……」

 

「良し! 決まりだな! 決まりなんだぜ! 決まりって事で良いな!

 あたいはすぐに報告したり報告されたり当面の指示をだしたりするから、

 ちょっと待っててくれ! どんなに遅くとも日没までには戻るからな!!」

 

「お、おう……」

 

それでもなお悩み渋る九十郎を、粉雪は勢いで押し切った。

粉雪は自分の胸が高鳴っているのを感じていた、心が躍っているのも分かった。

 

「ここ! 悪いけど宿の手配を頼むぜ!」

 

それだけ言い残し、粉雪は主君・武田晴信の下へ走り出す。

 

この日、この時、粉雪はハッキリと自覚した。

自分は今、恋をしていると。

自分は今、一日でも、一刻でも長く、九十郎の傍に居たいと。

九十郎の声を聞き、顔を見て、臭いを嗅ぎ、できる事なら体温を感じたいと。

 

……自分は九十郎を好きになっているのだと。

 

……

 

…………

 

………………

 

……その日の晩。

 

内藤心昌秀が手配した宿の廊下を、一人のマッチョメンが歩いていた。

髪はしっとりと濡れ、湯気と石鹸の匂いを漂わせ……手には土と返り血がへばり着いたスコップが握られていた。

 

「いやぁ食った食った……まさか内藤昌秀が料理上手だったとは見抜けなかった、

この九十郎の目をもってしても。

それにまさか内藤昌秀のサインまで貰えるとは、今日の俺は運が良いな」

 

徳川四天王は2人しか覚えていないのに、武田四天王は全員覚えている男、九十郎。

日本史に疎いこの男が武田四天王を名を覚えたのには深い訳が……無い、全く無い。

単にこの男がファースト幼馴染と呼ぶ少女が、武田四天王の大ファンだっただけである。

 

一番最後まで歓待を受けるのに難色を示していた九十郎だったが、一番バクバクと食いまくったのも九十郎だ。

隣に座っていた虎松の料理を容赦無く強奪しながら……食い意地の張った男である。

 

「屋根と壁だけあれば上等だと思ってたが、まさか風呂まで用意してくれるとはな……」

 

そんな独り言を呟きながら、九十郎は用意された部屋の襖をがらっと開く。

 

「ありゃ……粉雪? なんでお前までこの部屋に?」

 

一人部屋と聞いていた、部屋に敷かれていた布団の数も一人分、それなのに何故か粉雪が部屋で待っていたのだ。

 

「ああ、いや、その……」

 

「さっき飯食った時、あんまり元気無かったな」

 

「ああ……あたいの部下達、無事戻ってこれたのは半数未満だったよ。

 残りは消息が分からなかったり、酷い怪我で……」

 

「そう……か……」

 

それなのに九十郎の下へ行くとき、九十郎が来るのを待っていた時、心臓を高鳴らせていた自分が少し嫌になっていた。

 

「ちょっと……ちょっと飲まないか……ぜ?」

 

「うん? まあ、そうだな……さっきは唇を湿らす程度にしか飲んでないが……

 是か非かで問われたなら、是と答えようか」

 

九十郎にとって顔も知らぬ、声も知らぬ赤備え達の死はそれほど心が痛まない。

非情な男である。

 

「と言うかお前、妙に薄着だな。 そんな恰好で寝たら風邪ひくぞ」

 

しかし九十郎は、目の前に居る女性が風邪をひくのは心を痛める。

 

知ったからだ。

粉雪という名の少女の顔を、声を、何を喜び、何を悲しみ、どんな食べ物を好み、どんな時に怒るのかを知ったからだ。

 

だから九十郎は懸念する……長篠を、山県昌景が死ぬ戦いを。

 

「あたいなら大丈夫だぜ。 医者が驚いていたよ、完璧に手当てがされてるってさ。

 手当てが早かったから、怪我の治りも早いだろうって」

 

「そうか? あんなのはただの応急措置、素人のなんちゃって医学だぞ。

 あれで完璧なら、刀舟斎は完璧・無量大数軍だ。

 刀舟斎が完璧・無量大数軍なら異名は何になるんだろうか……

 『完治』? いや『完傘』? いっそ『完チビ』? 『完乳』はねーな」

 

『完屑』の九十郎がぶつぶつと独り言を言う。

完璧・無量大数軍と書いて、パーフェクト・ラージナンバーズと読む。

当然、戦国時代の人間である粉雪にとっては理解不能な単語である。

 

そんな訳の分からない事を言う九十郎に……

 

「惚れた……って、言ったら信じるか?」

 

粉雪はそう告げた。

 

「うん? 誰が誰に惚れたって?」

 

「あたいが……あたいがその、九十郎に……」

 

粉雪は視線を泳がせ、小さな声でそう告げる。

 

「ははは、信じる訳ねぇだろ、俺のどこに惚れる要素があるんだよ」

 

粉雪の告白を九十郎が笑い飛ばす。

 

自分は醜男のマッチョマンで、利己的で知恵の浅い屑、取柄と言えば神道無念流位……山県昌景のような歴史上の偉人が、価値のある女が惚れる筈がないと。

 

「色々考えたんだけどな、あたいって誰かを守った事は結構あるけど、

 だれかに守られた事ってあんまなくてさ……

 姉上は居たけど、あまり話はしなかったし、何の相談も無しに謀反を起こすし……」

 

「1度や2度守った程度で女が男に惚れるものかよ、どんなチョロインだ」

 

「あたいって、魅力……無いか?」

 

卑怯な聞き方だと、粉雪は思った。

面と向かって魅力が無いかと聞かれて、はい貴女には魅力がありませんと答えられる人間がどれ程居るだろうかと。

 

「もうちょっと胸がでかければな……」

 

……だから貴様は九十郎なのだ。

 

「もう少し控えめな胸にも優しさを分けてくれなんだぜ」

 

「知らんのか粉雪、でっぱいには……」

 

「夢と希望だろ。 そんでちっぱいには嘆きと絶望」

 

「ありゃ? 俺この台詞粉雪に言った事あったかな……」

 

「へ……」

 

そう言われて、粉雪は自分が九十郎の台詞を聞いた場面を思い出し……あの日見た光景も、翌日の晩に見た淫夢も思い出し……

 

「いいいい、いやいやいやいや!! ななな何でも良いんだぜ!!

 気にすんなぜぇっ!!」

 

「……お、おう」

 

顔を真っ赤にしてガクガクと九十郎の首を前後に揺さぶる。

脳裏に浮かぶのは犬子と九十郎の情事だ。

 

「……話を元に戻そうぜ」

 

「お、おう」

 

たっぷり10分は混乱した挙句、粉雪は肩で息をしながらそう提案する。

 

「……で、俺達何の話してたっけ?」

 

「忘れんなだぜ! あたいが九十郎に惚れてるって話だよ!」

 

「ははは、ナイスジョーク。 山県昌景が俺なんぞに惚れる訳がないだろ」

 

「山県昌景は関係ないだろ」

 

「あるんだよ、俺にとっては非常に重要な事なんだよ。

 山県昌景は……何と言うか、結構重い名前なんだ」

 

……山県昌景みたいな歴史上の偉人が、武田を支えた猛将が、俺のような屑を好きになる筈がない。

山県昌景のような価値のある女が、自分のような価値の無い男に惚れる筈がない。

 

九十郎は相変わらず、恋愛方面ではひたすらネガティブであった。

 

「なら……ならさ! 甲斐に残っちゃくれないか?

 今回の一件で人手不足なんだ、九十郎と犬子みたいに、

 腕が立って信用できる奴が一人でも多く欲しいんだ! だから……」

 

「悪いが断る」

 

「九十郎達、浪人なんだろ? 仕官先を探して旅をしてるって、だから……

 だから、さ……ああそうだ、待遇ならあたいが保証するぜ、織田に仕えてた頃よりも……」

 

「もう一度言う、断る」

 

……取りつく島が無かった。

 

冗談じゃない、沈むと分かり切っている船に乗せられてたまるか。

武田は長篠で大敗して滅ぼされるんだぞ、そんなのに巻き込まれたくねえよ。

九十郎はそんな事を考えている。

 

そして同時に……粉雪に死んでほしくないよなとも、思っていた。

案外女々しい男である。

 

「粉雪は……」

 

……粉雪は武田から離れる気は無いのかと続けようとした。

しかし、九十郎は最後まで言葉を続けられなかった。

 

山県昌景が……飯富虎昌が謀反した時も、自らは武田信玄への忠義を捨てなかった武田の柱石が、そう簡単に武田を捨てる筈が無かった。

そして九十郎は、粉雪に武田から離れてほしい理由を説明する事もできなかった。

 

「死んだら本気で悲しくなるだろうなって程度には、俺は粉雪を気に入ってるぞ」

 

……結局、九十郎はそれを伝えるのが限界だ。

 

「なら……なら、もう少しだけ……もう少しだけで良いから、傍に……」

 

ああ、女々しいな……そう思いながら、粉雪は九十郎に傍にいてほしかった。

そう願わずにはいられなかった。

 

「……悪いが断る」

 

……だがしかし、九十郎は頑なだった。

 

犬子よりも先に粉雪と出会ったならば、九十郎が身軽な身であったならば、あるいは粉雪の望みに応じていたかもしれない。

武田の滅亡という未来を覆すべく、全力で抗っていたかもしれない。

 

だがしかし、今の九十郎には犬子がいる。

失敗すれば自分だけではなく、犬子も死ぬ……それが九十郎を慎重に、臆病にしていた。

 

「そう……か……」

 

粉雪は俯いた。

俯いて、何も言えなくなった。

少女の瞳には、涙が浮かんでいた。

 

……九十郎にはマジックワードがある。

 

どんなに嫌がっていても、あっという間に言う事を聞かせるマジックワードが。

九十郎のファースト幼馴染はそれを知っている、知っての上で利用している。

そして手伝わせた、反射炉造りも、スクーナーも、パン焼き窯も。

 

粉雪がもし、九十郎のマジックワードを知っていたのなら、それを口にしていたのなら、九十郎は二つ返事で甲斐に残っていただろう。

 

そんな九十郎のマジックワードが判明するのは、もう少し後の事である。

 

……

 

…………

 

………………

 

そして翌朝。

 

「じゃあ今度こそお別れだ、元気でな粉雪」

 

「また会いましょうね、粉雪さん」

 

「ああ、またな」

 

言葉とは裏腹に、できれば再会したくないなと2人は思っていた。

 

これから長尾景虎に……粉雪の主君、武田晴信と血で血を洗う抗争を続けている者と会い、士官を願い出るつもりなのだ。

再び会う事があるとすれば……たぶん戦場だ。

 

「粉雪」

 

「ああ、何だぜ?」

 

名前を呼ばれただけで、粉雪は自分の顔がぱぁっと明るくなるのが分かった。

暗く重い心が急に軽くなる気分になった。

現金な奴だな……と、粉雪は少し自己嫌悪をした。

 

「粉雪が危なくなったら、その時は助けに行く……約束する」

 

九十郎は唐突にそう告げた。

脳裏に浮かぶ光景は、前の生で見た歴史物のドラマ……長篠の戦いで、織田の鉄砲隊に射殺される山県昌景の姿だ。

九十郎の記憶が正しければ、その時織田の鉄砲隊を指揮していたのは前田利家だ。

 

粉雪が全身に銃弾を受け、倒れ伏す姿を想像し……九十郎は暗い気分になった。

 

「武田に仕官する気は無いがな、それでも粉雪がヤバいって思ったら助けに行くさ。

 一回助けて後は放置ってのは後味が良くねえし……

 まあアレだ、アフターサービスって奴だな」

 

この男は、放置すると死にそうな奴には案外有情である。

会った事の無い武田晴信や他の四天王に関しては、迷わず成仏してくれとか考えているが。

 

「あふたぁさぁびすってのは良く分からねえけど……でも、ありがとな。

 心強いし、嬉しいぜ」

 

九十郎の心中を知らず、史実における山県昌景の末路も知らず、粉雪は嬉しそうにはにかんだ。

現金だなぁとは思ったが、にやける口元を留める事はできなかった。

 

「それと、こいつはお前にやるよ」

 

九十郎がそう言って、粉雪の頭に何かを被せた。

 

「こ、これ……何だぜ?」

 

「魔理沙っぽい帽子、夜番をしている間暇だったから、作ってたんだ。

 お前に似合うかもなって」

 

自分のために用意した……ただそれだけの事なのに、粉雪は飛び上がりそうになる程に嬉しかった。

世間一般に人々にとって、魔理沙っぽい帽子は奇怪な形状の頭巾でしかないが、粉雪にとっては何よりも嬉しくて、尊くて誇らしい『特別』である。

 

「だ、大事に……する……ぜ……」

 

気が付けば粉雪は、涙を零していた。

緩む頬を引き締める事はできなかった……消えると思っていた繋がりが、惚れた男との繋がりが途絶えなかった事が嬉しかったのだ。

 

「約束だぜ……本当に約束して良いんだな?

 あたいが危なくなったら助けに来てくれるんだな?」

 

「ああ約束だ、必ず助けに行くよ」

 

そう言って九十郎は帽子ごと粉雪の頭を撫でる。

粉雪の方が年上なのだが……それを気にする者は誰もいなかった。

 

「じゃあ、元気でな粉雪」

 

「ああ、またな……また会おうぜ、九十郎」

 

そして歩き出す、犬子と九十郎が。

今度は誰も引き留めない、そのまま立ち去る。

 

その2人の姿を、粉雪はいつまでも見送り続ける……

 

「九十郎、そんな事約束しちゃって大丈夫なの? 犬子達ってこれから……」

 

犬子と九十郎は、これから武田と血みどろの抗争を繰り広げている長尾に仕官するつもりだ。

 

「どうにかなるだろ」

 

九十郎はノープランだ。

ノープランだが、長篠の戦い……織田と武田が戦い、武田が惨敗し、山県昌景が死ぬ戦いが起こりそうになったら、どんな手を使ってでも粉雪一人は助け出すつもりであった。

 

「まあ犬子としては九十郎のそういう所も含めて好きになったんだからさ。

 その時は手伝うよ、もちろん」

 

「ありがとな犬子、悪いが頼りにさせてもらう」

 

そして2人は旅を続ける。

長尾景虎の居る越後へと……

 

その頃、虎松は躑躅ヶ崎館の片隅に首から下を埋められていた。

後頭部には涙目のルカのようなスコップ型のへこみ……下手人は九十郎である。

虎松は殴って埋めた程度でどうにかできるような存在ではないので、九十郎の涙ぐましい努力は単なる徒労に終わるのだが……まあ、いつもの事である。

 

 

 

 

 

去りゆく犬子と九十郎を見送りながら粉雪は思った、犬子が羨ましいと。

 

粉雪は気づいていない、犬子と粉雪の立場は似通っている事を。

犬子も気づいていない、犬子と粉雪の立場は似通っている事を。

 

山県昌景だから助けた、山県昌景だから愛せない、ただの粉雪とは思えない。

前田利家だから助けた、前田利家だから愛せない、ただの犬子とは思えない。

 

犬子と九十郎は何度も何度も体を重ねているが、その度に九十郎の心に何か黒いものが積み重なり、のしかかってきている事にも気づいていない。

秋月八雲によって作られ、新田剣丞によって抉られる九十郎のトラウマにも気づいていない。

自分のような屑が前田利家に愛されるはずがないと思っている事にも気づいていない。

 

犬子がそれに気づくのは、九十郎の爆弾が派手に爆発した後の事である。

 


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