戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と九十郎第22話『狩りの時間』

ある日、小さな小さな……名前すらも定かでない小さな村で、一人の子供が行方不明になった。

戦国時代では良くある事だ。

 

その子の家族、その子の親戚が探したが、見つからなかった。

戦国時代では良くある事だ。

 

その日の晩……紅い髪の鬼が出た。

 

「何ヲシテイル」

 

冷たく濁ったその瞳が見つめる先に、近くの村で行方を眩ました子供と、一匹の蜘蛛が居た。

ただし子供は気絶をして、大蛇のような太さの異様な糸で全身を縛られていた。

蜘蛛は人間よりも大きく、まるで牛か馬のような体格をしていた。

そして虎に似た顔をしていた、巨大で鋭い牙を持っていた。

 

その蜘蛛は化外の存在であった。

 

「駄目ダ、化外、人襲ウ、人喰ウ、駄目ダ」

 

直後、巨大な蜘蛛が糸を吹き付けた。

紅い鬼の両腕に、両足に、胴体をあっという間にグルグル巻きにして……燃えた。

紅い鬼の全身から炎が噴き出て、蜘蛛の糸を瞬時に焼き尽くし、燃えカスに変えてしまった。

 

「オレ、鬼ノ子、オレノ方、強イ。 諦メロ、ソノ子置イテ、ドコカヘ行ケ」

 

直後、巨大な蜘蛛が牙を剥いた。

蜘蛛が紅い鬼に飛び掛かり、刃物の様に鋭く尖った牙を右腕に食い込ませた。

皮膚が切り裂かれ、肉に食い込み、血管が切断され、周囲に夥しい量の血が飛び散った。

 

「モウ一度言ウ……」

 

紅い鬼が蜘蛛の顔面を掴み、ギリギリと握り、締め上げる。

ミシリミシリと蜘蛛の頭がひしゃげ、苦悶の声と共に牙が鬼の腕から離れた。

 

そして……

 

「ドコカヘ……行ケェッ!!」

 

……そして蜘蛛が吹き飛んだ。

まるでホームランボールの様に巨大な蜘蛛が空中に射出されて、そのまま遥か彼方へと落下していった。

 

紅い鬼はそれを見届けると、子供を……正確には、子供を縛り上げる蜘蛛の糸を睨みつけた。

子供の身体がひとりでに浮き上がり、ぶちり、ぶちりと、糸が切断されていく。

 

「起キロ」

 

紅い鬼の瞳が虹色に輝く。

深く深く……まるで泥のように眠っていた子供が、ゆっくりと目を開く。

紅い鬼と目が合った瞬間、その目をカッと開き、まるでマネキン人形のように全身を硬直させる。

 

「オ前、家、ドコダ?」

 

子供がぶつぶつとうわ言を呟く。

紅い鬼がそれを聞き……安堵の息を漏らす。

 

「全部忘レロ、家ニ帰レ」

 

子供は虚ろな目で、まるで夢遊病患者のようにふらつきながら、

自分が住んでいる村がある方向に歩き始めた。

 

紅い髪の鬼は子供が視界から消えるまで見送ると、ふうっとため息をついた。

 

「人ハ人、化外ハ化外……人ノ世、良クナル、人ノオ陰。 人ノ世、悪クナル、人ノセイ。

 化外、関ワル、イケナイ。 人、化外、悪役ニスル、人ノ世、悪イノ、化外ノセイニスル」

 

鬼の髪が白くなる。 

鬼の肌が青白く、張りが失せていく。

まるで風船が萎んでいくかのように、まるで植物が枯れていくかのように、鬼の発する異様な迫力が、生命の迸りが消えていく。

 

やがて鬼は、ガリガリに痩せた白髪の幼女……虎松になった。

 

「間ニアッタ、良カッタ……化外、人殺ス、良クナイ。

 人ニトッテモ、化外ニトッテモ、良クナイ。

 人ノ世ニ化外、必要無イ、化外ニ人、必要無イ……コレデ良イ、コレデ……」

 

ふらぁ……と、虎松の身体がよろめいた。

念動力と、発火能力、それに催眠術……超能力を使った事で、ただでさえ弱っていた身体にさらに負担が生じてしまったのだ。

 

虎松は鬼子だ。

半分は鬼であるが故に、常人を遥かに超える身体能力と、数々の超能力を備えている……しかし半分は人で、肉体を持ち、物理法則に囚われる存在であるが故に、エネルギーを使った分だけ食べなければいけないのだ。

 

「ウゥ……腹減ッタ……半分人、腹減ル、不便……」

 

ぐうぅ……と、虎松の腹が鳴った。

失われたエネルギーを取り戻すため、虎松の身体が栄養を欲していた。

 

半分は鬼であるが故に、物理法則を踏み越え、超常現象を引き起こすことができる。

半分は人であるが故に、物理法則に囚われ、生命活動を維持するために食事や睡眠を必要とする。

 

九十郎達に遠慮をして、虎松は生存できるギリギリの量しか食べていないのだ。

 

……

 

…………

 

………………

 

「狩るぞ」

 

次の日の朝、九十郎は唐突にそんな事を言い出した。

 

「狩るって……何をなんだぜ?」

 

粉雪がそう尋ねる。

 

「食材だよ、食材。 甲斐にたどり着くまでギリギリ保つと思ってたが、

 虎松がバカスカ食いまくるからたぶん足りなくなる」

 

虎松は目を逸らした。

普段以上に血色が悪く、目の下に隈まであるのは、昨晩寝床から抜け出し野生の土蜘蛛と戦っていたからだ。

数々の超能力を有する鬼子でも、人智を超えた怪異を相手に戦えば、無傷では済まない。

そして受けた傷を急速に治癒させるのにも、超能力を行使するのにも、多大な気力と体力とカロリーを消耗させてしまうのである。

 

「正直な所、この糞餓鬼を放り出して3人で旅を続ける方が楽だし、

 追手の事を考えると余計な事をしている暇に少しでも距離を稼ぎたいんだが……」

 

「まあまあ、その分犬子が頑張って色々獲ってくるからさ」

 

「そういう訳で不本意ながら……

 本当に不本意ながら虎松を放り出すのは最後の手段にする。

 悪いが何日か到着が遅くなるぞ」

 

最後の手段とか言っているが、九十郎は隙あらば虎松を放り出そうと虎視眈々と機会を窺っている。

 

薄情な男である。

 

「分かった、あたいも手伝うぜ」

 

「傷の方は大丈夫なのか?」

 

「まだ完全とは言えねえけど……獣仕留める位はどうにかするぜ。

 働かざる者食うべからずって昔から言うだろ」

 

「ああ、言うな」

 

九十郎が現状何の役にも立っていない虎松に視線を向ける。

 

「クズロー、ゴメン……オレ、人ヨリ、早ク腹減ル……」

 

正確に言うならば、『超能力を使うと腹が減る』なのだが、虎松は舌足らずなため、九十郎はただの食い盛りだと判断した。

 

「ごめんと思ってるならナチュラルに俺を屑呼ばわりするのやめろ」

 

「クズローノ名前、呼ビ辛イ」

 

「ははは、甲斐に着いたら簀巻きにして埋めてやろうかなこの糞餓鬼」

 

この男は後日有言実行した。

首から上は外に出す程度の良識はあったし、虎松は埋めた程度でどうこうできる存在でもなかったので、全くの徒労に終わったが。

 

「それで、どうやって狩る気なんだぜ? 弓矢は持ってないし、流石に素手じゃ厳しいぜ」

 

「木の上から飛び降りながら首に短刀をぶっ刺すとかどうよ」

 

「そんな事するくらいなら、メシ食うのを我慢して先を急いだ方がまだマシだと思うぜ」

 

あまりに現実離れした提案に、粉雪が呆れ果てる。

そんな芸当ができるのはアサシンクリードの中だけである。

 

「まあ、流石に現実的じゃないよな。

 だから昨晩寝る前に簡単な罠を設置しておいた、くくり罠猟って奴だ。

 兎とか狸とか、夜行性の小動物が引っかかってくれれば儲けものだな。

 それと……こういう物も作っておいた」

 

九十郎は粉雪と虎松に、紐で括られた3個の小石を見せる。

 

「これってどこかで見たような気が……ああ、微塵だぜ!? 草が使う隠し武器の」

 

「……クラッカーヴォレイ?」

 

「ボーラだ、回しながらぶん投げて、紐を動物に絡ませる。

 イヌイットは野鳥を獲るのに使ったらしい。

 狙った所に飛ばすのにやや慣れがいるが……まあ、素手でやるよりいくらかマシだろう。

 後、思いつくのは定番のガチンコ漁かな。

 昨日くくり罠を作っていた時に、魚が泳いでいる川を見つけてある」

 

ガチンコ漁とは、岩と岩をぶつけて、衝撃波で魚を一瞬気絶させて魚を捕る方法である。

現代ニホンでは法律により禁止されている漁法であるが、今は戦国時代で九十郎は遵法精神が高い方ではない。

 

「クズロー、オレノ頭デガチンコ漁、ヤロウトシテナイカ?」

 

虎松が九十郎の方をじと~っと見つめながらそう尋ねる。

なお、ガチンコ漁法は断じて人間の頭を岩に叩きつける漁法ではない。

 

「カーフ・ブランディング漁なら」

 

カーフ・ブランディング漁とは、魚そっちのけで憎いアンチクショウの後頭部にフライング・ニーキックを叩き込み、そのまま勢いをつけて顔面を地面に叩きつける事である。

もはや漁法でもなんでもない。

 

なお、流石のこの男でも、カーフ・ブランディング漁は有言実行しなかった。

この時点では虎松を普通の子供だと思っていたので、岩肌目掛けて脳天を叩きつけたら普通に死ぬと思ったからだ。

 

鬼子はカーフ・ブランディングを喰らった程度で死ぬようなタマではないし、その辺に転がっている岩を使った方が楽に魚が獲れるので、仮に実行に移したとしても全くの徒労に終わるのだが。

 

「九十郎、魚獲るの? 犬子、昔久遠様と一緒に魚獲った事あるよ。

 木の棒の先を尖らせて、泳いでる魚にざくってやって」

 

「銛突き漁か、凄いな犬子」

 

「ふふ~ん、犬子だっていつまでも子供じゃないのだよ」

 

「未だに背はちっちゃいがな」

 

犬子と粉雪の小柄コンビが同時にスネをけたぐり、九十郎は悶絶した。

 

……

 

…………

 

………………

 

「5つ設置して、成功したのは1つと……まあ、素寒貧よりはマシかな」

 

スペツナズ・ナイフに改造された脇差で九十郎が野兎の腹部を切り裂き、ぴくぴくと苦しそうにもがくのを力づくで押さえつけ、手をつっこんで内臓を引っ張り出し、手早く耳を切り落とし、革を剥いで逆さ吊りにする。

残忍な行為だが、食料不足の中では四の五の言ってはいられない。

 

「随分手馴れてるんだな」

 

「昔取った杵柄ってヤツかね、色々あったんだよ」

 

「クズロー、オレ、腹減ッタ、喰ッテ良イカ?」

 

「もう少し我慢しろ、勝手に食ったら今後一ヶ月は吉音2号って呼ぶぞ。

 肉は後で纏めて燻すとして……内臓は足が早いから今日中に食うか。

 今夜はモツ煮込みだな」

 

「モツ煮込ミ!! モツ煮込ミ!!」

 

虎松がぴょんぴょんと飛び跳ねながら九十郎に調理をせがむ。

 

「虎松てめぇ、誰のせいでこんな面倒くさい事をやる羽目になったか理解してるのかよ」

 

「テヘペロ」

 

「FuckYouぶち殺すぞゴミめら」

 

「ファックスルカ? クズロー、ファックシタイノカ?」

 

「ははは、Dカップになって出直せよ幼児体型」

 

現代ニホンなら間違いなくセクハラな発言である。

 

「Dカップって何の事だろうな、何故か妙に腹が立つんだが」

 

「たぶんおっぱいの大きさの事だと思いますよ、粉雪さん」

 

粉雪はそっと犬子と自分の胸部を見比べ……富める者と貧しき者の格差を感じた。

 

「こっからは2手に分かれるぞ。

 落ち武者狩りと遭遇する可能性があるから、戦える俺と犬子は分けて……

 そうだな、犬子と虎松は川へ洗濯に、俺と粉雪は山で芝刈りにというのはどうだ?」

 

九十郎はさりげなく苦手な虎松の世話を犬子に押し付けた。

 

「大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこって流れて来たらどうしようか?」

 

「その時は拾っておいてくれ。 桃太郎と一緒に鬼退治というのも悪くない、

 財宝をたんまり強奪して甲斐に凱旋しようぜ」

 

「冗談でもそういうのやめてくれねえか。 もう二度と鬼退治なんて御免なんだぜ」

 

「クズロー、ソレ、タダノ押シ込ミ強盗」

 

しかし、粉雪と虎松にはウケが悪かった。。

 

「先に桃太郎の話題を出したのは犬子だ! 俺は悪くねぇっ!」

 

「九十郎!? ちょっと犬子が悪いみたいにいわないでよ!?」

 

「行くぞ粉雪! 時は金なり善は急げだ! 犬子、集合はさっき決めた通りで頼むぞ!」

 

そう言うや否や、九十郎はお手製のボーラを片手にそそくさと逃げ出した。

怪我人かつ護衛対象の粉雪を放置して。

 

「も、物凄い責任転嫁、露骨な話題転換なんだぜ……

 ああ、おい! 九十郎置いてくなだぜ!!」

 

粉雪もそれと追い、慌てて駆けだす。

犬子は苦笑しながら、がさがさと落ち葉を踏む音と共に遠ざかる2人を見送り……

 

「じゃあ虎松ちゃん、犬子達も張り切って行こうか」

 

「オレ、張リ切ルゾ」

 

「えいえいおーっ!!」

 

「オーッ!!」

 

……

 

……………

 

…………………

 

その日の昼下がり、河原から香ばしい匂いが漂ってきていた。

河原の石を積み上げて作った即席の燻製器から、兎と川魚の肉が焼け、油が滴り落ちる匂いがするのだ。

 

「ウゥ……犬子、良イ匂イ、美味ソウナ良イ匂イ……」

 

虎松が瞳を爛々と輝かせ、何度も何度も腹を鳴らし、涎をぼたぼたと垂らしながら燻製器を見つめていた。

 

「勝手に食べたら駄目だよ、吉音2号って呼ばれちゃうよ。

 吉音さんってどんな人か知らないけど」

 

「ウゥ……吉音2号ハ、ヤダ……デモ、食イタイ……デモ吉音2号……ウウゥ……」

 

虎松が燻製器を前に葛藤するのをよそに、犬子が小刀で魚の腹を切り裂き、内臓を引っ張り出し、川の水で洗い流す。

内臓が取り除かれた魚に軽く塩を振り、紐で吊るして、燻製器の中へと放り込む。

御油で自活していた頃は壊滅的だった料理の腕は、今は人並程度にまで改善されている。

 

かつては何度も何度も失敗した。

魚と一緒に自分の指を切り裂いてしまった事、塩を振り過ぎて食べにくくなった事、燻し過ぎて炭化させてしまった事、逆に燻す時間が短すぎて生焼けになっていた事、火を強め過ぎて燻製器を駄目にしてしまった事もあった。

だが今の犬子は危なげない手つきで作業をしていた。

 

慣れって大事である。

 

「懐かしいなぁ……昔もこうやって、川魚を獲ったんだよ。

 吉法師様と一緒に草笛を作ったり、山奥に秘密基地を作ったりとかもしたな」

 

そして獲れた川魚で暗黒物質を生成し、吉法師を悶絶させた。

吉法師は内心『どうしてこうなった!?』と叫び、滝のような冷や汗を流していたが、表面上は笑顔で『実に美味である』と言っていた……子供の頃から可哀想な人である。

 

吉法師とは、織田久遠信長の幼名だ。

犬子……当時は犬千代と呼ばれていた少女と共に、野山を駆け、領民に悪戯をして、うつけだのかぶき者だのと呼ばれていた。

 

「あの時、犬子がもう少し冷静だったらな……九十郎の笄を盗られて、

 臆病者の犬っころなんて言われてカッとなって……あれがなければな……」

 

そして犬子はあの日の大失態を思い出し、ずず~んと沈み込む。

長尾景虎の下に仕官するという方針に異を唱える気は無いが、久遠に対し未練が無いと言えば嘘になる。

 

「ドンマイ」

 

一瞬たりとも燻製器から視線を逸らさず、虎松がぞんざいに励ます。

今の彼女の内心は99%が食欲だ。

 

「うぐ……」

 

「し、死ぬかと思った……ぜ……」

 

そこに何故か全身ボロボロになっている粉雪と九十郎がやって来た。

九十郎は額から血を流し、粉雪に右肩を貸し、左手で猪の死体を引っ張りながら歩く。

鍛え上げられたマッチョマンの九十郎であっても、流石に辛そうだ。

 

「九十郎!? え、何があったの!?」

 

「ああ、ボーラで猪に立ち向かおうとするのは危ないという事が分かった」

 

「……マジで死ぬかと思ったぜ」

 

むしろ何故ボーラで猪に勝てると思ったのだろうか。

 

「えっと……猪に襲われたの?」

 

「九十郎がよせば良いのに猪に飛び掛かっていったんだぜ」

 

「すまん、ちょっと調子に乗ってた」

 

「お陰でせっかく集めた野草や野鳥も放り出して、2人で逃げ回る羽目になったぜ」

 

「クズロー、粉雪、怪我、無イカ?」

 

心配しているような台詞だが、虎松の視線は相変わらず燻製器に釘付けだ。

 

「怪我はあるよ、坂道から転がり落ちた時の擦り傷だろ、

 木の枝が脚に当たってできた切り傷だろ……」

 

「転がり落ちた時に頭も打ったぜ」

 

「うわぁ……2人とも、良く無事だったね?」

 

「芸は身を助けるとは言うが、最後の最後で神道無念流の立居合が俺を助けてくれたよ」

 

キン肉ドライバーの特訓中に猪に襲われた時のキン肉マンのような必死さであった。

 

「九十郎の居合、速くて鋭かったぜ」

 

「マジか!? 分かってくれるか粉雪!?

 神道無念流に天敵など存在しないって事かな、はっはっはっはっはっ!!」

 

九十郎は得意げに胸を張るが、

この男はついさっきまで怒れる猪から必死こいて逃げ回っていた。

 

「ねえ九十郎、神道無念流に居合ってあったの? 犬子今まで一回も見た事無いんだけど」

 

「一応はある。 滅多に使う機会が無いから今まで教えてなかったがな」

 

そう言うと九十郎は、立居合を教えてないのに綾那に皆伝を出してしまった事に気が付き、密かに頭を抱えた。

そして綾那から文句を言われるのを避けるため、一生この事は隠しておこうと密かに決意した。

自分のうっかりから全力で目を逸らす、肝っ玉の小さい男である。

 

「とりあえず、俺と粉雪は傷の手当てをする。 悪いが猪の解体を頼めるか?」

 

「うん、分かったよ。 これも全部燻製にしちゃう?」

 

「ちょうど昼飯時だ、一部はウサギの内臓と一緒に煮込んで今食おう。

 それと肝臓は捨てないでおいてくれ、鉄分やビタミンが豊富で、傷の治りを良くするんだ」

 

「うん、分かった」

 

以前壬月から贈られた太刀を使い、猪の腹をざくりと切り裂く。

内臓を取り出し、丁寧に毛皮を切り離していく……贈った太刀がこんな使われ方をするとは、壬月は予想だにしていなかったであろう。

 

「傷口から細菌が入ると拙い、傷を軽く洗って止血するぞ」

 

「お、おぉ……」

 

九十郎に言われるまま、粉雪は服を捲り、肌を晒す。

傷の深さでは九十郎の方が上だったが、それでも九十郎は粉雪の手当てを先にした。

 

最初に会った日に、自ら素っ裸になったのを思い出す……

露出はあの時の半分以下であるというのに、粉雪は妙な気恥ずかしさを覚えていた。

 

「あ、あの……なぁ、九十郎……」

 

そんな気恥ずかしさを隠すためか、誤魔化すためか、粉雪は口を開く。

 

「うん、どうした? 痛むのか?」

 

「あ、いや……その……」

 

聞かれて気づいた。

話しかけたのは良いが、話すべき内容は全く考えていなかったと。

粉雪は何度も目を泳がせ、何度も口ごもりながら、必死に頭を回転させて……

 

「さっき……そう、さっきさ……あたいが転んで、猪に踏まれそうになった時、

 猪の前に立ちはだかって、あたいを守ってくれた……よな?」

 

「まあ、今の俺は粉雪の用心棒だからな」

 

なお、猪に襲われた原因も九十郎である。

 

「……格好良かったぜ」

 

そう、消え入りそうな声で言った。

気恥ずかしさを消すために言った筈なのに、何故か粉雪は余計に気恥ずかしくなり、耳や頬がかあっと熱くなっていくの感じていた。

 


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