前話、おまけ1にはR-18描写がありますので、エロ回に投稿しています。
おまけ1URL「https://syosetu.org/novel/107215/63.html」
次話、おまけ3にはR-18描写がありますので、エロ回に投稿しています。
おまけ3URL「https://syosetu.org/novel/107215/64.html」
時は少し遡る。
これは蘭丸との戦いが終わり、九十郎達がオーディンとの戦いの準備に奔走していた頃の事……テンポが悪くなるため省略された出来事である。
「ぐっす……うぐぅ、ううぅ……」
烏が泣いていた。
止めどなく涙を漏らし、たった1人であても無く歩き続けていた。
蘭丸戦から数日、『大嫌い』と新田剣丞を引っ叩いたあの時から烏は一睡もしていない。
烏の頭の中では、愛する夫以外の男に股を開き、モノを受け入れ、腰を振った罪悪感で一杯だ。
蘭丸の死によって、戦闘=セックスという偽りの常識は消え失せたが、夫以外の男に抱かれた記憶は消えていない。
知らぬ男に自ら跨り、ズコズコと膣奥を衝かれ、あんあんとはしたなく喘ぎ、ついには絶頂に達し、そして……
『貴方の妻になります……一生かけて、貴方に仕えます……』
……誓った、誓ってしまった。
新田剣丞以外の男の前に跪き、全裸で土下座をして、妻になると誓った。
戦闘=セックスという常識に従い見知らぬ男に抱かれ、絶頂=敗北という常識に従い全てを差し出しますと誓わされた。
そして男は下品な笑みを浮かべながら烏を組み伏せ、犯し、子宮にたっぷりと精液を……
「うぐ……お、えぇぇ……おええぇぇっ!!」
それを思い出した瞬間、烏は胃液を吐いた。
蘭丸戦から数日、烏は一睡もしていない。
そして僅かな水以外の食物も口にできていない。
固形物を口にした瞬間、猛烈な吐き気を覚えて、そのまま吐き戻してしまうからだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
何度も何度も胃の中のものを吐き戻し、舌や鼻は胃液のエグい酸味しか感じなくなっていた。
このままでは本当に死んでしまうという不安と、いっそ死んでしまいたいという自暴自棄な思考が混ざって、もう本当にどうしたら良いのか分からなかった。
そんな時……
『まあ、そうよな……見てくれは少々悪いが、アレも一廉の人物に違いない。
美空が惚れ込む男だからな。 万一の時は、斎藤九十郎に頼るが良かろう』
ふと……傭兵部隊・八咫烏隊の雇い主たる、一葉の言葉を思い出した。
九十郎もまた常識を書き換えられた烏を抱いた男の一人……だが、心底嫌そうな顔で烏と交合をしていた。
蘭丸に精神を書き換えられていた間、誰も彼もが己の支配欲に正直で、嬉々として、吐き気がする程に厭らしい笑みを浮かべて女を犯していた。
この女を俺のモノにしてやると。
この女を孕ませてやると。
この女を支配してやると。
下種で、下賤で、吐き気がするような汚らしい欲望が顔を見るだけですぐに分かった。
そんな男に跪き、貴方の妻になりますと、貴方の子を孕みますと宣言するのは、本当に本当に苦痛だった。
だけど九十郎だけは違った……だから……
「………………」
九十郎の事を考えたら、九十郎の顔を思い浮かべたら、少しだけ頭痛や吐き気が軽くなった気がした。
そこから先はあまり覚えていない。
まるで救いを求める亡者のように、一本の蜘蛛の糸に群がる死人のように、ふらふらと青褪めた顔で、覚束ない足取りで、九十郎の姿を求めて歩き回った。
何分か、何時間か、もしかしたら何日も歩き回り、そして九十郎の姿を見た瞬間……
「んごぉ~、んがぁ~」
九十郎は烏の気持ちを少しも知らず、大いびきをかきながら寝っ転がっていた。
まるで何日も不眠不休で働き続けていたかのように深く深く眠っていて、烏が陣幕に入って、手が触れ合う程に近づいても、起きる気配全くない。
「……ふっ、ふふっ」
烏の口角が僅かに上がる。
ほんの小さな、一瞬のものであったが、烏が笑った。
蘭丸との遭遇以降、一度も、一瞬たりとも笑えなかった烏が少しだけ笑った。
九十郎の超無防備で馬鹿丸出しの姿を見たら、まるでここだけはあの凄惨な戦いから隔離されているかのように思えたのだ。
あの苦しく、あの屈辱的な戦いが嘘だったかのように思えたのだ。
そして烏がほんの僅かに笑った直後……全く眠らずに、僅かな水以外何も食べずに歩き回った疲労感に一気に襲われ、九十郎の隣に倒れ込み、そのまま気絶するのであった。
……
…………
………………
「くぅ……すや……すや……」
……九十郎の寝具に烏が潜り込んでいた。
まるで炬燵で丸くなる猫のように、九十郎の体温で暖を取りながら、すやすやと小さな寝息をたてていた。
「……え~っと、なんでこいつがここに居るのかな?」
九十郎が困惑するが、それに答える者は居ない。
「どうするかな、このまま寝かしといてやりたい気もするが……」
烏は薄着で、これ以上無い程に無防備で、まるで母親の腕の中にいるかのように安らかに眠っていた。
「……ええい、起きろコラ」
そんな烏を九十郎は容赦無く起こしに行った。
慈悲の心が欠片も無い男である。
だから貴様は九十郎なのだ。
「……ん? ……んんぅ?」
九十郎に揺さぶり起こされて、烏は自分が気を失っていた事に気がついた。
短い時間ではあったが、全ての悩みを、全ての苦しみを、疲労も空腹も忘れて眠った事で、烏の心は軽くなっていた。
自分でも驚くくらいに、心と身体の活力が戻っているのが分かった。
「(……救われた? 救ってくれた? ……この人は観音様? ……御使い様?)」
寝ぼけた目を擦りながら、烏はそんな的外れにも程がある事を考えた。
酷い勘違いもあったものだが、烏は一瞬、本当に一瞬だけだが、九十郎がこの活力を、心の平穏をもたらしてくれたように感じていた。
まるで神仏が自分を救うためにこの地にもたらされた救いの使者のように感じていた。
それは烏の思い違いであるし、烏自身も数秒後には何を考えているんだと思い直していた。
全然関係無い話だが、現代ニホンの歴史書において、雑賀孫市を頭領とする含めた傭兵集団「雑賀衆」は、本願寺と組み、あの織田信長を相手に10年以上にも渡る石山合戦を戦い抜いたと伝わっている。
「………………」
「………………」
烏と九十郎が無言で見つめ合う。
ここで九十郎は目の前の女性が剣丞隊と行動を共にしていた鉄砲傭兵部隊、八咫烏の隊長で、新田剣丞の嫁の1人で、当時洗脳されていたとはいえ、先日の戦いで九十郎を押し倒して逆レを仕掛けてきた女だという事を思い出した。
剣丞に『大嫌い』と告げて引っ叩いた事も思い出した。
なんだか色々な意味で微妙な立場だという事を察して、九十郎はどう声をかけたものかと迷ってしまった。
「………………」
「………………」
烏と九十郎が無言で見つめ合ったまま硬直する。
烏は無口で、口下手だ。
基本的に言葉で何かを伝えるのが苦手で、コミュニケーション能力が必要な場面はほぼ100%妹の雀が代行していたため、経験も不足している。
頭の中で何を話せば良いのか、どうすれば良いのかが現れては消え、無言のままパニック状態になっていた。
そして烏と九十郎の無言の千日手、無意味な千日戦争が延々と続きそうな雰囲気になったその時……九十郎の腹がぐうぅっと下品に鳴った。
「……ハラ減ったな」
九十郎がそう呟く。
そう言われて、烏も自分がここ何日か何も口にしていないのを思い出す。
空腹を思い出した途端、烏のお腹もくぅっと可愛らしく鳴った。
「………………」
烏の顔が羞恥で赤くなる。
夫以外の男の寝所に押しかけるのも、何も言わずに隣で眠りこけるのも、起きたら起きたで食事を要求するかのように腹を鳴らしてしまったのも、彼女にとってあり得ない位に恥ずかしい行為だ。
少し眠って気力と体力が回復したら、自分の行動のおかしさを実感してしまう。
「とりあえず、そうだな……昨日作ったスープが残ってるから、暖めなおしてくる。
あと乾パンと干し肉で良けりゃ持ってくるから、食っていけよ」
「……っ!?」
烏は首を横に振って否定の意思を示す。
そこまでの迷惑はかけられないと思ったからだ。
しかし、直後に烏のお腹がもう一度鳴る。
身体が疲弊していた。
身体が体力の回復を求めていた。
身体が栄養を求めていた。
身体が暖かい食事を求めていた。
それを自覚したら、首を横に振る速さと勢いがかなり鈍った。
「まあ良いから食って行けよ。
戦国時代で手に入る食材で作った特製コンソメスープだ。 結構美味くできたんだ」
そして九十郎は烏の返事を待たず、昨日スープを作った野外調理場に向かった。
烏は一人ぽつんと残された。
「………………」
見張られている訳ではない、拘束されている訳でもない。
この場から立ち去る事はできた。
だけど今自分が立ち去ったら、きっと九十郎は2人分の食事を持ってきてしまうと思い。
いやそれ以上に、調理場から漂ってくる嗅いだことの無いスープの匂いがあまりにも新鮮で、あまりにも美味そうで、あまりにも自分の食欲を掻き立てるので、烏はその場から動く気が無くなってしまった。
「待たせたな。 昨日の残りで悪いが、食ってけ」
九十郎が戻って来た。
本当に本当に美味そうな匂い、食欲を掻き立てる匂いが烏の口から涎を漏れさせる。
脱水症状一歩手前だった、食事の事すら考えられなくなる程に酷い精神状態だった。
しかし、それでもなお烏の身体は涎を出させる……そんな、今までに嗅いだことの無い匂いだった。
お盆が差し出される。
スープと、乾パンと、干し肉……寝所で飯を食うのは行儀が悪いかもしれないが、今の烏はある意味病人、そんな事を気にする余裕も無い。
「あっ……」
烏が僅かに声を漏らす。
お盆は2つ、九十郎のものと烏のもので2つあった。
スープ、乾パン、そして干し肉がそれぞれ同じ量、同じ数だけ置かれていた……その量は小柄で身体が弱っている烏にとっては十分な量だろうが、バッファローマンのような体格の大男である九十郎にとっては明らかに少ない量だった。
この人は自分が食べる量を減らして、自分のために分け与えてくれているのだと気がついた。
それに気がついた時、烏は申し訳なさに視線を伏せる。
なお、越後長尾家にとっての重要人物である九十郎に十分な食料が与えられないという事は全く無く、食糧管理をしている者に言えば普通におかわりは手に入る。
要するに烏の感じた申し訳無さは全く的外れなものである。
「……ありがとう、いただきます」
さておき、烏はせめてもの誠意を示すために、小さな小さな……蚊の羽ばたきにすら負けそうな小さな声で感謝の意を口にして、両手を合わせた。
当然、九十郎には聞こえていないが……表情と仕草で、気持ちだけは何となく伝わった。
器を手に取る……適温に暖められたスープから、何とも言えない幸福な感触が伝わって来る。
透き通った出汁の色のスープに視線を落とす……こんそめすぅぷという食べ物は、今まで見た事も聞いた事も、味わった事のないもので、期待に胸が膨らんでいくのがわかる。
匙で救い、口元へ運ぶ……匂いを嗅いだだけで分かる、これはとてもとても美味しいものだと。
そして一口、口に含むと……全身が幸福感に包まれた。
「……うっ、ううぅっ」
ぽたりっ、ぽたりっと涙が零れた。
烏は泣きながらスープを口に運ぶ、運び続ける。
戦国時代で手に入る食材で少しでも美味くなるようにと、何年もかけて研究して作られたその味を、現代ニホンの飲食店と比べてもなお遜色無いその味を、烏は感動の涙と共に味わい続ける。
実際の所、そのスープには戦国時代では希少かつ高価な食材を使っていて、灰汁掬い等によって戦場飯としては常識外れな程に手間がかかっている。
現代ニホンの食事に慣れきっている者にとってはともかく、戦国時代の食事しか知らない烏にとって、信じられないくらいに美味なスープになっていた。
なお、クソ忙しい最中にそんな高価で面倒なものをわざわざ作っているのは、現代ニホンの食事に慣れて舌が肥えていて、しかも病弱でハラを下しやすい武田光璃の食事用である。
「おいおい泣くなよ。 何があったか知らねぇ……いや大体知ってるんだが、
まあとにかく泣くな、メシが不味くなる」
そう言って九十郎は手ぬぐいで烏の涙を拭いた。
そんな小さな優しさが、小さな施しが、烏の傷ついた心に深く染み渡る。
一口、また一口と、スープを飲み込む度に、冷え切った身体に温かみが戻っていく、傷ついた心が癒えていく、喪われた活力が蘇っていく……錯覚かもしれないが、烏は本当にそう感じていた。
そんな幸福な時間もじきに終わりを迎える。
何のことは無い、差し出されたスープや干し肉、乾パンを全て平らげてしまったのだ。
「………………」
空になったスープ皿を覗き込む。
少し物足りない気がする。
あまりの美味さに、あまりの幸福感に、その温かみに、無限に食べ続けられるような気さえした。
「……ごちそうさまでした」
烏が小さな小さな声で与えられた食事への、受け取った活力への、幸福な時間への感謝の言葉を述べる。
無論、九十郎にそのか細いにも程がある声は全く聞こえていなかったが、仕草と表情で言わんとしている事は伝わった。
「……で、お前は何で他人の寝床に潜り込んでたんだ?」
唐突に話題が変わる。
このまま有耶無耶になってくれないかと、烏はちょっとだけ期待していたのだが、流石に通らなかったようだ。
「………………」
烏は無言で姿勢を正す。
九十郎のもとに足を運んだ明確な理由は無い。
『何故来たのか?』と問われると『なんとなく』としか言いようがない。
あるいは……
「………………」
自身の胸にそっと手を置く。
冷え切った身体が、今にも砕けそうな程に弱弱しかった身体が、今は確かな暖かさを感じる。
心臓がとくん、とくん、と鼓動をしているのが分かる。
もしかしたら自分は、この暖かさを求めてここに来たのかもしれないと思った。
あの信じられない程に美味しく、身体を暖め、活力をくれたスープを求めてここに来たのかもしれないと思った。
そして同時に思う……
「剣丞……様……」
……剣丞の名を呟く、小さくか細い声で呟く。
そして同時に思う、自分は新田剣丞に捨てられたのだと。
新田剣丞は自分を愛してはいなかったのだと。
そうでなければ、いくら人が死ぬのを避けるためだとしても、自分が他の男に抱かれ、他の男に跪き、他の男の妻になることを強要されるような手段を受け入れる筈が無いと。
自分は新田剣丞を愛していた。
新田剣丞は自分を愛していると信じていた。
だけどその愛は……新田剣丞の愛は嘘だった、偽りに過ぎなかった。
見知らぬ他人の命を救うために……たったそれだけのために、自身の身体を他の男に差し出すような男だった。
それが辛くて、苦しくて、悲しくて、腹立たしくて……自分は『大嫌い』と叫びながら、新田剣丞を殴ったのだ。
「……う、うぅ……うぐ、うぅ……」
目尻に涙が溜まるのが分かった。
あんな男のために泣いてやるものかという思いで、涙が零れるのを必死に堪えた。
本当は以前から不安に思っていた。
本当はいつかこんな日が来るのではないかと思っていた。
自分は本当に新田剣丞に愛されているのだろうかと……自分程度の女が、あの現人神の如き素晴らしい好青年に愛される資格があるのだろうかと思っていた。
新田剣丞に愛されているなんて、何かの間違いではないかと思っていた。
自分は……鈴木烏重秀は物凄い無口だ、身体つきは全体的に貧相で、顔だってあまり可愛い方ではない。
鉄砲の取り扱いだけは自身があるが……鉄砲の扱い以外の取り柄は全く無い。
長篠の戦い……無敵と謳われた甲斐武田の騎馬軍団が、越軍のドライゼ銃によって一方的に射殺されていった戦いがあった(第128話)。
あの日、あの時、烏は思った。
あの日、あの時、烏は気づいた、気づいてしまった。
あんなに大量の鉄砲を揃える事ができるのなら、あんなに簡単かつ素早く鉄砲を連射できるのなら、どれだけ鉄砲が下手な者でも敵軍を全滅させるに十分な弾幕を張れてしまう……鉄砲の扱いが上手いという自分の唯一の取り柄が、無意味で無価値なものになってしまうと。
その日から、自分は本当に新田剣丞に愛されているのだろうかという不安が、自分に新田剣丞から愛されるだけの価値があるのだろうかという疑念が、何倍にも、何十倍にもなって烏の心に重く重く伸し掛かるようになった。
そして『大嫌い』と叫びながら、新田剣丞を殴った瞬間にこう思った……ああ、やっぱり自分には新田剣丞に愛されるだけの価値は無かったのだと。
「………………」
ぽたりと、一滴の涙が烏の膝を濡らしていた。
その涙は悲しみか、悔しさか、それとも別の理由からなのか……烏には分からなかった。
そして思った。
もう新田剣丞なんて知った事かと。
天下の安寧も、乱世の終結も、鬼との戦いも知った事かと。
そして同時にこうも思った……ボロボロになった心と身体を抱えながら、最後に九十郎のもとへたどり着いたのはきっと運命なのだと。
あの素晴らしく美味さの、傷ついた心と身体を癒してくれたスープを分け与えてくれたのはきっと天啓なのだと。
あの思い出したくもない苦痛と屈辱に塗れた戦いの中で、斎藤九十郎に抱かれたのはきっと予兆だったのだと(第169話)。
「……ここに、置いてください」
烏は深々と頭を下げた。
土下座をするかのように跪き、九十郎に懇願した。
普段の蚊の羽音よりも小さくか細い声量が嘘のように、この時だけはハッキリと九十郎の耳に届く声量が出ていた。
「ここに置くって……」
九十郎が怪訝な表情で烏を見つめる。
冗談で言っているようには見えなかったが、かと言ってはいそうですかと頷けるようなものでもない。
洗脳されていたとはいえ九十郎のち〇こを自ら咥え込んだ事も、その後剣丞を『大嫌い』と言いながらひっ叩いたのも知っている。
そりゃあ居ずらいだろうなとは思う……だが……
「……駄目だ、剣丞の所に帰れ」
……たっぷり数秒、あるいは数十秒くらい考えて、九十郎はそう結論を出した。
「お願い……お願いします。 なんでもします、なんでもやりますから」
烏がさらに深々と頭を下げて懇願する。
先程は土下座のような姿勢での懇願だったが、今はもう完全に土下座そのものだ。
地べたに額を擦りつけながら、烏は九十郎に懇願していた。
「なんでもねぇ……」
この時、九十郎は『本当に何でもやりそうだ』と思った。
基本愚鈍な九十郎ですら一目で気づく程、今の烏は深く深く傷つき、疲れ果て、心身共に弱っていた。
それこそ、現代ニホンに生きる者にとっては何の変哲もない、あるいは貧相とすら思えるようなコンソメスープに本気で救われたと感じる程に弱っていた、疲弊していた。
無理矢理にでも押し倒せばヤれるのではないかと、九十郎は思った。
『俺が剣丞の事を忘れさせてやる』とか何とか言って口説けば、自ら股を開くので話無いかと、九十郎は思った。
九十郎は生来の巨乳好きであるが、粉雪や雫とのなんやかんやがあって、貧乳の女に対しても普通に魅力を感じ、勃つようにはなっている。
今の弱り切った烏の唇を奪い、押し倒し、手籠めにしたいという純然たるオスの欲求は確かにあった。
「(だけど俺、NTRは嫌いなんだよなぁ……)」
そんな九十郎の欲求に待ったをかけたのは、この男の性癖だ。
この男は知り合い(剣丞)の嫁を寝取って喜ぶ性格ではないが故に、烏を押し倒して手籠めにする選択肢はゴミ箱にダンクシュートされた。
「……やっぱ駄目だ。 剣丞の所に大人しく帰れ」
そうして九十郎はキッパリと、そして無慈悲なまでに烏にNOを突きつけた。
「……っ!?」
烏は息を呑み、悔しそうに奥歯を噛み締め、さらに強く強く額を地面に押し付ける。
烏は口下手だ。
妹の半分でも、十分の一でも舌が回るのであれば、九十郎に翻意を促す何かが言えたかもしれない。
しかし烏には何の言葉も浮かばない、何を言えば良いのかまるで分からない。
「お願いします……どうか、どうか……」
だから烏はか細い声で懇願し、土下座を続ける他なかった。
「ああ、帰り辛いのは分からなくもねぇよ。
あの時……その、色々あったのは、俺が蘭丸をすぐに殺せなかったせいで、
そういう意味じゃ俺も原因の何割かがあるかも知れねぇ。 だがな……」
九十郎がどう伝えたものかと、頭の中で何度も何度も推敲を繰り返す。
傷ついた心をさらに深く傷つけやしないかと、そんな不安と共に言葉を選ぶ。
「お前が何も言わずにいなくなって、剣丞が心配してたんだよ。 お前の妹も。
俺の所に顔を出して、探しているから見つけたら教えてほしいって頼んできたよ。
あんな事があった後でも、あいつらは愛想を尽かしていねぇし、心配もしてんだ。
悪い事は言わねぇから、一回は剣丞の所に顔を出しとけ」
基本考え足らずな九十郎にしては珍しく慎重に、珍しく常識的に声をかけていた。
だが烏はその言葉を聞いて、こう思った……『そんな事できない、できる訳が無い』と。
「……くっ!」
烏は急に立ち上がると、そのままどこかへ駆け去っていった。
ボロボロの身体を押して、ボロボロの心を抱えて、何の宛ても無く立ち去った。