戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と九十郎第12話『パートタイム森一家』

 

結論から言えば、桶狭間の戦いは織田の勝利に終わった。

 

織田久遠信長は少数の兵を率い、松平葵元康がこっそりと空けた陣と陣の隙間を潜り抜け、田楽狭間で小休止をしていた今川軍を奇襲した。

今川の間者や物見達は武田光璃晴信の手の者によって闇から闇に葬られていたため、松平の裏切り、織田の奇襲に気づくのが遅れてしまった。

それが致命傷になった。

 

今川義元は死んだ。

 

海道一の弓取りと呼ばれた女傑であろうとも、同盟国と従属国が同時に裏切り、どう考えても負けるに決まっている織田に付くなんて思いもしなかった。

武田はそのうち裏切るだろうとは思っていたが、葵が裏切るとは全く考えていなかった。

面従腹背は葵の……後に徳川家康と呼ばれる少女の得意分野なのだ。

 

仮に呂奉先が戦国時代に生まれていたならば、『騙されるな久遠! 葵こそが一番の食わせ者だぁっ!!』とでも叫んでいただろう。

基本的に身内に甘い久遠の事だ、叫んだ直後に呂奉先を縛り首にするであろうが。

 

何にせよ義元は死んだ、織田は勝った。

後日今川家に仕える宿老・朝比奈泰能は、敗戦の混乱に乗じて松平が独立、無断で織田と同盟を結んだと聞いた際、血が滲む程に唇を噛みしめ、『してやられた! 葵が描いた絵か! 何故気づけなかった!? 何故見抜けなかった!? 何たる……何たる不覚かぁっ!』と叫んだ上、2~3日寝込んだそうだが、それは些細な事であろう。

 

そして田楽狭間の天人・新田剣丞が天から舞い降り、織田久遠信長の夫となった。

 

これはそんな波乱に満ちた桶狭間の合戦で起きた、本筋から離れた枝葉の物語……

 

……

 

…………

 

………………

 

「松平勢の行軍が速すぎると思わぬか?」

 

今川が放った物見が、そう呟いた。

 

「少しでも多くの手柄をたて、旧領を取り戻したいのであろう。 健気な事だ」

 

もう1人の物見がそう返事をする。

2人の視線の先には、先鋒として丸根砦に進む松平葵元康と、それに付き従う三河侍達がいる。

 

「何か……何か違和感を覚えぬか?」

 

「いや、特には」

 

「少し探ってみぬか?」

 

「我らの御役目は織田の伏兵への備えだぞ」

 

「それ故に、松平の真意を調べるべきだ」

 

「元康に二心があるとでも?」

 

「その可能性を排除すべきではない」

 

「不要と思うがな……」

 

茂みの奥で、2人の物見が互いに睨み合う。

10秒、20秒と沈黙が続いた頃……

 

「……ほほぅ、それは興味深い」

 

……2人の背後より、第三者の声がした。

 

「……何奴か!?」

 

姿を隠し、息を潜めていた2人の物見が同時に草陰から飛び出し、同時に刀を抜いて背中合わせになる。

どの方向から攻撃されても対応できるように、どちらか片方が倒れても義元の元へ情報を届けられるように、2人が神経を研ぎ澄ませる。

 

そんな2人の前に、1人の少女がへらへらと笑いながら、全くの無防備、全くの無警戒で姿を現した。

その姿を見て、物見の1人は警戒を解き、もう1人はさらに警戒を強めた。

 

「段蔵ではないか、驚かせるな」

 

「長尾に雇われている密偵が、何故ここに居る?」

 

少女の名は加藤段蔵。

飛び加藤と畏れられる凄腕の忍者である。

 

「おおっと勘違い召されるな、某は今川と事を構えてはならぬと厳命されております故。

 某がこの場に来た理由は、織田と今川の戦いの行方を見てこいと命じられたが故で」

 

「今の内に今川の手の内を知っておこうという事か」

 

「今川と長尾は持ちつ持たれつ。

 長尾が勢いづけば武田は弱り、武田が弱れば今川は背後を気にせずに戦える……

 しかしその蜜月が永久に続くとは誰も断言できぬが故に」

 

「気に入らぬ、全くもって気に入らぬ……が……飛び加藤と戦えば我らが危うい」

 

「そうでしょうなあ、しかし某にとっても同じ事……今川と事を構えれば長尾が危うい。

 この場は相互不干渉という事に致しますか?」

 

「……ふん」

 

そして2人が刀を納め……段蔵に対し背中を向ける。

 

「……呑牛の術」

 

加藤段蔵が静かに呟いた。

 

加藤段蔵の存在を認識しながら、自らの意思で加藤段蔵に対し背中を見せる……それが彼女の御家流・呑牛の術の発動条件だ。

 

次の瞬間、2人の物見は段蔵に喰われた。

抵抗する間も無く、声も無く、音も無く、一片の肉片も、一滴の血も、骨の一つも残さずに喰われた。

比喩表現ではなく、誇張表現でもなく……2人の人間が、1人の少女に喰われたのだ。

 

「……なぁんて話は全部嘘で、この度武田に鞍替えをする事になりましたが故に、

 ちょっと手土産になってください」

 

少女は今日だけで既に10を超える人数を喰っている。

その中には彼女よりも大柄な者も居た、小柄な者も居た、男も居たし女も居た、年若い者も年老いた者も……だがしかし、まだまだ食べ足りない、まだまだ腹八分目にすら至っていない。

 

「それにしても、おなか……すきましたねぇ……」

 

段蔵の腹が、ぐうぅと鳴った。

少女はにかぁっと嗤い、次なる手土産……いや、食事を求めて歩き出した。

 

食べても文句を言われない人間を求めて……

 

……

 

…………

 

………………

 

「犬子ぉっ!!」

 

「わんっ!」

 

「小夜叉ぁっ!!」

 

「おっしゃあ!」

 

「俺達ゃパートタイム森一家ぁっ! 行くぜぇっ!!」

 

「行くぞぉっ!!」

「ヒャッハァッ!!」

 

「……の、前に状況を整理しようか」

 

盛大な肩透かしをくらい、犬子と小夜叉……森一家頭領・森桐琴可成の娘、森小夜叉長可がずっこける。

 

なお、パートタイマーは犬子と九十郎だけであり、残りの面子は全員森一家の正規メンバーだ。

 

「おいこら九十郎ぉっ! 敵が目の前に居るってのにそれは無いんじゃねえのかよっ!」

 

小夜叉は昨日元服し、今日が初陣というペーペー武者だ。

その割にやたらと好戦的なのは、たぶん育った環境が環境だったからだろう。

 

「しかしだな小夜叉よ、森一家鷲津砦救援隊……

 つまり俺達の指揮系統をどうするかって話をした時、お前なんて言ったか覚えてるか?」

 

ちなみに桐琴は森一家丸根砦救援隊の方に参戦しているため、この場には居ない。

 

「……そういう面倒臭い事は全部犬子に任す」

 

「なんだ覚えてるじゃないか。 さて犬子、俺達の目的は何だ?」

 

「今川勢に囲まれて孤立している鷲津砦の味方を助ける事!」

 

織田久遠信長が丸根砦、鷲津砦から再三に渡る援軍要請を無視し続けていたため、業を煮やした森一家が無断で救援に向かっている所だ。

決してじっと待っているのに飽きた訳ではない、断じてない。

 

「その通りだ、それで鷲津砦はどうなってる?」

 

「炎上しています。 あと勝鬨も聞こえてきてます」

 

「マモレナカッタ……なんて冗談を言ってる場合じゃないか。

 どうやらこちらが思っていた以上に早く陥落したらしい」

 

なお、後で分かる事だが、鷲津砦がこの短時間で攻略された原因を作ったのは九十郎である。

 

「でだ、こっちの人数は……」

 

「50人だね」

 

「結構な人数が脱落してるじゃねえか、全力で走るんじゃなかったかな……」

 

犬子と九十郎が各々望遠鏡(自作)を覗き込み、戦場の様子を伺う。

 

「2000……ううん、3000人位は居るかなぁ……」

 

「50人で突撃したら流石に死ぬよなぁ」

 

「……だね」

 

「いっそ回れ右して帰るってのはどうだ?」

 

「それだと久遠様、帰参を許してくれないんじゃないかな。

 先手の大将……井伊直盛か朝比奈泰朝を討ち取れれば大手柄だけど……」

 

「殺すなら井伊直盛の方にしようぜ」

 

「どうして?」

 

「井伊って苗字が気に入らん」

 

「何か恨みでもあるの?」

 

「ある」

 

なお、九十郎が言っている恨みは前の生での恨みであり、井伊直盛は全く関与していない。

 

待てども待てども突撃命令が出ない事にパートタイムではない森一家……特に小夜叉が苛立ち始めた頃。

 

「……あぁっ!?」

「……むっ!?」

 

犬子と九十郎の視線の先で、鷲頭砦に変化が起きる。

砦の裏手から十数名の鎧武者達が血相を変えて飛び出してきたのだ。

 

「陥落はしたが、まだ全滅した訳ではなかったか……犬子、誰だか分かるか?」

 

「あの旗は横木瓜……たぶん砦を守っていた飯尾定宗さんか、その一族の人だよ」

 

なお、これも後で判明する事であるが、この時脱出を図ったのは飯尾定宗の子、飯尾尚清である。

 

「放置したら死ぬかな?」

 

「間違い無く追いつかれて殺されると思うよ」

 

鷲津砦の生き残りが脱出を図っている事に気づいた今川の将兵達が、まるで飴に群がる蟻のようにわららわと集まっていくのが見えた。

 

考えている時間はあまり無さそうだ。

 

「幸いにして射線は通っている、やるか」

 

「うん、やろう」

 

犬子と九十郎が同時に望遠鏡を懐に仕舞う。

 

「やっと相談が終わったか、んでどこに向かって突撃するんだ?」

 

「小夜叉、鉄砲は何丁持って来ている?」

 

「あ? ねぇよそんなもん」

 

「なら、鉄砲を撃った事がある奴は何人居る?」

 

小夜叉が追従してきた森一家のモヒカン……もといチンピラ共を見渡すが、全員が全員揃って首を横に振った。

 

「オレ1人だけみてえだな」

 

役に立たないモヒカン共だなと九十郎は思った。

口に出したら袋叩きにされるような気がしたので、黙っていたが。

 

「じゃあ消去法で、俺と犬子と小夜叉でやるしかないか……

 小夜叉、レバーアクションライフルは使えるか?」

 

「れば……何だって?」

 

九十郎は未だに気づいていないが、ウィンチェスター・ライフルは未来の銃である。

使えるどころか、見た事も聞いた事も無いのが当然である。

 

「こいつはお前にやる。 弾込めはもうやってあるから、

 一発撃ったら下に付いているレバーを下げて戻せ。 それで次の弾が撃てるようになる」

 

「はぁ? こんな時に何を言ってるんだ?」

 

「3人で射撃、怯んだ所に突撃、それで味方が離脱するまでの時間を稼いで……

 適当な所でスタコラサッサだな」

 

小夜叉がそう聞き返すのを無視して、九十郎は3本目のウィンチェスター・ライフルを放り渡す。

 

なお、九十郎は未だに戦国DQNを森長可ではなく森可成……現在丸根砦救援隊を率いてヒャッハーしている桐琴の方だと思い込んでいる。

そうでなければこの男は、小夜叉にウィンチェスターを渡すなんて真似はしない、流石に。

 

さておき、犬子と九十郎は混乱する小夜叉を意識から外し、呼吸を整え、精神を集中させ、照星と今川の将兵達を重ね合わせ……

 

「射程距離内に……入ったぞ!」

 

……2人が同時に引き金を引いた。

 

ズドドンッ!! と銃口が火を噴き、逃げる飯尾尚清を追い回す雑兵が血を吐いて倒れる。

ウィンチェスターの銃弾がいとも容易く鎧を貫通し、肺に風穴を開けたのだ。

逃げる織田勢も、負う今川勢も、突然の出来事に動揺が走る。

だがしかし、織田勢も、今川勢も、小夜叉も、数秒後さらにさらに驚愕する事になる。

 

「犬子、雑兵は良い! できるだけ良い装備をしている奴を狙え!」

 

1発目を外したくせに偉そうな口を叩く男がここに居た。

 

「わ、分かってるよ!」

 

直後、再び戦場に銃声が鳴り響き、今川の騎馬武者が派手に落馬する。

小夜叉は思わず周囲を見渡した……犬子と九十郎以外の誰かが撃ったのだと思ったからだ。

しかし、鉄砲が連発できる筈がないという認識、思い込みが誤っていたと気づくのまで、そう長い時間は必要無かった。

 

3度目、4度目……銃声は途切れない。

ガチャリと2人がレバーを下げる度に硝煙の臭いを纏う金属筒……薬莢が排出され、弾込めをする事なく次弾が発射される。

 

この時代で使われている火縄銃は、一発撃つ度に20~30秒かけて弾込めを行わなければ再度発射する事はできない。

しかし今、犬子と九十郎は2秒に一発という常識外れな速度で連射しているのだ。

 

「あ……こ、こうか!?」

 

しかし、年若く従軍経験も無いとはいえ、流石は後に鬼武蔵と呼ばれし少女だ。

小夜叉は数秒と絶たずに我に返り、見様見真似で銃撃を開始する。

 

「おいおい、マジかよこれ……こいつぁ……」

 

小夜叉の頬を冷や汗が流れ落ちる。

それでいて、小夜叉の瞳は、口角は狂喜に満ち、肩と腕は歓喜に震えていた。

 

「楽しいなぁ! 鉄砲って奴もよぉっ!!」

 

一回撃つ度にチマチマと弾込めをしないとならないのが面倒だった。

槍で戦っている時よりも、生物を殺した感触が少なかった。

それ故に小夜叉は、鉄砲が嫌いだった……今までは。

 

「ふふ……ふふははは……ヒャハァ……ヒャアッハアアアァァァーーーッ!!」

 

ものの1分もしない内にゲラゲラと笑いながら銃を乱射する危険人物が完成した。

引き金を引く度に血反吐を吐きながら倒れ伏す人々や、悲鳴を上げながら逃げ回る人々の姿にメロメロになっていた。

 

九十郎は起こしてはいけないナニカを起こしてしまったのだ。

この男、とことんまで傍迷惑な存在である。

 

「何だ!? どこから撃ってきた!?」

 

「ひいぃっ!! 何だぁっ!? いきなり死んだぞっ!?」」

 

「お、落ち着けっ!! ええい静まらぬかっ!!」

 

「何人で撃ってるんだ! 何で銃声が途切れないんだぁっ!?」

 

眠れるDQNが開眼し、レッツゴーカクゴーな感じでゴ・ゴ・ゴ・ゴーストを大量生産していると、撃たれている今川の追撃部隊の恐怖と混乱は酷いものになっていた。

 

ウィンチェスター・ライフルの発射速度はこの時代の鉄砲の10倍以上。

3人が作り上げる弾幕は、本来30人以上の鉄砲隊を集めなければ成し遂げられない。

それに勝ち戦の直後、気が緩んでいた時に、銃声が途切れる事無く聞こえ続け、次から次へと同砲が死んでいく光景が眼前に広がったのだ。

その恐怖は、その驚愕は、その絶望は……どれ程のものであろうか。

 

特に……

 

「てめぇがぁっ!! 大将首かあああぁぁぁーーーっ!!」

 

……特に混乱の収拾を図るべく、喉も枯らさんばかりに叫び続けていた先手の大将・井伊直盛が撃たれ、落馬したとあっては。

 

「ヒャッハァッ!! 命中だあっ!! おい九十郎見てたか?

 騎馬武者を1人撃ち殺したぜぇっ!!」

 

一番体格の良い馬に乗り、一番良い鎧を着け、何人もの護衛らしき武者達に囲まれ、誰よりも必死に声を張り上げていたのだ……小夜叉の目には、撃ってくださいと大声で宣伝しているように写っていた。

 

「九十郎っ! 井伊直盛が死んだよっ!!」

 

「この人でなし!」

 

「いや人でなしって、九十郎もバカスカ撃ってたよね」

 

「うるせえな、こういうお約束なんだよ。 マジレスするなよ」

 

「犬子、時々九十郎が分からないよ……」

 

犬子と九十郎がしばし手を止め、望遠鏡を覗き込みながら漫才を繰り広げる。

 

「……あ、助け起こされてる。 生きてたみたい」

 

「しぶといな井伊のクソ野郎……よっしゃ! ちょっと井伊の首奪って来る」

 

クソはどちらかと言うと九十郎の方である。

 

九十郎は背中のホルスターにウィンチェスターを固定し、抜刀する。

別れ際に、榊原歌夜康政が九十郎に持たせた打刀……後に歌夜の手に渡る名刀・式部正宗には遠く及ばないものの、当時歌夜が所持していた刀の中では一番の業物である。

 

連発可能な鉄砲なんてオーパーツ極まりない存在をポンと渡された歌夜としては、この位の業物は渡さなければ武士の沽券を、榊原家の品格を乏しめてしまいかねなかったのだ。

 

「何だ、突撃か!? ようやく突っ込んでも良いのか!?」

 

「この人数で突っ込むなんて無茶……いや……」

 

犬子の視線の先には混乱と絶望の極みに達し、逃げ纏う者達や、腰を抜かして命乞いの言葉を叫ぶ者達の姿が見えた。

 

好機だ……前田利家の、槍の又左衛門の経験と勘がそう告げていた。

 

「前言撤回、やるなら今しかないね」

 

犬子もまたウィンチェスターをホルスターに収める。

その言葉を聞き、九十郎と小夜叉がニカァ~と笑う。

 

「パートタイム森一家ぁっ!! 突撃だぁっ!!」

「パートタイム森一家ぁっ!! 突撃だぁっ!!」

 

九十郎は歌夜から受け取った打刀を、小夜叉は愛用の十文字槍・人間骨無を天高く掲げ、雄叫びをあげる。

森一家の兵達が歓喜……いや、狂喜しながらヒャッハァッ!! と叫ぶ。

 

なお、パートタイマーは犬子と九十郎だけである。

 

「ちょっと九十郎! 薬莢はどうするのさ!?」

 

「後にしろ、後に! 何だっていい! 井伊にトドメを刺すチャンスだ!!」

 

九十郎の屑っぷり、そして後先の考えなさにはミストさんも敵わないだろう。

大江戸学園での恨みを戦国時代で晴らそうとしているこの男は、江戸の敵を長崎で討つよりも迂遠な事をしていると気づきもしない。

 

「ああ、もぅ……先に行ってて! 犬子は薬莢を拾ったら追いつくから!」

 

「了解、行くぞ小夜叉ぁっ!」

 

「そっちこそ遅れんなよ九十郎ぉっ!」

 

セコセコとその辺に散らばった薬莢を拾い集めている犬子を尻目に、小夜叉と九十郎、そして森一家の面々は一直線に直盛へと殺到する。

なお、九十郎は数分後、犬子を置き去りにして駆け出した事を死ぬ程後悔する。

というか犬子を置いて行ったせいで死にかける。

 

今川の将兵達は混乱の極みに達しており、僅か50名のBAKA共の突撃を食い止める事ができない。

直盛は小夜叉に腰の辺りを撃ち貫かれ、自力で馬に乗る事はもちろん、立つ事すらできない状態であった。

 

九十郎は1人斬り、2人斬り、3人斬り……そして部下に肩を貸してもらい、びっこを引きながら後退しようとしていた直盛に斬りかかる。

 

「死ねや赤鬼いいいぃぃぃーーーっ!!」

 

なお、赤鬼と呼ばれていたのは大江戸学園に居る方である。

全然関係無い人を赤鬼呼ばわりした天罰と言うべきか、この男は後日、鬼に襲われて死にかける。

 

直盛はここまでかと覚悟を決め、瞳を閉じ……

 

「直盛様! 御退きください!」

 

……直後、1人の若武者が割って入り、九十郎の剣を受け止めていた。

 

神道無念流は、斎藤九十郎の剣は力の剣。

生半可な力では受け止めるなんて事は不可能だ。

それを可能にしたのは……

 

「え……おま……歌夜?」

 

「く、九十郎……さん?」

 

それを可能にしたのもまた、神道無念流の力の剣であった。

 

2人の男女が鍔迫り合いの体勢で見つめ合う。

1年近くも一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食い、同じ道場で修業をした仲だ、互いに顔を見間違える筈も無い。

 

互いに無言であったが、その目が雄弁に胸の内を語り合っていた。

1年近くも一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食い、同じ道場で修業をした仲だ、互い何を考えているのか、手に取るように理解できた。

 

即ち……

 

「(何で歌夜がこんな所に!?)」

 

「(どうして九十郎さんがこの場所に!?」」

 

……そんな声にならない叫びが、混乱が、2人の脳裏を駆け巡っていた。

 

歌夜と綾那の主君、松平葵元康は今川の先鋒として、丸根砦攻略に乗り出している事を事前に調べてあった。

それ故に犬子と九十郎は桐琴に頼み込み、鷲津砦救援部隊に潜り込んだのだ。

 

しかし、犬子と九十郎の予想に反して、歌夜と綾那は鷲津砦の方に来ていた。

 

「(主君放り出して何やってんだよお前ぇっ!?)」

 

「(ど、どうすれば……)」

 

しかし、そんな微妙な膠着状態も長くは続かない。

原状、松平家の立場は非常に微妙な状態であり、何代にも渡って松平に仕え続けている榊原家の者が、織田勢相手に手心を加えていた等と中傷されれば、それを理由に葵にどんな難癖をつけられるか分からない。

 

そもそも、少し前まで織田家に仕えていた犬子や九十郎を家に招き、食客として衣食住の面倒を見て、共に剣の稽古をしている時点でギリギリなのだ……葵からやれと命じられたからやった事だが、やれと命じられていなければ絶対にやらない、できない、危険極まりない行為だったのだ。

 

それ故に歌夜にできる事は、会いませんようにと祈る事のみ。

出会ってしまったからには斬らなければならない、全力で。

もしも周囲に他人の目が無かったなら、九十郎に刃を向けるような真似は絶対にしなかっただろうが……歌夜にとって葵は、九十郎を斬ってでも守らなければならない主君なのだ。

 

「はあああぁぁぁっ!!」

 

……瞬間、歌夜は全ての邪念を振り切った。

全ての思考を斬る事のみに集中させ、その他すべてを削ぎ落とし、研ぎ澄ませる。

 

「ちいぃっ!!」

 

九十郎は辛うじて反応が出来た、辛うじて防ぎ……いや、左胸が大きく切り裂かれた。

 

致命傷ではない。

致命傷ではないが、出血が激しい。

ギリギリで身体を捻り、ほんの僅かに傷を浅くした……九十郎にできたのはそれだけであった。

 

速すぎる、そして強すぎる。

一瞬で九十郎は認識した……いや、再確認した。

今の歌夜は九十郎よりも数段強いのだと。

 

こんな事になるのなら歌夜に剣を教えなければ良かったと九十郎は後悔したが、今となっては後の祭りである。

 

「……こまった。 ちょっとかてない……」

 

冗談みたいな台詞を呟くが、心の中で鳴り響く警鐘は最大音量だ。

 

歌夜の実力は完全に九十郎を凌駕していた。

今すぐ歌夜を撒いて井伊にトドメを刺しに行きたかったが、逃げるどころか致命傷を避けるだけで精一杯であった。

一太刀、また一太刀と、九十郎に生傷が増えていく……

 

「ったく、強くなりやがって……

 俺の想像以上に強くなりやがってコンチクショウがぁっ!!」

 

愛弟子が自分を越えてくれた事を喜ばしいと感じる部分もあるにはあるが、流石にここで死にたいとは思わない。

九十郎は悪態を吐きながらも、切り札……歌夜にも、綾那にも、犬子にすら教えていない隠し武器へと手を伸ばそうとする。

 

しかし……

 

「このまま……押し切らせて貰います!」

 

「ちぃっ!?」

 

……九十郎が腰に手を伸ばす余裕すら無いと気づくまで、そう長い時間は必要しなかった。

歌夜と九十郎の実力差は、既にそれ程までに開いていたのだ。

 

このまま押し切れると歌夜が考え、このままでは殺られると九十郎が考え、2人はさらにさらに剣戟を加速させていく……

 

そんな中で九十郎は、パタパタいう足音が一直線に近づいてくるのを聞いた。

チャラチャラという金属音が……小袋の中で薬莢と薬莢がぶつかり合う音が一直線に近づいてくるのも聞いた。

 

九十郎が歌夜の剣を防ぎながら、心の中で数を数えた。

 

……3……2……1……0!!

 

「九十郎ぉっ!!」

 

「交代だ犬子ぉっ!!」

 

……九十郎が真後ろに跳び、犬子がそこに割って入る。

完璧なタイミングで行われた交代劇を、歌夜は阻めなかった。

 

歌夜と犬子……榊原康政の剣と前田利家の剣が、神道無念流の剣と神道無念流の剣が空中でぶつかり合い、火花を散らす。

 

それにしても自分より年下の少女に庇ってもらうとは、何と情けない男であろうか。

 

「九十郎を斬るって言うのなら、歌夜が相手でも手加減はしないよ」

 

「松平再興のために……例え犬子さんが相手であろうとも、退く訳には参りません」

 

「だったらぁっ!」

 

「いざっ! 尋常にぃ……」

 

「勝負っ!!」

「勝負っ!!」

 

剣と剣が火花を散らす。

比喩表現でも何でもなく、火花が散る程の速度、剣圧で2人の少女達が刀を振るっていた。

 

練兵館での修業が始まった直後では、僅かに歌夜の実力が上回っていた。

しかし、今の犬子と歌夜の実力は全くの五分。

千を越える回数行われた試合稽古における勝敗もまた、全くの五分。

そして今、真剣を向け合う2人の趨勢もまた、全くの五分であった。

 

「……くそが」

 

九十郎や森一家の面々が手出しできない程の激しい斬り合い、殺し合いが眼前に繰り広げられているのを見て、九十郎は静かに憤る。

 

犬子と歌夜の実力は全くの五分……それ故に、どちらが勝ったとしても残る一方も無傷ではあるまい。

 

せっかくここまで磨き上げ、鍛え上げた愛弟子が1人死に、残る1人も恐らくは……そう考えると九十郎は頭の中がドス黒くなっていくのを感じていた。

 

「……っち、躊躇無くあちこち斬りやがって、足がふらつくな」

 

九十郎の鎧や服が紅く染まっていた。

10以上の場所が斬り付けられ、失血が激しかった。

戦闘の興奮で痛覚は麻痺していたが、一息ついたら急激に全身が痛くなってきた。

 

ふと周りを見渡せば、森一家の兵達が1人、また1人と討ち取られている。

ウィンチェスターによる一斉射によって生じた混乱が収まりつつあるのだ。

 

「拙いな……そろそろ潮時か……」

 

九十郎は今すぐ撤退するべきだと考えていた。

だがしかし、犬子は今なお歌夜としのぎを削っており、一瞬でも背を見せれば即座に斬られる事は明白であった。

 

それに考えてみれば、綾那もこちらに向かって可能性もある。

本多綾那忠勝は文字通り別格、桁違いの強さを持つ少女だ。

犬子と歌夜と九十郎が同時に斬りかかったとしても、瞬時に全員あの世に送れるレベルだ。

きゅうきょくキマイラと戦えと言われた方がまだマシだと思える程に強かった。

 

この状況下で綾那まで来たら、間違い無く皆殺しにされる。

それは火を見るよりも明らかな事であった。

 

「……手柄首ぃっ! 森小夜叉長可が奪ったあああぁぁぁーーーっ!!」

 

……そんな中、鷲津砦にそんな声が聞こえてきた。

 

一瞬、綾那と九十郎の視線が声の方に向く……そこには全身を血塗れにして、高笑いをしながら井伊直盛の首級を天高く掲げる小夜叉の姿があった。

 

「しまっ……」

 

「好機っ! 歌夜ぉっ!!」

 

九十郎が歌夜の名を叫びながら、腰に佩く脇差を抜く。

 

歌夜は既に一流の武芸者で、1年近くも九十郎の下で修業を積んだ者でもある。

それ故に一瞬で見抜いた、九十郎の間合い……脇差の長さと、九十郎が一息で詰められる距離の合計を。

 

ここはまだ九十郎の距離では無い……そう結論付け、歌夜は九十郎から意識を逸らした。

 

「……許せよっ!!」

 

……それが致命的な隙になるとも知らずに、歌夜は意識を逸らしていた。

 

スペツナズ・ナイフ……柄に仕込まれたスプリングによって刀身が発射されるナイフ。

九十郎は以前、脇差をスペツナズ・ナイフに改造していた。

それは知っていれば簡単に躱せるが、知らなければ回避困難な隠し武器、犬子にも、歌夜にも、綾那にも教えていない切り札であった。

 

頼むから急所に刺さってくれるなよ……心の中でそう叫びながら、九十郎は柄に隠されたスイッチに力を籠める。

 

「あ……」

 

気がついた時には既に手遅れになっていた。

脇腹がじわぁ~っと紅く染まり、鉄の冷たさと裂傷の熱さが同時に襲いかかり、吐き気がする程の激痛が脳髄に叩き込まれていた。

そして間髪入れずに犬子の太刀が歌夜の額をカチ割らんと、凄まじい勢いで迫る。

 

……避けられない。

 

一流の武芸者であるが故に歌夜はそれが理解できた。

 

「退くぞ犬子ぉっ! 小夜叉ぁっ! 潮時だぁっ!!」

 

九十郎の怒号によって、歌夜を断ち切らんとする刃は眼前数cmの所で静止した。

 

「あぁん!? 何言ってんだよ、これからが楽しいんじゃねえかっ!!」

 

「良いから撤退だっ! 既に目的は達したっ!

 それにきゅうきょくキマイラよりもヤバい存在がこっちに迫って来てるんだよっ!!」

 

「きまいらだぁ!?」

 

「逃げるよ小夜叉! これ以上ここに留まったら包み込まれて逃げ場が無くなっちゃう!」

 

「うぅ……」

 

犬子と九十郎から同時に撤退を進言され、小夜叉が返事に窮する。

兵の指揮なんて面倒臭い事は犬子に任せると言った手前、指示を真っ向から無視してヒャッハーするのは気が引ける。

それに森一家の手下共が次々と落命している事にも気がついてしまった。

 

「しゃあねえ、従ってやらぁっ!!」

 

そして犬子が、小夜叉が、九十郎が元来た道をダッシュで引き返す。

大将を討ち取られ、呆然自失の状態になってしまっていた井伊直盛の家来達も、負傷した歌夜も、パートタイム森一家達を追いかける事ができなかった。

 

 


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