戦国†恋姫X 犬子と九十郎   作:シベリア!

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犬子と柘榴と一二三と九十郎第144話『失言』

「……で、結局剣丞はどうするよ?

 バレたら色々面倒なのは分かるが、遅かれ早かれって感じがすんだけどよ」

 

「え? そりゃクーリングオフよ」

 

「くーりん……美空様、最近横文字使うの気に入ってませんか?」

 

「丁重に尾張の織田信長の元へお帰り頂くって事。

 こっちの悪巧みに気付かれる前に全てを終わらせるのが理想よね」

 

「だ、大丈夫かなぁ……」

 

「そうだなぁ……そうだな、ちと不安だがそうする他ねぇか」

 

正直な所、むやみやたらと未来の兵器を持ち出すなという剣丞の意見も道理なのだ。

と言うよりも、正しいか正しく無いかを言えば、間違いなく剣丞の方が正しいのだ。

現代ニホンの武器を持ち出して無理矢理乱世を終わらせたとして、一歩間違えれば焚書坑儒アゲインで、二歩間違えればポルポト・アゲインだ。

ただでさえ血生臭い人類の歴史がさらに血生臭くなる危険性が大きいという事は、美空にも九十郎にも分かっているのだ。

 

分かっていながらもなお、美空は『このままダラダラと戦国の世が続くよりはいくらかマシ』と、九十郎は『舐めプで自分や愛する家族、敬愛する主君が死ぬのは御免』と、それぞれの理屈でもって道理を引っ込めているに過ぎないのだ。

本当は、未来の兵器で無理矢理乱世を終わらせるなんてインチキはやらないに越した事が無いというのは分かっているのだ。

 

「だがなあ美空、剣丞は殺さねえって点は、俺は譲らねぇぞ」

 

いっそ殺した方が色々早いという点は、美空も九十郎も一致している。

美空に至っては、本多忠勝が四六時中ボディガードのように侍ってしていなければ、すぐにでも殺してしまいたいとすら思っていた。

しかし、九十郎は頑なに剣丞を害する行動に反対する。

 

「前々から思ってたけど、九十郎の剣丞への信頼はどっから来るのよ?」

 

「戦争を終わらせんのも大事だろうし、大変なんだろうけど、

 たぶんもっと大変なのは、戦争が無い世の中を維持する事なんだと思う」

 

「そうね、そこは理解するわ。

 今まで殺して奪う事が当たり前だった連中に、田畑を耕し、家や農具を造り、

 銭を稼ぐ生き方を覚えさせるのはきっと大変でしょうね」

 

「特に根拠がある訳じゃねぇけどな、剣丞はきっと、

 戦争が終わった後にこそ必要な奴なんだと思う。

 憎み合って殺し合う以外の生き方を……なんと言うか、こう……

 上手く言葉にできねぇけけど……」

 

「……誑して教え込む、とかじゃないの?」

 

「やべぇ、否定できねぇ」

 

「あはははっ、あの誑し男にはピッタリの役割じゃない」

 

「まあとにかくだ、あいつには俺や美空とか、光璃とかとは違った役割がある奴だと思う。

 だから殺すのは無しだ」

 

「そうね、こっちも一回殺そうとして失敗した身ですし、

 再チャレンジは勘弁してあげようかしら」

 

「剣丞様、土壇場になるとしぶといですしね」

 

……と、一回剣丞殺しに失敗した犬子が口を挟む。

 

「主人公補正だろ」

 

「だから九十郎のアイツへの信頼はどっから来るのよ」

 

「色々あったんだ、色々と」

 

九十郎はどことなく、新田剣丞に秋月八雲と似た雰囲気を感じていた。

心のどこかで、主人公に自分のような屑が勝る筈が無いと感じていた。

だが……

 

「……しかしまあ、役割分担位ならできるだろ。

 俺や美空がダーティファイトで乱世を終わらせて、

 その後は剣丞にバトンタッチって事でな」

 

……九十郎は少し、ほんの少しだけ、八雲や剣丞との折り合いをつけられるようになっていた。

 

……

 

…………

 

………………

 

「九十郎さん、九十郎さん……起きて……起きてください……」

 

翌朝、誰かが九十郎を揺り動かしていた。

 

「ん……んがぁ……?」

 

九十郎が目を覚ますと小寺官兵衛・通称雫が土下座をしていた。

瞬間、九十郎は物凄く物凄く嫌な予感がした。

 

「官べ……じゃない、雫。 何をやらかした?」

 

九十郎の声が震えていた。

できれば聞きたくは無かったが、聞かざるを得なかった。

 

「失言しました」

 

九十郎は眩暈がした。

 

「……誰に、何を言った?」

 

「剣丞様に色々バレました」

 

九十郎は朝っぱらから気絶しそうになるのをギリギリ堪えた。

そして……

 

「官兵衛てめえええぇぇぇーーーっ!!」

 

朝っぱらからそんな悲鳴にも怒声にも似た叫びが辺りに響いて、

疲れ切ってぐーすか眠っていた犬子が飛び起きた。

 

……

 

…………

 

………………

 

「どうして分かってくれないんだっ!?」

「どうして分かってくださらないんですかっ!?」

 

犬子と雫と九十郎がこそこそと忍び歩きで剣丞隊の面々に宛がわれている宿舎にやってくると、何やら険悪な雰囲気になっていた。

今にも掴み合い、殴り合いに発展するのではと思う程に強い怒気を孕んだ声が聞こえてきた。

 

「ありゃ九十郎と……竹中半兵衛だな。 他の面々が居ないようだが……」

 

「あらかじめ遠ざけておきました。

 そのおかげで広まってほしくない事が広まらずにすんでいるのですが、

 そのせいで誰もあの2人の口論……いえ、喧嘩を止められず……」

 

「官兵衛があの2人と何をしてたかはあえて聞かねえよ」

 

「……エッチな事はしてませんよ」

 

「そういう誤解を招きかねない事をしてた自覚はあるんだね」

 

「正直……ええ、正直に言って、配慮不足と言いますか、不注意でした。

 反省します……反省しますので、なんとか止められませんか」

 

「お前が何とかしろよ黒田官兵衛」

 

「何とかする算段があれば九十郎さんを呼んでませんよ!」

 

「お前なぁ……」

 

そうこうしている内に詩乃と剣丞が益々ヒートアップしていた。

 

「分かっていないのか!?

 現代の武器はドライゼ銃とは比べ物にならない程に危険で、強力なんだ!

 一歩間違えればどれだけ大勢の血が流れるか分かったものじゃない!?」

 

「しかし、曲がりなりにも乱世を短時間で納める事ができたなら、

 戦で死ぬ者も! 傷つく者も! 家財を奪われる者もずっと少なくなります!」

 

「分相応を大きく超えた武器で成り立った権力者が、民衆を幸せにするものか!

 強力な武器を背景にいつまでも戦いを続けるか、

 民衆をどこまでも搾り取る事を考えるに決まっている!」

 

「その危険は、未来の武器でも、槍と弓矢でも、いっそ丸太でもあるでしょうが!

 長尾が未来の武器で乱世を収めるのならば、それを前提に立ち周りを考えるべきです!」

 

「美空に頭を下げて家来にしてもらうのか!?」

 

「それが最善ならばそうします!」

 

「川中島でどれだけの人が撃たれて死んだのか忘れたのか!?」

 

「あんな光景! 戦国の世では良くある事です!」

 

「ああ言えばこう言う!」

 

「こっちでの台詞です!」

 

「この分からずやっ!!」

「この分からずやっ!!」

 

2人共、既にいつ殴り合いに発展するかという勢いであった。

 

「……官兵衛、お前ホントにどんな失言したんだよ」

 

九十郎は頭を抱えていた。

いっそ今すぐ逃げ出したい気分だった。

 

「黙秘します」

 

「黙秘ってお前……」

 

なお、黙秘権について規定する刑事訴訟法の成立は西暦1948年、要するに未来の概念である。

 

「どうする九十郎、いっそ2人共噛んで犬にしちゃう?」

 

なんやかんやでついて来た犬子がちょっと強引な解決法を提案する。

 

「それは問題の先送りだろ……いやでも他に方法もねぇしな……

 あんまり長引くと流石に他の剣丞隊が気づくだろうし。

 そうなったら益々ややこしくなるかもだな」

 

「じゃあ隙を見て行くから、九十郎は注意を引いておいて」

 

「そうだな……いや、やっぱ言葉で説得する。

 犬子はにっちもさっちも行かなくなった時に頼む」

 

「分かったよ、スタンバっておくから合図してね」

 

犬子は御家流で自らの身体を犬に変え、近くの茂みに潜り込んだ。

 

九十郎が腹を括って前進する。

基本逃げ腰のこの男が腹を括るのは相当なレアケースである。

 

そして……

 

「お前らそこまでだ! 官べ……雫から何言われたか知らねぇが喧嘩はよせ!」

 

基本非常識な九十郎にしては常識的な台詞と共に割って入った。

 

「九十郎、か……」

 

ある意味、この口論の元凶とも言える人物の登場に、詩乃も剣丞も一瞬戸惑い、言葉と言葉の応酬がやんだ。

 

「お前らの喧嘩の原因は何だ!?」

 

「お前だよっ!!」

「貴方ですよっ!!」

 

詩乃と剣丞の台詞が見事に重なった。

 

「馬鹿な!? 俺が一体何をしたと言うんだ!?」

 

「今からやらかしそうな事が問題なんだよ!」

 

「やらかすのは確実ですが! ええ確実ですがっ!!

 それはそれとして少しでも被害を軽くする努力をするべきだと言っているのですっ!!」

 

「やらかす前に止めるべきだろう!」

 

「やらかし前提でも全体として見れば死人が減るのが厄介なんですよ!」

 

「お前ら、一体俺を何だと思ってるんだ……」

 

……結論、全部九十郎が悪い。

 

叫びまくったせいで詩乃と剣丞ははぜぇはぁと肩で息をしていた。

特に基本病弱な詩乃は慣れない大声を出したせいで顔色が悪い。

 

「まあ、話はだいたい分かったよ。

 要するに現代ニホンの武器を戦国時代に持ち込むなって話をしてたんだろ?」

 

「九十郎、考え直してくれないか。 どう考えても良い結果になるとは思えない」

 

「いや決めたのは美空で俺じゃないんだが」

 

酷い責任転嫁である。

 

「だったら止めるのを手伝ってくれ!」

 

「たぶん前にも言ったが、俺は舐めプで死ぬのは勘弁だ。

 全力で抗った結果死ぬならともかく、

 まだ打てる手があるのにそれをせずに死にたくない」

 

「それで大勢が死ぬぞ! 川中島のあの光景を繰り返す気なのか!?

 一体何人を撃ち殺せば気が済むんだ!?」

 

「極論、俺の家族、俺の主君が生きてりゃ他は死んでも良い」

 

外道の所業である。

 

「未来の銃で撃ち殺される人にだって、愛する家族がいるんだ!

 主君だっている! 同じ人間だって何で分からないんだ!

 力をより強い力で押さえつけるやり方じゃ、戦争が終わっても絶対に長続きしないぞ!」

 

「そこまでは責任持てん。 その辺は美空に考えてもらうさ」

 

「考えていると思うか?」

 

剣丞は真顔で尋ねた。

九十郎は数十秒程う~んと考え込み……

 

「……やべぇ、ノープランって言いそうだ」

 

その辺、美空と九十郎は似た者同士である。

 

そもそも、頭を空っぽにして突っ走るのが長尾美空景虎の基本姿勢である。

目の前の戦いをどう切り抜けるかは神業、あるいは芸術的とすら言えるセンスを発揮するのだが、目の前の戦いが終わった後どうするかを考えるのは苦手なのだ。

 

「だったら今すぐ止めないと駄目だ! 人が死んでからじゃ取り返しがつかないぞ!」

 

「剣丞様! それでもなお止めるべきではありません!」

 

九十郎が説得されかけたその時、詩乃が剣丞の前に割って入った。

 

「古来から巧遅は拙速に如かずと言います。

 多少の問題はあろうとも、

 早期に戦国乱世を終わらせる可能性があるのなら、それを止めるべきではありません」

 

「分かってる! その方がかえって死ぬ人数は少ないだろうって事は分かってるんだ!

 だけどそうやってできた社会は、

 きっと未来の銃という暴力で無理矢理頭を押さえつけられる地獄のような社会だ!」

 

「それでもいつまでもいつまでも戦国の世が続くよりは良いじゃないですか!」

 

「それに戦国が終わった後、海外に出兵する事になるかもしれない!

 負ければそれで良い、だけど勝ったらどうなる!?

 いつまでもいつまでも戦いを続ける事になるかもしれないじゃないか!」

 

「ならば、そうならないように誘導する方法を考えるべきです!」

 

「そんな簡単に出来たら苦労はしない!」

 

「そうやって貴方は夢みたいな目標を掲げて分かった気になって!」

 

詩乃と剣丞が泣きそうな顔になりながら睨み合う。

最早雫も九十郎も眼中に無いかのようである。

 

とりあえず九十郎は後で雫にキツイお仕置きをしようと心に決めた。

 

「剣丞様がここまで分からず屋だったとは思いませんでした」

 

「詩乃がここまで頑固だとは思わなかったよ」

 

詩乃と剣丞が、独り言のように呟いた。

 

「貴方を主と仰いだのは間違いでした」

 

詩乃は今にも泣きそうな顔で俯き、そう呟いた。

その声は剣丞や九十郎、雫の耳にもしっかり届く。

 

物陰から様子を伺う犬子(御家流で犬に変化中)から、『どーするの? そろそろ噛んで良い?』というアイコンタクトが来て、九十郎は『ステイ! ステイ!』とジェスチャーを返す。

御家流使用中は体格と共に知能まで犬と同程度まで下がるため、何やら険悪な雰囲気という所までは理解できているが、具体的に何を話しているかまでは理解できていない。

 

「(雫ぅっ! 俺もう帰って良いかな!? 帰って良いよなぁっ!?

 もう後は野となれ山となれって逃げ出しても良いよなぁっ!!)」

 

「(待ってぇっ! お願いだから待ってぇっ!!

 コレの原因を作ったの私なんですよぉっ!)」

 

「(それはてめぇの責任であって俺の責任じゃねええぇぇーっ!!)」

 

九十郎は早くも逃げ腰だ。

いっそ犬子にアタックさせて2人共犬に変えて……とも思ったが、何の解決にもならないどころか状況が悪化する未来しか見えなかった。

 

そんな2人のコントのようなやり取りをよそに、場を包む空気はさらにさらに険悪になっていく。

 

「俺が気に入らないのなら、いつでも隊から離れてくれて構わない。

 俺は……俺は、たとえ1人になってでも、やるべき事をやるだけだ」

 

剣丞の声は震えていた。

本心では行かないでくれと叫びたかった。

心の中では自分の周りから誰もいなくなるのではという不安で一杯だった。

 

だが剣丞はそんな感情を、理性でもって踏み潰す。

 

 

 

 

 

「たとえ乱世を終わらせるためでも、やっちゃいけない事はあるんだ」

 

それは詩乃との決裂を意味する言葉だ。

その言葉を剣丞は、身が張り裂けそうな程の痛みを堪えて振り絞った。

 

 

 

 

 

「出ていきますとも、ええ出ていきますとも!

 もう剣丞様の頭の固さにも、すぐに女人を誑すその性質にも、

 何度も何度も無茶をするその性格にも振り回されるのは沢山ですっ!!」

 

詩乃の声も震えていた。

本心では離れたくない、別れたくないと叫びたかった。

時々妙に頭が固くなる所も、頻繁に新しい女を作ってくる所も、放っておくと単身敵城に侵入しようとする所も、全部ひっくるめて剣丞を愛していた。

 

だが詩乃も自らの感情を、理性でもって押し潰す。

 

 

 

 

 

「たとえこの先、千の血が流れても、万の嘆きが生まれても、

 戦国の世を終わらせる事に価値があると私は信じます」

 

それは剣丞との決裂を意味する言葉だ。

その言葉を詩乃は、身が張り裂けそうな程の痛みを堪えて振り絞った。

 

 

 

 

 

「(ちっくしょおおおぉぉぉーーーっ!! 帰りてえええぇぇぇーーーっ!!)」

 

一方、九十郎は情けなく頭を抱えていた。

 

2人の間に立ってオロオロしながら、いっそ犬子をけしかけて全員犬に変えてしまおうかと本気で悩み始めた。

問題の先送りにしかならないどころか普通に逆効果になりかねなかったが、それ以上にこの場の空気に耐えられないというか、色々面倒臭くなってきたのだ。

 

何秒か、何十秒かの沈黙の後、九十郎は意を決して犬子に『アタック』のジェスチャーを……

 

「んぐぅ!? んんっ……」

 

それが物陰に隠れる犬子に伝わるより一瞬早く、何かが九十郎の口を塞いだ。

詩乃が唐突に九十郎に抱き着いて、思い切り背伸びをして唇で唇を塞いだのだ。

 

「し……詩乃……!?」

 

剣丞は愕然とした。

意見が違っても、失望されても、剣丞は詩乃を愛していたし、詩乃も自分を愛してくれていると思っていた。

少なくとも剣丞にとって、自分の妻が他の男と唇を重ねるのを見るのは初めての経験だ。

 

それは詩乃にとって咄嗟の行動だ。

愛する剣丞に出ていけと言われ、悲しみと混乱の余り、自暴自棄になった末の行動だ。

普段の理知的で慎み深い詩乃からは想像もつかないような行動で、本人にとっても、剣丞や九十郎にとっても衝撃的な行動だった。

 

あるいは……あるいは、こうすれば剣丞が自分を取り戻そうと動いてくれるかもと、期待していたのかもしれない。

 

「以前から考えていました。

 もしも出会う順番が逆だったならば、

 私は九十郎さんを主人と慕っていたかもしれないと」

 

詩乃はそう告げる。

剣丞は奥歯をぎゅっと噛み締めながら目を伏せて、九十郎は予想外の告白に目を白黒させた。

 

「もしも出会う順番が逆だったならば、私は九十郎さんを愛していたかもしれないと」

 

詩乃はそう告げる。

 

それは詩乃の本心からの言葉ではない。

チラリとでも考えなかったかと言われれば嘘になる。

しかし、どれだけ喧嘩をしようが、見解の相違が生じようが、それでもなお詩乃の主は新田剣丞であり、詩乃の愛する夫もまた新田剣丞だ。

 

だけど、だけれども……

 

「ああ、そうか……そうかい……」

 

……剣丞には、そんな詩乃の心は読めなかった。

 

普段の剣丞であればすぐに察して、理解したのであろうが、頭に血が昇った今の剣丞ではそこまでの機微は無理だった。

剣丞は愛する妻の1人である詩乃を取られた怒りと悲しみと共に右拳にありったけの力を込めて……九十郎の顔面を思い切りブン殴った。

 

「ぐふっ!?」

 

腰の入ったパンチをまともに喰らい、バッファローマンのような体格の大男がよろめき、大地に腰を打ち付ける。

 

なんとも無様な姿である。

 

「ちょっと待って、俺なんか悪い事したか!?

 今回ばっかりは俺被害者だと思うんだけどぉっ!!」

 

九十郎は立ち上がりも殴り返しもせずに命乞いを始めた。

実に無様な姿である。

 

「詩乃は俺の嫁だ! お前には渡さないぞ、九十郎ぉっ!」

 

「チクショウ! 話が通じねぇっ!!」

 

「何が妻ですかっ! 何が渡さないですかっ!

 気に入らないなら隊から出て行けと言ったのは何処の誰ですかっ!!」

 

「待ってお願い! 火に油注がないでっ! 300円あげるからやめてぇっ!!」

 

「う……うおおぉぉっ!!」

 

「がはっ!!」

 

剣丞からもう一度ブン殴られ、九十郎が地べたに後頭部を打ち付けて悶絶する。

物凄く物凄く無様な姿である。

一方、雫はしれっと植木の裏に隠れてやり過ごしていた。

 

「(頼むううぅぅーーっ! 誰か助けてくれええぇぇーーっ!! できれば光璃!

 いやこの際一二三でも吉音でも良いから誰か来てくれえええぇぇぇーーーっ!!)」

 

もんどりを打ちながら九十郎は実に他力本願な祈りを天に捧げていた。

基本不信心で、基本バチ辺りなこの男の祈りが天に届く事は滅多に無い。

滅多に無いが……今この瞬間だけは、何故か九十郎の祈りが届いたようだ。

 

「……ちょっと待った」

 

武田光璃……九十郎のファースト幼馴染にして、かつては戦国時代の武田晴信だった少女がその場に現れたのだ。

 

「ひ、光璃ぃっ! 助かった、超助かった! いやマジで助かった!

 ありがとうカミサマぁっ!! 俺、明日からカミサマ信じるよっ!!」

 

まるでずっとスタンバっていたかのようなタイミングの良さだが、九十郎は素直に神に感謝した。

 

が、しかし……

 

「……んんっ!? んむぅっ!!」

 

……しかし、来たのは救世主ではなく悪魔の類であった。

 

突如現れた光璃は、倒れ伏す九十郎に覆いかぶさるように身体を預け、そのまま強引に唇に唇を重ねたのだ。

 

そして……

 

「……九十郎は光璃のモノ。 誰にも渡すつもりは無い」

 

……そしてとんでもない爆弾発言をその場に投下した。

 

「(悪化したあぁっ!! これ以上無い程に悪化したあああぁぁぁーーーっ!!

 光璃てめえぇっ! 何でこの状況下でそれを言ったあああぁぁぁーーーっ!!)」

 

九十郎は心の中でカミサマに対し中指を突き立てた。

 

「(……このタイミングが一番ダメージが大きそうだったから?)」

 

「(あ、ゴメンな光璃、長い事会ってなかったから忘れてたな!

 お前って腐れ外道だったな!)」

 

九十郎は心の中で光璃に対しても中指を突き立てた

自分の事を思いっきり棚に上げる男である。

 

実際の所この2人は、後先を考えるかどうかという点で天と地ほどに差があるが、他人の被害や迷惑を考えるかどうかという点では似た者同士である。

 

「ひ、光璃……光璃なの……か……?」

 

眼前のあんまりな光景に、剣丞も驚きを隠せない。

そもそも、剣丞は光璃が死んだものとばかり思っており、目の前の人物が大江戸学園の武田光璃だという事すら知らない。

いきなり死んだ筈の人間が現れて、唐突に九十郎とキスをしたのだ、剣丞の驚愕と衝撃は推して知るべしである。

 

「そ、そんな……確か川中島で鬼に変じて……斬られたと……!?」

 

「我は武田信玄、明日この世界を粛正する」

 

「お前その台詞、昨日も言ってたろ」

 

「戦国時代の武田晴信は死んだ、もういない。

 背中や胸に一つとなって生き続けるような事も無い。

 私は現代ニホンに生まれ、現代ニホンで死ぬ予定の武田光璃。

 大江戸学園甲級二年は組の武田光璃。 武田晴信ではない」

 

「そ、そんな……そんな事って……」

 

「新田剣丞、貴方を愛した少女、武田晴信は確かに光璃の前世である。

 かつて新田剣丞を愛した記憶は確かに光璃の頭に入っている」

 

「そ、それならっ!!」

 

「だけど……だけど、17年間ずっと放置されると、どんなに美しい記憶も、愛情も、

 薄れていくのは避けられなかった」

 

「17年……放置……?」

 

剣丞は何を言われているのか分からなかった。

 

「薄情者と、尻軽女と思ってくれても構わない、罵られても甘んじて受け入れる。

 だけど今、この瞬間、光璃は斎藤九十郎に恋しく想い、斎藤九十郎を愛している。

 その一点だけは譲れない、どうしても譲れない。

 剣丞にも、北条早雲にも、オーディンであろうとも、この想いだけは否定させない」

 

「あ……あぁ……」

 

剣丞には分かった、分かってしまった。

光璃は本気だと。

本心からそう言っているのだと。

 

武田光璃は自分の意思、自分の考えで新田剣丞ではなく斎藤九十郎を選ぶのだと。

 

「前の生ではそんな素振り見せなかったよなお前」

 

「……喪ってから、初めて分かる大切さ。 光璃は少々、臆病になりすぎた」

 

「嘘つけ、臆病から真逆の性格だろお前は」

 

「恋愛と戦術を同列に語ろうとしないでほしい、乙女心というものは複雑」

 

「お前が乙女ってタマかよ」

 

九十郎は勘弁してくれとか、これ以上人間関係を複雑骨折させないでくれとか考えていた。

 

しかし、光璃の乱入により剣丞の意識が詩乃から逸れたのは確かである。

それはつまり、この場から退散する最大の好機がやってきた事に他ならない。

 

「犬子ぉっ! 雫ぅっ!」

 

九十郎が物陰に隠れている2人の名を叫び、同時に詩乃をお米様だっこで抱え上げる。

バッファローマンのような体格の大男にとって、小柄で貧相な体格の詩乃を抱えてダッシュするのはそう難しい事ではない。

 

「逃げろおおおぉぉぉーーーっ!!」

 

斎藤九十郎逃亡。

隠れていた雫と犬子、そしてアイコンタクトで九十郎の思惑を完全に把握できる光璃も同時に脱兎の如く逃げ出した。

 

「雫と光璃ぃっ! 後で覚えとけよ、キツいお仕置きしてやるからなああぁぁーーっ!!」

 

そんな情けない捨て台詞と共に、斎藤九十郎は剣丞隊の宿舎から逃げ去っていった。

 


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