「何を書いてるんだ、担庵?」
大江戸学園……現代ニホンのトップエリート達がその溢れる才能をゴミ箱にダンクシュートし、俺はここだぜ一足お先と光の速さで明後日の方向にダッシュする魔境。
そんな大江戸学園の斎藤九十郎が、筆をとるセカンド幼馴染にそう声をかけた。
「これかい? これは、そうだな……男性にモテるコツかな? 友人に頼まれてね」
「担庵に男性にモテるコツ、ねぇ……」
「どうやら私は、それなりにモテるらしい」
「ははは、世も末だな」
「違いないね」
苦笑しながら、担庵が筆を滑らせる。
幼い頃から習字をしているだけあって、九十郎の乱雑な字と違って綺麗で読み易い字をしていた。
「どれどれ……男は剛を以って徳といたし、女は柔なるを以って用といたし侯事に候間、
身を修め候には敬にしくはこれなく、つよきを避け候には順にしくはこれなく候事故、
敬慎の道は婦人の大礼に候……」
九十郎が後ろからひょこっと首を伸ばし、担庵が書く文書を覗き見る。
割と古風な書き方をしているが、九十郎にも読めなくも無い。
そしてそれを最後まで見た感想は……
「お前何時代の人間だよ」
「現代ニホンの人間だよ、君と同じく」
「なるほど完璧な作戦っスね」
「不可能だという点に目をつぶれば……だろう?」
「そうだよ、自由・平等・博愛のフランス革命精神にすら追いつけちゃいないぞこれは」
この時、担庵が書いていた文書は、早い話『女は黙って男に従っておけ』というものだ。
人は平等という現代社会の基本精神に真っ向から唾を吐くような内容だ。
だが……
「だが……コレが自然にできりゃ、モテるだろうさ」
「だがしかし、そこまでしてモテたいかという問題もある」
「楽しくない人生だろうよ」
「願わくば、心の底から平伏し、
身も心も差し出せるような男性に出会っていただきたいものだ」
「担庵にモテ方聞いてる時点で臨み薄だろ」
「はっはっはっはっはっ!」
担庵が大笑いをしながら筆をおいた。
筆を置き、完成した文章を読み返し……ため息をついた。
「私がモテる理由を、私なりに分析してみたんだよ、これは」
「お前って事なかれ主義みたいな所あるからなぁ」
「ああ、そうだ……あの娘の時もそうだ。
最後の最後まで匿い続けていれば良かったんだよ。
本人が何を言おうとも、私の目の届く所に……」
担庵の声のトーンが、明らかに変わった。
手が震えていた。
脚も震え、肩も震えていた。
「……なあ、担庵」
九十郎が独り言のように呟いた。
担庵の……九十郎のセカンド幼馴染の手がピタリと止まった。
「高野や渡辺がくたばったのはお前のせいじゃない」
高野、渡辺……それはかつて九十郎や担庵のダチ公だった者達の名だ。
現代ニホンにおけるトップエリートが集まる大江戸学園の中でも特に優秀な才覚を示した者たちの名だ。
片や割腹自殺、片や捕縛の際にうっかり力を入れ過ぎて撲殺……現代ニホンにおけるトップ中のトップの才覚は無駄に、無意味に散華した。
ニホンを導くエリートを養成するという目的を持つ大江戸学園にとって、余りにも余りにも大きな痛手だ。
だがしかし、その2人を殺したのは、大江戸学園の持つ独特な歪みそのものなのだ。
「私は……私なら助けられたんだよ……」
担庵はぼそりと呟いた。
平静を保とうと必死になりながらも、心の中は呪詛で一杯だ。
「助けられた、どうにでもできた。 だけど……」
「墓参りには毎年行ってやってるだろ、あの悪ガキ共にはその程度の扱いで十分だ」
「だけど……」
それでもと続けようとした担庵の頭を、九十郎はわしゃわしゃと力強く撫でた。
「俺以外にそんな情けねぇ泣き顔、見せるんじゃないぞ。
桂や二宮、万次郎とかが心配するからよ」
「ああ、分かっている。 分かっているさ、弟分」
担庵は泣いていた。
ぽろぽろと止めどなく涙を流し、これ以上無い程に情けない顔になっていた。
本当に本当に、悲しそうな顔をしていた。
……
…………
………………
一二三が何故と問うのを無視して、九十郎がもう一度一二三をブン殴った。
頬の骨にヒビが入り、顔に大きな青あざができた。
「二度とそのツラ、俺に見せるな……」
酷く狼狽し、酷く困惑する一二三に、九十郎は強い強い憤りと共にそう告げていた。
一二三の血が付着した右拳再び握りしめ、怒りに任せて振り上げようとしたその瞬間……
「ひっ……」
一二三が怯えていた。
いつも飄々として、白刃を向けられようとも、悪意や害意、殺意を向けられようとも平然と笑う表裏比興の者が初めて怯える姿を見せた。
「あ……」
そんな一二三の表情を、怯え切った目を見た瞬間、九十郎は前の生の事を……九十郎のセカンド幼馴染の事を思い出した。
親友を次々と喪い、自分だけがのうのうと生き延び、人知れず慟哭していた時の幼馴染と同じ目をしている……九十郎はそう思った。
感情に身を任せて一二三を殴る事が、あの日、友を喪い涙するセカンド幼馴染を殴るのと同じ事のように感じた。
「この馬鹿っ!!」
九十郎の動きが留まった次の瞬間、今度は九十郎の顔面に拳が叩き込まれる。
「あんたと武田晴信がどんな関係だったかは知らないし分からない! でもねぇっ!
こっち勝たすために誰よりも困難で、誰よりも危険な橋を渡った相手を、
いきなり殴りつけて良い理由に何てなりゃしないわよっ!!」
九十郎を殴りつけ、怒鳴りつけたのは長尾美空景虎だ。
「九十郎、一二三に詫び入れなさい」
美空が九十郎に謝罪を要求する。
九十郎はしばし瞑目し……この男にしては珍しく反省し……
「すまん、一二三。 光璃が死んで……気が立って、いや……
お前が光璃を殺したのかと思って……」
「変な言い訳しない! さっきの無礼な行い、私からも謝らせて。
それと感謝を、貴女のおかげで勝てたわ」
美空が深々と頭を下げる。
「あ、あはは……いや、私は全然気にしてない……気にしてないよ……」
一二三が引き下がる。
表面上は笑みを浮かべて……だけど、その笑みが無理矢理作っているものだということは、美空にも、九十郎にも、犬子や柘榴にもすぐに分かった。
一二三は聡明だ、
聡明で、他人の思考や感情を推し量るセンスがある。
だから先程、九十郎が本気で怒り、本気で憎んでいるのだと分かってしまったのだ。
「ああそうだ、悪いけどこれからやる事があるから、一旦失礼させてもらうよ。
今後の事も話さないといけないけど、それは後でという事で」
「ええ、そうね」
一二三がぽたぽたと落ちる血をそのままに、そそくさと逃げ出すかのようにその場から立ち去った。
「……本当にごめんなさい」
その余りにも悲痛な後ろ姿を見て、美空はそう呟いた。
「九十郎、あんたは今回、
切腹を申し渡されてもおかしくない程にやらかした事、自覚してる?」
「そうっすね、流石に今回は擁護できねーっす」
「いきなり信虎さんを斬りつけて、晴信を殺すのをやめろなんて無茶言って、
今度は一二三を殴りつけて……いくらなんでも酷すぎだよ、今日の九十郎は」
九十郎は何も言わない。
ファースト幼馴染である光璃を殺す手伝いをしてしまったショックは当然ある。
美空や柘榴を裏切り、信虎を傷つけ、一二三を傷つけた事への罪悪感もある。
もう少しどうにかできなかったと自問自答する。
信虎を斬り、一二三を殴った右腕がずきんと痛んだ。
「勝つには勝ったけれど、これからやらなきゃいけない事、
考えなきゃいけない事が山積みよ。
晴信の死に動揺している間に、できるだけ武田の力を削いでしまわないと」
「武田は地方豪族の寄り合い所帯っすからね」
「ええ、こっから先は調略、引き抜き、外交の戦いになるわ。
どの順番で話を持っていくか、誰にどんな条件を提示するべきか、
誰を見せしめとして惨たらしく踏み潰すか……
武田の内情を知る一二三に相談に乗ってほしかったのだけど」
「……一二三、戻ってくるかなぁ?」
「わからないわ、全然」
その意味では、先程の顔面パンチは見事なまでに的確に美空を苦しめていた。
そして……
「……柘榴」
「え? 柘榴が言うっすか?」
「柿崎の家臣でしょうが! 陪臣に直接処分言い渡したりできないわよ!」
「そう言えばそうだったっすね……ごほん」
柘榴が軽く咳ばらいをして、険しい表情で佇む九十郎の前に回る。
「追って沙汰あるまで、謹慎を命じる……っす」
後に第四次川中島の戦いと呼ばれるこの戦は、終わりを告げた
……
………
……………
「はい! 第二次これからどうしようか会議ぃ~~~!!」
「どんどん! ぱふぱふ! ぴーぴーぴーっすよ!!」
「てめぇら本当にシリアス長続きしねぇのな!!」
その日の夜、越軍の陣幕の片隅に急遽設営された座敷牢つきの掘っ建て小屋でシリアスさんが爆発四散していた。
「仕方ないでしょ、九十郎が座敷牢にいるんだから」
「まさか謹慎命じられて素直に謹慎するとは思ってもみなかったっす」
「柘榴、お前後で覚えてろよ」
「エロい御仕置きっすよね、超楽しみにしてるっす」
「瘴気とやらはキッチリ抜いておいたから、後で好きなだけくんずほぐれつヤッてなさい。
私は邪魔しないから」
「俺は今謹慎中なんだがな」
「謹慎中っつったって、夫婦の営みは禁止されねーっすよ」
「悪いが、今回ばかりは本当にしばらく放っておいてくれないか。 俺は……俺は……」
脳裏に浮かぶ……光璃の死に顔が。
脳裏に浮かぶ……自分に斬られた時の信虎の顔が。
脳裏に浮かぶ……『二度とそのツラ見せるな』と言われた時の一二三の顔が。
誰よりも大事な幼馴染を守り切れないどころか、知らぬ内に殺す手伝いをしていた事。
晴信を倒すという同じ目標を持ち、共に力を合わせてやってきた仲間を身勝手な理由で裏切り、叩き斬ろうとした事。
そして……一二三を泣かせた事。
どれもこれもが九十郎にとって死にたくなるような出来事だ。
「信虎の怪我は?」
「大した事無かったわ、見た目ほど深手では無かった。
手加減したのでしょう? 意識してか無意識にかは分からないけれど」
「松葉は」
「かなりの深手っす。 意識も戻ってねーっすから、あるいは……」
「できるだけの事はしたわ、後はあの娘の気力と体力を信じる他ないわ」
「じゃあ……」
今度は光璃の事を聞こうとして……やめた。
光璃は死んだ。
九十郎の目の前で鬼になり、美空に斬られて消滅した。
あれ以上明確な『死』を見ておいて、今更何を聞けと言うのか……
「一二三は……」
「あの後、何組か人をやって探させてるわ。 今の所、見つかってはいないけれど」
「勝ち戦とはいえ、戦の後っすからね。
色々情報は錯綜して、どこも人手不足になるっすから……」
「そうか……見つかったら教えてくれ。 謝らないとな……一二三にも、信虎にも」
謝って済む話じゃなかろうが……と、九十郎は心の中で付け加え、さらに深く暗く沈んでいく。
「とりあえず、今後どうするか考えましょう。
本当は一二三も呼ぶつもりだったのだけど……」
「いないものは仕方ねーっすよ。 2人共、もう入ってきて良いっすよ」
柘榴が外に声をかけると、引き戸ががらっと開き、2人の男女が入ってくる。
男性が若干距離を取りながら、女性は数珠のように紐で繋がれた……生首を持って。
「それは7つ集めても神龍(シェンロン)は出ないぞ、たぶん」
「開口一番それか、クズロー……」
最近あんまり出てこなかった鬼子、新戸が7つのエーリカの生首を持って……いや、引きづって入って来た。
当然、男性……新田剣丞はドン引きである。
「で、何でお前は例の増えるエーリカの首を抱えているんだ」
「刈ってきた」
まるで山に芝刈りに行くかのような気楽さである。
「人が大変な目に遭ってる時に……」
「時間と共にオーディンはこちら側に干渉ができるようになるからな。
今のうちにできる限り向こうの手駒を減らしておきたい」
「残り何人だ?」
「……分からんが、10よりは少ない筈だ。 できればそう信じたい」
「正直に言って、今でも信じられないよ。
エーリカがエインヘルヤルで、この時代の英雄の魂を収集するために動いていたなんて」
剣丞がゴロンと地面に転がる生首達をそっと拾い、付着する泥と血を拭う。
どの首も彼が出会い、彼が知るエーリカと瓜二つだ。
その事に、剣丞は何とも表現し難い薄気味悪さを覚えていた。
「それはそうとして、オーディンの計画……全ニホン剣丞ハーレム計画だっけ?」
「その名づけ方はクズローだな?」
「まあそうね、とにかくその計画からすると、剣丞と晴信がくっつくと拙いと思って、
取り急ぎ晴信を始末したわ。 少しは計画から外れたかしら?」
そう尋ねられると、新戸はしばし瞑目し、大きく深呼吸をしながら精神を集中させる……
「……オーディンの気配が大きく遠ざかった」
美空が小さくガッツポーズをし、剣丞と九十郎の顔が僅かに沈む。
「もう少し……もう少し他にやり方は無かったのか……?」
「遅巧よりも拙速よ、剣丞。
時間をかけたら、アンタ武田の家中全員を嫁にしかねないじゃないの」
「そ、それは……」
武田での出来事を……特に、光璃と兎々に押し倒された時の光景が脳裏によぎる(第125話)。
まるで呪いにでもかけられたかのように、まるで洗脳されているかのように、甲斐の武田晴信が自分に惹かれ、自ら衣服を脱ぎ捨て、自分のモノに跨ってきた時、嬉しいと思う以上に背筋が凍った。
オーディンが何か仕込んだのでは、自分や光璃はそれに操られているのではと思うと、心が震える。
あるいは……誰よりも大事な嫁である久遠すらも、そうなのではないかと思うと、震えが止まらなくなる。
剣丞は信じたい、信じたいのだ。
久遠が語る愛の囁きを、『好き』の一言を……どんな言葉よりも信じたいのだ。
「だが、残念ながら武田信玄の魂はオーディンの手に落ちた。
今後おそらく武田信玄のエインヘルヤルが……」
言い終わらぬ内に、ドンッ! と強い衝撃が胸に当たる。
座敷牢の奥から丸太かと見間違えそうになる太い腕が伸び、新戸の胸倉を掴み上げていたのだ。
「……おい糞ニート、今何て言った?」
……鬼気迫る表情だ。
大事な大事な幼馴染の魂が、妙な計画で英雄の魂を集めている妙な連中の手に渡った事に、怒りと焦りを隠しきれずにいた。
「クズロー?」
新戸は訳が分からないと驚き、戸惑い……九十郎の心を読んだ。
「え……? これは……な、何で……?」
瞬間、新戸の心がさらに大きな驚きと戸惑いで一杯になる。
戦国時代の武田晴信は、現代ニホンの武田光璃である……それは九十郎にとっては確固たる事実であるが、新戸にとって……無数の並行世界を生きる無数の虎松達にとって、絶対にありえない事なのだ。
「クズロー、おかしい。 それは変だ」
「何が変だっ!? 他人の幼馴染が妙な連中に攫われたようなもんだろっ!!
落ち着いてなんていられるかよっ!!」
「そうじゃない! 時系列がぐちゃぐちゃだ!」
「時系列だぁ……?」
「クズロー、光璃に会ったのか?」
「ああ、会ったよ。 あれは間違い無く光璃だった」
「光璃はクズローの事、覚えていたか?」
「いや……」
「なら猶更おかしい。 現代ニホンの武田光璃は、クズローと会った。
現代日本で17年生きた。 クズローは光璃の影響で今の性格になった。
そんなクズローが一度死に、戦国時代に生まれ、25年生きた……」
「どこがおかしいんだ?」
「戦国時代で、クズローとまだ出会ってない光璃と会った。
僅かな時間でも、クズローと会って、影響を受けて……
そして現代ニホンに生まれ変わり、
光璃とまだ出会っていないクズローと出会ったのなら……
やはりそうだ、間違いなくループしている」
「ループって……言われてみればそうだな、俺は一体どこから来て、どこへ行くんだ?」
「現代ニホンで、早雲はクズローを邪魔に思い、殺した」
「おいちょっと待て、俺がどうしたって?」
「殺して、魂は戦国時代に送った……オーディンの計画を狂わせる一手になるかもと」
「いや待てよ! 俺は殺されたのかよ! 事故じゃねーのかよっ!?」
「なら……オーディンも同じ事を考えた?
邪魔な早雲の計画を潰すために、異物を送り込んだ?
互いに送り込んだ異物が、それぞれの時代で、互いに影響を与え合ったと気づかず……
そんな事をすれば時系列も因果関係もぐちゃぐちゃだ、収拾がつかなく……」
そこまで呟くと、新戸がハッと気づき、天を見上げる。
「オーディンの能力は……因果関係を操作する能力……
もしも因果関係が、収拾がつかない程にぐちゃぐちゃになれば……」
それは生まれて初めて感じる……全ての並行世界の虎松達が願ってやまなかった、神のミス、オーディンの失策である。
「勝てるかも……もしかしたら、本当に勝てるのかもしれない」
新戸がそう呟いた。
その目は確かな希望を見出し、爛々と輝いていた。
「因果関係の矛盾が起きて、重大なエラーが起きて、
オーディンが構築したシステムが機能不全を起こしているのかもしれない……」
「いや聞けよお前ぇっ!! 何かさっき俺が殺されたとか言ってなかったか!?」
「……気ノセイダゾ」
超棒読みであった。
「御大将、どう思うっすか?」
「後でとっちめて色々聞き出すわよ、後で……
でも今重要な事は、私達は思っている以上にオーディンを追い詰めてるかもって事、
今考える事は、これからどうするべきかって事でしょう」
「剣丞の嫁になりそうな大名をぷちぷちと潰して回るとかどうっすか?」
「だ、駄目だ! そんな事をしたら絶対に駄目だっ!!」
剣丞が大慌てで反対に回る。
今日の戦は武器の差、情報の差で制したものの、いくらなんでも日本中全部を敵に回して連戦連勝とは思っていない。
新兵器というものはいくら優れていたとしても……いや、優れていればいる程、対策が立てられ、類似品が出回るものなのだ。
「……蘭丸を倒す。 それでオーディンの計画は完全に崩壊する」
「桐琴から産まれた鬼子か……」
「どうしてソイツを倒す事がオーディンの計画阻止に繋がるのかしら?」
「本人にその自覚は無いと思うが、アレはおそらく、
オーディンが用意した計画遂行のための最大にして最後のセーフティネットだ」
「せ、せぇふてぃ……?」
「つまり、計画が当初の予定通り進まなくなった時の備えって事だろ」
「その洗脳能力で、この時代の英雄、英傑を残らず支配下に置き、
無理矢理にでも新田剣丞の妻になるように仕向ける……
重ねて言うが、本人にはオーディンの計画を手伝っている自覚は無い。
アイツはただ、本当の愛を探しているだけ、
そのために剣丞を利用している程度の感覚しかない」
「俺を利用して……無理矢理……」
ぎりぃっと剣丞が奥歯を噛みしめる。
久遠や一葉、詩乃や小波との出会いや想いを……愛を……それら全てを、剣丞が尊いものだと思う全てを否定するも同然の計画に、怒りを覚えていた。
「倒すと言っても、どうすりゃ良いっすかね?
柘榴達はあいつがどこで何をしてるのか分からねーっすよ」
「それは問題無い、蘭丸は今、オレやクズローを殺すために動いている。
越後長尾家と互角か、それ以上に戦える勢力を丸ごと洗脳して味方につけ、
近々戦いを挑んでくる……あいつは毎回、ワンパターンだからな」
「そう……なら、次の戦いに勝ちさえすれば、オーディンの計画はどうにかできるって事ね」
「まともに戦えさえすれば、蘭丸を殺すのはそう難しい事ではない。
蘭丸の身体能力は転子と同程度だ」
「つまり、俺の神道無念流の敵ではないって事だな」
「だが、奴とマトモに戦えるのはオレと剣丞だけだ」
「洗脳能力ね……」
柘榴は直接対峙して、美空は柘榴から聞いて、森蘭丸という名の鬼子の能力を知っている。
新戸は話が早いと説明を続ける。
「ああそうだ、オレは超能力で、剣丞は剣魂の機能で洗脳を防げる。
だが他の人間は駄目だ、目が合っただけ、声を聞いただけで瞬時に洗脳される」
「前に九十郎が戦ってなかったっすか?」
「あの時、オレは全神経を集中させて九十郎の洗脳を防いでいた」
「……実質一人ね、それじゃあ。 つまりこういう事?
軍と軍による戦いでは決して勝てないと」
後に、九十郎は蘭丸との戦いを『傾世元禳持ってる相手に太極図無しで戦いを挑むようなもの』と表現する。
蘭丸と戦うというのは、本当にそう言う事なのだ。
「味方の将兵全員が、能力の射程距離に入った瞬間裏切って斬りかかって来るわね。
今日の九十郎みたいに何の前触れも無く、唐突に」
「……戦いにすらならねーっす」
「つまり蘭丸を倒すには不意打ち、暗殺しかないって事……そうよね?」
「オレもそう思う、それ以外に方法は無い。
そして蘭松と戦った並行世界の無数のオレ達もまた同じことを考えた。
そして……1人の例外無く蘭丸に負けた、1人の例外無く」
「勝てないって、どうしてよ? 貴女は蘭丸に洗脳されないのでしょう?」
「……俺はセックスが苦手だ」
「はぁっ?」
あまりにも唐突な話題転換に、美空が思わず眉を顰める。
「もう少し説明すると、セックス中、絶頂の瞬間生物の精神は無防備になる。
洗脳や催眠……他者の精神に干渉する能力への耐性がほぼ無くなる」
「かも……しれねーっすね……」
柘榴は思わず、蘭丸のちOこを思い出した(第77話)。
ほんの僅かに思いを巡らせるだけで背筋が凍る。
あの神々しさすら感じる程美しき肉竿は、あまりにも異様だ。
一度挿入されれば、きっとあまりの快楽に発狂死してしまうのではと思う程……
あの魔性の肉棒と恐るべき洗脳能力が重なればどうなるか、柘榴は想像し、恐怖した。
「剣丞ならどう? あまり使いたくないけど、剣魂っていうのを使えば……」
「絶頂し、無防備になった精神を保護するのは、剣魂でも相当な無理を重ねないといけない。
一度や二度ならともかく、三度、四度と重なれば過負荷によって自壊する。
金ヶ崎の時のように」
「あの時の……」
今度は剣丞が、金ヶ崎で蘭丸と戦った時を思い出す(第68話)。
いや、あれは戦いなんてものではなかった。
洗脳能力で全員同時に金縛りにあい、押し倒され、犯され、情けなく何度も何度も絶頂して、射精して……余りにも一方的で、およそ戦いと呼べるようなものではなかった。
そして新戸が言うように、剣魂が蘭丸の発狂死を防ごうとして、砕けてしまったのだ。
絶望的過ぎる状況を再確認した所で、全員の発言が無くなる。
まるでお通夜のような……いや、お通夜よりも酷い重苦しい沈黙が辺りを覆う。
「糞ニート……いや、新戸、どうすれば良い?」
九十郎が珍しく危機感を持ち、姿勢を正して新戸にそう尋ねる。
こういう都合の良い時だけ新戸に頼る所が九十郎である。
「……賭けるしかない」
新戸はそう言うしかない。
そう答えるしかない。
蘭丸をどうこうするアイディアがあるのなら、もっと早く別の虎松が蘭丸を打倒している。
「長尾景虎が剣丞のモノにならず、越軍に時代錯誤の強力な武器が備わり、
武田信玄が戦に敗れ、命を落とす……
ここまでオーディンのシナリオが大きく崩れた事は過去に例が無い」
「オーディンのシナリオが崩れれば崩れる程、
オーディンは打てる手立てが少なくなるのだったわね?」
美空が以前新戸から教わった事を再確認する(第119話)。
「そうだ、そしてクズロー達が武田と戦っている間、
オレはこうしてオーディンの手駒を減らしておいた」
新戸が数珠繋ぎの生首をポンポンと叩いてアピールする。
傍から見れば猟奇殺人犯であるが、当の本人は大真面目だ。
「蘭丸、森蘭丸……か……」
かつて後一歩まで追い詰めた鬼子の顔を思い出し、九十郎はふと窓から見える空を見上げる。
西の空には夕日が半分姿を隠し、東の空には僅かに星が瞬きつつあった。
……
…………
………………
「二度とそのツラ、俺に見せるな……か……あは、あはははは……」
その頃、一二三が乾いた笑いをしながら、とぼとぼと戦場を歩いていた。