今、俺の眼前に半裸の前田利家が横たわっている。
改めて状況確認をしたら訳が分からない事になっているが、残念ながら現実だ。
3つ年下の後輩、桂と買い物をしていたら、暴走トラックが突っ込んで来た。
咄嗟に桂を突き飛ばしたが、俺は逃げ遅れて轢かれた。
自称転生を司る神が現れ、まだ殺す予定じゃなかったのに手違いで死なせました。
お詫びに戦国時代に転生させます。
貴方は特典無しでも十分過ぎる程にチートだから、転生特典はあげません。
とかなんとか言って……気がついたら戦国時代に生まれた赤ん坊になっていた。
でだ……
「九十郎……」
あの有名な前田利家が、日本史に疎い俺ですら名前を知っている前田利家が、槍の又左が……俺より数えで2つ分幼く、非常に可愛らしくしかも巨乳の女の子でもある犬子が、硬直する俺を不安げに見上げている。
見事なおっぱいだ、大事な事なので2回言うが、実に見事なおっぱいだ。
俺は唾をごくりと飲み込んだ。
「犬子……」
少女の名を呼ぶと、その肌がピクンと跳ね、頬が赤らんだ。
服ははだけ、肌は上気し、割と大きめの胸は完全に露出して、下着は……下着は僅かに、しかし確実に湿気を帯びていた
その視線から不安と期待の入り混じった感情が見えた。
俺が犬子を抱くのかどうか、俺が犬子を女として見ているかどうかを、犬子は知りたがっている、確かめたがっている。
だが……だが俺は……
「犬子……俺で……俺で良いのか?」
犬子は大きく一回頷いた。
迷うそぶりは一切無かった。
「俺は……俺は苗字すら無いただの極貧農家の子で……お前は荒子城主の……」
「勘当されちゃったから、今はただの犬子だよ」
犬子は少し不機嫌そうにそう漏らす。
確かに今、犬子は織田信長……何故か女の子になっている信長の異母弟を殺害し、勘当されてしまっている。
もっとも、勘当された原因を作ったのは俺だが。
(作者注)違います。
そっと犬子の髪を飾る、小さな笄に手を伸ばす。
犬子が元服した日に送ったプレゼントであり……犬子が勘当された原因になった忌まわしき物品だ。
あの事件があってから、犬子はその笄を肌身離さず……本当に1分1秒の例外すら無く身に着けている。
もう2度と離さない、これは私の逆鱗だ、私の魂だと言わんばかりに。
その事実が、俺にとってはひたすら重かった。
「俺は……」
俺は戦国時代で生き延びるべく必死になって前田利家に取り入ろうとした。
前田利家は織田信長と豊臣秀吉……天下人一歩手前と天下人に重用され、長生きをして、最後は畳の上で死んだ事を知っていたから……ただそれだけの理由でだ。
確かに俺は必死になって犬子に気に入られようとしていた。
していたが……将来的に犬子を娶るつもりであったかと問われれば、それは無いと答えるだろう。
前田利家はまつという名の嫁を貰い、まつの助けを得て出世をしたのだと聞いた事がある。
俺が犬子を妻にしたら、歴史の流れが変わるのではないかと心配しているのだ。
「九十郎じゃなきゃ、ヤダよ」
犬子はそう宣言した。
確かな意志と決意を籠めた声でそう宣言した。
それは俺にとって、歴史の否定以外の何物でもない。
俺の指先が、笄に触れる。
俺以外の誰が触っても、まるで逆鱗に触れられた龍が如く吠え、比喩表現でなく噛み付く犬子であったが……今の犬子は穏やかだ。
かつて桂は言った。
『先輩、歴史には分水嶺というべき場所があります。
明智光秀における本能寺、ガイウス・ユリウス・カエサルにおけるルビコン川、
呂奉先における董卓暗殺、マハトマ・ガンジーにおける罪の告白……
キリが無いのでこの辺にしておきますが、トラック転生モノでは、
案外簡単に、そして大きく大きく歴史を書き換える事ができる瞬間があるものです』
あくまで流行りのネット小説の話であるが、今の俺の状況に笑える程に合致する。
『そういう重要な場面でBACCANO!できたらきっと楽しいですよね!』
いっそ今すぐこの場に乱入して来てくれと俺は願っていた、祈っていた。
「……ここが俺のルビコン川なのか?」
静かにそう呟いた。
「るび……こん……カエサルの……?」
脈絡のない呟きを聞き、犬子がさらに不安そうな眼差しを向けてくる。
迷っていられる時間は無い、すぐに決断しなくてはならない。
股間の肉棒はビンビンに隆起していた。
犬子に欲情し、今すぐにでも抱きたい、挿入したいと叫んでいるかのようだった。
最初に会った時に比べて、出る所は出て、引っ込む所は引っ込んだ、女らしい体つきになっていた。
身長は伸びる気配が無いが、胸はでかい。
何ともまあ……俺好みの体つきになっていた。
「九十郎の……大きくなってるね……」
犬子が股間の肉棒を凝視していた。
クリクリとした純真で幼い瞳が俺の欲望を見据えていた。
見据えた上で、理解をした上で……犬子喉がごくりと鳴り、両脚が僅かに広がった。
それは無言の意思表示であった。
俺の欲望を、願望を受け入れる……いや、このまま結ばれる事を望んでいると告げていた。
「犬子……」
「九十郎……」
名前を呼び合う。
ただそれだけで胸が高鳴る、両肩に力が入る。
額から、両手から、止めどなく汗が流れる。
何が犬子をこうにまでさせたのかはまるで見当もつかないが……いずれにせよ今の犬子は、抱こうとすれば抱かれるだろう、孕ませようとすれば孕むだろう、そして……娶りたいと言えば、喜んでその身を差し出すだろう。
抱けば恐らく情が沸く。
俺は童貞だ……前の生でも、今生でも。
だから決めないといけない、犬子を抱くのか、一線を引くのかを。
俺の脳内では、水木一郎が炎の笑顔を熱唱している。
今すぐ、この場で……決めないといけない。
何が悪かったのか、何をするべきなのか。
俺の脳裏には、前田又左衛門犬子……いや、前田犬千代との日々が蘇ってきていた。
……
…………
………………
「九十郎! 覚悟ぉーっ!!」
1人の少女が長棒を片手に、むしろを編んでいる少年に殴りかかっていた。
少女の名は前田犬千代……後の前田犬子利家である。
相対するは犬千代より2つ年上の少年九十郎……苗字は無い、ただの九十郎。
極普通の極貧農村マンである筈の少年九十郎は、まるで襲われる事が分かっていたかのように慌てず、騒がず、そして淀み無く傍らに置いてあったお手製の武器に手を伸ばす。
「10年早いっ!」
「ぎゃわーっ!?」
そしてあっという間に、九十郎が竹刀と呼ぶ竹を束ねた模造刀により、犬千代は叩きのめされた。
まともに当たれば頭蓋骨が粉砕される勢いで振るわれた長棒は、九十郎に掠り傷一つ付けられずに宙に舞った。
これがいつもの2人の風景……もう3年近く、毎日毎日続けられている2人の日常風景だ。
背後から襲った時もあった、食事中に襲いかかった時もあった、真夜中の時も、早朝の時もあった……結果は全て同じであった。
得物が長ければ有利かと思い、ここ最近の犬千代は三間半の長棒で九十郎に挑む。
自分だけ武術の心得が無いのは不利かと思い、数か月前から犬千代は、尾張荒子城主であり、2000貫の知行を有する武士でもる母・前田縫殿助利昌に頼み込み、馬術や槍術の手ほどきを受けている。
そうした努力の甲斐あってか、それとも彼女に才があったのか、犬千代はメキメキと実力を伸ばしつつある。
……それが九十郎の狙い通りである事に、犬千代は気づいていない。
「とりあえず、座れ」
九十郎は小さな襲撃者に短くそう告げると、竹刀を置いて作業に戻る。
犬千代はすっ飛んでいった長棒を拾い上げると、近くにあった切り株にちょこんと腰掛けた。
どちらが言いだした事でもなかったが、負けた方は勝った方の言う事を1つ聞く……そういう暗黙の了解が2人の間にはあった。
もっとも、今の所九十郎は百戦百勝、毎回毎回犬千代の側が、全く同じ頼み……いや、話を聞く事になっていた。
「見ろ犬千代、少し前から薪割りの合間に作っていた」
九十郎は昨日完成したばかりの船の模型を犬千代に見せた。
「この間見せたガレオン船とは少し形が違うだろう?
バーク型船と呼ばれている船だ」
「ばぁく……?」
いきなり訳の分からない事を言われ、犬千代は頭の上に何個も何個も『?』マークを浮かべだす。
「バーク型船は元々石炭の運搬に使われていた船だ。
ずんぐりとした形状で堅牢な造り、積載量の多さと安定した航行が長所。
その代わり少々速度が出ない。
その辺りを改良したクリッパー船は、仕事の合間に作っている途中だ」
「り、りろんは知ってる……」
また九十郎の馬鹿話が始まったよ、こうなったら長いんだよなぁ……口には出さないが、犬千代はそう考えている。
こういう学術的な話を聞くよりも、剣や槍を振るい、馬を駆り弓矢を射る方が犬千代の性に合っているのだが……九十郎は気づいていない。
「キャプテンクックが1回目の探検航海に使った船『エンデバー』はこのパーク型だ。
クックの話は覚えているか?」
「え、えっと……キャベツの酢漬けで、かい……かい……何かの病気を治した人」
「壊血病の予防法を発見した人だ。 オーストラリアとハワイを発見した人物でもある」
なお、九十郎はまだ気づいていないが、キャプテンクックは西暦1728の生まれ、早い話が未来の人物だ。
この男、日本史はうろ覚えなので、今が西暦換算で何年にあたるのかを理解していないのだ。
「そうそう、快傑病」
「何だそのズバっと参上しそうな病気は……?
いやしかし、どうも船乗りの話はウケが悪いな。
クリストファー・コロンブスも話したが、あまり覚えていない様子だったし……」
「いんでぃあんを沢山殺した酷い人!」
「他には?」
「えっと……あの……西に向かって船を出した人?」
「合ってはいるが本質はそこじゃない。
うぅん……今日はクックの最後を話すつもりだったが、予定変更するか。
犬千代、今日は軍記を話そう」
「本当っ!?」
犬千代の耳と尻尾がピクンと跳ねる。
無論、尻尾は作り物の装飾品だが……犬千代の感情は、尻尾に出やすい。
九十郎はそんな犬千代の様子を見ながら、自分の知識の中から面白そうな戦争話を検索する。
「さて……カエサルは話したよな? アレキサンダーもチンギス・ハーンも粗方語ったし、
ナポレオン……は、砲兵の運用を説明するのが面倒だな。
アメリカ繋がりでジョージ・ワシントン……
あれは語ると長くなるな、犬千代の集中力が保つか?」
なお、九十郎はまだ気づいていないが、ナポレオン・ボナパルトは西暦1769年生まれ、つまりは未来の人物だ。
「九十郎! アレキサンダーの話もう一回聞きたい!」
「同じ話を2回も3回も繰り返したくは……
ああそうだ、ハンニバルの話はやってなかったな。
紀元前219年にローマとカルタゴ起きた、
第2次ポエニ戦争で活躍したカルタゴの将軍だ」
「ろぉまって、確かカエサルが居た国だったよね?」
「ああそうだな。 ただしカエサルは紀元前44年の生まれで、
第2次ポエニ戦争が起きた時には生まれてすらいない」
「カエサルって、ろぉまが大変な時に限って居ないね……」
「人の一生は長いようで短いからな。 そしてローマ帝国の寿命は異様に長い。
ローマ帝国の最後をどこにするかについては諸説あるが……
オスマン帝国によるコンスタンティノープル侵攻の年とするなら1453年、
西ローマ消滅の年と考えても476年、都市国家ローマ成立が紀元前753年だから……
短く見積もっても1200年続いているな、カエサル1人じゃどうにもならん」
「西……ろぉま……?」
「395年、時のローマ皇帝であったテオドシウス1世の死去がきっかけになって、
ローマ帝国は東西に分裂している。 広大な領地を東と西で分け合うようにな」
「南北朝みたいに?」
犬千代が母に教えられたばかりの歴史の知識を持ち出した。
いつもいつも九十郎に言われるままであった彼女であったが、たまには少し背伸びをして、自分が話をする側に回りたいと思う時もあった。
「南北……中国の話じゃないよな、日本の方は……
ああ、すまん犬千代、その辺は良く分からん」
だがしかし、この男の日本史知識は小学生と同レベルである。
南北朝時代に関する知識等、そういう名前の時代区分があったな程度のものでしかない。
「ふふ~ん、そしょうがないなぁ九十郎は。
それじゃあ今日は犬千代が九十郎に教えてしんぜようじゃないか~」
自慢げに鼻を鳴らして、犬千代がガバッと立ち上がる。
犬千代は元来、活動的で同じ場所でじっとしていられない性格の少女だ。
勝負に負けた結果とはいえ、他人の話を黙って聞いているだけというのは割と苦痛だったのだ。
「では拝聴しよう。 南北朝とはどんな効果だ、いつ発動する」
九十郎は少し意地悪そうに口角を上げ、犬千代に話の続きを促した。
彼の脳裏には、犬千代が次に発するであろう言葉が明確に予想できていた。
「ふっふっふっふっ、南北朝とは……南北朝ってのは……えぇと……」
今の犬千代に南北朝時代を他人に能力は無い。
親の話も、九十郎の話も、基本話半分で聞き流していたからだ。
「よ、吉野……の……いや、吉野で……後醍醐天皇が……
足利の将軍と喧嘩して……喧嘩してた時代?」
「他には?」
「えと……あの……あうぅ……」
九十郎はそれ見た事かと、先程以上に口角を上げた。
「少しばかり身体を動かそうか」
言葉を詰まらせる犬千代に対し、九十郎はむしろ編みを中断し、竹刀を握る。
極貧農家の倅として、長時間作業を滞らせるのは良くないと分かっているのだが……かと言って犬千代にとって退屈極まる話を延々と続け、犬千代が九十郎から離れられるのは困る。
それはつまり、将来における安泰な生活が遠のくのと同義である。
「……吠え面かいても知らないよ」
「やってみろ」
竹刀を両手で握り、剣先を相手の目に向けて構える。
正眼の構え……剣道においては最も基本的で、最も隙の少ない構えだ。
「犬千代の強い所、今日という今日こそは九十郎に見せてやるんだから!」
実際の所、犬千代は強い。
同年代では負けなしだ……九十郎さえ居なければ。
九十郎が犬千代の前に現れなければ、少女はここいら一帯のガキ大将になっていただろう。
だがしかし……前の生において、九十郎は剣術馬鹿と呼ばれていた。
道場の運営に命を懸けていたとか、竹刀だけ振っていれば幸せな男とか呼ばれていた。
その九十郎が、生まれてから10年も経っていない小娘に負けるなど、
ありえない話であった。
「とりゃあああぁぁぁーーーっ!!」
「面っ!」
パァン!! と、小気味良い音と共に、犬千代のデコが叩かれる。
大怪我をしないように手加減はされているが、少女の額はヒリヒリと痛む。
「うぅ~……」
「そら、今日は気が済むまで付き合ってやる。
一度や二度叩かれた程度で諦めるつもりか?」
「まだまだぁつ!!」
犬千代が長棒を握り直し、九十郎に向かって突進する。
「ぬるいっ!」
鋭い突きを掻い潜り、九十郎は竹刀を犬千代に叩きつける。
手加減はされているが、少女の脇腹がズキズキと痛んだ。
「真っ直ぐ突っ込むだけなら猪にでもできる。
腹に力を籠めろ、腋を締めろ、前を向いて顎を引き、呼吸を整えろ」
「そんな事……そんな事、言われなくなって」
「来い」
「たああぁぁっ!!」
「甘いっ!」
長棒による薙ぎは……ギリギリの所で届かず、犬千代が再び構え直すよりも早く肉薄し、その脛を蹴手繰った。
「剣先にばかり注意を向けるな、見るべき場所は末端よりも重心、
剣先指先よりも肩と腰だ」
「分かってるってば!」
身体中に纏わり付く土埃も気にせずに、転んだ拍子に擦りむいた膝も気にせずに、犬千代は長棒を拾って立ち上がる。
「来い」
「でやあああぁぁぁーーーっ!!」
全身がズキズキと痛んでも、犬千代はこの瞬間が大好きであった。
少しずつ、少しずつ、自分が研ぎ澄まされていく感覚が好きだった。
少なくとも、良く分からないろぉまの話や、航海の話を黙って聞いているよりは。
こうした犬千代と九十郎の毎日は、天文20年、西暦換算で1551年、犬千代14歳、九十郎16歳(数え年)、犬千代が織田久遠信長に小姓として仕えるようになる日まで続いた。
九十郎が未来の知識を有する者である事、前田利家の信頼を得て、安泰な生活を確保してくれるわぁ……等と考えている事を、犬千代はまだ気づいていない。
犬千代が……いや、前田犬子利家が九十郎からそれを告げられるのはもう少し後……犬子が初めて九十郎に抱かれる日の事、九十郎が散々葛藤した挙句、結局堪え切れずにヤッちまった日の事である。