連載を再開します。
西校舎の三階には黒瀬がいた。
彼の手には木刀が握られており、床には頭から血を流すゾンビが倒れている。走るゾンビといっても、今の黒瀬では相手にもならない。
「よし、探すか」
三階のゾンビを掃討した黒瀬は早速捜索に移る。
今の彼の目的はカードキーを探すこと。黒瀬は手近な教室に入って地道に机や椅子の下などから探す。教室が散乱しているので簡単には見つからないことは分かっている。しかし、どこにカードキーが隠されているかわからないため、念入りに調べるしかない。
「ん?」
黒瀬は調べている最中、この教室が懐かしく感じられた。
「もしかして……」
教室のドアから顔を出してクラスのプレートを見る。プレートには『2-A』と書かれてあった。黒瀬がまだ藤美学園に在学していた頃のクラスルームだ。
黒瀬は懐かしさを感じた理由がわかったところで、自分の席を思い出す。
確か、右側から一列目の最後尾だった。
その席を見る。あの席でよく寝ていた。
黒瀬は昔の自分を思い出して苦笑する。
黒瀬はあの頃は授業なんて聞かなくても、定期考査では学年トップだった。だから、授業中は寝るかサボるかのどちらかだった。そういえば、屋上で寝ていたら、同じサボりの小室と出会ったのが、彼との出会いだ。
「は! いかんいかん」
感傷に浸っている場合ではない。今は一刻も早くカードキーを探さなけれじゃならない。
黒瀬は自分の目的を思い出し、早速行動に移った。
一つの教室を調べ終わり、廊下に出たところで、黒瀬は何かに気付いた。
────誰かいる。
“何か”の気配に気付いた直後、彼に突風が襲い掛かった。しかし、それはすぐに止む。
「なんだ?」
人の気配がすることは確かだが、場所を探れない。この狭い廊下のどこかにいることはわかっているが、人が隠れる場所なんてない。
「ここだよ」
誰かが黒瀬の耳にそう囁いた。次の瞬間、黒瀬は後方に吹き飛ばされる。
────なに!?
黒瀬の胸が痛む。殴られたような痛みだった。すぐに受け身をとって木刀を抜く。
「透明になっているのか!」
昔、黒瀬は透明のハンターと戦ったことがあった。しかし、今回の敵は言葉を喋る。人間までもがウイルスの影響で透明になれるようになってしまったのだろうか。
「ちげえよ、ボケ」
またも黒瀬に誰かが囁く。次は背中が殴られ、床に倒れこんでしまう。
「なんなんだよ!」
透明のハンターの気配は探れたが、こいつの気配は探れない。黒瀬は焦りと苛立ちを感じていた。
「その程度か?」
再び、黒瀬は後方に吹き飛ばされる。床に着地する前に殴られ、前方へ。それが何度も繰り返され、黒瀬の身体はボロボロになっていった。
「ふぅ、ちょっと疲れたな」
やっと攻撃が止み、黒瀬は床に転がる。全身の骨にはヒビが入っており、少しでも動けば激痛が走る。
「く、そ……」
意味が分からない。敵は透明ではないとすればなんなんだ?
「よぉ、痛い?」
黒瀬に攻撃した本人が姿を現す。茶色の短い髪に顎に少々の髭を蓄えている男。そして……黒瀬と同じ紅い瞳。テレビか何かで見た人物だった。その男はどこからどうみても普通の人間で、とてもB.O.W.には見えない。だが、敵であることには変わりない。
「お前か!」
黒瀬は痛みに耐えながら起き上がり、その男の顔面に拳を放つ。しかし、当たる直前、というところで男は消え、黒瀬は横に吹き飛ばされて、教室のドアを破り、机や椅子を巻き込みながら転がった。
「遅いな、それでも原種か?」
どこかで男の声がし、黒瀬の顎に見えない拳が飛んでくる。それをまともに喰らい、脳が揺れる。
──こいつ、消えたんじゃない。
黒瀬はふらつきながら、耳に全神経を集中させていた。教室中に響く足音が聞こえる。しかし、それはあまりに早すぎる。
「やはりそうか!」
この男は、銃弾よりも速いスピードで教室を駆け巡っていた。銃弾がほんの一瞬見える黒瀬でも彼の姿を捉えることが出来ない。
速すぎる。それが、黒瀬の素直な感想だった。だが、そんな奴が相手でも黒瀬は諦めていない。
黒瀬はダガーナイフを十本、周囲に投げる。男が音速で教室中を駆け巡っているというのなら、どれか一本でも当たるはずだ。
しかし、その投げたダガーナイフ全ては、瞬時に黒瀬の元へと返ってきた。身体の至るところに刺さり、黒瀬は痛みで膝をつく。
「おいおい、俺は自分のスピードをコントロール出来る。お前が投げたナイフは俺には止まっているように見えるんだぜ?」
男は止まり、黒瀬の隣でそう囁いた。
「こいつ!」
黒瀬は胸の鞘に納められているナイフを抜いて男に刺そうとするが、既に男は消えていた。代わりに黒瀬の腰にあった手榴弾が、ピンのない状態で足下に転がっていた。
────マズイ。
黒瀬は直ぐにその場から離れようと立ち上がる。しかし、全身の傷で上手く身体が動かない。
手榴弾の爆発は黒瀬に襲い掛かり、その身体を吹き飛ばした。
────俺はなんなんだ?
ふとした疑問だった。
幼少期からの記憶がなく、両親が就いていた職も思い出せない。しかし、武道などのあらゆる戦闘術に優れ、射撃の腕は本物のスナイパーを凌ぎ、頭脳明晰だ。その上、常人の何倍も身体能力が高く、四肢が欠損しても臓器に穴が開いても、再生する能力を持っている。
まるで漫画や小説に出てくる人間みたいだ。
この力は天性の才能────ではない。
もう、黒瀬は気付いていた。自分が何者かによって造られた“化物”だということに。
目が覚める。
黒瀬はすぐに自分が拘束されていることに気付いた。
鉄の椅子に黒瀬の腕と足は固定されている。全力で固定器具を壊そうとするがビクともしない。
そういえば、と黒瀬はこの状況に陥る前を思い出した。
カードキーを探している最中、正体不明の敵から襲撃を受け、手榴弾で身体を吹き飛ばされたのだ。
しかし、黒瀬にはもうその傷は残っていない。凄まじい回復力で傷を再生したようだ。
黒瀬は拘束椅子からの脱出を一旦諦め、周りを確認する。
白い四角の部屋。何かの実験装置が隅々に置かれており、ここが研究室であることが伺える
「やぁ、起きたかね」
黒瀬の後ろからしゃがれた老人の声がした。
今までその人物の気配に気付かず、黒瀬は驚いたが、すぐに平常心を取り戻す。
「誰だ?」
黒瀬は椅子に固定されているため、後ろを振り向くことが出来ない。
「ほう、覚えてないか?」
黒瀬の横から自動式の車椅子が通り過ぎ、黒瀬の正面で止まる。車椅子に座っているのは七十を越えた老人だった。
「なっ!?」
黒瀬はその老人の顔を見て驚いた。あまりにも自分に似ている。
黒瀬が順調に老いれば、この姿になるだろうと容易に想像がつく。しかし、黒瀬はそれ以前に、この老人を見たことがあるような気がした。
「────ッ!」
老人を見つめていると、鋭い頭痛が走る。頭に何かの映像が流れる。黒瀬はいつも遠くにいる彼を見つめていた。彼はその時、白衣を着ており、車椅子ではなく、立っていた。いつの記憶か分からないが、十年以上前の記憶であることは確かだ。
「ふむ。いくつかヒントを教えれば記憶は戻りそうだな。貴様にとっては良い記憶ではないが」
「何を……言ってやがる」
「そういえば、彼はどうだった? 随分と痛め付けられたそうじゃないか」
「あのクソ野郎のことか? どうやってあんなのを造った? 今までのB.O.W.とは何もかも違う」
あのスピード、尋常じゃない。ウェスカーを越えている。
「あれはB.O.W.ではない。立派な人間だよ。人間の形をしていたし、言葉を話しただろう? あれは強化人間の類いだ」
「何か……新種のウィルスを使っているはずだ」
「新種か……彼に使ったウィルスは発見して二十年以上経っている」
「なに?」
あれが新種ではない? 黒瀬はその言葉が冗談としか思えなかった。そんなウィルスが昔から見つかっていれば、アンブレラはとっくに世界を支配している。
「そのウィルスの名前はR-ウィルス」
「R-ウィルス!?」
またも黒瀬に頭痛が走る。聞いたことがある。幼い頃に。しかし、脳が思い出すことを拒否するように、思考がブロックされる。
「ふむふむ、やはりそうか」
老人は何かに納得し、車椅子から立ち上がった。
「歳を取ると立つだけでもキツイものだ」
老人は車椅子に掛けている杖を取って、黒瀬の回りを歩く。
「五年ほど前に足腰を悪くしてね。アンブレラの技術力を持っても、老いは防げない」
「………………」
黒瀬は老人の話を無言で聞く。
「しかし、それも今日までだ」
老人は黒瀬の正面で止まる。
「貴様のおかげだ。先ほど“誰にでも”適応するR-ウィルスが完成した。このウィルスがあれば私の計画は全て上手くいく」
「……計画?」
「ラグナロク計画だ。世界を壊し、創り直す」
「は、何が創り直すだ。結局おまえの目的もウェスカーと同じなんだな」
「ウェスカーか。彼も“あの計画”を知ってしまったから、ウロボロス計画を実行しようとしたのだろう。しかし、彼の計画はなんら“あの計画”と変わらない。変わるのは、自分が世界の中心にいることだ」
黒瀬は老人が何を言っているのかさっぱり分からない。分かるのは、この老人が世界の敵であることだけだ。
「私は世界を救うために、世界を壊す。破滅へのタイムリミットまでそう長くない。“あの計画”は必ず止める」
老人は後ろの机の上のケースから注射器を取り出す。
「なに、ただの麻酔だ。心配することはない」
老人は黒瀬の首筋に注射器を注す。
黒瀬は抵抗など出来なかった。すぐに視界が歪み、眠りに落ちた。