あの事件から一年ほどが経った。
テロ組織“ヴェルトロ”によって行われたテラグリジアを巻き込んだバイオテロは、“テラグリジア・パニック”と名付けられた。今の時期には“テラグリジア・パニック”のニュースが掘り返されたり、事件に巻き込まれて亡くなってしまった多くの被害者を追悼したりと、どこもかしこも大忙しだ。
“テラグリジア・パニック”を起こした“ヴェルトロ”は、事件の少し後にFBCの手によって壊滅させられたらしい。この事件により、世界はバイオテロの重さを実感し、FBCの戦力増強が行われた。バイオテロが起こっても、FBCが即座に駆け付け、事態を終息する。
誰もがそう思っていた。
研究所は慌ただしくなっていた。研究員や警備員があちこちを走り回っている。
『バイオハザードレベル5、職員はただちに所定の場所まで避難してください。繰り返します──』
館内放送が全てを物語っていた。バイオハザードが起こったのだ。
「所長! 一部電源設備の
所長と呼ばれたスーツの男は、少しずれた眼鏡をクイッとあげる。
「B.O.W.をこれ以通さないでください」
「と、言いますと?」
「シャッターを下ろすのですよ」
「ですがそれでは――」
「皆さんが助かるにはそうする他ありません。今すぐ実行してください」
スーツの男は冷静に見えたが、内心ではそんなことはなかった。
(誰がバイオハザードを? 私の研究所は完璧なはずです)
誰かがへまをして研究所全体にウィルスが行きとおるはずがない。明らかに何者かが意図して仕組んだバイオハザードだ。
(例え研究所を放棄することなっても──)
男は厳重なケースから一本の注射器を取り出した。
(これだけは失えません)
得体のしれない液体。男は一年もの研究の結果、あのウィルスの強化型を開発することに成功した。
男はふと、六年前を思い出す。あの事件があったからこそ、変われた。ウィルスの素晴らしさに目覚めることができた。
「ふふふ、ははは」
男は笑いが込み上げてくることに違和感がなかった。
ウィルスの研究者がウィルスによって殺される。
「私はまだ死にません。あの娘に会うまではね──」
「さっむ!」
黒瀬はあまりの寒さに苦痛の声をあげた。
「仕方ないじゃない。私たちが登っているのは、あのアルプス山脈よ」
隣にいる女性はB.S.A.A.のメンバー、
だが、宮本と黒瀬はそれほど仲は良くない。別にお互いが嫌っているわけではなく、ただ話さないというだけだ。もちろん彼女とはカントウ事件の頃から命を助け合ってきた仲だが、その頃もあまり話していなかった。彼女とは話しにくい感じがするのだろう。宮本と日常的な会話が出来るのは毒島と小室ぐらいだ。
何故、そんな彼女と、アルプス山脈に武器を装備して登っているかというと、B.S.A.A.にはある噂が流れ込んできたからだ。
それは、一年前にテラグリジアでテロを起こした“ヴェルトロ”の復活だ。
ヴェルトロはFBCによって壊滅させられたらしいが、細かい情報は報道されず、B.S.A.A.も事実確認が出来ていない。テラグリジア・パニックを起こしたヴェルトロが復活したとなれば、またテラグリジアの二の舞となる場所が現れるかもしれない。そうはさせないために、黒瀬は友人の情報屋にヴェルトロに関する情報を探ってもらった。
時は二日前に遡る。
B.S.A.A.は着実に大きな組織に成長し、新しいメンバーも増えてきていた。
一年前にテラグリジアで共闘したパーカー・ルチアーニとジェシカ・シェラワットもFBCからB.S.A.A.へと転職した。他にもFBCから移籍した者もおり、理由としては、バイオテロを終息させるためにテラグリジアを消滅させたことだろう。他にもFBCには黒い噂が絶えず、それから離れるためかもしれない。
デスクワークをしている最中、黒瀬の携帯電話に電話が掛かってきた。『ソフィア・ラライン』と表示されている。ソフィアとは南米での事件以降何かと付き合いのある友人だ。今日は大方先日頼んだヴェルトロの件だろう。
「もしもし、何かわかったのか?」
『もちろん。当たってるかは確証はないけど』
「と、いうと?」
『FBCのサーバーをハッキングしてヴェルトロの情報を盗もうとしたんだけど、ロックがものすごく固くて入り込めなかったんだ。仕方ないから地道に捜査したら、FBCが二年前に制圧したアルプス山脈のアンブレラ研究所がここ最近再稼働してるらしいんだ』
「へぇ、FBCは何か対応を?」
『ううん。何にも。自分たちの管理下だから知っててもおかしくはないはずだけど』
「そうか。一応調べておくよ」
『でもヴェルトロに関係するかはわからないよ?』
「大丈夫だ。関係しててもしてなくても、アンブレラの研究所が再稼働してることには代わりないんだからさ」
何者かが放棄された研究所を使ってることは間違いない。
「連絡が早くて助かるよ。ソフィア、B.S.A.A.に入らないか?」
『唐突だね』
「ソフィアの情報屋の腕は認めてるからこそ、その力を犯罪に使ってほしくないんだ。給料は少ないけど、俺たちの元で働いてくれないか?」
ソフィアに金を払えば、たった数日で仕事をこなしてくれる。金さえ払えばいいので、金を持っている犯罪者グループにも利用される危険がある。
『B.S.A.A.に入る理由はないし――B.S.A.A.がFBCよりも大きな組織になったら入ってあげてもいいかも』
「それは……無理かも」
流石に国連の組織にNGO団体が敵うはずがない。
『じゃあ諦めてね。アタシは楽しく犯罪でも何でも金のためならやっちゃうよ』
そうして通話は途切れた。
黒瀬は立ち上がって上着を羽織る。
「リョウ、どこか行くのですか?」
B.S.A.A.メンバーのクエント・ケッチャムが黒瀬の行動を見て尋ねる。
「ああ、アルプス山脈に行ってくる。オブライエンに伝えといてくれ」
そんな感じで本部から出た。
小室と共に任務に出ようと思ったのだが、残念ながら別の任務でおらず、知り合いでいたのは宮本だけだったので二人でアルプス山脈を登ることとなった。
「………………」
「………………」
聴こえてくるのは吹雪の音だけ。二人は終始無言で、雪原に足跡を残しながら進んでいく。
(気まずっ!)
いつもならB.O.W.やテロリストが相手でも仲間と楽しく会話するのだが、こんなに気まずい任務は初めてだ。話そうにも何を話せばいいか。まさか会話の内容を考える日が来るとは思っていなかった。
「いい天気ですね」
「吹雪だけど」
「……………」
いきなり失敗した。真面目に答えるとは……。次は何を言おうか――
「…………!」
黒瀬は何かに気づいて木刀を抜いた。四方八方からゾワゾワとなめ回すような感覚が伝わってくる。
「なに?」
いきなりの行動に宮本も驚いた様子だ。
「トリガーから指を離すな。何かいるぞ」
宮本は黒瀬の真剣な表情で察し、銃剣付きM4A1のトリガーに指を当てた。
吹雪の中、黒瀬は確かに感じ取っていた。僅かな獣の唸り声と凄まじい殺気を――