「黒瀬よ……」
平野が何やら険しい顔で語りかける。
「何だよ、藪から棒に」
「今日が何の日か知っているか?」
黒瀬は首を捻る。今日は二月十四日ということは知っているが、何の日かは思い出せない。
「もしかして誰かの誕生日か?」
「違うよ! 今日は二月十四日、バレンタインデーじゃないか!」
黒瀬は「ああ」と納得する。
バレンタインデー、愛の誓いの日だ。しかし、恋人がいない黒瀬には関係ない。
「平野には高城がいるけど、俺にはいないもんなぁ……」
そもそも恋人をつくる気がない、というのが正しいだろうか。
「ボクと高城さんが恋人!? あはは、冗談はよしてくれ」
「お前なぁ、もう恋人でいいじゃん。告白しちゃえよ」
もうあれから五年も経つ。まどろっこしい関係を続けて何の進展もしていない。
「ボクが高城さんに……駄目だ。考えただけでも昇天しそう」
「んじゃ、何でバレンタインの話を振ったんだ?」
高城に告白する話かと思っていたが、どうやら違うようだ。
「ほら、ボクって射撃が上手いでしょ? B.S.A.A.でこの事を知らない人はいないと思うんだ」
「まぁ、確かに」
平野の射撃の腕はB.S.A.A.でもトップクラスだ。その腕は誰もが認めている。近接戦闘では下位だが。
「それほど有名だったら、メンバーからバレンタインチョコをたくさんもらえるじゃん?」
平野は顔を輝かせていた。
「そんな事を言ってもB.S.A.A.は百人もいないし、女性メンバーなんてもっての他だぞ」
「う、そうだよね」
一瞬で平野の顔が暗くなり、黒いオーラを発生させる。
「ボクが……バレンタインチョコを……もらえるはずが……」
うなだれ、近くにあったソファーに倒れこんだ。相当バレンタインチョコをもらいたかったようだ。
「平野! ちょっと!」
高城が平野にズンズン近づく。
「こっちにちょっと来なさい」
「え? どうしてですか?」
「いいから!」
高城の顔は真っ赤になり、その場から立ち去った。一瞬だけ、高城の手に小さな箱が持たれてるのが見えた。
「平野、行ってこい」
「はーい」
平野は黒いオーラのまま、高城の元へと向かった。
もう告白しろ、と黒瀬は思うが、時間が必要だろう。
(頑張れ、高城、平野)
黒瀬は心になかで二人を応援した。
「さて……」
黒瀬は背伸びをし、小室がいるはずである訓練ルームへと向かう。
アンブレラが使っていた雪山の倉庫を変化がないか調べなくてはならない。いつも通り、小室やキース、カークを連れて任務に向かおうとしていた。
訓練ルームに着き、中を覗く。
小室と宮本の姿が見え、宮本が小さな箱を渡していた。それをもらった小室は顔を真っ赤にしている。
「…………」
黒瀬は静かにドアを閉め、射撃ルームへと向かう。
南リカや田島なら今頃射撃ルームで訓練中だろう。
射撃ルームに着き、中を覗く。
田島と南の姿が見え、田島が小さな箱を渡していた。それをもらった南は顔を真っ赤にしている。
普通は逆だが、それは日本の文化。逆もまたしかり。
黒瀬は静かにドアを閉め、司令部に向かう。
司令部にはビリーやクリス、ジル、カルロスがいるはずだ。彼らなら今までの事は起きないはずだ。
司令部に着き、中を覗く。自分のデスクがあることを思い出し、覗く必要がないと判断して中に入る。中にはいつも通り、クエントの姿があった。
「あれ? 他のメンバーは?」
司令部にいるメンバーがいつもより少ない気がする。クリスやジルたちの姿もない。
「今日はバレンタインですからね。出勤している人の数自体少ないですよ」
「ええ!?」
黒瀬は驚くが、そもそもB.S.A.A.はNGO団体。休みを取ることを簡単だろう。
「クリスやジルもか?」
クリスたちがバレンタインだからといって仕事を休むとは考えられない。彼らの頭の中はいつでもバイオテロだろう。
「クリスとジル、カルロスは任務中ですね。ビリーは可愛らしい子と食事に行くと言っていました。グラインダーはいつも通り女を漁っているんじゃないですか?」
クエントはコーヒーを啜る。
「クエント……俺にもコーヒー一杯」
「ええ、どうぞ」
クエントにコーヒーをついでもらい、ブラックのまま一気飲みする。熱くてむせるが無視し、通信機を取り出した。
「カーク! 出動だ! ヘリの用意でもしてろ!」
苛立ち気味に言った。
「あのなぁ、リョウ。バレンタインの日はゆっくりさせてくれよ」
ヘリの中で、カークが呟いた。
「何!? まさかカークも彼女が!?」
「いや、いないけど……。でもバレンタインの日は負のオーラが溜まるんだよな」
黒瀬はそれを聞いて安心した。
「お前は味方だと信じてたぜ」
「何のことだ」
ヘリの窓の向こうには、雪山が見えた。アルプス山脈、そこにあったのはアンブレラのB.O.W.倉庫。FBCが制圧したが、途中天候がひどくなって撤退したのだ。黒瀬の任務はそこの調査。生き残りのB.O.W.やアンブレラの残党やテロリストたちに再利用されていないか確かめに行くのだ。
「でも、雪山だから着陸するところなんてどこにもないぞ」
「良いよ。カークは下の方で待っててくれ」
「一人で大丈夫か?」
「ああ。今日の俺は一味違うぜ」
目的地付近に到着し、ヘリのドアを開ける。その途端、機内に大量の雪と冷風が流れ込んできた。
「うお!? 寒いからさっさと行け!」
「俺の方が寒い思いをすんだぞ!」
黒瀬はヘリからダイブし、フカフカの雪へと着地する。
『じゃあ帰る際は連絡してくれ。凍死しないような』
ヘリは立ち去り、その場には一人の男が残った。
「寒いなぁ」
着ている服が役にたたず、風が貫通して皮膚へと直撃する。現時点でも帰還したい気持ちがやまやまだが、寒さを堪えて先へと進む。
誰も通っていない、綺麗な雪原が続く。だが、黒瀬の足跡も雪によってすぐに埋められるので、誰かが通った可能性も考慮しなければならない。
吹雪の中を進み、高台へと着く。
「あれは……?」
ここから件の倉庫が見えるが、何台もの輸送ヘリが停まっていた。
黒瀬は伏せて双眼鏡を出し、輸送ヘリの所在を確認する。ヘリにはしっかりと『FBC』と書かれていた。
「なぜFBCが……?」
FBCからそんな情報は回ってきていない。
しばらく見ていると、巨大な倉庫から人間が出てきて、輸送ヘリから人間大の鉄の箱が運び出される。
拡大すると、鉄の箱には『バイオハザード』のマークが書かれていた。
「ということはB.O.W.か?」
しかし、B.O.W.を輸送ヘリで運んで倉庫に保管する理由が分からない。わざわざ生かしておいて何に使うつもりだ? しかも研究施設ではなく、こんな倉庫に……
だが、黒瀬の思考は中断される。
――――ドス!!
伏せていた黒瀬の背中に何かが乗っかり、後頭部に銃口らしきものが突き付けられる。
「………………」
あまりに突然のことで驚いたが、すぐに行動に移る。
双眼鏡を置き、降参のポーズを取ると見せ掛け、銃を掴む。被弾しないように銃口をずらす。すぐに銃声が響くが、銃弾はフワフワの雪を貫通した。
――――この吹雪の中だ。倉庫までは今の銃声は聞こえないだろう。
黒瀬は力任せに銃を奪い取り、投げる。腕立て伏せで三メートルほど跳躍し、身体から乗っている人物を引き剥がした。
宙に浮かんでいる最中に胸からナイフを抜き、着地と同時に謎の人物の首へとナイフを突きつける。
その人物は金髪の髪に褐色肌の女性。ソフィア・ララインだった。
「ソフィアか!」
「おにーさん!?」
二人とも驚くが、すぐに伏せた。
「なんでソフィアがここに?」
「それはこっちの質問だけど……調査だよ。FBCのね」
「やっぱりあれはFBCなのか?」
「うん。と言ってもFBCの裏方。彼らはB.O.W.の実験をしているんだよ」
「何!?」
今日は驚きの連続だ。驚きすぎてどうにかなってしまいそうなほどである。
「目的は不明だけど、ハンターを大量に増産しているみたい」
「マジか……」
何の意味があるのだろうか。B.O.W.を倒す側のFBCがハンターを増産しても一ミリも特はしないはずだ。
「ま、目的に関しては後々調べておくよ。おにーさんもちゃんとした証拠が出てきてから告発した方が良いよ」
「ああ。歯がゆいけどそうするしかなさそうだ」
今言ってもはぐらかされ、証拠を消される可能性が高い。この事に関してのFBCの判子つきの資料でもゲットできればいいんだが。
「じゃ、さっさと撤退しよう。当然ヘリはあるよね?」
「まぁな。て、ソフィアも乗るのか?」
「うん。おにーさんのせいで銃がどっかいっちゃったし、その弁償として」
「……オーケー」
今日は疲れた。さっさと休みたいものだ。
二人はヘリに乗ってB.S.A.A.本部へと戻る。
「なぁ、ソフィア。今日についてどう思う?」
唐突に意味不明な事をソフィアに聞いた。
「今日? ああ、バレンタインね。おにーさんたちは彼女がいないからこんな寒いところで仕事をしてるんでしょ?」
ソフィアの冷たい言葉を聞いたカークは一瞬凍らされ、ヘリが傾く。
「俺は彼女をつくらないだけだ!」
「モテない男はよくそう言うよね」
カークは撃沈され、魂が抜けたまま、ヘリを操縦する。
「おにーさんに彼女がいないことにはど驚きだけど」
「まぁ、不良してたしな」
「じゃあ、おにーさんにこれをあげよう!」
ソフィアはポケットから何かを取り出し、黒瀬の手のひらに乗せた。それは、一口大の銀紙に包まれた物体。
「アタシからのバレンタインチョコ。それしかいまはないけど……」
「うおおお!! 好きだ、ソフィア!!」
黒瀬はソフィアに抱き付く。ソフィアのほんわかとした熱が黒瀬に伝わる。
「ちょ、おにーさん!?」
ソフィアは頬を赤らめる。予想だにしていなかったのだろう。
ガクン、ヘリが突然急降下し、機体が揺れる。
「どうせ……俺はモテないんだ……」
カークの負のオーラがどんどん高まり、今にも爆発しそうだ。
「ちょ!? じゃあ、パイロットのおにーさんにもチョコをあげるよ」
その言葉を聞いた瞬間、カークの負のオーラは吹き飛んだ。
「よっしゃあ!! 最速で帰還するぞ!」
「「………………」」
墜落しないで良かった。二人は生を実感した。