高城沙耶は、震えていた。
自分から言い出し、バイオテロの起こったショッピングモールまで来たが、軽率だったと実感した。
暗いショッピングモールを照らす一筋の光。この光を頼りに進み、最悪の場合、敵と戦闘しなければならない。この暗い場所で、いつどこから襲ってくるかもわからない敵を対処し、人命の救出。失敗した場合には重い責任が下る。
高城は短機関銃『H&K MP5』をぎゅっと握り締める。緊張のせいか、手が湿るが、辺りの警戒は怠らない。
――私のせいで誰かが死ぬ。
その可能性は十分にある。一瞬でも気を緩めた結果、敵が襲い掛かり、仲間を襲うかもしれない。それだけは絶対に避けたい。もっとも、このチームには信頼できる人物がいる。
高城は信頼できる人物、黒瀬リョウを見た。近代の戦闘服ではありえない装備、日本刀を腰に携え、右手には木刀、左手には、刃渡り3センチメートルほどのダガーナイフを3本指に挟め、構えている。黒瀬の赤い目は暗闇の中で微かに光り、その表情は、どよーんと、沈んでいるように思えた。
「あら、怖いのかしら?」
「いや、コソコソするのは苦手なんだよ。さっさと突っ込みたい」
予想だにしていない答えが返ってきた。確かに黒瀬の性格からして、コソコソと様子を見ながら進むより、突っ込んでさっさと救出した方が性に合っているのかもしれない。
カークが言った。
「おいおい、先月みたいにB.O.W.をおびき寄せるのは止してくれよ。リョウとタカシがヘリまで敵を呼び寄せたせいで俺まで大変だったんだからな」
「でもあれのおかげで施設の敵は全部倒せたんだから良いじゃん?」
黒瀬とカークの話の内容は分からないが、やはりB.S.A.A.のエージェントはかなりの化物らしい。
階段をのぼる。
一段上がるたびに、コツコツと足音が鳴り、この音で敵が気づくないか不安になる。シーンと静まりかえり、響くのは足音だけ。本当に大丈夫なのだろうか。
敵に会うことなく、4階に到着し、壁に隠れて辺りを警戒する。
「おいおい、あれはハンターか?」
キースが気付く。目を凝らしてキースが指を指した方向を見ると、確かにハンターらしき生物が彷徨いていた。
「こちらデルタ、ハンターを発見した」
『発砲許可は出ている。民間人救出までに出来る限りの敵は排除しろ』
相手は1体、こちら5人、普通なら負ける要素はない。
『こちら本部、新しい情報だ。4階の東エレベーター付近で、民間人の子供が親とはぐれてしまったらしい。そちらの捜索も頼む』
「おいおい、マジかよ……」
今、高城たちがいるのは、南エレベーター付近の階段、そして本来の目的の民間人が隠れているところは西の方だ。子供がはぐれてしまったところと民間人が隠れているところは、逆、ということだ。
「仕方ない。チームを分けよう。リョウ、俺は民間人の方に行く」
パーカーが言う。
「オーケー、それならキース、カークはパーカーと一緒に民間人の救出だ。俺と高城で子供の捜索にあたる」
黒瀬は冷静に判断した。
「こちらデルタ、チームを2つの分けて捜索する」
『了解した』
「リョウ、子供の捜索が終わったらここで合流しよう」
「オーケー」
「サヤちゃん、気をつけて! まぁ、リョウがいるから安心だと思うけど」
「そっちこそ」
二手に分かれて行動する。メンバーが少なくなって少し心許ないが、あの黒瀬と一緒だ。キースよりかは信頼できる。
「黒瀬、本当に2人で大丈夫なの?」
黒瀬の武器はほとんど近接だ。そして自分もそれほど訓練を積んでいない。敵が襲い掛かってきても遠くの敵を対処できるのは高城だけだ。
「大丈夫だ。俺が高城を必ず守るから」
「…………」
今さらだが、黒瀬はキザなセリフを吐きすぎだと思う。この言葉を知り合ったばかりの人に言っていたら、もうバカを通り越しているが、流石の黒瀬でもそういうことはしないだろう。
「気を付けろよ。このフロアにハンターがいることは確実だ」
「わかってるわ」
暗闇を進む。高城は10メートル進むだけでも相当な神経を集中させ、額からは冷や汗が流れる。汗を拭い、再び銃を構えると、黒瀬からストップの合図が出た。
「なによ?」
「あれ」
黒瀬は正面に指を差すが、そこはライトの当たっていない暗闇。高城は何度も目を凝らすが、当然何も見えない。
「分からないのか? ハンターだ」
「…………」
もう8年ほどの付き合いだが、久しく忘れていた。黒瀬の視力は凄い。夜行性の猫が暗闇の中で目を光らせるのは、夜の僅かな光を集め、反射しているから、と言われている。黒瀬の目も猫の目ように反射し、その奥にいるハンターをしっかり捉えているかもしれない。
黒瀬はそっと、ナイフを投げた。くるくると回転しながらナイフは飛び、暗闇で見えなくなる。遠くでドシャ、と何かが倒れる音がした。
「倒したか……」
ハンターがいるらしい場所まで進むと、黒瀬の言う通り、ハンターが頭にナイフを刺されて息絶えていた。
「アンタ……本当に人間じゃないのね」
そもそもナイフ投擲自体難しいのにそれを、20メートル先にいるハンター目掛けて投げるなど、人間業じゃない。いや、そもそも仲間の中に人間以上の事ができる人物がほとんどだが。
平野コータは、元SATのスナイパーと射撃勝負で張り合うことが出来るし、毒島冴子は人間ばなれした身体能力を持っている。小室孝も黒瀬に鍛えられたおかげで、軍人とまともに戦えるほどにまで成長した。
(私も……)
他に負けてはいられない。ハンターでもケルベロスでも倒して、どんどん強くなる。
「うわぁぁぁん!」
子供の泣き声が、聞こえてきた。かなり近い。
黒瀬と高城は顔を見合わせ、
「行くぞ!」
「行くわよ!」
走り出した。
子供の泣き声のする場所は、情報通り、東側エレベーター付近のトイレ。中に入ると、男性がトイレの扉を叩き、その中から子供の泣き声が聞こえる。
だが、その男性は既に人間ではなかった。
胸には大きな爪傷があり、服血では真っ赤に染まっている。顔は真っ青、白目を剥いていた。そして、その口からは呻き声に似た声を発している。
〈奴ら〉だ。あれから4年、忘れたことはない。〈奴ら〉は人を喰い、その喰われたものも〈奴ら〉となって数を増やす。動きは鈍いが、集団で襲い掛かることが多く、関東では多くの人が犠牲になった。
こちらに気付き、腕を前に伸ばして近づいてくる。その姿は、まるで映画のゾンビだ。
「よっ!」
黒瀬は木刀を抜刀し、抜いた勢いのまま、男性の頭に叩きつけた。力を失ったように倒れる。木刀の血を払い、腰に直す。
流石だ。話で聞いた程度だが、今まで何度も死闘を繰り広げてきたこともある。アンブレラを潰したのは、黒瀬を含めたオリジナル・イレブン。彼らの力は計り知れない。
「おい、大丈夫だから、ドアを開けてくれ」
黒瀬がそう言うも、子供は泣き止まず、ドアを開けない。
「バカね。私がやるわ」
高城はトイレのドアの前に立った。
「もう大丈夫よ。敵は私たちがやっつけたわ。もう怖くない。はやくママのところに戻りましょう」
自分でも気持ち悪いと思う声で言ったが、子供は泣き止み、ドアを開けてくれた。
「もう大丈夫よ。怖かったでしょ?」
高城は子供を胸に抱え、頭を撫でる。
「パーカー、こちらリョウ、子供を救出した」
『俺たちも民間人6人を救出。南階段で合流しよう』
『サヤちゃん、大丈夫!? 化物に何もされてないよね?』
高城は無線を切った。
「はやく行きましょう」
子供は、安心して緊張が緩んだせいか、高城の胸の中でぐっすりと寝ていた。
「じゃ、お姫様とお子様をエスコートしますか」
行きはよいよい帰りは怖い、と通りゃんせの歌にあるように、ケルベロスやハンターが帰りになって襲い掛かってきた。
ケルベロスは高城の首もと目掛けて飛ぶ。目を瞑ったが、いつまでたってもケルベロスは来ない。
「言ったろ? 俺が必ず守るって」
目を開けると、ケルベロスは倒されていた。
「高城、安心して子供を抱えてろ。何があっても絶対に手は出させないよ」
あまりにクサすすぎる言葉に苦笑するが、これだからこそ黒瀬リョウと言えるだろう。
「分かったわ! 私を守りなさい!」
「オーケー、お嬢様!」
「ぷはぁ! やっぱり酒は旨いなぁ」
黒瀬はコップ一杯の酒を飲み干し、カウンターの店員にまた同じ酒を頼んだ。
黒瀬と高城は、パーカーたちと合流し、無事に民間人を救出することに成功した。その後、FBCが増援に来たので、用なしとなった自分たちは、帰ることになった。そして、高城は黒瀬に誘われ、いきつけとやらのバーに来ている。
「アンタ……よくそんなに飲めるわね」
これでもう5杯目。しかも、その酒のアルコール度数は70度を越えている。普通なら酔い倒れてそうなところだが、顔はいつも通りの黒瀬だ。
「俺は酔わないんだよ。ほら、傷の回復力が凄いじゃん? 多分そのせい」
なるほど、黒瀬の身体の中では、通常より何倍もはやくアルコールを分解しているらしい。
「でもアンタ、未成年じゃない」
「あと1ヶ月だぜ? 変わらん変わらん」
「それがダメだっていうのに……」
高城はオレンジジュースを飲んだ。
「まぁ、アンタが言ってたことが今日の事件でよくわかったわ」
本当に心から恐怖した。いつ殺されるかもわからないあの恐怖。思い出せば、また鳥肌がたってくる。
「辞める気になった?」
「いいえ、辞めないわ。黒瀬のおかげでバイオテロの怖さとそれと戦う怖さもちゃんと理解した。でも、だからこそ、私はバイオテロと戦いたい。今日救ったあの子供の命、本当に救えて良かったと思う。でも、あの被害者がこれからも存在し続けるというなら、これからも助けていきたい」
高城の覚悟は本物だ。
「じゃあ、訓練も頑張る?」
「それは、ちょっと……」
覚悟は本物だが、訓練にはまだ抵抗のある高城であった。
次回の話は毒島先輩がヒロインになる予定?