アユムたちは、衰弱しているアカリを休ませるためにホテルの最上階にあるスイートルームへと足を運んだ。
ここまで感染者が階段を上って来る可能性は少ないだろう。他の部屋よりも比較的安全なはずだ。
スイートルームの壁は一面ガラス貼りになっており、そこからは様々な場所で火事が起こっている様子やこの事件を起こしたテロリストたちが立て篭っている神岡タワーが見えた。
アユムたちはアカリを救出出来た嬉しさもあったが、場の雰囲気は暗い。ここまで一緒に行動を共にしてきた自衛官の井上が死んだからだ。
井上は、なぜか襲い掛かってきた自衛隊の特殊部隊にアユムとアカリが殺されそうになるのを庇って死んでしまった。
自衛官として国民を救う使命を全うした井上。自衛官として任務を優先し、子供を殺そうとした特殊部隊。何でこんなことになってしまったのか、彼らには分からないことだらけだ。
「これ、お兄ちゃんが作ったんだよね?」
キングサイズのベッドに座って、民家で作った料理を食べるアカリ。
「ああ、そうだよ」
「やっぱりお兄ちゃんは料理が上手だね」
「……お袋には敵わないけどな」
いつも豪勢な料理を振る舞ってくれた母も、仕事で疲れているはずなのに子供のために遊んだり、旅行の計画を立ててくれた父も死んでしまった。この地獄を無事に抜けれたとしても、この先の二人の人生は辛いものになるだろう。
「これからはオレが飯を作るよ。お袋みたいにはいかないけど……それでもいいなら」
「うん。……私たちを助けてくれた人、井上さんっていうんだよね?」
アカリの表情が曇る。
「ああ、でもオレ、井上さんのこと何も知らないんだ。会ったばっかだし、ゴタゴタしててあんまり話せてもないし」
実際、井上のことを詳しく知っている人間はここにはいない。とても誠実な人間で、黒瀬と小室のファンということくらいしか情報がない。どこで育ったのか、趣味はなんなのか、何も知らずに彼は逝ってしまった。
「なのに自分の命を犠牲にしてまで私たちを助けるなんて……」
「凄いよな。オレだったら足がすくんで出来ないと思う。でも助けられたからには井上さんの分まで……いや、それだけじゃない。お袋と親父の分まで立派に生きなきゃな」
これからの人生、一体どうなるのか誰にも分からない。分からないが、助けられたこの命、無駄には出来ない。
(井上さん、あなたの分まで立派に生きます。そして、アカリを自分一人の力でも守れるように強くなります。だから、ゆっくりと休んでください)
アユムは心の中で静かに誓った。
時刻は午前二時。一休みした黒瀬たちはベッドで熟睡しているアカリを除き、集まっていた。
「リョウ、これから私たちはどうするの?」
クレアの問いに黒瀬が静かに答える。
「この事件を起こしたテロリスト、感染者保護団体を潰しに行く」
t-ウィルスに感染した人たちは殺処分されることに怒りを示した彼らは、その実態を知らしめるためにこの事件を起こしたようだが、明らかに狂っている。ただ被害者を増やすだけのこの行動に賛同する者など、黒瀬には何一つ理解出来なかった。それはこの場にいる者全員がそうだろう。
神岡テーマパークの中にある神岡タワーを根城にしている彼らを警察のSATが制圧するという話だったが、先ほど見たニュースでは現場に突入したSATは壊滅したとのことだった。
「SATが壊滅するくらいだ。BOWを投入しているのは明らかだろう」
優秀な部隊だとしてもBOWを相手にするには骨が折れる。BOWのほとんどは死を恐れず、突っ込んでくる。柔軟な対応が必要な相手だが、実践経験がほとんどないような日本の警察や自衛隊では厳しい相手だろう。
「俺や小室が助けられる人数にも限りがある。だから、俺たちが先にテロリストを倒し、そこに割いている警察や自衛隊の人員を救助活動に回せれば多くの人が助かるはずだ」
黒瀬の言っていることは正しかった。実際、警察や自衛隊よりも黒瀬と小室の方が『人』とも『BOW』とも戦闘慣れしている。それに感染が広範囲に広まっている今、現場の指揮系統から外されている二人は、警察や自衛隊を自由に動かせる権限はない。最初の避難所にいたような武岡二尉のように除け者にされてしまうだろう。ならば、二人にできることは警察と自衛隊の救出活動の障害となっているテロリストを排除し、双方が円滑に活動できるようサポートすることだけだ。
「私たちはどうすればいいの?」
「ここなら他よりは安全なはずだし、すぐ上は屋上だからヘリでの救助も期待出来る」
「そうかもしれないわね……でもリョウ、本当に大丈夫なの?」
クレアは心配そうに聞いた。
「ああ、大丈夫だ。もう俺は一人じゃない。だろ、小室?」
黒瀬は小室の方を振り向く。
「! そうだ、黒瀬は一人で戦っているわけじゃない。いつもみんなの心は一緒だ」
小室は小っ恥ずかしい気もしたが、何故か懐かしさを感じた。黒瀬は元々、空気が読めない奴で恥ずかしいセリフを言ったり言わせたりする鈍感野郎だった。戦いが続いていく内に多くの仲間が死に、彼はいつからか笑わなくなってしまった。だが、それもきっと今日までだ。
「はっず! お前、よくそんな恥ずかしいセリフ言えるな」
「黒瀬が言わせたんだろ!」
小室は腕で黒瀬の首を絞め、じゃれ合う。二人の笑顔を見て、クレアと静香も微笑んでいた。
「オレはどうすればいいですか?」
アユムが二人に問う。
黒瀬は微笑み、アユムの頭を撫でた。
「お前が復讐を望んでるなら来い。でも、今はそうじゃないだろ?」
黒瀬は寝ているアカリを見つめる。アユムもコクリと頷いた。
「アカリのそばにいます。妹を守るのはオレの役目だから……」
兄として、そしてアカリのたった一人の家族として、アユムはこの事件を起こし、両親を死へと追いやったテロリストへの復讐よりも妹を守ることを選んだ。
「安心してくれ、アユム。この事件をさっさと終わらせて二人を巡ヶ丘まで送り届ける。約束だ」
アユムの肩を叩く小室。アユムは涙目になりながら頷く。
「クレア、静香先生、二人を頼む」
「ええ、任せて。何があっても二人は守るから」
「リョウくんも孝くんも無理しちゃダメよ?」
三人に見送られながら、黒瀬と小室はホテルをあとにした。
神岡テーマパークに着くのは簡単だった。
ホテルで倒した特殊部隊の武器を使わせてもらい、小室はショットガンとハンドガンを装備していた。黒瀬は木刀とナイフを数本。
力を取り戻した黒瀬と武器を手にした小室の前では、感染者など敵ではない。瞬く間に倒し、気づけば目的地に到着していた。
物陰に隠れながら偵察をする。正面入り口前にはBOWであるハンター、ケルベロスが彷徨いている。そして、その近くにはSATの隊員たちが倒れていた。やはり、SATではBOWには敵わなかったらしい。それもそのはず。ハンターやケルベロスは古いBOWながらも素早い動きと耐久性でBSAAの隊員でも手こずるほどだ。対BOWの訓練を受けていないSATなら尚更だろう。
「どうする黒瀬。かなり多いぞ」
目視で数えられる敵の数は二十体。二人で戦うには少し厳しい数だが……
「もちろん正面突破するしかないだろ。BOWをほっとくわけにもいかないし」
「黒瀬ならそう言うと思ったよ」
二人の付き合いは高校の不良時代の時からなので随分と長い。何を考えているのかなどすぐに分かるだろう。
「覚悟は決まったか?」
「もちろん。僕と黒瀬の最強タッグなら敵はいない。……そうだろ?」
「高校の時の話持ち出すなよ、恥ずかしい」
黒瀬と小室は高校の時、学校や街ではそこそこ有名な不良だったのでそう呼ばれた時もあったが、あれはいま思うと……
「……黒歴史だな」
「ひでえ、黒瀬はそう思ってたのかよ」
「ああ、あの時の俺はお調子者で負けず嫌いのナルシスト不良だった」
「今もそうだろ!」
小室は黒瀬の頭をペシンとはたいた。
小室のツッコミの声に反応してBOWたちが振り返る。二人の存在に気付き、襲い掛かってきた。
「お前のせいでバレただろ!」
「いや、今のは黒瀬のせいだ!」
がやがや言いながら、二人は戦闘態勢に入る。一番近い敵を散弾で吹き飛ばし、その後ろも黒瀬が投げたナイフを喰らって倒れる。
「援護頼んだ、孝!」
黒瀬は小室を下の名前で呼び、木刀を抜いて敵の群れに突っ込む。それを聞いた小室は微笑んだ。
「オーケー、リョウ!」
小室は笑顔でショットガンを構えた。
その頃、神岡タワーの展望台には今回のテロを起こした『感染者保護団体』のメンバーが集まっていた。
全国から集まったメンバーは百六人。ほとんどが日本人で構成されているが彼らが顔を合わせるのは今回が初めてだった。メンバーのほとんどは二十代で大学生も多い。
元々、感染者保護団体とはインターネットの一般人でも書き込める掲示板から発足したものだった。抗議という抗議もネット上だけだったため警察からもマークされておらず、今回の犯行も淡々と進めることが出来た。
「リーダー、奴らが来ました」
メンバーの一人が椅子に座っているフードを被っている人物に向かって言った。
リーダーと呼ばれた人物は立ち上がり、笑みを浮かべる。
「待ちかねたよ。これでやっと……お姉ちゃんの仇を討てる」
リーダーはフードを取り、その姿があらわになる。褐色肌で金髪のセミロングの女性。歳は二十歳いくかいかないかくらいだろう。明らかに日本人ではないが、他のメンバーたちが彼女をリーダーに指名したのは、彼女が今回のテロに使ったtーウィルスやBOW、そして銃器を調達し、作戦まで考えたからだ。メンバーのほとんどは高学歴であるが、そういったものを手に入れるコネはない。実際、メンバー全員に銃が支給されたが、実銃を見るのも持つのもこれが初めてだった。彼女がどうやってこれほどのものを手に入れたのか気になるが、それよりも自分たちが世界を揺るがすほどの事件を起こせたことに彼らは喜悦していた。
「このタワーに向かっているのはBSAAの黒瀬リョウ、小室孝だ! 二人は1999年に起きたカントウ事件の頃から感染者を大量に殺害している。到底許されることではない。彼らには聞こえないのだ、感染者の苦しんでいる声が!」
メンバーは「許せない!」「なんて奴らだ!」と二人を批判する。
「二人はBSAAの設立メンバーだ。その二人を倒せばBSAAは大打撃を受け、感染者の被害は少なくなる。だからなんとしてでも二人を殺すのだ!」
『うおおおおおおおおお!!』
場は熱く盛り上がるも、リーダーである女は冷静だった。彼女には感染者の保護などどうでもよかった。彼女とこのグループの目的は別にある。ただこのグループが簡単に使えそうな手駒になると思ったから利用したまでだった。
(はやくこい、黒瀬リョウ!)
彼女は復讐のために鬼になることを選んだ。黒瀬を殺すために大勢の人間を犠牲にしたとしても。