あれからアユムは何度もアカリの携帯に電話を掛けたが、電源を切っているのか電話を取ることはなかった。
(馬鹿なやつ……もっと心配するっての……)
アユムは逃げてと言われて、妹をほっといて逃げる人間ではない。アカリはアユムを心配して言ったが、それはアユムにとって逆効果だった。両親を失い、妹も失うことになれば、ここから助かったとしても一生悔やみながら生きることとなるだろう。
「着いたぞ、警備室だ」
小室が警備室のドアを開け、中を確かめる。感染者はいないようだ、そのまま三人は中に入る。
彼らが警備室に来た理由は、警備室の防犯カメラの映像を確認し、アカリの居場所を探るためだった。これほど広いホテルだ。むやみやたらに探してもキリがない。それに時間を掛ければ掛かるほど危険となる。
警備室に入り、三人の目に真っ先に入ったのは、ホワイトボードに乱雑に書かれている『避難場所 コンサートホール!!』という字だった。
「コンサートホール、そんな場所がこのホテルに?」
「た、確か親父が言ってたんですけど、夜はリラックスしたいからホテルに附属してるコンサートホールでピアノ演奏を聴くとかなんとか……」
「そこにアユムの妹がいる可能性は高いな」
他にも生存者がいるかもしれない。小室たちは複数設置されているモニターからコンサートホールを探し出す。
「もしかして……これじゃないですか?」
井上がモニターに指を指す。
そのモニターには観客席とステージの上に一つポツンと置いてあるグランドピアノ、そして──
「そんな…………」
大量の感染者が映っていた。
「噛まれた人も避難していたんでしょうね……」
呟くように静香が言った。
黒瀬、小室、井上がいた避難場所である学校も、噛まれた人間が大量に避難して隔離もせずに放っておいたせいで、壊滅することになった。このホテルも同じ結末になってしまった。噛まれても他人に迷惑を掛けないように自室に閉じこもっていたアユムの両親は賢明と言えるだろう。
「こんなところにアカリがいるわけありませんよね……他の場所の映像を見てみましょう」
「いや、可能性はある」
黒瀬が言った。
「舞台裏だ、もしいるとしたらそこだろう。」
舞台裏……考えもしなかったが、本当にいるのだとしたら、それはとても大変なことになる。
コンサートホールの舞台裏に行くには、正面出入り口から真っ直ぐいけば済む。しかし、そこに行くまでに大量の感染者が行手を阻むだろう。
「もし、いなかったら……?」
「時間と体力を無駄にし。場合によっては仲間が死ぬかもしれない」
コンサートホールには五十を超える感染者がいる。この中を安全に突破し切れるはずもない。
「アカリを助けるために誰かが犠牲になるなんて……」
アカリはアユムにとって大事な家族だ。しかし、妹を助けたいから誰かを犠牲するなんてことは出来ない。
「大丈夫よ、アユム。ここにいるのはBSAAにテラセイブ、自衛隊員。皆あなたたちを助けるためならなんだってするわ。死ぬのはできればごめんだけど」
クレアも、黒瀬も小室も静香も井上も同じ気持ちだ。所属が違っても、誰かを助けたくてそれぞれの仕事に就いている。
「さあ、行きましょう」
こうして、彼らは警備室を後にしたが、防犯カメラには裏口から侵入する自衛隊の部隊が映っていた。
コンサートホールの入り口前に到着する。小室はゆっくりと扉を少し開け、中を確かめる。
映像で見た通り、感染者は五十以上。この中を掻い潜って舞台裏に行くのは至難の業だろう。しかも、そこから戻ることを考慮しなければならない。
黒瀬が万全の状態で小室は満足いく武器を持っていれば、この程度の数は余裕の内に入るだろうが、今はそのどちらもない。黒瀬の身体能力は一般人ほどまで落ち、彼らの武器はバットやバールなどの近接武器。入って戻るまで短期決戦を仕掛けるしかない。
「……本当にやるんですか? アカリはここにいる保証もないのに……」
「……ああ。でもいたとしたらこんな危険な場所にアカリちゃんを置いとくわけにはいかないだろ?」
小室はにっこりと微笑む。アユムに心配するなと訴えていた。
「中に入るのは、僕とクレア、井上とアユムで行きます。黒瀬と静香先生はここで入口を死守してください」
「ああ」「はい〜」
小室は依然として持ち前のリーダーシップを発揮して皆をまとめあげる。
黒瀬と静香は懐かしさを感じていた。十年前のカントウ事件の時もこうやって小室がみんなをまとめたおかげで生き残ることが出来た。彼にはきっと天賦の才があるのだろう。
「前は僕とクレアが務める。アユムは真ん中で井上は後ろを守ってくれ」
「はい! 任せてください!」
井上が元気よく返事をした。彼は小室と黒瀬のファンなので、小室の指示に従えるのが光栄なのだろう。
「アユム、心の準備は出来た?」
クレアは緊張しているアユムの手を握る。
「怖いですけど……大丈夫です。やるしかないんだから……」
これまで感染者との戦闘が極力避けてきたが、今からは違う。妹を助けるために立ち向かわなければならない。昨日まで普通に生きていた人の頭を潰さなければならない。それに無事アカリを助け出せたとしても、この街から無事に脱出出来る保証もないし、脱出出来たとしても両親が死んでしまったアユムとアカリの人生は大きく変わってしまった。今まで通りの日常を送ることはもう出来ないかもしれない。
アユムは恐怖で脚がすくむがアカリのことを想い、余計な事を考えないようにした。
(後のことなんかきっとどうにでもなる……オレは今、戦わなきゃいけないんだ!)
アユムの目に決意の眼差しが宿る。それを感じたクレアはそっと手を離した。
「大丈夫そうね。妹ちゃんのために頑張りましょう」
「はい!」
全員の覚悟ができ、小室がドアを開く。
「行くぞ!」
小室、クレアが先頭を走り、その後にアユム、井上と続く。
人間の存在に気付いた感染者たちはすぐに彼らの行手を阻む。しかし、小室とクレアはそれをものともせず、突き進む。
「はあああぁぁ!」
小室はバットをフルスイングし、感染者の頭を吹き飛ばす。クレアは感染者の頭をナイフで切り、怯んだところに回し蹴りを喰らわせた。
二人ほど感染者の対処を簡単に行える人間はそうそういない。これまでの経験のおかげで、二人はどう動けばいいのか手に取るように分かる。
(凄い……小室さんもクレアさんも今までどんな経験をしてきたんだ……?)
アユムの目には感染者を次々に倒す2人が映っていた。二人は感染者の手をひらりと避けてカウンターを喰らわせる。いちいち倒している時間はない。感染者が怯んでいるうちにその横を駆け抜ける。
時間を掛ければ掛かるほどコンサートホールにいる感染者は彼らに気付き、襲い掛かってくる。そうなればこの狭いホールの中で逃げ場はない。
ステージへと到着し、階段を登る。
「クレアとアユムは先へ、ここは僕と井上で食い止める!」
全員で舞台裏に行けば、戻る時に感染者に囲まれてしまう。狭い舞台裏では思い通りに戦うことも出来ないだろう。誰かが食い止める必要があった。
「頼んだわよ、二人とも!」
アユムとクレアは急いで舞台裏へと入る。
舞台裏は様々な小道具が置かれており、奥には待機室と書かれた部屋があった。ピアノを演奏するアーティストが休む部屋だろう。もし、アカリがいるならそこしかない。
アユムはドアに飛び付くように手を掛け、ドアノブを回すも鍵が掛かっており、ドアは開かない。しかし、鍵が掛かっているということは誰かが中に入っている可能性は高い。
「アカリ、そこにいるのか!? オレだ、アユムだ! 助けに来た!」
必死にドアを叩く。しかし、中からの返事はない。防犯用にスタッフが鍵を掛けていただけなのか。諦めようとしたそのとき、「お兄ちゃん……?」と弱々しい女の子の声が聞こえた。
間違いない。アカリの声だ。
「ああ、オレだ。開けてくれ、アカリ!」
カチャリと鍵を開ける音がしてドアが開く。そこには涙を浮かべた長い黒髪にピンクのヘアピンを付けた少女が立っていた。
「アカリ!」
アユムはアカリへと抱き付く。アカリは少し最弱している様子だったが、噛まれたり、引っ掻かれたりしたような傷は見当たらない。妹の無事にアユムは涙を流した。
「なんで助けに来たの……? 危ないって言ったのに……」
「……助けに来るのは当たり前だろ……家族なんだから……もうこれ以上失いたくないんだ……!」
二人は涙ながら強く抱き合う。その涙には再会と無事を確認出来た歓喜の涙と、両親が死んだことによる無念の涙が混じっていた。
「良かったわね、アユム。でも時間がないわ、すぐに行きましょう」とクレア。
兄妹の再会に無粋な横やりは入れたくないが、ここに長くはいられない。小室と井上がステージで戦っているはずだが、いつまで持つか分からないからだ。
「そうですね、行きましょう!」
アユムは立ち上がり、アカリを横に抱えた。俗に言うお姫様抱っこだった。弱っているアカリを走らせるわけにはいかないし、感染者の群れの中を小学生の足で駆け抜けるのは難しいだろう。
「ちょっ、なにするの!? 恥ずかしいから下ろして!」
アカリはアユムの頭をぽかぽかと叩く。
「痛っ! やめろって!」
クレアは仲がいいのか悪いのか分からない兄妹を微笑ましく見ていた。
ステージに戻ると、かなりの数の感染者を相手に小室と井上が戦っていた。その圧倒的な数に防戦一方だったが、アユムたちが戻ってきたことで状況が変わる。
「無事だったんだな!」
「良かった。見つかったんだね!」
「はい、二人ともありがとうございます!」
もうここには用はない。小室は感染者を掴み、集団へと放り投げてぶつける。バランス能力が落ちている感染者はばたばたと倒れた。
「はやく、今のうちだ!」
出入り口を守っていた黒瀬と静香の目にも無事妹を助けられたのが映っていた。
「良かったわね、アユム君……」
「ええ、本当に良かった、これ以上目の前で誰も失わないで……」
無事に全員が戻り、黒瀬はすぐにドアを閉めた。
「よくやったな、お前ら!」
黒瀬は手のひらをグーにして小室へと向ける。小室は微笑み、応えるようにグーでタッチした。
「井上も頑張ったな」
「自衛隊で学んだ格闘技を活かせてよかったです」
井上にとって自衛隊に入って誰かを救う経験は初めてのことだった。彼もまた、歓喜で胸がいっぱいだった。
「アカリちゃん、怪我はしてない?」
静香がアカリに駆け寄り、身体の様子を伺う。
「えっと、大丈夫です。ちょっと手足に力が入らないけど……」
アカリはアユムと一緒にいる人たちが知らない人ばかりで困惑したが、すぐに全員が良い人だと分かって安心していた。
「もしかして昨日から何も食べてないんじゃない? それに極度の緊張状態だったせいで筋肉がこわばってるのね」
医療に長けている静香はそう分析し、「どこかで休ませなきゃ」と、進言した。
「最上階の部屋へ向かおう。ゾンビは階段を上るのは苦手だし、屋上に出ればヘリでの救出も見込める」
「そうね、そうしましょう。アカリちゃん、もう少しの辛抱よ」
静香はアカリの頭を撫でた。子供扱いされるのが嫌いなアカリだったが、流石に恩人たちに失礼なことは言えない。
「小室もクレアも疲れただろ、俺が先導するよ」
黒瀬はそう言って先に進み、通路の角を曲がろうとする。が、突如として武装した集団が現れた。
迷彩柄の戦闘服を着て目出し帽を付けている彼らのその手にはアサルトライフルが握られている。腰のホルスターにはハンドガンや手りゅう弾があり、どんな戦闘になっても対応出来る完全武装だった。
彼らから殺気を感じ取った黒瀬は振り返る。
「みんな、逃げ────」
黒瀬の言葉を遮る様に轟音が響く。何の躊躇なく男たちは黒瀬へと引き金を引き、黒瀬の背中を蜂の巣にした。
彼らの正体は、昨日黒瀬たちを襲った自衛隊の特殊部隊の別働隊だった。この作戦の意味は知る由もないが、彼らの目的は黒瀬リョウの殺害と、その近くにいる人間の殺害だった。たとえそれが女子供であったとしても。
隊員は次にアユムとアカリに狙いをつけて構える。それに気付いたアユムはアカリを覆う様にしてかばう。
またも轟音が鳴り、アユムは死を覚悟したが、痛みを感じることはない。井上が間に入り、全身で弾を受け止めていた。
ゆっくりと倒れそうになる井上をアユムが抱える。
「井上さん……なんで……」
全身から血が出ており、アユムにも彼はもう助からないと分かった。
「人を……助けるのが……自衛官の役目だから……」
井上の目が虚になっていく。
「……い、のうえ……」
虫の息である黒瀬は井上の勇姿を見ても何もできない。彩にR-ウィルスの抑制剤を打たれたせいで再生能力も機能しない。
彼らは銃を小室とクレアにも向ける。狭い通路の中、もう逃げ場はない。武器もない。また失うのか。
黒瀬は走馬灯の様に、一年前にアフリカで死んだソフィアのことを思い出していた。あの時も何も出来なかったせいでソフィアは死んだ。
あの時から何も変わってない。結局また仲間を失って、同じ事を繰り返すのか。
「そん、な……こと……させない……」
黒瀬の身体にはもう力が入らないはずだった。だが、気合いで動かない手足を立たせようとする。
もう誰も失いたくないから。誰も悲しんで欲しくないから。
みるみると身体に力が入るのを感じた。抑制剤の効果が切れたのか、それとも抑制剤の効果を上回るほど黒瀬のR-ウィルスが強力だったのか。それは分からないが、彼は確かに身体が元に戻るのを感じた。
隊員はまだ立ち上がろうとする黒瀬に驚愕した。何十発もその身体に鉛玉を撃ち込み、動けるはずがない。しかし、目の前の光景は現実だ。再び黒瀬にライフルを向けるも、それよりはやく黒瀬が動いた。
木刀を瞬時に抜き、一人の頭をトマトのように潰す。呆気に取られている隊員の腹に重く鋭い蹴りを放った。バキバキと相手の骨が折れる音がし、後ろの隊員を巻き込みながら壁へと吹き飛んだ。
そこからは簡単だった。
ただありったけの力で彼らを捻り潰した。利用されているだけとか、彼らにも家族がいるとか、そんなのはもう関係ない。今まで死んでいった仲間のためにも手加減はしない。この力を制御し、大事な仲間を守る為に。
「井上……すまない、俺が力を失っていなければ……もっとはやく力を取り戻せれば……!」
敵を全滅させた後、黒瀬はすぐに井上に駆け寄った。静香はもう助けられないと首を振る。
「あやまること……ない……です……黒瀬さんは……やっぱり……ヒーローでした……」
話す度に井上の声はか細くなっていく。
「俺は……ヒーローなんかじゃ、ない。また仲間を……助けられなかった……!」
今まで何人の仲間を失ってきただろう。何度同じことを繰り返してきただろう。そんな俺にヒーローを名乗る資格なんてない。
「俺が……自衛隊に入ったのは……黒瀬さんにあこがれた……からです。記事で見たように……自分の人生を……使ってまで……人のために闘うあなたに…………」
「違うんだよ、井上……俺はそんな出来た人間じゃない……」
「良いんです……ヒーローは完璧じゃない……迷って……悩んで……それでも前へ進もうとするのが……ヒー、ろー……ですか、ら……」
ゆっくりと井上の目から光が消える。もう彼が言葉を発することはなかった。