一行は目的地のホテルへと着いた。
ホテルはかなり大きく、事件が起こる前なら道行く人をその綺麗な外観で人を魅了させていただろうが、今は入り口は荒れ果て、至る所で窓ガラスが割れ、高級ホテルとは言えないものとなっていた。
幸いにも入り口付近に感染者の姿はない。しかし、その荒れ果て具合からはここも被害にあったことが伺える。
日が暮れる前にホテルへと到着出来たのは幸運だ。夜は昼以上に感染者がどこに潜んでいるか分からない。そんな中、外で行動し続けるのは危険だからだ。
ホテルのエントランスへと入る。床や壁にはところどころ血痕がついており、椅子や机は乱雑に倒れている。しかし、これほど荒れた状態からだというのに感染者の姿はない。
小室と黒瀬は警戒しながら進むが、アユムにはそれが焦ったかった。
一刻もはやく家族に会いたい。家族の無事を確かめたい。
いてもたってもいられないアユムは走り出した。
(みんな無事なはずだ、無事なはずだ!!)
アユムは危険を顧みずに先頭を走る。
「待て、アユム! 〈奴ら〉が潜んでいるかもしれないんだぞ!」
小室はそう注意するがアユムは止まらない。
「家族が待っているんです! 妹がっ!」
エレベーターは止まっており、階段を駆け上がる。息切れしながらも七階まで上り、部屋へと向かう。
事件が起こる前、アユムは泊まる部屋番号を聞かされていたため、すぐに部屋の場所がわかった。
運良く感染者に遭遇せずに部屋へと辿り着き、アユムは飛び込むように扉を開けた。
「あ……」
部屋に入ったアユムの目に映り込んだのは、低い声で唸る40代の男女だった。
「なあ……冗談だろ……?」
アユムの声に男女が振り返る。
男女の肌は青ざめ、目は血走っている。腕を前に上げ、ゆらゆらと揺れながらアユムへと近づいてくる。
誰が見ても一目瞭然だ。アユムの両親は既に感染していた。
「アユム、近づいたらダメだ!」
二人に近づこうとしているアユムの腕を小室が掴んだ。
「もう君の両親は……」
「分かってますよ!」
小室の言葉をアユムは遮る。
「でも……まだ何も聞いてないんですよ……父さんと母さんの声を……何も話さないまま死ぬなんて、そんなの……!」
アユムの気持ちは小室にも黒瀬にも痛いほど分かっていた。突如として日常が破壊され、今まで当たり前のように接してきた人が化物へと変わる。そんなことを繰り広げさせないためにも二人は戦っている。
「ごめん……僕たちがもっとはやく着いていれば……」
アユムの涙が頬を伝う。だが、それ以上の涙が出てこなかった。
彼も薄々気付いていたのだ。こんな状況で家族が無事なはずがないと。心では無事を願っていてもやはり現実は違った。
「アユム、すまない」
黒瀬が木刀を抜いて、アユムの前へと出た。
「な……に、を……?」
「感染したらもう……これしか方法がない」
黒瀬はゆっくりと近づいて来るアユムの両親へと木刀を構えた。
「あ────」
アユムが言葉を発する前に木刀が振り下ろされた。アユムの両親は糸が切れたようにぐらりと傾き、床に倒れる。
黒瀬とクレアは二人の遺体を抱えてベッドへと寝かせ、目を閉じさせた。
二人の寝た姿を見て、アユムには実感が湧いて来る。
(本当に……死んだんだ……)
その瞬間、家族と過ごした日々の思い出が彼の脳を駆け巡った。
小学生の時、駄々を捏ねて買ってもらったテレビゲーム機。父がゲームは良くないと一番反対していたが、いつの間にか父の方がゲームに熱中しており、格闘ゲームでよく対戦しては負かされていた。
中学生の時、初めて出来た彼女と上手くいかず、母に女心を教わって仲直りすることができた。今はもう別れてしまったが。
「アユム、我慢するな」
黒瀬がアユムの肩を押した。今まで多くの仲間を失ってきた黒瀬にはアユムの気持ちが痛いほど分かっていた。
「う、うぅ……!」
アユムは両親への亡骸へと抱き付く。
────冷たい。
そこでやっと実感した。二人は死んだのだと。
「うぅ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁん────」
溜め込んでいた声と涙が一気に溢れ出る。顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、嗚咽をしながらも冷たい亡骸をぎゅっと握り締め、彼は泣き続けた。
『アカリを頼んだぞ』
どれほど泣いただろうか。アユムの泣き声は枯れ果て、流れ落ちた涙で床のカーペットがびしょびしょになった時、何処かでそう聞こえ、はっ、と顔を上げた。だが、二人は横たわったままだ。
両親の最期の願いとでもいうのだろうか。それともただの幻聴か。分からないが、アユムは泣くのを止めた。
そうだ、泣いている暇はない。ここには妹であるアカリの姿がないのだ。行方知れずだが、彼にはまだ大切な家族がいることを思い出させてくれた。
最近は思春期に入ったのかろくに口も聞いてくれなくなったが、大切な家族であることに変わりはない。
アユムは父の亡骸のポケットを弄って、スマートフォンを出した。まだ充電が入っている。携帯には何度もアユムのスマートフォンに電話をかけた履歴が残っていた。どれほど心配していたのだろうか。二人はアユムの安否も知らないまま、逝ってしまった。
電話帳を開き、妹のアカリの電話番号を押す。アカリはまだ小学五年生だが、親が防犯と連絡用にとガラケーを渡していたのだ。
(頼む……アカリ……)
トゥルルルルルルル、トゥルルルルルルル。
発信音が何度も鳴り、早く出てくれと動悸が高鳴る。そして────
『────も、もしもし……?』
アカリの声だった。正真正銘アカリの声だ。
「アカリ、オレだ、アユムだ! 今どこにいる!?」
『ほ、本当にお兄ちゃん……なの?』
アカリの声は細々しく、わざと声を小さくしている様に思えた。
「ああ、オレだよ」
『よかった……お父さんとお母さんが何度電話を掛けてもダメだったからもう死んじゃったのかと諦めていたの……』
意外とドライ……いや、そうでもないか? 昔は仲が良かったのだが、今では顔を合わせれば悪口、嫌味のオンパレードであるアカリ。アユムはいつものアカリの心ない言葉を聞けて少し安心した。
「アカリ……実は親父とお袋は……」
なんて言えばいいのだろう。アカリはまだ小学生だ。両親が死んだと聞けば、そのショックはアユムよりも強いだろう。しかし、アカリは『』……知ってる』と、予想だにしない答えが返ってきた。
『お父さんとお母さんは、騒ぎが起こった最初に噛まれて……誰にも迷惑を掛けないよう私を追い出して部屋に篭ったの……』
アユムはその場にいなかったので分からないが、きっと三人の間で壮絶なやり取りがあったのだろう。それでも大体アユムには想像がついた。他人に危険を及ぼさない選択肢を取ったのも実にオレの親らしい。アユムはそう思った。
「そうか……アカリは今、どこにいるんだ? アカリは噛まれてないんだろ?」
『……ダメ、言えない』
「な……どうして?」
『言ったら絶対お兄ちゃん助けにくるでしょ……?』
「当たり前だろ?」
アユムにはアカリの言葉の意図が分からない。
『もう誰にも……家族には死んでほしくないの……お兄ちゃんはこの街から早く逃げて……』
プツリ、とそこで電話は途切れた。
「アカリ……どうして……?」
アユムはアカリを助けたい一心なのに、アカリはそれを拒んでいる。しかも場所を聞き出せないまま、電話を切られてしまったのでどうすることも出来ない。
「きっと妹さんは危険な場所にいるんじゃないかしら?」
電話の内容を聞いていた静香が言った。
「危険って、この街は充分危険じゃないですか」
「それはそうだけど……妹さんの周りが〈奴ら〉でいっぱいで、助けるには危険を犯さないといけないのかも……」
「でも……アカリはきっと今怖がってる。口ではああ言ったけど、本当は助けに来てほしいはずです。あいつは頭良いし、オレに無茶とかさせたくないんでしょうけど……」
「助けにいくんだな?」と小室。
「はい! でも……オレだけじゃ何も出来ません。だから────」
「わかってる」
黒瀬がアユムの言葉を遮った。
「助けに行こう」