「すまなかったな、小室。色々言っちまって」
心を落ち着かせた黒瀬は素直に小室に謝った。
「いや、僕の方こそ悪かった。黒瀬が背負ってるものの重さをよく知らないで偉そうなこと言って……仲間なのに……」
「何はともあれ、リョウがいつもの調子に戻ってよかったわ」
クレアは黒瀬の肩を叩く。
「色々整理したいこともあるだろうけど、それは後にしましょ。私もスティーブやアヤが気になるけど今は、目の前のことに集中しなきゃ」
「ああ、そうだな」
黒瀬も彩の目的は分かっていない。あの場で全員を殺すことも出来たのに、黒瀬の身体に宿るR-ウィルスを消しただけ。色々考えたいこともあるが、彩がまた襲ってくる可能性は低い。今は目の前の状況に集中しなければ。
「あの~、話終わりました?」
井上がドアから顔を覗かせていた。
「ああ、今終わったよ」
「良かったです。外に出る準備をしたので一階に降りてきてくれますか?」
全員で一階に降りると、キッチンでアユムが料理をパックに詰めていた。
食欲をそそられる料理の良い匂いが立ち込めている。
「これ、アユムが作ったの?」
クレアが聞いた。
「ええ、味見してみます?」
アユムが肉と野菜の炒めものをクレアに渡す。
クレアはそれをパクっと食べた。
「……うん! とても美味しいわ! 私やシズカよりも料理が上手かも」
「……あはは、両親が仕事で家を留守にすることが多いので、妹のためにいつも作ってあげてるんです」
「なるほどね、道理で美味しいわけだわ」
「クレアちゃんだけズルい~。私もお腹ペコペコなのに~」
静香もアユムにおねだりする。
「先生、それは後にしましょう。それで井上、準備ってのは?」
「ええ、こっちまで来てください」
井上は皆を別の部屋に案内する。部屋入ると、そこにはバットやバール、ナイフなど〈奴ら〉に使えそうな物が並べてあった。
「皆さんが話している最中に近くの民家からも集めてきました」
井上は自慢げに言った。
特殊部隊から奪った銃はあの戦いの後、火事から逃げ出すので精一杯で失ってしまったが、対ゾンビ用ならここにある近接武器でも十分に戦える。
各々は自分に合う武器を手に取る。
小室は金属バットを、クレアはナイフを取った。
「リョウさんはこれを使ってください」
井上から木刀を渡される。
「へぇ、いいね」
黒瀬は木刀を手に取る。
(重い……)
今まで紙同然の重さだと感じていた木刀が、力を失った黒瀬にはとても重く感じられた。
「アユム君は、出来るだけ戦わせないようにはしたいけど、念のため」
アユムにはバールが渡された。井上もバールを持っている。
「私はなにを……?」
静香は困ったような顔をする。
「静香さんは医学に通じていると聞いたので……」
井上は静香に救急箱を渡した。
「わぁ! ありがとう! 役に立てるか分からないけど……」
救急箱でも傷の手当てくらいは出来る。静香も重要な役割を担っている。
「さあ、必要な荷物を持って外に出るわよ。アユムの家族が待ってるわ」
アユムたちは外に出て、駐車場に停められている車に乗り込んだ。
車の鍵は運よく玄関に置かれており、この民家の家主には感謝しなければならない。
運転席に井上が乗り、すぐにエンジンを掛けて、車のナビでアユムの家族がいるであろうホテルまでのルートを検索する。
ホテルまでの車での時間は三十分。何もなければ三十分で家族の元まで行ける。
(待っててくれ、父さん、母さん、アカリ……!)
アユムはただ祈るしかなかった。
「出ます!」
井上は車を発進させ、住宅街を駆ける。
感染者たちが街を徘徊しているが、勿論それを避ける余裕などない。
井上は感染者を引きながら進んでいく。
「あんまりスピードを出してぶつかるなよ、これはただの一般車両だからぶつかりすぎると動かなくなるぞ」
「……はい!」
それでも住宅街の道は狭く、感染者を完全に避けることは出来ない。ぶつかっては、返り血が窓やフロントガラスに飛び散る。
感染者でも元は人。アユムにはその光景を見ることが出来ず、目を瞑る。
(この人たちはさっきまで生きていたんだ……)
そう思うと、吐き気がしてくる。
家族を助ける過程で、感染者との戦いは避けられないだろう。
(そうなれば、オレが殺さなければならないかも……)
一度t-ウィルスに感染し、あの状態になってしまえば、もう人間に戻ることは不可能だ。だが、それでも人は人。自ら手を下すには相応の覚悟が必要だろう。
「おい、起きろアユム」
小室に身体を揺らされてアユムは目を覚める。
「あ、あれ? オレいつの間にか眠ってました?」
「ああ、二時間くらいな」
二時間? それならとっくに目的地に着いててもおかしくないが。
いつの間にか車は停まっていたが、その理由はすぐに分かった。
目の前の道路が、渋滞になっていたのだ。
アユムと小室以外は外に出ており、辺りを警戒している。
「ここから先は徒歩で行くことになった。何回も迂回をしてみたんだが、ここみたいに皆車を放置して避難しているから、車で通れる道がないんだ」
「ああ、そういうことですね」
家族がいるホテルは大通りにある。当然大通りはパンデミックが起こる前後は車の通行量が多く、渋滞になって後ろから感染者が来ているなら、誰もが車を置いて逃げ出すだろう。
家族との再会の時間が遠くなり、アユムはがっかりするが、すぐに頭を切り替える。
(今大切なことははやく行動することだ)
アユムは荷物を持って早速車を降りた。
「あら、起きたのね、アユムくん!」
静香はいきなりアユムの手を握った。
アユムの目の前には静香のたわわな胸が揺れている。
「ええ!? どうしたんです!?」
アユムも流石に動揺が隠せず、声がどもってしまう。
「アユムくんが作った料理、頬っぺたが落ちちゃうほどとても美味しかったわ!」
静香にアユムの料理は好評だったようだ。
「あ、ありがとうございます……」
自分の料理をこれほど誉められたことは初めてだった。いつも食べているはずの妹でさえ、無反応だからだ。
「良かったじゃないか、アユム。僕も食べたけど美味しかったよ」
アユムは皆から誉められて素直に嬉しかった。
「そういえば、アユムは旅行で神岡市に来てるって言ってたけど、家はどこなんだ?」
「えっと……家は巡ヶ丘市ってところで……てわからないですよね」
アユムの言葉を聞いた黒瀬、小室、静香は固まった。
「えっ!? オレ変なこと言いました?」
「いや、なんというか……」
「世間は狭いなってな」
黒瀬と小室が頷き合う。
「巡ヶ丘市は私たちが住んでいたところなの」
困っているアユムに静香が答えた。
「え、三人とも巡ヶ丘市出身なんですか!?」
「出身ではないけど……まあ色々あって僕たちは高校の途中から大学を卒業するまでそこに暮らしていたんだ。今でも時々帰ってるけどね」
「カントウ事件のせいでですね!」
井上が口を挟む。
そういえば井上は佐藤リコの書いた記事を読んでいたのだった。きっとそこに黒瀬や小室のことが詳しくは書かれていたのだろう。
「カントウ事件って、10年前の?」
アユムはカントウ事件のが起きた時、まだ小さかったので詳しくは知らない。ただその被害者の多さで日本で起きた戦後最悪の事件として今も語り継がれているのは知っていた。事件のせいで被害の1番大きかったトウキョウは今も封鎖され、日本の首都も変わらざるを得ないこととなった。
「事件のせいで家に帰れなくなった僕たちは、巡ヶ丘市に別荘のある友達の親に世話になっていたんだ」
「そうだったんですか!」
「アユムは高校生だよな。もしかして高校は巡ヶ丘高校か?」
「はい! ……て、まさか!」
「僕たちも事件後、その高校に通ってたんだ」
「ええ!?」
アユムは驚きの連続だった。まさか彼らが高校の先輩だったとは……。確かに世間は狭い。
「よし、皆行くぞ」
小室の先導で一行は街を進む。
不思議な光景だった。
渋滞が出来るほど車が停められているのに、人の気配は一切しない。大通りのはずなのに。
「皆、どこにいっちゃったんだろう……」
「まあ、避難所でしょうね」
クレアが答えた。
「避難所……」
「学校や大型施設にいるはずよ。警察も自衛隊もそっちにいるだろうし」
(じゃあ、家族もそっちに避難してるかも……)
アユムの家族はいつまでも危険な場所に留まるような人間じゃない。もしかしたら、事件と同時に避難所に逃げた可能性もある。
「一応行ってみないと分からないからね。向こうから電話がない限りどうにも出来ない
そういえば、とアユムは思い出した。
アユムは携帯電話を無くしており、静香の電話を借りて親にかけたが、誰も取ることはなかった。親から静香の携帯に電話が来れば、何か分かるかもしれないが。
「それにしても本当に静かだ……」
辺りには人の血らしきものが飛び散っていたりするのに、感染者も見当たらない。もしかしたら、奴らも避難所の方に行っているかもしれない。
(すぐには感染者と戦うことはなさそうだ……)
アユムがそう安心しきった直後、車の下から伸びてきた手に、足を掴まれた。
「うわぁ!?」
あまりに突然すぎてアユムは大声を出してしまう。
「アユム!」
先頭を行っていた黒瀬と小室が事態に気付き、走る。
アユムの足を掴んでいる感染者は車の下から顔を出す。
顔はズタボロで、肩に噛まれたような傷がある。そこから感染したのだろう。
「アユム!」
クレアは感染者の手を思いっきり踏みつけた。
手の骨が折れたのか感染者の手は離れる。
「うおおおおお!」
井上が叫びながら、感染者の頭にバールを降り下ろした。先端が頭に突き刺さり、動かなくなる。
「大丈夫か、アユム」
「怪我はないか?」
急いで駆け付けた黒瀬と小室が心配する。
「ええ、大丈夫です」
(まさか、映画みたいな登場の仕方をしてくるなんて思ってなかった……!)
突然の出来事に心臓のバクバクが止まらない。
「良かったわ、噛まれないで。噛まれたらいくら私でも治せないもの」
静香は心底安心しているかのような表情をしていた。
そうだ、噛まれたらアウトだ。
この中ではアユムと井上はt-ウイルスに対する抗体がない。もし、噛まれたり、傷口に奴らの体液が入ったりすれば、感染は免れない。
「井上もよくやったよ」
小室は井上の肩を叩く。
「あ、ありがとうございます」
井上の顔は青ざめていた。仕方ない。いくら、自衛隊といっても実際に殺したことは初めてだ。それが感染者であったとしても。
「<奴ら>はもう人間には戻れないんだ。あまり気に病まないようにしよう」
「は、はい」
「皆、物陰や車の下に注意して進もう。〈奴ら〉はどこから出てくるかわからない」
皆再び気を引き締め進む。目的地のホテルはもう目の前だ。
露骨な伏線回