情熱は幻想に 作:椿三十郎
「それ以上は動かないで!」
「頭に穴が空いてちゃ、後悔もできないわよ!」
私は"ヤツ"に人差し指向ける。
いつでも撃てる。いつでもだ。
"ヤツ"の前には、てゐと私の師匠である、
『八意 永琳』様。
どうやらてゐは、師匠を呼びに行っていたらしい。
でも今はタイミングが悪い。"ヤツ"と師匠をかなり近づけてしまった。
「これは...」
師匠がそう口にする。"ヤツ"について何か知っているのだろうか。
その後、てゐに独り言のように語りかける。
「重度の幻覚症状.....」
「あんた、ほんとにどうしちゃったの?」
「お師匠様に構えるなんて....」
師匠は鬼気迫る表情になった。
「...てゐ!2番の薬棚、H-3からL-2まで全部持ってきて!」
「りょーかい!」
てゐは踵を返し、急いで薬品を取りに向かった。
え...!?
もしかして二人には見えてない? なんで?
崩れそうな脳内を、私は必死に抑えた。
相変わらず、師匠はあらぬ方向を向いている。
すると師匠は、目の前にいるはずの"ヤツ"を透過し、私に近づいてきた。
そして、「鈴仙」と私に呼びかけた。
「大丈夫よ。安心して、私が解る?」
すり抜けた!?
私は混迷の念に支配された。見ている光景が、スクリーンに映し出せれた映像のように感じられ、現実が徐々に色を失ってゆく。
師匠の問は、私の胸には届かなかった。
まさか、視認できないのに加えて、実体がないなんて。これは本当に幻覚.....?
私の両肩を持って呼びかける師匠。何を言っているのか解らない。
その裏では、"ヤツ"がまだそこに立っている。
それでも、自分の波長も、周りの波長もいたって正常。これが現実であることを証明していた。
私は幻覚なんて見てない。
二人が見えないだけ!
"ヤツ"はいる。今そこに!
なんで、わからないの!?
私は無意識のうちに、胸中の声をブツブツと呟いていた。
「鈴仙.....」
師匠が私を、憐れむような目で見る。その目には、薄らと光が煌めいたような気がした。
「違う!」
違う。私はおかしくない!
これは罠だ。私にかけられた罠だ!
頭の中が真っ白く霧に覆われた。
極めて煩わしい障害は、払おうと扇いでも意味がない。
ーーーーーーーバンッ!!
私は師匠越しから"ヤツ"に発砲した。
ちょうど、師匠を盾にするような形だった。
人差し指先から放たれた弾丸は、一瞬にして、"ヤツ"の脳天に到達する。
当たったようには見えた。
でも、実際は、後ろの掛け軸に弾痕を残すだけだった。
貫通したわけじゃない。透過した。師匠と同じように、私も"ヤツ"に干渉することは叶わなかった。
師匠は驚いた様子で私を見ている。
私が撃ったことに驚いたのか、至近距離での突然の発砲音に驚いたのか、どちらかは分からないが、ひどく驚いた様子だ。
師匠から目を上げた時、前に"ヤツ"はいなかった。忽然と消えていた。
まるで、元からそこには、何もいなかったかのように。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は駆け出していた。
ひたすら走った。裸足で竹林を抜けた。
とても冷える日だったのに、そんなことは、まったく気にならなかった。飛ぶことなんて考えもしなかった。
胸を茨で締め付けられるような痛みと息苦しさ。それと同時に膨れ上がる寂しさに耐えられなかった。
私は頭がおかしくなったの?
普通、頭がおかしかったらこんなこと考えない。そう自分に言い聞かせた。
どこへ行くでもなく、道なりに歩いていた。
行く宛がないまま数時間さまよった。子の刻はとっくに過ぎただろう。
幻想郷はこんなに寂しい所ではないはずだ。
辺りは驚くほど静かに感じた。
素足であるため、足が冷える。土の感触が直に伝わる。
それらが私の孤独感を煽る。
そんなことを知ってか知らずか、"ヤツ"は私の後ろに佇んでいた。何か言う訳でもなく、ただじっと私のそばにいる。
私がどこへ行こうと、いつまでもついてくる。消えたと思えば、瞬く間に現れる。
名前は確か、
ヴァーチャル・インサニティ...
妙にしっくりくる。前から知っていたような、懐かしいような感覚だ。
"ヤツ"は私の何なんだ...
永遠亭に戻ろうか?
"ヤツ"が幻覚なら、師匠が薬をつくれるはずだ。あの方にとって未知の症状であろうと、薬をつくることなんてお茶の子さいさいだ。
...でも、出ていく時、師匠を突き飛ばしてしまった。制止も無視して、出ていってしまった。
いまいち気持ちに踏ん切りがつかない。
戻りづらい。
私はため息を吐いた。白くなった息が風に流されていく。
決断を焦るな。
そもそも、"ヤツ"が幻覚である証拠は一つもない。幻覚にしてはハッキリし過ぎてい気がする。見せることはあっても、見たことはないけど...
師匠やてゐを信じるより、まずは自分を信じるべきだ。
もし"ヤツ"が私達にとっての害になり得る存在だったなら、私はこいつをみんなの処へ連れ帰ることはできない。
私は、どうしたらいい。
そのうちみんなが探しに来るのかもしれない。
でも、"ヤツ"がいる。
確証もないことを頭の中で立ち上げ、それを捨てては、立ち上げ、捨てては、立ち上げた。何度も何度も。
北風が首筋を撫でた。
私の思考は、こたえる寒さによって遮られた。
この季節に、上衣が一枚では、寒くて当然だ。
私が寝ている間に、いつものブレザーに着替えさせられていたことに気がついた。違和感を感じたが、この際余計なことは考えていられない。
とりあえず、まずは寒さをしのぐことに決めた。
決まったからには、行動は速い。
すぐさま人里に向かった。
三分ほどで到着した。
夜中にしてはなかなか活気がある。妖怪がいるせいだろう。でも、私には居心地の悪い限りだ。
当たり前のように、里の妖怪や人間にも"ヤツ"が見えている様子は見られなかった。
それはさておき、そこで、新しい靴と防寒のための羽織を二枚買った。ついでに食事処で茶粥を食べた。残念ながら、どこを探しても"洋食"が食べられる処はなかった。
これで手元の所持金は一円を切った。
もうここに用はない。
そそくさと人里を出た。
次に私は、匿ってもらえそうな人物を考えた。
私は"ヤツ"について知らなくてはいけない。
小屋でも、倉庫でも、なんでもいい。そこで、"ヤツ"と向き合いたい。何か解るかもしれない。
今、私の中で、"ヤツ"の存在は異変だと断定している。
そんな状況下で、頼れる人物と言えば彼女しかいない。
博麗の巫女だ。
いくらあの巫女が異変解決のプロフェッショナルだとしても、彼女がいつも私情で動いていることに変わりはない。すべて気まぐれだ。協力してくれる保証はない。
それに、"ヤツ"を近づけてしまうと、少なくとも彼女を危険に晒してしまうことになる。
"ヤツ"は害らしい害をくわえてきてはいないが、隙を伺っているにすぎないのかもしれない。同様の理由で、永遠亭にも戻ることはできない。
いきなり押しかけて小屋を貸せと言って、あの巫女が納得するかなんて、目に見えている。
事情を承知の上で協力してもらえるのなら、それが一番いい。
夜明けを待ってから神社を訪れた。
外からは見慣れた紅白の姿はない。まだ寝ているのだろうか。
私は永遠亭にいた時から寝ていない。外で寝るなんて論外。野宿は嫌だ。そのためにも、なんとしても巫女の協力を得なくてはいけない。
私は境内に向かって呼びかける。
「霊夢〜!朝早く悪いだけどー」
「いるー?」
返答はない。
おーい、と何度か呼びかけるがまったくもって反応無し。
いっそのこと、上がって様子を確かめようかと考えていた矢先、何の前触れなしに障子が三寸ほど開かれた。
でも、人影は見られない。
下に視線を向けると彼女はいた。
床に顎をつけるかたちで顔をのぞかせている。
「うっさい、黙って...」
ひどい寝起き面って感じの霊夢がいる。
「まぁ、話を聞いてくれると嬉しいかなぁ」
「.......あと....二時間...」
そう言うと、霊夢は再び眠りに就いてしまった。
はぁ、仕方ないか...朝早いし..
それに、無理矢理起こして気分損ねてはまずい。
寒さと眠気に耐えながら、私は縁側に座って二時間待った。
年末年始は忙しい!