境界線上の死神   作:オウル

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明けましておめでとうございます
私の正月は風邪で寝込んでしまったので正月感ゼロでしたね(笑)

今回は「喜美」回です
やらかしてしまった感は否めませんが、どうかご容赦を・・・


十話 伍 前編

幾ら強くても

 

幾ら速くても

 

手の届かないもの

 

配点(高嶺の花)

――――――

 

一同は槍をこちらに構える二代を見た。

二代は康影から視線を逸らさずに続ける。

 

「昨日胸を揉まれて以来で御座るな・・・康影殿」

「「?!」」

「あ・・・うん、昨日ぶりだな・・・二代・・・さん」

「「!!!」 」

「・・・ちょっと待っててくれ二代、今ちょっと確認しなければならない事が出来た」

「?別に構わないで御座るが・・・?」

 

正純は自分が抱きかかえられてることに気付き、慌てて康景から離れ、周囲の三年梅組の生徒を集めて円陣を組む。

皆が円陣を組むのに、康景だけはその中心に立たされた。

数名の女子が康景をジト目で見る中、審問官らしくウルキアガが話を進める。

 

「ではこれより、元第二特務キヨナリ・ウルキアガが略式簡易裁判を始めたいと思う!被告はこの天野康景こと義伊・アリアダスト!罪状は武者女のオッパイを揉んだ件についてだ!・・・被告の康景、何か釈明はあるか?」

「え・・・今そんな場合じゃないよな?今は相対相手を」

「黙れぇい!」

「・・・( ゚д゚)」

 

正純は釈明の余地すら与えられない裁判ってどうなんだ、と思いつつこの事案は(正純にとっては)大事なので裁判(?)の行く末を見守った。

 

・・・何せ旧友が今の級友に胸を揉まれたんだからな・・・これは由々しき案件だ、うん。決して「康景の好みは二代みたいなのがタイプなのかな」とか、気になったり心配になったりしたわけではないぞ?

 

別に誰に聞かれたわけでもないのに、正純は心の中で言い訳をした。

 

「では証人達に話を伺おうか」

「じゃあまず私から・・・あれは中等部の頃でしたね、体育の授業中康景君が直政の胸を揉んでいるのを見ました」

「いや、あの時はトーリの『新芸!高速バック転』とか言いながら後ろに跳ぼうとして俺にぶつかったのが原因だったんだが・・・」

「次はあたしさね・・・あれは二年前の高等部一年の時さ、ミトが康景に覆いかぶさられてるのを見たぞ」

「あれは模擬戦の時にトーリがなんかネイトの気を散らすような賭けしたから、ネイトが態勢崩してあんな事に・・・」

「じゃあ次は私ね・・・私なんて週三回くらいの割合でオパーイを触られるどころか身体と身体が密着状態になるわよ!私勝ち組よね!?」

「・・・いやそれはお前が俺に飛び乗ってくるから結果的に身体が当たるんだろうが・・・というかお前のは証言なのか?」

 

こうやって聞くとかなりの割合で胸を揉んでるなコイツ、とも思うが、よくよく聞くとほとんど馬鹿が原因なのでむしろ被害者なのかもしれない。

 

「では参考人天野康景、あの女武者の胸を揉んだというのは本当か?」

「・・・揉んだと言うより、揉んでしまったと言う方があってるかな?」

「というと?」

「向こうがこっちに身を寄せてきて・・・」

「「身を寄せて?!」」

「その上体重をかけてのしかかってきたから・・・」

「「のしかかる!?」」

「態勢を崩して仕方なく触れてしまったというか・・・」

「「・・・」」

 

一同は黙ってひそひそ話で康景の所業について話し、一部女生徒が「裁判長!厳正なる裁きを!」と騒ぎ始めた。

康景にしてみれば、ただ学長を守った時の事を説明したつもりだったのだが、どうも説明が足りなかったらしい。

ウルキアガは周囲を黙らせた後、結論を出した。

 

「ふむ・・・この重大事件(笑)の重要性(爆)を鑑みて、証人たちの証言をまとめ厳正に審議した結果・・・」

「「・・・」」

「被告天野康景には被害者女生徒一人一人の言う事を一つ聞いてその罪の償う事を命じる・・・あと拙僧に姉物エロゲを奉納することで減刑してやるぞ」

「「どさくさに紛れて立場を悪用すんな!」」

 

どさくさに紛れて私欲を満たそうとしたウルキアガにツッコミを入れる方が多かったが、一部生徒はその判決に歓喜した。

康景は「えぇ~」とか言って納得していなかったが。

 

・・・私もさっき揉まれたからその権利貰えるんだろうか?

 

そんな事が脳裏を過ぎった。

しかしそこでしびれを切らした二代が、

 

「あの、正純?まだで御座ろうか?そろそろ相対の方を・・・」

「あ、ああ、すまない。もう少しだけ待ってくれ」

 

煩悩を振り払い、正純は話を元に戻す

 

「おい皆!今はそれより二代の相手をだな・・・!」

「「あ」」

「忘れんな!・・・二代は戦闘の素人の私から見てもかなり強いと思うぞ?・・・誰が行く?」

「ここは私が騎士としてドカンと一発」

「それより私が遠距離からズドンと一発」

「んーあたしが上から地摺朱雀をバコーンと一発」

「なんでウチの女衆はこうも殺る気で御座るか・・・」

「・・・うーん、あんまりここで戦って体力消費したくはなかったけど、しょうがないから俺が・・・」

「馬鹿ね、康景。アンタは後の事に控えてそこで指咥えて見てなさい」

 

康景が二代の相対相手に名乗り出ようとしたところで、喜美がいつの間にか前に出ていた。

喜美が前に出たのを見て、皆は背後に下がる。

 

「お、おい、大丈夫なのか?」

「何が?」

「お前も二代に会ったならわかるだろ?アイツの強さは・・・!」

「何言ってんだ正純、喜美は強いぞ?」

「そ、そうなのか?」

「俺があいつと本気で殺り合ったら多分全力でやらないと勝てないかな」

 

康景が背後に下がるのを見て、正純も背後に下がる。

 

コイツがそこまで言うなら大丈夫なんだろう・・・。

 

正純は康景が信じる喜美を信じた。

 

「(フフ、馬鹿ね。私が全力じゃないアンタとやっても勝てるわけないじゃない・・・でも、今回はその評価に免じて三河の生徒にまでフラグを立てたことは許してあげるわ)」

「なんだよ姉ちゃん、めっちゃ嬉しそうじゃん」

「当たり前じゃない愚弟、だって元カレが私を『強い女』だって認めたのよ?嬉しいに決まってるじゃないの・・・!」

 

その『元カレ』という単語に、一同が固まる。

正純も、その言葉にすぐさまリアクションが取れなかった。

 

「「は?」」

「ん?」

「「はぁあああ!!!!????」」

 

ここにきて一年くらいの正純も、付き合いが長いハズの三年梅組の一同まで驚いた。

直政は額からよくわからない汗を流し、ミトツダイラに至っては吐血して倒れ込む。

 

・・・お前らも知らなかったのか?!・・・っていうか大丈夫かミトツダイラ!?

 

「お、おいミトツダイラ!?大丈夫か!?」

「ま、巻き舌宇宙で有名な紫ミミズの剥製はハラキリ岩の上で音叉が生まばたきするらしいですわ、要ハサミですのよ。61!」

「「落ち着け!」」

 

一人発狂したのを除いて、全員が驚いているみたいだな・・・。

 

まさかのここにきて新事実が判明したことに、その場にいた全員が驚愕した。

 

「ちょっと康景君!その話本当なんですか?!」

「あれ?知らなかったのか?」

「「初耳だよ!?」」

「え、だってトーリは知ってたぞ?」

「ひゅ~♪」

 

吹けない口笛をを吹いて誤魔化すトーリ。

 

「あ、思い出した。『秘密にした方が燃えるじゃない』とかで口止めされてたんだ。トーリが知ってたからてっきり皆も知ってるもんだと・・・」

「「・・・」」

「・・・あれ?何この空気」

「・・・でも待ってくれ、「元」ってことは今は・・・」

 

意を決したように、正純が詳細を聞き出そうとする。

康景は頭を掻きながら短く、

 

「中等部三年の時に一年間だけな・・・結局は俺が原因で別れたけど」

「原因・・・?」

「・・・」

 

康景は、それ以上は話さなかった。

後ろの方で、

 

「そそそそそそ、そうですわよね・・・「元」ですし、重要なのはい、今ですわ・・・ね、ねぇ?」

「な、なんで私にフるんさね?あ、あたしはべ、べべべ別に興味ないしししし?」

 

と震えた声でぼそぼそと呟くのが聞こえた。

・・・誰の呟きとは言わないが。

一同はトーリに事の詳細を聞こうとしたがトーリははぐらかすだけだった。

トーリはその話題には触れたくなかったのか、あえて話題を変えてヨシナオに言った。

 

「おーい麻呂!姉ちゃん勝ったら俺に王の座、譲ってくんない?」

 

******

 

ヨシナオは、トーリの言葉を聞いた。

 

・・・何を馬鹿な事を、王の座は聖連の指示によるもの・・・聖連から派遣された王になるという事が一体どんな目に遭うのかわかって言っているのか・・・!

 

ヨシナオはかつての自分の領地と、そこに住んでいた人々を思い出す。

その上でトーリに問う。

 

「何のために王になるのだ?」

「俺のせいで奪われちまったホライゾンの全てを俺が取り戻してーからだよ」

「・・・」

 

力も何もないが、大事なものを失うことを否定して、抗おうとする馬鹿と、馬鹿たちを見て不思議と何とかなりそうな気もした。

 

・・・だがどうする?お前の姉では今相対しようとする相手には勝てるわけがないだろうに。

 

視線の先の二代が前に出た。

 

*****

 

二代は正面に立つ、胸上をさらけ出し袖を腕に巻き付けた女を見た。

 

・・・てっきり康景殿が相手だと思って御座ったが・・・?

 

だが武蔵総長の姉で、康景が認める相手だ。

こう見えてできる相手なのかもしれないと、相手の力量を見極めようとする。

 

「白拍子で御座るか?」

「芸を知らないつまらない女ね、もっと古いものよ?知らない?」

「・・・生憎と拙者、芸能を嗜む心は持ち合わせていないのでな」

「・・・アンタ、相手を喜ばすことは出来ても、相手を靡かせることは出来ない女ね。本気で誰かと相対したこと無いでしょう?」

 

二代はその言葉に、先程の「蜻蛉切」の返還の儀のことと、昨日の事を考えた。

極東の人々に抗う意思を見せようとして八大竜王の立花宗茂相手に速度で挑み、結果すべてを覆された。

そして昨日、三河の街道で父たちに言われ武蔵の学長を試そうとした時、その行動も康景に阻まれてしまった。

 

・・・あと胸も揉まれたで御座るからな。

 

別に本気でやらなかったわけではない。だが結果としては・・・、

 

「ほら、そうやって目の前の相手じゃなくて、他の相手の事考えてる・・・本気になれてない証拠よ」

「それは・・・」

「いいわ、ならつまらないアンタに私が色々教えてあげる・・・ウズィ出なさい」

 

そう言って喜美は自身のウズメの走狗であるウズィを出し、ゆっくりと身体を揺らし始めた。

 

「私の契約してるウズメ系の神については知ってる?」

「いや、詳しくは・・・騒ぎ、笑わせてその感情を伝播させる事くらいしか・・・」

「大まかに言えばそんな感じね・・・私の契約関係はダンス系とエロ系が殆どだけど」

「本気で戦闘用がないで御座るな・・・!」

 

大丈夫なんで御座ろうか・・・?

 

戦闘用が無いのなら、舞を奉納することによる代演仲介か。

舞を奉納してウズメの神社を通し、他の神の力を得るなどいう話は容易に考えられる。

だとすれば厄介だが、相手は攻撃さえ当てれば倒れそうな体つきだ。

なら取るべき行動は、

 

「・・・参る!」

 

二代は前に踏み込み、蜻蛉切で足を払った。

足首を狙ったのは、骨折する可能性もあるが、踊って不安定な状態で足を払われれば転倒し、転倒と足首の痛みによって相手は降伏するだろう。

二代はそう考えた。

 

「終わり申した」

 

低めの体勢から徐々に体を戻し振り返った。

そこには自分が足を払った敵が倒れているはずだったが、

 

・・・は?

 

総長の姉は、身体を揺らしながら平然と立っていた。しかも無傷で。

 

「まさか現実が嘘をつくとは・・・」

「そんなつまらない結論出すのに時間取らないでよ・・・愚弟、アンタならこういう時どんな反応する?」

「くふふ、お前ホント可愛いなぁ~、へへへ、濡れっ濡れだぜ!」

 

二代と喜美がトーリの方に振り向くと桶相手にニヤニヤしながらぶつぶつと喋っていた。

その様子を見て皆が半歩トーリから下がる。

 

「桶相手に・・・なんというか、その・・・先進的な弟御で御座るな」

「フフフ、流石ね愚弟、後で下水処理場に叩き込んであげるわ・・・で、そこの今極東で最も冴えない女武者」

 

喜美が眉を立て、挑発するように二代に言う。

 

「アンタ思ったよりダメな女ね・・・その速度はお飾り?」

 

二代は二発目を叩き込んだ。

 

******

 

二代は左に突っ込み、肩を入れかち上げるようにして足をすくい上げる。

手応えはあったが、果たしてどうなっただろうか。

 

また態勢を直し、槍を相手に向ける二代。

しかしそこには悠々と、平然と立っている相手がいた。

 

「これは・・・いったいどんな術式で御座るか?」

「問われて答える馬鹿が居ると思ってんの?・・・でも私は自慢しちゃう!」

 

喜美は右腕を横に水平に上げ、右肩に居たウズィが腕の上を回転しながら行ったり来たりし、胸の上を回って次に伸ばされた左腕に移動した。

 

「私の契約内容はほとんどがダンス系とエロ系・・・でもエロけりゃあ誰にでも身体を許すって訳じゃないのよ?」

 

喜美は身体を揺らしながら続ける。

 

「高嶺の花はそこに至れる者にしかその姿を拝ませない、だからこそ孤高に咲き続けるの」

 

喜美は笑い、ウズィを腕の上で滑らせて遊ばせている。

 

「・・・私の『高嶺舞』は私の身に無粋が触れないようにする術式。つまり私が認めた者、この人になら枯らされてもいいと思えるような人間しか触れることが出来なくなるの」

 

「まぁこの理論で言えば私は絶対康景には勝てないんだけどね」と、小さな声で呟いた。

その呟きを聞き取った二代は、この喜美が康景に深い信頼を置いているのを感じた。

二代は康景の事も、今の相対相手の事もよくは知らない。

だが康景とは短い瞬間だったが刃を交えた仲だ。あの一瞬でも、康景の技量は少なくとも自分と同等かそれ以上だいう事は解った。

その康景が認めて送り出した相手、そう考えると何か込みあげてくるものがあった。

相手へどういう風に攻撃するかを再び思考する二代だったが、先に喜美が口を開く。

 

「攻撃手段がないと思わないでね、油断してるとひっぱたくわよ」

 

そう言って喜美はウズィを宙に放り投げ、身を揺らし、明確なステップを刻み始めた。

 

「通りませ・・・」

 

喜美が歌い始めた。

この出だしで始まる歌を、二代は知っている。いや、二代だけではなく極東の民ならほとんどが知っている曲。

 

・・・通し道歌を舞の歌にするで御座るか・・・!

 

マズいと思いつつも、どうすべきか判断に迷った。

 

「通りませ・・・」

 

言葉の速度が上がる。通常よりも早いテンポなのは舞に合わせるためのものだが、テンポが上がることで舞の動きが速くなり、動的に舞の密度も上る。

 

・・・結果的に奉納における価値が高くなる!

 

自分は今高嶺の位置に至れていない、更に奉納価値を上げていくのなら、こちらがすべき行動は速度でそのレベルを超える行為を行って奉納し、相手に届かせるしかない。

ならばその行為とは、何か?

二代は速度で勝負に出た。

 

白と黒の影が、橋の上を舞っている。

喜美を中止に、二代が高速で周囲を動くことで風が起きる。

 

笑みで続ける喜美の舞は見る者を魅了した、

ステップが鳴り響き、髪の風切りはさざめき、衣服の羽ばたきは宙を打つ鼓動になる。

そして二代の動きもさらに早くなり、ついには槍を通そうとする影が残像を映し、その数を増やしていく。

二人を加護する流体が衝突して、白い火花を散らす。

 

喜美は二代の攻撃すら自らの舞に取り込んで自分の奉納レベルを上げるが、その肌に朱色の線が混じり始めた。

流れる汗と共に、朱色の線から血玉が湧く。

 

****

 

「おい大丈夫なのか?!」

 

その様子を見ていた正純は、もしもの事を想像してしまい慌てて皆に問う正純。

しかし一同はただその様子を静観していた。

その中で、鈴の背を支えた浅間が喜美から目を離さずにその問に答える。

 

「大丈夫ですよ、喜美は負けません」

 

浅間の頬に、風に散った喜美の血が少量だが飛びついた。

 

「血が・・・」

「大丈夫です。だって喜美は、一度しか泣いたことが無いのを、私たちは知っています」

「え?」

「トーリ君の時に、一度だけ・・・だから、トーリ君と康景君が見てる以上、喜美は負けませんよ」

 

*****

 

喜美は舞の中で、浅間が言った事を聞いた。

 

・・・正確には一度じゃなくて二度なんだけどね。

 

だがその事実を知る者は、もはや自分と康景だけだ。

聞かれなかったから言わなかっただけで、別に隠していたわけではない。

 

そして風の中、舞ながら喜美は思った。

 

・・・いい感じね!

 

ここまで速度を上げられるのは武蔵にはそうはいない。康景とでも長く続けられるが、途中でこちらがへばってしまうのでどちらかというと追う形になってしまう。

 

いい女は逃げる事にこそ華があると、喜美は思う。

だからこちらが舞のレベルを上げるのに対して相手が付いてくる、それは気分が良い。

そして熱も鼓動も決意も何もかもさらけ出すようにするのは、すべてを無防備にしてさらけ出すというのは、中々できない。

 

だが同時に、これでは足りないとも思う。

 

ずっと昔に思い切り泣いたことがある。あの時泣いたのに比べると、今の舞では足りない。

 

・・・康景の時はさらけ出したというより、逆だったわね・・・その時は俯いて、抑えるようにして泣いたのよね。

 

思い切り泣いた時の事と、抑えるように泣いた時の事を、喜美は思い出した。

 

*********

 

ホライゾンが亡くなってから暫く経って、トーリだけが戻ってきた。

それからトーリは何か月か家に閉じこもってしまった。

御飯もロクに食べなかったトーリはみるみる痩せこけていくのを見て、喜美は怖くなったのを覚えている。

たまに喋ったと思えば「ごめんなさい」しか言わなかったトーリを見てすごくもどかしく、何もしてあげられない自分が嫌だった。

このままどうしようもできないのかと、諦めそうになったことも何度かあった。

しかし、教導院にも来なくなったトーリを心配して、義伊がトーリの家を訪ねてきた。

 

・・・あの時は驚いたわね、まさか義伊が来るとは思ってなかったから

 

義伊はトーリの事で怒ってると思ってた喜美は、その訪問が少し嬉しかった。

だが義伊がうちに来た事をトーリに伝えると、トーリは部屋に閉じこもった。

暫く二人にしてくれと、そう義伊に言われ喜美は自室に下がった。

十数分の間、部屋の戸を隔てて二人きりにしたので、何を話していたのかは、喜美にはわからなかった。

だが、十数分経った後突然義伊が家から出て行った。

何事があったのか気になって後を追うと、義伊はトーリの部屋の窓に立ち、部屋の窓を割ったのだ。

窓ガラスを割った義伊の手は血で真っ赤になった。しかしそれにも構わず義伊は無理やり部屋に入ってトーリを外に引っ張り出した。

そして義伊はトーリにまたがり顔を殴って、殴って殴りまくっても、トーリの血か義伊の血か判断できないくらいに血塗れなった義伊の拳は、トーリを殴ることを止めることは無かった。

そして殴りながら義伊は言った。

 

「何が『俺が死ねば良かった』だ!ふざけるな!」

 

普段おとなしいハズの義伊があそこまで怒っているのを喜美は見たことが無かったので、そのギャップに恐怖した喜美は黙って見てることしかできなかった。

 

「もしお前がホライゾンの事を気に病んでいるなら!死んで詫びるんじゃなくて生きて償う事を考えろよ!」

 

そして疲れた義伊が最後に一発利き手で思いっきり殴った後、胸ぐらをつかんで言った。

 

「・・・解るか?俺はホライゾンが亡くなった事で怒ってんじゃない、お前が『死んで償う』とかふざけた事ぬかしたことに怒ってんだよ」

「・・・」

「お前が言ったことが原因で死んだって聞かされた時は確かにキレたさ・・・でも死んだ原因は事故だ。お前が意図的にそこに追いやったり、突き飛ばしたわけじゃないだろ?」

「・・・」

「だから・・・俺は、お前を・・・赦すよ」

「!」

 

その言葉を聞いたトーリが目を見開いた。

離れてその様子を聞いている事しかできなかった喜美も、その言葉に驚いた。

義伊は言葉を続ける。

 

「でも、お前は自分を許せないんだろ?だったらお前が自分を『許した』時、その時は俺もお前を『許す』よ・・・」

「お、俺・・・」

「もしお前が、ホライゾンや俺に悪いって思ってるなら、『死んで』逃げる事より『生きて』償えよ・・・もし死んで楽な道を選んだりしたら、俺はお前を一生軽蔑するぞ・・・もうこれ以上、大事な人を失う気持ちにさせないでくれ」

 

義伊は、トーリの胸ぐらから手を放して、喜美に向かって「この窓いつか弁償するから」と言って帰っていった。

義伊が去った後も、トーリは仰向けに倒れたままだった。

そしてその様子を見ている事しかできなかった喜美も、決意した顔でトーリに近づき手を差し伸べて言った。

 

・・・今思えば私も愚弟も、義伊の言葉で決意したようなものね。

 

「全く・・・これじゃ父さんと母さんに怒られるじゃない」

「・・・姉ちゃん」

「いい?義伊が言った通り、アンタが死んで償うなんて考えても、それは結局逃げなのよ・・・いい?アンタはこれから泣くようにして生きなさい、笑うときも怒るときもね、そしてそれが出来ない人を助けなさい・・・人が奪われたりしたものを、取り返すような生き方をしなさい。私はそれを手伝ってあげる」

 

そう言ってトーリの手を掴むと、トーリは泣いた。

そしてその様子を見た喜美は、その泣きじゃくるトーリを見て、これで本当に弟が戻ってきたと安心した。

気が付くと、喜美の頬にも涙が伝っていた。

意識が張り詰めていたのが解けたからか、義伊がトーリを赦してくれたからかはわからなかったが、涙に気付いた喜美はついに我慢できなくなり、大声で泣いたのだ。

 

******

 

・・・あの時は思いきり泣いたわねぇ。

 

それからはトーリは徐々に元に戻っていった。空元気に思った事もあったが、それでも順調に戻っていった。

 

・・・だけど丁度その時期から、義伊は塚原卜伝っていう母さんの知り合いに弟子入りし始めたのよね。

 

大体いつもホライゾンと義伊と喜美とトーリといるのがセットだったので、逆にいないことに違和感を覚えた。

そして義伊の事を考えている間に、いつの間にか義伊の事を意識するようになった。

義伊が馬鹿みたいに段々と強くなっていくのを見て、変に惹かれていったのがなんか癪だったが、浅間もホライゾンも義伊も家族みたいなものだったので、その中で異性の義伊に惹かれるのもある種当然だったのかもしれない。

 

そして中等部に入る前に、塚原卜伝が死んだ。死因は義伊に首を斬られたことによる失血死。

あの頃の義伊は、見るに堪えないくらいに憔悴しきっていた。

それでも新たな師を迎えて、鍛錬に励んでいた。

 

・・・何かから逃げるように。

 

二人目の義伊の師匠が誰かは知らなかったが、その師も一年経たないうちに武蔵を去った。

義伊はまたしても師を失った。それでもトーリみたいに自暴自棄になって死のうとか、そういうことはなかったが、余計無茶するようになった。

自分の事もあるのに、困ってる人を見れば人助けして、その上で鍛錬もこなす。

 

・・・休んでることの方が少なかったんじゃないかしら?

 

心配になって「いつ寝てるの?」と聞いたこともあったが、はぐらかされるだけだった。

そして三人目、今の先生を師に迎えた

その頃になって義伊が、「天野康景」の襲名者になった。

これは二人目の師との約束だったから襲名したとの事だったが、もう彼を「義伊」と呼ばなくなると思うと、それが少し寂しかった。

 

そしてそんな中等部の日常が三年目を迎えた頃に喜美は康景に告白した。

どうして彼を好きになったのかという詳しい理由は、今になってもよくわかっていないが、理由なんて後付けだと喜美は思う。

重要なのは好きになったという事、その事実の方が喜美には大事だった。

 

告白の時は心臓が口から飛び出るじゃない?っていうくらいには無駄に緊張したが、康景はその告白を承諾した。

その夜は嬉しさで自室を飛び回ってトーリから「姉ちゃんうるせーよ!何一人で『ハイ!』になってんだよ!」と注意されたのは、ここだけの秘密である。

 

それから一年間、康景と付き合った。

 

あの一年間は楽しかった。康景と映画を見に行ったら内容がホラーで終始康景にしがみついて気絶してたり、康景を服を選びに武蔵中の店を連れまわしたこともあった。

それを皆に黙っていたのは単に恥ずかしかったのもあるが、ミトツダイラや直政の気持ちを知っていたというのもある。

 

・・・私も臆病よね。

 

でも、ある日喜美は気づいてしまった。康景の「歪み」に。

 

康景が自分から好んで人を助けるのも、やりすぎなんじゃないかとも言えるような苦行に耐えうるのも、私の事をちゃんと気遣ってくれるのも、自分の事を考えたくなかったからだと・・・。

 

自分の事を考えたくないという事に気付いていない事と、その上で誰でも助けるという、誰にでも優しく接する心の「歪み」。

 

その「歪み」に気付いた時、喜美は言いようのない恐怖感に駆られ、トーリの時みたいに遠くへ行ってしまいそうで怖かった。

それで一年が経った頃、中等部の卒業式の後のことだ。

康景に呼び出され、言われた。

 

「喜美」

「なによ?こんなとこに呼び出して・・・まさか!?」

「違うって・・・」

 

喜美は身を抱いて「ここでする気なの?!」とふざけたが、康景の様子は変わらなかった。

真剣な顔で告げる。

 

「・・・俺たちさ、終わりにしよう」

「・・・」

 

喜美は言われた時、驚かなかった。予感があったからだ。別に互いが嫌いになったわけでも、付き合う事に疲れたわけでもない。

 

理由は、

 

「喜美・・・ありがとう、こんな俺に一年間も付き合ってくれて・・・でも、もう無理しなくていいよ」

「無理なんて・・・!」

「だって喜美、最近俺といるとき悲しそうな顔するじゃないか」

「それは・・・」

 

それは別に康景といることが嫌になったわけではない。

「それは康景の事が心配だから」と、そう言おうとして言葉を出せなかった。

言ってしまっていいものか、と迷ってしまったのだ。

言ってしまう事で康景の「歪み」を指摘してしまい、トーリの時みたいに壊れてしまうのではないかと、迷ったのだ。

 

「・・・俺は、喜美に悲しい顔なんてしてほしくないんだよ」

「・・・」

「俺も喜美が好きだったよ、お前といられる時間が楽しくてしょうがなかった・・・でもそれ以上にお前に悲しい顔させる俺自身がどうしても許せない」

「・・・・・・」

 

口を開けなかった。汗がにじみ出る。

いやだいやだいやだ。

 

そうじゃないのよ・・・!

 

だけど声が出ない。

 

このままでは康景が遠くに行ってしまう・・・。

 

しかし、声を出すことが出来ずにいる喜美の沈黙を肯定と捉えた康景は喜美に背を向ける。

その康景の横顔は、泣いているように見えた。

 

「ごめん・・・・・・ごめん・・・」

 

そう呟く康景は喜美を残して去った。

その背中を追いかけられなかった事と、どうすべきかわからなかった自分の無力さに打ちひしがれて、声を抑えるように、泣いた。

 

******

 

あの時は康景が去った後に泣いたが、今思えば別れ話を切り出された時点で、涙をこぼさないように耐えていたから、結果としては康景の前で泣いたのと変わらない。

 

全くあの馬鹿・・・。

 

三年の間、康景と喜美は何事も無かった様に過ごした。

その事実を知っているトーリも二人を気遣って誰にも詳細を話さなかった。

それが今に至るわけだが、

 

・・・今回の件が無かったら私がぶん殴りに行ってやったのに。

 

康景は喜美が何か言う前に自分を受け入れ、今朝教室にやってきて皆に謝罪した。

それは多分「師」であるオリオトライが言ったことが一番大きい。

それだけ康景にとっての「師」という存在が何よりも大きいという事を物語っている。

 

私が言ってたらどうなってたのかしらね・・・?

 

もしもの事を想定して、考えるのを止めた。

今はこの相手に勝って愚弟と馬鹿に道を付けなきゃいけない。

だが、向こうも本気だ、油断をすればこちらが負ける。

 

・・・だけど私は勝つ・・・・・・そして私に感謝するといいわ!

 

心の中で弟と元カレに叫び、喜美は勝負に出た。

 




やらかしてしまいました。ごめんなさい
ネイトはどうなるんでしょうね・・・わたし、気になります(他人事)

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