コードギアス 黒百合の姫   作:電源式

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第33話

 

 新緑の季節。周囲を見渡せば嫌でも目に付く緑の木々、聞こえてくる野鳥の囀り。

 空はからりと晴れ渡り、日に日に強さを増す初夏の太陽光が肌を焼く。

 自然と滲む汗。

 しばらくすればここ日本は梅雨と呼ばれる雨季に突入するらしい。その期間の湿度や不快指数を思えば、まだ現状の方がマシだが、それでも踏みしめる石段の数にはうんざりする。

 尤も私の場合、この程度で感じる肉体的疲労など微々たるものだ。問題があるとすれば彼だろう。

 視線を上げ、妹を背負い先を行く兄ルルーシュの姿を視界に捉える。

 お世辞にも鍛えているとは言い難い華奢な身体で、妹ナナリーに出来るだけ不安を抱かせないように雑談を交わしつつ、懸命に一段一段石段を登っていく。周囲の大人達の手を拒み、大切な妹を誰にも触れさせはしないという強い想いが窺い知れた。

 

 しかし足を踏み外し、二人一緒に転がり落ちてしまうのではないのかと、見ているこっちが心配になる。私が代わりにナナリーを背負っても良かったのだけど、生憎と私には病弱設定があったことを思い出す。生活環境が変わった事を機に、設定を改めるのも悪くはないか。いや、設定以前に例え血を分けた私でも、妹に触れることを兄は許さないに違いない。

 険悪な兄妹関係の改善の糸口はまだ掴めそうになかった。

 零れ落ちる溜息。これから始まる兄妹だけの生活、まったく先が思いやられるね。

 

 

 

 ようやく石段を登りきり、鳥居と呼ばれる赤い門をくぐる。

 私達兄妹の受け入れ先、現日本国首相=枢木ゲンブの実家。全国に数多くの枝宮を有する枢木神社の本宮。

 広大な面積を誇る本宮だけでなく、枝宮も全て枢木の私有地であることを考えれば、平均的な一般家庭と比べ、如何に枢木家が掛け離れた資産を保有しているのかが窺い知れる。

 石畳を歩んだ先、そこで待ち受けていたのは、侮蔑と嘲笑の混じる瞳から鋭い視線を向けてくる恰幅の良い男。

 そう、枢木家当主にして、ブリタニアとの緊張高まる日本国の首相=枢木ゲンブ。

 

 そしてもう一人、杖をつく着物姿の老人。その男の姿に私は内心驚きを禁じ得ない。

 まさか、こんな昼間から妖怪ぬらりひょんに遭遇するとは思わなかった。しかし狸親子に大妖怪、他にも巫女やサムライなども居るらしい日本の教会は、一体どんなテーマパークなのだろうか。などという冗談はさておき、いきなりこんな大物と出会すとは想像していなかったのは事実。

 老人の名は桐原泰三。フジ鉱山を始めとするサクラダイト産出鉱山を多数保有し、その採掘権を独占する桐原産業の創設者にして枢木政権発足の立役者。いや、この国の影の支配者と目される人物。歴史ある旧家同士、噂通り親密な関係が続いているのだろう。

 まるでこちらの事を品定めでもしているかのような視線が些か不快だったが、完全なアウェーである為、ここは我慢するしかない。今回の件にどこまで関与しているのかは不明だが、相手にするには今はまだ分が悪すぎる。

 尤もそれ以上の何かがあるわけでもなく、挨拶どころか顔合わせもそこそこに、私達はこれから暮らすこととなる新たな住居へと案内されることとなる。

 私達兄妹にとって、運命の出会いを果たすその場所へ。

 

 

 

 何なんだろうね、これは……。

 案内された新たな住居を前に、私は呆れつつ苦笑するしかなかった。

 枢木神社の片隅に放置されたよう存在する小さな土蔵。最低限のライフラインが用意されているのかも疑わしい。当然シャワールームやトイレは別だろう。

 どう好意的にみても古ぼけた物置にしか見えない、そんな有様だった。

 くふふ、これは生贄の扱いなどこの程度で十分、屋根があるだけ感謝しろとでも言うつもりなのかな、かな?

 これはもうリリーシャさんから怒りポイントを進呈しようじゃないか。今ならもれなく倍プッシュだよ。ポイントが溜まれば、リリーシャさん主催の恐怖劇グランギニョルにご招待。是非とも舞台の上で存分に泣き叫んでもらおう、ふふっ。

 

「素敵なところだよ。雪のように真っ白い壁と花をあしらった飾り窓があって────」

 

 私と同じく目の前の光景に愕然とし、言葉を失っていた兄ルルーシュだったが、ナナリーに問われ、状況を説明する。

 必死に誤魔化し、取り繕ってはいるが、その内容には無理がある。母マリアンヌの暗殺に巻き込まれ、精神的ショックで視力を失っているナナリーが相手とは言え、馬鹿にしているのかと言いたくなるほどに。

 優しい嘘、ね? 二、三日泊まるだけならまだしも、そんなものは生活をしていく内にばれてしまう。ほんの一時凌ぎにしかならない。

 いや、既にナナリーが兄の態度や雰囲気から何かを感じ取っている可能性もある。ならば最初から現実を受け入れたほうが良いと思うのだけど。

 無駄な行為だと少々滑稽に思えたが、もちろん笑みを浮かべるようなヘマはしないよ。

 刹那────

 

「誰だッ! 出てこい、そこにいる奴」

 

 第三者の気配を感じると同時、兄ルルーシュが声を上げる。

 

「偉そうに言うな」

 

 返ってくる声、土蔵の奥から現れる一人の少年。日本人にしては色素の薄い癖のある髪、白い胴着に紺の袴姿。

 そう、彼が枢木の子狸=枢木スザクか。確か私や兄ルルーシュと同年齢だったはずだ。

 

「ここは俺の場所だったんだぞ、元々」

 

 などと空気の読めない、子供ならではの難癖をつけてくる。おおよそこの場所は彼の遊び場だったのだろう。それを私達が奪ったと考え、不満を抱いているに違いない。

 その出で立ちからも分かる通り、それなりに身体を鍛えているらしい。同年代の子供と比べて高い身体能力を有していると推測する。

 一方、活発というよりもやや粗暴な気性。あまり聡明なタイプには見えない。果たして今回の件を正しく理解しているのかな? 期待できそうにないけど。

 何れにしろその性格上、兄ルルーシュとは反目し合いそうだね。今後のことを考えれば、友好的な関係を築きたいが……。

 

「お前は嘘吐きだ。何が白い壁だ。この蔵のどこに飾り窓があるって言うんだ!」

 

 いや、既に遅かった。私が彼の事を観察している間に、二人はこの国の政策を巡って口論に突入し、険悪な関係を構築している。互いに第一印象は最悪と言ったところか。

 さらにはこの土蔵の有様が暴露され、呆気なく優しい嘘は曝かれる。

 

「止めろッ!」

 

 衝動的に殴り掛かる兄ルルーシュ。

 だが迎撃に放たれた正拳突きがクリーンヒット。地に這い蹲ると、マウントポジションを取られ、防戦一方のままフルボッコにされていく。

 あ~あ、殴り合いの喧嘩なんてしたことがないのに無謀だよ。

 謁見の間でのことも然り、普段冷静な分、こうした事態に頭に血が上りやすいのかな。

 

「止めて下さい! どなたか分かりませんが、わたしにできる事なら何でもしますから!」

 

 兄への暴力を止めようと、泣きすがるように懇願するナナリー。ほんと健気だね。

 それに比べて最愛の妹を悲しませ、心配を掛けるなんて悪い兄だよ、ルルーシュくんは。

 仕方がない、ここはお姉ちゃんが一肌脱ぐことにしようか。兄妹仲改善のためにも好感度を稼いでおかないとね。

 そして私は携帯電話を取り出した。

 

 ピロリロン♪

 

 周囲に響くシャッター音。

 その音に動きを止めた二人の視線が私へと集まる。

 取り敢えずもう一枚。組んず解れつする幼い少年二人の画像か、その筋のお姉様方に高く売れないかな?

 

 ピロリロン♪

 

「何のつもりだ、リリーシャ」

 

「何だよ、お前」

 

 どうにも情けない姿を見られて顔を歪める兄ルルーシュと、怪訝そうな表情を浮かべる少年。

 

「何って、知らないのかい? これは携帯電話という文明の利器だよ。離れた場所に居る人間と話をしたり、文章を送りあったり、写真を撮ったりと色々便利なんだけど」

 

『そうじゃない!』

 

 私の戯れ言に二人は声を揃えて抗議する。

 あれ、実は意外と仲が良いのかな?

 

「ふふっ、ちょっとした冗談じゃないか。

 しかし君は自分の立場を自覚しているのかな、くりゅりゅぎスザク?」

 

「枢木スザクだ!」

 

「これは失礼、かみまみた」

 

「っ、馬鹿にしているのか!?」

 

 怒りで顔を赤くした枢木スザクが兄ルルーシュの上から立ち上がり、今にもこちらへと掴みかかるような姿勢を見せる。

 恐い怖い、今度は私を押し倒そうというのかな?

 ま、その場合、正当防衛として堂々と返り討ちにしてあげるんだけど「枢木スザクは日本男児だ、女は殴らない」とか言いそうだよね。

 

「ええ、そこそこ。むしろ馬鹿にされていると感じない方がどうかしているよ。良かったね、君の脳は正常だ」

 

「ほんと何だよ、この女」

 

「諦めろ。こういう奴なんだよ、コイツは」

 

「……大変なんだな、お前」

 

 何故か私が意図しないところで、若干の関係改善が行われているようだが……まあ良い。話を本題に戻そう。

 

「もう一度言うけど、君は自分の立場を自覚しているのかな、枢木スザク?」

 

 私は再び問い掛ける。

 

「君はただの子供ではない、日本国首相枢木ゲンブの血を引く子供だ。同様にさっきまで君が殴っていた我が兄もまた一般庶民とは違う。神聖ブリタニア帝国のれっきとした皇族だ。

 外交上の観点から関係改善を目指して、友好の証として送り込んだ子供が初日に暴行を受ける。しかも加害者は首相の息子。その証拠が私の手の中にある。果たしてこの画像を見たブリタニア国民はどう思うだろうか?

 結果、ブリタニア本国がどんな行動に打って出るか、君にも想像ぐらい出来るんじゃないかな、ふふっ」

 

 もちろん全てブラフだ。

 先に手を出した兄ルルーシュは皇族とは言え皇位継承権を失っている。そもそも例え皇族であっても何ら地位のない子供を引き取ることに、それほど外交的な意味などない。むしろ現状の社会情勢では反って国内世論の反発を招きかねないだろう。

 尤も死ぬことを前提にこの国に送り込まれた私達の役目は、実はこの国の地を踏んだ瞬間に終わっている。

 本国としては私達がこの国に居た、そしてこの国で死んだという二つの事実のみが重要なのだから。

 さらに言えば、先程からこちらを遠巻きに見ている──枢木家が用意した──SP達が、彼の行動を止めなかったことからも、身柄の扱いについて両国の間に密約が交わされている事が窺い知れる。

 生贄が五体満足である必要はないと言ったところか。

 もし国際問題に発展するようなら、さすがに彼等も止めに入るだろう。

 

「まさか……」

 

 顔を青くして枢木スザクが呟く。

 どうやら私の言いたいことを理解してくれたようだ。

 

「子供の喧嘩? 違う、間違っているよ。これは明らかな宣戦布告だよ」

 

「あり得ない!」

 

 私もそう思うよ。

 明らかな暴論だと内心苦笑する。

 

「でも飛躍しすぎていると本当に言えるのかな? 実際開戦の切っ掛けなんて些細なものだよ。理由だって勝者が後からいくらでも捏造できるんだからね」

 

 歴史は勝者が創る。自分達にとって都合の良い歴史を。

 それが古より続くこの世界の隠しようのない理だ。

 

「っ、だったらその携帯をよこせ!」

 

 なるほど、実に素直な反応だね。

 だけど残念ながら意味はない。

 

「別に構わないよ。そろそろ新しい機種に買い換えようと思っていたところだったしね。

 でもさっきの画像は既に本国のサーバーに送信済みだから。言っておくけど、この端末から削除することは出来ないよ。

 さらに各種操作に必要なユーザーIDも私だけが知っている」

 

 私は勝ち誇った笑みを浮かべ、手にする携帯を枢木スザクへと差し出してやる。

 ふふっ、自分の行動を後悔し、訪れる未来に恐怖するいい顔だね。

 さあ次はどう出る? 親の力に頼るか、それとも私を消しに来るか。

 

「……ううっ」

 

 瞳に涙を溜める枢木スザク。

 おっと、さすがにこれは予想外だ。少し追い込みすぎたか、泣かれてしまうのは少々面倒だ。

 別に私は彼の矜恃を傷付けたかったわけではない。

 意地があるはずだ、男の子には。それが分からないリリーシャさんじゃない。

 

「というのは全て冗談だよ。ちょっとしたブリタニアンジョークだから安心して欲しい、さっき撮った画像も実は保存すらしていないから」

 

 私は若干挙動不審になりながら、事態の収拾と言う名の誤魔化しを図る。

 彼に近付き、親指の腹でそっと涙を拭う。

 

「ほら、可愛い顔が台無しだよ、くりゅりゅぎスザク」

 

「っ、俺の名は枢木スザクだあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 顔を赤く染め、叫びながら、まるで逃げるように走り去る枢木スザクの後ろ姿を見送り、私は額の汗を拭いつつ大きく息を吐く。

 ふぅ、どうにかミッションコンプリートだ。

 

「大丈夫ですか、お兄様?」

 

「ああ、大丈夫だよ。心配掛けてすまない、ナナリー」

 

「いえ、お兄様がご無事ならわたしは」

 

「……ナナリー。もう無茶はしないよ」

 

「約束ですよ、お兄様」

 

「ああ、約束する。でもナナリーも二度とあんな事を言っては駄目だよ」

 

「はい」

 

 などという会話が背後から聞こえてくる。これだからシスコンとブラコンは、人の気も知らないで。

 ここは負けじと私も会話に参加しよう。

 

「大丈夫かい、兄くん。手酷くやられたようだけど、今度からはちゃんと相手を選んで挑んだ方が良い」

 

「ああ、けど一言余計だ。でも一応礼は言っておく、ありがと……リリーシャ」

 

 顔を背け、服に付着した砂や埃を払いながら、小さく消え入りそうな声で謝意の言葉を告げる兄ルルーシュ。

 本当にツンデレだね。

 でも兄に感謝されたのは私にとって初めての経験だ。何だか嬉しいね。これはもう一肌脱いでも良いかな。あ、でも安心して欲しい。全裸にはならないから。

 

「ナナリー」

 

「は、はい!」

 

 私が声を掛けるとナナリーはビクリと身体を震わせる。視力喪失以降、音に敏感になっているため仕方がないか。

 

「兄くんの事は頼んだよ」

 

「おい、どういう意味だ?」

 

「どこかへ行かれるのですか、リリーねぇさま」

 

「少し野暮用を済ませてくるよ」

 

「待て、痛ッ!」

 

 私を止めようとした兄ルルーシュは、殴られた箇所を押さえて蹲る。

 

「兄くんは少し休んだ方が良い。見た感じ打撲程度だけど、しばらくは痛みが残るはずだから」

 

 そう私は言い残し、枢木スザクが走り去った本邸のある方向へと歩み出す。

 SP達がどこか慌てた様子だったが特に気に留める必要はない。邪魔をするなら……ね?

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 純和風な造りをしている枢木本邸において、その部屋は異質と言えた。

 天下の枢木家に相応しく豪華な内装という点では申し分ない。

 しかし部屋の扉は装飾の施された両開きであり、床には毛足の長い絨毯が敷かれ、並ぶ調度品はアンティーク調の高級品ばかり。部屋の主の強い舶来志向を窺わせている。

 きっと日本文化に対する執着などないのだろう。

 私はタバコ臭いその部屋で本革製のソファに腰を下ろし、壁際に並ぶ書棚に収められた書籍のタイトルに視線を這わせながら、主の登場を待っていた。

 

「ッ……小娘、どうしてお前がここにいる」

 

 しばらくして室内に入って来たその男は、私の姿を視界に捉えるなり顔を歪ませ、開口一番高圧的に告げてくる。

 

「お邪魔しているよ。貴男とは一度ちゃんと話をしておきたくてね、枢木ゲンブ。

 ああ、それとも私達を監視し、また行動を制限する自称SP達についてのことかな? 彼等なら少しのあいだ眠ってもらっているよ」

 

 本邸への侵入を止めようとしたSP達。だけど私の年齢や容姿に油断したのだろうね、案外呆気ない相手だった。決して彼等がロリコンだったとは考えたくない。もしそれが事実なら夜もおちおち眠れないよ、ふふっ。

 

「ふん、面白いことを言う。だが生憎と小娘の戯れ言に付き合っている暇はない。手荒な扱いを受けたくなければ、さっさと儂の前から失せろ。儂の気が変わらぬうちにな」

 

 まるで動揺した様子を見せず枢木ゲンブは応える。

 さすがは現状の社会情勢を握る日本の狸。サクラダイトの分配権を操作し、EUや中華連邦に媚びを売る顔の皮が厚い男。

 この程度では微塵も揺らぎを見せないか。

 ま、初めから期待はしていない。本題はこれからだ。

 

「これは失礼。ただ私としてはもう少し付き合ってもらいたいかな。

 今し方私の兄がお宅の息子さんに殴られてね、怪我を負わされたんだ」

 

「だから謝罪を要求する、慰謝料を払えと? はっ、馬鹿らしい」

 

 そう言って枢木ゲンブは私の対面に腰を下ろすと、取り出し安物のタバコに火を点け、無遠慮に紫煙を吐き出す。

 口では否定しているが、私の言葉に耳を傾ける意思はあるらしい。乱暴に追い払うことなく、ソファに座った行動がその意思表示となっている。

 少なくとも私に多少の興味を抱いていると考えて良いだろう。枢木スザクとのやり取りの報告を受けているのかも知れない。尤も少しばかり口と頭が回る小娘程度の認識でしかないだろうけど。

 さて、どこまで踏み込もうか。

 

「確かにね。別に謝罪を求めているわけじゃない。私だって子供の喧嘩に口を挟み、相手の親の下へ乗り込んでいくようなモンスターペアレントになったつもりはないからね。

 そもそも兄が怪我を負ったのは本人が弱かったからだ」

 

「くくっ、何ともブリタニアらしい物言いだな」

 

 馬鹿にしたように、ニヤついた笑みを浮かべる枢木ゲンブ。

 枢木スザクも成長すればこんな顔になるのかな、父親似だった場合は少々残念だ。

 

「私が問題としているのは居住環境のことだよ。さすがに酷いんじゃないかな。

 仮にも大国の皇族、しかも年端も行かない子供達をあんな古ぼけた土蔵に住まわせようなんて。

 天下の枢木家当主の器が知れる。笑われたくないなら改善を要求するよ」

 

「忠告だ、小娘。口の利き方には気を付けろ。祖国に棄てられたガキが調子に乗るな」

 

 私の言葉に枢木ゲンブは顔から笑みを消し、灰皿でタバコを押し潰すと、険しく鋭い眼光を向けてくる。

 おやおや、この程度の挑発こそ子供の戯れ言だと一蹴して欲しかった所なんだけど。本当に器が知れるね。

 いや、だからこそ価値はあるか。

 

「そっちこそ勘違いしてもらっては困る。私の境遇は少々複雑でね。

 これは公にされていないことだが、生憎とは私は兄と違い皇位継承権を放棄してはいないし、剥奪されてもいない。

 つまりまだ現役の皇女様というわけだ」

 

「馬鹿な」

 

「嘘だと思うなら後で問い合わせてみると良い。そのぐらいの伝手はあるんだろ?」

 

 一枚目のカードを切る。

 やはりこの男は知らされていなかったようだ。日本の諜報機関も大したことはないのかもしれない。

 

「神聖ブリタニア帝国第三皇女=リリーシャ・ヴィ・ブリタニアとして、改めて生活環境の改善をお願いするよ。

 そもそもこの要求は貴男の為でもあるんだけどね」

 

「……何が言いたい」

 

「何って開戦権を握るために、私達兄妹を飼い殺しにするつもりなんだろ?

 だったら衛生環境にも気を配るべきじゃないかな。一時的な愉悦を得た代償に、下らない病をこじらせて私達に死なれたくはないよね」

 

 開戦権? なにそれおいしいの?

 自分で言っていて笑いそうになる。そんなもの初めから存在していないというのに。

 

 枢木ゲンブは応えず、何かを思案しながら新たなタバコに火を点ける。

 無言で先を促しているつもりか。

 

「それに貴男の取引相手はブリタニア皇帝一人ではないはずだ。後継者争いを巡り、これ幸いと良からぬ考えに至る者も居るに違いない。

 そう、例えば最大の庇護を失った私達を始末しようなんて考える者が。

 そんな彼等と契約した貴男は、戦時下の混乱に巻き込まれて死亡という陳腐なシナリオを演じ、私達を殺害する。

 だけど用心深い貴男はこう考えるはずだ。契約を反故にされないためにも、一人は手元に残しておこうと。

 もちろん二重契約や契約違反に対して文句を言うつもりはない。後者に関してはむしろ当然の計らいだと思うよ。

 ただ私としては取引相手が気になっているんだけどね」

 

 可能性が最も高いのは宮廷内に存在する反マリアンヌ勢力だが、ブリタニア本国を立つ前にギネヴィア姉様から受けた最後の報告では、第五后妃暗殺の前後に怪しい動きを見せた貴族はいなかったようだ。情報の信頼性は高い。

 だとすればKMF開発を巡る反アッシュフォード勢力、軍事企業を運営する貴族か。せっかく閃光のマリアンヌという旗が折れたのだから、その血筋を新たな旗に据えられたくはないだろう。その理由だと外見的特徴を踏まえれば、最初に狙われるのは私かも知れないね。

 

「例えばレイムナード、アレクセル、ローエングリン、エーデルハイト。いや、それともハイネベルグ辺りかな?」

 

 その名を口にした瞬間、枢木ゲンブの視線がほんの僅か揺らいだ。

 なるほど、ハイネベルグか。

 前皇帝の弟であり、現皇帝シャルルの最大の政敵であったルイ大公。彼を中心として引き起こされたブリタニア史上最大の権力闘争=血の紋章事件。その大公家と親交があったハイネベルグ家は、事件への関与こそ確認されず処分を受けることはなかったが、以降現在まで冷遇を受ける事となったユーロ系貴族の一つだ。

 そこにはKMF市場のシェア争いだけでなく、皇帝シャルルに対する私怨も大いに含まれているのだろう。

 報酬は爵位と新型兵器の技術供与といったところかな。

 

 記憶したよ、ハイネベルグ。ささやかな贈り物を考えておこう。

 ただハイネベルグ家単独での行動とは考えづらい。当然他に裏で糸を引いている者が居るだろう。ハイネベルグは隠れ蓑か、はたまたトカゲの尻尾か。

 

「ま、尤もこれは私の妄想。子供の戯れ言に過ぎないんだけどね。少しは楽しめたかな?」

 

 私は意味深な笑みを浮かべ、枢木ゲンブの出方を待った。

 

「くくっ、あはははは」

 

 嵌められた首輪を引き千切り、貪欲に権力を求めようとする狸は笑う。

 

「実に面白い。よくもそこまで頭が回る。だが小娘、よもや自分の末路を想像できないわけではないのだろ?」

 

 枢木ゲンブが死を仄めかす。

 実に単純で、最も正しい選択だね。

 手元に残すのは一人。ならば小賢しい小娘を選ぶ必要はなく、むしろ脅威は速やかに排除するに越したことはない。

 何事にも決断力は重要だ。

 

「そうだね。だけど私も簡単に死ぬつもりはないよ」

 

 ただこの場から生きて帰るなら、目の前の男を殺すだけで良い。悪いとは思った気がしないでもないが、既に部屋の中を漁って必要な道具は手に入れている。

 だけど今はまだその時ではない。

 今ことを起こせば、次に対峙するのはあの妖怪だ。相手の格は狸の比ではなく、敵の敵は味方などというご都合主義も期待できない。

 

「私が何の考えもなく来日したと本気で思っているのかな?」

 

「ほう、どんな悪足掻きを見せるつもりだ」

 

「例えば開戦権を握っているのは貴男だけじゃない、と言ったらどうする?」

 

 私は袖口を捲り、その下に存在していた物を相手の目の高さに掲げる。

 赤く点滅するLEDを除けば、何の変哲もない銀のブレスレット。

 

「このブレスレットは私のバイタルサインを定期的に外部へと発信していてね、もし一定期間受信されなければ、公海を潜行する潜水艦からSLBMが発射される。日本が保有する現行のMDシステムでは迎撃は困難だろうし、この神社一帯は焼け野原になる。なんて事になったら面白いと思わないかい?」

 

 もちろん嘘なんだけど、公海に弾道ミサイル──日本を射程に捉えた──を搭載する潜水艦が配備されいるのは事実だったりする。だから真偽を確認するのは難しいんじゃないかな。

 そして『彼女』の力を使えば、現実に行うことも可能だという事も忘れてはいけない。尤もそれは私達の秘密だよ。

 

「小娘が儂を脅すか」

 

 苦虫を噛み潰したような顔とは、こんな表情を言うんだろうね。

 

「いやだね、脅すなんて人聞きの悪い。私は単に自分の末路、その可能性を語ったに過ぎないよ。

 ま、これはオモチャなんだけどね」

 

 私はブレスレットを外し、無造作に投げ捨てる。

 実際にやるとしても、こんな分かり易い物は使わない。それこそ発信器は体内に埋め込んでおく。ユフィやアーニャに知られたら全力で止められてしまうだろうね。

 

「さて、そろそろ不毛な争いは止めて交渉に移ろうか。何も私は喧嘩を売りに来たわけではないんだから。

 何も難しい事はない。先程も言ったが、私が求めているのは生活環境の改善。ただそれだけだよ。

 対価はそうだね、私が貴男に爵位を約束しよう。とびきりスペシャルなものを」

 

「島流しになった小娘が何を言っている」

 

「確かに今すぐというのは難しい。でも忘れてしまったのかな? 私は皇位継承権を保有する皇族だよ。だとすれば他の貴族よりも確実に、それも位の高い爵位を用意することが出来る。

 分からないかな? 私は貴男を夫にしても良いと言っているんだ。悪くない取引だろ?」

 

 さすがに予想外だったのかな、目の前の男は反応に困っている様子だ。

 ならば畳み掛けようか。

 

「私の母を知っているかい? 知らないなら調べてみるといい。ブリタニア皇帝が最も寵愛を注いだ美姫だ。

 私はその母に似ていると評判だったんだよ。後は言わなくても分かるよね?」

 

 私は蠱惑的な魔女の微笑みを浮かべて囁いた。

 果たしてどんな応えが返ってくるか楽しみだね。

 

 

 

 

 

 今回の交渉の結果だけ報告すると、私は離れ家の一つを手に入れた。

 当然私の事を完全に信用したわけではなく、選択肢の候補に上がった程度。野望抱く狸の思惑はあるだろうが結果としては満足だ。

 これは平和になった将来、結婚詐欺師を営むのも吝かではないかな、ふふっ。

 

 


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