コードギアス 黒百合の姫   作:電源式

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第22話

 

 諸君、私の名はジェレミア・ゴットバルト。ブリタニアの名門=ゴットバルト辺境伯家の嫡男として生を受け、次期辺境伯と目されてはいるが、まだまだ若輩の身。日々研鑽の毎日を送っている。

 先日士官学校を卒業し、晴れて軍人の身となった私に下された最初の任務地、それはアリエス離宮だった。

 そう、このブリタニアの象徴であらせられる皇族方が住まう離宮の警備であり、そこに住まう方の警護。

 初任務にして何という大役、何たる僥倖なのだろうか。

 しかもアリエス離宮といえば、その主は第五后妃=マリアンヌ様だ。あの方を知らぬ軍人など居はしない。

 

 平民階級出身でありながら類い希なる剣技と身体能力を有し、弱冠十代にして実力を以て帝国最強の騎士=ナイトオブラウンズに名を連ねる。

 さらにブリタニア史上最大の権力闘争=血の紋章事件において、離叛した当時のナイトオブワンを誅殺。皇帝陛下の窮地をお救いし、その功績により后妃へと迎えられることとなる。

 一兵士からラウンズへ、そして后妃へと上り詰めた経歴は英雄譚やシンデレラストーリーとして広く語り継がれていた。

 

 平民階級出身であるが故に忌避感を抱く皇族方や貴族達も多いが、それ以上に彼女を敬愛する者は多く居る。

 現に私もその美貌、強さ、立ち振る舞いに胸を熱くし、憧れを抱いた人間の一人だ。またあの方の存在が、私が皇族の方に対して絶対の忠義を抱くようになった最大の要因でもある。

 故に初任務にしてマリアンヌ様の御側に立ち、警護できることは大変名誉なことであり、畏れ多くも実に喜ばしい事でもあった。

 ただやはり今回の決定の裏には、私が首席卒業生であり、ゴットバルト辺境伯家の血筋という事実が大きく作用した可能性を自覚している。

 一日とて努力を怠らなかった自分を褒め、ゴットバルトの家に生を受けたことを神に感謝しよう。

 これほど気分が高ぶっているのは、我が愛する妹が誕生して以来のことだった。

 

 だが現在、私は戸惑いを抱いていた。

 赴任から暫く経ったこの日、私は一人の侍従に呼び出された。聞けばマリアンヌ様直近の侍従だと言う。

 冷たく鋭利な雰囲気を纏う彼女に案内され、城館内の廊下を進む私の心は気が気ではなかった。

 一体どういう事だ?

 着任早々自分でも気付かぬ内に失態を犯し、知らず知らず粗相を働いてしまったのだろうか?

 今日までの己が言動を振り返ってみても、具体的な理由が思い浮かないのだが……。

 戦々恐々としながら歩みを進めていると、前を行く侍従の足がある扉の前で止まる。

 

「ジェレミア・ゴットバルト卿をお連れしました」

 

『開いてるわよ』

 

 侍従の言葉に扉の内側から返ってくる声。

 もしやこのお声は!? いや、マリアンヌ様直近の侍従が案内した事を考えれば、必然的に声の主は────

 

「どうぞお入り下さい」

 

 扉を開けた侍従が私を促し一礼する。

 どうやらここから先は一人で進めという事なのだろう。

 望むところだ。

 私は緊張した面持ちで室内へと足を踏み入れた。

 

「し、失礼致します!」

 

 声が上擦ってしまったが致し方ないことだ。

 

 その部屋は執務室だろうか。内装はさほどゴットバルト家と変わらない。執務机と書棚に応接セット、壁にはブリタニアの国旗が掲げられている。後は剣とレイピアとダガーと……槍と……戦斧と……大鎌と……鞭と…………。

 後者は見なかったことにしよう。

 背後から扉が閉じられた音が聞こえたと同時、室内の温度が下がった気がするが気のせいだ……と思いたい。

 

 そして視界に捉えるこの部屋の、いやこの城館の主にして、私を含む多くの兵士達が憧れを抱き目標とする存在。

 第五后妃=マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア様。

 

 美しい。

 それが私が抱いた隠しようもない感情だった。

 憧れのあの方が目の前に居る。

 それだけで心臓が高鳴る。

 かつて士官学校へ視察にいらした際に、一度実際にそのお姿を拝見したことがあったが、その時とは違い今回は距離も近く、この場には私とマリアンヌ様の二人だけだ。

 しかし見惚れているわけにはいかない。

 

 と、マリアンヌ様が手にしていた書類を机の上に置き、こちらへと視線を向ける。

 

「っ!?」

 

「そう、貴男がジェレミア……」

 

 まるで猛禽類にも似た鋭い眼光に射貫かれ、酷く抑揚のない声で名を呼ばれ、私は息を呑んだ。

 

「ハッ、ジェレミア・ゴットバルト、お召しに従い参上致しました!」

 

 どうしてそんな視線を向けられるのか、その理由は分からないままだが、これ以上礼を失するわけにはいかない。

 私はすぐさま敬礼を以て応えた。

 

「楽にして良いわよ」

 

「イエス、ユア・ハイネス!」

 

 マリアンヌ様が再び手元の書類に視線を落とされたことを確認すると、私は敬礼を崩し、休めの姿勢を取る。

 

「ジェレミア・ゴットバルト、皇歴1989年生まれ。ゴットバルト辺境伯家の嫡男、妹が一人。

 ────士官学校を首席で卒業。極めて真面目な性格。その反面柔軟性に欠ける直情的な思考。選民意識はやや高いが問題となる程ではない。皇族に対する忠誠心は高い。

 ────帝立コルチェスター学院高等科時代にロイド・アスプルンドと面識あり。目標とする人物は……私か。少し照れるわね」

 

 マリアンヌ様が次々に淡々と読み上げていくのは、私に関する報告書のようだ。皇族の警護任務を担当するとなれば万が一に備え、特務局によって詳細な情報を収集するのは当然のこと。

 経歴や思想、趣味嗜好、身体能力、周囲の評価、人間関係、銀行口座の取引記録。ありとあらゆる情報が徹底的に調べ尽くされる。

 その中には私自身が認識していないであろう事柄も含まれていると容易に想像できた。

 今マリアンヌ様は私以上に私の事をご存じなのかも知れない。

 だがそれが今回の件とどう関係している?

 私にはゴットバルトの家名に泥を塗り、恥じるような生き方はしていないという自負がある。個人情報を晒されたところで何ら疚しい事実は出てこないだろう。

 

「どうしてこの場に呼ばれたのか分かる?」

 

「いえ、皆目見当も付きません。差し支えなければお教えいただけないでしょうか?」

 

「ええ、もちろん良いわよ」

 

 マリアンヌ様が微笑むが、瞳はまるで笑ってはいなかった。

 その眼光は鋭く、私を射貫き続けている。

 

「あの娘がね、リリーシャが専属の警護騎士に貴男を選んだの。あの娘が私に頼み事だなんて、一体いつ以来の事かしら」

 

「……はい?」

 

 告げられた言葉の意味を、私はすぐに理解できなかった。

 口ぶりから考えてリリーシャという名は、マリアンヌ様のご息女であらせられる第三皇女=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア皇女殿下と考えて間違いないだろう。

 奇しくも妹と同じ名前であったこともあり、その名は強く印象に残っている。

 一方でリリーシャ様はお身体が弱く、社交界など公の場に姿をお見せにならないと聞く。その為、生憎と詳細な情報を持ち合わせては居なかった。

 ただ、皇族方の情報に詳しい妹からは人間嫌いであり、専属の侍従にも心を開くことはない方だと伝い聞いたことがある。

 

「……どうして私なのでしょうか?」

 

 思わず当然とも言える疑問が口から零れた。

 私とリリーシャ様に面識はなく、接点もない。

 まさに青天の霹靂、寝耳に水と言っても良いだろう。

 

「そう、どうして面識のない貴男をあの子が選んだのか、それを私も知りたいのよ。

 どこを調べても貴方とリリーシャの繋がりは見えてこない。なのにあの娘は面識のない貴方の登庸を希望した。不思議だと思わない?

 教えてもらえないかしら。どうやってあの娘に取り入ったのか、どんな手を使って誑かしたのかを、じっくりとね」

 

 棘を含んだ、というか棘だらけの言葉と共に放たれた重圧は紛れもない殺気。

 その瞬間、首筋に突き付けられた刃を幻視し、体温を奪われていくかのような錯覚に陥る。

 今までに感じた事のない濃度であり、少しでも気を抜けば意識を手放しそうになる程だった。これが数多くの修羅場をくぐり抜けて来た者が放つ、本当の殺気というものなのかも知れない。

 

「……くっ……私にも……分かりかねます」

 

 肌が粟立ち、嫌な汗が噴き出す。無条件で膝を屈し、頭を垂れたくなる。

 まるで肺を直接握られているかのように息苦しい。

 辛うじて声を出すのがやっとだった。

 

「何か思い当たる節もない? どんな小さな事でも良いのよ?」

 

「……あ……ありま…せん……」

 

「そう、やっぱり全てを知っているのはあの娘だけか……」

 

 そう言ってマリアンヌ様は形の良い顎に手を当て、一度私から視線を外して呟いた。

 

「良いわ、合格よ」

 

 刹那、マリアンヌ様から放たれる殺気が消え、同時に私の自由を奪っていた重圧が霧散していく。

 

「試すような真似をして悪かったわね、ジェレミア」

 

 浮かべられた柔和な笑みからは、今まさに感じていた剣呑さは微塵も存在しなかった。

 

「……試す、ですか?」

 

「あの娘が簡単に他者を信用し、甘言に懐柔されるような子供じゃないことは、私が一番理解しているもの。

 今のはあの娘を任せられる人間かどうか、殺気をぶつけて貴男を試したのよ。愛する娘のために私も少し本気を出したから、心の弱い人間なら再起不能になってたわね。だから誇っても良いわよ」

 

 マリアンヌ様が平然と語られる内容に言葉を失う。

 殺気だけで人を殺せるという話は聞いたことがあるが、それはあくまで創作世界の中だけの話だと思っていた。

 だが実体験として理解する。この方はその体現者であり、対象者に触れることなく人間を壊すことが出来るのだと。

 

「でもこれで安心してあの娘の願いを叶えてあげることが出来るわね。ジェレミア、貴男には感謝しているわ。あの娘の期待に応え、この程度で壊れる人間じゃなくて」

 

「きょ、恐縮です」

 

 それは果たして褒められているのだろうか?

 多分褒められているのだろう。

 

「ジェレミア・ゴットバルト」

 

 刹那、マリアンヌ様の纏う雰囲気が三度変わる。

 殺気放つ戦士のものではなく、子を想う母のものでもない。

 人の上に立つ高貴なる者の風格。

 

「ハッ!」

 

 私はそれが当然であるかのように膝を折り、恭しく頭を垂れる。

 

「貴男には今この瞬間より我が娘=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア警護の任を与えます。

 時に外敵を征する剣として、時にその命を懸けた盾として、生ある限り忠を尽くしなさい。なおこの任を別命あるまで最優先とします」

 

「謹んでその任を拝命し、全力を以て誠心誠意務めさせていただきます!」

 

 思いもよらぬ警護対象の変更の命ではあった。

 だが微塵の不満もない。

 それは敬愛するマリアンヌ様が直々に与えて下さったもの。そしてそれは私を認め、信頼して下さったからこそだ。一体何人がその栄誉を手にする機会に巡り合えるというのだろうか。

 この身に余りある名誉、まさに恐悦至極。

 

「あ、でも一つだけ言っておくわね。

 幾らリリーシャが可愛くて仕方がないからって手を出しちゃ駄目よ? 大切な愛娘を傷物にされたら、辺境伯領なんて簡単に消滅するんだから」

 

 まるで感情のない氷のような微笑みを浮かべて告げられたその言葉には、一欠片の戯れも含まれては居ない。間違いなく全力の本気であり、その光景を想像することは何ら難しい事ではなかった。

 だから私が唯一出来たのは背筋を凍らせながら「イエス、ユア・ハイネス!」と応えることのみである。

 

 

 余談だが、リリーシャ様と初めて対面した際、マリアンヌ様が抱いていらした危惧の意味を遅ればせながら理解した。何故あの方が本気で釘を刺すような行為を行ったのか。

 その理由をこの身を以て……。

 諸君等には、もはや言葉を尽くす必要はないだろう。

 

「待っていたよ、ジェレミア」

 

 ただ、そう言って向けられた──予てからの部下に向けるかのような──微笑みに、私の鼻から忠義の嵐が噴き出しそうだったとだけ伝えておこう。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 やあ諸君、ジェレミア・ゴットバルトだ。この出だしも二度目だな。

 ん、メタ発言はするな?

 一体何のことを言っているのか、私には全く理解できぬ次元の話だ。

 

 さて、着任から初めて訪れた連続休暇を利用し、私は報告のために一度我が故郷=ゴットバルト辺境伯領へと戻ることにした。

 皇族の方から直々に任を与えられ、皇女殿下付きとなった名誉を伝えれば、きっと父上達も喜んで下さることだろう。

 強行スケジュールのため滞在時間はごく僅かとなり、妹には会えぬ可能性もあるが、与えられた任の重要性を思えば致し方のない事だ。

 もちろん今回の帰郷に関してはマリアンヌ様、リリーシャ様、お二方の許しはいただいている。快く送り出して下さったリリーシャ様の寛大なお心に感謝する他ない。

 ただ「お土産を期待しているよ」との殿下のお言葉に、どう応えるべきか苦心していた。

 一体何をお持ちすれば喜んで下さるだろうか?

 出来ればリリーシャ様のお喜びになる姿を見たいと思ってはいるが……。

 

 

 報告を無事に終え、父上の執務室を後にする。父上からは自慢の息子という大変有り難い評価と共に、これに慢心する事なく励めという苦言をいただいた。

 確かにその通りだ。私の夢は帝国最強の騎士=ナイトオブラウンズに名を連ね、その頂点に立つこと。それは幼き日から変わることのない目標にして願い。

 ならば立ち止まることなく己を磨き続けるしかない。

 ただ私がラウンズとなった際、皇帝の座に就いていらっしゃる方がリリーシャ様であったならと、他言できぬ秘めたる想いを抱いてしまった。

 

「いかんな」

 

 私はその想いを心の奥底に沈め、足をリビングルームへと向ける。

 侍従の話では幸運なことに妹も帰ってきているらしい。

 

 私には年の離れた妹が一人いる。

 名はリリーシャ・ゴットバルト。奇しくも私が仕えることとなった皇女殿下と同じ名を戴いていた。運命というには大げさだが、それがリリーシャ様に親しみを感じてしまう所以だろうか。

 妹は有名な私立女学院の中等科に在籍し、普段は寮生活を送って居る。故に会うためには事前に互いの予定を確認し、意図的に合わせなければならない。急な帰郷であり、連絡を取れなかったことを考えれば本当に運が良い。

 妹は私によく懐き、幼い頃は事ある毎に私の後ろをついて回ったものだ。

 過去を思い、思わず頬を緩めてしまう私はきっと兄バカなのだろう。

 否定はせぬさ。

 

 途中、古くからゴットバルト家に仕える侍従達に挨拶を交わしながら、リビングルームへと辿り着く。ただこの歳になって坊ちゃまと呼ぶのは止めて欲しいものだ。

 さて、久方ぶりの再会となる妹は一体どんな反応を見せてくれるだろうか?

 

 リビングルームに足を踏み入れ、視界に捉えたリリーシャはノート型PCに向かって作業をしていた。

 愛らしい顔立ち、意志の強さが垣間見える瞳、毛先に進むにつれてロールする長い髪。年齢の割りに高い身長。成長途上のため未だ起伏は少ないが、一切の無駄がないしなやかな体付き。

 しばらく見ない間にぐっと大人っぽくなっている。客観的に見ても美少女と言って差し支えないだろう。

 学業優秀、容姿端麗、本当に自慢の妹だ。

 女学院に通わせた父上の判断は正解だったと実感する。きっと周囲の男どもが放っては置かないだろう。

 ただ名のある貴族として生まれて来たからには避けられない運命──この場合は政略結婚などが相当する──が待っているに違いない。と、将来の事を考えて軽く気分が沈む。

 いかんいかん、せっかくの再会なのだ。

 

「お兄様ッ!?」

 

 私の存在に気付いたリリーシャは瞳を──爛々と──輝かせ、勢いよく両手でテーブルを叩くと、その反動で立ち上がり、こちらへと駆け寄ってくる。

 リリーシャめ、よほど私の事が恋しかったと見える。本当に可愛い妹だ。

 熱い抱擁がお望みならば全力で応えよう。

 私は笑みを浮かべ、リリーシャを迎え入れるように両手を大きく広げた。

 さあ私の胸に飛び込み、存分に甘えるといい。

 

 だが次の瞬間────

 

「ぬ?」

 

 リリーシャの細い指が胸座を掴み、そのまま私の身体を強く揺さぶり始めた。

 

「応えて下さいまし、お兄様!

 お兄様がリリーシャ様付きの警護騎士になられたというのは本当なんですの!?」

 

「ああ…その……通り…だ……」

 

 興奮気味に捲し立てる妹の姿に困惑する。

 

「そう、事実だったのですね。

 いえ、そんな事より生リリーシャ様は一体どんな方なんですの!? やはり可憐で美しく、良い匂いがするのでしょうか!? その凛としたお姿はまさに帝国に咲く黒き一輪の百合、キュア──んんっケフンケフン」

 

 皇女殿下に対して何という物言いだ。後できちんと注意しておく必要があるな。

 それとキュア……何だ?

 

「ああ、リリーシャ様と同じ空気を吸っていらっしゃるお兄様が本当に羨ましいですわ!

 はっ、お兄様が吐いた息を吸えば、わたくしも間接的に同じ空気を吸ったことになるのではないですか!?」

 

 リリーシャよ、それは一体どんな理論だ。それだと広い意味では地球上に存在する限り、同じ空気を吸っているのではないか?

 我が妹ながら自重しろ。

 

「その…前に、揺さ…ぶるのを……止めて…くれないか…リリーシャ」

 

「っ、わたくしとしたことがまた……。申し訳ありません、お兄様。ご挨拶もまだだというのに……」

 

 私の願いに幾分か冷静さを取り戻したリリーシャは、私の胸座から手を離した後、やや自己嫌悪に浸ることとなる。

 感情のままに行動するあたり、やはりまだまだ子供なのだろう。

 ああ、頭がフラフラするが、落ち込む妹を慰めるのは兄の役目だ。

 

「ただいま、リリーシャ。元気そうでなによりだ。なにそう落ち込むな」

 

 そう言って私はリリーシャの頭を優しく撫でる。

 昔から妹を落ち着かせるにはこの方法が一番だと熟知していた。

 

「はい、お兄様。お帰りなさいませ。でもこれは……恥ずかしいです」

 

 頬を染めて照れている姿も愛らしいな。

 

「これはすまない」

 

 どうやら自分の置かれている状況を客観的に見られる程度には落ち着いたようだ。

 少し名残惜しくも感じるが、思春期の妹とのスキンシップはここまでにしておこう。

 

「改めて失礼致しました。ゴットバルト家の娘として恥ずべきことに、少々取り乱してしまいましたわ。

 でも仕方がないではありませんか? お兄様がリリーシャ様付きの警護騎士になられたと知った直後に、その本人が目の前に現れたのですから」

 

「私のせいか?」

 

「そうです、お兄様が悪いんですわ」

 

 拗ねたように頬をふくらませたリリーシャの姿に兄として苦笑する。

 その一方でリリーシャ様付きの警護騎士としての私にとって、妹リリーシャの発言は看過できないものであった。

 

「しかし相変わらず耳が早いな。父上達には今し方報告してきたばかりなのだが」

 

 探るように掛けた声音が険を帯びるのは当然のことだろう。

 

 伝統あるこの国では皇族方は敬い、忠を尽くすべき存在となっている。しかし年若い者達の中には、一般大衆が熱狂するアイドルと同じような感覚を抱いている者も珍しくない。

 シュナイゼル殿下を筆頭に見目麗しく、また才能を持った方が多くいらっしゃる為、仕方がないと言えなくもないが。

 そして妹リリーシャも御多分に漏れず、一連の言動からも分かるように重度の皇族ファンの一人だ。いや、もはや皇族マニアと言っても良い。

 特にリリーシャ様の事となると、先ほどのように時たま暴走を起こすほどだ。

 何故リリーシャ様なのか?

 その理由は問うまでもない。偶然にして光栄にも同じ名前を戴いていたから、最初はそんな単純な理由だった。

 

 もともと皇族方に対する忠誠や敬愛を子供に育ませることは、厳格なゴットバルト家の教育方針であり、土台は既に出来上がっていた。故にきっかけはそれだけで十分だったのだろう。

 興味を抱き、情報を集めていく内に魅了され、忠誠心が愛へと昇華したらしいというのが本人の談だが、私としては信仰の域に達しているのではと思う時がある。

 リリーシャが幼少期より好奇心が旺盛で活発、無駄に高い行動力を持っていることは熟知している。かつて父上と共に狩猟に出かけ、巨大な熊を仕留めて帰ってきた時は驚いたものだ。

 持てる力を遺憾なく発揮した結果、独自のルートを開拓し、歳不相応の収集能力で集められた皇族方の情報は驚くほど詳細な物であった。また年々その腕に磨きを掛けている様子。

 将来、軍や警察に連行されるのではないかと不安に思う一方、兄として感心するばかりだった。

 

 しかし今の私の立場はそれを良しとしない。

 私の使命は如何なる外敵からもリリーシャ様の御身をお守りすること。

 知る者が限られた情報を妹リリーシャが手にしたというのなら、どこからか情報が流出していることになる。それも極めてリリーシャ様に近いところから。

 もしそれに妹が関わっているのだとすれば、私がこの手で処断する事になるのかも知れない。

 

「一体どこでその話を聞いた?」

 

「あら、お兄様、お顔が怖いですわよ」

 

「これは真面目な話だ。答えてくれ、リリーシャ」

 

 私の言葉を真摯に受け止め、リリーシャは態度を改める。

 

「わたくしの情報網を嘗めないでいただきたいですわ。宮廷事情に詳しい方とも伝手がありますの、話はその方から」

 

「その者の名は?」

 

「いくらお兄様でもこればかりはお答えできません。わたくしとて淑女の端くれ、いえそれ以前に人として一度交わした約束を違えるわけにもいきませんもの。

 それともお兄様はわたくしを約束事一つ守れない最低の人間にしたいのですか?」

 

「リリーシャ、私を困らせないでくれ。場合によってはお前一人の問題ではなくなるのだぞ」

 

 脳裏を過ぎる最悪の事態。ゴットバルト家の取り潰し、そして辺境伯領の消滅という未来が。

 

 対するリリーシャは私の目を真っ直ぐと見つめて告げた。

 

「ならばわたくしはリリーシャ・ゴットバルトの名に、いえ我が心の主=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア様に誓います。お兄様が懸念していることは杞憂であり、今回のことでリリーシャ様の身に害が及ぶことはあり得ないと。

 これでもまだわたくしを信用していただけませんか、お兄様?」

 

「…………」

 

 妹のリリーシャ様に対する想いの深さを知る者が聞けば、その言葉が持つ重みを理解しただろう。

 それは貴族としての誇りを懸け、信仰する神に誓うに等しい行為だ。

 嘘偽りが入り込む余地はなく、自分自身を欺けるほど性根の曲がった人間ではない。

 

「分かった。お前の言を信じよう」

 

 甘いと言われるかも知れないが、愛する妹の覚悟を無下に扱い、悲しむ顔を見たいと思う兄がこの世界に居るだろうか?

 いや、居ない。

 例え他の誰も信じなくても、信じてやるのが私の役目だ。

 私は大きく息を吐き、手近な椅子へと腰を下ろす。

 

「余計な心労をお掛けして申し訳ございません。

 すぐにお茶の用意をしてきますわ。どうぞお兄様はお身体を休め、寛いでいて下さいまし。あ、是非わたくしの作ったマフィンも召し上がっていただきたいですわ。今回は自信作なんですから」

 

「ああ、もちろんいただくとも」

 

 作業の途中だったノート型PCの電源を落とし、キッチンへと向かっていくリリーシャの背を見送る。妹の手料理を食べるのはいつ以来のことだろうかと、過去に思いを馳せながら。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 この時、ジェレミア・ゴットバルトは気付けなかった。

 もし妹=リリーシャ・ゴットバルトが使用していたノート型PCの画面を目にする機会があれば、その存在に気付けたかも知れない。

 

 そこに表示されていたページは個人のブログ。公開されている内容は、とある少女が日々の日常を綴っただけの表向き何ら変哲もないものだった。それこそ似たようなブログはごまんと存在していることだろう。広大なネットの海の底に埋もれていても何らおかしくはない。

 ただ、そこに辿り着くことの出来る人間が、選び抜かれた極一部の者のみに限られている事実を除けばだが……。

 

 そのブログにアップされている一枚の写真を紹介しよう。

 それはとある少女のあどけない寝姿だった。艶やかな長い黒髪を白いシーツに広げ、身体を丸めて眠る少女。普段絶対に目にすることの出来ないその姿は、見た者に──生後間もない仔猫のような万人受けする──愛くるしさを抱かせるだろう。

 

 また別の写真には同じ少女が寝ぼけ眼を擦る姿や、本人は気付いていないだろうが好物の苺のスイーツを口にして頬を弛めている姿、打って変わり真剣な顔つきで剣を構えた凛々しい姿など、まさにここでしか見ることの出来ない本当に貴重な姿が収められていた。

 

 そう、思わず目尻を下げ、胸がきゅんとしてしまう写真ばかりだ。

 耐性ない者は一目で魅了され、思考を奪われてしまうことだろう。

 

 このブログの管理者は黒百合姫の愛猫を自称する桃猫、運営者はライトニングと名乗る人物達であった。

 さてその者達の正体が誰であるのかはさておき、このブログを介して構築されたネットワークは通称黒百合同盟と呼ばれていた。

 この場に集う者達には国籍も人種も宗教も主義も主張も関係ない。

 だけどその胸に抱く想いは同じであった。

 

 綺麗な薔薇には棘がある。

 黒き百合には毒がある。

 その毒は密かに、それでいて確実にこの国を、この世界を蝕み始めていた。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「それでお兄様、実際にお会いになったリリーシャ様はどんな方だったんですの?」

 

 キッチンから戻ってきたリリーシャが紅茶を入れ、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座りなり問い掛けてくる。私にとってマリアンヌ様がそうであったように、妹にとってリリーシャ様は憧れの存在。気になる気持ちは理解できる。

 

「美しく聡明な方だ。剣の師事の真似事をさせていただいているが非常に筋が良く、将来的にはマリアンヌ様のようにご活躍されるのではと思えるほどに。

 それに、前にお前から聞いていた話とは違い人当たりもよく、自身のお立場に驕らず、出会ったばかりの私にも過分の気遣いを見せて下さる心優しい方でもある」

 

 不敬かも知れないが、ついつい妹を自慢するような口調になってしまう。語る相手が実妹という事実が何とも微妙だが。

 

「ふふっ、べた褒めですね。

 お兄様がそれだけ仰るのでしたら本当のことなのでしょう。やはりわたくしの目に狂いはありませんでしたわ。

 嗚呼、お父様も早くリリーシャ様の後援貴族に名乗りを挙げて下されば良いのに……」

 

 それが如何に難しい事であるかリリーシャ自身も理解しているからこそ、最後がトーンダウンしてしまうのだろう。

 ゴットバルト家の現当主である父上は良くも悪くも古い人間だ。もちろん尊敬はしている。領地領民の事を一番に考え、堅実な領地運営を心懸け、ギャンブル要素に手を出したりはしない。それは領民から支持の高さから考えても間違いではなく、統治者としてむしろ誇るべき事だ。

 故に今の現状では、息子や娘がいくら進言したところで受け入れられることはない。庶民出のマリアンヌ様と深く関わりを持てば、他の貴族と不要な軋轢を生み、領地運営に悪影響を与える可能性は十分に考えられる。

 少なくともリリーシャ様がご自身の力を示し、何らかの功績を挙げてからでないと選択肢にすら上がらないだろう。

 

「そうは言うな、父上にも考えがあってのこと」

 

「分かっていますわ……」

 

 理解していても納得は出来ないと言いたげだが仕方のないことだ。

 

「そうだ、リリーシャ。朗報がある」

 

「何ですの?」

 

「リリーシャ様に兄弟が居るのかと問われた事があってだな、お前の事を話したら、お目通りの機会を作っても良いと言って下さった。良かったな、お前も実際にお会いになれるやもしれんぞ」

 

 もちろんそれが社交辞令(リップサービス)であった可能性は理解してる。それでも事実には変わりなく、妹を喜ばせるのは十分な効果を期待できた。

 現にリリーシャは一転して輝くような笑顔を浮かべる。

 

「そそそそそんなリリーシャ様が!? 本当ですのッ!?」

 

「今まで私がお前に嘘を吐いたことがあったか?」

 

「いえ、だったら本当に?

 来ましたわ! 何たる僥倖、宿命、数奇! この想い、今のわたくしは阿修羅さえも凌駕しますわ!」

 

 阿修羅、確かアジア圏の神話や宗教に登場する闘神だったか。

 言っていることの意味はよく分からないが、それほどまでに喜んでいるのは間違いない。

 本当にリリーシャ様には感謝せねばならないな。

 

「こんな慶事を齎して下さるなんて、本当にジェレミア・ゴットバルトがわたくしの兄で良かったと初めて思いました」

 

「ん、初めて……?」

 

「ええ、そうですわ♪」

 

「ガハッ」

 

【ザシュ!! ジェレミア・ゴットバルトの精神に500のダメージ!!】

 

 ああ……マリアンヌ様、リリーシャ様。任をまっとう出来ず申し訳ございません。至らぬ私をお許し下さい。

 もう疲れたよ、パトラッ────

 

「もう冗談ですから。大好きですわ、お兄様。うふふふふ」

 

「そうか、ハハハハ」

 

 冗談、そう冗談なのか。

 心から安堵する一方、残念ながら私は上手く笑えなかった。

 

 

 

 後日、お土産にとお持ちした──ゴッドバルト家所有の農園で収穫したばかりの──オレンジを見たリリーシャ様が、とても複雑な表情を浮かべていらしたのは何故なんだ?

 まさかオレンジはお嫌いだったのだろうか?

 いや、でも確かオレンジジュースは普通に飲まれていたはずだが……う~ん。

 


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