窓ガラスに映り込んだ自分=リリーシャの姿。
ふと、髪を束ねる髪留めに視線が止まる。
彼女のお気に入りの髪留めは、羽ばたく紫の蝶を模していた。まったく、何という皮肉だろうか。
次いで窓の外へ視線を向ける。
間近に望むのは青い空と白い雲、地表の荒野や山々は遙か眼下に広がっていた。
俺は今、雲の合間を飛行する軍用V-TOLの機内に居る。
そう、逃げ場はない。
朝食後、母マリアンヌの手によって、俺は再び着替えさせられる事となった。
嬉々として娘を着せ替えるその姿は有無を言わせぬ迫力があり、俺は抵抗する事を諦め、彼女の為すがままを受け入れるしかない。
だがその結果、やはり彼女は普通の母親ではないと改めて実感する。
俺が言うのも何だが、リリーシャの外見スペックは──子供っぽさや愛嬌は皆無だとしても──間違いなく高い。
普通なら母娘での外出というシチュエーションに合わせ、余所行きの服を着せるなど、おめかしさせようと思う所だろう。普段のリリーシャの服装を思えばなおさらだ。
それでなくとも──本気か冗談かは不明だが──かつて幼少期の俺を女装させ、ナナリーやユフィ達の前へ連れ出そうとした前科のある母マリアンヌ。その嬉々とした姿は良く憶えている。
ならばリリーシャという素体に彼女の食指が動かないはずはない。例えリリーシャが抵抗したところで諦めることはなかっただろう。
さて長々となったが、一体何が言いたいかと言えば、母マリアンヌの手によって着せられたモノに対して大いに疑問がある。
それが普段リリーシャが絶対に着ないであろうカラフルなドレスや可愛い系のワンピース、退廃的なゴスロリ服であったなら、感情論は別にしてまだ納得が出来た。子供の個性を無視する程に、母マリアンヌのテンションは上がったのだと。
だが現実は違う。
今俺が身に付けているのは武骨な、それでいて微妙に露出度の高いパイロットスーツ。前の世界では旧式と呼ばれ、現在では試作品と呼ばれる代物だった。
KMFが実用段階どころか研究段階である現状、しかも本来必要としない子供用ということも踏まえ、特注品であることは間違いない。
いや、待て。
そもそも何故俺はパイロットスーツを着せられている?
その自問に推論を立てるよりも早く、露出を隠すようにパイロットスーツの上に──軍服を思わせる──ロングコートを羽織らせられると、外に待機していた車の中に拉致され、気付けば空港で離陸準備を終えていた軍用V-TOLの機内だった。
あまりの手際の良さに、もはや驚きを通り越して感心してしまう。既にその手の犯罪に手を染めていてもおかしくない。
何の説明もないまま、俺を空の旅へと連れ立った母マリアンヌは、隣でファイルに目を通している。機嫌が良いのか今にも鼻歌を歌い出しそうだ。
そんな彼女も──機内に用意させていたのだろう──今俺が纏っているコートとデザインの似た軍装に身を包んでいる。おそろいね、と笑顔で言われたが嬉しくない。
そこからもこれから向かう先が、ショッピングモールや単なるテーマパークでないことは一目瞭然だった。
俺の視線に気付いたのか、手にしたファイルを置き、何か裏がありそうな微笑みを向けてくる。
「どうしたの、リリーシャ? そんなに熱く見つめられると禁断の扉を開いちゃうわよ」
……朝の意趣返しだろうか。
全力で遠慮しよう。
どうせ開くならパンドラの箱でも開けば良いのに、と思ったが、被害が当人だけでは収まりそうもないので、すぐにその考えは捨てることにした。
「ご冗談を……。しかしそろそろどこに向かっているのか教えてくれないかな?」
「そうね、そろそろ見えてくる頃だと思うけど」
いい加減目的地を明かして欲しいと尋ねたところ、母マリアンヌはそう応えて視線を窓の外へと移した。
釣られて俺も視線を向ける。
程なくして荒野の中にそれは現れた。
広大な敷地面積を誇る軍事施設。密集する建物群を中心に、円形に演習場が広がっている。そのフィールド内には人の形を模した鋼の騎士達、つまりKMFの姿が確認できた。
明確な目的地を視界に捉え、俺は胸をほっと撫で下ろす。
高々度からのパラシュート降下の果てに、ジャングルや砂漠や雪山に放置されるのではと危惧したが、どうもそうではないようだ。
食べられる野草の判別ぐらいは出来るが、さすがに本格的なサバイバル技術は持ち合わせていない。
獅子は子を千尋の谷に突き落とすという俗説を信じ、いつか本当に実行しそうで怖いが……。
「あそこが今日の目的地『円卓』よ」
母マリアンヌが告げる目的地の名称に驚きを抱く。
あれが円卓。
噂は耳にしたことがある。
アッシュフォード財団の失脚以前から、福祉利用を考えることなくKMFに軍事兵器としてのみを追い求めた、地図に載らない開発拠点が存在していたと。
プラント機能を併せ持った最新鋭設備を誇る研究施設を有し、後のラウンズ専属研究開発機関=キャメロットや、シュナイゼルに与したトロモ機関、インヴォーグに所属する数多の技術者を輩出。
またブリタニア軍初の正式採用機であるRPI-11『グラスゴー』を開発し、実戦試験を行った施設だとされ、その形状から通称円卓と呼ばれていると。
KMF開発が転換期を迎え、福祉利用というエクスキューズを廃した背景には、医療福祉分野で発達した民生機フレームの開発の功績により、強い影響力を保持していたアッシュフォード財団が、第五后妃暗殺に伴い失脚したことが上げられる。
そこから極東事変へ至るまでの約一年で、完全な軍事兵器としてのKMFを実現させたとは考えづらい。
そのことからも信憑性の高い噂だと言え、ギアス嚮団の存在を知った時には彼等の関与も疑いもした。
ただ皇帝の座に就いた後、軍事資金の流れを追う際に一度調査した事があったが、既に全てのデータが抹消されていたのか噂の真相を確かめる事は出来なかった。
前の世界では、噂は噂に過ぎなかったのかも知れない。
しかしこの世界では実際に存在しているようだ。
后妃でありながら未だ軍に強い影響力を持ち、第三世代KMFガニメデ試作型のテストパイロットを務める母マリアンヌならば、その存在を知り、また関わっていても何らおかしくはないだろう。
発着場へと降下したV-TOLが乗降用タラップを展開する。
乾いた風をその身に受けながら、円卓の地を踏んだ直後、視界に映った光景に圧倒され、俺は息を呑んだ。
まるで主の帰還を待ち望んでいたかのように整列していた全ての人間──兵士だけでなく研究員や整備士を含む──が一糸乱れぬ敬礼を以て出迎える。
それを受け、母マリアンヌはやや呆れたように苦笑を浮かべた。
「もう、出迎えは必要ないって毎回言ってるでしょ?
はいはい、みんな仕事に戻って。作業の遅れた理由に私を使っちゃダメよ」
『イエス、ユア・ハイネス!!』
母マリアンヌの指示に了承の意を返し、彼等は良く統率された動きでそれぞれの持ち場へと散っていく。
しかしながら改めて閃光のマリアンヌの人気と影響力を実感する。人を惹き付ける力に疑いようはない。
もしかすれば最先端技術を扱い、さらには次期主力兵器を開発するこの円卓を事実上支配しているのではと邪推する。
もしそれが事実なら延いては大国ブリタニアの軍事力を左右する事が可能なのではないだろうか。
そう考えれば、他の后妃や皇族が母マリアンヌを危険視していたのも頷ける。
「まったく……人気者は辛いわね。
けど肝心のあの男の姿がないって言うのは一体どういう事なのかしら?」
溜息を吐き、不機嫌そうに呟く母マリアンヌ。
どうやら待ち合わせの人物が遅れているようだ。
矛先がこちらに向けられなければいいが。
「向こうが頭を下げて頼むから、こうしてわざわざ愛娘まで連れて来てあげたっていうのに……。
ねえ、リリーシャ。酷いと思わない? 普通は一番に出迎えるべきだと私は思うんだけど、間違ってないわよね?」
未だに自分が置かれた状況を完全に把握していないのに話を振られても正直困る。
ただその言い様から、今回の外出が相手方の求めに応じた結果である事は理解出来た。
表敬訪問や視察といった公式的なものではなく、あくまで
果たして相手は誰だ?
母マリアンヌと一定以上の親交があり、求めに応じる程の人物。
そして何よりリリーシャとも関わりがあるらしい。普段滅多にアリエスの離宮の外に出ないリリーシャの人間関係は極端に狭いと考えられる。
本来なら特定は容易だったはずだが、生憎彼女の記憶も人間関係の情報も持ち合わせていないが為に断定はできない。
けれど円卓という特殊な場所柄、そしてリリーシャが保有していた戦略ノートの件を考慮し、導き出された推論は────
「あはぁ~、遅刻しちゃいましたぁ」
間延びした──しかも相手を脱力させる──口調の声が聞こえ、すぐに俺は声の主へと視線を向ける。
視界に捉えたのは長身痩躯、見た目がとても軽薄そうな青年の姿。
まさかという思いと、やはりという思いを同時に抱く。比率としては後者の割合が高いが。
そう、目の前に現れた男こそ、後の特派主任=ロイド・アスプルンド。
接触を持つために調べたが、既にその才能を遺憾なく発揮し、幾つもの論文を発表。博士号を取得。技術者として頭角を現している。
前の世界でKMF開発に初期段階から参加していた事実を考えれば、最先端の研究施設を誇る円卓への関わりは寧ろ必然か。
「ロイドさん! も、申し訳ありません」
ロイドの後からやって来た女性が、彼の代わりに深々と頭を下げる。
セシル・クルーミー。
ロイドが居る以上、彼の傍に彼女の姿があるのもまた必然だろう。
学生時代からロイドに振り回され、その度に尻拭いをさせられたという愚痴を、酒に酔った彼女の口から聞かされた事がある。
「遅いわよ、ロイド。私を待たせるなんて、どうなるか分かってるんでしょうね?」
腕を組み、威圧するように母マリアンヌは告げる。
だがそれも目の前の男には通用しないようだ。
「マリアンヌ様、そんな怒っちゃダメですよ。折角の美貌が台無しですから」
「誰のせいよ、誰の」
「さあ誰でしょう? あ、もしかして僕ですかぁ?」
「一発殴るけど良いわね? むしろ謝るまで止めないわよ?」
「冗談です! ごめんなさいごめんなさいごめんさい」
本気か冗談かとぼけた態度のロイドに対し、握りしめた拳を軽く振り上げたポーズを取る母マリアンヌ。
その姿にロイドは本気で怯えた様子だった。何かトラウマでも発動したのだろうか?
マウントポジションで殴り続ける母マリアンヌ。
飛び散るいろいろな体液。
最初の一撃で意識を失い、言葉話すことのないサンドバッグ。
それでも手を休めない母マリアンヌ。
屍へと変わりゆく肉の塊。
うん、想像してみたが確実にトラウマものだ。
「はあ……。貴女も大変ね、セシル。こんなのいつも相手にして」
「はい、でももう慣れましたから。いつもの事ですし……あはは」
「……そう」
苦笑いを浮かべるしかないセシルに、母マリアンヌは同情の視線を送る。
かく言う俺の視線も同様のものであったに違いない。
きっと彼女はどの世界でも上司に恵まれず苦労する星の下に生まれたのだろう。
いや、それでも何だかんだ言いつつも見限ることなく世話を焼き、行動を共にするあたり彼女も一般人の感性とはズレていると言えるのかも知れない。
これはあまり言いたくはないが、日本には類は友を呼ぶという諺もある。
つまりはそういう事だ。
何れにしろ現時点で──どうやって接触を持とうかと悩んでいた──KMF開発におけるキーパーソン三人の内二人と接触できたことは大きい。
残るはラクシャータだが、ブリタニア人ではない彼女がブリタニア軍の最重要施設である円卓に立ち入ることは不可能だ。
残念だが三人まとめてという訳にはいかない。それはあまりに高望みか。
「ちょっとロイド、いつまで怯えてるつもり?
せっかく貴方の要望に応えてあげたのに、時間を無駄にして良いのかしら?」
「そうでした」
トラウマから立ち上がったロイドが、こちらに視線を向けてくる。
「お久しぶりです、殿下。お会いしたかったですよ」
とてもフレンドリーなロイドの言葉が事実なら、既に彼とリリーシャの間には面識があり、なおかつ母マリアンヌの言葉から彼がリリーシャを求めた人物である事が窺い知れる。
他者に対して興味を抱くことが極端に少ないロイドが、リリーシャに対して興味を抱いていることに僅かながら驚きを覚えた。
彼等と関係を築き、助力を請うには好都合であったが、この歳で既にロイドに興味を抱かせる人間であったリリーシャの事が、ますます分からなくなる。
これもやはり類が友を呼んだ結果と考えて良いのだろうか? ……否定できない。
「私もだよ、アスプルンド」
「やだな~、僕と殿下の仲じゃないですかぁ。お気軽にロイドって呼んで下さい」
「ふふ、そうだったね、ロイド」
って、どんな関係だったんだ?
男女の関係は排除できるとして、さすがにロイドも皇族相手に無茶をする人間ではないはずだが、研究者と実験動物という関係は止めて欲しい。
いや、リリーシャの自室で見付けた戦略ノートに記されていたKMFの詳細なデータの入手元がロイドだとすれば、ある程度強固な信頼関係にあった可能性が高い。
ならば例えエル家の後援貴族でも、それなりに親しげに接しても問題はないだろう。
己の欲望に忠実であり、それを何ら隠そうとしない姿勢はある意味裏表がなく、信用は出来ないが信頼はできる。
もちろん様子を窺い、警戒を怠らないことが前提となるが、慎重すぎる事はない。
「でもどうしてここに?」
「ただのサークル活動ですよ」
「よく言うわよ。教授達を追い出して、与えられた研究棟を半ば占拠している癖に」
「あれ? そうでしたっけ?」
呆れ口調の母マリアンヌに対し、首を傾げるロイド。
実際彼の中では例えそれが国家プロジェクトの兵器開発だとしても、自分の研究欲が満たせる点において、サークル活動の延長程度としか考えていないのかも知れない。
「まあ、良いわ。私は私で別件が入っていて暇じゃないの。
帰る前に迎えに行くから、それまでちゃんとリリーシャのこと面倒見ててね」
「アハ、大船に乗ったつもりでいて下さい♪」
「…………。セシル、くれぐれもこの男の手綱を放しちゃだめよ? 私も貴方達を失いたくはないと心から思っているの、その期待を裏切らないでね」
「は、はいッ!」
「ねえ、セシル君。僕ってそんなに信用ないのかな?」
「御自分の胸に聞いて下さい」
「おかしな事を言うね。胸が言葉を話すわけないじゃないか」
「後で少しお話しましょうね、ロイドさん」
あ、セシルが引き攣った笑みを浮かべて拳を握り締めた。
これは状況が状況ならすぐに肉体言語に突入していたな。
「リリーシャ、お母さんと離れて寂しいからって泣いちゃ駄目よ?」
「大丈夫だよ、それは絶対にあり得ないから」
「もう、つれないわね。ま、そんなところも可愛いんだけど。
じゃあ二人とも、後の事はお願いね」
「いってらっしゃ~い」
大きく手を振るロイドと共に、数人の兵士を従えた母マリアンヌの後ろ姿を見送る。
自ら別行動を取ってくれるとはありがたい。
「ささ、僕たちも行きましょう」
そう言ってロイドが俺の肩に手を掛けた瞬間だった。
──ざ…ざざ……。
「ッ!?」
視界にノイズが走り、瞳の奥に痛みを感じた。
心臓が跳ね、脳が揺れる。
同時に世界から色が失われ、モノクロの世界へと一変する。
けれどそれは一瞬の出来事。瞬きすれば世界は元へと戻り、感じた異常も消え去っていた。
一体この身に何が起こったというのか?
錯覚?
いや、違う。言い知れぬ不快感が未だ纏わり付いていた。
俺はそれを知っている?
まさか……。
理解出来ない現象。
だからこそ恐怖を抱くのかも知れない。
俺の様子がおかしいことに気付いたロイドが声を掛けてくる。
「どうしたんですか『陛下』? 顔色が悪いですよ」
…………ん? 今、ロイドはなんて言った?
フラッシュバックするのは白衣を纏った男の姿。
かつて見た軽薄な笑みと飄々とした瞳。
「ちょっとロイドさん!? 何を言ってるんですか!?」
セシルも聞いているということは俺の聞き間違いではないようだ。そうであってくれたなら良かったのだが。
彼女が慌てるのも無理はない。ブリタニア唯一皇帝以外の人間を皇帝、またそれに類する敬称で呼ぶこともまた反逆罪に抵触する恐れがある。
それはもはやブリタニア国民の常識となっている。
ならば何故ロイドは危険を冒し、俺=リリーシャの事を陛下と呼んだ?
そもそも俺の存在に気付いているのか?
考えられる要因はロイドが俺に触れたこと。
そしてそれと同時に俺の身に起こった異変。
まさか俺=イレギュラーのルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという存在を基点にして、前の世界の因果情報及び関連する記憶が流入しているとでもいうのか?
既に俺という特異な存在をこの世界が容認している以上、何が起こっても不思議ではない。
リリーシャの存在が起こしたバタフライ効果があるように、当然俺が存在しているが故に起こるバタフライ効果もあると、何故思い至らなかったのだろうか。
「え、僕何かおかしなこと言った? う~ん、殿下も何か気付きました?」
セシルの声に不思議そうな表情を浮かべるロイド。
本人は自分の発言を覚えていないようだ。
いや、違和感を感じなかったのかも知れない。
再び陛下と呼ぶことはなかった事から、触れた時間が短いから流入も一瞬だったと考えるべきか。
待て、だったらユフィはどうなる?
長い時間触れ合っていたと思うが、彼女に変化はなかった。
もちろん既に大きく変化していた為、気付けなかったという可能性もあるが、もし何らかの記憶が流入したなら反応があったはず。
目の前に自分を殺した人間が居たんだから。
流入には何か条件があるのか?
それとも完全なランダムなのか?
くそっ、情報が足りない!
リリーシャなら……いや、こればかりは彼女が何かを知っているとは思えない。
だとすれば現状取れる対処は、前の世界で関わりを持った人物との接触には細心の注意を払うことのみ。当然経過観察も必要だろう。
味方になってくれる可能性がある人物ならまだ良いが、敵と成り得る人物に未来知識が渡ると非常に厄介な事になる。
やはり都合の良いことばかりは起きないようだ。