ゆさゆさ。
「……うぅ」
身体を揺すられ、その振動で深い眠りの海から浮上すも、思わず微睡みの心地良さに身を委ねたくなる。
ゆさゆさ。
続く攻撃。
「……あと5分……」
無意識の内に何ともステレオタイプな台詞が口から零し、俺は抵抗を試みようと更に毛布にくるまった。
まだこの温もりを手放したくはない。
フハハ、我が毛布という名の絶対守護領域の前では何人も無力よ!
「だめ」
けれど抵抗は無駄だった。
否定の声が耳に届いた次の瞬間、声の主は容赦なく俺から幸せを、温かな毛布を引き剥がすように奪っていった。
馬鹿なッ、我が毛布が!?
朝の涼しい空気に晒され、僅かに身体が震える。
「……くしゅ」
くっ、もう観念するしかないだろう。
重い瞼を開け、身体を伸ばしながら上半身を起こすと、目元を擦り無法者を視界に捉える。
「……うにゅ……おはょ…あ~にゃ……」
取り敢えず目の前の友人に朝の挨拶をする。が、どうも思考が鈍く、呂律も回っていないようだ。
しかし気配を消すのが上手いのか、彼女の接近に気付けなかった。流石は未来のラウンズ候補。
後どうでも良いことだが、何故か分からないが彼女の頭にウサミミカチューシャを幻視したのは、果たして気のせいなのだろうか?
今度プレゼントしてみよう。……冗談だ、ホントウダゾ。
いや、彼女の身体能力以前に、単に気が緩んでいるだけなのかも知れない。
前の世界の俺(第五后妃暗殺事件後)なら、こんな無防備な姿を他人に見せることはなかったが、こんな所でも順応性が発揮されてしまっているようだ。
もともと俺は寝起きがあまり良いとは言えない。
だが暗殺事件以降、環境がそれを許さなかった。
あの男は俺達兄妹をV.V.から守る為に本国から遠ざけたと本気で考えていたのだろうが、当時の国際情勢を鑑みれば外交的対立のある日本の、それも政府代表の下に送り込むなど体の良い人質以外の何物でもない。
むしろ神根島の遺跡を確保する為に、俺達が日本人に殺される事で開戦の引き金となる事を期待していたと言われた方が素直に納得できる。
尤も結果的に俺達の生死に関係なく、ブリタニアの日本侵攻作戦──後の極東事変──の戦端は開かれ、人身御供にすらならない無価値なモノとして扱われたが。
味方が誰一人居ない敵国で、ナナリーを守る事だけを考えていた俺に安息の日々はない。
少なくともスザクと解り合うまではそう思っていた。
暗殺者の影に脅え、敵意と害意に晒され続ける生活。
常に気を張り、眠りに就いている間も気を許すことは出来なかった。眠っていたから殺されましたでは笑えない。
さらに暗殺事件に巻き込まれた──と偽装された──直後から、ナナリーが精神的に不安定となり、夜中に突然泣き出し、俺の名を呼ぶことがあったのも理由の一つだろう。
必然的に眠りは浅くなり、僅かな物音でも目が覚めるようになった。
そしてそれは日本がブリタニアに占領され、エリア11となってからも変わる事はない。
ヴィ家の後ろ盾であったアッシュフォード家に匿われ、アッシュフォード学園という箱庭での生活。
今にして思えば、そこにあの男達の意思が介入していたことは明白だ。
新天地で再起を懸けていたとは言え、わざわざヴィ家兄妹が命を落としたエリア11で、ノウハウを持つ医療企業ではなく何故か学校運営を始めた元ヴィ家の後援貴族。
その事実に不審を抱く者が居ないとは考えられず、もし本国が本気で調べたなら隠し通せるとも到底思えない。
あの男に俺達を守る意思がまだあったのか、それともコードを保有する魔女への貢物を大切に保管しておきたかったのか。
仮初めの平穏。
だからといって暗殺者の影に脅える必要がないかと問われれば、残念ながらそうではなかった。
アッシュフォード家が俺達兄妹を匿ったのは何も慈善事業が目的ではない。
利のなきところに利を求める、それがアッシュフォードの家訓だ。
全てはお家再興の為であり、俺達はその為の駒。皇族に返り咲くことができれば、金の卵を産む鶏に成長するとでも考えたのだろう。
けれど同時に使い方を誤れば破滅を齎す諸刃の剣でもあった。
その為、アッシュフォード家が手の平を返し、いつ俺達の存在を消すために行動を起こすか分からない。
そんな危惧を抱きながらも、抗う力を持たない俺はルルーシュ・ランペルージを演じることしか出来なかった。
安眠には程遠い。
しかし未来知識を保持している今、第五后妃暗殺事件が起こるまでに──嫌がらせを受けることはあっても──生命の危機まで感じる出来事は起きないと知っている。
閃光のマリアンヌ様による虐待を除けば、と付け加えなければならなくなったが、直接的な襲撃の可能性はほぼゼロだ。
間違いなくその影響もあるのだろう。
閑話休題。
アーニャと出会い、友人関係を築いてから数日。
俺の朝はアーニャが起こしに来るところから始まる。
さて、何故彼女が起こしに来ているのか説明しておこう。と思ったが、俺自身も理解できていないのが実状だった。
行儀見習いの為にアリエスの離宮を訪れているのであって、決して使用人見習いとして学ぶ為ではないのだが、この離宮の実質的な主である母マリアンヌが許可を出したようだ。
残念ながらこの城館内においてはあの人の決定は、それこそブリタニア皇帝と同等の力を持ち、逆らえる者は誰一人居ないだろう。
強制ではなく本人が望んでの事らしいので、あまり気にする必要は無いのかも知れない。
俺が望んだのは友人であって召使いではないのだが、素直に好意として受け取っておこう。
本来なら侍女の仕事であるのだが、仕事を奪われた彼女達は満更でもない様子だった。
むしろリリーシャと関わる機会が減ることを喜んでいるようだが、そこまでリリーシャの事を忌避する理由に残念ながら心当たりは────あった。
記憶共有が行われていない──理不尽にもリリーシャは俺の記憶を手にしているようだが──以上、リリーシャという人間について急ぎ情報を集める必要があった。
故に彼女の内面を知るために日記やメモと言った彼女自身が残した記録を求め、部屋の中を漁ったのは致し方ないことだ。
その過程で手に入れた音声記録。使用人控え室を盗聴したと思われるその内容は、彼等の未来を閉ざすには十分すぎるモノだった。
皇族に対する侮辱。発言者は不敬罪の対象となり、正式な裁判を待たずして罰を与えることも、場合によっては処刑することも可能だろう。
こんな物証を握られていては怯えるなと言う方が無理だ。
出来るだけ関わることを避け、機嫌を損なわせぬよう平身低頭に徹し、隷属するしか生き残る道はない。
軽率だと呆れるべきか、それとも相手が悪かったと哀れむべきか。
ちなみに音声記録以外にも、リリーシャの自室には特記すべき物が隠されていた。
完全に護身用の大きさを超える軍用ナイフと、致死レベルの電圧に設定されたスタンガン。
脅した使用人を介して行われていたらしい株の取引記録。
その取引口座なのか、偽名で開設された他国の複数の預金通帳には、子供には縁がないであろう額がそれぞれに入金されていた。
そして最も問題なのが、仮想敵に神聖ブリタニア帝国を想定した戦略ノート。そこには軍の機密であるはずのKMFに対する詳細な戦術データが添えられている。
記された日付は俺がリリーシャとして覚醒するよりも以前のものだ。
だとすれば一体どこから情報を手に入れたのか?
いくら母マリアンヌが奔放な性格と言えど、こればかりは考えられない。
独自のルートを持ち、軍内部に──それも機密を扱える位に就く──協力者が居るのか?
だがいくら調べても用意周到に隠されているのか、軍との繋がりは一切出てこなかった。
リリーシャの人間関係はどうなっているんだ?
さらに積み重なった重大な問題に目の前が真っ白になる。
理由はどうあれ誰かに見られる前に処分しないと本当に拙い。
それらに比べればまだマシだが、書棚には六法全書や経済誌を始め、兵法書や現代兵器図鑑などの軍事関連を含む各種専門書籍──世界の拷問器具図鑑には正直引いた──が収められていた。
徹底した現実主義者リアリストかと思えば、それらに混じって完全呪殺マニュアルや恋のまじない百選。年上の男の堕とし方や可愛い動物ベスト100といった物まで並んでいたりするから、ますます彼女の人間性が解らなくなる。よって後者に関しては見ていないことにした。
果たしてリリーシャはクーデターでも画策し、ブリタニアと戦うために資金を貯めていたのだろうか。
それとも単なる暇潰しの遊びだったのか。
彼女の性格上そのどちらの可能性も高く判断に困る。
ピロリロン♪
ふと聞こえてくる電子音。
長々と思考を巡らせている間に、アーニャの手には携帯電話が握られ、内蔵されたカメラのレンズが俺を捉えていた。
何なんだいきなり?
俺は首を傾げる。
「……もらい」
ピロリロン♪
ああ、そうだ。そう言えばアッシュフォード学園で再会を果たした時、彼女から幼少期の俺が写った写真を見せられたことがあった。
ならば写真はギアスを掛けられる以前からの趣味だったのかも知れないな。
だからといって何故寝起きの俺を撮影しているのか、いまいち理解は出来ないが。
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
ピロリロン♪
……いや、アーニャ。さすがに撮りすぎじゃないか?
「ふぅ、満足」
「そ、それは良かった」
良い仕事をしたみたいな表情を浮かべ、本当に満足げにそう呟いて携帯をしまうアーニャ。
それに対して俺は若干引き気味だが適当に相づちを打つ。
今の俺にとって彼女は唯一の癒しなのだ。
写真を撮りたいという友人のささやかな願いに目くじらを立てる必要ない。彼女が望むならモデルになる事ぐらい喜んで引き受けよう。
と、当時の俺は考えていたのだが、後に彼女のブログの暗部とも呼べる特別会員限定ページを見て愕然とするのはまた別の話だ。
「改めておはよう、アーニャ。今日もありがとう」
彼女の柔らかな髪を撫でる。
「ん」
心地よさそうに瞳を細める仕草がどこか猫っぽい。今にも喉を鳴らしそうだ。
そう言えば彼女は家で猫を飼っているんだったか。ペットは飼い主に似ると言うが、その逆も有り得るのだろうか?
まあ、何にしろ癒される。マイナスイオンでも放出されているのかも知れない。
何かもう色々と考える事が嫌になってくる。このままアーニャと隠遁生活を送るのも悪くないか、と現実逃避してしまうほどに。
ふとアーニャの顔が赤いことに気付く。
熱でもあるのだろうか?
わざわざ俺を起こす為に生活のリズムを崩し、それが原因で体調に悪影響を及ぼしたとするなら本末転倒だ。無理をしているようなら改善を求めなければならない。
そう思った俺は自分の額を彼女の額へと近付けた。
そして額同士が触れ合った瞬間────
「……ッ!?」
普段あまり感情を表に出さない彼女が驚愕に目を見開き、勢いよく後退る。
……あれ?
顔を近付けるには、まだ好感度が足りなかったか?
それとも寝汗が臭ったのか?
どちらにしろ思わぬ拒絶にショックを受ける。何もそこまで露骨な態度を取らなくても良いじゃないか……。
「コホン」
態とらしく咳払いを一つ。
「すまない、アーニャ。着替えを手伝ってくれるかな?」
「うん」
精神的ダメージを受けている場合じゃない。
好感度を上げるために、さらなるスキンシップを図りたいところだが、既に予定の起床時間を越えていた。
俺はアーニャと共に朝の支度を始める。
ただ念のために携帯を取り上げたのだが、酷く不満な表情に見えたのは気のせいだという事にしておきたい。
身に纏うのはドレスではなく、動きやすい身軽な服装。
動く際に邪魔になる長い髪を高い位置で結ぶ。
飾りっ気の欠片もなく、母マリアンヌに見つかれば文句の一つでも言われそうだが、食事の前の運動にはこれで十分だ。
「どう、アーニャ? おかしくないかな?」
姿見の前でクルリと一回転。
「完璧、綺麗」
毎朝変わらないアーニャの答えに苦笑する。
そもそも喜んで良いものなのか未だに悩むのだが。
さて、今日もリリーシャ・ヴィ・ブリタニアとしての一日を始めるとしよう。