翌朝、昨日の式神勝負の影響で痛む体に顔をしかめながら教室に入ると違和感を覚えた。
教室の雰囲気が昨日までと少し違うのだ。
しかし、悪い雰囲気と言うわけでも無いので、内心では雰囲気の違いに首を傾げながらも適当な席に腰を下す。
冬児は今日も情報収集と言って離れた席に座ってる。
夏目も少し離れた席にいるのだが、昨日の保健室での事が今になって恥ずかしくなったらしく目を合わせてくれない。
講義が始まるまでの間、体を休めておこうと思い机に突っ伏しているといきなり声をかけられた。
「…あ、あの、土御門君」
声の聞こえてきた方向に顔を向けると、そこには女子の三人組が立ってこちらを見ていた。
「…え、あ、なに?」
顔は見たことはあるのだが名前も知らないし、挨拶すらしたことが無い。
そんな人にいきなり話しかけられてビックリしていると、先頭に立つ女子が話しかけてきた。
「昨日の式神勝負の後、倒れたけど体は大丈夫なの?」
「あ、ああ。まだ若干、体は痛むけどな」
なぜ急に話しかけられたかは分からないが、無視するわけにもいかないのでとりあえず答えると、今まで後ろに控えていた二人も会話に加わってきた。
「でも、生身で式神と戦うなんてすごいよね」
「しかも、倉橋さんの護法式相手に勝っちゃうんだもん」
「ほんと!『土御門』には式神と術者が一緒に戦う戦法みたいのがあるの?」
一気にまくしたてられ戸惑いながらも質問に答える。
「い、いや、無いと思うけど」
「じゃあ、なんで自分で戦ったの?」
「な、なんでって…俺、式神の扱い方とか良く分からないし、自分で戦う方が性に合ってると思って」
「ウソ!?」
「信じらんなぁい!」
女子三人は肩を寄せ合いキャアキャアと小声で騒ぐ。
三人寄れば姦しいと言うが本当だな。
すると、今度は男子の二人組が会話に加わってきた。
「…よお、土御門。昨日は凄かったな」
「ああ。まさか、あの倉橋に勝つなんてな」
女子と違ってかこの二人には、今まで話しかけなかったと言う気まずさが残っているようだ。
しかし、そんな人たちですら話しかけてきたと言う事実に俺は心底驚いた。
「けど、久しぶりに見たけど倉橋の護法式は凄いな」
「あれって、彼女向けに専用にカスタマイズされてるんでしょ?」
「えっ!?それってズルくない?」
「護法式のカスタマイズなんて誰でもする事だろ?よくもまあ、あんなのに勝てたな」
「そう言えば大友先生の用意したあの武器ってなんだったの?」
「あっ!それ、俺も聞こうと思ってたんだよな」
張本人の俺を置いてきぼりにして盛り上がる五人。
俺はそんな中、いまだに状況がつかめずに呆けていた。
と、そこで視界の端に教室に入ってくる天馬を見つけた。
俺はこの機を逃さず助けてくれ、と視線を送る。
天馬ならば『兄貴!』とか言いながら会話に入ってきてこの空気を壊してくれるはずだ。
そんなことを期待しながら視線を送っていると、天馬が俺の視線に気づいた。
しかし天馬は、ゆっくりと俺の置かれている状況を見まわした後、『分かってます』的な顔をして離れて行った。
「何やってんだぁぁぁあああ!」
「うおっ!?」
「キャッ!?」
「ど、どうした急に叫んで?」
「い、いや、なんでも…無い」
本当の事はさすがに言えず言葉を濁す。
しかし、俺の行動を勘違いした男子が
「会話に入れなくてさみしかったのか?」
「え?いや、そんな事は――」
「なんだそうだったのか」
「いや、だから――」
「それならそう言ってくれれば良いのに」
「ちょ、違――」
「そう言えば土御門君の護法式って可愛かったよね~」
「そうそう!小っちゃくて可愛かったよね!」
「ねえ、あの護法式もう一回見せてくれない?」
今度は話題が俺の護法式――コンに変わった途端に、女子三人が素早く食いついた。
「………コン」
普段は隠形で、姿を消しているがコンは常に俺の近くにいる。今の話も聞いていただろう。
俺に呼ばれたコンはすぐにその姿を実体化させた。
「おおっ!すげぇ!」
「キャー!」
現れたコンにクラスメイト達の目の色が変わった。
特に女子は大はしゃぎだ。コンの事を可愛い、可愛いと言いながらもみくちゃにする。
突然の事にコンは体を硬直させることしかできずに女子の波に飲まれた。
「ははは、春虎様!?」
「……許せ、コン」
罪悪感に表情を暗くさせながら、コンから目を背ける。
「改めてみると、本当に子どもなんだな。もしかして、土御門の趣味?」
「ちげーよ」
「そういや高等式だっけ?ああいうのにご奉仕させてるのか」
「だから違うっての!」
「ええっ!?土御門君ってロリコンだったの!?」
コンに夢中だった女子たちまで悪乗りしてくる。
「嘘!?」
「え~。カッコいいのにもったいないな」
「…お前ら、人の話聞けよ」
最後のセリフは冗談として受け流しておこう。
なんだかんだでクラスメイト達と楽しく談笑していると、
「けっ。意味ねえよな」
聞くからに不愉快そうな男の声が後ろから聞こえた。
振り返るとそこには、やはり声音通り、不機嫌そうな男子生徒が座っていた。
「護法式が何なのかも分からないような奴が、高等式なんか侍らせやがって。これだから名門様は」
男子生徒の嫌悪感むき出しの言葉ににぎやかだった空気が一変した。
先程までとは違い、みんなが口を閉ざす気まずい空気になった。
シンっと静まり返った空気の中、
「コンッ!」
俺は自分の式神の名を叫びながら素早く前方に手を伸ばし、周りの女子たちの手を振り払い悪態をついていた男子生徒に跳びかかろうとするコンの服の襟首を掴んで止めた。
「ぐえっ」
襟首をつかんで止めたせいか、コンは喉が圧迫されカエルがつぶれたような声を出した。
「はは、春虎様!?いったいなぜ止めるのです!?」
俺に襟首を掴まれ持ち上げられているコンは、抗議の声と共に手足をバタつかせる。
「…お前は反省と言う言葉を知らんのか」
「う、ううぅ~」
俺はコンを持ち上げたまま悪態をついていた男子生徒に体を向ける。
「悪かったな。俺の式神がビックリさせたみたいで」
男子生徒はコンが跳びかかってきそうになったのが余程驚いたのか、椅子から落ちそうになっていた。
俺は男子生徒に一言謝ってから、背を向けた。
男子生徒もこれ以上何か言って、またコンに跳びかかられたくは無いらしく、それ以上は何も言わなかった。
しかし、あんな風に好き勝手に言われて受け流せるほど俺は大人じゃない。
項垂れているコンの耳元に口を近づけ、周りに聞こえないように小声で話しかける。
「(コン。やるなら、ばれないようにやれ。証拠と目撃者を残すなよ)」
「(は、はい)」
きっちりと報復はする。基本だよね。
後日、その男子生徒は何もない所で躓いて階段から転げ落ち、一週間講義を休んだことをここに記しておく。
その後、悪くなった空気を払拭するようにクラスメイト達と話していると、ガラリと音を立ててドアが開いた。
入ってきた人物を見て再び教室が静かになった。
入ってきたのは、倉橋京子だった。
京子は教室の雰囲気を感じ取ったのか、顔を歪めながら歩き出した。
しかし京子は、なぜか俺の方へとまっすぐ歩いてくる。
「…わ、私たちは自分の席に戻るね」
「ま、またね~」
「ばいばい」
「…俺たちも戻るわ」
「頑張れよ、土御門」
周りにいたクラスメイト達は蜘蛛の子を散らす様に自分の席に戻って行った。
正直に言うなら俺も逃げたいが、ここが俺の席なので逃げることもできない。
周りを見渡すと夏目は相変わらず目を合わせてくれず、冬児に至ってはニヤニヤしながらこちらを見ている。
冬児の顔面に拳をねじ込みたいと思った俺は悪くないはずだ。
そんな事を考えていると、目の前に京子が立っていた。
京子は座ってる俺を見下ろしながら、なにやら難しそうな顔をしている。
俺も下手に出る理由は無いので、無言で睨み返すと
「……ちょっと、付き合ってくれる?」
「ごめんなさい」
「…は?」
「俺、年上の綺麗系が好みなんで」
俺が答えると言葉の意味を理解したのか、京子は顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らした。
「そ、そういう意味で言ったんじゃないわよ!」
「分かったから、そんな大声出さないでくれ。みんな見てるだろ」
周りの視線を集めてることに気づいた京子が、仕切りなおすように咳払いを一つする。
「…コホン。ちょっと着いて来てくれる?」
「どこにだよ?」
「とりあえず、教室からは出ましょ」
これ以上ここで話していても無駄に注目を集めるだけなので、京子の意見に賛成して教室を出た。
教室を出た俺たちが向かった先は、少し歩いた所にある非常階段の踊り場だった。
「で、こんな所に連れてきて話ってなんだよ。まさか、昨日のリベンジだとか言わないよな?」
「そうだって言ったらどうするのよ」
「勘弁してくれ。昨日の試合のせいでまだ体中が痛むんだからな」
「…大丈夫よ。昨日の勝敗にケチ付けようなんて思ってないから。あの勝負はあたしの…負けよ」
京子の素直な敗北宣言に俺は驚いた。
今ここに呼び出されたのも昨日の勝負に不満を持っていると思っていたからだ。
「…なによ、その表情」
驚いた顔をしているつもりは無かったが、無意識のうちに顔に出ていたようでそれに気づいた京子が半眼で睨みつけてくる。
「いや、ちょっと意外だったもんでな。てっきり『あなたが勝てたのは大友先生の呪具のおかげなんだから』とか言ってくるのかと思ってたから」
「……今のは、あたしのモノマネのつもり?」
「似てたろ?」
「地獄に落ちなさい」
ものすごい殺意のこもった声で言われた。
「別にそんなこと言うつもりは無いわよ。いくら大友先生の呪具を使っても、あなたみたいな半分素人に負けた言い訳にはならないわよ」
京子の口ぶりに少しムッとしながらも、ここで言い返したら昨日の二の舞になると思い受け流す。
「じゃあ、なんでこんなとこに連れてきたんだよ」
「…その、昨日は悪かったわね」
「……は?」
「勝敗は別として
「い、いや、先に手を出したのはコンだしお互い様だろ」
「…ごめんなさいね」
「…こっちも悪かったな」
「「……」」
二人の間に緊張感のある静寂が満ちる。
俺は困惑していた。
京子の態度が昨日と比べ、信じられない程変わっていることに対してだ。
ここまでの変貌ぶりを見せつけられると、何か裏があるんじゃないかと疑わずにはいられない程だ。
しかし、これはチャンスかもしれない。
昨日までの教室を見るに、京子はクラス内で夏目に次ぐ実力と家柄、カリスマ性を持っていることが分かる。
正直、そんなやつとこれからの学園生活を対立したまま送るのは色々な面で芳しくないだろう。
これを機に少しでも京子との溝を埋めれるようにしてみよう。
「なあ、前々から気にはなっていたんだが。お前、俺が気に入らないから突っかかってくるんじゃなくて、俺をダシにして夏目に突っかかってるだろ?」
「うっ…」
「なんでだ?」
俺の質問に京子は少し間をおいてから答えた。
「……個人的な事よ」
「ふ~ん」
「ふ~んって、詳しく聞かないの?」
「聞いたら教えてくれるのかよ?」
「そ、それは…」
「だろ?それに、女子の個人的な理由を追及するほど野暮じゃないさ」
「…優しいとこあるじゃない」
「紳士ですから」
「「……」」
再び二人の間に静寂が満ちた。
しかし、先程の様な緊張感は無く穏やかな静寂が満ちる。
しばらく沈黙が続いた後、京子はポツポツと語りだした。
「…あたし、小さい頃に夏目君に会ったことあるの」
「…なに?」
「夏目君とは親戚同士なんだから会っていても不思議じゃないでしょ?」
「そ、そうだな」
一瞬、京子は夏目の本当の性別を知っているのではないかと疑ったが、今も『夏目君』と呼んでいたし小さい子供のころなら性別も曖昧だろう。
気付いているとは考えにくい。
俺は、自分の考えを悟られぬように話題を変えた。
「もしかして小さい時に夏目となんかあったのか?」
「……覚えてなかったのよ」
「何を?」
「…あたしの事。昔、あたしと会ったこと忘れてたのよ」
そう言って京子は悲しげに目を伏せた。
「…そんなに仲が良かったのか?」
「……一回会っただけ」
「…は?」
「昔、一度会っただけよ」
「それじゃ、忘れても仕方ないだろ」
「…あたしは覚えてるわ」
京子のその言葉は、深い悲しみが含まれていた。
「…『約束』したのに」
「ん?」
「……何でもないわ」
京子はそれ以上語ろうとせず口を閉ざした。
だが不意に京子は俺に対し、質問をしてきた。
「あのさ?夏目君、夏休みが明けてから急に髪をリボンで結ぶようになったわよね?」
京子のその問いにドキリとしながらも平静を保ちながら答える。
「ああ、あれな。髪といい、リボンといい、まるで女みたいだよな。でも、あのリボンはなんでも土御門家伝来の呪具らしいぜ。まったく『しきたり』も大変だよな」
「…そう、土御門の。そうよね。そんなこと分かっていたわよ」
京子のその台詞はまるで自分に言い聞かせているようだった。
「そんなこと?」
「決まってるじゃない。結局、夏目君にとって『土御門』以外の事なんてどうでもいいのよ。陰陽術だってそう。彼自身のためではなく、『土御門』の名に恥じないように腕を磨いているだけ。彼の頭にあるのは『土御門』の事だけなのよ!…あたしたちの事なんて、夏目君にとってはどうでも良いことなのよ!」
京子の言葉は徐々に熱を持ち、最後は叫びに変わっていた。
「そんなこと――」
「あなただってそう。阿刀君から聞いたわよ」
「…冬児から?」
「あなたが夏目君に式神として仕えている理由。『しきたり』なんですって?それを聞いて納得したわ。なんであなたみたいな半分素人を自分の式神なんかにしたのかを。あなたの意思も何も関係ない。彼は単に『土御門』の『しきたり』に従っただけ」
京子は息を切らし、肩を大きく上下させながら感情のままに言葉を紡ぐ。
「彼にとってそれが一番重要なのだから」
京子のこの一言には悲しみの色が滲み出ていた。
京子の心からの言葉に俺も真摯な言葉で返す。
「違うんだ」
「何が違うってのよ」
「俺から頼んだんだよ。俺が自分で夏目の式神に志願したんだ」
「う、うそ」
「嘘じゃない。夏目は最初、危険だからと反対したよ。けど、俺が強引に頼んであいつの式神になったんだ」
一度は破った『約束』。もう二度と違える気は無い。
「確かに夏目にとって『土御門』の名前は大切なものだ。けど、それも夏目の大切な物の一部でしかないんだ。決してそれだけじゃない。それは信じてやってくれ」
俺の言葉を聞いた京子は表情を暗くさせ、
「…じゃあ、なによ。あたしはただ単に忘れられてただけなの?…あたしの独りよがりだったの?」
泣きそうな声でそうつぶやいた。
俺は心の中で舌打ちをする。
どうにも昔から女性の辛気臭い顔は苦手だ。
俺は頭をがりがりと掻きながら、
「そんな顔すんな!お前にそんな顔、似合わねーよ。もっと笑ってろ。そっちの方が何倍も可愛いぜ」
と言うと、京子は信じられない物を見るような目で俺の事を見てきた。
そして、京子が何か言おうと口を開きかけた瞬間
ガチャリ
俺たちの上にある階段の踊り場にあるドアが音を立てて開いた。
「…二人ともそこで何をしてるんだい」
剣呑な響きを持った声と共に現れたのは、話の中心人物でもある夏目本人だった。