「―――う、うん?」
意識を取り戻すと俺はベッドに横たわっていて、目の前には真っ白な天井が広がっていた。チラリと見えた窓の外はもう真っ暗で、気を失ってから大分時間がたったと分かる。
「知らない天井だ…」
「お決まりのネタだな」
「…へ?」
まさか誰かが聞いてるとは思わず、声の聞こえた方向に首を向けると
「って、冬児かよ」
「体の具合はどうだ?驚いたぜ、いきなり倒れるんだからな」
「ああ、悪かったな。体の方は全身が筋肉痛みたいな感じだ」
軽く動かすぐらいは問題ないが、全力で動かすにはもう少し時間が必要だ。
「ってか、ここ何処だ?そして何時だ?」
「ここは、保健室で今は午後九時半だな。倒れたお前を運ぶのは辛かったぜ」
「冬児が運んでくれたのか?」
「最初はそこで寝てるご主人様が運ぼうとしたんだけどな。さすがに無理そうだったから変わったんだよ」
そう言って冬児は苦笑しながら、俺の寝ているベッドのちょうど俺の足元あたりを指さす。
つられてそこに視線を向けると
「…夏目」
椅子に座りながらベッドに上体を預けてすやすやと眠っている夏目がそこに居た。
「さっきまで起きてたんだがな。もう遅いから帰れって言っても、お前の事が心配だからと言って残ってたんだよ。起きたら礼の一つでも言うんだな」
「……ああ、そうするよ」
俺はそう言って眠っている夏目の頭を左手でやさしくなでた。
夏目の腰まで伸ばされ、リボンで一つにまとめられている髪は癖も無く、とても柔らかかった。
「…ん?」
「どうした?」
「…いや、なんでもない。…俺はお前が目を覚ましたことを先生に伝えに行ってくるわ」
「おう。すまねーな」
「貸し一つな」
冬児はいつものニヒルな笑みを浮かべながら保健室から出て行った。
冬児を待っている間、手持無沙汰だったので夏目の頭を撫で続けていた。
そしてその数分後、
「……んん」
「起きたのか?」
夏目が声を漏らしたので撫でていた手を止め、頭から手を離した。
すると夏目は、ゆっくりと体を起こし
「う、うん。いい、今起きたよ?…うん」
なぜか妙に挙動不審だった。
いつもだったら、『心配かけてこのバカ虎!』ぐらいは言いそうなのに。
夏目は顔を赤くしながら俯いて、もじもじしていた。
それにどうしてか、チラチラと俺の手を見てくる。
「どうしたんだ?」
「いや…その、あの…えっと」
「なんだよ、言ってみろって」
「うん……その、もう一度…でて……れない?」
「うん?悪い、聞き取れなかった。もう一回言ってくれ」
「えっと、だから…もう一度、撫でてくれない?」
「へ?なんで?」
「べべべ、別に深い意味は無いけど…」
「まあ、別にそのぐらい構わないけど」
「ほ、本当に!?…じゃ、じゃあ」
夏目はそう言いながらおずおずと頭を差し出してくる。
夏目の態度を不審に思いながら、もう一度夏目の頭に左手を伸ばす。
俺の手のひらが再び夏目の柔らかな髪に触れた。
そのまま言われた通りに頭を撫ででやる。
「……(なでなで)」
「はふぅ~」
俺が頭を撫でると、夏目は気持ちよさそうに目を細め、息を漏らした。
なんか、猫みたいだな。
夏目の気持ちよさそうな顔を見ていると、こちらの頬まで緩んできた。
俺が夏目の頭を撫でつつ和んでいると、
「は、春虎様!」
急に後ろから俺の名前を叫ぶ声が聞こえた。
~~side冬児~~
俺は春虎が目を覚ましたのを確認し、先生を呼びに薄暗い廊下を一人歩いていた。
「ありゃ、夏目の奴起きてたよな…」
親友のために気を利かして備え付けの電話では無く、直接呼びに行ったのだ。
「けど春虎の奴、ああいうのにはとことん鈍いからな」
殺気やら気配やらには敏感なくせして、好意には鈍い奴だからな。
「まあ、二人っきりになったからってそんな簡単に進展しな――」
そう言えば大事なことを忘れていた。
「コンが居るの忘れてたぜ」
ややこしいことになって無ければいいが
~~side春虎~~
「うわ!?――って、なんだコンかよ。ビックリさせるなよ」
振り返ったそこには、ベッドの端にちょこんと正座をしているコンがいた。
しかし、コンはいつもと様子が違った。
尻尾はパンパンに膨らみ、頬を赤くして視線をこちらに向けっている。
「どうしたんだ?」
「ああ、あの、こここ、此度の戦いではここ、コンも立派に戦いました!」
「ああ、良く戦ってくれたな」
コンが何を言いたいのか分らず、適当に相槌を打つ。
「そそ、それで、コンにも…その、ほほ、褒美を下さったりは…」
「褒美?何か欲しいのか?」
「はは、はい」
コンが何か欲しがるなんて初めてじゃないか?
俺は式神にも物欲ってあるんだな、などと考えながらコンの欲しい物を聞いた。
「俺の買える範囲でなら良いけど、何が欲しいんだ?」
「そそ、その、えっと、あああ、あの」
心なしかいつもよりどもって無いか?そしてチラチラと俺の右手を見ている。
ってか、さっきの夏目の仕草とそっくりだった。
これは、もしかすると
「もしかして、お前も撫でて欲しいのか?」
「……はい」
コンは真っ赤になりながら俯きつつ、肯定した。
「こんなのが褒美でいいのか?(なでなで)」
俺は俯いているコンの頭に右手を乗せ、撫でる。
コンの髪も丁寧に櫛づけられていて、触っていて心地よい髪だった。
「あぅ~」
頭を撫でられたコンは気持ちよさそうに身をよじらせ、尻尾をパタパタと左右に振る。
夏目とは逆でコンは犬みたいだな。
何て事を考えていると、ドアがガラリと音を立てて開いた。
「まあ、キツネはイヌ科だからな」
「だからなんで俺の心の声が聞こえてるんだよ!?」
「そういう設定だからな」
「設定言うな」
そこに立っていたのは冬児だった。
「先生はどうしたんだ?呼んできたんだろ?」
冬児の立っている場所には、冬児以外人影は見当たらなかった。
「今やっている重要な書類の整理が終わったら来るってよ」
「ふーん」
まあ、俺も急患って訳じゃ無いから別に急ぐ必要もないんだろうな。
「と言うより、なんなんだこの状況は?」
「この状況?」
そう言われて、今の自分の状況を思い出してみる。
夏目とコンの頭を撫でている。
「…なんでこんな事になってるんだ?」
「それをこっちが聞きたいんだがな。まあ、どうでも良いが、そろそろ夏目は時間的にも帰らせた方が良いと思うんだが」
「確かにそうだな」
夏目は俺や冬児と違って陰陽塾の寮ではなく、近場のマンションの一室を借りてそこに住んでいる。
最も、陰陽塾の寮は男子寮と女子寮に別れているので、性別を誤魔化している夏目に寮住まいは無理だろう。
「おい夏目。そろそろ帰った方が良いぞ」
頭を撫でる手を止め、帰るように言うが
「むぅ~。なんで撫でるの止めるの?」
「いや、だからもう帰れって」
「は、春虎様ぁ」
夏目を説得してるうちにコンの頭を撫でる手も止まっていたようで、コンが懇願するような目をしながら服の袖を引っ張ってくる。
「ああ、悪い」
そう言ってコンの頭を再び撫でると、
「春虎、ぼくも!」
「ぼくも!っじゃねーよ。時間も遅いから、お前はもう帰れって」
「コンばっかりズルいぞ!」
「コンのは、正当な褒美ですので」
駄々をこねる夏目に向かってコンがしれっと言う。
気づいたのだが、コンは基本俺以外にはどもらないし、少し偉そうになる。
「良いから撫でて!」
夏目はそう言って俺の手を取り、自分の頭の上に乗せようとする。
「いででで!体中痛いんだから引っ張るな!」
「はは、春虎様!ここ、コンにも、もう少し褒美を!」
今度はコンが逆の手を取り、自分の頭に乗せようと引っ張る。
「痛っーー!だから引っ張るんじゃねーよ!」
「春虎が痛がってるじゃないか!離しなよコン!」
「そちらが離せばよろしいかと」
「「……(バチバチ)」」
無言の二人の間に火花が散る。
「俺としてはどちらにも離してほしいんだが…」
「「春虎(様)は黙っていて(下さい)!」」
そんな理不尽な…。
俺の手を取りながら二人は言い争いを続ける。
「と、冬児助けてくれ!」
たまらず、親友に助けを求めると、
「お前も目を覚ましたし、俺はそろそろ自分の部屋に戻るわ。それと、夏目の事はちゃんと送ってけよ」
親友は帰ろうとしていた。
「待てよ!この状況で帰るか!?しかも送ってくの俺かよ!?怪我人だぞ!」
「お前ならその状態でも、不良の五、六人ぐらい余裕だろ?」
「いや、だからって」
「じゃあ、頼んだぜ」
冬児はそう言うと、あっさりと帰っていた。
「第一コンがしっかりとしてれば、春虎がこんな怪我を負うことも無かったのに!」
「それを言うならば、そちらにあの京子とか言う女と確執があったからこそ、春虎様が巻き込まれたのではないですか!」
「「……っ!(バチバチ)」」
俺の両隣ではいまだに夏目とコンが言い争っている。
「誰か助けてくれ…」
俺のこの願いが叶うのは保健の先生が戻ってくる十五分後だった。
~~side???~~
「やはりあの小僧は王の式神には相応しくないな」
「ええ、力が有っても品位が無い。あれでは駄目ですね」
「ならばやはり」
「我らが動くしかないでしょう」
不穏な会話は他の誰の耳にも入らず闇に消えて行った。