「対価ってのはあたしの命よ!」
「は……?」
ナニヲイッタンダコイツハ。
唖然とする俺を見て鈴鹿はようやく満足そうに笑った。
「…そう。あたしは、あたしの命を対価にお兄ちゃんを生き返らせるの。…どうよ?何か文句でもある?」
俺は、信じられない気持ちで鈴鹿の目を見つめ、理解した。
嘘じゃない。本気で自分の命を犠牲にするつもりだ、と。
幼いとはいえ、国家一級陰陽師たるものが法を破り、禁呪を用いて自らの命すら投げ出そうとしている。
鈴鹿をそこまで駆り立てたものは、きっと兄に対する『愛』故だろう。
ここまでの覚悟で挑んだものを俺なんかが止めて良いものかと、一瞬心をよぎった。
だが、
「…止めておけ」
俺のセリフに一瞬ポカンとした鈴鹿だったが、すぐに両目を吊り上げ大声で返してきた。
「ハ、ハア!?あんた今の話聞いてなかったの?」
「聞いてたさ。聞いたからなおさら止めとけと言ってるんだよ」
「あたしの命をどう使おうがあたしの勝手で――「お前は!!」」
鈴鹿の反論を遮る。
どうしてもこれだけは、言っておかなければならない。
「お前は、兄貴一人にすべて押し付けるつもりか?」
「お、押し付けるって何をよ!?」
「全部だよ。今まで犯した罪、これからの人生全部だ」
「あ、あたしはお兄ちゃんのために」
今まで強気だった鈴鹿が目に見えておびえていく。
しかし、俺は止めない。止めちゃいけない。
「兄貴のため?違うだろ。全部自分のためだ」
「ち、違う!あたしは、お兄ちゃんのために!!」
「自分の命を犠牲に兄を生き返らせる、立派な自己犠牲の精神だよ。だが、お前は自己犠牲って言う綺麗事に酔ってるだけだ」
「そんなこと無い!」
「じゃあ、どうして生き返った後の兄貴のことを考えてやらない!」
「っ……」
「お前ほどの奴が――いや、お前だからこそ考えてなかった、ということは無いはずだ。だってお前は、知ってるはずだろ?一人残される苦しみを、それを背負う兄貴の苦しさも。でもお前は、考えないふりをした」
鈴鹿はもう下を向いてしまって反論してこない。
酷なようだが、言ってやらなければならない。
「お前は逃げていただけだ。兄貴のいない
「あたしは……あたしは――「だから」」
「だからやり直そうぜ。人間やり直すのに遅すぎるってことは無いんだから」
「……え?」
「お前、俺より年下だろ。まだ人生の五分の一も生きてないんだぜ?そんな歳で自分の命を対価になんて、もったいないだろ。恋人の一人でも作って人生楽しめよ。お前ほど可愛かったら、相手なんざいっぱいいるだろ?」
「か、可愛い?な、何言ってんのよ!」
「だから、こんなこと止めろ。
そう言って俺は、鈴鹿に歩み寄る。
一歩一歩近づくたびに鈴鹿は全身を震わせるが、逃げようとしない。
鈴鹿と俺の距離が最初に対峙した時の半分ほどに縮まった。
だが、それ以上は無理だった。
「…し、縛れっ。
完全に油断していた。
俺も、鈴鹿も。
呪符を投げたのは、倒れていた呪捜官の一人。
かろうじて意識を繋いでいたのか、最後の霊力を振り絞り、己の職務を果たそうとしたらしい。
投げた呪符は、空中で縄に変化し鈴鹿に絡みついた。
縄は一瞬で鈴鹿を捕えその小さな体を、地面に倒す。
呪捜官は、ふらふらと立ち上がったがすでに霊力も尽きているのだろう。意識が朦朧としているようだった。
一方鈴鹿は、不意打ちをくらいその体を泥だらけにしながら逆上した。
「ちくしょうっ!――邪魔を、するなぁ!!」
主の怒りを受け取ったのか土蜘蛛が動く。
その鋼鉄の脚を高々とかざし、ふらふらの呪捜官めがけて冷徹に振り下ろそうとする。
気が付けば走っていた。
頭で考えるよりも早く体が反応していた。
土蜘蛛の動きが、やけにスローに見える。
俺のスピードなら、間に合う!
俺は地面を蹴った。
立っていた呪捜官に体当たりをして弾き飛ばす。
後は素早く横っ飛びでもして土蜘蛛の脚を避けるだけだった。
だが、それはできなかった。
濡れた地面に足を取られ、転倒してしまった。
顔に泥が跳ね、水飛沫が上がる。
誰かの悲鳴。おそらく鈴鹿だ。
必死に立ち上がろうとして体を起こしかけたとき、頭上に濃厚な死の気配。
ヤバい。俺、死んだ。
頭は、なぜか冷静になっていた。
俺の脳内では今までの記憶、いわゆる走馬灯が流れていた。
本当に見えるもんなんだな、と変に納得した。
冬児、夏目、両親、近しい人たちの顔が思い浮かぶ。
そして、北斗。
最後に喧嘩しちまったからな。
もう土蜘蛛の脚は眼前に迫っている。
無駄な抵抗と知りつつ、防御の体勢をとり目をきつく閉じた。
しかし、衝撃は来なかった。
不審に思い恐る恐る目を開けた。
そこでの光景を見たとき完全に頭の中が真っ白になった。
目の前には北斗がいた。
土蜘蛛の脚を全身で支えて。
俺の頭は完全にフリーズした。
目の前の光景が理解できない。
頭で考えることができず、ただ目の前の光景を見ていることしかできない。
地面に倒れている俺と土蜘蛛の間に北斗は立っている。
その身で土蜘蛛の攻撃を受け止めて。
土蜘蛛の脚は深々と北斗の体に刺さり腹から背を貫通している。
なのに北斗は倒れることなく、その足を掴み押しとどめている。
「…ほ、北斗?お前…」
「逃げて、春虎」
「な、何言ってるんだよ!」
「逃げるんだ!」
北斗は大声で叫んだ後、己に刺さった鋼鉄の脚に素早く指を走らせる。
「バン、ウン、タラク、キリク、アク!五行の理を以て、内なる防壁を破らん!」
『五芒星』
それは、陰陽術において「セーマン」「
そして、土御門家が家紋としている呪印だ。
呪文と共に記された印は、光を放って浮き上がった。
それが何らかの呪的攻撃だったのか、土蜘蛛はまるで本物の蜘蛛が火を怖がるかのように、突然脚を跳ね上げ北斗を弾き飛ばす。
「ほ、北斗!!」
俺は、北斗の元へ走った。
土蜘蛛の事も、鈴鹿の事も頭から吹き飛んでいる。
そして、走っている内にようやく頭が動き出す。
さっき自分でも、予測したじゃないか。北斗は駆けつけて来る、と。
その結果がこれだ。
こんな冗談みたいなことあるはずない。大声で叫ぶ感情を、理性が次第に抑え込んでゆく。
そして恐怖。
底抜けの恐怖が俺を襲い始める。
「北斗っ!しっかりしろ、北斗!」
地面に倒れ伏す北斗のそばに駆け寄り、体を抱え起こす。
その瞬間、まるで
輪郭が歪んで乱れ、体の裏側が透き通って見えた。
この光景は一度見たことがある。これは、
『ラグ』
腕の中の光景に再び思考が止まった。
息をするのさえ忘れ、呆然と北斗の姿を見る。
そして気づいた。
北斗の体から血が一滴も付着していないことに。
北斗の腹には土蜘蛛の脚が貫通した大きな傷がある。なのに、血が一滴も流れていない。
北斗の体を濡らすものは、降りしきる雨だけだった。
「……ほ、北斗?」
情けないほど震える声で北斗の名をつぶやく。
そして、俺の腕の中でゆっくりと北斗が顔を上げ寂しげな微笑を見せた。
「…バカ、虎。なんで…携帯、出ないのさ…」
「………」
喋っている途中でも、北斗の姿は乱れ続けている。
その乱れは収まるどころか、どんどん酷くなっていく。
抱きしめているはずの腕の中の感触さえ、希薄なものに変わっていく。
「北斗。お前…お前っ」
北斗は苦笑する。
「…黙ってて、騙して…ごめん」
「バカ野郎!何言ってんだよ!なんなんだよこれ!意味が分かんねえよ!」
わけも分からず狼狽える。そんな親友(オレ)を北斗は、微笑みながら見上げる。
「春虎。ぼくは、君が、好き。…だから、逃げて。…死んだりなんかしたら…許さないん…だから」
北斗が笑う。
そして、それを最後にひと際強く北斗の姿が乱れ――消えた。
腕の中には、古い、何度も補習された跡が残る一枚の形代が残されただけだった。
「……北斗?」
無意識につぶやきが口から洩れる。
手のひらに残る形代を呆然と見つめる。
雨と一緒に体中の生気が流れ落ちるような錯覚に囚われる。
「……バッカじゃないの」
今まで黙っていた鈴鹿が口を開いた。
「なに、そいつ式神だったわけ?アンタ自分の式神彼女にしてたっての?人に散々偉そうなこと言っといてキモい事してんじゃないわよ」
鈴鹿の声は、震えていた。
冷静に考えれば、それは鈴鹿が精一杯の虚勢を張っているだけだとわかるが、今の俺にはそんな余裕は無かった。
「…ま……て…った」
「はあ?」
「今、何て言った!」
俺の声に押され、鈴鹿が一歩後ずさる。それに合わせて主を庇うかのように土蜘蛛が前へ出る。
「だ、だからその女よ!あたしがすぐに見抜けないなんて随分凝った造りをしてたみたいだけど、あんたが作ったんじゃないの?てか、なんならあたしがもっと良いのを作ってあげよ――」
「黙れ」
自分でもゾッとするような声が出た。
「は、はあ?アンタ何様のつもりよっ」
「これ以上喋るな」
鈴鹿と視線を合わせ睨みあう。
「うっ……」
先に視線を逸らしたのは鈴鹿の方だった。
鈴鹿は舌打ちをし、トラックに向けて走り出す。
土蜘蛛も主の後を追い、出てきたトラックのコンテナに脚を畳んで収まった。
鈴鹿は、助手席に乗り込むと、呪符を一枚取出し運転席に投げる。
すると運転席に祭りの時に見た黒服の男が現れる。
式神にエンジンをかけさせトラックが動き出す直前に、振り返って
「…次は、殺すわよ」
そう言い放った。
トラックは、駐車場を後にして県道に消えた。
「…北斗」
口から出た呟きは、一層強くなった暴風雨にかき消された。
嵐はまだ止みそうになかった。