Vengeance For Pain   作:てんぞー

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鏡写し - 1

 ―――実家がなくなってた。

 

 正確に言えば母も父も死んで、自分も海外で長い間行方不明、家の所有権がなくなって没収され、知らない人間が住んでた。もうそこまで来ると長い間生存報告を入れていなかった自分が悪い、と諦めるしかなかった。そもそもからして実家にはもはや愛着もなかった。母との思い出は貴重だが、それは決して場所に宿る訳ではない。まぁ、これはしょうがねぇわぁ、と溜息を吐きながら財布の中身を確認した。

 

「―――俺の財布がヤバくて俺がマジやべぇ」

 

 言語中枢にダメージが出るぐらいには、ヤバかった。具体的にいうと今、財布を逆さまにしても出てくるものが何一つない、というのが事実だった。家のもんを適当売って金にするというクズ発想がアウトだったのだろうか? ともあれ、駅前の商店街にまで戻ってきたところで、中央のオブジェを囲むポールの一つに寄りかかりながら街の様子を眺めた。

 

 すでに夜に入り、暗くなっている夜の空はしかし、街のイルミネーションによって明るく彩られていた。世間ではクリスマスだと言われている。その為、今ではどこでも家族連れや、恋人と共に時間を過ごそうとする姿が目撃できる。あーあーあー、と声を吐き出しながら、ポケットの中につっこんであったメモ帳を取り出し、ページをまくりながら自分の書き残したメモを確認し、そして溜息を吐く。完全に金策の事を忘れていた。

 

「まぁ、しゃーねーか……」

 

 中東を出て以来、食が細くなった。どうやら思ってた以上に繊細な男だったのかもしれない。最低限の食事と金銭しか財布には詰め込まず、金策も荒々しくなってきた。アルバイトなんてものには一々手を出さず、適当なヤクザやマフィアに喧嘩を売って金を巻き上げて、それを片手に海外に逃げる。なんともまぁ、荒んだものだと思った。ただそうやって日本に逃げる様に帰ってきた。その結果、顔が色々と売れてしまっただろう―――アジア方面にはもういけないだろう。

 

 だいぶ荒れたし、遠い所へ来てしまった。

 

「なぁ、門司……お前、今はどこにいるんだ?」

 

 残った最後の友人はヒマラヤに登って消えてしまった。まぁ、おそらくは生きていないだろう。流石に超人と呼べても人間だ―――一切の道具もなしに登山をして、生存ができるほど生易しい環境ではない。次に会うのは来世になるな。そう思いつつ、ポケットに手を突っ込み、たばこの箱を取り出し、軽く揺らす。その中身が空っぽなのを確かめて軽く溜息をつき、ポケットの中に握りつぶして押し込み、空を見上げる。

 

「メリー・クリスマス、ねぇー……いい思い出がねぇわ」

 

 苦しんでる記憶しか残っていない。今もこうやって、ほとんどの縁と引き裂かれ、孤独なままクリスマスを迎えている。友人とさえ呼べるような人間さえもいない―――悲しい、ただただ悲しく、そして虚しい。本当になんてクソな話なのだろうか。これも全部カミ(神と信仰)に目を背けてきた影響なのだろうか。ダメだ。思考をいったん止めると悪い方向へしか進まない。

 

「しっかしどうするかなぁ、これから。はは、まるでやるべきことが見えねぇ」

 

 まるで()()に到着したような静けさだ。日本に来るまではあれ程煩かった啓示がまるで電池切れかのように黙り込んでしまった。今まではその反応を利用して移動先を決めていた。つまり最悪な方向へと常に前進していたのだ。そうすれば見せたくないものが見れる筈だから。そういうあやふやなものを頼りにしてきた旅だったが―――ついに、ここで途切れる。

 

「或いはここが終点かもしれねぇなぁ」

 

 つぶやきながらも、なんだかんだで自分も長くはない、という確信があった。ここがおれの終焉の地なのだろうと思った。走って走って走り回って、世界を回った結果、再びこの国に戻ってきたのだ。故郷へと戻ってきたのだ。ここで答えを見つける事が出来たのなら、それはきっとふさわしい終焉なのだと思う。

 

「あー……門司とバカやってた頃に戻りてぇ……」

 

 あの頃は馬鹿だったけど笑ってたなぁ、と思い出す。馬鹿やりながらも毎日大声で笑っていた。それだけで割と、楽しかった。だけど今はどうだ。手段を選ばず、人も殺すことを覚えて、そしてこんな田舎で怯えてる。ほんと、クソのような人生だった。そう思いながら白い息を吐いていると、

 

「―――お前、里見だよな……?」

 

「ん?」

 

 凄く、凄く久しぶりに名を呼ばれた。そういえばそんな名前だったな、なんて事を思いながら視線を持ち上げれば、知らない男が此方へと懐かしそうな表情を浮かべながら驚いていた。どこからどう見ても知らない男だ。

 

「誰かと勘違いしてないか?」

 

「いや、門司って臥藤門司だろ? 3-Bの。ほら、俺だよ、クラスメイトの竹橋だよ! お前生きてたのか! はっはっは!」

 

 誰だ、と内心思い出そうと頑張りつつも、全く思い出せない為、愛想笑いを浮かべながら差し出された手を握る。どうやら、高校時代のクラスメイトらしい―――大学には進学せずにそのまま旅に出たのだから、3-Bといえばたぶん高校だ。それ以外に心当たりがないからだ。

 

「いやぁ、同窓会にも顔を出さないし、どうしたのかなぁ? って知ってる奴から聞いたら失踪したって言われているから驚いたよ。こんなところで何をやってるんだよ。というか今までどこにいたんだよ。いやぁ、ほんと驚いた」

 

「あー……ちょっと海外に渡っててな。日本に何とか戻ってこれたのはいいけど財布が空になってちょっと途方に暮れてた。門司の奴はヒマラヤに行っちまったしなぁ……」

 

「はっはっは、なんかほんと想像できるからアイツは怖いな……それはそれとしてそうか、なんか困ってるみたいだし、これを持っとけよ」

 

 そう言って一万円札を此方の手に握らせてきた。

 

「おい」

 

「いや、いいんだよ。流石にぼろぼろの元クラスメイトを無視する程俺は鬼畜になれないし―――」

 

「―――あなたー?」

 

「あぁ! 今行くよ! それじゃ、今日は家族でレストランなんだ、また縁があったら会おう、里見」

 

 そう言って走り去ってゆく男の背中姿を見て、なんとなくだがその若い姿を見て、あぁ、そういえば竹橋って奴、クラスの委員長でいたなぁ、と思い出す。何だか妙に委員長であることに責任感を持って当たっている奴だったが、こうやって去っていた先を見ると、妻と、そして十代に入る息子の三人でレストランへと向かう背中姿が見えた。あぁ、そうだ、もうすでに四十年近い。

 

 俺の人生も五十に入りそうだ。それだけあれば家庭を作っている奴だっているだろう。

 

 親と手を恥ずかしそうに繋いで歩き去ってゆく子供の背中姿を見て、嫉妬を覚えた。なんで、なんで俺にはああいう少年時代が来なかったんだ。なぜ俺はあんな当たり前の景色を受ける事が出来なかったのだ。なんで、俺は今もこうやって、惨めな姿を見せて生き恥を晒しているのだろうか―――答えはまだ、解らない。

 

「……クソ、適当に食うか」

 

 こんな人が多い所にいられるか。

 

「俺だって……あんな、普通の家庭が欲しかったさ……」

 

 吐き捨てながらコンビニに向かう。この惨めにも恵まれた一万円が自分の生活の全てだった。ここで全部使い切ってしまうと明日の食事にも問題が出る―――まぁ、そこは適当なチンピラからカツアゲでもすればいいのかもしれない。溜息を吐きながらコンビニへと向かう。やはり日本のコンビニだけは色々と雰囲気が違うな、と思いつつ適当に弁当と飲み物を購入した。

 

 

 

 

「ここに来るのも久しぶりだな」

 

 昔、遊ぶのに使っていた公園がそのままだった。さすがに商店街の方とは違い、こちらは僅かな街灯を抜けば光源が存在せず、夜らしい闇に包まれた無人の公園だった。適当なベンチに座りながら、運んできたビニール袋の中から弁当を取り出す。それを膝の上に乗せ、割り箸を手に取ったところで眼の端に入るものが見えた。白く、ゆっくりと落ちてくる冷たいそれは、

 

 ―――雪だった。

 

「メリーメリー・ホワイト・ファッキン・クリスマス、か。また一つ、虚しいクリスマスの記憶が増えるなぁ……」

 

 雪が降り出していた。ホワイト・クリスマスと呼ばれるこの夜も、自分にとっては煩わしいだけだった。そもそも寝床の確保ができていないのでこの雪の中で寝る場所を探さなきゃいけないのは激しく面倒な事だった。溜息を吐きながら割り箸を割って弁当を開ける。中に入っているのはスタミナ弁当―――からあげ、ステーキ、コロッケの入っているカロリー重視の弁当だ。しかし、これだけでは圧倒的にカロリーが足りない。食べ終わっても腹八部には届かないだろうな、と思いつつも施しに感謝して食べるしかない。口に運ぶメシの味は美味しく感じられた。だが同時に、もう導も目的もなくこんなところで一人でいるのが、

 

 どうしようもなく惨めで、

 

「本当に今夜は―――」

 

「―――こんばんわ、良い夜ね」

 

 クソだな、と言葉を付け加え、悪態を吐こうとした。しかしそれに割り込む様に止める一人の声があった。その少女はおそらくまだ十代を迎えたばかりの少女だった。こんな夜には不格好な青と白のフリルドレス、街灯に当たってきらきらと輝く金髪、そして日本人にあるまじき青い瞳はまるで物語から切り出されたお姫様のような姿をした少女だった。その少女を見て悪寒が走った。日本に到着して以来、ずっと黙っていた啓示が蘇った。それはまるで炎がその最後の瞬間に輝かんとする、そんな強さだった。頭が割れる程の痛みの中、理解する事ができて。

 

 彼女と会ってはいけなかった。

 

 彼女が俺の終わりなのだ、と。

 

 そう思いながらからあげを1個口の中に放り込み、そして箸の先を少女へと向けた。

 

「―――お前、頭おかしいんじゃねぇの」

 

「えっ」

 

「いや、考えてみろよ。というか考える前に見ろよ。ぼろぼろのジーンズ、よれよれのシャツ、クッソ汚れた軍用コート。どっからどう見ても人生最悪です、いっそ明日には世界終わらねぇかなぁ、とかそんな終末思考を抱いている五十近いおっさんだぞ、おっさん。それでいて弁当を一人で食ってるんだぞ。しかも雪が降る中で。公園で。ベンチで一人」

 

 そこまで喋ったところで、一息整え、

 

「もう一度言ってやる―――頭おかしいんじゃねぇのお前。どこがいい夜だよ。クソみてぇな夜だよ」

 

 その言葉を笑顔で受け取った少女はそうね、ふふ、と小さく笑い声をこぼしながら両手を胸に当て、笑顔のまま、

 

「どうしよう、その通り過ぎて何も言えないわ……」

 

「ついでに言えば職もねぇ。家もねぇ。友人もねぇ。職歴もねぇ。家族もねぇ。学歴もねぇ。そんな俺に対していい夜とか言うのお前いい根性してるな。ほんといい根性してんな」

 

「ごめん……ほんとごめんなさい……そういうつもりじゃなかったの……」

 

 こちらの口撃に少女が声を震わせる。それを見て、そうだな、と言葉を置き、

 

「―――だが、まぁ、許そう。クソみたいな人生でクソみたいな夜である事は事実だ。だけど俺はいいトシした大人で、そしてお前は子供だ。俺が間違いを正すには遅すぎるが、お前が学び、反省し、そしてそれを糧に成長するにはまだまだ、多くの時間と猶予が残されている。故に俺は許そう。そして俺に晩飯を食わせてくれ。死にそうなんだ」

 

「あ……うん、どうぞ」

 

 少女の許しを得たのでそのまま、弁当を口の中へと放り込んで処理してゆく。肉とタレの味を堪能しつつ、視線を正面へと向けると、まだそこに少女の姿を見た。ご飯を口の中に掻き込むのを一旦停止しつつ、少女へと視線を向けたまま、

 

「おう、なんだ」

 

「横、いいかしら」

 

「いいぞ」

 

 横、ビニールを置いてない側にはスペースがある。許可を出すと静かに、しかし軽い足取りで彼女は歩き、そして座ってきた。自分の人生の中で、幾度となく、浮世離れした人物と会うことがあったが、この少女に関してはその比ではなかった。一人だけ、まるで別世界から切り出したような、そんな感覚が強かった。そしてそれだけではない。彼女を目撃したその瞬間から複雑なものが胸中に渦巻いている。

 

 憐憫、憎しみ、興味、脅威、好意―――死。そう、死だ。出会ってはいけない筈の存在と出会ってしまった感覚、どうしようもなく狂わされてゆくという感覚、それがあった。それが隣の少女からは感じられた。だが弁当を食いながらも俺が思えることは一つ、

 

 ()()()()()()()ということだった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。躊躇する理由も、臆す必要もない。発狂するならそれで別にいい―――今日、この夜、俺の人生のその意味を見出すことができるのなら。

 

 だから弁当を食べながらも、少女の声に耳を傾けた。

 

「なら改めてこんばんわ、素敵な人」

 

 素敵な人、素敵な人、と来たか。その呼び方は卑怯だ。否定すれば相手の価値観を貶すだけだからだ。だから素直に答える事にする。

 

「俺は―――」

 

 いつ振りだろうか、素直に答え、名乗るのは。

 

「―――里見栄二、だ」

 

 そう、それが俺の名前。海外にずっといるからエージ(Age)とばかり言われていた。だから日本語の発音で自分の名を口にするのは、物凄い久しぶりだ。懐かしさを覚える。

 

「なら私も自己紹介するわ。私は―――」

 

 弁当の中身が終わる。プラスチックの容器をビニール袋の中に叩き込み、視線を少女へと向ける事無く、雪が降り注ぐ夜空へと向けた。

 

「―――沙条愛歌よ、よろしくね」

 

 きっと、見るものを魅了させるような笑みを浮かべているのだろうなぁ、と思いながらこの場で煙草を口にできない事を後悔していた。空を見上げながら、深々と自分の体や、ベンチ、公園に降り積もって行く雪を見つつ、呟く。

 

「……長い夜になりそう(≪属性:混沌・悪≫)だな」

 

「えぇ、忘れられない夜に(≪属性:秩序・善≫)なるわ」

 

 それはまるで鏡写しの存在。

 

 男と女。

 

 大人と少女。

 

 恵まれない者と恵まれた者。

 

 鏡に映ったかのような正反対の出会い―――それが答え合わせの始まりだった。




 定期的に口にする結婚したい、という言葉は冗談や相手がほしいというものからではなく、根源的にある不幸な生い立ちに対して「幸せな家庭を持ちたい」という願望を知らずに口にした結果である。子供のころに一般的と呼べるような家庭がなかったからこそ自分は結婚して、ふつうの家庭を持ちたいというちょっとした願い。

 誰よりも何よりも冒険もせず、普通に生きる人たちが羨ましくて、それを見ているとどうしても自分が惨めに思えた。

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