「扇風機! 扇風機やってくださいよー、扇風機ー」
「お前をファン代わりに回してもいいんだぞ……!」
とはいえ、魔霧が相当にうっとうしいのは事実だった。十数メートル先さえ見えないほどにロンドン東部はすさまじい濃霧に包まれていた。そこに感知できる魔霧に含まれた魔力は確かに殺人的であり、これが普通の人間であれば即死なのはまず間違いがない―――だというのに一切家屋に侵入しないその姿は、実に不思議なものだった。とはいえ、これだと索敵が滞るというのも事実だった。
―――それを逆に利用させてもらっているが。
「
「
『ねぇ君? これからどこの国の王族暗殺しに行くの? って感じの暗殺能力よね。それだけの気配遮断能力あれば大体なんでも殺せるわよね……』
まぁ、暗殺という言葉はただ単に敵を殺せばいいというわけではないので、難しい話だ。たとえどれだけ気配を殺すのが上手でも、暗殺に必要なのは素早く急所に打ち込んで一瞬で殺す技術、後の防備をすり抜けて接近する技術、相手を調べだす諜報技術、等と多岐に渡る。そしてこれで一番重要になってくるのは
アサシンと名乗るにはヘタクソすぎるのだ。そこはやはり、経験がものを言う。借り物の人生では真に実力を発揮する事はできない―――そこらへんはマリスビリーには理解できなかった部分かもしれない。
「しっかし私が治めていた国の未来がこうなるとは、予想もつきませんでしたね……現代におけるブリテンは一体どうなってるんですか?」
アルトリアと共に
「―――まぁ、カトリックやプロテスタントがイギリスじゃあ根強いからな。ロンドンには時計塔がある影響から魔術教会の力が大分強い。だが同時にカトリック教会の裏組織である聖堂教会の勢力圏でもある。ぶっちゃけ、連中は魔術に傾倒した、或いは魔術的側面のキリスト教だからな。現代でもイギリスには王族が残ってるけどもはや象徴的なもんで、実務に関しては影響力はない。ここは大体の先進国と同じだな」
「ほうほう」
割と興味があるのか、アルトリアが真面目に話を聞いているので続ける。
「さっき言ったようにイギリスってのは魔術教会と聖堂教会の勢力圏で何時もぶつかり合っている。まさに水と油の連中だ。まぁ、魔術教会から異端者が生まれまくっているうえにキリスト教以外の信仰から通じる魔術とかガンガン使ってるからな、あそこは。表向きには不可侵を結んでるけど根っこではこっそり殺しあってるらしい」
「我が国は未来でもまぁた身内で争っているんですか。やっぱり夢魔はクソ」
謂れのない暴言がマーリンを襲う。
『いいわよ、マーリンの事なんて。本当は自分の足で出てこれるクセにそれが罪を償うための行いだと思って頑なに出てくるのを拒んでいるくせに覗きが趣味の変態倒錯魔術師なんだから。これぐらい言われても逆に喜ぶレベルでのダメ人間……いえ、ダメ非人間ね、アレは。絶対にあんな風になっちゃだめよ? 絶対だからね?』
マーリンに言葉の暴力が襲い掛かる。ここまでボロクソ言われるマーリン、いったい何者なんだ。
それはそれとして、雑談をソーホーに移動しながら続ける。
「基本的にイギリスは、まぁ、経済的には悪くはない。物理的な戦争からは遠い国だしな。その代わり法律と経済で戦う時代だ。国同士の協定や考え方でのアレだな。正直、そちら方面はあまり興味ないだろう」
「えぇ、まぁ、
「お前、祖国の事をディスりまくるなぁ……まぁ、二十数年以上も前の話になるが俺もイギリスには寄っていてな、その頃は様々な宗教、思想、信仰に触れて明確なカミという形を俺は求めていた。インドで
「聖女、ですか」
頷き、屋根から屋根へと飛び移る。そこでいったん足を止め、目の前の大通りをヘルタースケルターが徘徊しているのを見る。それが通り過ぎるのを待つようにしばらく眺めつつ、話を続けて待つ。
「まぁ、聖女というのは俺と同じような聖人体質の人間の事だ。神に愛されている、とも表現できる体質で、祝福された様に人には真似できない奇跡、或いは秘跡を再現する。ただ聖女と呼ばれた彼女は神の存在を感じる事はできても、俺よりもその恩恵は弱かったらしく、明確に声や意志を感じ取る事はできなかったらしい。だから俺は彼女と会って、そして話した。カトリック教徒である彼女がどうして神を信じられるのか。救済がなんであるのか。即ち、命の答えとはなにか、と」
敵の姿が消える。通り過ぎたのを確認してから足音を立てずに大通りに着地し、それを素早く横切ってから再び屋根の上へと跳躍する。そのまま周りを見渡し、さらに濃くなってゆく濃霧に顔を顰めた。
「で……どうだったんですか? 話せたんでしょう?」
まぁ、と言葉を置く。
「……てんで話にならなかった。彼女は熱心なカトリック教徒であり、聖典を信じていた。疑うことなくそれが真実であり、彼女はそれに従って生きるべきだと。そして故に、彼女は答えを必要としていなかった。確かに悩むし、怖いし、知りたいかもしれないだろう。だけどそれは人知を超えた理外の境地であり、人に許された範囲ではない。それは神が知るべきものであり、自分はそこへと至る資格もなく、代弁者としてある一人の女、と言っていたよ」
「それはまた……」
「あぁ、全く話にならなかったさ。そのほかにも色々と会って話す相手には遭遇したよ。思い出深いのは中華で会った道士を名乗る男だった。なんともまぁ、昼間から酒を飲んでは桃を美味しそうに食う奴だったよ。そいつは明確に答えがあるかどうかも知れない事を求めて探すという行い自体が間違いであると言っていた。そもそも答えとは探すものではなく、理解するものでもない。大地と同一視、理と合一し、それで天地と合一したところで初めて、その片鱗に触れて一部となる……という感じだったな」
まぁ、なんというか―――それぞれ、主張が違うのだ。
「それぞれの道を通った聖人、聖者、宗教家は誰もが違う答えを主張して―――あ、いや、待て。なんで昔語りになってるんだ。今はイギリスの話だろう」
「え、いや、いいですよ。別にそのまま話を続けても。記憶の整理になるんじゃないですか?」
「俺は積極的に自分語りをしたがる恥ずかしい男じゃないんだよ」
「えー……折角弱みの一つでも握れそうだったんですけど」
最悪だな、こいつ。解ってはいたのだが、普段は騎士王と呼ばれたその清廉潔白な要素が一切ない。もう少しシリアスな時の姿を維持できれば話は違うのだろうが―――この女にそれを期待するだけ間違いなのだろう。
「それよりも情報提供者の場所はどこだ」
「確かこの近辺の筈ですけど……書店でしたか?」
アルトリアと軽く索敵しながら探索していると、濃霧のせいでしばし時間がかかってしまったが、それでも目的の場所を発見する事はできた。ここら辺にはエネミーの姿を見かけないな、と思いつつ屋根から降りて道路の上へと着地する。ここ、ソーホーの魔霧の濃度は少々というレベルを超えて凄まじい。軽く探知魔術を使おうとしても、センサーが埋め尽くされてしまうレベルで。これでは魔術的な索敵もクソもないといえるレベルだった。
「……さっさと終わらせて、なんか暖かい飲み物でも飲みたいところだな」
「ですね。では進みましょうか」
目的地を発見し、隠密状態を維持したまま、移動する。軽く中の気配を探るが―――確かに、人の気配を感じる。それにここが目的であるのを悟り、一息つきながら隠密を解除しつつ書店への続く扉を開けた。中に入れば本を重ねたテーブルの横に椅子を置き、本を読む少年の姿が見えた。書店に入ってきた此方の姿を確認するとふむ、と声を置きながら本を閉じた。
「予想よりも早く来たな。おかげでまだモンテ・クリスト伯を読み終わってないぞ。が……さて、お前らがヘンリー・ジキル氏の送ってきた救援者で間違いないな?」
「えぇ、そうです。そう言う貴方はサーヴァントですか」
「いかにも、といいたいところだがそこら辺は正直どうでもいいだろう。それより朗報だ、肉体労働担当の脳筋サーヴァント共、仕事だ。それも至急のものだ。お前らは今、このソーホーがどうなっているのか理解しているのか?」
バリトンボイスで美声を放つ少年のサーヴァントは異様に口が悪かった。とはいえ、誰かを嫌悪しているというわけではなく、そういうスタイルの人間であるというのは伝わってきていた。このサーヴァントに対するスタンスは個人個人で好き嫌いが別れるだろうが―――少なくとも自分はこういうタイプのずけずけ言ってくるのは嫌いじゃない。変に飾ったり隠したりするよりは断然良い。
『私は嫌いだけどね。毒舌で我が道を行くような姿を見せているくせにその根っこは
……だから腕を組みながら答える。
「今、ソーホーには魔本と呼ばれる本が出現し、家屋に侵入して何かをしているってぐらいだが―――」
「概ねそれで合っている。だが足りん情報を付け加えるならソーホーの住人を夢に落としている」
「夢に……魔術か薬か?」
「さてな、俺は頭脳労働担当であって肉体労働担当ではない。そういう足を使った調査や観察に関してはお前らの様な一流の英霊か万能な何でも屋に任せる。俺は考えるのが仕事だ。答えが欲しければ情報を出せ、情報を」
「となると魔本を探して軽く観察しに―――」
そこまで喋ったところで、近づいてくる気配を感じた。振り返りながら三人の視線が書店の扉へと向けられ、それが静かに開いた。扉に備え付けのベルが二度、チリンチリン、と音を鳴らしながら少量の魔霧と共に、浮かび上がる本が扉を抜けて出てきた。扉が静かに閉まり、此方へと一切頓着することもなく、浮かび上がる魔本は静かに浮かびながら自分たち三人の横を抜け、階段を上って、と表現するにはややおかしいが、浮かび上がったまま上へと消えていった。
「……探す手間が省けたな?」
「これは観察しやすいですねぇ……」
「えぇー……」
お前の方から来るのか、とどこか軽く引きつつも、軽く息を吐いて思考を切り替える。
「俺たちに対して興味を示さなかったのはなんでだ?」
「馬鹿め、見たなら解るだろう? 興味を示さないということは
「おや、意外と精力的ですね」
「流石の俺でも空気は読む。流れを読もうとは思わんがな!」
「最悪だよこいつ」
呆れながら少年サーヴァントの後を追い、階段を上がって行く。普通のサーヴァントであればまず間違いなく接近を警戒するであろうが、近づいてゆく魔本に対してはそういう警戒を見せる姿はなかった。完全に二階へと上がり、そこにある書斎を覗き込む。
一階、書店部分の棚に飾られているよりもはるかに多く、そして古い本が立ち並ぶ部屋だった。その中央で何かをする訳でもなく、静かに魔本は浮かび上がりながら時を過ごしていた。ゆっくりと少年が、アルトリアが、そして自分が書斎を覗き込み、そして接近した。しかしそれに反応する事無く魔本は浮かび上がっていた。
いや、違う。これは魔本なんかではない。
「
「となると概念英霊系統ですか。これはまた妙なのが出てきましたね」
此方に反応することなく本の英霊は動かず浮かんでいた。さすがに触れようとすれば何らかの反応を示すだろうから、まだ触れず、眺めるように観察するだけであった。だが此方に反応することなく動かないそれは、少年のサーヴァントの様にまるでこちらに対して興味を持っていない、とでも判断すべき動きだった。
家内に入り込んで人を眠らせているということは何かを求めての行動だが、英霊ジャンル相手に敵意も会話も調査も行わない辺り、英霊というよりは宝具的な半自動性を感じられる。
……流石に、本だけで何の英霊か判断するのは不可能だ。自分だけではこれが限界だった。
「何か解るかアルトリア? ほら、直感で」
「私の直感はどちらかというと受動的なもので瞬間的に察知する能力ですからそんな使い方はできませんよ。そちらはどうですか?」
アルトリアの声が少年へと向けられ、少年がどこか痛ましいものを見るような視線を魔本の英霊へと向けていた。
「そうか、お
「ん? どういう事ですか?」
「いや、名も無き物語を愛する読者もいたというものだ。つくづく救いようがないな。目も当てられん。名も無き物語よ。貴様の求めるものはここにはない。どうあがいても望みが叶う事がなければ貴様が安息を感じる事もない」
その言い分、どうやらこの少年は―――いや、姿からしておそらくはキャスターは、相手の正体の看破に成功したのだろう。それもどこか、昔を知るような口ぶり、エミヤのようにかつての聖杯戦争でどこか、見たことのある相手なのかもしれない。そう思っていると、キャスターが片手に本を浮かべた。
「こいつの正体は固有結界の塊……いや、存在自体が固有結界であり己という存在を持たない哀れな物語だ。生まれたときから己では存在できず、他者を必要とする悲劇の物語。その名を呼べば形を思い出し、砕く事も出来るだろう」
「なるほど、確かに固有結界を相手にするのは面倒ですが、形があるのなら話は別ですね」
となるとここで一気にケリをつけるか、と静かに室内でも使いやすい短刀へとシェイプシフターを変形させて、いつでも動けるように待機する。すぐ近くにある窓を見て、あそこから蹴り出すことができるな、とアルトリアとアイコンタクトをとる。戦闘準備を整えるのを見計らってキャスターが本へと向けて声を放った。
「思い出せ、悲しき物語よ、貴様の役割と真の意味を―――
「―――!」
キャスターの言葉に魔本が―――いや、ナーサリー・ライムが反応した。それに反応した魔本はその姿を溶かして変質させてゆく。幼い、一人の少女の姿に半透明ながら解かれた長い銀髪とふりふりドレスの姿を徐々にだが存在として確定させて行く。固有結界から明確なサーヴァントという形へ変質しつつあった姿が―――半ばで停止した。
「なに?」
ナーサリー・ライムの変質の停止はキャスターでさえ予想外の出来事だったらしく、疑問符が浮かんでいたのが見え、再びナーサリー・ライムの姿が解け始める。その姿を見て、キャスターが口を開く。
「いや、待て、ここにマスターはいない筈だ。引き継いでいるのであれば姿も引き継ぐ筈、であればお前は誰を―――」
ナーサリー・ライムの姿が変化する。それは青いドレスだった。青と白のフリルドレスだった。短い金髪はさらさらと流れており、背丈は少しだけ伸びるが幼い少女の姿であり、自分が良く知る、見覚えのある少女の姿だった。
―――
『あぁ、なるほどね。確かにそうなるわ』
どこか納得する様な妖精の声が聞こえたが、なぜか、体は動かず、視線は彼女から外せなかった。目を閉じていたナーサリー・ライムは妖精の姿を借り、口を開いた。
「―――変身す
それは妖精の声であり、耳の中ではなく、心さえも犯す声。
「私は
息が詰まる。心が痛い。
「変身す
視界が暗転する。意識が流れる。思い出す―――思い出させられる。記憶が刺激される。意識が、ゆっくりと、流されて行く。
「―――私は
全てが闇に閉ざされた。
誰かの為の物語と貴方の為の物語。作家系は言葉遣いが難しい。
次回、記憶の核心に一歩迫る。