Vengeance For Pain   作:てんぞー

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過去への船出 - 5

 ―――トワイスの憶測は正しかった。

 

 圧政と腐敗が横行した結果、穏健派によって抑え込まれていた過激派がついに限界を超えた。自爆テロで始まった政府への攻撃は国内で燻っていた火種をすべて一斉に爆破させた。一瞬で戦火に国内が飲まれ、情報規制と国境封鎖によって、徹底した虐殺と蹂躙と地獄絵図が繰り広げられる。大人から子供に至るすべての存在が銃か、あるいは何らかの武器を持ち歩き、絶対に身をさらさないように隠れながら進むという異常な風景を見せるようになった。少年兵が手榴弾を片手に戦車に乗り込んで自爆テロを慣行する様な光景を度々目撃するように、今まで地獄だと表現していた光景がまだまだ生ぬるいものだと認識させられた。

 

 それはもう、地獄としか表現できない景色だった。

 

 それ以外の言葉が、見つからない。

 

 毎日どこかで誰かが泣き叫びながら死んでいた。もはや国内に安全な場所なんて存在せず、逃げられる所なんて存在しなかった。中央で爆発するように広がるガンハザードは一瞬で国土を炎に埋め、生存競争を強制させた。

 

 独裁者が暗殺されてからは収まるどころか更に加速した。

 

 明確な統治者がいなくなって完全な無政府状態になるとそれを掌握しようと政治家たちが動きだす。そしてその政治家たちがライバルを蹴落とそうと動き出し、それがさらに戦乱を煽っていた。ここに至って、国内でもはや収拾という行いは無意味であり、不可能だった。完全な無秩序が形成され、憎しみと怒りのままに荒れ狂う人間はカミの名を口にし、聖書ではなく銃を片手に真理を語ろうとしていた。

 

 ―――カミの意思の下に、死ね!

 

 誰かがそう叫べば、誰かがこれを聖戦だと叫んだ。そうやって誰もがそれを正当化し、カミという存在がついているのだと主張、押し通し、そしてそれを盾に誰かを殺していた。もはや言葉もなく、もはや理解の必要もなく、国の中にいる者たちは誰もが狂っていたのだ。逃げるにはあまりに遅く、収めるにはあまりにも小さすぎて、

 

 極々当然のように―――俺たちもまた、その嵐に巻き込まれていた。

 

 

 

 息を切らしながら銃声が響く街の中を駆けて行く。両腕で抱えるように運ぶアサルトマシンガンをしっかりと握りながら全力で駆け抜けてゆく。頭を低く、呼吸を整え、銃弾が此方へと向かって来ないように気を使いつつも全力で走り抜けて行く―――この時ばかりは、生きる為の力をつけてくれたことを(グル)に感謝しつつ、全力で走っていた。

 

 少し前まではまだ静かで、普段通りだった街の姿は完全に変質していた。陽気に笑う酔っぱらいは酒瓶の代わりに銃を片手に持ち、鼻歌を口にせず、代わりに銃声を大空に響かせていた。それはまさに狂気だった。狂気以外にこの状況を説明する言葉はなく、しかし、今はそんなことはどうでも良かった。

 

「皆―――」

 

 息を切らしながらも全力で走り、向かって行くのは宿の方だった。そこには自分の荷物のほかに、何時も一緒の時間を過ごしていた仲間たちがいた。この街は比較的に治安が維持されていた。無償で治療する医者がいる事もあり、この状況でそれを失うのはあまりに惜しい、と見逃されている部分もあった。だから辺境の街として危険は常に付きまとうが、それでも火薬庫の様な様子を見せることはなかった。だがそれは一変した。

 

 ―――空爆によって。

 

 それはおそらく()()()()だったのだろう。辺境、首都や重要な施設がないところを空爆し、脅しとして機能させる。それを見せてこれ以上騒ぐなら今度はもっとわかりやすい場所に落とすぞ、という大人的な行動だったのかもしれない。あぁ、それはそれで別にいいのだ。

 

 ここにさえ、落とさなければ。

 

 そして爆弾は落とされた。町の中心部を吹き飛ばし、そして多くの人間を発狂に追い込みながら怒りを爆発させた。空爆された街なら警備が薄いと睨んだ犯罪者が略奪にやってくる。空爆されたことに怒りを覚えたものが銃を片手に敵も味方も区別をつかずに引き金を引いた。そうやってたった一つ、大人の対応というもので天国は裏返って地獄へと変貌した。なぜ、ここに落としたんだ。そう叫びたかった気持ちを押し込みながら、()()()()()()()()()()()()の悪運を呪った。

 

「トワイス、リン……まだ死ぬには早すぎるだろ……!」

 

 生きていてくれ、と息の下で呟きながらもすばやく瓦礫の裏へと飛び込んだ。受け身をとりながら飛び込んだ先で、近くで銃声が響き、叫び声とともに乱射する銃声が聞こえてきた。確かな恐怖を感じながらも、瓦礫の裏に隠れながら素早く移動を再開する。表通りは完全に銃撃戦によって埋め尽くされているほか、たまにロケット弾まで飛び交っているのが見える。まるで誰かがこの場所から理性の灯を奪ったかのような光景だった。

 

―――。―――、―――。―――。

 

「試練、試練、試練、試練、試練! それだけか! それだけが貴様の言える言葉か! 死ね! 死んでしまえ! 俺の頭の中からとっとと失せろ! 放っておいてくれ、この悪魔がぁっ! そんなに試練と死がお望みならまず自分自身でそれを体現しろ!」

 

 啓示に答えはない。あるのは同じ意志の繰り返しだけだった。まるで壊れたカセットテープが何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、

 

 ―――何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、

 

 ただただ何度も、無限に繰り返しているだけだった。その声は強制的に脳を支配し、そこに使命感を刻み付ける。従えば一瞬で声の人形になる。それを理解していた。それを自覚していた。だから心は憎しみで燃え上がっていた。煩い、黙れ、死ね、失せろ、俺に語り掛けるな塵が。それは長年、洗脳にも近い啓示に抗う為に生み出した憎悪のフィルターだった。それに旅を通して学んだ様々な見地からの精神論を組み合わせ、完全にシャットアウトする。

 

 それでも怒りと焦りは消えない。どうか、どうか無事でいて欲しい。飛び込んだ裏通りを抜けながら人の気配を避けてドンドン走って進んで行く。時折、逃げられない、避けられない遭遇がある。それに対して迷うことなく引き金を引いて射殺しながら、前へと飛び込んで行く。本当に大事なものと比較すれば、有象無象の死など己にとってはどうでもいい事だった。そう、どうでもいいのだ。こと、悟りや答え等。

 

 本当は、どうでもいいのだ―――それで本当に大事なものが無事ならば。

 

 嫌だ。もう失くしたくはない。母さんも父さんももういない。なのにまだ失くすのか。そう思う心境は既に半狂乱だった。だけどそれでも理性だけは最後、ギリギリの線で保っていた。それだけはこの状況で失えなかった。それを手放せば最後、この発狂の渦の中に自分も囚われて逃げられなくなる。この地獄の囚人と化してしまう。だから心だけは折れない様に両手で握りしめながら走った。

 

 走った―――ただひたすら、予感を抱きながら走った。

 

 そして到達したいつもの宿―――その酒場は大量の銃弾によって穴だらけの壁を見せており、ロケット弾か手榴弾でも爆発したのか、焦げた肉の臭いを周囲にばらまいていた。すでに外から見える血と肉の海の中、仲間の姿を求める様に飛び込んだ。

 

 そこで見えたものは―――絶望だった。

 

 宿の、酒場のマスターは上半身が消し飛んで壁にもたれ掛るように死んでいた。知り合いの大半は銃弾を受けて蜂の巣になっているか、或いは体の一部が消し飛んでバラバラになっていた。当然のように内臓が床を汚し、そこから千切れて溢れ出た糞が鼻をひん曲げる悪臭が停止した意識を一瞬で現実に引き戻した。

 

「リン! トワイス! 皆! ―――誰か、いない、のか……」

 

 消え入りそうな声で名前を呼んだ血肉の海の中で名前を呼んだ。もはや生存が絶望的な中で、しかし答えはあった。

 

「ここだ」

 

「トワイス!」

 

 声の方へと視線を向ければ、バリケードのように影を作るテーブルの姿が見えた。走って近づけば、その背後にトワイスと、リンの姿が見えた。白衣を真っ赤に染めたトワイスは残り少ない医療道具を使ってリンの治療をしている様で、リンは目を閉じ、魘されるような反応をしながらなすがまま、治療を受けていた。

 

「これで応急処置は完了した……これ以上の治療はここでは不可能だ。早急に病院に連れて行く必要がある。すまん、彼女を背負えるか?」

 

「あぁ……あぁ! 勿論だ! 任せろ! ちっと揺れるが、我慢してくれよ……」

 

「うぅっ……」

 

 短く呻き声を漏らすリンに謝りながら、腹部に赤く染まった包帯を巻いた彼女の姿を持ち上げ、背負った。これが平時であれば背中に感じる感触に関してからかってやったりでもしたのだろうが、空気を変えるためにそんなジョークをやる余裕さえ、この場にはなかった。リンを背負い終わったところで、動かないトワイスへと視線を向けた。

 

「おい、トワイス」

 

「いや……私は致命傷を受けている。最後の道具を彼女に使ってしまってね。どうにも、助かりそうにない。まぁ、最後まで私は医師である事を貫けたんだ……後悔はない。私の最後の患者だ、しっかり助けてくれる事を期待しているぞ」

 

「おい……おい! ふざけんな、トワイス、おい!」

 

 お前も来るんだ、と叫んで手を伸ばそうとしたところで、触れる前にその体が横に倒れた。そうやって見えた正面の姿、そこにはいくつかの弾痕が存在し、彼の白衣を赤く染めていたのは返り血ではなく、彼自身の出血によるものだと理解した。どこからどう見ても、致命傷であり、手遅れな姿だった。その程度、見れば解る姿だった。

 

「……、っ! 馬鹿野郎……!」

 

 叫び、トワイスを置いて飛び出た。背中のリンを揺らさないように気を使いながらも、飛び出し、そのまま全速力で街の外を目指した。

 

 南だ―――南を目指すんだ、南には―――。

 

 南には外国からの治安維持部隊が来ている。この町の紛争状態を生み出したのは連中だ。だとしたらそれを鎮圧する為に、絶対に南から北進してくる筈だ。これが中東の人間だったらスルーされるだろう。だがリンはアメリカ人、自分は日本人。絶対に無視する事はできず、保護される。何よりリンは元国連の一員の筈だ、無視する事は出来ない筈だ。

 

 絶対に助かる。信じろ、そう呟きながら無我夢中で街中を駆けた。

 

 もはや、どうやって無事に脱出したのかなんて事は覚えていなかった。

 

 だが気づいた時にはリンを背中に背負ったまま、街から延びる街道を歩いていた。

 

 背中にはぐっしょりと張り付く血の感触があった。だがそこには軽い体温を感じた。彼女はまだ生きている。それが自分の動かす原動力となって足を動かしていた。遠くに聞こえる喧噪。銃声。怒号。絶望の声。それは街から離れてもいまだに聞こえるものだった。

 

「もう街を出た。安心しろ。すぐに軍を見つけて治療して貰うからな」

 

 返事はないと解っている。リンにそんな余裕はない。だからこうやって声をかければ彼女が意識を繋ぎ止める事に欠片でも役立てる事ができれば―――そういう思いから必死に言葉をずっと、かけ続けていた。そうやって声をかけなければ自分もまた、どこか狂ってしまいそうだったから。

 

「―――ふふ……必死、ね……」

 

「リン、起きてたのか」

 

「あら、起きてちゃ……ダメ、かし、ら?」

 

「喋るな。今にも死にそうな声じゃなくて、後でもっと元気になった声を聴かせてくれ」

 

 まだ生きているという事実に安堵を覚えれば、体に力が籠って行く、まだだ、まだ動ける。答えとかいいから、彼女だけは助けなくては。そう思いながらも歩き進んでた。だが、リンは口を閉ざす事はなかった。

 

「ねぇ、ここは……酷い場所だったけど、楽しかった……わね……」

 

「無理して喋るな馬鹿」

 

「私、ね……捨て子……なの。お父さんは日本人で……母をヤリ捨てて逃げて……」

 

「最低の親父だな。見つけたら殴っておくわ」

 

「ふふ、そう、して……で、ね? 昔は凄く大変でね―――」

 

 リンは、その反動で拝金主義に目覚めた。父は蒸発。母はリンを捨てた。信じられるものは多くはなく、何よりも財産は裏切らない。それを知ったリンは自分の才能を磨きながら安定した職を求め、国連に所属した。そこはやりがいのある職場―――ではなかった。やがて、リンは拝金主義からもっと、自分にしか出来ない事を、そしてそれを役立てる方法を求めた。

 

 その結果が、

 

「これ、なんだから……笑え、ちゃう……わね……」

 

「……」

 

 笑えなかった。ちっとも笑えなかった。欠片も面白くなんてなかった。リンに悪いことなんて何もなかったとは言えない。だが彼女には幸せになる権利があった筈だ。こんな生まれだからこそ幸せになるべきだったのだ。誰よりも、幸せになるべきだったのだ。だけどそれを運命は許さなかった。神は試練を与えるだけで、救う意思を一切見せなかった。

 

「笑わない。笑えるかよ……お前は頑張ったさ。俺なんかよりも、ずっと頑張ってたさ」

 

「そ、う? なら……良か、った……わ」

 

 ふふ、と小さくリンが笑った。その声とともに街道の先、土煙が巻き上がっているのが見える。目を凝らしてみれば、巨大な鋼の塊が此方へと向かって走ってきているのが見える―――戦車、戦車だ。軍が来たのだ。治安の回復の為に来たのだ。これで助かった、助けられる。

 

「次が、ある、なら……もう少し、だけ……素直に」

 

「おい、見ろよ、リン。軍が来たぞ。見ろ! アメリカ軍だぞ! お前の故郷の軍だよ!」

 

「なれたら……いい……なぁ……」

 

 頬に柔らかい感触を感じた。横に目を向ければ、唇が頬にあてられていた。見たことの無い、花の様な笑顔を一瞬だけ見せ―――その視線は落ちた、永遠に。

 

 もはやそれが元に戻ることは、なかった。

 

 トワイスが命がけでつなげようとしたものが無駄になって、そして全力で助けようとしたリンが亡くなったのを自覚して、膝がその場で折れた。もはや二度と動く事のない体を背負いながら、自分の力不足と世の無常さ、

 

 そしてどうしようもなく、救いが欠片も見当たらないこの世界に絶望し、慟哭を空に響かせた。

 

 ―――軍に保護されたのはその直後だった。




 魔神柱が見ていたありふれた悲劇。

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