「―――星の歌に耳を傾けろ」
それを至極真面目な顔で
「星の歌って……」
「なんだ、解らないのか? 天の声は聞こえているのに不便なやつだなぁ、お前は」
「むっ……」
「いいかい、どれだけ素人に己の心と向き合えと言ったところでそんな事ができるはずがない。これが
「いや、その
「ん? 聞こえないのかい? 目を閉じて己ではなく世界そのものに耳を傾けるんだ。なに、それほど難しい事じゃないさ」
言われた通り、ヨーガの姿勢を維持したまま、目を閉じた。そのまま、言われたとおりに耳を周りへと傾ける。それを手伝うように、
「あぁ、無駄に集中とかする必要ないし、特に考える必要もない。まずは肩から力を抜いて……あぁ、そうしたら短く深呼吸をして。だからお前はそこで無駄に一つ一つ行動を意識しすぎている。物事の意味を考えるな、尋ねるな、委ねろ。お前は
言葉に導かれる。段々と意識は鈍化して行く。それと引き換えに耳に入り込んでくる音があった。それはまず、風に揺れる木の葉の音だった。陽射しが突き刺さる中で、軽く木々を吹き抜ける程度の風は清涼剤であり、その恩恵を木々も預かっているのか、風が吹き抜けるたびに木の葉が揺れ動き、その音が森に広がって行く。それとともに聞こえるのは葉に乗った朝露が零れ落ちる音だ。そのほかにも多くの音で聞こえていた。それは普通に生活してれば見逃すばかりのもの、こうやって耳を傾けようとして初めて、聞き入る事のできる音だった。
だがその音はもっと、もっと響いている様な気がする。さらに耳を澄ませようとした瞬間、
「―――はい、そこまでだ」
手をたたく音と共に、意識を引きもどされた。少しだけ驚愕しながら、視線を
「お前はへんに深く考えるな。聞き、そして意思を感じ取れるそれは素質でありながら才能だ。それにお前はへんに理屈をつけようとする。それが駄目だ。何かを知る前に感じ取ることを覚えろ。お前に欠落しているのはそれだ。怒りに盲目になっているからそれが心を曇らせている。本当は感じられる筈の世界を感じられずにいる」
勿体ない事だ、と
「とはいえ、僕はそれを根本的に改善するつもりはないけどね」
「……」
「ん? 何だい? その意外そうな表情は。僕が聖人かなんかかと思ったかい? そりゃあ違うよ―――いい冗談だとは思うけどね。僕は聖仙さ。そして根本的に自分に対して利のある事じゃなきゃぁ手を出しやしないよ。まぁ、それをどう思おうとお前の勝手だけどね」
相変わらず、というべきか。根本的に見てるチャンネルが違う人物のように感じられた。自分と話している筈なのに、その向こう側の世界と話しているような、そんな寒気を感じる人物でもあった。ただ不思議と、逃げようという気持ちだけは霧散していた。そもそも逃げられるような存在には見えていないのだが。
「さ、それはそれとして、続きをしようか。一回導入を手伝ってやったんだ、体が感覚を覚えているだろう? あとは自分でやってみなさい。僕が出来るって言ったんだ、出来ない筈がないからね」
「本当に自信過剰ですね、
「自信過剰? 違うさ、これはただの事実の指摘だよ。さ、続きを始めなさい。全く、これだから……知る者が知れば頭を下げて泣いて頼みこむものを」
どこまでその言葉が本当かは解らないが、それでもこの
―――曰く、この世の悟りに明確な答えはない。
「君たちが僕に開放されればそのまま、多くの国々を渡り、そしてその文化に触れながら多くの思想、宗教、信仰に触れるだろう。だけどきっとお前達はいつか気付く筈だ。
であれば
「悟り、とは何ぞや」
そうだね、と
「端的に答えるならそれは
門司とともにその言葉にうなずきを返せば、よし、という言葉が返ってくる。
「あぁ、そうだとも。納得できる答えで真理・悟りへと至れるというのならそこら中に覚者が増えてしまう。だけど真の悟りたる境地はまず、命というもの、その答えに辿り着かなくてはならない。その流れを、意味を、そして終焉を。それに明確な形を与え、答えとした上で、それと知りながらすべての命の流れというものを知る必要がある。そう、君達が旅路の果てに見出した答えとはまた別に、世界もまた一つの答えを持っている。それを知らなきゃいけないのさ」
視点が違う。
「人の視点。獣の視点。そして
自分も門司も黙り、
それは傍から聞けばまるで破綻しているようにしか聞こえない。最初にそこには答えがあると宣言しておきながら、そこに正しい答えはないと説明する。納得のいく答えが真実であるといいながら、そこにはちゃんとした答えが用意されていると言っている。明らかに言っていることは滅茶苦茶だった。だけど、そこには真理に通じるものを感じた。
不思議なものだったが、
「不思議だろう? だけど
「あるの、ですか?」
俺の求める答え、そこに明確な形は。その言葉を苦笑しながら
「さあ? 少なくとも僕にそれは解らない。ヨーガを極め、マントラを極め、チャクラを極め、
僕はこの宇宙を体とし、一つと同化した聖仙となった。この身で宇宙を操り、人の運命さえも超越する存在となった―――だけどそれでも僕には答えが解らなかった。果たしてそこに答えがあるのかどうか、それは見えなかった。あぁ、それを僕が求めていなかった、という事実もあるのだろうね」
だけど、と言葉が続く。
「きっと僕が答えにたどり着けないのはどこまでもこの怒りを捨てる事が出来ないからかもしれない。我が父を殺され、全てのクシャトリヤを絶滅させてやるという怒り、それは果たされた今でも残されている……まぁ、悟りに至れなくても当然か。だけどそれを超越して明確な答えにたどり着いた男は存在する」
覚者、ゴータマ・シッダールタである。彼は人類で唯一、明確な生への答えを導き出したとされる人物だった。それを比較に出され、漸く自分は、悟りを開く事に近い、無謀なことに挑戦しようとしているのだと、
「あぁ、そうだね。怒りを抱いたままでは最後の一歩を踏み出す事ができないだろう。僕も、お前も。それとの付き合い方は良く考えておくといい。憎悪は何よりも効率よく体を動かす燃料ではあるけど、結局は劇薬だ。最終的に悲鳴を上げるのは自分自身なのだから」
そう告げられるも、しかし、自分にはカミを否定する道しか選べなかった。どうしても神という存在は許せなかった。怒りを忘れる事ができない。その存在を否定することしか、思いつかない―――それが俺、
―――里見■■という男にある全てなのだから。
「ま……好きにすればいいさ。僕はお前の考えを尊重するよ。そしてお前の選択もまた尊重しよう。僕は僕の役割を果たす。だからそれを得た先で何を考え、何を選択するかはお前達自身で悩み、苦しみ、惑いながら選んで進むといい。そして何時か気づくといい。その一歩、そのすべてが最後の欠片を埋めるための儀式であったということを」
さあ、と
「ここで夢はもう十分だろう。次の夢へと落ちるといい。お前にはまだ思い出すべきことがある筈だ。思い出せ、それが時の最果てで運命を通すだろう―――行け」
直後、世界が音を立てて砕け散った。足場は完全に消え去り、再び落下して行く。
深く―――更に深く、もっと闇の奥底まで―――。
かつてドローナやカルナといった有名な武人を育て上げ、ラーマとさえも一発だけ戦った事のある人物。マントラとヨーガを通し宇宙と一体化させて星そのものを戦車に駆る人物。スケールがインフレするのはやはりインド……。
とはいえ、マハーバラタ内でも預言したりその時まで無敵を与えたりとやりたい放題な人物でもあった。もう大体読者に正体バレてるなぁ、って。